Three 「悪魔と天使」


 ―――僕は悪魔のような少女に出会った。そして、天使のような少女にも出会う…。

 ギルト達はクレナキュルスに着くと、まず賞金稼ぎ達が集うギルドに向かった。情報収集をかねて、マティアの名前をギルドから除名させるためである。
「マティア・ライザー…。はい、分かりました。後はこちらで処理しておきますので。」
 受付の男性は開いた名簿リストにチェックを付けるとそう言った。
「…頼むよ。」
 ミクシーは一言告げてこちらに戻ってきた。
 ギルトはこんな所に入るのは初めてだったので、入り口近くにある椅子で大人しくしていた。賞金稼ぎであろう人間達が、目の前を行ったり来たりしている。
「キザミはどうした?」
 ミクシーが尋ねる。
「ああ、あそこだよ。」
 ギルトは指で指し示した。このギルドは奥に受付があり、手前は交友スペースになっている。受付の横には通路があり、酒などを運んでいるウェイトレスの姿も見受けられた。交友スペースは語らいの場であると同時に、軽食も出来るようになっているようだ。そこでキザミは仕事仲間達と話をしていた。しかし、手続きが終わったこちらの様子に気付くと、話を切り上げ戻ってきた。
「何を話していたんです?」
「昨日会った黒い奇獣の事を聞いてみたんだ。どうやら、別の地域でも目撃例があったそうだ。仲間を殺されて命からがら逃げ延びた奴もいた。」
 ギルトはそれを聞いて何とも言えず心配になった。あの黒い奇獣は普通の白い奇獣とは根本的に何かが違っている。奇獣は本来人間のみを排除する存在だ。だから、あの黒い奇獣の言った言葉が引っかかる。
(消えろ。木も、草も、命あるもの全て消えろ…。)
 心の中で反芻し、ぞっとした。キザミもギルトも凄まじい殺意を感じた。いや、今思えばあれは殺意と例えてもまだ生易しい。まるで生きている事全てを悪と信じ込んでいるような、そんな恐ろしい感情のカタマリのように思える。戦闘力の上昇もさる事ながら、そんな感情を持つようになるとは脅威だ。もし、連中が生物全てに対して憎悪を抱くようになったとしたら、今までより遥かに被害は拡大する。
「おいおい、そんなに難しい顔すんなって。いざとなったらアタシが片っ端にぶっ殺してやるよ。」
 顔を歪めて考えていると、ミクシーが自信たっぷりに言った。確かに彼女は奇獣と同じ力を使えるし、人間の感情も持っている。対抗出来る事は間違いないが、戦いが拡大しないかと、それがかえって心配だった。
「それにさ、アンタにだってホラ、何つったっけ?あの力があるだろ?」
「スペルドライヴの事?…いや、その事何だけど、実は…。」
 ギルトは自分の使うスペルドライヴについて説明した。
「えええーっ!?相手を攻撃するスペルが使えないーっ!?」
 ミクシーは眉毛をハの字に曲げて叫んだ。
「うん…。」
 気まずそうにうなづく。
 正直な話、ギルトはミクシーのような気の強い女は苦手であった。共に旅をする事を引き受けはしたが、心配で仕方が無かった。仲間ではあるが、うまくやっていけるかは別問題だからだ。
「何だよ…使えねえなあ。頼むから、アタシの足は引っ張んないでよね。」
 いきなり機嫌の悪くなった彼女をキザミがまあまあ、となだめる。フン、とそっぽを向いた彼女を連れてギルドの入り口に向かう。
(だから嫌なんだ…。必要以上に人に関わるのは…。)
 そう思ったが、口に出したら今度は拳が飛んでくるかも知れない。ここはぐっと我慢だ。プライドが高い人間と付き合う時はこちらが折れなければまともにはやっていけない。衝突してもいい事なしだ。
 しかし、いざという時に衝突する勇気が無いのも事実だ。そうやって、いつも逃げてしまう自分が情けなくもあった。
 そうやってとぼとぼと外へ出る。
「まあ、君も気を落とすな。そのうち、攻撃も出来るようになるさ。」
 対して、キザミは寛容だ。しかし、彼はその寛容さを保ったまま、人と付き合う事が出来ている。それがまたまたうらやましくなる。どうしたら彼のような万能人間になれるのだろうか。
 そんな事を考えながら通りを歩いていると、そのキザミに声をかける者がいた。
「お〜い、キザミ君ではないか!」
 四十歳くらいだろうか、やや高めの鼻の下に立派なヒゲを蓄えた男が近づいてくる。シャツの上に茶色のベストを着ており、市民としては標準的な格好だ。
「あっ!ヴォイドさんじゃありませんか!この都市にいたのですか!」
 どうやら、キザミも彼を知っているようだ。
「よくもまあ、二つの仕事を両立し続けているな。おや、この子らは?」
