Seven 「久遠なる場所へ」 ―――そして、僕達は見つけた。最後の道標を…。 「来るぞ!散れッ!!」 キザミが銃を天にうごめく鳥達に向けて連射する。数十羽が爆裂弾に巻き込まれて四散する。しかし、残りの大群が巻き起こった煙を突き抜けて急降下してくる。 「この状態じゃ不利だ!早く上に上がるぞ!!」 ミクシーは突撃してくるカラスの合間をぬって、上昇した。全員が崖の上に到着した時、低い声が響いた。 「…来たか。虚しく生にすがり付く者共め…。」 目をやると、人間が一人立っている。緑色の髪に、紫色の目。身体を黒い甲冑で包み、自分の身長よりも若干長い槍を手にしている。 (あの槍は…!) メルダを絶命させた槍と同じ物だ。 「皆!アイツの槍は僕が列車で話したのと同じ物だ!!」 「なるほど!コイツが黒幕ってわけか?」 ギルトが叫ぶと、ミクシーが身構えた。 コイツが裏で全てを操っていたとすれば、ここで倒す事が出来れば全てが終わる。全身に緊張が広がっていく。 「…!まさか、お前はカイナ…!?カイナ・アラガミか!?」 突然、キザミが叫んだ。珍しく、取り乱しているように見える。 「いかにも。僕はカイナだ。」 相手の方は顔色ひとつ変えずに返答する。最初会った時のメルダと同じだ。 「知ってるんですか、キザミさん!?」 この男は何者なのか。 「ああ、昔に同じ賞金稼ぎとして組んだ事があった。だが…!それが今は変異奇獣を操る者達に属しているとはな!!」 両の銃をカイナへと向ける。キザミは明らかに憤怒していた。面識がある程度の仲なのか、信頼していた仲間だったのか、それは今詮索している暇は無い。しかし、この憤怒は裏切られたという失望から来るモノだろう。 「ふっ、今となっては名前などどうでもいいでしょう。僕も、貴様らも皆消えてなくなるのだからね。」 カイナは槍を地面に突き刺すと、音高く口笛をひと吹きした。すると、何千羽ものカラス型変異奇獣が彼の周囲に集まってきた。 そして、ドス黒い色の閃光が放たれた。光が消えると、数百羽のカラスと一体化したカイナの姿が浮かび上がってきた。全身を硬化したカラスが張り付いた鎧で固めている。その背中には、漆黒色の翼が広がった。 (コイツ…ハーモニクサーか!!) スペルドライバーの次はハーモニクサーの敵か。しかし、一度にあれだけの数と融合するとは…。融合能力に関してはレイジ以上かも知れない。厄介な相手になりそうだ。 「ハーモニクサーなら、アタシが相手になる!!」 レイジに貰った二本の刃を握り締め、悪魔姿のミクシーが飛び出した。 「はあっ!」 刃を敵の身体に向けて突き立てる。しかし、カイナは避けない。ガチン、という金属音がしただけで、刃が通らない。 考えてみれば当然だ。ミクシーの武器はせいぜい奇獣二体分だろう。だが、彼は数百もの数と融合している。鎧の密度が違うのだ。 「無駄だよ。」 横に振るった槍はミクシーの剣を打ち払った。更に、その槍の軌道は逆に動き始め、防御が崩れた彼女に向けてなぎ払われようとしていた。 「させるか!!」 キザミはためらう事なく銃のトリガーを引いた。だが、弾はカイナに届かなかった。融合しなかったカラスが数羽、間に割って入ったのだ。無論、そのカラスは粉々になったが、敵の戦力をダウンさせたと言うにはあまりにも少なかった。 「くうッ…!」 キザミが妨害したお陰で攻撃のタイミングが遅れ、ミクシーは間一髪飛び退いた。 これはまずい。ミクシーの攻撃力では敵の防御を突破出来ない。キザミの銃も、敵の数の前には弾切れが容易に想像出来る。自分も攻撃に加わらなくては。 ギルトも走って敵の後ろに回った。丁度、三人でカイナを取り囲む形になった。 「バーニン…!」 