第9章 「究明のエクスプロージョン」


 ―― その障壁は乗り越えようとするべきではなかった。回り込もうとしてはいけなかった。四方を囲まれただけで万策尽きたと思い込み、光を奪われたと諦観してい たのは愚かだった。天秤をこちらに無理矢理傾かせようとしていたのがそもそもの間違いだったのだ。空を飛ぶことは出来なくても、地を掘ることは出来る。障 壁の向こう側に続く道は決してひとつではなかったのだ。

 俺は携帯電話を取り出し、チェックすると新着メールが一通届いていた。
 タイトルには『お知らせ』とある。
「――待てエギル! 絶対に開くな!」
 目の色を変えたレイが声を上げた。
「……分かってる」
 ここは地下に造られた秘密基地だ。どの程度の深さに位置するのかは分からないが、レイのことだ。地上の電波が拾えるような浅い位置ではないだろう。施設 自体も絶縁体を使用するなりして外界との接触を避ける仕様にしてあるのでは、という予想がついた。だとすれば、このタイミングでメールなど来るハズがな い。
 嫌な予感がする。
「……レイ、この施設はどこかにアンテナでも埋め込まれているのか?」
「いや! そんなものはおろか、ここに存在するコンピューターは僕がセキュリティを施した特別製だ! 簡単に外界と通信出来る機械なんて――」
 そう言いかけて、レイは苦虫を噛み潰したような顔をした。
「待て……ひとつだけある。情報を得るために一台だけテレビの電波を受信しているヤツがあった! エギル、ちょっと携帯を貸してくれ!」
 携帯を差し出すと、ひったくるようにしてそれを奪われた。部屋を飛び出すと、すぐにノートパソコンを片手に戻ってきた。ケーブルで俺の携帯と接続し、素早くキーボードを叩くと頭をバリバリとかいた。
「やられた……! ここの位置がバレたぞ……!」
「何だって……!」
 なんてことだ。
 俺が愕然としている横でレイはタッチタイピングを続ける。やがて、携帯は俺の手元に戻された。
「今、仕込まれていたウィルスを消去した。未開封状態で本文を見てみたが、『ごめんなさいね。でも、ありがとう』だ、そうだ。エギル、携帯に細工をされた心当たりはあるか?」
 ある。というより、他に思い当たる節など無い。こみあげて来る不安感と苛立ちを抑えつつ、頷く。
「メルダ市長に催促されて携帯を手渡した時だ……」
 時間にして一分程だが、あの時に仕込まれたと見て間違いあるまい。何か物理媒体を携帯に接続したようなそぶりは見せなかった。ということは、俺の携帯からあらかじめウィルスを用意しておいたページにでも接続したと考えるのが妥当だろう。
 これで一連の事件の首謀者が彼女なのは揺るがぬものとなった。
「そうか……イズマのヤツ、珍しく油断したな」
 内心狼狽している俺をよそに、レイはもう元の落ち着きを取り戻しているようだった。こうなったケースの対策が既にあるというのか。
「どうするつもりだ、レイ?」
「……大丈夫だ。後手に回った時点で既にいい考えじゃないが、僕達の安全を保持するにはこれが最善策だ」
 そう言って、平然と歩き出したレイの後について行くと、俺がテレビのニュース映像を見せられたあのモニタールームに戻った。
 まず、テレビが接続されていないかを確認する。ここまではいい。
 次に彼がマイクに向かって告げたのは対策と呼ぶには大規模過ぎるものだった。
「リーダーのレイ・オオバだ。施設内の全員に告ぐ。この施設の存在を知られた。ゆえに現時刻を以って、この施設は破棄する。各員はあらかじめ決められた通りの手順に従って退避してくれ。合流場所も以前通達したものと同様だ。焦らず、速やかに避難を始めてくれ。以上だ」