 ギルトとミクシーの姿に気付くと、ヴォイドと呼ばれた男は目を見張った。
「ああ、旅の連れですよ。色々面白い事になってきましてね。三人旅をしてるんですよ。」
「キザミさん、誰なんです?」
 小声で尋ねると、
「ああ、出発の時に言った、会おうとしていた私の知人さ。」
 嬉しそうに言った。という事は、地図を間違って進んだのは怪我の功名だったわけだ。もし、そのままメーウェンに向かっていたとしたら、彼が戻ってくるまで足止めを食らうところであった。
「そうか、私を探していたのか。今、私は一時的にこの町の工場を借り受けている。こんな所で立ち話もなんだから、ついてきたまえ。キザミ君には渡したい物もあるしな。」
 ヴォイド氏の申し出を受け、一向は移動を開始した。

「娘さん、元気?」
 工場に向かう途中の道、キザミが一言聞いた。彼の事だ、何の気無しに聞いたのだろうと思う。
「ああ、今回は時間がかかりそうなんでな。エアも連れて来た。」
 答えたヴォイドの声は普通に聞こえたが、ギルトは一瞬表情が曇ったような気がした。

 その工場は都市の資材置き場と隣接していた。だが、資材と言っても、それは武器だ。奇獣の侵攻があった時、都市の守備隊が利用するための物なのだ。当然、その工場で作っているのも武器で、完成した物は資材置き場に蓄えられる。
 ヴォイド氏は武器職人で、守備隊よりこの都市での武器供給を依頼されていたそうだ。そこで弟子を何人か連れてここに来たらしい。しかし、彼は普通の武器職人のような鍛冶屋ではなく、最近はまだ珍しい銃を作る事の出来る技師という職業であった。銃は剣や槍のような武器と違い、その構造などの専門知識が無いと作る事が出来ない。まだまだ発展途上の分野である。
「最近は従来の剣などの武器だけでは、強大な力を持つ奇獣に対応しきれない。数こそ以前より減ったが、個体の能力が上昇しているという話もある。もっと破壊力のある強力な武器が必要なのだ…。」
 そんな話を工場内の談話室で聞かせてもらった。談話室は植物の茎が編みこまれた物が敷き詰められており、履物を脱いでじかに座るようになっていた。畳という物だそうだ。初めてそんな造りの部屋見たので、最初は戸惑ったが、すぐにその温かみが気に入った。部屋の中央に長い木製の机がある。その周りに座り込んで、言葉を交わした。
 ギルトはヴォイドの話を聞いて、まず同じく武器に携わる仕事をしている父を思い浮かべた。今も輸送の仕事をしているのだろう。その事をヴォイド氏に話すと、彼は大いに喜んだ。なんと、彼は父とも面識があったのだ。
「クレス・シオン殿にはよく仕事で会うよ。私にとっては信頼できる友人だ。取引で何度も助けてもらった事がある。そうか、君が彼のご子息だったか。」
 人と人とは不思議な関係でつながっている。何だか微笑ましく思えた。が、彼の次の一言でギルトは一気に気落ちする。
「しかし、どうしてキザミ君と旅を?君は父上の仕事は継がないのかね?」
 うっ、と口の中で小さくうめいた。確かに今の自分の歳ならば、父に師事して仕事を手伝い始めてもおかしくない。だが、自身が何者なのかすらはっきりしないうちに生き方を決めたくはない。単に逃げている状態でもある。けれども、このスペルの力が何なのか解るまでは。
「…まだ、分かりません。だから、僕は旅をしているんです。」
「ふむ。そうか、あえて理由は聞くまい。差し出がましい事を聞いてすまなかった。」
 こういう腰の低い言い方をされると、こっちがすまないような気分になる。早く見つけなくては。自分が興味の持てる事を。
「ところで、あっちのお嬢さんはどうして旅を?」
 ミクシーは談話室の外にある棚に並べられた武器を見て回っていた。出来立ての新品だそうだ。ヴォイドが語る武器知識は彼女には少々退屈だったのだろう。実際に戦う者である賞金稼ぎには、造る過程よりも使えるかどうかの方が重要なのだ。
「ああ、彼女は保護者が天寿を全うしてしまったので、私達に同行しているんですよ。少しばかり特殊な力を持ってましてね、ずっと都市の外で暮らしていたんです。」
 大変だっただろうな、とヴォイドは言ったが、ギルトはその表情に浮かんだ異質な翳りを見逃さなかった。一瞬、口元がぴくりと反応したのだ。一体、何を気にしているのだろう。
「お父様、完成した図面は渡しておきましたよ。」
 突然、談話室後ろのドアが開き、ひとりの少女が入ってきた。
「…!おお、エアか。すまないな。お前もここで一休みしなさい。」
 その時、ヴォイドは驚いたような表情をしたが、すぐに元の顔に戻って呼びかけた。
