One 「詩人と銃と言の葉と」


 ―――時折、心に響いてくる《言葉》。だが、それは未来を教えてはくれない…。

 冗談じゃない。こんな事なら武装列車を降りるべきではなかった。まだ旅立って一ヶ月と経っていない。こんな所で死んでなるものか。
 迫る敵の攻撃に対して《スペル》を発動する。
「く、プロテクトシールド…っ!!」
 光の壁が現れ、敵が振るった豪腕を受け止めた。攻撃を止められた事に気付いた敵は突破すべく、がむしゃらに光の壁を殴り始めた。
(やばい…!どうする…どうする…!?)
 全くを以って危機的な状況だった。焦りばかりが大きくなっていく。こんな荒野で奇獣に襲われるとは。
 奇獣とは何かを一言で表すと『怪物』である。この世界で、最も高位の次元に進化した人間を脅かす、人類共通の敵である。かつて、大増殖して人間と大戦争を巻き起こした。様々な形状のものが存在するが、他の生物とは常軌を逸した形態をしており、生物であるかすら疑われている。戦闘力は異常に高く、キチンと戦闘訓練を積んだ者が武器を手にしていたとしても、勝てる見込みは決して高くない。本来ならば、一対一は絶対に避けなければならないのだ。普通の人間ならまず間違いなく殺されているだろう。
 今、眼前でシールドを破ろうとしているのは、透明色のひとつ目に、金属光沢を放つ太い両腕がくっ付いた怪物だった。胴体や足は存在せず、宙に浮かんでいる。
 そいつの繰り出す拳でミシッ、という音と共にシールドがきしみ始めた。
(う…!)
 ギルトは恐怖した。これを破られたら、あのパンチが今度はこちらのボディに入る事になる。自分は都市の自警団のような戦闘訓練を受けたわけではない。殴り合いで勝てるはずがないのだ。
(逃げたい!早く逃げたい!!)
 そう、強く願った。すると、新たなスペルが頭に浮かび上がってきた。
《マッハエスケープ》
 地獄に仏である。今はこのスペルにかける以外に無い。
「マッハエスケープ!」
 叫んだ瞬間、自分の周囲の景色が凄まじい勢いで流れていった。それが止まった後、敵の姿は影も形も無かった。敵を遠くに飛ばすスペルだったのだろうか。いや、違う。自分がとんでもない距離を一瞬で移動していたのだ。目の前には先程の荒野ではなく、都市の門があった。
 わずかに精神的な疲労を感じた。スペルを使った時の反動だ。プロテクトシールドよりも消耗度が強いようだ。しかし、土壇場で便利なスペルを習得した事は確かだ。
 だが、同時に困った事にもなった。
(…ここ、どこだ?)
 まいった。これではこの都市に入る他はないではないか。背負っていた繊維性の鞄を背負い直すと、やむなく門へと足を進めた。
 都市内ではレンガ造りの家達がギルトを向かえた。夕方という時間帯のせいか、賑やかとまではいかないが、人通りも決して少なくはない。
 やはり人がいると安心する。しかし、それと同時に不安も抱いてしまう。自分と“同じ”人間に囲まれている安心感と、自分とは“違う”人間の中にいる不安感を同時に感じてしまうのだ。見知らぬ土地となればなおさらだ。
 とにかく、現在位置を知る事と宿を探す事が先決だ。周りをきょろきょろと見回した。
「そこの方、どうしたの?」
 不意に背後から声がした。振り返ってみると、自分より少し年下…十五くらいだろうか、少女がそこに立っていた。覗き込むようにこちらを見る赤い瞳に驚いて後ずさると、クスクスと笑った。恐らく、この子には田舎者丸出しに見えたのだろう。カーッ、と頬が赤熱してきた。
「ガートボルグは初めて?」
 白色の髪に赤い目が映えている。彼女が着ている上下のブラウスとスカートも白色がメインの物だったので、彼女の赤い目が余計に引き立っていた。
「あ、ああ。そうなんだ。まだ、ここに着いたばかりで…。」
 赤面しつつ、答えた。
「それなら、私が案内してあげるわ。私はミラ。あなたは?」
