――其の二 Nuclearize―― 前回の『夢』で出会った少年は、黒城逸也と名乗った。与えられた能力名はグラビテイショナライズ。重力操作の能力という事らしい。 漣は、与えられた能力が全てバラバラである事に少し感心した。同じ能力ばかりでは進化するであろうレギオンに対応し切れないかもしれない、という事を考えての事かどうかは分からないが、少なくとも、違う能力があればあるだけ、攻撃のバリエーションは増える。 漣は物質を創り出す、創造の力、マテリアライズ。 澪那に与えられた能力、ニュークリアライズは核融合の力を操るものだ。原子核を瞬間的に融合させ、その場に膨大なエネルギーを発生させる。そのエネルギーを、澪那は操れるのだ。 原子を生成し、そこから物質を組み合わせるマテリアライズにはできないものであり、重力によるエネルギーでもそれと同質のエネルギーは得られないだろう。 そして、重力操作と創造力も全く重ならない能力だ。原子などの、いわゆる『物質』を用いて発動させる能力ではない重力操作は、物質を生み出す事はできないし、逆にマテリアライズの力で重力を操作する事もできない。 (……これからは、俺達ももっと戦えるようになる必要があるなぁ) 漣は教室の窓の外へと視線を向けた。夢で見る不気味な空ではない、確かな青空がそこにある。 溜め息を一つ。 教師の言葉は片方の耳からもう一方の耳へと脳を経由して流れ出て行く。次にセンター・ゾーンに召喚されるのにはまだ一週間はあるはずだ。それまでにどうにかしなければならない問題があるとすれば、連達の戦い方についてだろう。 今までのような場当たり的な戦闘では、いずれ連達が圧倒される時が来る。前回、逸也を襲っていた知能を持つレギオンが複数で現れたとしたら、漣達は敗北する事になる。 かと言って、漣が使ったニトロ・レインのような強力だが無差別的な技ばかり連発するわけにも行かない。 黒板に視線を向ける。書かれているのはアルファベットの羅列、英語だ。なんとなく言いたい事は理解できるが、漣には和訳は無理というレベルに達している。 「……ここの動詞が――」 いつまでだっただろうか、授業をまともに受けていたのは。 一瞬、そんな事を考え、漣は意識を戻した。今はそれよりも、今後の事を考えていたのだ。 漣は澪那とも、逸也とも連絡が取れない。電話番号は勿論のこと、住所も、通っている高校の名前すらも知らない。そうなると、話し合うのはセンター・ゾーンに召喚されてからになってしまうが、それでは遅いようにも思える。 知能有りのレギオンが量産されて差し向けられるのは、次の召喚時かもしれないのだ。 漣達の世界で連絡が取り合えないというのは本当は相当まずい事なのではないかと初めて感じた。 結局のところ、漣は自分の能力を活かし切れていないのを実感している。単純な戦闘能力なら、澪那や逸也の方が上に違いない。その二人に漣が勝っているものがあるとすれば、可能な事の多さ、である。物質を創り出すという事は創り出せば創り出すほどに、創り出した物体を上手く使えば使うほど、戦闘を有利に運べるはずだ。 「じゃあここの問題を、この列の人にやってもらおうかなぁ」 (――なぬ!) 教師のその一言に漣は一瞬にして現実に引き戻された。 その列の前から四番目に漣がいる。無論、話を聞いていなかった漣は問題などやっていない。 問題は丁度、六問あり、教室の縦一列は六人で構成されている。そのため、教師達は縦一列の指名を頻繁に使うのだ。横一列というのも良く使われるし、蛇行するというのも多い。 そんな中で今回は運悪く漣のいる列が当たったのだ。 問題に目を落とせば、英語の並び替えで文を作る問題だ。それを黒板に書けというのであろう。教師は黒板に問題番号だけを書いて、問題の答え自体を書くスペースを空けていた。 少しずつ、前から生徒が黒板の前に出て行くのを、漣は焦りながら見ていた。問題の英単語の意味を記憶の中のものと照らし合わせ、動詞や形容詞などの順番に注意して並び替える。意味が解らない単語は適当に、語感でどこかに押し込み、とりあえず文章を作成する。そうして、やや遅れながらも、漣も他の生徒同様に黒板の前に自分の導き出した答えを書き込んだ。 その後、全員が席に戻ったところで教師が答え合わせをしていく。 「んー、ここはこっちですねぇ」 漣の問題を、教師は簡単に修正した。 