 かくして、大移動計画が幕を開けた。
 とはいえ、レイの仲間達の行動は静かなものであった。全員がいっぺんに避難するのではなく、数人一組になって十数分おきに脱出していったからである。組 み合わせやタイミングもあらかじめ決められていたようで、混乱に陥る者は誰もいなかった。慌てていたのは新参者である俺とミロットさんくらいか。
「僕らは最後だ。あともう三時間程待つことになる」
 俺達はレイを中心にその時を待つ。俺達というのは、俺とレイ、ミロットさん、シメオン、パイル、リコの六人だ。
 必要最低限の荷物をまとめ、目下のところモニタールームで待機中なのである。荷物の中に『レッドソウル』が含まれているのは言うまでも無いことだが、化物じみた性能を持ったそれは特別製のケースに詰められ、俺の足元で次の出番を待たされている。
「ここを出たらどうするの? ていうか、今まで聞く機会が無かったけど、そもそもここはどこなのよ?」
 まだそわそわとしているミロットさんが尋ねると、椅子によりかかったままのレイがそっけなく答える。
「ここは都市θにある市庁舎の地下だ。この都市の市長は僕の協力者の一人でね。当選の支援をする代わりに、施設の隠れ蓑にさせてもらってる。当然、数時間後ここは跡形も無く消し飛ぶから、市庁舎から避難するように連絡はしたけどね」
「これだけの施設をどうやって?」
 俺が彼女の疑問を引き継ぐと、レイはコンソールを叩いた。無数にあるスクリーンがつながったかのようにひとつの巨大な画面となり、疑問の答えを映し出す。どこかの部屋の中に、巨大なエナジークレストが映し出されていた。
「この施設の最深部にあるヒュージエナジークレストさ。火のエレメントをたんまりと蓄積している。こいつの力を解放すれば、この施設全体が数十分に渡って 約八千度の高温にさらされる。この施設はアダマントを使っていないから、ほとんどは蒸発してしまうだろう。更にこのモニターでは映せないが、この施設の周 囲には十数か所に闇のエナジークレストを設置してある。火が収まる頃にはこいつが作動して施設全体を圧壊させる。僕らの痕跡を探すのはかなり困難になるハ ズだ」
 灼熱地獄の次は圧力地獄か。施設全体を熱で脆くした上で、潰して埋めてしまえば証拠を探すのはまず不可能だろう。それに、この方法なら地上に余波があっても地震だとカムフラージュすることが出来る。
「……徹底的ねえ」
 ミロットさんが唖然としていると、レイが厳しい眼でモニターを眺めながら言い放つ。
「当然さ。目的達成の為の努力なんてのは誰もがやっていることだ。徹底出来るかどうかが勝負の分かれ目になる」
 ただ、その言葉はミロットさんを排斥しようとするようなトゲトゲしいものではなく、自分に言い聞かせているような印象を受けた。彼とて、全く不安を感じていないわけではあるまい。彼が語ってくれた過去を知ったことで、俺はそれが分かっている。
 それにあの時、ミロットさんも一緒に話を聞いていた。だからなのだろうか、彼女に対する態度が軟化しているようにも思えた。
「徹底はともかく、自ら努力もせずに君に寄りかかりっぱなしだった連中もいたのでは?」
 シメオンが横槍を入れてきた。しかも、わざわざ神経を逆なでするようなことを。これだから、『レッドソウル』のシステム設計者とはいえ、気に食わない奴だという印象が捨てられない。
「……そうだな。確かに、誰もがやっているというのは間違いだ。大多数がやっている、に訂正しよう」
 レイは表情を変えず、淡々と切り返した。素直に間違いを認め、これ以上の追求を断ったのだ。
「ふっ、それが正しい答えだよ、レイ。ただ、これだけは覚えていてくれ。努力していようと私くらいのレベルにならなければ、君の研究の真価は理解出来ないし、有効活用するなど夢のまた夢だということを」
 熱のこもった視線を送るシメオン。それとは裏腹に、モニターから視線を外さないレイ。
 俺にもだんだん分かってきた。この二人、相性が悪いわけではない。シメオンがレイに対して一方的に対抗意識を持っているだけだ。彼の言い回しから察する に、レイを評価しつつも、自分が決して離れた位置にいないこと、自分がレイにとって必要な人間なのだという意識を強く持っているようだ。
「……あのー、リーダーすいません。アタシらの避難経路ってどうでしたっけ?」
 そんな二人の間の空気を一切読まずに、パイルが気の抜けた声を上げた。
「以前説明したはずだが」
「忘れました」
「あ?」
「……忘れました!」
 なんで自慢げなんだ。
「聞いてなかった、の間違いではないのかね?」
 お前のお陰で白けてしまったとでも言いたげに、シメオンが冷やかな視線を送る。
「うひ。そうともいいます」
 パイルは言い訳をして舌を出す。
「まあいい。知らない人間もいることだし、先に説明しておこうか」
 レイが肩をすくめ、モニターに別の景色を映し出す。狭い部屋の中に、壁を貫く透明な管とその中にある箱型のオブジェクトが見える。
「これは……チューブトレインか?」
「その通り。こういう時の為に、いくつか別の都市の地下に同じような施設を用意してある。今回は都市ε(イプシロン)の施設に行くことになる。こいつに乗れば地下の空洞を突き抜けて一気にそこまで行けるというわけさ」
「そう、そういうわけです!」
 パイルが思い出したかのように相槌を打つ。
「メンテナンスはきちんとしてあるんだろうね? 欠陥があったら我々は地下でさまようことになるぞ」
 シメオンがパイルのおでこを指差しながら言った。
「大丈夫ですよ! メンテだけはスケジュール通りぬかりなくやってますって!」
「メンテナンスのスケジュールが覚えていられるのに、なんで避難経路を忘れるんだ……」
 あきれ顔のレイにつられて、皆やれやれと言いたげな面持ちを見せた。
「あはは……。でも、まだ時間ありますよねえ。何して待ってればいーですかね? いじる機械もねーですし……」
 全員の視線を浴びて居心地が悪くなった彼女は必死に話を変えようとしている。
「あの……皆さん、お腹空きませんか?」
 ここでリコが初めて口を開いた。俺がここに来て初めて聞いた少女の声は、小さいが現状で最も全員に響く声だった。
「確かに……このところ立て込んでてまともに食事が取れていなかったな」
 レイが笑みをこぼした。言われてみれば、食事を中断してレッドソウルの説明を受け、謎のメールで緊急避難になってしまった。高揚感と緊張の連続で空腹を忘れていた。
「アタシは食べたけど……すっかり冷めちまってて全然おいしくなかったんですよねえ。この施設で最後の晩餐、やりましょうか?」
 やはり冷めていたか。食べたハズの彼女も乗り気である。すると、ここぞとばかりにシメオンが指図をした。
「ならば、君が倉庫から非常食の余りを持ってきたまえ」
「えー、なんでアタシが……」
「当然だろう? それとも、君がここで肉になるかね? 機械油臭そうだから私は遠慮させてもらうが」
「んぎぃ! シメオン様の外道!」
 やり込められた女技師はまたしても奇声を発し、扉の向こうに消えていく。
 それから数分後、全員分の食事をパイルが持ち帰ってきた。非常食とはいえ、内容はなかなかにバリエーションに富んでいた。小さな火のエナジークレストが付属していて、これを利用して温めたり、スープ類を作ることも出来たので、弁当のように食べ応えのあるものだった。
 最後の晩餐は切羽詰まった状況に反して、和やかなものになった。

「……なあ、レイ」
「……何だ、エギル」
 息苦しさをこらえ、俺はレイに呼びかける。
「……これは君でも予想外というヤツか?」
「……そうだな。僕としたことが忘れていたよ」
 レイも苦しそうに返答する。
「んぎぎぎ! あんまし押さねーでくださいよお!」
「胸……潰れる……」
「……狭いです」
「……リコ。それは今言っても仕方ないでしょう」
 少し腕を動かしただけで、周囲から怒号とうめき声が聞こえて来る。
「……人数が二人増えたことを」
 現状を呪うようにレイが原因を述べた。
 時間を迎えた俺達はチューブトレインに乗り込んだのだが、これは本来四人が乗れるギリギリのサイズであり、俺とミロットさんの登場を想定したものではなかった。それゆえ、車両内はすし詰め状態となり、終着点に辿り着くまでの地獄が約束されたのである。
「ちょっと! 誰ですか、今アタシのケツ触ったの!」
「君のススだらけの尻など、好き好んで触る者はいまい。わめくな」
「リコちゃん……もう少しスペース作れない?」
「……無理です」
 こんなやり取りがまだ二時間以上続くのか。圧力と蒸し暑さに耐えながら、俺は溜め息をつくしかなかった。
「……皆、そろそろショックに備えた方がいい」
 そんな不毛なやり取りが続く中、レイが突然皆に呼びかけた。
「えっ、なんで? 都市εまではこのチューブトレインの加速力でも二時間はかかりますよ?」
 パイルが壁面にへばりつくような格好になりつつも、聞き返した。
「もうひとつ忘れていたよ。このチューブ、追手がいた場合も想定して、途切れている個所があるんだ。そこだけは慣性にまかせて飛ぶことになる」
「それ、黙っててくれた方が良かったような……」
 そう言いかけた時、身体が少しずつ壁側に引っ張られるような感覚に気付いた。ほどなくして、足元から股間にかけて鳥肌が立つような浮遊感が襲ってくる。
「あっ……」
 全員が恐れおののく。
 狭い車両内に絶叫がこだました。

