01.再臨


 イレギュラー、それは電子頭脳や回路の故障など様々な要因によって暴走してしまった存在を指す言葉だ。
 基本的に人格というものを持たず、単純な指示や命令に従う作業用のメカニロイドが暴走すれば被害は甚大なものとなる。
 そうしたイレギュラーによる事故や被害を最小限に留めるために組織されたのがイレギュラーハンターだ。
 高度な電子頭脳を搭載したレプリロイドであっても、イレギュラー化してしまうケースは少なからずあった。レプリロイドのイレギュラー化が増加したのは、シグマによる反乱が起きてからだ。
 シグマ。かつてのイレギュラーハンター第十七精鋭部隊の隊長であり、ドクター・ケインによって最初に生み出されたレプリロイドでもある。ドクター・ケイ ンの最高傑作とさえ謳われた彼はしかし、ある時突如として反乱を起こし、それ以降幾度となくレプリロイドによる大規模なイレギュラー事件を引き起こした。
 中でも大きな事件はスペースコロニー・ユーラシアの落下だろう。寸前での破壊工作が成功し、スペースコロニー・ユーラシアがそのまま落下するという最悪 の事態こそ免れたものの、落下したコロニーの破片やシグマウィルスによる汚染で地上は荒廃し、復興に多くの時間を費やすことになった。
 実質的に、シグマによって世界には争いが広がり、イレギュラーハンターという組織そのものも縮小、再編を余儀なくされてしまった。
 それでも、未だイレギュラーは散発的に発生し、ハンターとしての仕事はなくならない。
 イレギュラー発生の報を受けライドチェイサーで現地に向かいながら、エックスはハイウェイからようやくかつての生活を取り戻せた地上の街並みへと目を向ける。
 地球環境はまだ完全に回復したとは言い難い。地下に築いた都市で生活している者もまだ多く、衛星軌道上や月面といった宇宙への進出計画についても技術の研究開発は進められている。それでも、エックスが目覚めた当初よりも技術は進歩し、文明は発展していっているはずだ。
 人間たちが再び地上で暮らせるようになったのは、復興作業を続けるレプリロイドたちだけでなく、環境調整技術の進歩の賜物でもある。
 人とレプリロイドが手を取り合って、より良い未来を築いていく。エックスの望む世界の在り方でもある。
 それを阻む存在がイレギュラーだった。
 よりにもよって、それまで信頼し尊敬していた頼れる上官でもあったシグマがイレギュラーとなり幾度となく世界を揺るがしてきたことには思うこともある。エックスはシグマと最前線で戦ってきた当事者でもあるのだから、当然のことだ。
 そんなシグマは今やシグマウィルスという悪性のコンピュータウィルスとなって世界中に残り、未だにイレギュラーを発生させ続けている。感染したレプリロ イドやメカニロイドを狂わせ、イレギュラー化を引き起こすということしか分からない。研究は続けられているものの、サンプルの回収や保管には難があり、そ の実態は未だ解明し切れていない。
 ハイウェイを下り、目的の区画に入ると、戦闘の痕が目に入ってきた。
 住民は避難した後のようで、被害者の姿は見受けられない。民間の人間もレプリロイドも周囲にはいないようで、安心した。
「エックスか」
 角を曲がったところで、こちらに気付いた長い金髪を靡かせた赤いレプリロイドが振り返った。彼も着いたばかりのようで、脇にライドチェイサーを停めている。
「ゼロ、状況は?」
「丁度終わったところ」
 エックスが声をかけたところで、奥の方からもう一人、レプリロイドが歩いて来た。
 後ろに跳ねるようにまとめた茶色い髪が特徴的な黒いレプリロイドだ。その手には何やらレプリロイドの残骸らしきものを引き摺っている。
「アクセル……」
「自我なしの暴走タイプだったから、被害が広がる前にと思って先にやっちゃった」
 咎めるようなゼロの声に、アクセルは空いている手で頬を掻きながら弁明する。
 実際、被害は最小限に留められたとは言えそうだ。周囲を見てもアクセルの武器である銃弾の痕跡は少なく、彼が歩いて来た方角から、避難した人たちとは反対の方へ上手く追い込んで戦ったのだろう。
「そういう時は先に言ってからにしろと言っているだろう」
 溜め息混じりのゼロにアクセルは苦笑して肩を竦めた。
「それで、状況は?」
 エックスも小さく溜め息をついて、アクセルに向き直った。
