02.理由


 繰り返し見る夢がある。
 光の剣を手に、無数の残骸の中に立つ。返り血のように全身に浴びたオイルを拭おうともせず、ただ佇んでいる。見慣れぬ景色のはずなのに、良く見知った場所のようにも感じられる。
 いくつものレプリロイドたちの残骸と、何者かが暴れ回った形跡があり、その中心とも言えるような場所で立ち尽くしている。
 辺りを見回せば視線が一点で釘付けになる。
 長く美しかった栗色の髪を散らした少女型レプリロイドの亡骸が横たわっていた。両断された彼女の体の周囲の壁や床にも深い傷痕が刻まれていた。
 自分の手のひらを見れば、べっとりと血のようなオイルがこびりついていて。
 全員をイレギュラーとして処分したのか、それとも自分の方がイレギュラーなのか。
 不意に差し込む光と、逆光の中からこちらを見つめる何者かの人影。
「――倒せ!」
 鋭い声が響く。
 聞き覚えのある、どこか懐かしくも憎らしく感じる老人の声。
「――奴を!」
 とても耳障りだ。
 頭の奥、芯の方に、鈍い痛みが生じる。
「――お前の敵!」
 オイルがこびりついたままの手で、頭を押さえる。
 痛みは次第に鋭さを増していく。
「――全ての――を!」
 頭が内側から貫かれるように強くなった痛みが思考を妨げる。
 締め付けるような、意識を掻き消そうとするような、ノイズにも似た不快感。
「――お前こそが――の――!」
 ただ、その叫びにはどこか渇望するような響きが混じっていて。
 聞き取れぬ望みを最後に、目を覚ますのだ。
 メンテナンスベッドから身を起こしたゼロは渋い表情でこめかみを押さえた。
「……またあの夢か」
 人に限りなく近い思考回路を持つレプリロイドは人間と同じように、眠っている際に夢を見ることがある。休眠の際、完全に意識が途切れていない時に記憶の整理が行われると夢を見ているような錯覚に陥るのだ。
 ゼロは昔から度々、似たような夢を見ることがあった。
 その夢の中ではいつも、夥しい数のレプリロイドたちの残骸の中にゼロが一人で立っている。イレギュラーハンターとして処理したのか、逆にゼロがイレギュ ラーとして暴れた後なのかは判別できない。ただ、ゼロが戦い、屠ったのだろうということだけは分かる。残骸たちの中に、ゼロがかつて手にかけた者の面影が 重なる時がある。
 最近はあまり見なくなってきていたというのに、昔馴染みと言えなくもないVAVAを見たせいだろうか。
 ゼロは自身がかつてイレギュラーだった過去を知っている。当時の記憶は一切なく、伝聞や記録でしかその事実を知らない。これまでも、記憶やイレギュラーとして暴れていた時の自我というものを取り戻すこともなかった。
 ただ、恐らくはあの夢に出てくる老人こそが、ゼロの制作者なのだろうということは薄々気付いている。そうでなければ、ああも執拗にゼロの夢に出てくることはないだろう。
 あの老人の声が途切れ途切れなのは、イレギュラーだった頃の人格や記憶が失われているせいだろうか。何を目指していたのか、求めているのか、ゼロに何を させたいのか、それを知りたいという気持ちは確かにある。だが、それを知った時、イレギュラーとしての人格や記憶が蘇ってしまうのではないかという不安が あるのも事実だった。
 他にも懸念はある。
 ロボット破壊プログラム。
 ゼロの中に眠っていると思しきプログラムの名だ。
 かつて、何度目かのシグマとの戦いの折に瀕死の重症を負ったゼロは、意識を失う寸前、死の間際の人間が走馬灯を見るように、メモリーの暴走による己も知らぬ記憶を垣間見た。その中で、そんな名前のプログラムがゼロに組み込まれていることを知った。
 あの時はそのまま死を覚悟すらしていたが、気付けば体は元通りに修復され、記憶や意識、自我にも異常はなかった。何者かに修理されたのか、それとも何らかの要因があって自己修復できたのかは未だに分からない。
 ただ、あの時に知ったロボット破壊プログラムという存在は、それ以降、自身への懸念として付き纏い続けている。このプログラムが具体的に何を目的として どのような働きをするのか、詳細までは分かっていない。恐らくはあの老人の望みに関係するものなのだろうことだけは予測がついている。