 都市εの地下施設に到着すると、先に着いていた研究スタッフの一人が出迎えてくれた。
「……お待ちしておりました。皆さん、ずいぶんとお疲れの様子ですね」
「地下で一度限りの絶叫マシンを体験させてもらったからね……」
 やっとのことでそれだけ言い、皆の顔を見ればやはり一様に疲弊している。
「荷物は後で運ばせます。休息を取ってください。本格的に活動を再開するのは明日からで構いませんね?」
「……ああ」
 レイも力なく答えると、スタッフの横を通り過ぎのろのろと歩いて行く。その後をムカデのように俺達が続く。
 施設内のシャワールームで各々が汗を流した後、各々の部屋へ散っていく。
 俺も用意されていたベッドに倒れると、すぐに眠りに落ちてしまった。

 翌日、目覚めると待っていたレイが俺をある部屋へと案内してくれた。
 この施設は、既に岩盤の下敷きになっているであろう前の施設とほぼ同じ構造をしているそうだ。エレベーターで地下の研究施設に降りて、ガラス張りになっている研究室のひとつへと通された。
「これは……!」
 そこで見たのは、俺がよく知る研究設備だった。祖父から受け継いだカシュオーン研究所の設備のひとつにして、要であるあの装置だ。
「『生体活性反応装置』だったかな。僕がこの組織を作ろうとした時、君のおじいさんから餞別だと言われて受け取ったものだ」
 レイが隣で装置を見上げながら、経緯を語る。新たにメンバーが加入した際、この装置でクローンを作り、追手を断っていたらしい。ただ、他の使い方は今までメンバーに生物学者がいなかったため、積極的には使われなかったとのことだ。
 じいさんに感謝だ。カシュオーン研究所には戻れなくなっていたから、機材に関する問題をまずどうしようかと思っていたところだ。これがあるならば、色々な実験が出来る。竜人族への対抗策を探る、様々なアプローチが可能だ。
「それともうひとつ。都市ηに潜伏していた仲間が、竜人族の髪の毛を回収してくれたよ」
 歓喜に湧く俺に、レイは更なる朗報をくれた。
「……それはありがたい。すぐにでも研究が始められる」
 まず、竜人族の髪の毛をこの装置で細胞を分化させ、培養し、鱗や神経を作り上げる。次に、様々な環境下にさらして、変化を見ていく。レイやシメオンがいれば、エレメントや物理の分野からの実験も可能だ。竜鱗の防御を破る方法さえ発見出来れば勝機が生まれる。
 今まで追い詰められ、逃げることしか出来なかったが、ようやく反撃の糸口をつかめそうだ。
「こいつがあるなら百人力だ。見つけ出してみせるぜ、竜の弱点を!」
 俺は高らかに宣言する。自身の決意が揺るがぬように。彼女を助けるという約束を果たすために。

 だが、俺の意志に反してこの世界の法則は冷徹だった。

 【酸・アルカリによる実験】
 酸・アルカリ溶液に漬けた場合、pH0〜pH14まで細胞質に変化なし。これを超える強酸および強塩基にさらされた場合、細胞内でこれに対抗する強塩基 および強酸が生成されて中和反応が見られた。直径1センチ程度に培養した鱗片が、中和物質を生成出来なくなり完全に分解されるまでの時間は、およそ三時間 であることが分かった。
 【毒物による実験】
 自然に存在する毒や人工的に作った化合物など、様々な種類との反応を観察するも、細胞に致命的なダメージを与えるものは発見出来ず。神経細胞を培養し、 神経毒を投与するも解毒物質が生成され中和されてしまった。また、血中細胞を培養し、出血毒を投与した場合も同様の反応が見られた。中和物質が生成出来な くなるまで毒物のある条件下にさらし続けた場合、細胞が壊死するまでの時間は酸・アルカリで実験を行った時とほぼ同等である。唯一、アルコールだけは中和 物質が生成されず、神経系を麻痺させる効果が確認出来た。
 【温度変化による実験】
 マイナス13度〜5487度まで細胞質に変化なし。マイナス14度を下回る低温下では凍結し、極端に脆くなった。5488度を超える高温下では耐えきれず焼失した。
 【耐衝撃実験】
 50トンまで損傷なし。これを超える圧力や衝撃を受けると破損するも、直径1センチ程度の鱗がおよそ三分程度で元のサイズに再生してしまう。
 【耐放射線実験】
 耐放射線処理の為された専用の設備で、放射線照射を行ったが、人間では99パーセントが死亡すると言われる7シーベルトでも細胞核に変化なし。変化が見られるまで出力を上げたところ、15シーベルトで細胞核内の遺伝子が崩壊し壊死した。

「……化物め」
 意気込んで研究を始めてから一週間経過した水の月二十三日。
 実験結果をパソコンに打ち込む俺の指先は苛立ちと焦燥に震え。
 食いしばった歯の隙間から押し出されるのは呪いめいた言葉だけだ。
 データからも明らかだが、竜人族の体組織は驚異的な生命力を持っていた。『地上最強の生物』の称号は誇張でも何でもなかった。恐らく、アイスターでこれ 以上のポテンシャルを秘めた生命体は存在しないだろう。この種族が本気でこの惑星を支配しようとすれば、それが不可能ではないと言っても過言ではなかろ う。惑星を半分破壊したというものあながちウソではない気がしてきた。これらの情報を事前に知ってさえいれば、初めて対峙したあの時も『力ずく』で何とか しようなどとは考えなかっただろう。
 一見すると弱点があるように思えるデータなのだが、エレメントの操作能力を考慮すると望みは断たれてしまう。アルコールを体内に打ち込むとしても、そん な隙が簡単に作れるとは思えない。まさか酒盛りをするわけにもいくまい。低温には比較的弱いが、エレメントで防御されてしまえば温度変化は無意味だ。衝撃 や放射線も同様である。エレメントの防御を突き破った上で本体に有効なダメージを与えられる方法となると、地形が変わるような膨大なエネルギーが必要に なってしまう。しかも、放射線の場合はこちらも被曝を防ぐため、防壁を張り続けなければならない。持久力に難があるレッドソウルでは攻撃に転じる余裕が無 いのだ。
 期待していた成果が出ないまま、対竜人族用の戦術構築は暗礁に乗り上げつつあった。