「イレギュラーは三名。僕が到着した時にはまだ避難も途中だったから、警備担当に避難誘導は任せて対応したよ。被害を抑えるにはすぐやるしかないと思ったんだ」
 アクセルが引き摺ってきたのは三名のうちの一人のようだ。どうやら回収できる状態にあるのはその一名だけらしい。
 ゼロはアクセルが手を放したイレギュラーの残骸を覗き込む。
「こちらエックス、回収班を頼む」
 イレギュラーハンターの本部に通信を送り、エックスもゼロの隣に歩み寄った。
「……旧世代型、か」
「みたいだな」
 残骸を見たエックスの呟きに、ゼロが相槌を打つ。
 自我を失い暴走していた、というアクセルの証言からしてもほぼ間違いなさそうだ。
 今のレプリロイドには大まかに新世代型と旧世代型という区別が存在する。
 旧世代型はその名の通り従来型のレプリロイドだ。シグマウィルスによってイレギュラー化すると自我を失うか、人格や価値観が豹変するなど、正気ではなくなることが多い。
 一方で設計段階からシグマのDNAデータを組み込まれたレプリロイドたちは新世代型と呼ばれ、シグマウィルスに耐性を持っているとされている。だが、だ からと言って彼らがイレギュラーにならないというわけではない。旧世代型と決定的に異なるのは、新世代型レプリロイドたちは人格や価値観、自我に異常をき たすことなく、自らの意思でイレギュラーとなることができると言われているところだ。これまでにも何度か新世代型レプリロイドたちによる大規模な反乱があ り、エックスたちもイレギュラーハンターとして対処した経験がある。
 もっとも、新世代型による最初の事件以降はイレギュラーという言葉の定義は少し変わったようにも思える。
 ただ、社会にとって害悪な存在になってしまった者をイレギュラーと呼んでいることには変わりがない。正気を失って暴走するレプリロイドは当然だが、そうでなくとも、反社会的な思想と行動に走り周囲に危害を加えたり問題を起こすようではイレギュラーと判断するしかない。
 ゼロに言わせれば、そうした者はそもそも正気ではない、のだろうけれど。
 遺体、とも言うべき残骸を確認して、エックスは眉根を寄せた。右手と両足を失い、腹部と胸部にも穴が開いていて、頭部は半分以上が吹き飛んでいる。辛う じてレプリロイドだった原型を留めているが、アクセルがわざわざ引き摺って来たのだから、恐らくはこれでも状態が良い方なのだろう。
 戦闘を考慮していないレプリロイドであっても、機械の体は暴走すればそれだけでも十分な凶器になりうる。自我を失い、自壊しないためのリミッターも外れてしまえば止めるためには相応の力が必要だ。必然、止めた時に原型を留めていないことも多い。
 何度も見てきているのに、これまで幾度となく自分で手にかけてさえ来ているというのに、一向に不快感と気持ち悪さに慣れることがない。
 レプリロイドは自我や記憶データの収められたコアチップさえ残っていれば体を修理、あるいは取り替えることで復旧することもできるが、一度イレギュラー 化したレプリロイドの復旧認可は当然ながら下りにくくなる。イレギュラーとして処理されたレプリロイドが公的に修復され復帰するケースはほぼないと言って 良いほどの、例外中の例外だ。無認可で修復された者は理由や経緯はどうあれ非合法であり、悪意のある何者かに利用されるケースばかりなため、再びイレギュ ラーとして処理対象となってしまう。
 従って、イレギュラーとして処理されることはレプリロイドにとって死刑と同義でもある。
 シグマウィルスによって本人の意思とは無関係に、強制的かつ作為的に引き起こされたイレギュラーとも、後に発生するようになった自らの意思をもって現代 社会に反旗を翻しイレギュラーと認定される者とも、エックスは戦いたくないというのが本音だった。甘い考えだとは自分でも思うし、何度も指摘されている。 それでも、同じレプリロイド同士で争い、手にかけ殺めるというのは、死というものは、とても心地の悪いものだった。
 ならばイレギュラーハンターを辞めてしまえと言われたこともある。実際に嫌気が差して一線から退いたこともある。それでも、イレギュラーの暴走や反乱を 止めるため振るうことのできる力があり、エックスが戦うことで少しでも被害を抑えることに繋がるのならば、傍観者でいることにも耐えられなかった。
