Two 「老婆と娘」


 ―――ようやく踏み出した一歩。その足は悲劇と仲間にぶち当たる…。

 ガートボルグを離れたギルトとキザミは新たな地を目指していた。しかし、明確な目的地があるわけではない。なので、キザミの提案に従って、一番近くて大きい都市―――ここからだとメーウェン―――に向かっていた。どうやら、彼の知人がいるらしい。闇雲に旅をするよりはマシだろう。
「あの、何か変じゃありませんか…?」
「うすうす感じていたが、やはり君もそう思うか?」
 途中までは武装列車で原野を駆けた。武装列車とは、奇獣に襲われた時にも対応出来るように装甲や武装を施した列車で、まだ現在では珍しい大砲を積んでいる。その威力は奇獣でさえ、木っ端微塵に四散する程である。なので、安全な都市間の移動には欠かせないものになっている。しかし、その線路はまだ世界全体に張り巡らされているわけではなく、地域によっては歩いていかねばならない。ガートボルグからメーウェンまでは、完全に開通していない。仕方が無いので、終点まで行ってから降りて歩いた。
 しかし、歩き始めてからずいぶん経って、ある違和感を感じ始めていた。メーウェンまでは列車の終点から歩きでも、半日あれば十分着ける距離のはずなのだ。それなのに、朝早く出発して日が暮れ始めているというのに、一向に都市が見えない。
「おかしいな…。方向は合っていると思ったんだが。」
 キザミは地図を取り出した。今まで任せきりにしていたが、ギルトも覗き込んだ。チェックしているキザミの指を見ていると、今までの違和感の原因が判明した。そして、愕然とする。
「!!…き、キザミさん、もしかしてさっき降りた列車の線路と、この手前の線路と勘違いしてませんか…?」
「何…?…ああーっ!!!」
 キザミは天をも穿つ大音声を上げ、固まった。空いた口が塞がらない。そのまま、あごが落ちてしまいそうな勢いであった。
 典型的なイージーミスである。こうして、二人は進路変更を余儀なくされた。しかし、今から進路を修正しても、メーウェンまで行くには距離が離れ過ぎていた。かといって、この周辺にある都市に行くにしても、距離がある。
「…はっ、あははは。…ギルト君、野宿を覚悟しておいてくれよ。」
「そんなあ…。」
 ギルトには、乾いた笑いで必死に取り繕うキザミを恨めしそうに見上げる事しか出来なかった。
「まあ、大丈夫さ。私は旅に関しては君より先輩だ。野宿だって一度や二度じゃない。何とかなる、いや、何とかするさ。」
 キザミはさっぱりとしていて、過ぎた事にはこだわらない性格だったが、それが今は鼻につく。こっちは気が気でないのに、彼が落ち着いていられるのは自分の腕に対する絶対的な自信からなのだろうか。
 それはともかくとして、とにかく日が完全に暮れてしまうまでに進めるだけ進むしかない。二人でもめている場合ではないので、ギルトは彼への不満をぐっと飲み込んで歩いた。
 向かう事になったのは、現在位置から一番近い都市クレナキュルスであった。

 歩いていくうち、森にぶつかった。ここを越えなければ、クレナキュルスにはたどり着けない。裏を返せば、ここを越えればあとわずかだ。
 しかし、日はもうすぐ山に沈んでしまいそうだ。
「どうします?」
「どっちも危険だが、開けた原野よりも遮蔽物の多い森の中の方がいいだろう。火もたいておけば、普通の動物は寄ってこないしな。もっとも、普通じゃない方の獣には逆効果だが…。」
 確かに、野の真ん中で眠るよりも森の中の方が安全だ。火をたく場合も、後者の方が見えにくいだろう。
「…行きますか。」
 二人で森に分け入っていく。
「疲れたかね?」
 入り口が見えなくなった頃、キザミが尋ねた。
「それは勿論…。足が痛いですよ。」
 半日歩き続けたせいで、足は次第に棒のようになり始めていた。どこでもいいからとりあえず休まなければ身体が持たない。
「じゃあ、今日はこの辺りで休むとするか?」