だが、いざスペルを発動しようとした時、カイナがこちらに不気味な笑顔を見せた。 「いいのかね?そんな事をしていて…。」 思わず硬直すると、上で叫びが聞こえた。 (しまった!エアさんっ!!) いつの間にか、鳥型奇獣の背に乗ったままだったエアをカラスの大群が取り囲んでいた。完全に眼前の敵だけに気を取られていた。 「…クソォォ!!」 詠唱を飛翔スペルに切り替え、空中のエアを救出に向かう。全速力でエアに向かって飛び込み、キャッチと同時にマッハエスケープで二人同時に地上に移動した。直後、彼女が乗っていた鳥型奇獣は大量のカラスに覆い尽くされ、身体を食い荒らされてゆく。最後には自爆し、カラスをまきこんで消えていった。危なかった。 「エアさん、出来るだけ離れてて!」 彼女はうなずくと、その場を離れていった。 さあ、早く二人に加勢しなければ。 エアを助けている間にも、ミクシーとキザミは劣勢に陥っていた。ミクシーは二つの剣を折られ、身体のあちこちに切創を負っていた。キザミも地面を転がるようにしながらカラスの追撃をかわし、弾をリロードしている。 「二人共!一度、僕の後ろに!!」 ギルトの声に瞬時に応じ、転がり込んできた。 「早く体勢を立て直してください!プロテクトシールドッ!!」 障壁を展開し、消耗した二人をかばう。 「味方をかばうか…面白い!いつまで持つかな!?」 カイナは先程と同じ笑みを浮かべると、再び口笛を吹いた。すると、大量のカラスが彼の周囲に集まった、かと思うとこちらに向けて一斉に突進してきた。 ―――まさか! そのまさかである。ギルトの張ったシールドに向けてぶつかると次々と自爆したのだ。個体のサイズが小さいので、規模はミクシーが使っているほどでは無かったが、使用回数は無制限のようなものだ。 「ぐうううううぅッ!!」 内側からシールドを強化し続けたが、このままではいずれ破られる。味方が使う分にはいいが、敵にやられると非常に苦しい。 「…やるしかないか。」 ミクシーが呟いた。 「完全融合か?」 キザミがリロードを続けながら尋ねた。 見たところ、敵は大量の変異奇獣と融合しているが、完全融合ではない。完全融合の全力攻撃なら、敵の装甲を破れるかも知れない。 「ああ、だが一体分じゃ多分勝ち目が無い。手持ちの二体と同時にやる!!」 「大丈夫なのか?」 弾丸の補充を終えたキザミが、背中のショットガンに手をかけて言った。 「…今までで一番ヤバいかも知れない。下手したら敵味方の区別付かなくなるかも…。他にいい方法があるか!?」 ミクシーの声は少し震えていた。複数の奇獣との完全融合は初めてなのだろう。どれだけの危険が伴うのか、皆目見当がつかない。 「んぐううううッ!!何でもいいから早くしてくれぇッ!!」 しかし、そんな話の間にもギルトの力はどんどん消耗していく。 「考えてる時間はあんまりなさそうだ。やってくれ!!後の事は私達に任せろ!!」 キザミが力強く言った。 「…分かった!頼んだよ!!」 覚悟を決めたようだ。そばにもう一体の、鎧型の奇獣を呼び寄せた。 「話は決まったなッ!!…プラスッ!」 ギルトは左手をかざしたまま、右の拳を握り締めた。防御を攻撃に転化する。敵に対して発射し、時間を稼ぐのだ。 「…ガァーディアンプレスッ!散れッ!!」 拳でシールドを殴り飛ばした。エネルギーの塊となった盾がカラスを飲み込み飛んでいく。盾は数十羽の敵を飲み込んだが、カイナに到達する事なく消滅した。盾を突き抜けて飛んで来た敵はキザミがショットガンとハンドガンを同時に撃ち、ある程度を迎撃して全体の行動を遅らせる。 そして、三人はバラバラの方向に散り、再びカイナを取り囲む形になった。 