――其の一 Materialize――


 いつも通りに日付変更時刻を過ぎてから布団に入り、眠りについたのは覚えている。
 ただ、気が付いた時には見知らぬ場所にいた。周囲は本来ならば有り得ない黒い光を放ち、足場がないのにも関わらず、その場に立っている。
 葵漣はその場所に違和感を覚えた。
 身体の感覚がはっきりとしているのだ。夢の中だろうと判断できる状況なのに、身体には現実異常に感覚が存在している気がする。
「……」
 こういう時にこそ冷静にならなければいけない。どこかで読んだ書物の一説にあった。
 訳の分からない状況で取り乱してしまえば、何も理解できない。それどころか、自分自身すら見失い兼ねないのだ。いくらなんでも、この状況でそれはまずい。
 しかし、歩き出す事も躊躇われた。
 周りが見えないような状況で、立っているというだけでも不自然だ。踏み出した瞬間に落下してしまうかもしれない。夢の中だから大丈夫、なんて理屈は考えられなかった。本能のようなものが危険を告げている。
『……賢明な方ですね』
 聞こえた声に眉根を寄せる。
 その声が聞こえた方へと視線を向ければ、そこには漆黒の空間の裂け目のようなものが見えた。その裂け目全体に白い輝きが見える。それは声であって、声でなかった。意思が声に聞こえただけなのだろう。
「……何者だ、あんた」
 警戒を表情に滲ませ、問う。
『ここにあなたを呼び寄せた張本人、と考えて下さって結構です』
「何の用だ?」
 こんな場所で、得体の知れない光を相手に何ができるのかは判らない。下手に動けば足場がなくなるかもしれない状況でもある。何もできないのが実際のところだが、取り乱すのもみっともない。
 緊張はしていた。いや、しない方がおかしいかかもしれない。
 何しろ、会話の相手は明らかに人間ではないのだから。あれほどまでに冷静になれたのも後々考えてみれば少し不思議だった。
『私があなたと交信していられる時間も少ないので、要点だけ伝えます』
 いやに丁寧な口調だと感じた。
『私は、この場所に来る事のできるあなたのような人間を探していました』
「つまり、ここは普通の夢とは違うわけだな?」
『はい。そして、この場所に来る事のできる人間はこの場所の鍵でもあります』
「鍵……?」
『あなた達にはこの場でレギオンを食い止めていて貰いたいのです』
「レギオン? 何だそれは?」
『――! それが来てしまいました。あなたにはレギオンに対抗するための力を授けます』
 周囲を覆っていた、漆黒の壁に罅が入り、外からの光が漏れる。
 だが、その外からの光に、何か禍々しいものを感じた。
「何だ――?」
『あなたにはこの場でのマテリアライズ(創造能力)を授けます。それを駆使し、敵を――!』
 声は最後まで聞こえなかった。
 遠くへ引っ張られているかのように、声は消えていった。変わりに、周囲を覆っていた漆黒の壁が内側に砕けとび、漣の身体の中へと吸い込まれて行く。
 奇妙な感覚だった。
 薄い、ガラスのような漆黒の破片が皮膚に触れた瞬間、そこから溶け込むかのように身体の中に浸透していく。それが実感できる。何か、自分の中に今までとは違うものがあるのが理解できた。
 そして、壁が全て漣の身体に浸透した時には、周りを囲まれていた。
「これが、レギオンとかいう奴なのか……?」
 そう判断せざるを得ない。
 漣を取り囲んでいるのは数にして二十を超えるほどの奇妙な化け物だ。身体は濃い灰色なのだが、それが厭に気味悪く感じるような濃さを呈している。まるで木偶人形か何かのように、輪郭と間接の凹凸しかない身体は、間接部は異様に細いのに、そこから繋がっている先は異様な発達を見せていた。
 厭にゆっくりとした歩調で近付いてくる。手で押しただけで倒れてしまいそうなほど、弱々しく見えるのだが、それらの放つ雰囲気に気圧されていた。
 息を呑み、狂いそうな思考をどうにか抑え付けて状況を確認しようとする。今まで冷静でいられた分、これも不思議と容易くできた。いや、後々考えれば、そういう風に思考を保てるようにあの声が仕組んでいたのかもしれない。
 この時からあの場所に立っていた。焦げ茶の禍々しい雲が渦を巻く暗い空に、ガラス張りのような地面。
「そうだ、落ち着け……弱そうな相手だ……!」
 見た目で判断するのも危険だったが、この時ばかりは自分自身を奮い立たせるためにそんな言葉を放った。
(どうにかする方法があるはだ……)
 あの声は、漣にそれをする力を与えているはずだ。身体の中にある新たな感覚がその証拠だ。
 恐らく、それが目の前の化け物どもに対して最も有効な対処法に間違いないだろう。
(マテリアライズ……だったか?)
