――其の四 Recoverize――


 休日、漣は久しぶりに近所の本屋に来ていた。
 午前中はほとんど寝ていたため、朝食と昼食を一緒に取ってから家を出て来ている。ここ一週間の疲れはその睡眠でほとんど取れた。
 何か買いたいものがあって本屋に来ているわけではない。立ち読みなどで、その場で気に入ったものがあれば買うつもりではいるが、明確な目的はなかった。
 本屋としてではなく、音楽CDやゲームソフトなども売っている店だ。本以外でも見回る事のできる場所はある。
(……収穫はなし、かな?)
 一通り、本売り場を見回って、漣は思った。
 収穫がなかったからと言って、損だとは思わない。それだけ所持金を使わずにすむからだ。どちらにせよ、よっぽどの事がない限りは損はしないのである。
 とりあえず、週刊の漫画雑誌の立ち読みは忘れない。気に入っているものだけを読んで、購入せずに元の場所に戻す。
(そういや、マテリアライズじゃ本は創れないなぁ)
 本屋に来て、そう感じた。
 漣が望む物体を生成できるとは言え、漣の意識が及ばない部分はある。拳銃などは、実際に存在する拳銃よりもディテールが甘いぐらいだ。それを考えれば、漣が望むものでも、漣自身がはっきりと意識していなければ完璧なものは創り出せないという事だ。
 漣のマテリアライズでは、本そのものは創れても、何も書かれていないまっさらなものができるのは確実なのである。もし、仮に内容が書かれていたとしても、漣が読んだ事のある漫画や小説と同じ内容のものができるだろう。結局のところ、マテリアライズで書物を創り出すというのはかなり難しく、面倒なのだ。
 本の部分を十分に見た漣は、続いて音楽CDの売り場へと回った。
 ジャンルで棚別けされ、CDが隙間なく詰め込まれている。本で言う背表紙の部分を眺めて、気に入っているアーティストの新曲でも置いていないかと探してみるが、まだ出ていないらしく、見つからなかった。日本の曲を見て、外国の曲を飛ばし、テレビドラマやアニメなどのサウンドトラックの棚も一通り確認する。
(あぁ、CDも創れないな)
 漣が創り出したところで、漣自身が聞いた事のある曲のコピーCDしか創れないだろう。それに、CDだけ創り出しても意味がない。プレーヤーも創り出さなければ、聴く事は不可能だ。そんな面倒な手順を踏んでまで、センター・ゾーンで音楽を聴きたいとは思わない。
 物質を創り出すには、まず創り出すものについて明確なイメージが必要だろう。
 そのため、特殊な攻撃となる物質は創れないだろうと、漣は考えている。その面を補うために澪那や逸也、深冬が、マテリアライズでは不可能な能力を持たされているのだろうから。
(らしくねぇなぁ)
 溜め息をつく。
 最近はマテリアライズの事ばかり考えている。それだけ、マテリアライズでの戦闘に限界を感じてきたという事なのだろうか。正直なところ、漣にとって現在の戦闘はかなりキツイものになっている。澪那は破壊力と貫通力のある攻撃が可能になり、逸也は身体能力の上昇まで行える能力だ。深冬は、自分の限界を知っているのか、生身の格闘術しかないのにそれでレギオンを倒せている。倒せなくとも、アシストを完璧にこなしているのだ。
 漣だけが、揺れている。周りにはそれを見せていないが、漣は自分の能力に戸惑っていた。
「……お」
 不意に、一枚のCDに手が伸びる。漣の気に入っているアーティスの新曲が一つだけ残っていた。
「ん、安いな」
 特価、と書かれた値段を見て、漣はそれを買う事にした。
 他に買いたいものはなかったため、漣はそのCDを持ってレジへと向かう。漣がレジを済ませて、品物と釣銭を受け取った直後、漣の後ろに並んでいた人がレジの前に立つ。
「――あ……!」
 その人物、澪那と目が合った。同時に互いを見て驚き、声を上げる。
「何? 澪那、知り合いなの?」
 澪那の後ろから少女が現れた。漣が前に見かけた、澪那と話していた少女だ。
「う、うん、ちょっとね」
 戸惑いながらも澪那が友人に答える。
「へぇー、澪那も隅に置けないねぇ」
 含み笑いを浮かべて、少女が澪那を肘で突く。
「そ、そんなんじゃないよ」
 代金を支払いながら、澪那が慌てたように少女に言った。
「そう? 普段は男となんて全然話さない癖に」
「もう、からかわないでよ友美」
 どうやら澪那の友達の少女は友美と言うらしい。