「はい。」
 娘さんは返事をして、父親の横に正座をした。こちらの姿を確認すると、
「エアです。よろしくお願いしますね。」
 と頭を下げた。
「あっ、ぎ、ギルトです。こちらこそよろしく。」
 ギルトも慌てて返礼をした。
(…彼女がヴォイド氏の娘さんか。)
 すっと鼻筋の通っており、整った顔立ちだが、美しさよりも可愛らしさの比率の方が高い少女で、フリルの付いた紫色のドレスを着ていた。ふわっとしたクリーム色の髪は腰まであり、ぱっちりとしたセピア色の瞳は穏やかだった。全体的にしとやかで可憐な印象を受ける。
「ややっ、綺麗になったねえ。もう十八だから当然か。」
 キザミはエアを幼い時から知っているようだ。家族ぐるみの付き合いだったのかも知れない。
「綺麗だなんて…。照れますよ。」
 エアは頬をうっすらと赤らめ、口元を手で押さえた。そのしぐさがあまりにも可愛らしかったので、思わず一時見とれてしまった。
「でもお久しぶりです、キザミさん。今回はどうしてこの都市に?」
 キザミはこの町に来た経緯をエアに説明した。間違って進んだ事が幸いした事を話すと、クスッと笑った。
「そうだったんですか。でも、間違えたと言えば私も同じです。さっきまでお父様を手伝って銃の図面を書いていたんですけど、失敗しちゃいました。」
 子供っぽくちょっと舌を出した。
「もう、職を手につけているんですね。うらやましいですよ…。」
 ギルトは感心すると共に、小さな焦燥感を覚えた。自分と同じくらい年の少女達が既に仕事を持っている。ミクシーもエアも、自分の道を自分で決めているのだ。
「そうですか?では、ギルトさんはどうして旅を?」
 ギルトは旅に出た理由を話した。自分が何をしたいのか分からない事、未来に希望が持てない事、生き方を選ぶのが怖い事を。ただ、スペルドライヴに関する事は伏せておいた。あまり余計な事を知られたくはない。
「…そうだったんですか。でも、悩むって大事な事だと思いますよ。私はお父様の仕事が好きだから背中を追いかけてみようと思ったんです。私はあまり迷わなかったんですけど、迷っているのなら、最後まで徹底的に迷ってから決めるのが一番いいと思います。本当にやりたい事が分かった時って、あんまり迷わずにすぐ決められちゃうものなんです。それが遅いか、早いかの違いじゃないですか?」
 中には見つからないままの人もいるかも知れませんけど、と余計な事を付け加えて言ってくれたが、少し気が楽になった。彼女は自分の価値観を語っただけかも知れないが、ギルトには自分を励ましてくれたように思えた。
「ヴォイドさんよ!武器を持っていくぞ!!」
 ありがとう、とお礼を言おうとした時、男達が工場に飛び込んできた。武器を眺めていたミクシーはびっくりして身構えていた。
 男達は次々と棚から武器や防具を持ち出して工場から飛び出していく。
「どうした!?何があったのだ!?」
 ヴォイド氏は最後の一人を呼び止めて尋ねた。
「奇獣が攻めてきた!!外で賞金稼ぎの連中が食い止めててくれてる!俺達もすぐに行かねば!!」
 そう言うと、男は急いで仲間を追った。
「何という事だ…。こんな時に…。」
 ヴォイド氏はうめいた。彼がこの都市に呼ばれたのは武器を補充するためだ。男達が武器を保管している資材置き場ではなく、ここにも来たという事は資材置き場の武器が不足していたのだろう。補充が完了していない時に攻撃が来てしまったのだ。
「我々も行くぞ!」
 キザミが立ち上がる。
「よっしゃ!おっちゃん、この剣借りるぜ!!」
 ミクシーも棚に残っていた剣を取る。
「僕達も行くんですか!?」
 ギルトが情けない声を上げると、
「アンタも来いよ!攻撃出来なくても、怪我人の面倒くらいは診れるだろ!!」
 走り寄り、ぐいと腕を引っ張られた。身体が浮き上がりそうになる。凄い力だ。女のものとは思えない。これが彼女がマティア婆さんから受け継いだ力なのか。
 抵抗も出来ずにそのまま手を引かれて、都市の入り口に向かう事になった。困惑した表情のヴォイドとエアをそこに置いて。

 幸いな事に攻めてきたのは白い、通常タイプの奇獣だった。しかし、数は二十を超える大部隊だ。
 追いついた時には既に都市の入り口近くで、賞金稼ぎと防衛隊が共同して撃破に当たっていた。防衛隊の中には、装備が一式整っていないまま戦っている者もいた。当然、そんな者達の方が早く被害を被る。奇怪な姿をしたモノ達の爪や牙が、人間を捕らえ次々と生命を奪っていく。
「アタシはキザミを追って斬り込む!アンタは後ろでキチンと援護しなよ!!」