 無論、賛成して背中の荷物を降ろして、次いで腰も下ろす。キザミも同様にして、木に寄りかかった。
 ギルトが背負ってきた鞄の中には一人旅に必要な物は一式揃っていた。父が用立ててくれたのだが、実に実用的な装備であった。着替えや非常食など一般的な部分は勿論の事、サイズの違うジャックナイフが数本、砂糖や塩などの調味料類もあった。糖分や塩分は人間には必要不可欠なものだ。緊急時に何が必要なるのか、父は戦争を体験した事のある祖父からキチンと聞いていたのだろう。
「はああ、安心というか、感心したよ。準備はしっかりしてたんだね。余計な心配をせずに済みそうだ。」
 キザミは座って確認を始めたギルトの荷物を見て微笑んだ。中には火起こしの際便利な粉末火薬まで入っていた。
 火薬まである事だし、火をつけた方がいい。ギルトは背伸びをして近くの木の枝を数本折ると、ジャックナイフを取り出して削り始めた。枝と糸を組み合わせて、火起こし機を作るのだ。十字に枝を組み、左右に糸を結ぶ。横の棒を縦に動かすと、縦の棒が横に回転し、摩擦で熱を生み出すのだ。古代から伝わる伝統的な方法だ。都市のように火を簡単に利用出来ない時はこれしか方法は無い。
「どれ、ちょっと貸してごらん。やっぱり、知っているだけと出来るのとは違うか。」
 なかなかうまく削れないギルトを見て、キザミは手を差し伸べた。ジャックナイフを受け取ると、手際よく、丸く細く削って言った。糸を結んで組み上げると、一本の枝の表面を平らになるように削った。そして、その上の一箇所に火薬を乗せ、火起こし機を稼動させ始めた。
「…ギルト君、今のうちに乾いた葉っぱとか燃える物を集めておいてくれ。」
「あっ、はい!」
 キザミの手際の良さに見とれていたギルトは、言われて自分のすべき事に気付いた。周囲の枝の葉を摘み始めると、
「うおりゃ〜…!!」
 キザミは猛烈な勢いで火起こし機の回転数を上げていく。次第に煙が出始め、チロチロと赤い輝きが見え始めた。
「もう少しッ…。」
 更に回転数を上げる。ぼわっ、と小さな炎が頭をもたげた。
「それ、今だ!」
 葉の先端を火の頭であぶる。すぐに燃え移りゆらゆらとし出した。そこに枝や葉を継ぎ足していき、ついに十分な規模の火炎となった。
「上出来だ。これで料理も出来る。」
 額の汗をぬぐうと、キザミは自分の背負ってきた鞄からフライパンと卵、料理油の入ったビン、乾燥させてあるベーコンを取り出した。ベーコンエッグがすぐに出来上がる。空腹を満たそうと、すぐさま平らげた。勿論、それだけでは足りなかったので、ギルトは自分の鞄から保存食の一部を取り出した。クッキーである。キザミにも分け与えると、こちらもすぐさま平らげた。これでようやく落ち着いた。
「少し寝ておきたまえ。朝は歩く事になるからね。見張りは私が引き受ける。」
 ギルトは後ろは木、下は土の地面だったので、虫が来ないか気になったが、疲れているのも事実。彼の言葉に従ってしゃがみ、木にもたれかかった。
 すると、キザミは何枚かの紙切れと羽ペンを取り出すと、さらさらと筆を躍らせ始めた。その筆の音が催眠効果を促したのだろうか、意識は次第に睡魔に捕らわれていく。彼が書いているのは日記だろうか、それとも詩だろうか、ギルトはそんな事を考えながら眠りに落ちた。

「おい、起きるんだギルト君…。」
 身体が揺すられているのに気付き、目が覚めた。
「?キザミさん…?」
 寝ぼけ眼で目を開けると辺りはまだ夜。深夜の真っ只中に起こされため、眠気はすぐに抜けない。
「どうしたんですか…。まだ夜ですよ…。」
「何かこっちに向かって来る!凄まじい殺気だ…。分からないのか!?殺す気全開で来るぞ!!」
 目をこするギルトを尻目に、キザミはマント下のベルトホルダーから二丁拳銃を取り出して構えた。
「来るぞ…。」
 キザミが小さくつぶやくと、目の前の木がビシッ、という音を立てた。
(…!!)