「今度は何をするつもりだね?さっき、無駄だと言ったろ。おとなしく死んだ方が利口だと思うがね。」 カラスの突撃を静止すると、カイナはせせら笑った。 「死ぬのが利口なら、アタシは馬鹿でいいッ!!」 ミクシーの咆哮と同時に、鎧型の奇獣のシルエットが重なった。眩しい閃光が放たれ、次第に見た事が無い異形の姿が浮かび上がってきた。背中に広がった翼は悪魔型のものだ。全身を包む装甲は鎧型のものだ。だが、両腕は異常だった。二体の奇獣が重なり混じったその部位は丸太のように肥大化し、巨大な五本の指に鋭いカギ爪が生えていた。 「…二体同時に完全融合か。なるほど。それしかないだろう。待っていたぞ…!!」 カイナは手に持っていた槍をミクシーに向け投げつけた。胸部の厚い装甲に槍は跳ね返った。が、その槍は空中で黒い渦に姿を変え、弾かれた部位に吸い込まれていった。 「ヴヴヴ…ヴァァァァァァァァーッ!!」 野獣のような呻きが上がる。前に完全融合した時と同様、自身の闘争心と奇獣の破壊衝動が爆発したのだろうか。いや、これは以前のような闘争心による叫びだけではない。苦悶の声が混じっている気がした。 (…違う。何かが違うぞ…!アイツ、一体何をした!?) 漠然とした焦燥感が一気に心へと広がっていく。 「グルルルルルルルル…!!」 ミクシーが唸り声を上げ出した。 その時、次第に彼女の身体が黒く染まり出している事に気付いた。上半身から下半身へと徐々に黒色に変色し始めている。 ギルトは普段彼女が融合している時、身体の一部に黒い色をしたパーツがある事を思い出した。通常は白いが融合時のみ、悪魔型は翼が、鎧型は胸部が黒く染まっていた。 それが今、全身に広がっている。まるでこの姿は…! 「グォォォォォォォォォォーン!!!!」 鼓膜が破れるかと思うほどの絶叫が響いた。と思うと、周囲に滞空している融合しなかったカラスが一斉に自爆した。 「くくっ…!支配を奪われたか…!!まあ…いい…。」 カイナが頭を押さえてよろめいた。笑っている? 腕が彼の身体から離れていた。ミクシーの攻撃だった。一瞬のうちに五本の爪が彼の腕を輪切りにしていたのだ。早すぎて見えなかった。 「あぉっ…!!」 叫びにならない声を上げるカイナ。だが、その表情はやはり笑っている。まさか、始めからこのつもりで…!? ミクシーは容赦しなかった。いや、出来なかったのだろう。空いていたもう片方の腕を引きちぎり、蹴りを腹に撃ち込んでそのまま踏み倒す。更にちぎった腕をうち捨てると、浮き上がった両足をつかむ。自分の足は乗せたまま、力任せに引っ張りむしり取る。 もう、勝負は着いている。刹那で形勢が逆転していた。カイナは白目をむいて血の泡を吐いている。放っておいても間違いなく死ぬだろう。 だが、それでも彼女は止まらない。残った身体にがむしゃらに両の拳を叩きつける。彼のボディを覆っていた強固な鎧も、幼児が粘土遊びをするように潰されていく。ミクシーの体躯は赤ひとつに埋め尽くされ、凄絶な光景が眼前で生まれていた。 何だ、これは。 ギルトは完全に感覚が麻痺していた。呆然自失、である。 流石のキザミもすぐに動く事は出来なかった。目の前の事象をただただ凝視するのみだ。 ついに、最後に残ったカイナの頭がつまみ上げられた。これから起こる事は予想が付く。そして、その回避も恐らく叶わない。 恐怖が全身に広がり始めた時、白目をむいていたカイナが突然言葉を口走った。 「これで…いい…。ぼ、僕に勝利した…ところで…彼女も、あの方も止まらない…。君達が向かう未来に…未来は無いぞ…!」 その言葉を遺言にカイナは弾け散った。もはや人の姿はそこには無く、砕けた肉片と金属片が真っ赤な水溜りに浮かんでいるのみである。 