「僕は…ギルトだ。」
 警戒心が働き、名前を言うべきか一瞬迷ったが、相手の方から名乗ったのだから、こちらも言わねば失礼だと判断した。
「案内賃、弾んでよね!」
「えっ!?しかし、君は…。」
 言いかけた時には、もう腕を引っ張られて案内が始まっていた。この少女に対して、何か言いたかったが、何と言ったらいいかが分からない。仕方なく、黙って彼女に身を任せる事にした。
 門から少し離れた所で彼女は説明を始めた。
「さて、この周辺を簡単に説明しちゃうわね。今あなたが入ってきたのが北口よ。この通りをまっすぐ行くと広場に出るわ。そこは噴水があるからすぐに分かると思う。何か質問は?」
 かなり早口だった。だが、何とか聞き取れた。
「えっと、宿はどこかな?」
「あ!宿屋ね!ゴメンゴメン、大事な事忘れてたわね。この近くには宿が三つあるわ。ひとつは南口の入り口のすぐそば。もうひとつは北西にある宅地の中。最後は噴水から西に延びた通りに沿っていけばすぐに見つかるわ。特に最後の宿がオススメよ。まあ、行ってみれば分かるわよ。」
 またも、高速の説明を受けた。だが、聴き終わってから考えてみると、これだけでは明確な場所がよく分からない。
「あのさ、口で言われても…。」
 よく分からないんだけど、と言おうとしたが、言い終わる前にミラは返事を返した。
「分かったわよ。図で説明するわ。」
 そう言うと、メモ帳を取り出し、鉛筆で地図を描きながら説明した。分かりやすいとは言えない地図だったが、何とか大体の場所は察しがついた。
「さっ、情報量をいただきまーす!」
 説明終了と同時に高らかな声と共に手の平が差し出された。どうもこういう元気過ぎる女は苦手だ。ギルトはため息を飲み込んで、ジャケットの内ポケットにしまっておいた財布から銀貨を一枚、その手の平に乗せた。
「これだけぇ?」
 少女は不満をあらわにした。あつかましく思ったが、説明を受けてしまった手前、邪険に扱うわけにいかなかった。
「…じゃあ、これで手を打ってくれ。」
 ギルトは手の平に乗せた銀貨を取り返すと、代わりに白金貨を一枚乗せた。貨幣の価値は鋼貨、銅貨、銀貨、金貨、白銀貨の順で上がっていく。あまり見せびらかしたくなかったが、彼女を黙らせるにはコレが一番の方法だった。当然、財布の中だけが全てではない。こちらはポケットマネーだ。背中の鞄の中にはいくつかの旅道具の他に、大量の白金貨を入れたもうひとつの財布が入っているのだ。これは、あまり目に付くところに金を置いておきたくない、というギルトの心配性に由来している。
「わっ!凄い!白金貨ね!毎度あり!」
 白金貨を見ると、先程の表情は嘘のように解消し、輝きが満ちた。
「じゃあね!」
 用が済んだとばかりに、少女は離れていってしまった。どうにも、高い買い物をした気がした。しかも、その予感はまもなく正しかった事が証明された。
 広場のところまで通りを歩いてみると、何とそこには案内板があるではないか。あの少女が話した内容よりも分かりやすい見取り図があった。もしかしたら、都市の入り口付近にも案内板はあったのかも知れない。
(ぼったくり…。)
 そんな後悔の念がじわじわと沸いてきた。しかし、それを証明するすべは無い。頭ではもうどうにもならない事だと解っていたが、どうしても見切りがつけられず、このもやもやした気持ちはしばらく残る事となった。
 だが、何にせよマップは分かった。もう、日は沈みかけている。彼女がオススメだと言っていた宿に行ってみる事にした。
 場所はすぐに分かった。地図の通りに進んだら、宿の看板が見えてきたからだ。場所的には一応、彼女の説明も合っていた。少し手前で足を止め、宿を見上げた。大きな宿屋だ。五、六階はありそうだ。それに一般的な民家のレンガよりも色が鮮やかで焼きが綿密だ。質の良いレンガを使用しているのだろう。ほとんど表面が風化していないところを見ると、かなり新しい建物のようだ。彼女がここを進めた理由はこのためだったのだろうか。