 相手が近づいてギルトもようやく何かおぞましい気配を感じた。一気に目が覚めてしまった。
 この気配はギルトのように鈍い者であっても感知する事が出来た。人間、いやこの世界の生命ならば、決して認めてはならないモノのように感じたからだ。それだけ、殺気が強かった。まるで、相手の思念が空間に流失してこちらに漂ってきたような、そんな感じだ。
「…ッ!プロテクトシールド!!」
 反射的にスペルを唱えたのは正解だった。眼前の木の根元に風穴が開き、そのまま倒れてきたのだ。スペルで倒れた木を跳ね返すと、続けて凄まじい衝撃を感じた。木がぶつかった時の比ではない。間違いない、奇獣だ。
「ぐっ!?」
 一撃でシールドにヒビが入っていた。昨日遭遇したヤツより強い。二撃目が続けて入る。きしみが大きくなる。もうこれ以上は持たない。恐怖と共に、目を見開く。
(!!??…こ、コイツは何だ!?)
 思わず息を呑む。目に飛び込んできた奇獣の姿は今までに見た事が無いものだった。柱のような形状の奇獣であった。だが、驚いたのは形状ではない。その色だ。全身が漆黒色だったのだ。目は透明だったが、その奥に黒い光が渦巻いている。焚き火の炎にその色彩が不気味に浮かび上がっていた。
 様々な形状を取る奇獣だが、いくつか人間にも分かる特徴がある。普通、奇獣は透明な一つ目を持ち、その他の部分は白い金属のようなパーツで構成されているのだ。今まで、黒い奇獣など誰も見た事が無かった。いや、人間の歴史の中に存在した事すら皆無のはずだ。
 コイツが何なのかは分からない。だが、自分達を脅かす存在である事だけは間違いない。シールドを張り直す。
『キエロ。キモ、クサモ、イノチアルモノスベテ、キエロ。』
 言葉を発した。どこで喋っているかは不明だが、とにかく喋った。
(馬鹿な…。何なんだ!?)
 未知の敵に次第に恐怖が湧いてくる。
『スペルドライヴナド…キエロ。』
 黒き獣は自らの身体から黒い球体を発生させた。あれをぶつけられたのか。さっきの威力から予想するに、今の自分では三発防ぐのがやっとだろう。連続で四発目が来たらかわせない。
「下がれ、ギルト!」
 キザミが両の銃を発射した。次々と命中し、爆発する。が、昨日の奇獣の時のように粉々には出来なかった。表面にほとんど傷が付いていない。恐ろしい硬度だ。
「チッ!バーストブリットが効かない!!」
 すぐさま飛びのいたキザミの足元に黒い球体が突き刺さる。攻撃を受けた時点で、ターゲットはキザミに変更されていた。次々と球体を発射し、キザミを狙う。
 今の自分の攻撃が通用しないと分かると、キザミは弾を避けながら、あらかじめ入っていた銃の弾を全て排出した。そして、そこに自分の胸に巻き付けてあったガンベルトから別のマガジンを装填した。
「…コイツならどうだッ!!」
 今度着弾した弾は爆発しなかった。代わりにパシャッ、と小さくはじけて液体が付着した。すると、相手の身体が煙を上げながらブスブスと溶け始めた。効果ありだ。
「流石に一撃必殺とはいかないか…。だが、効果があるなら溶けてなくなるまで喰らわせてやる!!」
 キザミは銃を連射しまくった。弾丸は全て敵のボディを捕らえている。
『ガガガ…。マダイキノビヨウトスルノカ…。』
 溶けて動きが鈍くなり始めたが、それでも全身から黒い弾を生成し、発射してくる。
 かわしながらも正確に攻撃をヒットさせているキザミの戦いをギルトは少し離れて見守っていた。今の自分には相手を倒す事は出来ない。それに、先程の攻撃の威力にすっかり萎縮してしまっている。キザミに任せる以外に無い。
 完全に目標はキザミになっていたために離れる時間があったのは幸いだった。しかしながら、彼の使う銃という武器にはひとつの大きな弱点がある。
 カチン!