 怪物達は少しずつ包囲を狭めて来る。
「…うっ……来るなぁっ!」
 不気味さが不快感に変わり、漣は右手で目の前の化け物を押し退けた。予想以上に重みがあったが、それを強引に押し退けて包囲から逃れようとする。
(――何だってんだ、一体!)
 不自然な重さに、不快な感触。厭な汗が背中を伝う。
 押し退けた後にまた別の化け物が近付いて来ていた。振り上げられた腕の先には大きな爪らしい鋭利な刃がある。ゆっくりした動きで振り下ろされるのを予想していたが、予想外のその速度は素早かった。
「――!」
 反射的に身を退いていた。
 紙一重で目の前を刃が通過する。尻餅をつく形で地面に倒れ込んだ漣は、包囲がかなり狭まっている事に気付いた。背後にもう、敵がいた。
「!」
 振り上げられた爪に、咄嗟に両腕を防御の為に顔の前に滑らせる。
(こんな時に壁でもあれば――!)
 瞬間、腕の前方数センチの位置に光の粒子が生じ、集まり、長方形の鉄板を作り出した。漣の思い描いた位置に、思い描いた通りの形、厚みを持った鉄板が生成されていた。
 その鉄板に一瞬遅れて爪が振り下ろされ受け止められる。
 気付けば、周囲の敵全てが爪を振り上げている。それに、漣は自分自身の周囲に鉄板でドームを思い描き、それを生成させて周囲からの一斉攻撃を防いだ。
(……どうする? このままだと……!)
 防いでいるだけではこの状況は打開できない。
 自分に与えられた力を何となくではあるが理解できた漣は、少し自分らしさを取り戻していた。恐らく、思い描いた通りに物質を生み出す事ができ、それに限定してある程度動作を与える事ができるようだ。
 鉄板に爪が突き立てられる音に、うるささを感じた事で、心に余裕ができたと判断する。
 ドームの中で、漣は両手に拳銃を作り出した。造形が甘いのは、漣にそれだけ拳銃の知識が少ないためだ。タイミングを見計らい、ドームを下から突き上げて外に出ると、銃の引き金を引いた。
 思ったよりも大きな銃声に、作り出した本人が驚きながらも、周囲にいる敵に銃弾を撃ち込んで行く。と、弾が切れた。銃の弾数は考えていなかったため、実際の容量に合わせられたらしい。
 舌打ちして銃を敵に投げ付けて怯ませ、その間に生成したのは釘バット。
「……まぁ、いいか」
 イメージが弱いのだろうか、とも思う。考えたのは手に持つタイプの武器で、条件はそれだけだった。一番強いイメージが反映されたと見るべきだろうが、予想だにしていなかった分、テンションが下がる。
 だが、敵はそれに関わらずに近寄って来ている。気を取り直し、生成したバットを目の前の敵に叩き付けた。厭な手応えと共に、釘が敵の身体に食い込み、振り抜かれた事で強引に抉られ、吹き飛ばされる。以外にも威力がある事に驚きつつ、漣は釘バットを敵に叩き付け始めた。
 相手の動きがこちらよりも遅い、という事が漣に余裕を持たせていたのだろう。その場にいた敵を全滅させた後、漣は自分の意識が遠退いて行くのを感じた。
 そうして、初日は目が覚めたのだった。

 *

 目が覚める。昨夜の定期的な夢で、身体が重い。いつにもまして眠気が多く、身を起こすのでさえ億劫に感じている。
「漣ー! 遅刻するわよー!」
 一階から、母親の声が聞こえて来る。漣が寝ている、自分の部屋は家の二階にあるのだ。
 どうにか布団から抜け出して、服を着替える。授業の用意は昨日のうちに済ませてあるから、着替えさえ済ませればもう登校は可能な状態だ。バッグを持って階段を下り、それを階段の最後の一段の上に残してリビングに入る。キッチンの流しで顔を洗い、テーブルに着いて既に出来上がっているトーストと味噌汁に牛乳という組み合わせの朝食を手早く食べる。