 名称からして、他者に害を与えそうな不穏さがある。
 あるいは、それこそがイレギュラーだった頃のゼロを動かしていた自我に繋がるものなのかもしれない。
 だとしたら、今のゼロの自我は何故、どうして生じたのだろう。
 暴走していた頃の人格はどこへ行ったのか。どちらが本来のゼロなのか。
 いつか自分が自分でなくなってしまうのではないか。
 不安に駆られ、内密に検査を受けたこともあった。
 イレギュラーハンターのような組織に属さず口の堅い個人研究者を当たり、相談と調査を頼んだ結果、分かったのは安全に取り除くのには百年以上費やさねば ならぬほど、根深いものだということだった。プログラムはゼロというレプリロイドの根本的な部分に組み込まれており、自我や記憶に影響を残さず切り離すの には今の技術をもってしても長い年月がかかる。もしも処置を受けるのであれば、その間、ゼロは停止状態でいなければならず、人知れず眠ることになるだろ う。
 何の憂いもなければやぶさかではなかったが、生憎とイレギュラーハンターの手は足りていない。最近になってようやく、真剣に考えるようにもなってきたが、自分とも因縁のあるシグマウィルスの件が収束するまでは、その結末は見届けたいという思いもある。
 頭を振って、大きく一つ息を吐く。
 メンテナンスベッドから起き上がり、サイドテーブルの上に置いてあったヘルメットを被る。
 扉の前に立つと自動で開く。長い金髪を翻して部屋の外へと出た。
 ハンターベースのオペレータールームへと向かい、大きめの扉を抜けてその中へと進む。
「何か動きは?」
 ゼロは正面の大型モニターに目を走らせながら、端末を操作しているオペレーターたちに声をかけた。
 その中の一人、褐色の肌に長い紫の髪が特徴的な女性型レプリロイド、レイヤーが端末の画面からゼロの方へと視線を向ける。目を隠すように長めに切り揃えられた前髪が揺れ、左目の下の泣きぼくろが見えた。
「いえ、あれから何も動きはありません」
 レイヤーが端末に指を走らせ、正面モニターの映像と情報を切り替える。
「ドローンに監視もさせていますが、ご覧の通り、何のリアクションもありません」
 大型のモニターに偵察用ドローンによる調査と監視映像が表示された。
 VAVAが示した場所には研究施設への入り口らしい穴が開いており、地下へと続く階段が見えていた。無人のドローンは周囲を警戒、スキャン等で情報を収集した後、階段の通路を少し進むと、大き目の扉が見えてくる。
 そこまでの移動中に攻撃を受けることはなく、罠のようなものも見当たらない。スキャン結果も同様で、不審なものは発見できなかった。
「地下にあるこの研究施設全体を覆う壁と言いますか、素材が隠蔽率の高いもののようで、入り口が閉ざされている時には発見できなかったようです」
 レイヤーの説明を聞きながら、ゼロは腕を組んでモニターに表示された情報に目を通していく。
 侵入者を迎撃するための戦力や罠の類は見当たらず、スキャンが届く範囲の情報を解析しても危険と思えるような反応はない。施設を覆い隠すように解析を阻害し何もないように認識させる素材が使われていたようだ。
 後はただ、施設の奥にVAVAの反応があるだけだった。
 さすがにドローンは中へ侵入せず、地上に出て入り口周辺の様子を監視するに留めていたが、モニターに表示させた監視映像記録を高速再生させても特に変化はなく、不気味なほどに静かだった。
「そうか……」
 ゼロは僅かに目を細める。
「ハンターを何名か送り込んでみるか?」
 オペレータールームの中央付近に立っていたイレギュラーハンターの司令官を担うシグナスが問う。
「いや、下手に刺激しない方がいいだろう」
 ゼロはその提案を即座に却下した。
 旧世代型のレプリロイドではあるが、VAVAの戦闘能力は極めて高い。生半可なイレギュラーハンターを送り込んでは返り討ちに遭うだけだろう。侮らない方がいい。
「それに、指名されてもいるしな」