 乾いた音が響いた。弾切れだ。弾がなければ銃はただの筒に成り下がる。
「!弾切れかッ!」
 器用に回避を続けながら、キザミはリロードすべく再びガンベルトに手をかけた。
 その時だった。敵の身体がいきなり粉砕された。
「こんな夜中に人のうちの近くで暴れてんじゃねえよ…。やかましくて寝られないっつーの!」
 荒っぽい言い方だが、女の声だ。黒い奇獣の後ろの木から彼女は姿を現した。その姿を見て、ギルトとキザミは身構えた。
 彼女は燃えるような真紅のショートヘアに同色の瞳を持っていた。服装は黒のタンクトップに膝の辺りまでしか丈が無いズボンをはいている。目付きがつり目でやや鋭く、その顔つきには野生的な雰囲気を感じる。戦いを経験しているのか、頬や膝などに小さな傷がいくつもあった。それだけならば、ちょっとキツイ感じの少女で終わりなのだが、彼女の持つ別の特徴が二人に警戒を解く事を許さなかった。
 その少女は背に悪魔のような黒い翼を生やし、手は銀色のパーツに覆われ、脚部も硬質の外骨格で固めていたのだ。まるで、人と奇獣が混じりあったように…。

「ふーん。それで、あんなところでドンパチやってたわけね。」
 少女は椅子に腰掛け、机に足をかけながら、さも感心なさそうに言った。
 少女は名をミクシーと名乗った。彼女はギルトとキザミを森の中にある自分の家に案内してくれた。家と言っても、木の板を寄せ集めて作ったもので、小屋とあまり大差ない。しかし、当然贅沢を言える状況ではないので、閉口しておいた。
「大変だっただろうに…。こんなところだが、一晩くらいは何とかなるだろ。」
 一方、老婆は暖かい言葉をかけてくれた。彼女の名はマティア。ミクシーと共に、十三年前からここに住んでいるという。幾重にもしわが重なった顔をしていたが、目は柔和で温厚な印象を受ける。
「感謝します。雨風がしのげれば文句はありませんよ。」
 羽根付き帽子を脱いで、キザミは礼を言った。
「しかし、君のその姿は一体…?まるで…奇獣と混ざったみたいだ。」
 ギルトはまだ少し警戒しながら、恐る恐る尋ねた。
「これか?ああ、混ざってるのさ。凄いだろ?」
 ミクシーは自分の胸を指差し、自慢げに歯を見せた。しかし、ギルトの怯えた視線に気付くと、立ち上がった。
「そんなに気になるなら、分離してやるよ。ホラ。」
 言うなり、彼女は閃光に包まれ、普通の人間の身体の少女と、悪魔のような翼を持った人型の奇獣とに分かれた。しかし、全身の色は通常の白い奇獣だ。融合時に黒かった翼の部分は白に戻っていた。
「コイツは無害なのかい?」
 心配するギルトをよそに、キザミが奇獣に触れる。
「ああ、完全に支配してる。アタシの言いなりさ。」
 彼女の言葉に、これが奇獣か、などと言いつつ、つついたり撫で回したりし始めた。
「しかし…こんな力をどうして君が…?」
 まだ、怯えた目を止めないギルトにミクシーはいらだったようで、
「うるさいな!いちいち細かい男だね!」
 つり目を更につり上げてにらみつけた。そのせいでギルトはさらに縮こまってしまう。
「止めないか!まったくキレやすい子で困ったもんだよ。私が説明するから、聞いておくれよ…。」
 喧嘩腰になっているミクシーを静止すると、マティアは自分達の過去を語り始めた。

 マティアは若い頃は奇獣との戦争に参加した兵士で、老いてからは賞金稼ぎとして生活していたらしい。そんな中、彼女は捨てられていた幼いミクシーを拾ったという。当時の年齢は四歳。発見した時は激しく衰弱しており、餓死寸前だったそうだ。