ショックだったのは、意味が解らないと感じた単語の位置はあっていたのに、別の部分でミスをしていた事だ。ただ、間違っていたのは漣だけでなかった事には少し安心していた。 少しだけ不機嫌になる。 そのストレスを溜め息と共に吐き出し、気分を落ち着けると、漣は時計に目を向けた。まだ後十五分はある。 (……対策考えてるの、俺だけじゃないよな?) ふと、損な考えが浮かんだ。 澪那と逸也が何も考えずに召喚されていたら、漣だけが苦労した事になる。流石にそれは損だと思う。まだリーダーになったつもりはないし、実際にリーダーをしたいとも思わない。だからといって、誰も考えて何もいなかったら、それはそれでまずい。 (……そういえば) センター・ゾーンでの事を考え始めて、漣は不意に気になっていた事があるのを思い出した。 召喚されている間に受けたダメージはアンダー・ゾーンでもフィードバックされるというのには、まず間違いはない。となれば、センター・ゾーンで傷を受けて目が覚めれば出血しているかもしれないという事だが、問題はそのタイミングだ。 漣達は、魂に形が与えられた状態でセンター・ゾーンに召喚されているらしい。魂が一時的に身体から離れているという事は、その間のダメージはフィードバックされないかもしれない。目が覚めた時にいきなり傷が現れる、というのが漣の現時点での予想だ。 もし、今の状況が続き、召喚される感覚が短くなっていけば、もしかしたら学校で居眠りをしている時に召喚されるかもしれない。仮にそうなったとして、センター・ゾーンで傷を負ったとしたら、学校でいきなり流血する事になる。傷が現れるタイミングがどうであれ、そうなれば色々と面倒だ。まず、漣は色々と事情を聞かれるだろうし、話したところで未経験の人には理解されないのは目に見えている。周囲はパニックになるかもしれないし、良い事なんてほとんどないはずだ。 (……深刻だなぁ……) また溜め息をつく。 ようやく事の重大さに気付いた気がした。 何故、召喚の周期が短くなったのかは判らないが、このまま放っておけば、間違いなく居眠りしただけでも召喚される日が来るだろう。そうなる前にセンター・ゾーンでの事を解決しなければならない。 眠る事が好きな漣には、うかうか寝ていられない状況になるのは避けたいところだ。 とりあえず、召喚の周期の短くなった理由は聞かなければならない事項だろう。それ以外にも、どうすれば漣達がセンター・ゾーンに召喚されずに済むのかを聞き出さなければならない。 (……今から考えても仕方ないかな) だが、そう思ってしまうのも事実だ。 確かに重大な事ではあるが、実際に問う事ができるのは、早くても次に召喚される時だ。その時に運良くあの『光』と交信できるとは限らない。 漣達の方からは、トップ・ゾーンの存在に交信を仕掛けられないのだから。 学校の授業に身が入らない。元からではあるが、召喚されるようになってから、より一層授業に集中できない。時間があればセンター・ゾーンでの事ばかり考えている。 やがて授業が終わり、清掃を行った後で、漣は校舎から出た。いつものように自転車に乗り、帰路につく。 (……前とほとんど同じ時間だな……) 澪那と行き会う時というのは、大体タイミングが決まっている。彼女の帰路につく時間帯と重なるのだろう。 見れば、バス停に澪那が立っていた。タイミングを見計らって自転車を降り、澪那の傍に足を付ける。 「あ……漣君」 「呼び捨てでいいよ」 名前を呼ばれた事には少し驚いたが、それを顔には出さずに笑って返した。どうやら前回の召喚の時の会話で親密度が高まったらしい。同じ場所で戦うのなら、それは悪い事ではない。むしろ喜ばしい事だろう。 「気になったんだけどさ。普段、夢の中での事って考えてる?」 「……うん」 漣の問いに、澪那は頷いた。 「なら話が早いな。やっぱり、俺達、もっと戦い方を鍛えた方がいいと思うんだ」 どこまで澪那が考えているのかは判らなかったが、漣はそう告げた。 戦い方の甘さは、漣達の命を危うくする事に繋がるのだ。それぐらいは判っているだろう。実際に戦っていれば、それは実感しているはずだ。 「……でも、どうすればいいのか分からない」 澪那が俯く。 「多分、純粋なエネルギーは俺よりも澪那のが強いと思うんだ。だから、どうすればそれを効率良く敵に流し込めるかっていうのが課題だと思うんだけど」 「……少し、怖いの」 「怖い?」 