「それで、彼とはどこまで行ったの?」
「だからそんなんじゃないんだってば」
 漣は二人のやり取りをただ眺めていた。その場から立ち去ろうと思えば、直ぐにできたというのに。
 二人のやり取りが面白かったというわけなく、会話に参加したかったというわけでもない。理由も解らず、漣はただその場に立って成り行きを見ていた。いや、動けなかったのかもしれない。
 だが、このまま何もせずにただ立ち尽くしているわけには行かないだろう。
「――じゃあな」
 一つ小さく溜め息をつくと、漣はそう告げて澪那達に背を向けた。
「あ……」
「いいの? 行っちゃうよ?」
 澪那の声と、友美の言葉が遠ざかる。
(彼女、なんて言えるレベルじゃねぇもんな)
 小さく、苦笑を浮かべた。
 今までの事で好感はあるし、彼女だったら良いと思う事もある。だが、所詮、漣と澪那の間にあるのはセンター・ゾーンを生き残るための戦友という関わりでしかない。当たり前の事だが、漣とっても澪那にとっても、あの時間は決して心地の良いものではない。現実と織り交ぜたくないものであるのならば、この世界で二人は関わるべきではないのだ。
「――漣!」
 背後からかけられた声。駆け寄るように、急速に近付いてくる足音と息遣い。
 思わず振り返れば、そこには確かに澪那がいた。
「澪那……?」
 驚き、呟く。
「……少し、話せないかな?」
「構わないけど、友達の方は? 一緒に来てたんじゃないのか?」
 澪那の申し出に、漣は正直、動揺していた。
 彼女の方から漣に話を持ち掛けるのはこれが初めてだった。
「店で偶然会ったから一緒にいただけ。それに、行けって言われちゃったの」
 苦笑を浮かべて、澪那が言う。
 その、普段の表情を見せる澪那に、漣は返答を返す事を忘れていた。
「……どうしたの?」
「ん? ああ、何でもない」
 澪那が首を傾げて言うのに、漣は慌てている事を隠して、何事もなかったかのように誤魔化した。
「それで、話って?」
「……私の事」
「澪那の?」
 聞き返すと、澪那は小さく頷いた。
「私、男の人と話した事、無かったの。だから、漣と最初に会った時と、今の私、全然違うでしょ?」
「……ああ」
 自覚してたのか、漣は心の中で付け加えた。
 人見知りが激しいと言いたいのだろうか。センター・ゾーンに召喚されたという異常な状況に放り込まれ、今まで全く関わりのない人間と共に戦う事となったのだから、それ自体に不可思議なところは何もない。
「……ご、ごめんなさい!」
「へ? 何が?」
 澪那がいきなり頭を下げた。
「……本当は、何も話す事なんてないの……」
「え?」
「自分でも、何がしたいのか解らないのよ。でも……」
「……つまり、俺と付き合いたいと?」
「何でよ! 飛躍し過ぎ!」
 漣の言葉に、澪那が叫んだ。
 それに、漣が吹き出す。予想以上の反応がおかしかった。
「ただ、漣と話をしたかったのは本当なのよ」
 笑われた恥ずかしさでか、顔を赤くして、漣から目を逸らして澪那が言う。
「話っつってもなぁ……」
 漣は苦笑した。
 澪那から漣に何も話がないのであれば、澪那は漣の話が聞きたいという事になる。しかし、漣にとっても、澪那に対して別段話しておきたい事はない。結局、会話もなくただ歩いていくというだけになってしまう。まるで互いに別れ話でも切り出そうとするぎこちないカップルのようだ。
 話題が全くないわけではない。ただ、漣がそれを話題にするには抵抗があるだけだ。
 センター・ゾーンでの事ならば、話題にはなる。しかし、それは今話さなくとも良い事であり、話したから何かが変わるというものでもない。ただの状況確認に終始してしまうのがオチだ。
 進化していくレギオンが、次にどんな変化を遂げているのか。それに対処するためにはどうすればいいか。
 それが、今可能な最も簡単な会話だ。しかし、漣と澪那の二人で話し合った結果が、実際に進化を遂げたレギオンと一致しているとも、対処法も正しいとは思えない。
「……成績の方はどう?」
 結局、漣が問いかけたのはそれだった。
 無言で歩き続けるのも厭だし、漣が話題を振らなければ、澪那にはもう話題はないのだ。
「成績? どうしてそんな事聞くの?」
「いや、言いたくないなら別にいいんだけど。ほら、色々あるからさ、俺は少し成績下がってるんだよね」
 澪那の疑問に、漣は苦笑して答えた。
「私は、変わらないようにしてるわ」