 呼び出しているエックス以外を送り込んで、その後の振る舞いが変わっても面倒だ。少なくとも、エックスを含めた何人かで向かうべきだろう。相手がVAVAともなれば、動きがないからと放置してもおけない。
 どの道、次にエックスとゼロが出動するのはこの案件だ。
 因縁も、他の者に任せたくないという思いもある。
「他に変わったことは?」
「今日のところは特に何もないな」
 シグナスが返事と共に合図を送れば、モニターの表示が切り替わる。イレギュラーハンターに出動要請がかかるような異常事態やイレギュラーの発生を知らせるようなアラートは無いようだ。
「何かあれば教えてくれ」
 一通り報告に目を通してから、ゼロはそう言ってオペレータールームを後にした。
 次に向かうのはハンターベースに併設されている研究所だ。
 ハンター向けのサポート装備の研究開発なども行われているが、そうしたものも含めてイレギュラーやシグマウィルスの解析や対策を行う総合研究所でもある。
 ゼロが向かったシグマウィルスの研究を担当している部署では、先日アクセルが処理したイレギュラーの残骸の解析が行われていた。
 足音に気付いたのか、デスクの端末を見ていた女性科学者が顔を上げた。
「あら、ゼロじゃない」
 首の後ろで束ねた長い金髪が揺れ、澄んだ碧い瞳でゼロを見て微笑む。淡い赤色の服の上に白衣を着込んだ、童顔の若い女性だった。
「ソレイユ博士、先日のイレギュラーの解析結果はどうだ?」
 彼女の傍へ歩み寄りながら、ゼロは尋ねた。
「恐らくはシグマウィルスでしょうね」
 ドクター・ソレイユは端末の画面に解析結果を表示させ、視線でゼロに見るよう促した。
 それによると、イレギュラー化の原因はシグマウィルスの影響ということで間違いはなさそうだった。
「損傷が激しくて、物理的に強引な感染があったのかまでは断定できないけれど……」
 抵抗が激しかったのか、アクセルが乱雑だったのかは分からがないが、シグマウィルスの感染経路を特定するのは難しいようだ。
 物理的な接触によってシグマウィルスを感染させられたのであれば、直後に現れたVAVAの関与も可能性としては出てくる。もっとも、先の様子を見るにあのVAVAがシグマウィルスをばら撒いて回るとも思えない。
 エックスとの戦いを望むという言動や態度とも矛盾している。
「VAVAとは関係なしと見て良さそうだな」
「自然感染、というのも気持ちが悪いのだけれどね」
 ゼロの言葉に、ソレイユは僅かに不満げに表情を歪めた。
 シグマウィルスは仮に感染していても発症しなければ検出できないと言っても良い。今でこそ悪性のコンピュータウィルスと認識はされているのだが、プログラムとしての実態は未だに解明し切れておらず、未然に防ぐ方法が確立されていない。
 もしかすると、発症していないだけで、シグマウィルスに感染してしまっているレプリロイドは多くいるのかもしれないとさえ思えてしまう。
「……研究、上手くいっていないのか?」
 ソレイユの横顔に翳りが見えた気がして、ゼロは問いかけた。
「ええ、芳しくないわね」
 ゼロを見上げ、ソレイユは気落ちした表情を隠すことなく肩をすくめて溜め息をついた。
 彼女が研究しているのはシグマウィルスに対するワクチンプログラムのようなもので、感染しイレギュラー化してしまったレプリロイドを正常な状態に戻すた めの研究だった。そして、彼女が目指すのは旧世代型のイレギュラー化だけでなく、新世代型レプリロイドのレギュラー行動を止めることも含まれている。
 つまるところ、ソレイユがやろうとしていることはレプリロイドによって引き起こされる戦乱を回避する手段の開発だ。
 単なる故障とも取れる旧世代型のイレギュラー化はともかく、自我を失わずにイレギュラー認定されるような行動を取る新世代型にも効果がある技術の開発ともなれば、困難を極めるのは分かり切っている。
 それでも、彼女の中にはそれを実現できる可能性があるらしい。
「……サイバーエルフ理論さえ完成すれば、少しは進むはずなのだけど」
 端末に目を向けた彼女の視線を追えば、書きかけの論文と、いくつもの資料、彼女が行ったであろう計算や試算のファイルが幾重にも重なり合っている。