思いもよらぬ言葉に、漣は首を傾げた。 敵の存在が怖いというのならば解るが、自分の能力が怖いというのを漣は予想していなかった。確かに、この漣達にとっての現実、アンダー・ゾーンで、漣達が与えられた力を使えたとしたら、それは怖れるかもしれない。しかし、あの場所はアンダー・ゾーンではない。 「あの力で、自分も、人も傷つけてしまうかもしれない」 「……」 その澪那の言葉に、漣は言葉を返せなかった。 前に漣が繰り出した技、ニトロ・レインは仲間や自分すらも巻き込んでしまうかもしれない破壊力を持っていた。それは、自分も仲間も、マテリアライズで創り出した力の影響を受けるという事だ。むやみやたらに攻撃を繰り出すというのは危ない。 強力であればあるほど、周囲への影響は大きくなるのだ。混戦してしまう状況下では、下手をすれば仲間の命すら奪いかねない。 ニトロ・レインでそれを実感した漣には、返す言葉がなかった。 「……そうならないためにも、俺達が戦い方を学ぶ必要があるよな」 半ば自分自身に、漣は言った。 その言葉には、確かに澪那も頷いていた。 * 気が付けば、召喚されていた。周囲を闇色に覆われた、交信のために存在しているとしか思えない特殊な空間。その中に、漣、澪那、逸也の三人が立っていた。 「……いるのは解ってるんだ。出てきやがれ!」 逸也が叫ぶ。 『……また、新しく仲間をここに召喚しています。その方と合流して下さい』 「そんな事は後でいい! 俺達に何をさせたいんだ!」 「落ち着けよ」 食って掛かる逸也に声をかけ、漣は『光』を見上げた。 「……とにかく三つは答えてくれ。一つは、俺達が召喚されなくなるためにはどうすればいいのか。二つ目に、召喚される周期の短くなってきている理由。三つ目に、この前あんたが言えなかった事」 右手の指を三本立て、漣は問い質した。 漣が聞き出したい情報をまとめると、その三点に絞られる。 『……一つ、侵食を目論んでいる存在を排除する事です。二つ、その敵の存在の力が増してきているという事』 そこまでの答えは明確に帰ってきた。しかし、三つ目で言葉が途切れた。 『三つ、私は、特殊な存在なのです。本来、一つしか持たない意思を、二つ持っている。あなた方の世界、アンダー・ゾーンで言う、二重人格者なのです。そして、そのもう一つの意思が、敵なのです』 口調はほとんど変わらないのに、その声は言い辛そうに聞こえた。 感情がダイレクトに漣達に伝わっているかのようだ。 「……つまり――」 『私を、敵と共に存在を抹消できれば、あなた方の役割は終わります』 漣の言葉の先を、『光』は言った。 澪那も逸也も、それに言葉を失っていた。 (やっぱりな……そういう事か) 漣はそれをある程度は予測していた。 おかしな点があるとすれば、センター・ゾーンにはレギオンと漣達以外には、目の前にいる『光』しか存在を確認していない事だった。アンダー・ゾーンの侵食を目論んでいる当人が、現在でも侵入可能なはずのセンター・ゾーンにいないというのは不自然な事だと言える。トップ・ゾーンにいれば、恐らくはトップ・ゾーンの者達がそれを止めようとするはずだ。そうでないとすれば、目の前にいる『光』が実は敵だった、と結論付けるほかに理由はない。 『しかし、それも容易い事ではありません……』 「お前が死ねば問題は全て解決するんじゃないのか?」 逸也が言葉を返した。 『ええ、ですが、あなた達に力を与えたのも私なのです。その力では、私に致命的な攻撃を加えるのは困難なはずです』 返答に、漣は納得していた。 力を与えた『光』に、その力を使って勝とうとするのは、無茶である。力を与えるという事は、それ以上の力を持っていないとできないだろうからだ。それだけではない。この『光』は、漣達を召喚している本人なのだ。 本来ならば交わらないはずのアンダー・ゾーンとセンター・ゾーンを繋ぎ、そこに漣達のような生命体の意識を連れてくる、というのは尋常ではない『力』が必要なはずだ。 言ってみれば、強制的に漣達を送還する事もできるはずなのである。 『私は、私があなた方に危害を加えぬよう、敵が侵食しようとするのを抑えるので精一杯です。レギオンの排除にまで手が回らないため、あなた方を呼び寄せたのです』 「お前、自害はできねぇのか?」 逸也の言葉は、正直酷だと思う。