 ここまで引っ張ってきたミクシーは手を離すと、従えている奇獣と融合し、飛び立っていった。
「なんて数なんだ…。」
 思わず息を呑んだ。しかし、黒いタイプではなくて本当に良かったと思った。あの力と感情は脅威だ。
「ぐわぁ!!」
 目の前に兵士が弾き飛ばされてきた。
「…ッ!大丈夫ですかッ!?」
 今までの奇獣に襲われた経験が功を奏したのか、妹の時のように茫然自失とならずに済んだ。すぐさま駆け寄り、身体を起こす。鎧が裂かれ、腹部に深い傷を負っている。
「…は、早く加勢しなくては…仲間が…。」
 無理に立ち上がろうとするが、ギルトは押さえつけた。
「待ってください!そんな傷では次の攻撃で確実に死にますよ!!今治しますから!!」
 リカバーサークルを発動させ、数秒で傷を復元させる。兵士は驚き、ギルトの顔を見つめた。
「君は一体…。まさか…実在していたのか…?」
「…傷はもう塞がりました。さあ、早く仲間を助けに行ってください。僕も援護しますから!」
 ギルトは質問に答えず、兵士を送り出すと、自分も立ち上がり後を追う。
「攻撃は出来ないけどッ…。」
 援護のスペルなら使えるものがある。数人の兵が一体の奇獣を取り囲んでいるところに駆け寄る。力が拮抗しているのか、双方とも間合いを保ったまま相手の出方を待っていた。
「ギャザリングスレッド!!」
 足を突っ張って止まると、奇獣に手をかざし、スペルを唱える。敵の動きがガクン、と固まった。
「動きを止めました!今です!!」
 兵士達は一瞬戸惑った表情を見せたが、すぐに奇獣に斬りかかっていった。四方八方から力任せに剣を振り下ろされ、やがて奇獣は全身を打ち砕かれ、果てた。
「助かったぞ!少年!」
 兵士のうちの一人が一言礼を言い、すぐにまだ戦っている者のところへ駆けていった。それに従い、他の兵士も続く。装備の飾りも他の者に比べて豪華だったし、どうやら隊長だったようだ。しかし、スペルドライヴの力に気を取られなかったところを見ると、肝が据わっているようだ。リーダーはやはり、少々の事に驚いていられないのだろう。
 兵士がギルトの声に従ってくれてよかった。ギャザリングスレッドは念力を生じさせて敵の動きを完全に止めるが、発動中はこちらも動けないからだ。つまり、仲間がいないと役に立たないスペルなのだ。今まで逃走に使わなかったのも、それが理由だ。黒い奇獣の時は単に恐怖していただけだが…。
「来たか!ギルト!」
 右方向からキザミが駆け寄ってきた。
「キザミさん!大丈夫ですか!?」
 こちらからも走り寄る。
「私とミクシーで半分は片付けた。守備隊も頑張ってくれている。協力して残りを潰す。まだ援護出来るか?」
「はい!まだ少しは余裕があります。」
 キザミと共に戦闘をしている集団に飛び込む。見れば、大分戦いの規模はかなり縮小していた。賞金稼ぎとしてもキザミが優秀だという事が改めて解った。
 生き残った全員で戦い、奇獣の群れは何とか全て撃破した。しかし、安心したのも束の間、都市の方から兵士が、戻ろうとしていた集団に向かって走ってくる。焦っているのが手に取るように解る表情をしていた。
「大変です!都市の反対側からまた何体か来ました!しかも、その中に一体、黒い奇獣が!!」
「何だと!?」
 その場にいた全員がどよめいた。
「予備の部隊だけでは止められません!!早く援護を!!」
「解った!皆、急ぐぞ!!」
 先程の隊長らしき人物が、号令をかける。
「私達も急ごう!ミクシー!」
「オッケー!!」
 キザミが声をかけると、ミクシーが飛来し、またも二人の腕をつかんで飛翔した。持って行った剣は使い物にならなくなったようで、既に持っていなかった。低空飛行で一気に都市の反対側へ出る。
 たどり着いた時にはもう予備隊は全滅し、切り裂かれた肉片が散乱していた。ここまでバラバラにされてしまってはリカバーサークルでは復元しきれないし、リコールタイムでは人数が多すぎて全員は蘇生出来ない。こみ上げてくる吐き気を抑えながら、都市の外壁を破壊し続けている黒い奇獣の前に立ちはだかった。
 通常の奇獣の方は壊された外壁から都市内に侵攻しているようだ。それらは守備隊に任せるしかない。
 今度の黒き奇獣は四足で蜘蛛のような格好をしていた。ずいぶんな大きさで、人間のゆうに三倍はある。四つの足の中央部分には奇獣の象徴である透明な瞳がひとつ付いていた。だが、やはり通常と異なり、目の中に濁った黒い光が踊っている。
『ツギハキサマラカ…。』