 手厚く看護し、回復したミクシーから聞かされたのは、驚くべき事だった。人外の力が目覚めたために、その力を恐れた両親に捨てられたというのである。
 その力は奇獣の行動を支配し、自身の肉体と融合する事すら可能な能力だった。今まで生物の中で人間だけを限定的に襲う、天敵を克服する驚異の力だったのだ。
 マティアはそんなミクシーに自分が培った戦闘技術を教え込んだ。再び、生命の危機に陥った際、生き延びれるように。
 現在、マティアは七十七歳、ミクシー十七歳。引退したマティアの後を引継ぎ、ミクシーが賞金稼ぎとして生活を支えているとの事だった。

「へえ、スペルドライヴに続いてまた別の未知なる力か…。融合する能力…調和…『ハーモニクス』とでも呼ぼうか?いいねえ、いい詩が書けそうだ!」
 キザミはギルトのスペルドライヴを初めて見た時のように喜んだ。
「へえ、『ハーモニクス』ねぇ…。それいいかも!アンタ、物書きさんなのかい?」
 ミクシーも呼び方が気に入ったようで、キザミとすぐに意気投合した。
「本業が詩人でね。副業は君が先程見た通り、賞金稼ぎだがね。」
「えっ!?キザミさんも賞金稼ぎだったんですか!?今、初めて聞きましたよ!!」
 ギルトは言ってから、とっつくところが違うような気がした。
「あれ?気付かなかった?まあ、確かに今初めて言ったけど。」
「いや、タダの吟遊詩人じゃないとは思ってはいましたけど…。」
「あのねえ!」
 キザミが突然大きな声を上げた。
「いくら私でも詩だけで食ってけるわけないでしょーが!実際、本を出版したって収入なんてスズメの涙だよ!!趣味と仕事を両立するのってスゴイ大変なんだよ!?」
「だったら何で続けてるんですか…。」
 珍しく熱くなっているキザミに少々気おされながらも反論すると、
「面白いからに決まってるだろ!!」
 絶対的な理由が帰ってきた。即答であった。
 あんたはすげえよ。ギルトは本当にそう思った。彼は二束のわらじを完璧に履きこなしているのだ。現実、趣味を仕事に出来る人は決して多くはない。仮にしたとしても、破綻する危険性が高い。特に、芸術の分野なんて人の心を集められなければ、すぐに消える運命だ。
「アタシも悪党叩きのめすのが面白いからこの仕事で食ってる。キザミ、アンタやっぱ面白い奴だね。」
 二人のやり取りを見て、ミクシーはケラケラ笑った。
「…うーん、じゃあ何でこんなところに家を構えてるのさ?近くに賞金稼ぎが集まるギルドがある都市はあるんでしょ?都市に住んだ方が効率がいいと思うんだけど…。」
 この言葉にミクシーの笑いが止まった。それと引き換えに少し沈んだ表情がこちらに向けられた。むやみに触れてはいけない事だったのだ。
「…同じ事の繰り返しをさけるためじゃよ。」
 マティアが代わりに答えた。
「人外の力を持つ者が力を持たぬ者にいつも暖かく迎えられるとは限らん…。この娘には二度もそんな苦しみを味あわせたくない…。」
 それは育ての親としての愛情であった。ミクシーは最も愛情が必要な時に、最も愛情を注いでくれるはずの存在に裏切られてしまったのだ。老婆からはそれを少しでも補おうとする優しさが滲み出ているように思えた。
「ごめん…。」
 初めて話す人間には言葉を選ぶ必要がある。流れで聞いた事とはいえ、根掘り葉掘り聞こうとするのは決して良い事ではない。