「一体、いつまでこんなことが続くんだろうな……」
 エックスの口から思わず漏れた言葉。
 レプリロイドにも自我や個性といったものは存在するが、人間含む自然動物とは違い、レプリロイドのそれは厳密には作り出されたものだ。製造目的や要求用途があって設計開発されるのだから、性格や思考プログラムには社会的な良識というものがあらかじめ盛り込まれている。
 最初から犯罪や悪行のために開発された違法レプリロイドでもない限り、悪人と言えるような存在は発生しないはずだった。
 高度な人工知能プログラム故に、僅かな狂いやズレが故障に繋がるというのは分からないでもない。実際、シグマの反乱まではそうしたイレギュラーがほとんどであったし、シグマウィルスによるイレギュラー化も外的要因による故障だと言える。
 だとしたら、シグマのDNAデータを組み込まれ、シグマウィルスに耐性を持つはずの新世代型のイレギュラー化とは何なのか。社会的良識はプログラムされているはずなのに、彼らは故障や狂うことなく、それまでと同じ地続きの自我と思考で反乱を起こす。
「フン……いつまで、か」
 不意に、頭上から声が降ってきた。
 冷酷で他者を見下したような口調と声音には聞き覚えがある。
 顔を上げたエックスたちの視線の先、崩れかけた建物の縁に右足を乗せ、声の主はこちらを見下ろしていた。濃い紫色の装甲、右肩の後ろから覗く大型のキャノン砲を持つそのレプリロイドを、エックスは知っている。
「VAVA……!?」
 かつての同僚であり、倒したはずのイレギュラー。それも、一回だけではない。
 エックスとゼロにとっては因縁浅からぬ仲だ。
「また復活したか……お前もしぶといな」
 ゼロは鋭く目を細めて睨むようにVAVAを見据え、背中のゼットセイバーに手をかける。
 その隣でアクセルも銃を抜き、身構えた。
「お前たちは相変わらず、か……」
 VAVAの表情は分からない。だが、その声音には心底嫌気が指しているとでも言いたげな自嘲にも似た響きがあった。
「それで、今度は何をしようって?」
 アクセルが銃口を向けるが、VAVAは動じなかった。
「……何も、と言ったら信じるのか?」
「それならわざわざ俺たちの前に姿を見せはしないだろ?」
「確かに、それもそうだ」
 エックスが答えると、VAVAは小さく笑った。
「何だか前と随分印象が違うね……?」
 アクセルが訝しげにエックスたちに囁く。
「そりゃあそうだろう、俺はお前とはこれが初対面だからな」
 鼻で笑い、VAVAはアクセルにそう言い放った。
「初対面だって? まるで何人もいるみたいな言い方じゃないか」
「望んでそうなったわけじゃないがな」
 驚きつつも、怪しむアクセルに、VAVAは否定せず吐き捨てるように呟いた。
 VAVAとはこれまでに何度か戦っている。恐らくはシグマか、その手の者によって復活させられていたのだろう。だが、確かにその全てが同一個体を修理し、復活させたものだったとは言い切れない。だとすれば、性格や思想にばらつきがあったことにも納得がいく。
 目の前にいるVAVAの姿をもう一度観察してみれば、その姿はエックスとゼロが最初に戦った時のものと酷似していた。
 だが、あの頃と比べて、今のVAVAは不自然に思えるほど落ち着いている。
「……ここへ来い」
 VAVAが何か小さなものを投げた。
 エックスの足元に突き刺さったのは、薄いカード状の小型端末だった。警戒しつつも拾い上げ、見てみれば、それはどこかの座標と周辺の地形情報が記録されたものだった。
「これは……?」
「シグマの研究所の一つだ」
 エックスが問えば、VAVAは一歩後ろに下がり、身を翻しながら答えた。
 シグマという名前を聞いて緊張感を走らせる三人を背に、VAVAは半身ほど振り返る。
「俺が目覚めた場所でもある。そこで俺と戦え、エックス」
 静かな声音だった。
「何故?」
 聞きたいことは他にもある。だが、反射的にエックスの口を突いて出たのは戦うことへの疑問だった。
 VAVAはイレギュラー認定されたレプリロイドだ。いくら今ここで理性的に会話ができて、戦闘に発展しなかったとしても、公的に検討され修復の許可が出 されたという情報がない以上は危険な存在、イレギュラーだと判断するしかない。友好的な雰囲気でもなく、警戒もしているのだから、当然のことだ。