「そりゃ凄いな」
 澪那の言葉に、漣は素直に感心した。
 今まで見ていた内向的な印象から、変にノイローゼになっていないかと心配した事もあったのだ。しかし、そうではないようだ。現実は現実として、アンダー・ゾーンとセンター・ゾーンを完全に区別しているという事なのだろう。やってできない事ではない。
 要は、下校後、帰宅してからしっかり勉強さえしておけばいいのだから。
「……漣は変わらないね」
「え……?」
「……明るくて、でも冷静で……」
 思わぬ澪那の言葉に、漣は言葉を失った。
「少し、羨ましいな……」
 澪那が漣の視線を見返す。
 優しげで、それでもどこか儚げな視線に、漣は自分の心を見透かされているのではないかとすら思った。
「そう言われると悪い気はしないね」
 微笑み、漣は告げる。
(……そうでもないけどな……)
 心の内では逆の事を思いながらも、漣はそれを言わずに、別の言葉を告げていた。
「そういえば、何を買ってたんだ?」
 さり気なく話題を逸らし、漣は澪那の抱える本の入った紙の包みを見る。
「あ、これはね……」
 澪那がその話題に乗ってきた事に心のどこかで安心し、漣は会話をそこから自然に発展させていった。
 好きな本、好きなアーティストについて、二人の帰り道が分かれる場所まで、漣と澪那は話し合う事となった。

 *

 召喚されたと判断するのに、もうほとんど時間はかからないようになっていた。少し前から続いている、『光』と交信可能な闇色の空間の中に四人が立っている。
「……さてと、何か状況に変化でもあったのか?」
 仲間達と目配せをして、漣は口を開いた。
『ええ、変化がありました』
 心なしか、明るく感じる声だった。
 そこで、漣は『光』と対等な関係になっている事に気付いた。恐らく、前回か、前々回辺りからだろうが、漣達の口調には『光』を恐れたり、指示を仰いだりするような態度は含まれてはいない。
『私の力が、勝り始めているのです』
「本当か!」
 その言葉に食いついたのは逸也だった。
『はい、今回のレギオンを殲滅する事ができれば、敵を抑え込む事ができるはずです』
 どうやら、レギオンを殲滅し続けてきた事は、『敵』に対して相当な精神的ダメージを与えていたらしい。強化、進化させたレギオンを漣達が尽く殲滅してきたのだ。『敵』の自信には亀裂が入っている事だろう。
 それが、『光』の中で『敵』の勢力を弱まらせたのかどうかは解らないが、無関係ではないだろう。
 少なくとも、次に『敵』がレギオンを生み出すまでには『光』がもう一つの自分を抑え込む事ができるという事なのだ。これを凌げば、戦いは終わる。
『ですが、気をつけて下さい』
「……まぁ、そうだろうな」
 漣は『光』の言いたい事が解った気がした。
『敵も、今回がこの戦いの転機になる事を悟っています。恐らく、敵が最も強いと思うレギオンを生み出し、ぶつけてくるでしょう』
「叩き潰してやるさ、どんな奴でもな」
 逸也が、胸の前で右拳を左掌に打ち付ける。その口元には笑みが浮かんでいた。
『……抵抗が激しくなってきました。もしかしたら、敵があなた達と話したいのかもしれませんが、私は屈するつもりはありません』
 その言葉は、『光』が自分にも言い聞かせているのだと、漣は感じた。
(……敵の言葉を聞いてみるってのも悪くないかもしれないがな)
 だが、そう思うのも事実だった。
 目の前にいる『光』が完全に漣達の味方であるという保障は何も無く、『敵』に関する情報も全て『光』がもたらしたものだ。もしかしたら、『敵』の方が味方だったという可能性がゼロとは言えない。敵の言葉や態度も見てみたいと思ったのは、情報を総合的に見るためだ。
『レギオンの事はあなた達にお任せします』
「ああ、必ずぶっ倒してやるぜ!」
 逸也が握り拳を顔の前に掲げて答える。
 これが最後だと聞いて、逸也は明らかに喜んでいた。相当、この召喚の時間が厭なようだ。確かに、漣も好きだとは決して言えないわけだが。
 闇色の空間から、『光』が遠ざかっていく。そして、周囲の闇に亀裂が走り、砕け散るようにして空間が消失した。
 放り出されたのは、センター・ゾーンでは見慣れた禍々しい景色。
「レギオンが来る前に、皆に聞いておきたいんだけど」
「何かしら?」
 漣の言葉に、それまで黙っていた深冬が口を開いた。
「皆の携帯電話の番号を知っておきたいんだ」