「…別にアンタが誤る必要は無いさ。アタシはこの力を憎んだりはしない。憎むのはこの力を嫌う奴らだけさ。」
「それでもごめん…。」
 彼女の目を見て言った。何をおいてもすまないという気持ちを伝えたかった。
「…アンタだっていい奴じゃないか。もっと早く、アンタらみたいなのに会いたかったよ…。」
 悲しそうに目をそらした彼女は後ろを向いた。
「…いけないねえ、会って早々辛気臭くって!皆、疲れとるんだよ。今日はもう休め。」
 マティアが止まった会話に割り込み、その場はお開きとなった。
「うん…。」
 ミクシーは二階に上っていった。その後ろを奇獣がついて行く。
「あんた方も、二階の奥にあるワシの部屋を使いなされ。ワシはここの椅子でいいでな。」
 彼女の言葉に従って、二階に上がると、部屋が二つ並んでいた。と言っても、手前の部屋はミクシーの部屋だ。一つの部屋を二人で利用しなければならない。
 実際、部屋に入ってみると、ベッドは一つしか無かった。
「…キザミさん。」
「…ああ、どっちかが床だな。」
「え?」
 ギルトが考えていたのは一つのベッドにどうやって二人で寝るかだった。それを言うと、
「おいおいおい…。男女のカップルならともかく、男が二人で密着なんて想像しただけでも吐き気がするぞ。」
 露骨に嫌そうな顔をした。そこで、ギルトは自分が犠牲になる事にした。
「…分かりました。僕が床で寝ますよ。」
 こんなしょうもない事に時間をかけたくなかった。一刻でも早く、中断された睡眠に戻りたかった。
「君は優しいな。」
 毛布をかぶりながらキザミが言った。
(臆病なだけだ…。)
 床に自分の鞄を枕代わりにして寝転んだギルトの意識はもうかすみ始めていた。

 翌朝、部屋にミクシーが起こしに来た。彼女も起きたばかりのようで、大きなあくびをしていた。
 三人そろって階段を下りる。歳をとると眠りが浅くなるらしい。下ではマティアが朝食を用意してくれているのだろう。
 しかし、予想に反してマティアはまだ椅子に持たれかかって眠っていた。だが、何かおかしい。その違和感が何か、気付くのにたいして時間はかからなかった。
 生気が感じられない。
「ちょっと待て。」
 キザミはマティアの腕を取り、脈を計った。
「…脈が無い。既に死んでいる。」
 皆が凍りついた。昨日は普通に会話をしたりしていたのに。どうしてこんな事に。
「はは、う…嘘だろ…。お…おい、起きろよババア!起きろー!!」
 引きつった笑顔でミクシーが死者の身体を揺すった。何の反応も無いどころか、かけられた力に抵抗する事もせず、そのまま床に倒れてしまった。
「ああ…。」
 気が抜けたように座り込む。死がそこにあるのを完全に悟ってしまったのだ。
「誰かに襲われたような形跡も外傷も無い…。これはまさか…。」
 キザミは冷静に状況を分析していた。他殺でないとすれば、後は自殺か自然死くらいしかない。自殺など、する理由は見つからない。そう、残るは自然死=寿命だ。
「…やはり、自然死としか考えられない。相当無茶をしていたのかも知れないな…。」
 キザミの言葉にミクシーは無表情のまま呟いた。
「…これじゃ…何が何だか分からない…じゃないか…。」
 見るに忍びない姿だった。昨日、あんなに気の強いという印象を受けたのに、今の少女にはそれが見る影も無い。どうにかしてやりたかったが、死ばかりはどうしようもない。
(いや、待て!ひとつだけ手がある!…だが、寿命では結局…!)