敵を完膚なきまでに駆逐したミクシーがこちらを向いた。 目から涙が溢れ出している。しかし、その目は泣いていない。凍りつき固まっている。 「…ぶ、ブンリ…出来ナイ…!オネガイ…アタシを殺シ…テ…!」 とても、とても小さな声で彼女が言った。 「…で、デナイト…ぉ、二人モ殺シチャウ…よぉ…!!」 全身を激しく震わせながら、ミクシーがこちらに歩いて来る。 彼女が来る。来る。来る。 どうする、とは考えられなかった。ただ前の現実をそのまま反芻していた。 「しっかりしろ!頼まれただろ!彼女を止めなくては!!」 バシン、と頬に鋭い痛みが走って我に返った。キザミが喝を入れてくれたのだ。 「…は、はい!」 頭をプルプルと振り、自己を確認する。 「…は…やく、アタシが抑えてるウチニ…!!」 彼女は奇獣の破壊衝動に必死に抵抗しているようだ。ガクガクと不自然な歩き方で近寄ってくる。 どうする。彼女を助けなければ。だが、殺すわけにはいかない。救う事と殺す事が同義であってはいけない。しかし、先の戦い方を見ていると手を抜いて止められる状態ではない。 キザミも苦々しい表情でショットガンの弾をリロードし始めた。 「やめてぇーっ!!!!」 そんな時、間に飛び込んできたのはエアであった。そして、その背中にはあの輝く翼が広がっていた。 眩しい閃光が放たれ、視界が光に満ちた。 それは恐らくは暴走であった。 本来は、一人につき一体の奇獣を支配するのが順当なのだろう。能力が拡大していると言っても、複数の個体を操作出来るのは意識をそれら全てに裂いているためで、行動を変えさせるには逐次命令も変えなければならない。自らの意識を残したまま完全に同調し、同化出来るのは一体だけ。 だが、今回ミクシーは二体と同時にそれを行った。自分の許容量を上回る命令が彼女の意志を上回ってしまった。 そう考える事は出来る。だが、気になる点がある。分離出来なかった事だ。ここまでミクシーは完全に奇獣を支配していた。たとえ、奇獣の二体分の本能が彼女の意志を上回り、肉体のコントロールを奪われたとしても、彼女が自ら分離しようとすれば離れられるはず。つまり、奇獣側が彼女の分離を妨害していた事になる。精神すら取り込もうとしていたのだ。 エアの光の翼が現れなければ非常に危険な状態だった。 翼から放たれた光はかなり長時間、視界を奪っていた。 エアが話す一部始終は次の通りだ。 キザミがショットガンの弾をリロードし始めた時、エアは自分の身体を投げ出していた。 ギルトには離れていろと言われたが、カラスが全て自爆した時に様子を伺おうとそっと戻ってきていたのだ。 翼が発生したのはまさにその時だった。発生して欲しいと思ってはいたが、いつもと同様に全く実感の伴わない発動だった。初めて幼少時に発動した時も、ギルトを説得した時も、未だに意識して使う事の出来ない力だったのである。 しかし、力が発動した時、ミクシーの中に渦巻く深い闇が見えた。彼女の内面を映像として見ているような感覚だと言えば分かりやすいだろう。 暗闇の中でうずくまって泣きじゃくる小さな女の子が見えた。その横には何者かの足が四本、どうやら二人の人間がいるようだ。 ―――お前は要らない。 ―――どうして生まれてきたの。 幼い彼女の頭上から、非情な言葉が次々と叩きつけられる。やがて、四つの足がそこから去り、彼女だけが残った。 「だったら…だったら…どうしてアタシを生んだんだあぁーッ!!!!」 大粒の涙を流し、地面に向かって恨み言を吐き出す少女の姿は哀れだった。 「あなたは…これほどの悲しみをたった一人で…!」 エアの目からも涙がこぼれた。しかし、すぐに涙を拭って少女に叫んだ。 