 睡眠も食事もろくに取らず作業に邁進していた。思考にはもやが立ち込め、身体は重くなるばかり。それでも、一向に活路は開けない。
 そんな頭を抱えていた二十四日の昼下がり、俺の研究室にリコが姿を見せた。
「どうぞ」
 パソコンのモニターに映し出された結果とにらめっこしていた俺の横に、カップに入ったコーヒーが差し出されたのだ。
「リコか……。ありがとう」
 一口含んだが、味わうほど脳の処理能力を割くことが出来なかった。いい豆を使っていたのかも知れないが、それを楽しむ余裕が俺には無かったのだ。苦みだけが舌に突き刺さった。
「成果は上がりましたか?」
 これまでは、用が済めば早々と立ち去る彼女だったが、今日は珍しく話しかけてきた。
 ちょっと意外に思いつつも、俺は首を振った。
「ダメだ……。調べれば調べるほど、勝ち目が無くなっていくようだよ」
 そうですか、とだけ答えたリコは表情を変えない。
 この娘はレイ以上に感情を表に出さない。口数も少なく、何を考えているのか分からないところがある。だが、不思議なことに俺はこの娘にマイナスのイメージは抱いていなかった。
「少し休んでください。このままじゃ、ミイラ取りがミイラになりますよ」
 俺に対して投げかけられたのは、最も的確な意見だった。
 リコはこの施設で生活しているが、何かを個人的に研究しているわけではない。それゆえか、一歩引いた視点で物事を見ているようだった。だから、俺が行き詰っていることを感じ取り、声をかけてくれた気がした。
 限界か。俺もそろそろ、まともに休息を取るべきなのだろう。
「……そうだな。このまま、根詰めて消耗するだけってのもバカバカしい。今日はもう食事を取って寝ることにするよ」
 そう言って椅子から立ち上がると、リコの表情は相変わらずだったが、少しだけ肩を下ろしたように見えた。
「あの……」
 食堂に向かおうと研究室のドア目指して歩き出した俺に、再び少女が声をかけた。とても小さな、消え入りそうな声だったので、危うく聞き逃すところだった。
「どうした?」
 ドアノブに伸ばしかけた手を止めて向き直ると、少女がこちらにゆっくりと歩み寄って来た。
 目の前に立つと、じっ、とこちらの目を見つめてきた。
「ひとつ、エギルさんに伝えておきたいことがあるんです」
 声量は小さくとも、意識には強く残る声。頭ひとつ分くらい下から見つめてくる瞳は、まるで俺の精神を覗き込もうとしているようで。
 自分よりも十歳も年下の少女相手に、思わず身構えてしまっていた。
「『汝、彼の者の名を知ってはならない。彼の者の姿を見てはならない。そして何より、彼の者の存在を語ってはならない。彼の者を語るは竜の口のみ。決して、竜の口をつぐむことなかれ。竜が口を閉ざす時、真実は忘却の彼方に消え去るであろう』」
 語られた言葉は俺の心に引っ掛かるものだった。即座にシングと話した時のことを思い出した。
「それは……?」
 少し困惑しつつも聞き返す。
「死んだ父と母に覚えさせられた言葉です。私の家で代々言い伝えられてきたと言っていました……。今のエギルさんには言っておいた方がいい気がして……。その、何となく……」
 そこまで言って、彼女は目をそらしうつむいた。
「竜を殺すな、と言っているように聞こえるな……」
 彼女が言わんとしていた先が予測出来た俺は、結論を引き継いで言った。
「……貴方が竜人族と戦おうとしていることに関して、私はとやかく言うつもりはありません。ただ、彼にもし勝ったとしても、それで終わるような気がしなくて……すいません」
 小声でそれだけ言うと、リコは俺の脇をすり抜けて部屋を出て行ってしまった。
 