「これで終わりなんだろ? そんな必要どこにあるんだ?」
 その返答に、逸也が抗議する。
「最悪の事態を考えて、かしら?」
「ああ、念のためだ。この後何もなかったら一生連絡はしないつもりだ」
 深冬の言葉に、漣は告げた。
「あら、ちょっと残念ね」
 目を細め、微かに微笑む深冬にはかなりの色っぽさがあった。
「俺と逸也、澪那と深冬が電話番号を交換しておけば事足りると思う」
 深冬から目を逸らし、漣は逸也へと視線を向ける。
 もし、逸也のいる付近で何か異変が起きた時は、連から澪那、澪那から深冬へと情報が伝わり、深冬のいる付近で異変が起きた場合は逆の順序で情報が伝達される。
 四人全員が電話番号を交換してしまえば、誰が誰のものなのか混ざり合ってしまう危険があると考えた漣の策だ。このセンター・ゾーンに、アンダー・ゾーンで使っている携帯電話は持ってこれない。電話番号を登録するには、朝、目が覚めた後で記憶を頼りに手動で登録するしか手がない。その時、三つも電話番号を記憶しておかなければならないのは面倒でもある。
 漣の考えた通りにすれば、一人が覚えておく必要がある電話番号は一人だけだ。漣と澪那は、起きている時にでも電話番号を交換しておけばまず問題はない。
「中々頭が働くのね」
 少し感心したように深冬が呟いた。
「それで行きましょう」
 その一言を言ったのが澪那であった事に、漣は驚いたが、頷いた。昼の事もある。
「……仕方ねぇな」
 渋々と、逸也も同意した。
 それを確認して、漣は逸也と、澪那は深冬と携帯電話の番号を互いに口で言い合った。それを何度か口の中で反芻して、記憶に焼き付ける。
 携帯電話の番号を教え合った後、漣達は周囲を警戒し、その場で様子を見ていた。
『……これ以上、私の邪魔をしないでもらおうか』
 不意に、頭上から声が聞こえた。
「――!」
 そこには、闇色に光る存在がいた。直感的に、それが『敵』なのだと解る。
「てめぇが親玉か!」
 逸也が重力球を創り出し、投げ付けるも、敵の身体はその球体の影響を受けず、ただ重力球だけが突き抜けていった。
『無駄だ。この場では、お前達は私には触れる事はできない』
「くっ……」
 その言葉に、逸也が歯噛みする。
「……その状態だと、あんたのもう一つの意識はどうなってるんだ?」
『私が、奴の周囲を覆っている、という表現が解り易いだろうな。存在してはいるが、私がしている事、お前達と喋っている事は奴には解らない。ただ、何かしら行動しているのだという事は、奴にも解るだろうな。私もそうだった』
 漣の問いに、思っていたよりも丁寧に『敵』が説明した。
「何が目的で私達の前に出てきたのかしら?」
 次の問いは深冬が放った。
 今まで、漣達に接触してきたのは『光』だったのだ。だが、今は『敵』が目の前にいる。それには、何かしらの意図があってのものだろう。意思ある者なのだから、それは確実だ。
『人間というものを、実際に見ておきたくてな。今回の戦闘は拝見させてもらう』
「……どういう意味だ?」
 逸也が問う。
『今回のレギオンが最後の形態だ。その力に対して、お前達がどう動くのか見させてもらう』
 その問いに、『闇』が言う。敵対しているせいか、口調は多少荒いがそれでも問いには律儀に答えている辺り、『光』と同じものを漣は感じた。
 しかし――
(……おかしいな)
 そうも思う。目の前の『闇』の態度は明らかに不自然だと感じた。人間として、ではあるが。
「……えらく自信があるみたいだな」
『……ほぅ、そう思うか?』
「ああ、あんたはもう一つの自分に抑え込まれそうな状況のはずだ。そんな状態で勝気にいられるな?」
 漣の問いに、『闇』は驚いたようだった。それに返す問いに、『闇』は確かに笑った。
『お前達さえ倒せれば状況はいくらでも変えられる。自信はあるさ、何故なら――』
 気配が、動いた。
 そう、『闇』が告げた瞬間、漣達の目の前の空間に闇色の霧が生じる。そして、地面から何かが創り出されていた。灰色に鈍い光を放つ鎧靴が二つ創り出され、その中から茶褐色の肌を持つ足が伸び、やがて二つの足は一箇所で接触し、そこに腰と鎧が生み出され、更に伸びていく。あまり大きくはない身体から、二本の腕が伸び、首、頭が創り出された。
「――!」
 漣達は息を呑んだ。