 小さく呟くと、まるで本物の蜘蛛のように俊敏な動きを見せた。四本の足でカサカサ、と壁を上り、跳躍した。このままでは踏み潰される。三人とも別々の方向に散った。ズシン、と砂煙を巻き上げて着地する。
「油断するな!ギルトは離れろ!!」
 ギルトはその言葉に従い、相手から離れた。
 キザミは敵の周りを走りながら、両の銃を連射する。銃弾は炸裂火薬のバーストブリット。次々と着弾して爆発するが、前戦ったモノと同じく、ほとんど効果は無い。
「やはりアシッドでなければ無理か!」
 リロードすべく、胸のガンベルトに手を伸ばす。
「早く弾を替えろ!」
 隙をカバーすべく、ミクシーが横合いから蹴りを入れた。が、甲高い金属音が響いただけで、外骨格を破る事は出来なかった。すぐさま、足がなぎ払われる。彼女も硬質化した腕で防御するが、威力を殺しきれず吹き飛ばされた。
「チッ!昨日のより硬い!!」
 空中で翼の羽ばたきを利用して止まり、呻く。
 その間にも、敵はキザミを足先で串刺しにしようと迫る。
「ミクシー!来てくれ!!」
 リロードは完了していたが、すぐに攻撃せずにミクシーを呼んだ。
 図体がでかすぎるのだ。恐らく、相手が完全に溶けるよりも早く、弾切れの方が訪れる。
「どうしたのさ!?」
 脇からミクシーがキザミをつかみ、空中に逃れる。
「全身を溶かすのは無理だ!足を一本ずつもいでいく!もろくなったところを君のパワーでへし折れ!!」
 キザミは上から、足の関節を狙い始めた。しかし、相手もとまってはいない。ジャンプであちこちにかわし、中々思い通りに命中しない。
「ギャザリングスレッド!!」
 役に立てるのはこのくらいしかない。脇から見ていたギルトは意を決して、スペルを唱えた。
「今です!あまり長くは持ちません!!早く!!」
 すぐさまキザミは数発、それぞれの足の間接に打ち込む。次第に相手の間接は細くなり始めた。
「よし来たぁ!!」
 ミクシーは地面すれすれまで急降下し、キザミを放すと、それぞれの足の間接に順番にチョップを打ち込んでいった。順番に一本ずつ足が折れて、残った身体が地面に落ちた。
「いよっし!」
 歓喜の声が上がったが、それはぬか喜びであった。
『オノレ…。』
 残った身体の下にはムカデのように小さな足が無数に生え、砕いた足が刃となり浮き上がった。ミクシーは慌てて身体から離れる。
「…弱ったな。さっきの方がマシだったか?」
 キザミが引きつった笑みを浮かべる。
 一方、ギルトには笑う余裕も無かった。先程のスペルで限界が近い。精神の疲れが肉体の疲れに変わりつつあるような気がした。使い続ければ、意識を失ってしまうだろう。これ以上は援護出来ない。
 こうなってしまったら、本体を粉みじんにするしかない。だが、同じ戦法はもう通用しない。弾が足りない上に、威力不足という最悪の条件が重なっている。
「どうする?奥の手があるんだけど、使う!?」
 相手が振り回す足を避けながら、ミクシーは尋ねた。
「奥の手?どんなのだい?」
 キザミはバーストブリットに装填しなおし、援護する。宙を舞う刃となった足が盾となり、本体への到達は阻止された。
「かなりヤバイのと、めちゃヤバイのがあるんだけど!?」
「どっちもヤバイんだったら…。」
 キザミが言いかけた時、彼を呼ぶ声が聞こえた。
「キザミさん!これを!!」
 そこにいたのはエアだった。彼女はギルトのすぐ後ろにまで来ていた。手には銃を持っているようだが、やけに砲身が長い。新型なのだろうか。
 キザミがすぐさまエアのところへ駆け寄る。
「私とお父様で開発していたショットガンです。新しい弾も込めてあるからすぐに使えます。あと、これが予備です。」
「ありがとう!下がっててくれ!!」
 ショットガンを受け取ると、再び戦闘に戻る。腕を伸ばし、狙いを定めるとトリガーを引いた。最初は砲身の先端からやや大きい銃弾が一発、放たれたように見えた。
 しかし、着弾したのは十数箇所にものぼった。弾が拡散したのだ。半数は的をそれたが、残りは敵のボディに命中した。轟音が轟き、爆煙が立ち上る。凄まじい威力だ。拡散した弾一発一発がバーストブリット数発分の威力を持っている。武装列車の大砲に匹敵する破壊力かも知れない。
 見れば、敵の身体はひしゃげ、全身にヒビが入っている。流石にあれを喰らって平気ではいられまい。だが、まだ動く。ガクガク震えながらも、刃を操り飛ばしてきた。
 キザミは二丁の銃にエアに渡された新しい弾を補充すると、飛来する刃に向けて放った。爆発が刃を砕く。しかし、四つの刃のうち、ひとつがキザミへの機動を逸れて通過した。
(…!)