 考えてみれば、俺が行っている研究は竜人族を殺すためのものだ。だが、目的は違う。目的はベレンを助け出すことであり、シングの抹殺ではない。この研究はあくまで手段であり、シングを退けるのは過程でしかない。
 だからこそ、この過程をどう辿るのかを注意する必要があるのではないか。
 いや、それ以前に。
 仮に、竜を殺す方法を発見したとして、それでシングを殺してしまって良いものかどうか。もし、シングが死ぬまで抵抗するのを止めなかったら。
(……俺に……彼が殺せるか?)
 じっと手を見る。シングの正義をくじき、自分の正義を貫き通すだけの大義があるのか。この手を血に染める覚悟があるのか。再び対峙する時に迷っているようでは、自分の身を守ることも危うくなる。
 無論、これは相手を下せる力量が伴わなければ、悩んでも仕方の無いことなのだが。
「ご一緒してもよろしいかな?」
 食堂のテーブルで、料理の乗ったプレートを前に座してそんなことを思っていると、不意に後ろから声をかけられた。振り返ると、シメオンが料理の乗ったプレートを手に立っていた。
「……ああ」
 彼は頭はいいが、それが鼻につく。面倒なヤツが来たな。
「難航しているようだが、大丈夫ですか? あまり催促したくはないが、君が成果を出してくれないと我々は動けない。少なくとも、二十八日までに何か方法を見つけてもらわなければ、現状の装備のまま君を都市ηに送り出すことになる」
 理想的なのは、先にシングを倒し、取引の前日にベレンを奪回するプランだ。しかし、これが実現出来なかった場合、シングは無視することになる。彼に遭遇 した場合の対策は逃げるしかない。たとえ、逃げたとしてもベレンを連れている限り、彼は追ってくるだろう。我慢比べで勝てないのは明白である。奇跡でも起 きない限り、ベレンを連れて逃げおおせるのは難しい。
 実質的には俺が手段を見つけなければ、勝ち目はない。
 しかし。
「分かっている……」
 見つけたとして、それを使ってシングと戦うことは正しいのかどうか。シングと戦わず、ベレンを救い出す道はないのか。
「……どうしたんですか? 何か気になることでも?」
 俺の態度に不穏なものを感じたのか、シメオンが目を細めた。
「……これは今言っても仕方ないことなんだが」
 疲れていたせいかも知れない。それとも、リコと話したばかりだったせいか。普段の俺なら、彼に話をしようとは考えなかっただろう。
「竜を殺すための研究を続けていいものか、正直迷っている……」
 リコから聞いた言葉も交えて、俺はシメオンに心情を吐露した。伝承は竜人族を殺すべきではないと暗に告げていること。竜人族が世界平和を求めて行動していること。竜人族を倒さねば、ベレンを救う見通しが立たないこと。答えを彼に問うてみた。
「……なるほど」
 シメオンは溜め息をついて、料理を口に運び始めた。ナイフとフォークが踊り、薄切りのステーキを優雅に口に運んでいく。
 やはり、失望させてしまったか。俺は目を落とした。プレートの上に乗ったトーストとスクランブルエッグがヘビーに見えて仕方なかった。
「確かに、今言っても仕方の無いことですね」
 そして、次は神経を逆なでするような上から目線のイヤミが来る。胃の不快感を押さえつけて、トーストをかじる。
「……しかし、だとしても、君ほどの研究者が、今行っている実験の結果から作り出す選択肢は、たったの二択なのですか?」
「何……?」
 意外だった。彼はレイに対抗心を燃やしていたハズだ。俺を立てるような言い回しをするとは。
「仮に、君が竜への対抗策を得たとしましょう。ならば、戦いの末殺すか、戦わず生かすか、その二択だけで物事を考えるのは視野が狭いというものです。戦い、戦闘不能に追い込みかつ、生かしておく。そういう選択肢があってもいいのでは?」
 またしても、意外だった。シメオンがそんな理想論を言うタイプだとは思っていなかった。
「選んでる余裕があると思うか……?」
「選択肢などというものは、自ら作り出していくものです。選択の余地など無いとあきらめてしまえば可能性はゼロのままです」
 意外が三度も重なれば、認識を改めねばなるまい。レイに対する態度は親しさゆえのものだったのかも知れない。実際に彼と行動を共にしていた時間は彼の方が長いのだから。
「本当に選択の余地など無い状況に置かれた人間を、君は知っているハズだ」
 シメオンがフォークを置き、真顔で俺を見据えている。
 彼が指している人物が誰か、すぐに分かった。
「レイ……」
「そうです。彼はこの組織を維持するために、やむを得ずいくばくかの生命を葬ってきた。だが、彼は常々言っていましたよ。エギルには手を汚して欲しくな い、『殺してしまった』というケースはあっても、『殺した』が出来る人間には絶対になって欲しくないとね。今まで直接君に会おうとしなかったのは、そう考 えていた部分もあったのではないか、と私は思っています。今回、竜殺しの研究をレイが止めなかったのは、君を信じているからです。自分を救ってくれた君な らば、うまくやるハズだ、と。その君自身が自ら可能性を閉ざしてしまってどうするのです?」
 熱弁を振るうシメオン。レイに対して対抗心を燃やしていたあの時とは異なる顔を、俺は確かに見た。初めて、シメオンという人間に興味が湧いた。
「……。私がこんなことを言うのは意外だという顔だね」
 珍しいものを見るような目でいると、シメオンは苦笑し肩をすくめた。
「ああ。俺は今まで君のことを横柄で気に食わない奴だと思っていたよ」
 わざとらしく顎をしゃくって言ってやる。
 傲慢な天才という彼の第一印象が覆った瞬間だった。
「では、今は違うと?」
「そうだ。君がどうしてここに来ることになったか、知りたい程度にはな」
「ふむ。私の素性に関しては何も話していませんでしたね。いいでしょう。お教えしよう」
 俺に対抗してか、シメオンも顎を突き出すようにして語り始めた。
「私はかつて、都市ν(ニュー)で生活していました。これでも、若手としては有望視されていたんですよ」
 都市ν。別名メガシティ。全都市中最大の規模と人口を誇る、最先端都市だ。人間族の持つ力が集結しており、数多くの技術がここで生まれている。じいさんも若い頃、ここで得た研究データを元に『生体活性反応装置』を生み出すに至ったらしい。
 その都市νにいたのなら、研究者としては快適な環境で生活出来ていたハズだ。
「なぜ、そこでの立場を捨てたんだ? いや、捨てざるを得なかったのか?」
 尋ねると、シメオンは顎を引いて食べかけのステーキに視線を落とした。
「後者が正解です。あの時は私も選択の余地など無かった……」
 ゆっくりと、フォークが肉に突き立てられた。肉を乗せていた皿がキィ、と小さく鳴いた。その音にははっきりと忌々しさがにじみ出ていた。
「……友人に裏切られたのですよ。いや、彼からしてみれば私は友ではなかったのでしょう。私の研究成果を、横取りされたわけです」
 プロジェクトが大きなものになればなるほど、必然的に多くの人が関わることになる。大勢の力が同じ方向を向けば、生み出される成果も大きなものになる。しかし、不和が生まれる可能性もそれだけ高くなるのだ。
 科学者としての競争意識が生み出した歪みが、シメオンを襲った。そういうことだろうと思ったのだが。
「……まあ、それだけなら良かったんですがね」
 語られた続きは、人間の悪意がもたらす脅威を知らしめるものだった。
 裏切った友人はそれによって手に入れた名声に飽き足らず、シメオンを社会的に抹殺しようとしてきたのだという。シメオンはその友人を頼れるサポート役だと思っていたようだが、彼にとってシメオンは邪魔な存在だったのかも知れない。
 この時、シメオンはある研究を個人的に行っていた。それがアダになった。というのも、その研究というのが、複数のエレメントを同時に使えるアブソー バー、『レッドソウル』の原型となるものだったのだ。このような研究は前述した通り、過去にも行われたことがある。しかし、その実験が失敗してからという もの、危険性に対して世論が厳しくなり、二つ以上の属性を扱うアブソーバーは研究自体が禁止されてしまった。違法研究となっていたそれは、シメオンを失脚 させるには十分過ぎるものだったのだ。
「当時は私も結果を出すのに夢中で人を見る目がなかった……。秘密を暴露され、私は牢獄行き。研究者として築いた土台は全て崩れました。そうして、打ちのめされていた私を助けてくれたのが、レイ・オオバだったというわけです」
 なるほど、彼がここにいる経緯は分かった。だが、ひとつ別の疑問が増えている。
「……なぜ違法研究を? どうして同時並行で行う必要があったんだ?」
 大きなプロジェクトに参加しているなら、見つかった時のリスクが大き過ぎる。『レッドソウル』のシステム設計者としては賢くないやり方だ。そう思って俺は言葉を濁した。
「……完成させるために、どうしても都市νの設備が必要でした」
「なるほど。だが、分からないな。そもそも何のためにその研究を……?」
「……人間は、弱いと思いませんか?」
 唐突に飛び出たのは、人間という生物そのものを糾弾するような言い方だ。
 俺は少々驚きつつも、心のどこかで共感してもいた。心当たりがあったからだ。
「他の種族と比較すれば、身体能力の低さは一目瞭然です。私はその脆弱さが許せなかった……!」
 その声には隠しきれない怒りがにじんでいた。抑えつけようとしても、ふたをこじ開け、強引に這い出ようとする感情だ。
 思わず息を呑んだ。俺は、この焼けつくような感情を知っている。胸の内から濁流のようにあふれだし、せき止められぬ何か。
 ――憎悪。
「……君にも覚えがあるハズだ」
 彼は努めて冷静さを保とうと、昂り始めていた声のトーンを落としていた。だが、俺には分かる。分かってしまう。沈んだ声色の中に深い闇がにじんでいることが。
 シメオン。
 君はまさか。
 俺と同じだったというのか。
「……ああ」
 しかし、重要なのは、同じ感情を抱いたことがある俺とシメオンでは、決定的に異なる部分があるであろうということだ。
「……シメオン、君は……失ったんだな?」
「はい。恋人を……」
 見立てた通り、彼は愛する人を殺されていたのだ。それがゼロとイチを分かつ絶対の壁なのだ。
 シメオンは元々都市μ(ミュー)の出身で、都市νに移住するまではそこで育ったという。
 都市μは音楽や絵画といった芸術の発展に力を入れている都市だ。世界的に有名な美術館があり、毎年多くの人が足を運んでいる。
 しかし、かつてこの美術館が獣人族に襲撃を受けたことがあった。金に困り、高額な美術品を狙った犯行だった。不幸にも、そこに居合わせたのがシメオンとその恋人だったのだ。
 高い身体能力を持っていたその獣人族は守備隊を振り切り、都市外へと逃げおおせた。そして行方をくらませてしまったのだ。闇ルートで美術品を売り払って、その金で逃亡生活をしのいだのだろう。
「……私は仇を討つため、自らの知力を極限まで磨きました。そして、都市νに渡り、ようやく手段のメドがついた、というわけです」
 その後、仲間に裏切られこの組織に身を寄せたのだから、彼も壮絶な人生を送ってきたことになる。
「シメオン――」
 君も、苦しんでいたんだな。そう言おうとしたが、俺はとっさに口をつぐんだ。俺と彼では抱いた闇の深さが全く違う。同情など、侮辱するようなものだと思ったからだ。
「半年くらい前、でしたかね。レイと組織の力を借りて、犯人を追いつめました。当時はまだ四属性が同時起動出来る程度でしたが、十分でした。『レッドソウル』のプロトタイプを使って、ヤツを拘束することに成功したのです」
「……拘束した後はどうしたんだ?」
 俺はうっかり訊いてしまってから、しまったと思った。
 シメオンが目を剥いた。
「身動きが取れない状態にして、アダマントで造られた檻に閉じ込めてやりました」
 普段の尊大な態度の時とは異質の嫌悪感が放たれ始めた。
 悪寒が、する。
「後は泣こうがわめこうが無意味です。直接手を下す必要はありません。ただ見ているだけで時間がヤツを裁いてくれました。何の罪も無い少女を殺した奴が、最後には命乞いまでした……。実にみっともない最期でしたよ」
 淡々とした語りに、背筋が凍る思いだった。想像できる仕打ちはひとつ。
 餓死させたのだ。
 シメオンは自虐的に笑い、肩をすくめている。だが、目が全く笑っていない。その瞳はまるで、空洞だ。ぽっかり空いた闇には、引きつった俺自身の顔が映っていた。
 あれは、俺だ。
 未来の俺の姿だ。
 ベレンを助けることに、失敗した場合の。
「復讐を果たしたわけか……」
 俺はそう言うしかなかった。親しい者と言うのなら、祖父を失っている俺だが、死の原因が分かっておらず、それが復讐心につながることはなかった。ベレンは強奪されてしまったが、少なくともまだ生きている。死によって恋人を失うという、強い喪失感を俺はまだ知らない。
 だから、シメオンの行動を否定したくはなかったが、肯定することも出来なかった。
「……復讐は何も生まない。殺された者は復讐を望んでいない。理解はしていますが、納得出来るかは別問題です。墓は死んだ者のためにあるのでは、ない。生 きている者を慰めるために存在しているのです。復讐もまた然り。死んだ者のために行うのでは、ない。生きている者が自分の恨みを晴らすためにするのです」
 俺の胸の内を察してか、想いを述べるシメオン。続けて、フォークに刺さったままの肉を口に運ぶ。じっくりと噛みしめているが、決して味わっているわけではなさそうだ。飲み込むと彼は静かに息を吐いた。
「エギル、君はまだ選択肢が選べる状況にあります。だが、選ぶということは他の可能性を全て否定することでもある。私は復讐を果たすまで、他の道は考えら れませんでした。ここでレイに助けられ、仇を討ち果たすまで私の心は怪物そのものだったのですよ。あの憎悪は本来ならば、決して抱いてはならないもの。君 は基本的に正しい道を歩んできた人間です。どうか、間違えないでください」
 彼は身を以って知っているのだ。選択を誤った時、人は終点に辿り着くまで止まることが出来なくなる。ブレーキの壊れた暴走車の如く、周囲と自らを破壊し尽くすまで感情は荒れ狂うのだ。
 それを理解しているからこそ、同じ苦痛を味わって欲しくない。彼の眼差しはそんな風に見えた。
「……すまない。俺は君のことを軽んじていた。『過去を聞きたい程度』などと、その重さも知らずに……」
 目の前の料理が鉛に変わってしまいそうなくらい重たい過去に言葉を濁すと、シメオンは首を振った。
「ふっ、構いませんよ。前例があることを知れば、そうそう失敗を繰り返すことはないでしょう? 君には知っておいてもらいたかったのです」
 徐々に、シメオンの口調がレイに向けていたものに戻っていった。
 俺は自らを恥じた。ベレンを奪われ、混乱していたとはいえ、傭兵のベルを雇って奪回しようなどという無謀を強行しようとしていた。あれは思考放棄の捨て鉢に他ならない。あの時、俺は道を踏み外しかけていたのだ。
「さあ、冷める前に食事を終えて一息つきましょう」
 促され、皿の上の品を胃袋に納めていく。今は食べて体力を回復しておかねば。
 俺が食事を再開したのを確認すると、シメオンはキザな笑みを浮かべ告げた。
「君は数少ない、私レベルに到達しつつある人間です。だが、背負う闇まで私に並ぶ必要は皆無です。きっと有効な手段を見つけ出せると、信じていますよ」
 シメオンは確かに気に食わないところがある男だが、苦痛に満ちた過去を内包した人間でもあった。復讐に手を染めつつも、同じ道に落ちようとする者を戒めるだけの器があることも知ることが出来た。
 俺は、この男を頼っていいのだ。俺を、この組織の仲間達が支えてくれるのだ。
 二日ある。嘆くのは、タイムリミットが過ぎてからでも遅くはない。いや、たとえ間に合わずとも、嘆く必要は無い。悪あがきだろうと出来ることは片っ端からやってみよう。今出来る最善を尽くす。
 あきらめてはいけない。決して。
 食事を終えたらとりあえず、腐った考えばかりが染み出て来る、この疲弊しきった脳みそを休めることにしよう。