しかし、それは漣も澪那も心の奥では望んでしまっているはずの事実だ。 『……できません』 答えは、悲しげな声で告げられた。 『私達のような存在には、自殺という概念も、手法も存在しません』 「存在しない……?」 漣はその言葉に引っかかりを感じた。 『……私達のような存在には、死が存在しません』 「――!」 息を呑んだ。 『私達は、意識として生まれ、存在し、ある一定の期間を過ぎると霧散して再構築されます。それが私達の輪廻転生なのです』 「……じゃあ、どうしろっていうんだ!」 逸也が叫ぶ。 死の存在しない、物理的に死を与えられない存在を排除するためには、どうすればいいのか。それが解らなければ、いずれ侵食は完了してしまうだろう。 『私が、もう一つの私を抑え込んで、私の中で消滅させられればいいのですが……』 抵抗が激しい、という事なのだろう。 レギオンが進化を始めている事からも、それは明らかだ。拮抗しているか、漣達の側が不利なのか。そのどちらかと見て間違いないだろう。 レギオンはほぼ無限に湧き出してくるが、漣達は一人ずつしかいない。いかに能力の応用力が高く、個体の戦闘能力が高いとは言え、レギオンは漣達に比べ圧倒的に数が多い。 漣達が有利な状況にあるとは思えなかった。 「その辺に決着がつかないと、俺達は召喚され続けなきゃいけないわけか……」 小さく溜め息をつき、漣は呟いた。 「……でも、抑え込んで、消滅させるなんてできるの?」 澪那が口を開いた。 『完全に消滅させる事は不可能でしょう。けれど、私が抑え込む事ができれば、少なくとも侵食を中止させ、トップ・ゾーンへ帰還させる事ができるはずです』 「頼りねぇな」 『……すみません』 逸也の言葉に、『光』は謝った。 その声には、漣達の心にも響くほどの感情が込められている。それを感じたのか、逸也は視線を逸らした。 『……強いのです。敵は……。できる事なら、あなた方に殺されたい』 深い苦悩を感じる。 殺されたいのに、できない。人間で言う、『生きる』『死ぬ』といった概念のない存在だからこそ言えた発言かもしれない。 『……! そんな――!』 「何だ?」 急に様子が変わり、漣は眉を顰めた。 『……そろそろ交信の限界です……まさか、また抵抗が強く……!』 苦しげな言葉を残し、『光』が遠ざかる。 同時に、闇色の空間が解除され、センター・ゾーン本来の世界が周囲に広がった。 「とりあえず、レギオンが来る前に仲間を探そうか」 溜め息と共に言い、漣はマテリアライズでレーダーを創り出した。 そのレーダーを見て、光点を探すが、見当たらない。漣はレーダーの範囲を拡大させるための追加装置らしいものを創り出し、範囲を拡張させた。 「――あった」 ようやく見つけた光点へと、漣達は歩き出した。 「……全く、勝手に押し付けやがって」 逸也が不満を零す。 「しょうがないだろ、もう」 「お前は迷惑じゃないのかよ?」 「そりゃあ困るさ」 逸也の言葉に、漣は苦笑して答えた。 正直、迷惑しているかと問われれば、迷惑だ、としか言えない。眠る事が好きで、趣味でもあった漣にとって、センター・ゾーンへの召喚は睡眠時間を大きく奪われているのと同義だ。 だが、だからといって、召喚を拒む事は漣にはできない。ここでの争いに決着がつくまでは、召喚され続ける事は避けられないのだ。不満を漏らすだけ無駄だと思う。 「それはともかくとして、これから生き残るためには俺達も強くなる必要があると思うわけだ」 何かまだ不満を言いそうな逸也に、漣は告げた。 「何が言いたいんだ?」 「俺達は多分、能力を使いこなせていないと思うんだ」 漣は自分の掌を見つめて、言った。 「例えば、あんたなら、重力操作で身体能力は上げられるし、ブラックホールもどきも作り出せる。けど、単純にそれだけやっていても、そのうち対応しきれなくなる」 逸也を見て、漣は言う。 「澪那なら、ただ小規模な爆発を起こしていても、威力不足になってくる。かといって、大規模な爆発にすると、俺達も巻き込まれるかもしれない」 次に澪那へと視線を移し、告げる。 「俺にしたって、ただ物質を創り出してぶつけても、威力不足なうえに、俺のは身体能力を上昇させられないタイプの能力だ」 溜め息をつき、漣は言った。 できる事とできない事の境目を、漣達は知らない。それが解らず、どこまでの力が使えるのか解らないから、能力を使う時に威力や降下を知らず知らず落としてしまっている。 