 こちらに向かって来る。ギルトは焦った。かろうじて、一人分のマッハエスケープを使うだけの力は残っている。しかし、自分が避けたら後ろにいるエアに当たってしまう。
「…おおおおっ!!プロテクトシールドーッ!!!」
 これで止めるしかない。受け止めたところをキザミに撃墜してもらう以外に無い。
 刃が光の障壁に食い込んだ。壁を切り裂きながら、じりじりと突き抜けてくる。
「ギルトさん!?」
 ギルトのスペルにエアが驚く。
「今のうちに早く!!」
 そう言った時だった。突然、エアの背中に白い、天使のような翼が出現した。羽が舞い、まぶしい程の輝きが放たれ始めた。
「あ…。」
 エアはきょとんとして、自分の背中に広がる翼を見つめていたが、光は更に輝きを増して降り注いだ。輝きと共にひらひら舞い落ちる羽は、地面に着くと溶けるように消えてしまっていた。
 不思議な事にこの光に当たっていると、心地良い。戦闘中だというのに、とても落ち着いた気分になれる。気付いた時には今まであったはずの疲労感がすっかり取れていた。
「これは…いける!!」
 半分以上切断されかけていた障壁が一挙に厚みを増し、刃を押し留めた。
「ギルト!」
 キザミが駆け寄ってきて、静止している刃を撃墜する。
「とっとと砕けろぉーッ!!」
 ミクシーも上空から一気に急降下し、本体の方に両手を組んでハンマーパンチを叩きつけていた。ショットガンのダメージが大きかったようで、ついに黒き奇獣は粉々に打ち砕かれた。
「今度こそやった…。」
 額に滲んだ汗を拭い、戦いの終わりを確認する。後ろではエアの翼は縮んでいき、やがて元通り消えて無くなった。
「また…この力が?」
 エアは天を仰ぎ、呟いた。また、と言ったという事は発動経験は既にあるという事だ。だが、彼女の力はスペルドライヴではない。ハーモニクスでもない。またしても未知の力が眼前に現れたのだ。
 蛇足だが、当然キザミは喜んだ。

 都市に戻ると、こちらの方が早く片付いたようだ。生き残った兵士達が破壊された都市の補修や、奇獣の死骸を片付けていた。
「…エア!!エアッ!!」
 崩れた瓦礫を避けながら、ヴォイドが走ってきた。飛びつくような勢いでエアを抱きしめた。
「良かった…。無事で本当に良かった…。」
「お父様…ごめんなさい。」
 どうやら、父を振り切ってこちらに銃を渡しに来てくれたようだ。しかし、エアが銃を渡しに来てくれなければ、危険な状態だった。
「ヴォイドさん、新型の銃、助かりましたよ。それにエアちゃんにあんな力があったとは…。」
「エアがどうかしたのか…!?」
 キザミが言い終わらないうちに言葉に割って入る。その顔は酷く青ざめている。そうか、彼の表情に浮かんだ腑に落ちなかった感じの正体が解った。
「ヴォイドさん、エアさんが特別な力を持っている事を知っていたんですね…。」
 ギルトの言葉にヴォイドは黙ったまま、うつむき震え出した。
「おっちゃん、自分の娘だろ?何震えてんのさ?」
 ミクシーも会話に入ってきたが、これがいけなかった。まだ彼女は奇獣と融合したままの状態だったのだ。それに気付いたヴォイドは、恐怖をあらわにし、露骨にミクシーから遠ざかった。
「…ぬあぁに引いてんだてんめえぇっ!!」
 ブチキレたミクシーは胸倉をつかんで、空中に飛び上がってしまった。自分の力を疎まれた経験があるミクシーには、彼の態度はとさかにきたに違いない。捕まれたヴォイド氏は叫ぶ余裕すらないようで、真っ青になったまま歯を食いしばり、強風にあおられる旗のようになっている。
「あああ…お父様ぁ…。」
 エアがオロオロと宙を行ったり来たりしている悪魔を見つめる。その慌てる様がまた可愛い。って、僕は何を見てるんだ。
「さて、どうやって助ける?気が済むまであのままにしておくかい?」
 キザミは肩をすくめ、冗談混じりに言った。しかし、あのままにしておいたらヴォイドがどうなるか分からない。彼は普通の人間だ。奇獣と融合したミクシーの力で振り回されたら、非常にまずい。しかも、彼女はあまり加減を知らないようだ。
 どうするべきか。地上からはスペルも届かない。
「あ…。」
 困ったな、と傍観していると、心に響く新たなスペルを感じた。どんなスペルなのかは発動するまで分からない。何か、彼女を止められる見込みはあるだろうか。
「フライハイ!」
 発動した瞬間、身体が浮き上がった。このスペルは飛行能力を得られるようだ。
 スペルは必要に応じた力が引き出されているのだろうか。
「おおっ!そんなスペルもあったのか!」
 キザミはまた感動している。いちいち付き合ってられるか。今は彼女を止めなくては。キザミを一瞥すると、びゅんびゅん飛び回っている高さまで、上昇する。
「やめるんだ!そのくらいにして降りてきてくれ!!」
 ギルトは叫んだ。しかし…。
「ああン!?邪魔すんなっ!!」
 今度はこちらに突進してきた。ダメだ。激しい怒りに完全に目くらになっている。捕まれたヴォイド氏はもはや紙切れのような状態になっていた。
(!?まずい!!)