 二十五日の朝。
 ベッドから起きると伸びをする。
 久しぶりに深く眠れた。
 上下の着替えを済まし、着なれた白衣に袖を通す。
 さあ、やってやろうじゃないか。
 意気込んで部屋のドアを開けると、完全に開き切らずにガツン、と音を立てた。
「いっ、だーッ!」
 聞き覚えのある声が響く。パイルか。タイミング悪く、ドアを開けた後ろに彼女がいたらしい。
「すまん、まさかドアのすぐ後ろにいるとは……」
 そう言いつつ、ドアの隙間から向こう側を見る。何かおかしい。
 俺はそこにいるのは、その声からパイルだと思っていた。だが、ぶつけたと思われる頭を押さえて通路にうずくまっているのは、とても同一人物とは思えない風貌の女性だった。
「んぎぎぎ……」
 その女性は肩まで伸びた黒髪のロングヘア。パリッとしたワイシャツとスラックスに身を包み、油臭さなど微塵も無かった。
「……誰だ?」
 怪訝そうに尋ねると、彼女はやはり聞き覚えのある声で答えた。
「やだなあ、パイルですよ! シャワー浴びて、着替えて、髪ほどいただけですってば!」
 弾かれたように顔を上げ、大げさに服を引っ張ってみせた。
 ああ、顔を見れば確かにパイルだ。睡眠不足が常のようで、レイが寝ろと言っていたにも関わらず目元にはクマの後が残ってしまっている。ここでようやく、イメージと現実のパイルが一致した。
「変わり過ぎだろ……」
「むしろ、これがアタシの真の姿なのです!」
 唖然としていると、彼女は鼻息荒く胸を張った。
 ずっとこっちの姿でいればそこそこ美人なのに、何だかもったいない。だが、彼女が機械いじりに没頭しているからこそ、この組織はうまくいっている。見た目と腕前は両立出来ないものだろうか。
「で、なんで俺の部屋の前にいたんだ?」
「あ、そうそう、ちょっと聞いておきたいことがあったんです。まあ、ココじゃなんですし、食堂で朝ご飯でも取りながらどーです?」
 起きたばかりで朝飯はこれからだし、断る理由は無かった。
 ひとまず、食堂へと場を移すことにした。