 中は人の話し声や笑い声が聞こえる。客はかなり入っているようだ。ギルトも戸を開けて、そろりと中に入って少し歩み出る。テーブルや椅子がいくつも並んでおり、そのほとんどに人が腰を下ろしている。皆、グラスに酒を注いだり、皿の上の料理を口に運んでいた。
 大抵の場合、宿屋は食事処と宿泊施設の両方の役割を兼ねている。どうやらここは一階が食堂になっているようだ。
 ギルトの入店に気付いた店員がこちらに向かって歩いてきた。店員はふんわりとしたセピア色のエプロンドレスを着た女性だった。
「宿屋ムールにようこそ。お泊まりですか?それともお食事ですか?」
 そうギルトが尋ねられた時、入り口に近いところでパーンと音が響いた。グラスが割れる音だった。目をやると、ゴリラのような大男が立ち上がり、右手で少女の腕をがっちりつかんでいた。しかも、その少女は先程、道を説明(?)してくれた少女、ミラではないか。
「すいません!少々お待ちください!」
 店員の女性はギルトを置いて、その大男のところに走った。
「お客様、困ります!」
 勇敢にも、大男を制止しようとした。しかし…。
「うるしゃぁいっ!邪魔をするなっつの!!」
「きゃあっ!」
 空いていた左手の方で軽く突き飛ばされてしまった。かなり酔っているようで、少しろれつがおかしい。
「やめて!放してよ!!」
 捕まれた少女の方も抵抗したが、男の腕力にはかなわず、ぐいと引き寄せられ、首を腕で抱えるように押さえられてしまった。
「お前はっ、俺と酒を飲むのっ!!」
 男が下卑た笑いを浮かべた。
 ギルトは戦々恐々として一連の出来事を見ていたが、ここでついにミラと目があった。
「助けて!」
 彼女がこちらに手を伸ばした。ギルトは身体を強張らせた。どうして、こっちに助けを求めるんだよ、と心で彼女に文句を言った。
「…何だぁ?お前、文句でもあるのくわぁっ!?」
 男も彼女の反応でギルトに気付いてしまった。こちらに向き直るとミラを捕まえたまま、こちらに一歩踏み出した。
「い、いえっ!ありませんっ!!」
 慌てて全否定し、一歩ずつ入り口に後ずさる。ミラがあの赤い目で恨めしそうにこちらを見たが、それよりも一刻も早くこの状況を逃げ出したいという気持ちの方が遥かに強かった。躊躇無く彼女から視線をはずし、宿屋を飛び出すと噴水の方角へ全力で逃げ出した。
 もう日が暮れて、辺りはかなり暗くなっていた。少なくとも、この通りに人影はないようだ。ギルトは必死の思いで、覚えたばかりのスペルを発動した。
 一気に噴水のある場所まで移動していた。とにかく噴水まで逃げたいと思っていたので、一応加減は出来ているようだ。
 だが、これであの宿屋には戻れなくなった。自分が知っている残り二つのうちから一つを選ばねばなるまい。行く時に確認した案内板を再び利用する。もう時間も遅いので、近い方を選ぶ事にした。すなわち、北西の宿である。
(もう、何でこんな旅立ち早々面倒が続くんだ…。)
 すっかり気落ちしてとぼとぼ道を歩いた。
 見た地図の記憶を頼りに民家の中を進んでいくと、宿屋の看板を出している家を見つける事は出来た。宿の看板は木製で、『宿屋ガルン』と彫ってあった。こちらは先程の宿とは違って小さな宿で二階くらいしかなく、あちこち補修した跡があった。だが、同時に年季が入っているようにも感じた。あまり派手な所よりも、こちらの方が休まるような気がする。
 古い木製のドアを開けた。椅子に老人がぐったりとしているのが見えた。驚いて近寄ると、すーすーと寝息が聞こえる。よかった、眠っているだけだ。
「…あの、すいません。」
 そっと、声をかけると老人がゆっくりと目を開いた。
「…おお、お客か。すまんな、眠ってしまったようだ。」