 なんと、左手で彼をつかんだまま、空いている右手を引いて、殴りかかる構えをとっているではないか!
「プロテクトシールド!」
「…むっがぁあっ!!!」
 二人は同時に咆哮し、衝突した。
 ―――ガッシャアアン!!
 一撃の下にシールドが打ち破られ、貫通した衝撃がギルトの身体を吹き飛ばした。
「うわあああっ!?」
 何とか踏ん張って止まったが、都市の端の方にまで吹き飛ばされてしまった。あの威力の攻撃が奇獣相手に振るわれているのだ。
(うう、おっかねえ…。)
 冷や汗が額に滲み出す。だが、早く止めなくてはヴォイド氏は冷や汗程度では済んでいないはずだ。涙目になりながらも急いで戻る。ミクシーは自分を軸に高速回転を始めている。
「ギャザリングスレッド!!」
 同じ空中なら力が届く。念力が彼女を捕らえ、動きを止めた。
「放せギルト!!!」
 既にぐったりしているヴォイドを手にミクシーが暴れた。気を抜いたら、このスペルも破られてしまいそうだ。
「落ち着くんだミクシー!!マティアさんがそんな事を望むと思っているのか!?その人も人の親なんだぞ!!」
 とっさではあったが、ここでマティアの名を出したのは正解だった。ミクシーはうっ、とうめいて大人しくなった。
「…悪かった。降りるから放してくれ。」
 唇を噛み締め、必死に怒りを抑えようとしているようだった。ギルトにはハーモニクスのせいで、彼女がどれほど苦い思いをしてきたかは分からない。しかし、それを理由に暴力を容認するわけにはいかないのだ。彼女には徐々に自制心を覚えてもらわねばな、と思った。
 地上に降りた後、気絶したヴォイドを工場まで運んだ。しばらくして目を覚ました彼からエアの話を聞く事にした。

 エアが初めて能力に覚醒したのは八歳の頃だったらしい。
 その時、ヴォイドは完成した銃のチェックをしていたそうだ。だが、突然二人組みの暴漢が押し入ってきて、銃を盗もうとした。必死で止めようとしたが、二人がかりで羽交い絞めにされ、あっさり銃を奪われてしまう。更に、邪魔をしたヴォイドを始末しようと、連中が奪い取ったばかりの銃を向けた時、そこにエアが入ってきた。そして、彼女から突然白い翼が広がり、閃光が放たれた。
 その光が治まった後、その二人組みは廃人化してしまっていたという。
 それからというもの、エアの背中には時々白い翼が出現するようになったらしい。それは何の前触れも無く現れ、何の前触れも無く消える。得体の知れない力を振りまいて…。

 やはり、エアの力は今回の発動が初めてではなかった。ヴォイド氏はいつどこで何を起こすか解らない、あの白き翼の力を恐れていたのだ。
「…そういう事だったんですか。早く教えてくれりゃいいのに。」
 キザミは半ばあきれていた。
「君は恐ろしくないのか…?人類にとって全く未知の力だぞ…。」
 ヴォイドの方はすっかりしょげている。だが、キザミの前にはそんな理屈は通用しない。
「何を言っているんですか。私にとっては未知こそが最高の刺激です。それにね、自分に理解出来ないものを排除しようとするのは人間の悪いクセですよ。」
 理屈ではないのだ。純粋に見たもの、触れたものの感動を受け取る。子供のような好奇心を持ってものを見る事の出来るキザミにとって、理解不能な現象ほど面白いものはないのだろう。
「私は心配なのだよ…。エアがどうにかなってしまうのではないかと…。」
 ヴォイドは頭を抱えた。頭では解っていても、人の感情はすんなり受け入れようとさせてくれない時がある。自分にも経験があるギルトは、彼の姿がかわいそうに思えた。
「別にどうにかなったっていいでしょう。力があろうがなかろうが、それはあなたの娘です。少なくとも、今回の発動では私達は救われたんですし。」
 確かに、今回はギルトのスペルドライヴによって消耗した力を回復した。その力の本質は解らないが、助けられたのは事実だ。
「それにね、人外の力を持っている事を恐れているのは周囲の人間だけじゃありませんよ。力を持つ本人が怯えている事だってあるんですから。だから、彼は旅をしているんですよ。自分が何者かを知るために。」