「つーわけなんですよ。どっちがいいと思います?」
 パイルは目の前に積み上げられたタワーのようなパンケーキを食べながら聞いてきた。蜂蜜とバターがたっぷりと塗りたくってあり、よく朝からこんなカロ リーだらけのメニューを頼んだなと思ったが、思い返せば彼女は寝食を忘れて作業に没頭していたし、食べられる時にまとめ食いしているのかも知れない。ただ 生物学的には食い溜めは出来ないので、決して健康に良い食事とは言えないが。
「……現時点では何とも言えないな」
 そういう俺もカレーライスを頬張りながら返答する。あと二日は今まで以上に無理をする覚悟が要る。少しでも体力をつけておきたいと思ったのだ。
「ええー、結局アタシ徹夜コースじゃないですかあ……」
 そうボヤきつつも、タワーはみるみる解体されていく。
「そう言われても、まだそこまで考えられるメドが立っていない」
 パイルが俺に聞きたかったのは、『レッドソウル』の調整についてらしい。専門用語が多くて細かいところは理解出来なかったが、どうもパワー重視で調整するか、スタミナ重視で調整するか、どちらがこれからの作戦に適しているか知りたかったらしい。
 しかし、対策が思いつかない以上、下手に返事をするわけにいかない。余裕を以って作戦に備えるために、早めに調整を始めるというのがパイルの算段だったらしいのだが、少々気の早い話だったようだ。
 ただ、パワー重視にしても竜人族のパワーを上回ることは出来ないし、スタミナ重視にしても粘り勝ちを狙えるところまではいかないようだ。やはり、俺の研究成果次第なのである。
「せっかく、シメオン様と話す時間を作れると思ったのにぃ……」
 唇を尖らせている彼女の言動に、女らしいところはちゃんとあったのだな、と思った。シメオンにだけ、敬称を付けているところをかんがみれば、好意を抱い ていることはほぼ確実だろう。ただ、シメオンの方が彼女に怜悧な態度を取っているところを見るに、この恋は難産であるように感じた。
「……君はシメオンの過去を知っているのか?」
 俺がそう尋ねたのは、彼が恋人を失ったことがパイルに冷たい態度を取っている要因なのではないか、と思ったからだ。もっとも、エンジニアな女子が好みでないだけならどうしようもないが。
「モチのロンです! ここにいるキャリアはアタシの方が長いんですから!」
「知っていてその調子なのか……」
 これは先が長そうだ。
「なんですか、もう! エギルはいーですよ! 恋人のベレンとは相思相愛なんですから! アタシらの場合、この組織から出られないから、イイ男を見つけるだけでも一苦労なんですよ!」
 既にわずかな残骸が残るだけとなっていたタワーの前で、彼女は頬を膨らませた。ぷーっ、と膨れた顔は、これはこれで愛嬌がある。
「大体、ここにいる人はスネに傷のひとつやふたつ持ってますってば」
「……君もそうか?」
 パイルは一度没頭すると周囲が気にならなくなるタイプだが、それは驚異的な集中力を持っていることでもある。技師としてはプラス方面に働くことの多い性質ではないだろうか。一般社会から外れた原因は何なのだろう。ふと気になった俺は探りを入れてみることにした。
「アタシですか? アタシの場合は気付いたらココにいたって言うか……。作業してたら、突然事故に巻き込まれましてねえ。気が付いた時にはその事故の原因にされてたんですよ」
 パイルはここに来る前は都市νのエンジニアだった。黙々と仕事に邁進する、今と変わらぬ生活を送っていたという。だが、ある日不自然な作業計画の下で仕 事をすることになった。エレメントパワーを施設に供給するためのエネルギーケーブルを増設するというものだったのだが、その区画は既に十分な数のケーブル があったというのだ。疑問に思いつつも作業に取り掛かったが、原因不明の爆発が起き、パイルと仲間達が巻き込まれた。
 気付いた時には病院のベッドで目が覚めた。守備隊員が事情聴取のために待ち構えていたという。自分に嫌疑がかかっていると聞かされ驚くも、身に覚えは無 い。改めて話を聞くと言ってその隊員は帰ったが、どうも自分があやしいという証言をしたのは今回の仕事をよこした上司らしい、という噂を生き残った仲間か ら聞いてしまった。
 三週間後、その仲間が回復を目前にして謎の変死を遂げた。理由は不明だが、上司が自分達を使い捨てにしようとしているのではないか、という危機感を持ち始めた頃、守備隊員に扮してレイの組織の使者が接触してきた。最初は罠を疑ったが、考えた末に助けを乞うことにした。
 ベッドの上にいるハズの自分は、組織で造られたクローンの死体と入れ替わり、生き延びたのである。
「後でこの組織で調べてもらったら、研究者同士の抗争に利用されたみたいで、事故を装って施設に被害を出すことが目的だったらしーんですよねえ。アタシが末端だからってヒドい話だと思いませんか?」
 確かに酷い話だ。研究者の世界にも競争はあるが、そこまでして優位に立とうとする野心は醜いものだ。
「……君を陥れた連中はどうしたんだ?」
 パイルは自分が巻き込まれた割には軽い調子で話していたので、あまり今の自分に不満があるわけではなさそうだ。シメオンの時のように重苦しい感じはしなかったので、聞いてみた。
「アタシは別にどーでもいいって言ったんですけど、リーダーが万全を期したいって言ってたんで、今は土の中かなあ?」
「『かなあ』って、君は知らないのか?」
「いやあ、だからどうでもいーんですってば。好き嫌い以前に、全く関心無いんで」
 明るい調子で喋る彼女には、悲しみや憎しみなどマイナスの感情は見られない。彼女にとっては、興味が無い相手は存在すら認めてもらえないのだ。ある種、薄情者と呼んでもいい気がした。
「まあ、アタシの話はこのくらいにして、エギルもさっさと食べちゃってくださいよ。一応、調整の為のデータだけは先に取っておきたいんで」
「……分かったよ」
 彼女は変わらずただ作業に邁進していてもらった方がいいのかも知れない。
 せかされて残っていたカレーをかきこむと、地下のトレーニングルームに向かうことにした。