「あなたは生きていていいのよ!あなたを必要としてくれる人が必ずいるから!!」 自分の目もかすむほどの光が放たれ、少女を包み込んでいく。 急に場面が変わった。 周囲の情景は同じだが、少女はぐったりと倒れていた。痩せこけた頬。うつろな目。生きる気力が失われようとしている。 そこに一人の人間が現れた。どうやら、初老の女性である。 ―――良かった。まだ生きてるね。どれ、私が面倒を見てあげよう。 少女を抱き上げると、その場を去っていった。 突然、光が消えた。エアの翼が消えたのだ。 エアの見ていた映像は消え、分離出来たミクシーが地面に倒れていた。だが、分離した二体の奇獣は変異奇獣と化し、彼女に襲い掛かる。 あっ、声を上げたが、二体の奇獣は横から飛んできた無数の弾丸と電光によって破壊された。ギルトとキザミがすぐに行動を起こしてくれていた。 三人でミクシーに駆け寄り、気絶したままの彼女を介抱し始めた。 「捨てられたとは聞いていたが…。」 キザミが帽子を直しつつ、未だに意識が戻らないミクシーを見た。案の定、服は弾け飛んでしまったので、持っていた毛布に包んで寝せている。 はっきりと自我が形成されていない時ならまだ良かった。親の顔も知らずに捨てられていれば、残るのは捨てられたという事実のみ。だが、彼女は実の両親に自分の存在を否定された事を認識してしまった。それが心の奥底に絶望として根付いてしまったのだ。 憶測に過ぎないが、彼女が奇獣と融合した際に黒く変色していた部位は『彼女自身が自分の生を否定していた心理』だったのだろう。無意識に持っていた生への苦痛が、影響を与えていたのかも知れない。 それをあの黒い槍が増幅させたのだろう。メルダの時は槍の形のまま、彼女の生命を奪ったが、今回は本来の闇そのものへと姿を変えた。それがミクシーの封印していた苦い思い出を掘り返し、抉り出し、精神を破壊しようとしたのだ。 そういえば、レイジの場合は黒く変色した部位が見当たらなかった。人間なのだから、全く無いという事はないだろうが、気付かないほど小さいか薄い色だったのだろう。きっと、彼は人生を謳歌しているのだ。 これらの事から導き出される事実は、変異奇獣が生み出される原因が人間にある、という事だ。という事は、人間が存在する限り、変異奇獣は増え続けるという事になる。恵まれた者はいい。だが、不幸な境遇に生まれついた者を全て救う事など不可能だ。世界は不平等に出来ている。 それにカイナも尖兵に過ぎず、『あの方』とやらも未だ健在のようだ。 「これから、どうします?」 「とにかく、ウムラウドに向かうしかあるまい。敵を探すには手がかりが足りないし、追撃をかわすにも体勢を立て直さねば。」 ギルトの問いにキザミが答える。 「ミクシーさん、大丈夫でしょうか…。」 エアは目を閉じたままのミクシーの頬をなでながら心配そうな表情をしている。 「今回は心身共に大きなダメージを受けたからな…悪い夢でも見てなければいいが。」 そう言ったキザミの言葉にも力が無い。 「キザミさんは大丈夫なんですか?あのカイナという男は…。」 そう、カイナはかつて彼の仲間であった。 「…私の戦友カイナはとっくの昔に死んでいたんだよ。私達が倒したのは、彼の顔で我々を惑わせた邪悪な亡霊だったのさ。」 キザミは寂しそうに笑い、エアのそばにかがむとミクシーを背負い立ち上がった。 「とにかく、留まり続けるのは危険だ。日が暮れる前に次の駅までは進んでしまわないと…。」 悲しみをまたひとつ抱えた。それでも、今は歩みを進めるしかない。今は、まだ…。 しかし、エアの能力は一体何なのだろう。失望していたギルトの心に割り込んだり、ミクシーの抱えた心の闇を観て、その上跳ね除ける事が出来た。 