 目の前に生み出されたのは、レギオンではなく、人間だった。漣の目の前には、灰色の鎧を着込んだ『漣』が立ち、澪那の前方には同じ鎧を纏った『澪那』がいる。逸也の前にも、深冬の前にも、生き写したかのように『逸也』と『深冬』が立っていた。
 ただ、違うのは鎧を着込んでいる事と、肌の色だ。漣達の肌よりも、色が濃く、顔には紋様が刻まれている。額から、黒い筋のようなものが左右に目へと伸び、閉ざされたままの瞼の上を通って、頬の半ばまで筋が刻まれている。額ではその黒い筋が交差し、髪の生え際で途切れていた。
『レギオンの最終形態はお前達の強化コピーだからだ』
 そう、『闇』が告げる。
「馬鹿な……そんな事が……!」
『センター・ゾーンの地面は、私がお前達を写し取るために創り出したコピー機のレンズだったのだ。お前達の性格も、力も、戦い方も全てを彼等は知っている。そして、その力は私が全て底上げしてある』
 逸也の上ずった声に、『闇』が言った。
 合点がいった。センター・ゾーンが完全に支配される前から、この地面は『闇』によって創られていた。それは、『闇』がアンダー・ゾーンへ侵入しようとする尖兵であるレギオンに与えた足場であり、それを防ぐために『光』が送り込む漣達との戦闘を記録するカメラのレンズの役割もしていたという事だ。そして、完全にセンター・ゾーンを支配した『闇』は、その記録からレギオンを強化して行ったに違いない。
 レギオンの身体能力に、漣達と同様の力を持たせれば、戦闘能力としては全てが漣達を上回った存在が完成する。
『お前達に勝ち目はない』
「……それはどうかしらね」
 静かに、深冬が告げた。
『……ほぅ、そうか?』
 その言葉に、レギオン達がゆっくりと目を開ける。
 開かれたその眼は、赤い瞳をしていた。今まで戦ってきたレギオンである証だとでも言うかのように、赤い瞳が漣達へ向けられる。
『それでは、戦ってもらおうか』
 声と共に、レギオンの『漣』が右掌を上空に掲げた。
「――!」
 その動きで、漣は瞬間的に理解した。
『ニトロ・レイン』
 目の前の『漣』が告げる。
 少しだけズレた、二重に聞こえる声だったが、確かにその声は漣のものだった。それに、漣は嫌悪感を抱いた。
 以前、漣が使った広範囲に敵を攻撃する高威力の攻撃だ。それを、敵は知っている。そして、それと同時に、敵も同じ能力を持ち、同じ技を使えるのだ。
「れ、漣っ!」
 澪那が悲鳴を上げ、漣へと視線を向ける。
「……」
 漣はその澪那を見返す事もせず、右手を頭上へと上げた。
「ニトロ・レイン?」
 逸也と深冬がその名前に首を傾げたようだったが、説明している時間はない。
 この場で『漣』を攻撃しても、周りにいるコピーの『澪那』達が防御に回るだろう。そうなれば、無防備になる漣は反撃を受ける可能性が高い。技を凌ぐには、攻撃をせずに防御するしかない。
「自分の技だ。対処法ぐらい考え付く!」
 言い、漣は上空に手榴弾を創り出した。
 直後、手榴弾が爆発を起こす。ニトロ・レインの一滴が手榴弾に触れた事で起爆し、手榴弾を爆発させる。その爆発は周囲のニトロを巻き込み誘爆を起こし、全てのニトロを爆発させた。
 空が爆発で照らし出され、風圧と轟音が地上に降り注ぐ。
『なるほど、誘爆させれば全てが消えるか……』
 右手を下ろしながら、『漣』が呟く。
 ニトロ・レインの欠点は、広範囲に攻撃する際に、雨のように隙間なくニトロの雫を落下させるために、最初の一つが爆発した瞬間に全ての雫が誘爆してしまうという事だ。だが、その誘爆によって、隙間無く爆発が起こり、雨を降らせた場所は、上空でさえもその爆発が逃れられなくなる。
「ニトロ・レインはもう通じない。どうする?」
『一対一でやろうぜ』
 漣の言葉に、レギオンの『逸也』が答えた。
「良い度胸だ。俺のコピーなんてくだらねぇもんなんかぶっ潰してやる!」
 逸也が吐き捨てるように言い、目の前にいる『逸也』を睨み付ける。
『手を出すなよ?』
 仲間達にそう告げると、『逸也』が前に出る。逸也も前に歩み出て、睨み合う。
 そして、『逸也』が手を上げると同時に逸也が駆け出した。重力を制御して加速し、一瞬で距離を詰めて重力球を叩き付けるように投げ付ける。『逸也』が腕を薙ぎ、重力波に逸也が吹き飛ばされた。
「ちっ……!」
 舌打ちし、空中で重力制御を再開すると、逸也はその場で体勢を整え、急加速してレギオンに突撃する。