「どこまでできるのかを見極めるのが難しいなら、どこまでできるのかを予測するしかない」 漣の場合は、ある程度の予測が立っている。 次に前回と同じようなレギオンが現れても、捌ける自信があった。しかし、数が増えるとなると、澪那や逸也と協力するしかなくなる。そうなった時に澪那や逸也が上手く戦えなかったら終わりだ。 「……予測……」 澪那が呟いた。 何か思うところでもあるのだろうか。 漣の能力は物質の生成だ。言ってしまえば、扱い易いが基本的な攻撃力には劣るタイプである。しかし、澪那や逸也の能力は扱いが難しいが攻撃力の高いタイプだろう。 澪那や逸也の戦力上昇が重要なのだ。 「――急いだ方がいいな」 レーダーに目を落とし、漣は呟いた。 光点が増えていた。レギオンが現れ始めたのだ。 漣はマテリアライズでスケートボードを創り出し、その上に乗った。 「二人とも使うか?」 「ええ、お願い!」 「俺は必要ない」 尋ね、澪那にはスケートボードを創り出した。 逸也は自身の能力を使い、身体能力の上昇と移動速度の加速を行っている。 三人がその場に着いた時、戦闘は既に始まっていた。 一人の女性が、レギオンと戦っている。しかし、その女性は武器もなく、ただ格闘術のみでレギオンと同等以上に渡り合っていた。 「はっ!」 呼気と共に、レギオンの腹部に掌底が決まる。叫び声を上げ、吹き飛ばされるレギオンに、女性が更に追い討ちをかける。倒れたレギオンの首に踵落としを食らわせ、命中した直後に足を捻っていた。人間ならば首の骨が粉砕されているであろう一撃だった。 「……加勢、必要なかったかな…?」 「あら、そうとも限らないわよ」 漣の呟きが聞こえたらしく、その女性は振り返った。 澪那よりも長い髪は艶のある黒。鋭さすらある双眸はそれでも整っていて、美しい。身体つきは、漣や澪那とは明らかに年齢の違いを感じるものだ。 「……あなた達が仲間ね」 「あ、ああ。そうなる」 やけに落ち着いた雰囲気のその女性に、漣は一瞬戸惑った。 「私は湯谷深冬」 名乗った女性、深冬に、漣達も自己紹介を返した。とは言え、告げたのは名前と与えられた能力だけだったが。 「私が与えられたのはリカバライズ。治癒能力よ」 「それにしちゃあさっきの戦闘能力はおかしくないか?」 深冬の言葉に、逸也が口を挟んだ。 「ああ、私、武術習ってるの」 さらりと答えが帰ってきた。 恐らく、普通の空手や柔術とは違う流派だろう。そうでもなければ、あの踵落としのような、致命傷を与えるような技は教わらない。実戦的な古流武術か何かなのだろうと判断した。 (能力がなくてもあのレギオンなら十分倒せる範囲って事か?) 漣は少し感心していた。 治癒能力という全く戦闘に使えない能力を持ちながらも、素手でレギオンを仕留められる。 「それにしても、治癒能力よりももっと攻撃的なものが良かったわ」 深冬は呆れたように呟いた。 それに漣は頷きたくなる思いをしていた。今見た限りでは、性格的にも澪那と深冬の能力は逆の方がいいとすら思えたのだ。 どうやら、深冬は漣達と同じ程度の情報は既に与えられているらしい。落ち着きようから、それが実感できる。 「能力ってのもどういう基準で与えられているのかしらね」 溜め息をつき、深冬は言った。 漣の考えていた事をそのまま代弁している。偶然なのかもしれないし、そうではないのかもしれない。それを知るのはあの『光』だけだが、今は交信ができない状態にある。 「何もない場所ね……水でも欲しいわ」 「あ、飲みます?」 「え?」 深冬の呟きに、漣は尋ねた。それに驚いた表情を向ける深冬に、漣は掌にコップを創り出した。 「生成できますよ。要望があればどうぞ」 「便利なのねぇ、マテリアライズって……。あ、じゃあ赤ワインをお願いしてもいいかしら?」 「味が分からないので却下」 苦笑し、漣は告げた。 「えー……」 「俺、未成年ですし。酒の類は創れませんよ」 それに残念そうな表情を見せる深冬に、漣は言った。 「じゃあ、麦茶でいいわ」 「はいどうぞ」 肩を竦めて言った深冬に、漣は先ほど創り出しておいたコップの中に麦茶を生成させた。 「二人とも何か飲む?」 「じゃあ、私も麦茶」 「俺もそれでいい」 澪那と逸也の返答を聞いて、自分の分を含めて三つのコップと麦茶を創り出し、漣はそれを手渡した。