 食べ終わると直ぐにバッグを掴んで家を出た。
 いつもと同じパターンなのに『夢』のある日はいつにも増して身体がだるい。自転車に乗って学校へ着いて、階段を上って行くが、身体のだるさに脚を上げるのにいつも以上に体力を使う。
 ようやく最上階の、自分のクラスに辿り着き、中に入ると自分の席に腰を下ろして一息着いた。
 漣は七城高校の三年生だ。つまり受験生なのである。成績は大体平均ぐらいで、特に勉強ができるという訳でも、悪過ぎるという訳でもない。ただ、最近は徐々に低下してきているが。
「葵ー、昨日貸したMD持ってきてるか?」
 話し掛けて来たのはクラスで最も仲の良い、澤山一彦だった。
「あー、まだコピーしてねぇや。もう一日待ってくれ」
 苦笑し、頭を掻いて弁解する。
 漣には友人と呼べる者が少ない。漣自身はあまり人に干渉しようとしないのがその理由なのだろうと考えている。積極的というよりは消極的、クールというにはどこか抜けた、色褪せたような、そんな性格。
「そういえば、そろそろ進路の希望調査あるんだったよな。葵はどうするんだ、大学は?」
 一彦の問に漣は小さく唸った。
「んー、いっそ行くの止めようかなぁ」
 正直なところ、今の漣はそれどころではない。
 夢の中で、現実にも死ぬかもしれない体験をしているのだ。まずそっちが落ち着いてくれなければ、大学に進学する前に漣が死んでしまう。
「おいおい、それでどうすんだよ?」
 冗談のように聞こえたのだろう、一彦が冗談ぽい表情と口調で返してくる。
「んー、バイトかなぁ」
 ならばと、漣も冗談めかして答えてやった。
 だが、そうは言っても、今の漣の返答は恐らく余りいい選択ではないのは確かだ。アルバイトと言うと、そのほとんどが接客業だろう。漣に接客業が向いているとは思えない。
「フリーターもきついらしいぞ」
「らしいねぇ」
 一彦の言葉に相槌を打つ。
 フリーターと呼ばれている人の半数以上は定職を求めて、それまでの埋め合わせにアルバイトで生計を立てているらしい。つまり、職に就けなかったからフリーターになるのではなく、職を探している間フリーターをしているという者も多いようだ。
「ふぁあ……ねみぃ」
 大きく欠伸をし、漣は机に突っ伏した。
「そういや、ここんとこ定期的に調子悪そうだよな?」
「んー……」
 肯定とも否定とも取れない呻き声で一彦に返事をする。
 授業五分前の予鈴が鳴り、一彦が自分の席に戻って行く。その後で教師が教室に入って来て、開始のチャイムと共に授業を始めた。
 漣はその日一日の授業のほとんどを睡眠時間に変換する事になった。

 授業が終わり、漣は校舎から外に出て来ていた。とりあえず睡眠を取ったために、朝よりは体調も気分もだいぶ良い。駐輪場から自転車を引っ張り出してそれに乗り、さっさと帰路に着く。
(……なんだかなぁ……)
 溜め息をつく。
 夢の中で漣が必死になって戦っているのに、現実の世界ではそんな事には何の影響もない。あるとすれば、漣自身の負担が増えているというだけだ。
 不公平だと思う。思ったところでどうしようもないというのは解り切っているから、そこで思考をストップさせた。
 『夢』は、定期的に漣を召喚する。今のところは、およそ二週間に一度の周期で漣は召喚されている。一番最初に召喚されたのが一月ほど前だから、今日の『夢』でかれこれ四回は召喚されているはずだ。
 その周期が何か『夢』に関わっているのかは不明だ。何の目的、理由があって漣が召喚されているのか、さっぱり解らない。
(……!)