 老人はゆっくり立ち上がった。歳は七十前後だろうか。歳の割にしわは多くなく、小さな眼鏡をかけ、あごに立派な白ひげを蓄えていた。
「泊まりたいんですが…。あ、あと食事も。」
「部屋は空いとるよ。鍵を渡すから荷物を置いてきなさい。この鍵は二階の一番手前の部屋のだ。わしは晩飯を用意しておくからのう。出来たら呼ぶわい。」
「あ、はい。」
 金属製の鍵が手渡すと、老人は奥に引っ込んでいった。ギルトは彼の言葉に従って階段を上り、二階に上がった。一番手前の部屋の鍵を開け、中に入った。
 部屋の中は古いと言っても、古いなりに整えられていた。落ち着いた調子の木のベッドと壁、そして窓。こっちの方が自分にとっては正解だったかも知れない。宿の主人も人のよさそうな老人だ。ようやく少し安心出来た。ただ、先程の宿屋に客を取られている感じは否めなかったが。荷物を降ろし、ベッドに腰を下ろした。老人が呼びに来るまで待つ事にした。

 ギルトは部屋の戸を叩く音が聞こえて目を覚ました。
「おい、いないのか?寝とるのか?」
 老人の声が聞こえた。どうやらいつの間にか眠っていたようだ。ベッドに座ったところまでは覚えているが、いつ横になったかまでは思い出せない。ここに来て急に疲れが出たのかも知れない。
「あっ、今行きます!」
 返事をして飛び起きた。来ていたジャケットだけを脱いでベッドの上に置くと、部屋を出て鍵をかけた。老人と共に階段を降りると、一階のテーブルには料理が並べられていた。暖かさと香りが伝わってきて、一気に食欲が出た。同時に小さな警戒心も抱いた。というのも、料理が並んだ席に既に一人座っていた。
「小さい宿なものでな。相席にしてくれるか。」
 自分が寝ている間に別の客が来たのだろう。既に並べてしまった料理を移動させるのが面倒という事か。はい、と答えて客のいる席の向かい側に座った。
「よろしく。」
 その客は口に入れていたフォークを降ろすと、落ち着いた声で言った。金髪ロン毛に碧眼の美しい青年だった。身体には赤いマントをまとっており、席の横には同色の羽根付き帽子が置いてあった。マントの下に着ている布の服には、帯のようなものが巻きつけてあるのが見えた。
「こちらこそ、よろしく。」
 軽く頭を下げると、ギルトも食事を始めた。
「私はキザミという。君、名前は?」
 この時、ギルトはどうせこの瞬間だけの出会いだと思い、あまりまともに会話をする気が無かった。
「ギルトです。」
 返事をして食事を続ける。面倒な人付き合いを避けようとして、自然に食べるペースが速くなっていた。彼もギルトのそんな素振りのせいか、これ以上は何も聞かずに料理を口に運んだ。
「ご馳走様でした。」
 食べ終えると、ギルトはキザミを置いてさっさと二階に上がってしまった。鍵を開け、部屋に入るとすぐに鍵をかけた。明日の予定を考えようと、置いておいた鞄に手を伸ばした時、部屋をノックする音が聞こえた。またこの宿の老人だろうか。いや、違った。声ですぐに分かった。キザミだ。
「ギルト君、君に少し聞きたい事があるんだ。鍵を開けてくれないか?」
 この言葉にギルトは食事前から抱いていた警戒心を全開にした。
「…そこで済む事ならそこで話してください。」
 戸の向こうにいるであろうキザミにそう言い放った。
「ちょっと思うところがあってね。じっくり話したいんだ。ダメかい?」
「…一体何ですか?」
 少しいまいましそうに尋ねると、彼が告げたのは驚くべき事だった。
「先程、君が瞬間移動したのを見せてもらったよ。」
 ギルトの思考に電撃が走った。見られていた。
「私はその『スペルドライヴ』の力がどんなものなのか、じっくり見てみたかったんだ。」
 この力について知っているというのか。自分の家族でも知っているのは祖父だけだ。しかも、知っているのは名前だけで、不思議な力だという以外は分からなかった。
(どうする…。彼はこの力についてどこまで知っているんだ…?)