「お前たちが知りたがっていることのいくつかを教えてやる。あまり待たせるなよ」
 エックスの問いには答えず、一方的に告げてVAVAはその場から姿を消した。携帯型の転送装置、エスケープユニットによる離脱転送のようだ。
 VAVAの言葉を信じるのであれば、投げて寄越した端末に示された座標にあるシグマの研究所に帰投したのだろう。
「……で、どうするの?」
 交戦もせずに撤退したVAVAにアクセルは困惑しているようだった。確かに、これまでの凶暴性からすると意外なほどに大人しく、それが不気味でもある。
「レイヤー、奴の足取りは追えるか?」
「はい、その端末の座標と一致したポイントに反応があります。今まで、そこには構造物の反応もなかったはずですが……」
「もう隠す必要がなくなったと言うことだろうな」
 ゼロが本部でオペレーターをしているレイヤーに通信で確認を取る。
 恐らくはシグマの研究施設とやらがあるのは地下だろう。その座標の地上に何らかの構造物があったならばVAVAが現れる以前に知られて調査も行われているはずだ。巧妙に施されていたジャミングが解かれた、といったところか。
 VAVA自身ももう身を潜めるつもりはないらしく、過去にイレギュラーハンターとして登録されていた頃の識別コード反応を隠しもしない。
「すぐに向かうか?」
「……いや、一度帰投しよう」
 ゼロの問いに、エックスは少し考えて首を横に振った。
 VAVAに気を取られてしまったが、この場で起きたことの後処理なども頼まなければならない。とは言え、ハンターベースへの連絡は既に送信済みで、エックスたちがスタッフを待つ必要はない。
「あいつ放っておいていいの?」
「あの様子ならすぐには動かない……と思う」
 アクセルは不審そうだったが、その割に独断で追いかけようとしない辺り、エックスと同じ印象を持ってはいるようだ。
 あのVAVAがエックスとゼロの知る、最初期のイレギュラーハンター時代のVAVAと同一なのだとしたら、分類的には旧世代型レプリロイドのはずだ。し かし、それにしてはシグマウィルスによってイレギュラー化しているようには見えない。理性的に見える言動をしていた旧世代型レプリロイドのイレギュラーも 過去にはいたが、その言動には何かしら狂気が垣間見えたものだ。
 あのVAVAに狂気がなかった、とはまだ断言できないが、少なくとも今すぐに見境なく暴れるようには思えなかった。
「まぁ、不審なのは確かだ。戦うつもり自体はあるようだし、下調べぐらいしてからでも良いだろう」
 ゼロがエックスの持つ端末に視線を向ける。
 何か良からぬものが仕込まれていないか、念のため解析もしておいた方が良いだろう。シグマの研究所だった場所なら、罠も仕掛けられているかもしれない。
 それに、あまり待たせるな、と言ったからにはすぐにエックスたちが追ってこないことも想定しているように思える。
「了解、じゃあ僕は先に帰るよ」
 明らかに怪しいと思われる場所に何も考えず突撃するほど今のアクセルも無鉄砲ではない。
 VAVAの様子や態度からして、罠や警備が厳重という可能性は低いとも思うが、今まで隠蔽されていた場所を警戒しないわけにもいかない。偵察用ドローンの派遣を申請しつつ、その場の確認と処理班への引き継ぎを済ませる。
 ベースから直接転送で現場に駆け付けていたアクセルはエスケープユニットで先に帰還し、エックスとゼロはそれぞれのライドチェイサーで帰路についた。
 ハイウェイを走りながら、思い起こされるのは初めてVAVAと戦った時のことだった。イレギュラーに対する過剰な攻撃を問題視され拘束、謹慎処分を受け ていたVAVAはシグマの反乱に乗じて暴れ回った。あの時はゼロの身を挺した攻撃と、激昂したエックスによって確かに倒したはずだ。
 その時のVAVAと同一なのだとしたら、目覚めてから何を見たというのだろうか。恐らく、彼が知った情報が、今の態度を取らせている。
 つまり、冷静に、理性的に見えるようでいて、わざわざエックスたちの前に姿を現し誘導するだけの執着心は持っているのだ。それを抑えて、エックスを誘い出し戦うことを望んでいる。
「VAVA……お前は何を知っていると言うんだ?」
 エックスは一人、誰にも聞こえぬ声で呟いた。
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