 と、前方にあるバス停に見覚えのある人影を見つけて、漣はその傍で自転車を降りた。
「よぉ」
「あ……」
 漣に気付き、少女が小さく声を上げた。栗色に染めたロングの髪に、中々整った顔立ちの少女。
 『夢』に召喚されている、漣以外の人間。他にもいるのかもしれないが、漣が合流できているのは彼女だけだ。名を、葉山澪那という。通う高校は漣とは違うが、近くに住んでいるらしく、時折こうして偶然出会う事があった。
 もっとも、漣は彼女にもあまり踏み込んではいない。というよりも、人のプライベートに自ら踏み込もうとしないのは漣のパーソナルとなっているため、漣自身はいつも通り、他の人と普通に接しているのと同じ感覚だ。たとえ、共に戦っているとしても。
「何か変わった事あった?」
「いえ、ないです……」
 澪那が首を横に振る。
「そか」
 漣達を召喚した奴からの接触は最初のあれっきりで、今の所状況について何も解らないまま、ただ戦い続けている。
 澪那と出会ったのは、二度目の『夢』の時だ。何もない場所に放り出された漣は、ただ茫然と突っ立っていたが、やがて現れ始めた敵が、漣に背を向け、漣には構わずに別の方向に向かっていたためにその方向に何かがあるのだと考えた。だが、自分から厄介事に手を出すのも厭だったため、何もせずに眺めていた。その直後、爆発が生じて敵が大きく吹き飛ばされた。降り注いでくる破片を、咄嗟に創り出した傘で凌いで、いくつも生じる爆発を見ていると、その中心に怯えた表情の澪那が逃げ惑っていたのである。それを見て、漣は加勢した。
 何か知っているかもしれないと思ったのだが、澪那もその時が一回目の召喚で、ニュークリアライズという能力を与えると言われ、漣と同じように放り出されたのだと言う。
 その時点で、漣はその世界が自分の夢の中なのではないかと疑った。つまりは、澪那の存在も、レギオンという存在も、あの空間やその中でも現象の全てが漣の見る本当の夢ではないか、と。だが、違った。
 澪那は現実に存在していたのだ。
「あれからもう一月かぁ……」
 溜め息と共に呟く。
 『夢』に召喚され始めてから、一度もあの世界の確信に触れた事はない。漣達が触れられる場所にそれはなく、それが連達に近付いて来るのを待っている状態だった。
 ふと、バスが停まった。視線を向けた漣を一度だけ振り返り、ただ見ただけで澪那はバスに乗り込み、漣の前から去って行った。

 *

 今回の『夢』はいつもよりも一日早く訪れた。そして、直ぐに変化があるのに気付く。
 今までは召喚されるポイントがバラバラで、漣のマテリアライズ能力で花火を打ち上げる事で合流していたのだが、今回はほとんど同じ地点に召喚されていた。そして、周囲が暗闇の壁で覆われた空間にいる。最初の時と同じ状況だ。
『凌いでいてくれたんですね』
「まぁな」
 白い輝きが放つ声に、漣が答えた。
 凌がなければ、漣達の命がない。それに、漣達に与えられた力は、レギオンという存在を倒すには十分過ぎるほどの力だった。
『今回、あなた達二人をこうして近くに召喚したのは、新たに仲間を召喚したためです』
「また誰かここに来るのか……?」
『まだ彼はここに来ていません。しかし、それを待っている余裕がなくなりました』
「……どういう事だ?」
『レギオンは、進化して行きます。しかし、私自身にはそれに対処するだけの余裕がありません』
「つまり、敵が強くなるって事だな? そんな事よりも、何で俺らがここにいるのかを教えてくれ。訳が解らねぇ」
 もどかしさを感じて、漣は問う。
『そうですね……あなた達には知る権利があるかもしれません』
 そう呟き、その光は語り始めた。
『あなた達のいるエリアは、アンダー・ゾーン、最下層と言います。私は、トップ・ゾーン、最上層と言う世界のエリアです。そして、ここはセンター・ゾーン、中間層と言うエリアです』
 つまりは、この世界は三つの空間が階層のように積み重なるようにして存在しているのだという。トップ・ゾーンと、アンダー・ゾーンの狭間がセンター・ゾーンだと言うのだ。
「じゃあ、俺達は今、現実に存在していないのか?」
 驚きよりも疑問が口をついて出ていた。不安だったのかもしれない。
 自分の身体がそのままこの世界に転送されているのではないか。本当は、現実の世界で漣達の存在そのものが消滅しているのではないか。世界が三つの階層であって、ここが夢の中ではないというのなら、漣の身体はどうなっているのだろうか。