キザミは『ウィルチェンジ』と名付けた。意志を変える力。案外、的を射ているのかも知れない。 夕方、日が暮れかけた頃。ようやく次の駅にたどり着いた。 運賃を払い、列車に乗り込む。 地理上の関係と時間上の関係が相まって、客は全く乗っていなかった。なので、椅子は腐るほど空いている。未だに昏睡しているミクシーを三人分の椅子を使って寝せた。ギルト達も彼女に向き合うようにして反対側に座った。 まだ、列車が発車するには少し時間があった。一本前に列車に乗った時のようにおしゃべりをするのも良かったが、どうもそんな雰囲気ではない。流石のキザミも今回は心身共に傷付いたようでうなだれていた。エアも手を膝に置いたまま、何か考え込んでいるようだ。 とてもじゃないが、こちらから話せる雰囲気ではない。ギルトも黙って目を閉じ、今までの事を冷静に分析しようと試みた。 本来、ギルトにとってこの旅は自分の能力のルーツを探るためのものだ。ウムラウドにその手がかりがあるかもしれない、という情報が行動の源になっている。 (やっぱり変だ…。) 考えてみるとやはりつじつまが合わない。ウムラウドに向かう事と敵に襲われる事の関係性が全く分からないのだ。 (僕たちがウムラウドにたどり着いては困る理由があるのか…?) だとすれば、敵は僕たちが力のルーツを知る事を恐れている事になる。なぜだろうか。知る事自体が連中にとって脅威だというのか。 そんな事を考えていた時、列車に誰が駆け込んできた。 「ふぅ、何とか間に合ったか…。」 少しくたびれた感じの男の声だ。 目を開き、入り口の方に視線を向けると、頭に深々と麦藁帽子を被った人間が見えた。どうやら、老人のようだ。突き出た鼻の下に立派な白ヒゲが蓄えられている。身体にはすすけた青色のローブをまとっており、背中に背負った大きな皮袋にはちきれんばかりの荷物が詰まっていた。 その老人が乗り込んで来た直後、列車の扉が閉められた。発車時刻が来たようだ。 彼はギルト達の席に対して通路を挟んだ反対側に座った。 荷物を自分の隣の席にドン、と置くと帽子を取って息を整え始めた。ボサボサになった白髪に、深いしわが刻まれた顔。紛れもなく、八十代前後の老人である。 (珍しいな。年寄りがこんな所にたった一人で。) そう思った瞬間、その老人はこちらを向いて口を開いた。 「珍しいのう。お主ら、こんな辺境に何しに来たんじゃ?」 「…ああ、私達はウムラウドに用がありましてね。」 キザミが顔を上げ、対応した。 「ホウ、ご苦労な事だな。ウムラウドはかなり前に地図から消えたぞ。」 「…何ですって!?」 三人は思わず叫んでいた。 「かなり前っていつです?」 エアが震えた声で尋ねる。 「確か、二、三ヶ月くらい前と言ってたか。大量の黒い奇獣が都市に押し寄せて来てな。一夜にして壊滅したらしいぞ。都市に指定されてはいたが、事実上、町とか村の寄り集まった地域だったからのう。まともな自警団も無かったんじゃろ。」 「なんてこった…。」 ガクッ、と首が折れた。目的地が無くなってしまったのだ。 「折角、スペルドライヴについて分かると思ったのに…。」 「…ヌ!お主、まさか…。」 ポツリと漏らした一言に老人は激しく反応を示し、持ってきた皮袋の中に手を突っ込み、何かを探し始めた。十数秒間、がちゃがちゃ荷物をかき回して取り出されたのは、小さな水晶のような欠片だった。透明でガラスのように透き通っている。奇獣の瞳に似ている、と思った。 老人はその欠片を通してギルトをじっと見つめた。すると、欠片はほんの一瞬強い輝きを放った。 「そうか、お主はスペルドライバーだったか!だからウムラウドを目指していたのだな!」 「それは…?」 