そうして、パイプ椅子を四つ創り出してそのうちの一つに腰を下ろす。それを見て他の三人も椅子に腰を下ろした。 「送還されないところを見ると、まだレギオンが来るな……」 麦茶を煽り、漣は呟いた。 恐らく、ただのレギオンではない、意思を持ったタイプのレギオンが現れるだろう。前回よりも強力なものか、それとも、前回と同型の奴が複数で現れるのか。いずれにしても、初期に出会ったデク人形のようなレギオンは現れないだろう。 レギオンの出現のタイミングが掴めない。それがもどかしく思えた。結局のところ、漣達に主導権はなく、向こうから現れるのを待ち、迎え撃つしかできない。 後手に回らざるをえないのだ。 「……そろそろ来る」 「解るのか?」 深冬の言葉に、漣は驚きつつも問う。 「気配がある。敵意を持った気配がね」 答える深冬の視線には険しさがあった。 気配を感じるというのも、武術をやっているためだろう。何かしら周囲の雰囲気の変化を感じ取るというのは、恐らくは人間が本来持つ能力の一つだ。野生動物の本能とも言えるかもしれない。 「マテリアライズできるんだったよね?」 「ああ、そうだけど?」 「何か格闘の破壊力が上がる武器は創れない?」 「……やってみる」 深冬に促され、漣は武器を生成する。 篭手と間接のサポーターを創り出し、それを渡した。篭手の先端には先の鋭利な突起を持たせ、軽量で硬質な金属で全体を構成した。 「ん、上出来」 言い、深冬は笑みを浮かべてそれを装着する。 (武器か……) 使いようによってはかなりの戦力増強に繋がるかもしれない。 澪那や逸也はどうかと視線を向けるが、澪那も逸也も首を横に振った。武器の攻撃力よりも、能力の攻撃能力の方が威力も応用力も高いという事なのだろう。 「……気配が増えたわ。包囲された」 深冬の言葉に、澪那が息を呑んだ。 「俺は先に仕掛けるぜ」 言い、逸也が椅子から立ち上がった。 そうして、両手で小さな黒い球体、規模を限定したブラックホールを生成し、飛び出して行く。 「中々勇ましいじゃないの。無鉄砲にも見えるけれど」 呟き、深冬も席を立ち、動き出した。 「じゃあ、俺らも行かないとな。一人で戦える自信はある?」 漣の言葉に澪那は小さく、しかし確かに首を横に振った。 それに漣は小さく笑みを返し、逸也や深冬が向かった方向とは別の方へと歩き出した。それに澪那が着いてくる。包囲を分割して全滅させ、その後に合流という作戦に自動的に決まっていた。 少し歩いただけで、レギオンが視界に映った。 前と同じタイプのレギオンがその目に映っただけでも二十を越える数。しかもそれは漣達を包囲しているうちの一部でしかない。そればかりではなく、また新たなレギオンが生み出されている。 大型で、翼を持った新たなレギオン。鳥というよりは、物語に出てくるような龍に近い。しかし、その本体はあくまでも人間に近く、頭部、体、両腕、両足を持っていた。両腕には大きな爪が、両足にも外骨格のような鋭利な装甲があり、頭部には赤いレンズ状の眼が三つ。口も鼻もないその顔が特に不気味に見えた。 「行くぞ……!」 澪那にも自分にも言い聞かせ、漣は駆け出した。 両手に拳銃を創り出し、敵の頭上に手榴弾を複数生成し、安全ピンを抜いて投下させる。投下と同時、レギオンも動き出した。 飛び掛ってくるレギオンの目の前に鉄板を創り出し、進行を食い止める。それによって一瞬動きを止められたレギオンの身体に爆発が生じる。澪那のアシストが始まっている事を確認し、漣は他の左腕を薙ぐようにしてナイフを大量に生成し、腕の動きを起点として射出した。 放たれたナイフがレギオンに突き刺さる。絶叫を上げるレギオンの口に澪那の能力が炸裂し、爆発のエネルギーが体内に流れ込む。そのレギオンの破裂から目を逸らしつつ、漣は次のレギオンに意識を向けた。 両手の拳銃を頭部に撃ち込み、反動で手が浮き上がった瞬間にそのレギオンの背後にナイフを生成。それに動作を与えてレギオンの背中に突き刺し、再度両手の拳銃の引き金を絞る。 近付いて来たレギオンの攻撃を創り出した鉄板で受け止め、その一瞬の隙に飛び退いて銃弾を打ち込んだ。赤いレンズ状の眼に命中し、レンズが割れた。内側から粘性のある青い液体が溢れ出し、漣は顔を顰める。 背後で爆発が起き、漣に襲い掛かろうとしていたレギオンが吹き飛ばされる。振り向けば、澪那の周囲にもレギオンが迫りつつあった。 (ミスチョイスとも言ってられねぇなぁ) 焦りを押し殺し、苦笑を浮かべて漣は駆けた。 澪那の背後から襲い掛かろうとするレギオンの目の前に巨大な剣山を創り出し、慣性で止まれないレギオンを串刺しにする。拳銃を投げ捨て、両手にチェーンソーを生成。両方の紐を噛んで押さえ、思い切り手を引き離し、紐を引いて両方のエンジンを始動させた。それを水平に腕を降って投げ付ける。 もう一方も投げ付け、次に両手に生成したものは警官隊が使うような形状の盾。 チェーンソーはレギオンを切り裂き、薙ぎ払いながら突き進み、失速して落下する。あまり多くのレギオンを倒す事はできなかったが、それでも漣と澪那を一直線に結ぶ道を切り開いていた。 「澪那!」 呼び掛け、澪那が漣へと駆け寄ってくる。 それを確認して盾を手渡し、漣は澪那の背後から迫るレギオンへと意識を向けた。 「俺と同じ方向に盾を向けていてくれ!」 言い、漣は物質を生成する。 ニトロの水滴を多数生成し、レギオン達目掛けて動作を与えた。放たれた水滴がレギオンに命中し、起爆する。その爆発を漣と澪那は盾で受け止めた。 「悪い……これしか一掃する手が思いつかなかった」 一言謝り、漣は残りのレギオンへもニトロを放った。 「……ねぇ、あのレギオン、倒せた?」 「――!」 澪那の一言に、漣は周囲を見回した。 新型のレギオンを倒した記憶が漣にはない。巻き込まれて倒されていればいいが、恐らくそうもいかないだろう。翼があるというだけで目立つはずの存在が戦闘中には全く見かけていない。 「……上か――!」 不意に上空から落ちた影に、漣は空を見上げた。 『お前達の戦い方は見させてもらった』 口もないレギオンの言葉に、漣は背筋が粟立つのを感じた。 前のものと違い、学習能力があるレギオンになっている。 (……まずいな) 漠然とそう感じた。 もし、目の前にいる新型レギオンの言葉が事実だとするなら、漣と澪那の戦術は通用しない。ただでさえ、漣達は地上戦しか経験していないのだ。対空戦闘など考えているはずもない。 あの『敵』と呼ばれる存在がそこまで考えて創り出したのだろうか。漣や澪那が基本的に地上にいるものしか戦った事がないから、今までの戦術が通用しないであろうレギオンを創り出したとも考えられる。学習能力というのも、同様だ。レギオンがより、生物らしくなっている。 翼を一度はためかせ、レギオンが動いた。横にスライド移動し、空中で軌道を変えて漣へと突撃してくる。 「――!」 レギオンと自分の間に漣は鉄板を生成した。 だが、その鉄板をレギオンは容易く切り裂き、漣へと爪を振るう。今まで持っていた盾で受け止めるが、爪の先端が盾を突き破った。それでも完全には切り裂かれず、しかし漣はその攻撃の圧力に耐え切れずに弾き飛ばされた。 「漣っ!」 澪那が悲鳴を上げる。 盾が手から離れ、地面を転がる。アンダー・ゾーンの地面だったならば全身に擦り傷でもできただろうが、センター・ゾーンの地面ではそれもなかった。ただ、衝撃だけが漣の身体に打ち付けられた。 「くっ……!」 身を起こそうと動かす身体の節々が重い。 レギオンが迫ってくるのに、対応できない。それがはっきりと解った。 マテリアライズでナイフを創り出すも、レギオンはそれを腕でいとも簡単に振り払う。ナイフの刃が砕けているのが漣には見えた。 『まずは一人目だ』 レギオンの言葉に、漣は目を逸らさなかった。 瞬間、レギオンの目の前で爆発が生じた。爆発は連続して起こり、レギオンの身体を包んで行く。 『この程度では我を倒せるとでも?』 その言葉に、澪那の肩が震えた。 「ニトロ!」 叫び、漣は爆薬の水滴を叩き付けた。 『――甘い』 しかし、その水滴はかわされた。 恐らくはニトロならばダメージを受けると思ったのだろう。それだけでも解ったのはいいが、他に動きを止める手も、ダメージを与える方法もないのなら、打つ手はない。ニトロ・レインをやろうにも、それを生成している間に漣が殺されてしまえばその技も完成しない。 レギオンが爪を引き、構えた。 (かわせない――!) 直感的に判った。 ただの人間の身体能力では、攻撃をかわしきれない。澪那の爆発でも減速すらしないだろう。マテリアライズの思考も間に合わない。 「――!」 爪が肌に食い込む。腹部の真ん中辺りに食い込んだ爪が、漣の右脇腹へと流れるように動いた。切り裂かれ、血飛沫が飛び散る。