『いいえ、あなたの本当の肉体はあなた達の現世にとても深い眠りについた状態で存在しています。トップ・ゾーンに存在する生命体にはあなた達のような肉体というものがありません。ですから、トップとアンダーの中間であるセンター・ゾーンは、肉体と精神の丁度中間の存在としてあなた達が存在しています。あなた達がここに来るのは、実体と意識が一時的に大きく距離を開ける深い睡眠の間だけです』
 白い光は、自らを精神生命体と言った。決まった実体のない、純粋なエネルギーと意識だけの存在。そんなものが現実に有り得るのかと疑いたくなったが、そもそも住む世界が違うのだと、漣はその疑問を今は抑え込んだ。
『完全な物理的空間ではないセンター・ゾーンでは、あなた達の精神力がある程度身体能力に影響しています。ここでのあなた達は、肉体という形を得た魂の状態なのです』
「……ここに存在するための状態ってわけか?」
 現実と全く同じ皮膚感覚があるが、確かに身体能力だけはいつもよりも上に感じていた。かと言って、人間としての常識を超えるほどのものではないが。
『はい……。レギオンは、敵がアンダー・ゾーンに進入するためのステップです。実体のないトップ・ゾーンの存在が、実体が必要となるアンダー・ゾーンに侵入するために生み出しているのです』
「何でレギオンなんかを使うんだ?」
 目的がはっきりしていて、明確な方法もあるのなら、レギオンという存在を創り出す必要性はないはずだ。となれば、それをするには理由があるはずである。
『それは、確実性を期すためです。レギオンを構成する実体の情報でアンダー・ゾーンで存在できるかどうかを確認したいのです。私達のような存在は、その存在を許される条件下以外では負傷する暇もなく消滅してしまうからです。それを恐れているのです』
「……やけに詳しいな?」
 その『光』の言葉に違和感を感じた。敵対する相手の意思を断言している。精神生命体といえども、そう簡単に自分以外の存在の意思を完全に理解する事は困難なはずだ。それができるという事に、漣は違和感を感じた。
 それは、漣自身が常に感じている事だからだったかもしれない。他人を完全に理解する事はできないと、漣は考えていた。
『ええ、私は――っ!』
 瞬間、不自然に言葉が詰まった。
『う……すみません……交信も今回はここまでが限度のようです……』
 人間的に苦しそうな声ではなかったが、意識として苦しさが伝わってくるような口調だった。
「なっ! ちょっと待ってくれ!」
『……レギオンに……気をつけて……!』
 漣の呼びかけも虚しく、その言葉の直後、周囲の暗闇の壁が崩壊して行く。いつも召喚される通りの不気味な光景に投げ出された二人は、周囲を見てレギオンの違いに気付いた。
 今までのようなデク人形のような敵ではない。頭部に真紅のレンズのような目を持ち、身体はより生物に近い外観になっている。人間からは遠ざかり、前傾姿勢で爬虫類か肉食獣のような、攻撃的な外観をしていた。腕には鉈のような爪が四本もあり、足は太く、しっかりと地面を踏み締めているようにすら見える。
 そのレギオンが、漣と澪那の周囲を取り囲んでいた。明らかに数は三十を越えている。
「……ちょっと、手強そうだぜ……?」
 引き攣った笑みを浮かべ、漣は呟いた。
「どうする?」
「……戦います」
 漣に目もくれず、澪那はそう答えた。
「あー、じゃあ少しだけ待ってくれっかな? 良い先手があるんだ」
 そう言って、漣は右掌を頭上へと掲げ、意識を集中させた。
「――マテリアライズ!」
 言葉を意識を固めるキーワードにし、漣がその力を発動させる。
 思い描いた場所は空高く。思い描くモノは大きな雫。それを無数に空に散りばめるように思い描く。その漣の思惟に従い、物質が構成されていく。何もない場所に原子と電子を発生させ、それらが思い描く物質を構成する元素へと組み合わされた。そして、その元素が結合して物質を生成する。
「……そうだな、ニトロ・レインとでも呼ぶか」
 漣は口元に笑みを浮かべ、呟くと同時に動作を与えた。
 生成した水滴はニトロ、爆薬だ。純粋な爆薬成分のみを凝縮した液体を、直径五ミリほどの大きな雨粒として降らせる。いくつもの爆薬の雨が高高度から落下し、ガラスのような地表、そして敵に接触する。
 雨が弾ける瞬間の衝撃に、起爆した爆薬は直ぐに周囲の雨粒を巻き込み、誘爆させていった。その広がりは凄まじく、一瞬で視界を埋め尽くし、漣と澪那の周囲を取り巻いた。
 視界が炎の紅に染まり、その閃光に目を閉ざす。凄まじいまでの轟音が響き始め、両手で耳を塞ぐ。それでも音は手の蓋を通り越して鼓膜を震わせた。それと同時に、前後左右から爆発による衝撃波が容赦なく二人に激突する。数メートルは軽く吹き飛ばされそうな衝撃に、反対側からの衝撃で抑え付けられる。爆発は火柱が上がるが如く、上空から降り注ぐ雨粒へと伝染し、さながら地上から爆発の嵐が上空へと飛翔したかのようだ。