 悩んだが、自分の力が何なのかを知る事もこの旅の目的の一部でもある。鍵を解除して恐る恐るドアを押すと、キザミが自然な笑顔を浮かべて立っていた。
「…どうぞ。」
 彼を招き入れ、ベッドの端に座った。
「ありがとう。」
 キザミも少し離れて座った。自分を信用しきれていないギルトに気を使ったのだろう。
「…用件は何です?」
 出来るだけ自然に尋ねようとした。それでも、心は身構える姿勢を崩してはいない。
「さっき言った通りさ。君のその力、『スペルドライヴ』を見せてもらいたい。」
「なぜです?」
 怪訝そうに尋ねたギルトに、キザミは小さく笑った。
「ふふ、そうだね。失礼した。まず、見たい理由を話さねばね。でなければ、君の目に映る私は警戒すべき他人の一人でしかない。」
 キザミはかぶっていた羽根付き帽子を脱ぐと、その訳を話し始めた。
「私は吟遊詩人でね。詩人というものは自分の感性を鍛える必要がある職業なんだ。最近、私はどうにも新鮮さが感じられなくてね。自分の心の停滞は作品にも影響するから、どうしても何か感動するものを見て、聞いて、知りたかった。まあ、早い話刺激が欲しかったんだよ。ある時、私は不思議な力を使う人間の存在を知った。ぜひとも会ってみたくなって各地を転々としたんだが、今まで全く見つからなかったんだ。だが、ここで私はようやく探していた人間に会えた。それが君というわけだ。」
 語る彼の顔は希望に満ちていた。彼はスペルドライバーに会うためだけにずっと旅をしていたのだ。ギルトは今まで、自分のしたい事をこれほどしっかり語れる人間を見た事が無かった。
「そういうわけで、何としても見せてもらいたい。私に用意できる代価は払うつもりだ。」
 その目は真剣そのものだった。ギルトは本気で打ち込めるものがあるキザミをうらやましく思うと同時に、助けてやりたくもなった。
「…分かりました。お見せしましょう。」
 立ち上がって前に手をかざした。
「少し離れてください。」
 キザミに注意を促すと、彼もベッドを立って距離をとった。
「プロテクトシールド!」
 スペルを発動した。光の壁が正面に発生した。この部屋で敵と遭遇した時と同じように使ったのでは、内側から壊してしまう可能性が高かったので、精神力で規模を抑えた。旅を始める前から、そのくらいの制御は何とか出来るようになっていた。
「すばらしい!これが『スペルドライヴ』か!」
 キザミは子供のように目を輝かせた。
「他にも、他にも出来るのかい!?」
 期待に答え、自分に使えるスペルをいくつか実演して見せた。
「本当にありがとう!ここまで旅をしてきた甲斐があったよ!すぐにでも新しい詩が浮かびそうだ!!」
 こちらの手をしっかりと握って、感謝の言葉を言うキザミの表情は純粋さが満ちていた。この表情で嘘がつける人間がいたら、相当歪んだ人間だろう。それほど明るいものだった。
「さて、どうやってお礼をしようか?これだけのものを見せてもらったんだ。出来る限りの事はさせてくれ!」
 キザミはすっかり興奮しているようで、自分を落ち着けようと息を整えていた。
(…。)
 彼の言葉にギルトは少し思案して、こう言った。
「じゃあ、この力についてあなたが知っている事を教えてください。それから、僕はどうするべきなのかを教えてください。」
「一つ目はいいが、二つ目はずいぶん難しいね。」
 キザミは苦笑いした。
「お願いします。僕にとっては深刻な問題なんです。」
「分かった。じゃあ、一つ目からいこう。その力の本質が何なのかは私も詳しくは知らない。私が聞いたのは、スペルドライヴは稀に一部の人間が使えるようになる特殊な能力で、言葉を媒介に発動するという話だ。人間が持つ潜在能力が目覚めたものだとか、遥か昔に神から与えられたとか、色々な仮説があるけどね。」
 結局、ほとんど進展は無かった。キザミの話は祖父が語った話と大差の無いものだったのだ。
「さて、二つ目の方だが、こればかりは他人の私がどうこう言う資格は無いと思う。その力に捕らわれずに、君が思った通りに生きればいいと思うよ。」
 そういう意味じゃないんです、と首を振った。その謙虚さは嬉しかったが、ギルトが教えて欲しいのはそんな漠然とした事ではなく、もっと具体的な方法だ。
「僕は、自分がどうしたいのかよく分からないんです。僕が旅をしているのもそのせいで…。だから、あなたの価値観で判断してもらっても構わないから、次どうすればいいのか教えて欲しいんです。」
「うーん…。じゃあ、君が旅に出た経緯を教えてくれないか?そこから考えてみよう。」
 ギルトはこの人なら話しても大丈夫だと思い、過去にあった事から現在までの経緯を話し始めた。

 十五歳の時、ギルトは大怪我をした妹を助けるためにスペルドライヴの能力を開花させた。その後も、いくつかの新しいスペルを覚え、少なからずその力の存在を気にしながら育った。