咄嗟に取っていた回避行動は、爪の食い込みを多少浅くした程度だった。 熱いと、感じた。何か、重大なダメージを受けたのだと脳は理解していても、身体はそれに応じない。爪は振り抜かれ、それにこびりついていた血が振るい落とされ、赤い弧を描いた。漣はその場に立ち尽くす。動いたら、二度と立ち上がれないのではないかと思えて、漣は指一つ動かす事すらできなかった。 『もろいな……生物というのは』 頭上から投げられる言葉。顔を上げようとして、漣は膝を着いた。 「ぐ――っ!」 膝が地面に着いた瞬間、その振動で身体の感覚が戻る。今まで感じた事のない強烈な激痛が脇腹から全身へと爆発のように拡散する。だが、それでも身体は動かない。うつ伏せに倒れ、血溜まりを作る。 意識はまだはっきりとしているが、身体の感覚がぼんやりとしていて、動かす事ができそうにない。既に眠った状態の漣の意識が、ここで薄れて消えてしまったとしたら、それが死だろうか。 どうにか視線が水平に向いた時、レギオンは澪那へと爪を振り下ろそうとしていた。だが、その澪那の表情に、恐怖はなかった。 澪那がレギオンへと視線を向ける。その視線には躊躇いも、迷いも存在しない。澪那の周囲で凄まじいまでの爆発が生じた。瞬間的に膨れ上がったエネルギーが、レギオンへと集中する。それに耐え切れず、レギオンが吹き飛ばされた。 『……威力が、違うだと……?』 レギオンの困惑の声が聞こえた。 澪那が手をかざす。その先で、赤い閃光が生じた。細い、糸のような光の筋が一点へと集約し、その一点が赤熱し、エネルギーの上昇によって白熱する。 澪那が何か叫んでいたようだった。集約した閃光がレーザーのように放射され、レギオンがそれをかわそうと身を捻るが、遅い。音を明らかに越えているであろう、一瞬でレギオンの胸部中央に到達した閃光はそこに拳大の穴を穿ち、突き抜けた。澪那をその腕を振り上げ、それにつられて閃光も上へと振り上げられる。瞬間的に行動の止まったレギオンの首から上が吹き飛び、絶命する。 「――!」 澪那が駆け寄ってくる。 口の動きで、何かを喋っているのが判るが、その言葉は判別できない。だが、漣はその澪那の目尻に涙が浮かんでいるのを確かに見た。 澪那は両腕で漣を抱え上げると、足元を爆発させてその勢いで加速した。どうやら、澪那自身は爆発でダメージを受けないらしい。その時に生じる圧力などのエネルギーを操って、移動速度の上昇に使っているのだろう。 そんな事を漠然と考えながら、漣は澪那に運ばれていた。澪那はどうやら仲間を探しているらしく、上空に一度飛び上がって周囲を確認するとその方へと一気に加速する。 やがて、逸也と深冬の元に合流した澪那は涙を流しながら深冬に何か言葉を放つ。深冬は頷き、地面に横たえられた漣に手をかざした。 (……温かい?) どう説明していいのか解らない心地良さを感じた。それが傷口のある部分から周囲に拡散し、反射するようにして傷口へと戻る。波のように、行っては戻り、戻っては再度行く。それを繰り返しているうちに、漣の身体に感覚が甦ってきた。 「……う」 呻き声が出せた。 それからは早かった。次の瞬間には痛みは消え、身体の感覚は全て元に戻り、傷は治癒されている。 身を起こした漣の背中を、深冬が思い切り叩いた。 「あいたぁ! 何するんだ!」 「女の子を泣かすな馬鹿もん」 叩かれた痛みで飛び起きた漣に、深冬が告げた。 一瞬、澪那に視線を向ければ、澪那は顔を逸らしていた。その頬が赤くなっているのを見て、漣は苦笑する。 「……ありがとう」 澪那と深冬、二人に向けて言う。澪那は微笑み、深冬は何か含んだような笑みを浮かべた。 「二人がかりで行ったのに負傷したのかよ」 「そういうあなたもボロボロだったでしょうに」 逸也の言葉に、深冬が小さく、しかしはっきりと呟いた。 それに逸也の動きが止まる。見れば、逸也の服はいたるところが裂けており、逸也自身が無傷なのが不思議と思えるほどの有様だった。深冬に治癒してもらったというところだろう。一方の深冬は、服には切れ目が入っていたが、無傷のようだった。紙一重で全てかわしたという事なのだろうか。 「とりあえず、今回は凌げたって事だよな」 大きく溜め息を一度吐き、漣は言った。 |
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