 重力波を『逸也』に放つ逸也に、対するレギオンも重力波で対抗していた。一瞬、二者の間の空間が揺らいだように見えたかと思った直後、逸也が吹き飛ばされた。
「……!」
 無言で、歯噛みする逸也の顔には、怒りの表情が見て取れる。
「馬鹿、熱くなってどうするのよ」
 深冬が呟いた。
 それが聞こえたのか、逸也の表情が変わる。口元を引き結び、急加速をかけると、重力球をいくつも放った。敵がそれを同じ重力球をぶつけて相殺した瞬間、ブラックホールを壁のように引き伸ばしたものを、逸也は自分のコピーに叩き付けていた。
『ふん、こんなもの』
 敵が呟いた瞬間、その眼前に同じブラックホールの壁が創り出され、相殺させる。
『――!』
 瞬間、逸也がその壁の向こうから突撃してきていた。
 その手にはブラックホールの球体を引き伸ばして創り出した剣が握られている。
「グラビティ・ソードぉっ!」
 叫び、逸也が叩き付けようとした瞬間、『逸也』は重力波で逸也を吹き飛ばし、自らの手にも重力の剣を創り出した。
『お前にできて俺にできない事はない!』
 言い、駆け出す『逸也』に、逸也も立ち向かう。
 互いの重力剣をぶつかり合うと同時に、『逸也』が重力波を逸也に放つ。それを逸也は重力制御で身体を横に引っ張って位置をずらし、からした。更に重力で加速し、ブラックホールを踵の周囲に纏わせて回し蹴りを放つ。それを同じようにブラックホールを腕に纏わせた『逸也』がその腕で踵を受け止める。重力が相殺し合い、効果が打ち消されると同時に、腕と足が接触する前に逸也は重力制御で足を引いた。
 強引な行動に身体には相当な負担がかかっているはずだが、逸也はそれを表情に一切出さず、戦っていた。意外と身体能力は高いようだ。
「なぁ、コピーってのはな……」
 逸也が自分のコピーへと言葉を放つ。
『――!』
 レギオンの動きが止まる。『逸也』の周囲八方向に重力球が生み出されていた。それが肥大するにつれて、『逸也』の身体の自由が奪われている。
「同等か、劣化しかしないもんなんだよ!」
 言い、逸也が笑みを見せた瞬間、『逸也』の身体が膨れ上がった。
 戦闘中、敵の周囲に、眼にも見えず、影響力もほとんどゼロに近い重力球をあらかじめ創り出しておき、八方向に創り出せたところでその重力を等しく強くする。こうする事で、敵は周囲に重力で引かれる事となり、身体を動かす事ができなくなるのだ。
『ぐ……馬鹿な……!』
「能力の底上げとは言っても、重力の強さってのは底上げできないだろ」
 そう、能力の基本的な性能が底上げされているとしても、重力制御はその重力の強さそのものを強化する事はできないはずだ。重力制御にかかる本人への負荷は小さくできても、重力自体を強くしたところで、同じ重力である限り、逸也でも同じ重力を生み出す事はできるのだ。負荷は大きくとも、それに耐えられるのならば、逸也にも勝てるという事である。
「俺のコピーとしては劣化し過ぎの不良品だな!」
 言い、逸也が掬い上げるように掲げた右手を握り締め、顔の前まで引き寄せた。発生させた重力を相殺できるだけの力を敵に生じさせる隙を与えずに、逸也は重力を一気に強くする。
 その瞬間、『逸也』が外側からの重力に耐え切れず、破裂する。そして、破裂した身体は全て周囲の重力球に引き込まれ、重力に押し潰されて消滅した。
「……どこが強化コピーだ」
 吐き捨て、漣達の元へ戻ってきた逸也は汗だくの状態だった。やはり、負荷に耐えていたのだろう。相当な負荷がかかっていたのだろうから、消耗は凄まじいはずだ。
『……次は、私が行くわ』
 前に進み出る『澪那』の声は、確かに澪那と同質のものであったが、漣には酷く耳障りに聞こえた。
「……」
 澪那が自ら前に出たのは、漣には少し意外だった。
 だが、それが本来の澪那なのだろうとも思う。昼間の事や、友人と話していた澪那の方が、恐らくは本来の姿なのだ。
 先に動いたのは敵の『澪那』だった。掌をかざし、その前の空間にエネルギーを生じさせる。核融合によって生じたエネルギーを全て熱に変換し、それを一直線に放出した。
 同じものを放射し、澪那は敵の攻撃を相殺しようとする。しかし、放射され続ける敵の攻撃に、澪那の攻撃が押され始めた。
「――!」
 立ち位置をずらし、攻撃をかわし、澪那は駆け出した。足元で核融合のエネルギーを炸裂させ、加速して急接近する。