 一瞬にして衝撃波で打ちのめされた漣は、雨粒が全て爆発し切ってから、しばらく固まっていた。
 目が爆発の光にやられたようで、一時的に視界が奪われている。余韻のように耳鳴りがした。
「……ば――!」
 隣で座り込んでしまっていた澪那が立ち上がり、漣を睨み付ける。
「――バカーっ!」
「うぉ!」
 力の限り叫ばれ、漣はそれに気圧されて少し仰け反った。
「私達が巻き込まれたらどうするつもりだったのよー!」
「んー、影響ない範囲でって条件で生成したからそこは大丈夫だけど……」
 澪那の言葉に、漣は苦笑を浮かべて答えた。
 確かに、爆炎の影響外に漣達が入るように周囲に雨を降らせていた。しかし、漣の力はその言葉通りに単純に条件を限定できるわけでもない。
(確かに、危険過ぎるな、これ……)
 苦笑を浮かべたまま、漣はこの技を仲間がいる状態では二度と使わない事を心の中で誓った。
「まぁ、代わりに敵は一掃できたわけし」
 周囲を見れば、爆発によって吹き飛んだ生物の破片が散らばっている。動く者はもう残っていなかった。
「……」
 漣の言葉に、澪那は反論しなかった。
 破壊力、殲滅力は認めているという事なのだろう。長時間に渡るレギオンとの戦いは、この場での肉体的な疲労だけでなく、精神的な部分でも堪えるところがある。
「とりあえずはこれで一息つけるよな」
 呟き、漣はパイプ椅子を生成し、それに腰を下ろした。澪那の目の前にも一つ生成してやり、そこに座らせる。
「……どうしたの、それ?」
 澪那が驚いたように呟いた。
 その視線の見つめる先、漣の手にはコップが握られていた。
「ん? さっきのニトロ」
 試しに軽くジョークを言えば、澪那が半眼になった。
「……」
「冗談だってば」
 澪那が無言で目を細め、睨み返してくるのに、漣は苦笑した。
 本当はそのコップの中にはスポーツドリンク風味の液体が入れられている。
「飲む? 欲しいものがあれば創るけど」
 コップに視線を落とし、次に澪那へと向けて、漣は答えた。そうして、コップに口を付ける。
 いくら本当の身体ではないとはいえ、身体を休めるような行為は無駄ではない。精神的な要素を併せ持つのであれば、リラックスする事はこの世界での体力の回復に繋がるのだ。だからこそ、椅子にも座っている。ここでは、漣達はアンダー・ゾーンと同じ感覚を持って存在している。走る事は勿論、長時間立ち続けたりしていれば脚が疲れたと感じる事もあるのだ。
「……じゃあ、ココア」
「あー、ちょっと味のバランス悪くなるかも」
「……?」
「俺、ココアってあんまり好きじゃないから飲まないんだよね。だから、味がよく分からない」
 漣は苦笑した。
 味が分からなければ、成分の配合具合が分からない。そうなれば、味は保障できない。
「……ホットミルク」
「あいよ」
 澪那の注文に、漣はコップと共にそれを澪那の目の前に創り出す。
「……熱い」 
「温度の加減聞いてなかったからね。少し熱めにしてみたんだけど」
「私、猫舌なの」
「じゃあホットじゃない方が良かったんじゃ?」
「ホットが飲みたかったの」
「……んー、分からん」
 熱いものが苦手なのに、ホットの方がいいという。気持ちは分からないでもなかったが、漣は苦笑して流した。
「あ、じゃあ氷でも入れようか?」
「冷めちゃうじゃない」
「だって熱いの苦手なんだろ?」
「むー……」
 少しだけからかってみて、澪那が最後に一瞬だけ見せた膨れ面に思わず噴き出した。
「……何よ?」
 澪那が笑われた恥ずかしさでか少しだけ頬を染め、顔を背ける。
「ん? いやさ、ここでこんなに喋ったのは初めてだなぁと思って」
 澪那とこれほどまでに会話をしたのは初めてだった。
 出会った時には人見知りでか、ほとんど話す事ができなかった。漣もまだ、この世界について何も知らない状態だったし、澪那に対して漣も人見知りをしていた。二回目に顔をあわせた時からは、ほとんど漣が喋っていただけだったが、ここに来てようやく、漣は澪那とまともに会話をした気がした。
 漣の言葉に、澪那は顔を紅くして俯く。
 恐らく、澪那が不満を爆発させるほどに漣の技が強烈過ぎたという事だろう。使った漣自身ですら危険を感じたのだから、澪那の方は更に危険と恐怖を感じていたはずだ。
「いつまで続くか分からんけど、これからも宜しく頼むな」
 漣が差し出した手を、澪那は確かに握ってくれた。