 ギルトは迷った。自分が現在習得している六つのスペルのうち、この状況に変化を与える事が出来るものひとつだけある。しかし、それはあるべき生命に手を加える事を意味していた。
「ミクシーさん…。たった…たったひとつだけ、方法がある。でも、それは一時的な解決にしかならないんだ。それでも、試してみる気はある…?」
「…!頼む!何でもいい!やってみてくれぇ!!このままじゃ…!!」
 ミクシーは凄い勢いですがり付いてきた。それだけ、この老婆の存在は彼女にとって大きかったのだろう。ギルトは覚悟を固めた。
「…分かった。少し離れていてくれ。」
 キザミとミクシーを遠ざけると、床に倒れたままのマティアに向かって手をかざす。
「リコールタイム!!」
 スペルの発動によって、周囲に光の輪が無数に出現した。それが老婆の身体に巻きついていく。
「ぐぐぐぐっ…!今の僕じゃこれが限界か…ッ!!」
 発動を中断し、ギルトは膝を着いた。冷や汗が浮かび、激しい息切れを起こした。
「な、何をやったんだ…?」
「…彼女の身体に流れる時間をほんの少しだけ巻き戻した。でも、死ぬ前まで戻せたかまでは…。」
 言いかけた時だった。マティアが床からむくり、と起き上がった。
「あ…!!」
「成功だ…何とか…。」
 マティアはきょろきょろ辺りを見回すと、
「はて…?ワシは死んだかと思ったんじゃが…。」
 何事も無かったかのように言った。どうやら、死ぬ直前までは記憶があったようだ。
「このクソババア!!死んでたんだよ!ギルトが生きかえしてくれたんだ!!」
 ミクシーは感情を吐き出すように叫びながら、マティアに抱きついた。
「そうかい…。スペルドライバーだったね…。そんな事も出来たんだねえ…。」
 ぼろぼろ涙を流す娘の頭をなでながら、老婆は噛み締めるように言った。
「でも、それは多分一時的な解決にしかなりません。何があったのか、説明してくださいませんか?」
 ギルトの質問に何が起こったのか明らかになった。
 やはり、マティアの死は寿命での自然死であった。
「…眠ろうとした時、心臓の動きが遅くなって、意識がだんだん消えていくのが分かった。ミクシーがあんなに普通に話をする人間なんて今までいなかったもんだから、すっかり安心しちまったのかも知れないねえ…。」
 ひょっとしたら、いや、しなくても、彼女はミクシーの行く末を案じていたのだろう。自分が死んだら、ずっと一人で生きていく事になる自分の娘を孤独にするまいと、朽ちた身体を突き動かしていたのだ。
「そんなにガタガタになるまで…。ごめんよぉ…気付かなくて…!!」
 ミクシーは義母の胸に頭を埋めた。
「構わんでいいさ。可愛い娘のためだ。苦しくても辛くはなかったよ…。」
 かさかさになった手でその頭を抱いた。
「あんたらには迷惑をかけちまったねえ…。そうだ…迷惑ついでにひとつ頼まれてくれるかい?ワシには時間もないようだしね…。」
 首を縦に振る。恐らく、最後の願いだ。聞いてやるしかあるまい。
「あんたらの旅に、このどら娘を連れて行ってやってくれないか…?」
 ミクシーは涙でくしゃくしゃになった顔を上げて、自分の義母を見た。
「でも、それじゃバアちゃんは…。」
「いいんだよ。どうせ、すぐに屍になっちまう身体だ。お前の方が大事さね…。」
 ギルトは胸が痛かった。リコールタイムで時間を戻したとしても、死んだ時まで時間が流れれば、再び死んでしまう。誰かに殺されたり、不慮の事故ならば、残っている生命力の分、続きの人生を生きられる。しかし、寿命の場合だけはこのスペルではどうしようもない。死ぬ前に時間を戻しても、元々残ってる寿命が後わずかなのだから。
「忍耐の利かない娘だが、ワシが育てた自慢の娘だ…。頼まれて…くれるかい?」
 マティアの表情はとても優しいものだった。しかし、とても悲しい顔でもあった。
「そんなの…そんなの当たり前じゃないですか!」