ギルトが欠片を指差すと、老人は語った。 「コイツは奇獣鋼にある特殊な加工をして作られた道具でな。これでスペルドライバーの判別が出来るんじゃ。」 「しかし…それが分かっても、もう…。」 「待て!話にはまだ続きがあるんじゃ!!」 老人はギルトの言葉を制した。そして、真剣な顔つきになって尋ねた。 「ワシはビルシュ。ビルシュ・アンバーという。詳しい話をしたい。お主らの名を聞かせてもらえるか?」 ギルトは仲間を紹介し、自分も名乗った。 「ギルト…。そうか、お主がそうであったか!!」 老人は歓喜の声を上げていた。どうやら、ギルトの事を探していたらしい。とりあえず、彼の話を聴いてみる事にした。 「確かに、ウムラウドは滅ぼされた。じゃが、そこに住んでおった者はほとんど死んではおらん。何を隠そうワシもそこで生活していたスペルドライバーの一人だ。」 ビルシュの話を聞いて、不明瞭だった部分が徐々に判明してきた。 どうやら、ウムラウドがスペルドライバー発祥の地だという事は間違いないらしい。何と、ウムラウドに住まう者の約半数はスペルドライバーだという。 今まで彼らは自身の存在が世に出るには早過ぎると考え、あえて人との交流が困難な辺境に都市を作り、スペルドライヴの存在を隠匿していた、というのだ。 「だが、それももう終わろうとしている。我々は今、仲間を集めている。ワシもそのために各地を回っていたところじゃ。」 「しかし、なぜです?」 ギルトの疑問に老人は顔のしわを増やして答えた。 「我々の存在を否定するモノと戦うためじゃ。この力はそのためにこそ在る。お主らもここに来るまでに黒い奇獣に襲われたはずじゃ。そいつらを操っている存在がおる。」 やはり、黒幕は存在するようだ。前にギルトが予想した事はおおむね当たっていた。しかし、一体全体そいつは何者なのだろう。 「ワシにも詳しい事は分からん。だが、奴らは我々の力を恐れている。クオン様からそう聞いたんでの。」 「…クオン様?」 「ワシらスペルドライバーを統率してきたお方だ。全てのスペルドライバーの始祖でもある。クオン様が知らせてくれたお陰でワシらは襲撃から逃げられたんじゃ。」 ここに来て、一気に新たな事実がなだれ込んできている。混乱しそうになりながらも、何とか老人の話を真っ直ぐに受け止めようと努めた。 「戦いに備えて仲間を集めろ、と言って先程の欠片を渡したのもクオン様だ。ワシの仲間が他にも各地に散っている。特にお前さんは見つけたらすぐに知らせるように言われていたからの。こんな所でお主に出会えるとは収穫じゃった。」 と、ここまで話してビルシュはあごに手を当て少し考えるとこう告げた。 「そうだな…。この列車が終点に着いたらクオン様に交信を試みるとしよう。お主らには直接クオン様に会ってもらいたい。」 しかし、ウムラウドは既に崩壊している。クオンとやらがどこにいるのかまず知らねばならないはずだが。 「その、クオンという人は今は一体どの都市に…?」 そう聞くと、ビルシュは笑って答えた。 「はっは、クオン様は元々地上にはおらん。天空に浮かぶ見えない要塞に隠れ住んでおるのよ。」 とてつもない人物のようだ。恐らくスペルの力を使っているのだろうが、個人でそれだけの能力を持っているとしたら、その実力はギルトを遥かに超えているだろう。 会うのが恐ろしい気もする。だが、同時に会えばスペルについて解るかも知れないという希望もある。全く何も無い状態のところに選択肢が与えられたのだ。 当然、会うしかない。 「…凄い事になってきたな。」 考えている横でキザミが口を開いた。何と、先程の沈んだ雰囲気はどこへやら、彼の表情には笑みが浮かんでいるではないか。 