 敵が核エネルギーを爆発として起こそうとするのを、澪那は寸前で横に跳んで避けた。着地した澪那を爆破しようとする『澪那』に、今度は澪那が爆発を生じさせる。そして、その爆煙の中へ飛び込んだ。
「陽光の剣……!」
 澪那が呟いた瞬間、右掌に核融合が生じ、それが剣の形状へと変化して行く。核融合が生じ続ける剣は、溶解した金属やマグマのように流動し、熱と光を放っていた。それは、まるで太陽のように凄まじいエネルギーを放っていた。いや、澪那の能力を考えれば、太陽そのものと言ってもいいかもしれない。
 それを爆煙の中へと振るう。
『くっ……!』
 レギオンは呻き、爆煙の中から転がるようにして跳び出してきた。そして、起き上がると同時に爆煙の中へ核レーザーを放つ。
「陽光の盾っ!」
 爆煙の中から光が放出され、それと同時に煙が吹き飛ばされて消える。そこに立っていた澪那の左手に、剣と同じように流動し、高エネルギーを放つ盾が創り出されていた。
 同質のエネルギー同士のぶつかり合いでは、純粋にエネルギーの高い方が勝つ。同じ核融合のエネルギーとはいえ、常に核融合を起こし高エネルギーを保っている澪那の盾や剣の方が、敵の放つレーザーよりも強力なようだった。その盾でレーザーを受け止めたまま、澪那がじりじりと距離を詰めていく。
『……!』
 レギオンが澪那を真似て、剣と盾を創り出そうと身構えた。
「爆発っ!」
 瞬間、澪那がコピーの腕を爆破する。腕そのものは吹き飛ばす事はできなかったが、腕がブレた事で剣と盾を創り出すための精神集中が途切れた。瞬間的に集まったエネルギーだけがその場で暴発し、閃光と熱を撒き散らす。
 澪那の髪がその風圧で靡いた。見えた横顔には迷いも敵意もなく、ただそれをする事だけが自分の使命であるかのような眼差しがあった。対するレギオンには、敵意があり、ただ自分自身の元となった澪那を倒す事だけを求めている視線がある。
『私の方が強いはずなのに……!』
 レギオンが呻く。
 確かに、身体能力では明らかに澪那の方が劣っているはずだ。だが、澪那の能力はその身体能力の向上を補助する事にも使えるのである。同じ澪那の性格を写し取っているのであれば、それも理解しているはずだ。しかし、常にセンター・ゾーンにいるわけではない澪那の性格や戦い方の全てをコピーする事はできない。
 足元でエネルギーを炸裂させて加速し、澪那から距離を取ろうとするレギオンに、澪那は距離があるにも関わらず剣を振るう。その剣からその剣と同質のエネルギーが刃となって『澪那』へと放出された。それを空中でエネルギーを炸裂させて体勢と移動方向を転換する事で、レギオンが凌ぐ。だが、その次の瞬間には澪那が自分のコピーとの距離を詰めていた。
「あなたより、想いは私の方が強い――!」
『このっ……!』
 レギオンが澪那を睨み付ける。瞬間、澪那がコピーの顔を狙って爆発を起こす。
 仰け反ったレギオンに、澪那が横から叩き付けるように剣を振るった。体勢が崩れた事で回避行動もできず、『澪那』の脇腹に剣が食い込む。溶断するという表現が適切なのだろう、音もなく、恐らくは感触もほとんどなく剣がレギオンの身体を切断していった。振り抜いた剣を消し去り、もう一方の手に持っていた盾をレギオンに押し付けて完全に蒸発させる。
 息を荒げながら、澪那が漣達の元へと戻ってきた。表には出していなかった疲労が出たのだろう。ふらつく澪那の肩を抱き、漣はマテリアライズで創り出した椅子の上に座らせた。
「お疲れ様」
「……うん」
 漣の労いの言葉に、それでも澪那は微笑んで見せた。
『私の番ね』
 続いて、深冬のコピーレギオンが前に進み出る。
「……敵は少なくした方がいいわよね」
 恐らく、最終的に両者が二人以上残っていれば混戦になるのだろう。それはつまり、味方にも死人が出た場合の事だ。この一対一は数を減らすための戦闘なのだろう。
 深冬が地を蹴り、自分のコピーへと踏み込んだ。逸也や澪那のものとは遅いとは言え、人間としてはかなりの速度であり、無駄がない。踏み込んだ足に体重を移し、もう一方の足を地面に円を描くように滑らせて足払いを仕掛けた。それを『深冬』は前転するように跳躍してかわすとどうじに、縦回転の遠心力を使って踵落としを繰り出す。その足首を右手で掴むように受け止め、力の向きを逸らしていなした。そして、その時に退いた右足で、前に出してある左足を軸にして回し蹴りを放つ。軸足が前に出してあるため、身体を前面に押し出す事で体重を乗せた蹴りを放つ事ができる。