 そして、この世界では一般的に自分の将来について考え始める十八歳になった時、ギルトにはやりたい事が何一つ見つからなかった。何に対しても興味が湧かず、あるのは未知への恐怖のみ。自身の内に潜む得体の知れないモノが心を閑散としたものにしていた。
 そんな、息子を見た父はギルトにひとつの提案をした。これから二年間、旅をして世界をみて回り、自分が興味を持てる事を見つける、というものだった。断る理由を持たなかったギルトはこれに従い、各地の都市を転々とする冒険に出る事が決まったのだった。
 ギルトの父、クレスは都市を奇獣から守る守備隊の武器を調達する仕事をしていた。いわゆる仲介業者で危険も少ないのだが、危険な奇獣相手に武器が不要になる事は皆無で羽振りはよかった。そのため、幸いにも十分な量の資金を与えてもらえたのだ。
 新しい目的を定めてくれた上に、十分な下準備をしてくれた父には本当に感謝している。だからこそ、この旅の中で生き甲斐を見つけたいと思うし、その反面、何も得られなかった時への怯えもある。
 現在、ギルトは故郷『オリージア』を離れ、いくつかの都市を経て、この都市『ガートボルグ』にたどり着いたというわけだ。

 ギルトの話を聞き終えたキザミはやれやれ、とでも言いたそうなため息をついた。
「はあ…。なるほどね…。今は以前あった戦争のお陰で奇獣が大分減った上に各都市の情勢も安定してきてるからな…。かえって、君みたいな人間が出てきちゃうのかも知れないなあ…。」
 眉を寄せてついたそのため息には哀れみが含まれているように思われた。
「話は分かった。そうだな、明日一日だけ考える時間をくれ。私の意見を聞かせよう。それでいいかね?」
 明後日か。この都市も見て回りたかったし、一日の期間はちょうどいいかも知れない。ギルトは黙ってうなづいた。
「よし。では、今日はこれで失礼するよ。君の人生の貴重な時間を割いてもらった事に感謝する。」
 キザミは立ち上がり、礼儀正しく頭を下げて部屋を出て行った。
 その彼の言い回しから、やはりキザミは詩人なのだ、とギルトは思った。色々な言葉を使うために、普段から様々な修飾をする癖がついているのだろう。そんな勝手な予想をして、ますます彼がうらやましくなった。だが、羨望するだけでは自身が得るモノは何も無い。それが分かってるのに、踏み出す事を恐れている自分がもどかしかった。
 しかし、今すぐ自分が変われるわけではない事も事実だ。いつかは殻を破らねばならないが、それがいつになるのか。
 気がついてみれば、キザミと話をしているうちにずいぶんと時間が経っていた。カーテンから差し込んでくるのは深い闇だけになっている。身体も長旅で疲れている。とにかく眠りにつく事にした。

 翌朝、店主の老人には、もう一晩延長して泊まる事を告げておいた。そして、その時ついでにもらった地図を頼りに、ガートボルグ内を観光する事にした。
 やはり、意図的にあの宿屋は避けて通った。厄介事はもうゴメンだ。
 見知らぬ場所では、自分以外は全て敵だ。そう思う事で、心を閉ざす事で自身を守る。本来好ましくない事だが、信頼出来ない人間がいるのだからそれも仕方ないと無理に自身を納得させて歩いた。
 特に見たいものも無かったし、ただ歩き回って食事も目についた所で適当に済ませた。丸一日無駄に使った気がする。そう思うと、失望や無気力が重くのしかかってくる。頼みの綱はキザミの示す道標だ。
 日が暮れて、力無く自分の宿へと向かった。だが、噴水近くに差し掛かった時、聞き覚えのある声が届いた。というより、響いてきた。人通りがほとんど無かったので、はっきりと聞き取れた。
「全くもー!腹が立つったらありゃしないわ!!」
 この声は…ミラの声だ。
「しょうがないだろ。逃げちまったんだから…。」
 次に聞こえたのは、彼女を羽交い絞めにしていたあのゴリラのような大男の声だ。
「まさか、あんな臆病者だったなんて…。」
 三人目の声は記憶に無かった。声の聞こえる方角に近寄ってみる。ちょうど、建物と建物に挟まれた路地裏のような場所だった。そっと覗き込むと、いたのはミラとゴリラ男と宿の店員だった。
「初めて話した感じでは絶対助けると思ったのにぃ…。計画が丸潰れよ!」
 ミラは苛立ちを吐き捨てるようだった。
「まあ、白金貨を取れただけでもよしとしようぜ。」
 大男はなだめるようにミラの頭をなでたが、肘鉄砲を食らわせられていた。
「元はと言えば、あんたがオーバーに演技し過ぎたからでしょ!」
「何だよ!汚ねーな!俺のせいにするつもりかよ!?」
 二人で取っ組み合いを始めてしまった。
 そうだ。この三人はグルだったのだ。この都市に疎い旅人を捕まえては金を掠め取っていたのだろう。
(汚いのは貴様らだろうが…!!!)