 キザミはギルトの方を向いて言った。
「…そうか。ギルト君…君はもしや…。」
「そうです…。僕はスペルドライバーです。この力の正体が解らないから、僕も不安で仕方ないんですよ。」
 あまり他人に明かしたくはなかった。しかし、こういう場合は知っておいてもらった方が良い。自分のような人間が他にもいるという事を。そして、悩んでいるという事を。
「…そうだったか。私ももっと成長せねばいかんな…。」
 ヴォイドはそう言ってため息をついた。
「あのさあ、もうそのくらいにしとこうぜ。戦い終わって腹減ったよ。」
 ずっと黙っていたミクシーが少し語気を強めて言った。彼女も、あまりこの手の話を議論するのは好きではないのだろう。
 こうして、この話題は終わりとなり、昼食へと流れていった。

 その夜。一向はその工場に泊めてもらった。宿泊費も浮いたのでありがたかった。一人一つの部屋が割り当てられたので、なお良かった。
 やっと、落ち着ける。部屋のベッドに転がる。旅は疲れる。何かにつけて疲れる。早く寝よう。目を閉じようとした時、部屋のドアをノックする音が聞こえた。以前の宿屋の時に似ている。なので、キザミかと思ったが違った。
「ギルトさん、まだ起きてますか?」
(…エアさん!?)
 慌てて飛び起き、動揺する。自分が彼女に何かしただろうか。
「お、起きてますけど何か…?」
 恐る恐る尋ねると、
「ちょっとお話したい事があります。いいですか…?」
 返事が返ってくる。しかし、キザミの時とは何もかもが違う。
「わ、分かりました。今開けます!」
 わななきわななき、鍵を開ける。エアがうっすらと微笑みを浮かべて立っていた。
「昼間は助けてもらってありがとうございました。」
 エアがそう言って頭を下げた。えっ?とギルトは間の抜けた声を上げてしまった。
(助ける…?)
 少し考えてしまった。が、思い出した。あの黒い奇獣の攻撃を受け止めた時の事か。あの時は必死だった。防御か回避かを選ばされ、とっさにシールドを張った事しか覚えていない。ただひとつはっきりしているのは、昔の自分だったら、間違いなく彼女を見捨てて回避を選んだだろう。ガートボルグで経験した、あの凄惨な光景を味わいたくなかったから、身体が反応出来たのかも知れない。
「い、いえ、別にいいんですよ。」
 何とかそれだけ言ったが、エアはなおも続けた。
「私、ギルトさんがスペルを使うのを見て、初めてどうして旅をしているのかが解りました。それなのに私ったら、何も考えないで勝手な事言って…。」
 そういう事か。エアは自分の言った言葉の事で謝りに来たのだ。この謙虚さも父親譲りなのだろうか、と少し感心した。だが、彼女がここに来たのはそれだけではなかった。次の言葉にギルトは驚愕狼狽する事になるのである。
「だから、私もギルトさん達の旅について行く事にしました。」
「ええっ!?でも…!?」
「あ、他の方には話しを通しておきました。勿論、お父様にも。」
 慌てふためいたが、エアは聞こうとした事を先取りした。
「ギルトさんを見てたら、私もこの力が何なのか知りたくなりました。それに、私がいればキザミさんの銃もメンテナンス出来ますし。だから、よろしくお願いしますね。」
 にこにこしながらこちらを見ている。目が合ってしまった。何だか、恥ずかしくなって慌てて視線を外す。どうも女の子が相手だと、普通の会話でも緊張してしまっていけない。
「えっ!?あっ!は、はい!こちらこそ、よろしく…。」
 真っ赤になって混乱しつつも、何とか応じた。
「私が言いに来たのはそれだけです。それでは、おやすみなさい。」
 再びぺこり、と頭を下げる。
「あ…おやすみなさい…。」
 答えると、彼女はてくてく行ってしまった。しばし呆然としてから、ドアを閉める。とりあえず、ベッドに横たわってみる。しかし、すぐに眠れるわけがない。
 メンバーが四人になった。果たしてどんな旅になるのだろうか。
BACK     目次     NEXT
SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送