 確かに、レギオンである『深冬』の方が、深冬本人よりも身体能力は上だった。しかし、深冬自身はその差を感じさせない戦いを見せている。
『くっ!』
 レギオンの脇腹に深冬の踵が突き刺さり、衝撃を叩き込むと同時にそのまま力の方向へと吹き飛ばした。丁度、鎧のない、生身がむき出しになっていた部分だ。
 弾き飛ばされたコピーが、右手で脇腹を押さえ、治癒能力で打ち込まれたダメージを回復する。
「これが私のコピーだなんて思いたくないわね」
『……』
 深冬の言葉に、レギオンが奥歯を鳴らした。
「確かに、力や瞬発力とかは私より上みたいだけど……武術というのはそれだけで優劣は決まらないものよ」
 挑発的な言葉を投げ、深冬が駆け出す。レギオンも立ち上がり、駆け出している。
 突き出された拳を首の動きだけでかわし、深冬が反撃で繰り出した左腕の肘打ちを『深冬』が膝を跳ね上げて弾く。弾かれた左腕を上半身を捻って後方へと引き、その反動も利用して右拳を突き出した。それをレギオンが右手でいなし、その腕に背をつけるようにいなした方向へ身体を回転させ、回し蹴りを放つ。
「ふっ――!」
 短く息を吐き出し、深冬が屈んだ。その頭上をレギオンの蹴りが通過する。
『――!』
 それに『深冬』が驚愕の表情を浮かべた。
 自身が扱える格闘術の動きは全て把握していたためだろう、攻撃を放つ前の初期動作でその攻撃の軌道を見切ったのだ。強化コピーとはいえど、今までの戦闘から、深冬に『自分自身の動きに対処するまでの知力』があるとは計算できなかったのだろう。常に余裕を持って戦っていた深冬だからこその戦い方だった。
 屈んだ体勢から、左手を右手首に添え、見上げるように、視線を自分自身のコピーへと向ける。冷静であり、冷徹でもある視線に、レギオンの表情が凍り付いた。
「――オーバー・リカバリー」
 静かに、深冬の口から言葉が紡がれる。
 構えられた深冬の右手が、治癒能力の光を纏う。
『お前、何を……!』
「私の能力でも攻撃はできる。そこまで考えが至っていなかったのかしら?」
 口元に笑みを浮かべて、深冬が告げた。
 瞬間、屈められていた深冬の身体が跳ね上がる。足のバネ、腰のバネ、そして、それに後押しされながら突き出す掌底。その一連の流れがほぼ一瞬ともいえるようなタイミングで順番に起きる。その掌底はレギオンの顎にほぼ真下から命中し、そのまま上空へと弾き飛ばした。
 同時に、深冬の能力が炸裂し、スパークした。白い光が空中に浮き上がったレギオンの顎から全身に、電流のように伝わり、消える。そして、レギオンが地面に叩き付けられた瞬間、その身体がまるで一瞬で腐敗したかのように崩れ落ちた。
 オーバー・リカバリー、深冬が口にしたのは、治癒能力を故意に過剰発動し、生命体の体組織を自壊させる能力の名前だろう。再生能力を過剰に作用させれば、体組織は治癒能力を過剰に働かせ、結果として崩壊を招く。
「……やっぱり、生物にまで到達してたわけね」
 朽ち果てた自らのコピーを見下ろし、深冬が呟いた。
 進化を続けてきたレギオンが最後に到達したのは、人間という生物であった。ただのデク人形にすぎない最初のレギオンはたんに物質化されただけの出来損ないの機械のようだったが、そこからレギオンは劇的な変化を見せてきた。生命体に近くなり、翼が生え、特殊な能力をも手に入れた。そして、最後には確かに生物と呼べるレベルにまで辿り着いている。
(……何が、目的で……?)
 レギオンは、『闇』がアンダー・ゾーンで存在できるかどうかを調べるための尖兵に過ぎなかったはずだ。少なくとも、そう説明を受けている。
 しかし、今のレギオンはただアンダー・ゾーンで存在可能かどうかを調査するだけの存在というには、高性能過ぎる。何故、『闇』はレギオンを進化させたのだろうか。
『……』
 視界の中央で、自分と同じ姿をした人間が、表情を歪めていた。
 感情がある。ただの怒りや憎悪だけではない、仲間を失ったという悲しみをも感じているのだろう。
「さぁ、今度はあなたの番よ」
 仲間達の元へと戻ってきた深冬が、すれ違い様に漣の肩を叩いた。
BACK     目次     NEXT
SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送