「…旅は道連れ、世は情け。確かに引き受けましたよ。」
 ギルトもキザミも同じ気持ちだった。こうして、旅にミクシーが加わる事となった…。

 一時間後、愛娘の行く末を案じた一人の義母は再び永遠の眠りについた。
 ミクシーは家の中の使えそうな荷物をまとめると、マティアを彼女の部屋に寝かせ、家を出ると、火を放った。火葬である。燃え移らないように周囲の木も少しカットした。
「ギルドでバアちゃんを永久欠番にしないとね…。」
 赤々と燃える家を見ながら呟いた彼女の顔には深い悲しみが見て取れた。しかし、同時にその死を無駄にしまいという決意も感じ取れた。
「これで…よかったのかな…。」
 ギルトは余計な事をした気がしてならなかった。結果的には、愛する人の死を二度見せる事になったのだ。
「ギルト君…無駄ではなかったぞ。君のスペルは。」
 キザミが肩に手を置いた。
「そうでしょうか…。」
「そうだ。」
 キザミは即答した。
「君は大方、二度も死を見せてしまった自分を責めているんだろう?だが、君がスペルを使わなければ、彼女を親の死に目に会わせる事は出来なかったはずだ。そうなれば、ミクシーは生きる希望を無くしていただろう。世の中には心を支えてる柱が少ない人間もいるんだ。君は倒れた柱の代わりを作ってやったのさ。君のした事は間違っちゃいないよ。」
 完全にこちらの思いが読まれていた。
「それにさ、君はあのスペルの事を黙っている事も出来たはずだ。でも、君は彼女に使っていいか、と聞いただろ?彼女はいいと言った。それでいいんだよ。」
 キザミの言う事は正しいと思った。それでも、何か腑に落ちないしこりがギルトの心にある。しかし、今はその矛盾を抱えたまま進むしかないのだ、と思う事にした。
「…はい。」
「はいはい、二人ともそんな顔しなさんなって!そろそろ行こうぜ!」
 返事をしたところに、ミクシーが駆け寄ってきた。
「ミクシーさん…もういいの…?」
「…ああ。あんまりココでじっとしてたら怒られそうだ。それより、ミクシーでいい。アタシは堅苦しいのは苦手でね。」
 彼女の顔は昨日会った時の気の強い女の顔に戻っていた。しかし、それが無理をしているのだとすぐに分かった。ギルトも無理をしているのだから。
「ここからは三人だ。仲良くやっていこう。」
 キザミが二人の肩を抱いた。二人はうなづいた。
「で、どこに行くんだい?アタシはどこにだってついていくよ!」
 彼女に目的地がクレナキュルスである事を告げた。
「いちいち歩くのも面倒だな…。よーし…来いッ!!」
 すると、彼女は自分が従えている奇獣を呼び出し、閃光と共に悪魔の姿に融合した。そして、そのままギルトとキザミの手首をがっちりつかむと、空高く飛翔した。
「うわあぁぁぁぁっ!?たっ、高いっ!!」
 森が下に見える。特別、高所恐怖症というわけではないが、あまりの高さに思い切りびびってしまった。
「あっ、暴れんな!落っことすだろうが!!」
 そんな言葉に恐怖し、更に身体を揺すってしまう。しまいには首根っこを捕まれ、何とかじたばたをやめた。というか、やめさせられた。
「おおー、凄いな。きっと、これが鳥の見ている世界なんだろうなー。」
 キザミは平気の平左で、空の景色を楽しんでいた。
 やがて、都市が見えてきた。異様な姿の三人の影はそこに向かって降下を開始した。

 生きる事は必ずしも前向きではない。しかし、だからこそ前を見なければならないのだ。いつ生命を落とすか分からない理不尽な人生でも、人を愛し、その一生を哀れんだひとりの人間が確かにいた。生きていたのだ。
 ずっと悲しんでいるだけでは何も生まれない。だから、せめて人の死を嘆き悲しむ事の出来るこの人間の心を大切にしたい、と思った。
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