「ギルト君、良かったじゃないか!ようやく、君の求めた答えに辿り着ける!!」 ギルトの両肩に手を置き、自分の事のように喜んでいる。どうやら、戦友の死を以ってしても、この男の歩みを止める事は出来ないらしい。 この短時間で悲しみが完全に癒えたわけではないだろう。しかし、それに囚われてチャンスを逃す手はない。彼はそう考えたのだろう。 「…ええ!こうなったら空だろうと行けるところまで行きます!」 ギルトも力強く拳を握ってみせた。そうだ、これでいい。 今まで暗い気持ちで良い事などひとつも無かった。いや、あったとしても良い事だとは思えなかっただろう。期待のひとつもしなければ始まらない。 「うう…空が何だって…?」 その時、ミクシーが口を開いた。 「あっ!気が付いたのですね!起きて大丈夫ですか?」 エアは横に座り、起きようとする彼女の身体を支えた。 「…ああ。迷惑かけたみたいだね。下手したら、アタシ…。」 「そいつは言いっこなしだ。」 ミクシーの言葉をキザミが遮った。そうとも、危険を承知で彼女にやらせたのだから、責任は自分達にもある。 「…うん。ありがとう。」 頷いた彼女の表情は予想に反して、明るかった。さぞかし寝覚めが悪かろうと思っていたが。 「あのさ、エアが助けてくれたんだよね?」 前触れも無く、ミクシーがエアに尋ねた。 「ええと、そうなるのかしら。」 エアが少し困惑していると、 「生きていていい、って言ってくれたよね?あの時、アタシ、生きてちゃいけないような気にさせられてた。何もかも壊して自分も死んだ方がいい、って。バアちゃんがアタシを助けてくれた時の事、思い出させてくれて、ホントにありがとう…。」 今までに見た事も無い、落ち着いた笑顔のミクシーがそこにいた。いつも全身に力を入れている彼女からはちょっと想像出来ない口調であった。 「いえ…。でも、無事で何よりです。」 もし、エアの力が自在に使えれば戦いやすい。しかし、彼女の力の正体は依然として全く不明である。スペルドライヴでさえ、解明の糸口がつかめたのに、こちらは情報の欠片も無い。 まあ、何にせよ良かった。ミクシーも無事だったし、次の道標も見つかった。 「うん。さて、とりあえず着替えるか。替えの服、出してくれる?」 ミクシーは毛布を身体から外してしまった。ためらい無く裸体をさらす彼女にギルトは慌てて目を逸らし、荷物を調べた。 「おお。中々締まりのいい身体をしとるな。後はもっと乳があれば…。」 こちらを見てビルシュが呟いた。 「うわっ!何だこのじいさんは!?」 ここでミクシーは初めて自分達以外の人間が乗っている事に気付いたようだ。しかし、それでも取り乱す様子は無く、 「いきなり人様の身体に文句つけるとは失礼な…。じいさんなんか干からびたイカみたいになってるじゃないか。」 いつもの彼女に戻って手厳しい言葉を浴びせていた。 「…いいから、とにかく服を着てくれッ!客がほとんど乗らないと言っても、いつもゼロじゃないんだからさ…。」 このまま、二人で口論でもされてはたまらない。顔を紅潮させたギルトはミクシーに向けて衣類を投げつけるのであった。 もし、クオンに会う前に全てを知っていたら。 もしかしたら、未来は変わっていただろうか。 だが、現実にもしもは存在しない。 それに、仮に知る事が出来たとしても、僕達は前に歩みを進めただろう。 自分を受け入れるために。未知の感動と出会うために。孤独の悲しみを打ち破るために。想いを確かめるために。 列車はレールの終点に向けて走っていたが、それは旅の終局へ近づいている事でもあったのだ。 |
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