 長い付き合いになるかもしれないが、そうならないかもしれない。いつまでここで戦っていればいいのか、どこに最後があるのか分からない。それでも、漣と澪那はここに召喚される。
 ここに来なければならないのなら、協力し合える方がいい。絆が強いに越した事はないのだから。
「……私達これからどうなるのかな……?」
 ぽつりと澪那が呟いた。
「それだな、問題は」
 同意するように漣も呟いた。
 この世界にいる事で、漣は、漣自身の世界で負担を背負わされている。それは恐らく澪那も同じだろう。ここにいる事は、少なからず本来の漣達にも影響を及ぼしているのだ。
「スケールがでかすぎるぜ、全く……」
 世界は三層に分かれていると言われ、その最上層の存在が自らを変えるために最下層の世界へと侵蝕を始めたとも聞かされた。そのために生み出されたレギオンを殲滅する事で、侵攻を凌いでいる状態らしい。つまりは、漣と澪那の二人と、新たに召喚されたもう一人で、最下層を守れというのだ。
「結局のところ、あの野郎も肝心なところを喋ってねぇしなぁ」
 片手で、その場で生成させた煎餅を齧り、愚痴る。
 敵の核心に触れるであろう、漣が最も重要だと感じていた部分は、話されずに終わった。
「……ねぇ、おかしくない?」
「んー……そだねぇ……」
 澪那の問いに、気のない返事を返す。
 レギオンを殲滅した今、漣達がここに留まっている理由がない。いつもなら、レギオンを全滅させた後に、漣達の意識は元の身体へと戻されている。しかし、それがない。倒し損ねているものがいるか、まだ漣達にしなければならない事があるのか、それとも敵が何か細工をしたのか。
「……ちょっと探索してみるか」
 言い、漣は小さなディスプレイと大型の装置を生成した。
「何、これ?」
「超音波式レーダー」
 澪那の問いに答え、漣はレーダーを稼動させた。周囲に超音波が放たれる。その超音波が障害物によって反射され、装置の元まで戻ってくるまでの時間から、周囲に存在するものの位置などを割り出すタイプのものだ。
「ん……?」
「どうしたの?」
「反応があった。……それも、二つ」
 漣は澪那に答え、レーダーのディスプレイを見せる。漣と澪那の光点を中心にして、定期的にディスプレイの中を円状に筋が広がって行く。それが超音波だという事は澪那にも分かったようだ。ディスプレイの外側の方角で、二つの光点が移動している。
「……倒しそびれた?」
「いや、違う。片方は明らかにもう一方を追いかけている」
「……となると――!」
 漣は言い、椅子から立ち上がった。それにつられるようにして澪那も立ち上がる。レーダーの方角へと一度視線を向けると、互いに頷き合い、漣と澪那は駆け出した。
 光点は恐らく、一方が漣達の仲間であろう人間で、もう一方がレギオンだ。
「くっ……こいつっ!」
 やがて見えてきたのは、先ほど倒したものとは別方向へ進化したであろうレギオンと一人の少年だった。
 執拗に追いかけて来るレギオンの攻撃を、少年は人間とは思えない素早さで避けている。だが、そこに余裕の表情はなく、かわすのでやっと、と取れる表情がある。ショートカットのボサボサの黒髪に、真っ直ぐな目をしていた。年は漣や澪那と同じぐらいだろうか。
 戦えているという事は、ここに来るのは初めてではないのだろう。ある程度は自分の能力についても理解しているはずだ。
「このっ……食らえっ!」
 少年が掌に漆黒の球体を生み出し、それを投げ付けた。だが、レギオンはそれを避けてみせる。
 見れば、そのレギオンは明らかに他のレギオンとは異なっていた。まるでそれ自体に意思があるかのように、生物的な動きをしている。身体も、より生物的で、巨大だ。三、四メートルはあるであろう巨体に、頭部には紅いレンズ状の目らしいものが三つ、腕は太く長く、その先には鋭利な鎌のようなものがある。
「……ボスって奴かな」
 小さく呟く。
 その戦闘能力は今までのレギオンとは比較にならないほどに素早い。この場で多少身体能力の上昇している漣達に追いついている事は間違いないだろう。
「――マテリアライズ!」
 少年とレギオンに気付かれるよう、声を張り上げて叫び、漣は駆け出した。
 左掌にダイナマイトを創り出し、右掌にライターを創り出す。即座に導火線に着火すると、漣は走る向きを変えた。レギオンが投げ付けられたダイナマイトを振り払おうと腕を振るった瞬間、爆薬に火が着いた。
 生じた爆発に、漣は耳を塞いだ。澪那の近くにまで戻り、爆発から距離を取る。
「……ちっ、まだ生きてやがるな」
 爆発の中に揺らめく影を見い出し、漣は舌打ちした。
 他のレギオンならばダイナマイトの一撃で上半身は吹き飛んでいるはずだ。それは、強度も他のものよりもあるという事。