 全てを理解したギルトの中には激しい怒りが立ち込めていた。もはやこいつらとは二度と顔を合わすまいと願った。恐らく、この時の自分は歯を食いしばり、目を吊り上げた、それはそれは醜い顔をしていただろう。人間は自分の顔を見る事が出来ないが、この時ばかりは幸いだった。
 さっさとこの場を離れて宿に戻るに限る。そう思って振り返ると、ドーンという轟音と共に大地が振動した。しかも、振動はミラ達三人がいた通りの辺りからである。別に何だって構わない。構わず足を進めたが、しばらくして叫び声が聞こえた。
「ああああーっ!!」
「ギャアアアーッ!!」
 思わず駆け戻ると、そこにいたのは昨日の昼に追われた奇獣であった。ギルトは胸が潰れそうになった。奇獣が再び眼前に現れた事もあったが、それだけではない。二人の人間が、二人の人間の身体が、その腕でぶち抜かれていた。あの大男と宿の店員だった。完全に事切れている。即死だ。先程の叫びは断末魔だったのだろう。
 奇獣はずるり、と気持ちの悪い音を立てながら、片方ずつ死体を引き抜いた。地面に落とされた死体からは血がすーっと広がっていく。
 ミラは腰を抜かして動けなくなっていた。音も無く彼女の前に移動し、血まみれになった両の手の平を合わせた。それは殺した人間を弔うようにも見えたが、違う。
「!ああ…!!」
 気付いた時には遅かった。それはまだ殺していないミラに攻撃するための構えであった。合わさった手の平はまるでレイピアのように、ミラの身体を貫いた。
「がふっ!」
 手刀が突き刺さった腹部と口からおびただしい量の血が吹き出した。白い服が真っ赤に染まる。もはや路地の地面や壁は血みどろの状態であった。
 ギルトの叫びにミラは震えながら振り向いた。あの赤い目がまたこちらを見つめている。だが、そのすがりつくような眼差しからはどんどん光が失われていくのが分かった。
 このままでも、ミラは十分死ぬだろう。しかし、奇獣は容赦無かった。合わせていた手の平を横に振り抜き、引き裂いた。真っ二つに分離したミラ―――いや、すでに死体になっている―――が崩れ落ちた。
「あ…ああ…。」
 満足に悲鳴も上げられず、ギルトは後ずさった。やはり、次の目標は自分だろう。今度は自分が殺られる。スペルを唱えようとしたが、声が出ない。
 無言のまま、両腕が伸びてくる。
「何をしている!動けッ!!」
 声と共に奇獣の腕が爆発した。
 いつの間にか後ろにはキザミがいた。その両手には銃が握られている。銃口から煙が立ち上っているという事は撃ったのはキザミ、という事になる。
「やっぱり一人にしたら危険だと思って後をつけていたんだが、別の意味で正解だったようだなッ!」
 再び銃が火を噴く。もう片方の腕が砕け散った。これが銃の威力…。張り詰めた状況でありながらも、一瞬それに感心した。キザミの身体に巻きついていたのはガンベルトだったのだ。
 銃は剣や槍、斧などに代わる武器として、つい最近になって生み出された武器だ。性能の良い物は奇獣の強靭な外骨格ですら貫通する程の物もある、という話を出発前に父から聞いた事があった。ただ、何分材料が少なくコストがかかるため、大量生産には至っていないという事だった。
 その新型兵器である銃を握るキザミの目は、自分の夢を語っていた昨日とは全く違っていた。引き締まったというか、気迫がある。
 目玉だけになった奇獣は逃げようと空に昇り始めた。
「逃がさん!」
 浮き始めた目玉が即撃ち落されて爆発する。周囲に金属のような破片がパラパラと散らばった。
「…キザミさん。」
「すぐに都市の守備隊が来る。面倒な事になる前に戻るぞ!あのスペルを使え!」
 そうか、昨日と同じように高速移動を使えばいい。しかし、そうするとキザミが残ってしまう。
「こっちの方だ!」
 やや遠くで声が聞こえた。
「私は大丈夫だ!早く!」
「マッハエスケープ!!」
 キザミに促され、スペルを唱えた。

 スペルはかなり応用が効くモノのようだ。なぜなら、宿の前に高速移動したのはキザミも一緒だったからだ。作用させる対象や数は意識すれば好きに変えられる、という事が判明した。しかし、同時にスペルを使った後に生じる倦怠感も倍になっていた。なので、さっさと部屋に入った。二人で並んでベッドの縁に腰掛ける。