 地下に向かう途中、中央研究室の通路を歩いていた俺はふと足を止めた。
「どうしたんです? 早く行きましょうよ」
 パイルの催促を聞きながらも、俺の目はガラス張りになっている研究室の一角を捉えていた。金属のブロックや巨大な音叉などが棚に並んでいる実験室だった。
 その室内では研究員の男性が実験を行っていた。彼は中央にある装置の中に金属ブロックをセットすると、スイッチを入れた。しばらくして装置を開くと、中の金属ブロックは砂のように崩れていた。
「……なあ、アレは何をやってるんだ?」
「さあ? アタシは機械いじり以外はさっぱりなんで」
 彼女に聞いても分からないので、直接聞いてみよう。俺は研究室の中に入り、眼鏡をかけた真面目そうな研究員に詳細を尋ねた。
「ああ、これは振動実験をしているんですよ」
 話によると、物質には固有振動数というものがあり、振動しやすい振動数が決まっているのだそうだ。この装置は、その物質の固有振動数と同じ振動波を照射し続けることで、振幅を増大させて対象に破壊的な現象を引き起こすのだという。
 ――固有振動数。
 ――共振。
 おい。ちょっと待てよ。
「……これって」
 俺の脳内で回路が組みあがっていく。
 例えるなら、床にぶちまけてしまったジグソーパズルのピースが、ひとりでに正しい場所にはまっていくようだった。完全に組みあがった時、ニューロンがス パークした。そこで散った火花がきっかけとなり、連鎖的に意識の中へ燃え広がってゆく。火花が爆炎となり、全身の細胞へと伝播したのは時間にしてわずか数 秒のことだ。
 永劫の暗闇から解き放たれた感覚だった。
「……こ、固有振動数というのは、全ての物質に存在するのか?」
 震える全身を抑えられず、必死に声を絞り出す。
「ええ。それが物質である以上は必ず」
「竜人族の鱗の固有振動数を割り出すことは、可能か?」
 研究員があっ、と声を上げた。彼も察してくれたようだ。目を見開き、引きつった笑みを浮かべながらも首をゆっくりと縦に振った。
 俺は、胸元のネームプレートで彼の名前を確認する。
 【レゾン・ナローズ】
 今の俺にとっては何よりも素晴らしい響きだ。
「レゾン研究員、すぐに実験が出来るようスタンバイを頼めるか?」
「任せてください!」
 この一声に後押しされ、弾かれたように俺は駆け出した。
「ちょ、ちょっと! どこ行くんですか!」
 通路で待っていたパイルが慌てて引き留めようと手を伸ばしたが、足は止めない。肩にかかろうとした彼女の手が空振りした。
「ひらめいたんだ! データの採取は後回しだ!」
 後ろで独特の奇声と俺を罵倒する声が聞こえた気がしたが、『どうでもよかった』。

 モニタールームにて。
「エクセレント……!」
 シメオンが満面の笑みで賛辞をくれた。
「見事だ、エギル! これが【最適】だ!」
 レイも渡したデータをパソコンのモニターで閲覧しつつ、歓喜の声を上げた。
 レゾン研究員と俺は半日かけて竜鱗の固有振動数を割り出した。そのデータから設定した振動波を照射したところ、鱗は分子レベルで崩壊し、再生不可能なまでに破壊することに成功したのだ。この振動数を生み出せる武器があれば、竜人族に勝てる確率はゼロでなくなる。
「これで勝ち筋が浮かんだ……! 後はそれに沿った戦術と装備を用意すればいい!」
 レイが弾むようにキーボードを叩く。モニターに表示されたのは見たことの無い金属だった。ヒスイのような美しい碧色をしている。
「これは『ジェイドメタル』という金属だ。これで振動剣を作れば、対竜人族用の専用武器になる」
 ジェイドメタルは風のエレメントにだけ強く反応する性質を持ち、その反応効率はオリハルコンを超えるという。他のエレメントにはほとんど反応を示さないらしいが、振動剣の材料にするならばこれほどうってつけのモノは無いだろう。
「俺は何をすればいい?」
 俺が尋ねると、シメオンもレイの横に設置されたコンピューターについて解析を始めつつ、指示をよこした。
「武器のメドが立ったらすぐに呼ぶ。それまで、データを採取して欲しい。それから、可能な限り『レッドソウル』の使用感覚に慣れてくれ。拡大した知覚に身体がついて来れるようにするんだ」
 分かった、と返事をして俺は地下のトレーニングルームへ向かうべく巨大なスクリーンに背を向ける。恐らく、置いてけぼりにしたパイルが待っていることだろう。
 勇み足でモニタールームを出ようとすると、レイが一言付け加えた。
「エギル、途中でミロット・ルージェスにココへ来るように言っておいてくれ」
 彼がミロットさんに何の用があるのだろう。
 いまいち意図が読めなかった俺は聞き返した。
「彼女に何か用があるのか?」
「……これから、少しばかり忙しくなる。リコの面倒を見ていてもらいたいんだ」
 なるほど、そういうことか。同じ魔女同士なら話もしやすいだろう。
 二つ返事で部屋のシャッターを開けると、向こう側に人型のシルエットが浮かんできた。
「……アンタは!」
 見開かれた俺の目に映り込んだ人影は人間ではなかった。だが、一度見たことのある人物でもあった。
 頭はさらっとしたロン毛。その上には狐のような耳。終始笑っているような目と口元。
 そいつは体毛に覆われた腕を組み、牙が見える口元に不敵な笑みを浮かべて立っていたのだ。
「どうやら、メドが立ったようだナ。いよいよ俺の出番ってわけダ!」
 待っていたとでも言わんばかりに、声がモニタールームに響き渡った。

 確定していた苦難を打ち破る要素がこの手に揃いつつある。
 歩みを進めた果てで待つものが何であろうと、恐れはしない。
 もう一度、君のその手を掴むため。
 今、俺は刃を握る。
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