「あ、あんた達は……!」
「話すのは落ち着いてからにした方がいい」
 少年の言葉を遮り、漣は爆煙の中から歩み出てくるレギオンを見ていた。
『貴様等か……一人目と二人目というのは』
「――!」
 漣と澪那が目を剥いた。
 今までレギオンが言葉を発する事はなかった。しかし、目の前のレギオンは自らの言葉を発した。つまりは、このレギオンには明確な意志があるという事だ。
『まとめて排除してやる』
 言い、レギオンが駆け出す。
「澪那! 援護は任せる!」
 そう告げて、漣も前へと踏み出した。
 身体能力では明らかに勝ち目がない相手だ。それでも、そこで前に出ておかなければ、漣だけでなく澪那までもが敵の攻撃範囲内に入ってしまう。漣と澪那が共倒れになるのは最悪だ。
 接近してくるレギオンの振るう鎌を、漣は鉄板を創り出して受け止める。ぶつかりあう金属音に、鉄板では耐え切れない事を悟り、直ぐに身を退いた。その直後には鉄板は切断され、鎌が地面に突き立てられている。
 刹那、レギオンの左肩が爆発した。
『――!』
 澪那の持つ能力によるアシストだ。
 だが、その一撃だけでは威力不足のようで、完全に左肩から破砕する事はできていない。連続で生じる爆発を押し退けるように、レギオンが鎌を振り上げる。
 そのレギオンと漣の間に少年が入り込み、掌に生じさせていたらしい漆黒の球体をレギオンの腹に叩き付けた。
 レギオンもそれを避け切れず、脇腹に球体の直撃を受けた。途端、脇腹は削り取られるようにして消滅し、球体の通過した痕を残して、球体はレギオンの身体を貫通して消失する。
『がぁぁぁぁっ!』
 叫び声と共に振り下ろされる鎌を避ける時間は少年にはなかった。しかし、少年は攻撃を繰り出し、腕を振り切った姿勢のままでも横へと高速で移動し、攻撃を避けた。体勢を空中で整え、少年が着地する。
「身体が硬いなら……!」
 呟き、漣は腕に武器を創り出す。
 創り出したのはチェーンソーだ。紐を勢いよく引いてそのエンジンを稼動させ、刃を回らせる。回転しだしたチェーンソーを振り上げ、レギオンの振り下ろす鎌の腕と対決する。
 刃が噛み合い、一瞬火花が散った。だが、それは直ぐに消え、高速で回転する刃が鎌を削り、レギオンの腕を切断した。
 それに痛みを感じたのか、レギオンが咆哮する。漣が知る、地球上のどの生物とも似ても似つかないその咆哮に、漣は一瞬だが背筋に寒気を覚えた。
 チェーンソーを振るい、レギオンに叩き付ける。後退して避けようとするレギオンの背中で澪那の力による爆発が起き、行動を一瞬遅らせる。
(――口っ!)
 瞬間、レギオンが口を開けたのが見えた。
 チェーンソーから手を離し、レギオンへと放り投げる。そうして、空いた両手をレギオンへとかざし、力を発動させた。レギオンの口の直ぐ上に直径一センチのニトロの水滴を創り出す。口が閉ざされるよりも早くその水滴に動作を与え、レギオンの身体の中にニトロを侵入させた。
 放り投げられたチェーンソーを避けようとするレギオンを、澪那の生み出す爆発が押し留める。押し留められ、チェーンソーをレギオンが胸部に受けると同時、レギオンの体内に押し込んだニトロが衝撃で起爆する。皮膚があるのかは分からないが、身体の表面を削り、チェーンソーがレギオンの身体を切り裂いた。喉の辺りが一瞬膨らみ、そこから爆発が生じてレギオンの頭部が内側から吹き飛ぶ。
 レギオンとして活動できなくなった抜け殻が崩れ落ち、その衝撃でチェーンソーが停止した。頭部は跡形もなく吹き飛んでいた。
「……倒した……?」
 澪那が小さく呟く。
「……ナイスアシスト」
 漣は澪那に疲労の浮いた笑みを向け、言った。
「これからはこんなのを相手にしなきゃいけないってのか……?」
 大きく息を吐き、漣は呟いた。
 今までは動きの鈍い、どこか機械的なデク人形だったのに対して、このレギオンは確かに生物的だった。そして、身体的にも今までのレギオンを凌駕している。これと同種のレギオンが複数表れた場合、漣達に対処し切れるだろうか。
「……なぁ、あんたらは……?」
「ん? まぁ、先輩ってとこだ」
 少年の問いに、漣は苦笑を返した。
「……私達もあなたと同じなの」
 澪那が付け加える。
「じゃあ、とりあえず俺達が知っている情報を先に話そうか」
 言い、漣は椅子を三つ創り出し、その一つに座った。澪那もそれに続き、最後の椅子に少年が腰を下ろす。
 それを確認して、漣は今までの経緯、今回聞いた事情などを語りだした。
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