「私まで運んでもらってありがとう。しかし、まさか単体で攻めてくるのがいるとはね…。戦争が終わって六十年近く経つらしいが、やはり油断は出来ないな。」
 キザミの表情は落ち着いたものに戻っていた。
「…昼にもアイツに追い回されたんです。うまくまいたと思ったんだけど…。」
 胸ではまだ心臓が踊っていたが、助かったという安堵感が次第に湧いてきていた。同じく、奇獣の犠牲になったミラ達の事にも思考が働いた。
 悪人ではあったが、生命を取られる程の者達ではなかった。怒りは既に冷めて、彼女らが哀れに思えた。善も悪も関係なく、人間を脅かす奇獣という存在に激しい憤りを覚えた。
「一度見かけた君をしつこく追ってきたのかも知れないな。しかし、君はスペルが使えるんだろ?どうして倒さなかった?昨日の夜見た限り、発動するのは慣れているように見えたが…。」
「倒さなかったんじゃありません…。今、僕が使えるスペルに攻撃用のスペルはひとつも無いんです…。倒せなかったんですよ…。逃げるしかなかったんです。」
 そう、今のところギルトは相手にダメージを与えられるようなスペルは全く覚えていないのだ。あるのは防御や補助ばかりが合計六つもある。
 急に情けなくなった。自分さえ、しっかりしていればこの都市にあの奇獣を連れて来なくて済んだかもしれない。
「そうだったのか。まあ、アイツは私が処分してしまったし、この話はここまでにしよう。」
 キザミはさっさと話題を変えてしまった。こちらの気持ちを察しての事かは分からないが、今のギルトにはありがたかった。
「さて、これからの君の方針についてだが…。」
 いよいよ待っていた事が語られようとしている。ギルトは座り直すと、次の言葉を待った。
「私が思うに、やはり君はそのスペルの力が何なのかをはっきりさせた方がいいと思う。だから、旅の目的をスペルについて調べる事にしてしまえばいい。なんにせよ、今の君が興味を持っているのは多かれ少なかれ、スペルの事だけみたいだしね。」
 当然、ギルトはスペルについても知りたいという気持ちはあった。しかし、スペルは自分探しの旅の目的とは切り離して考えていた。いや、切り離して考えたかったのだ。人外の力など、人の世で役に立たせるのは困難だと思っていた。
「僕は、恐ろしいんですよ…。この力は人間の手には余るものです。この力が何なのかを知ったら、人を不幸にするかも知れない…。」
 昔から、大きな力は人を不幸にするものだ。それが何より恐ろしかった。
「そうかも知れない。だが、それをずっと君が気にしてきた以上、もう逃げ続けるのはやめた方がいいと思う。折角、お父さんにこういうチャンスを貰ったんだから、うまく活用するべきだよ。」
 渋るギルトにキザミは続けた。
「それにさ、君は今、自分探しの旅をしているんだよね?そのスペルだって、立派な君の一部だと思うけどな。」
 確かにそうだ。僕はもうこの力を使い始めてしまっている。それなのに、認めようとしなかった。いつまでもここで足踏みだけしているわけにいかないのに。目的になり得るものなら目的にしてしまうべきだ。
「…そう…ですね。僕は自分で足かせを作りたがっていたのかも知れません…。やりますよ…!」
 不安が無いわけではない。そんなもの始めからあるに決まっている。しかし、どっちにしろ不安に飛び込むのならば、負ける気で行くよりも、勝つ気で行った方がマシに決まっている。
「OK。決まったね。それでは今夜はお休みだ。明日は早くに発つんだろう。早く、眠った方がいい。」
 キザミは立ち上がり、ギルトの部屋のドアを開けた。
「あ、そうだ。私は君のスペルだけじゃなくて、君の人生にも興味が湧いた。だから、しばらくよろしく頼むよ。」
 一度部屋を出てから、顔だけ出して青年は言った。共に来てくれるというのだ。その申し出がギルトにとって非常に心強いものであった事は言うまでもない。
BACK     目次     NEXT
SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送