 彼女によると、サイバーエルフ理論というのは、レプリロイドの魂とも言えるものを定義、証明することだという。
 かつてシグマは、物理的な体を失いながらも自我を保持したまま、物理空間を自律行動可能な電子生命体とでも呼べるような状態となったことがある。シグマウィルスという言葉が指す本来の意図は、この状態のシグマを指していたものだ。
 自我、あるいは精神のみとも言える状態でありながら、シグマはその時対峙していたエックスに対し物理的な干渉、攻撃も行った。また、その状態のシグマにはドクター・ドップラーによるワクチンプログラムがある程度の効果を発揮したという記録も残っている。
 ソレイユは、この電子生命体とも呼べるシグマの状態に目をつけた。
 シグマはいち早くサイバーエルフという領域に至ったのだと彼女は考えたのだ。つまり、シグマウィルスが干渉しているのは表面的なプログラムだけではなく、もっと奥深くの精神や魂といった部分なのではないか、と。
 これまでは単にレプリロイドの人工知能プログラムでしかないと認識されてきた自我、精神、魂をサイバーエルフと言う電子生命体として定義し直し、その存在を証明する。
 そして、サイバーエルフに干渉可能なサイバーエルフを開発し、シグマウィルスの影響を取り除けるようにする。
 それがソレイユの研究内容だった。
 彼女がやろうとしていることは、レプリロイドの存在を機械生命体だと再定義するような行為でもある。人間と同じように、レプリロイドにも魂がある、同等の生命なのだ、と。
 当然ながら、反発する科学者も少なくない。
 レプリロイドを人間と同等以上の生命体と見做すことになりかねない彼女の研究は、人間至上主義者でなくとも賛同しない者が少なくなかった。
 それに、見方を変えれば、レプリロイドの魂と呼べる部分に手を加える方法を研究しているとも言えるため、レプリロイドの中にも彼女の研究に懐疑的な者もいる。
 それでも、彼女は無益な争いが起こらないように、起こったとしても被害を最小限に抑えられるようになると信じて、研究を続けている。
「レプリロイドにだって、心がある。なら、私たち人間と何ら変わらない命のはずよ」
 かつて、知り合ったばかりの頃にソレイユはそう語った。
 彼女に言わせれば、人間の自我や精神、魂といったものも脳内や肉体を巡る電気信号によって形成されているのだから、人間もサイバーエルフになりうるのだそうだ。
 彼女は人とレプリロイドを等価な存在だと証明しようとしている。今やレプリロイドは人間に出来ないことを肩代わりする代行者や、良き隣人として造られただけの存在ではない、と。
 もし、この理論が完成すれば、サイバーエルフとは最終的にレプリロイドだけでなく人間の魂にも干渉可能ということになる。彼女の思想や研究を危険視する者がいるのも当然だった。
 だが、賛同や理解を示す者もいる。
「ソレイユ、頼まれていた資料と再解析の結果、転送したぞ」
 横合いから声をかけられ、そちらを見れば一人の男性科学者が端末を操作し終えて席を立つところだった。
「ありがとう、バイル博士」
 ソレイユは柔らかく笑んで礼を言い、受信したデータファイルをチェックする。
 彼の専門はサイバーエルフの研究ではないが、自身の研究分野にも役立つものがあるかもしれないと今はソレイユの手伝いもしている。過去にイレギュラーとして事件を起こした科学者レプリロイド、ドクター・ゲイトが提唱したDNAデータ理論が本来の専門なのだそうだ。
 加えて、最近になって分かったことだが、彼はアクセルの生みの親でもあった。
 彼の方はアクセルがイレギュラーハンターとして活躍するようになってその存在に気付いてはいたようだが、さして気にかけてはいない様子だった。曰く、バ イルが若い頃にゲイトの発表したDNAデータ理論を基にアクセルを試作したが、起動試験の際に運悪くイレギュラーが乱入する事故に遭遇、バイル自身も怪我 を負った上、アクセルは紛失してそれっきりだったとのこと。その後、アクセルの開発データを基に新世代型レプリロイドの開発計画にも加わったことで、アク セルは新世代型のプロトタイプという位置付けになったのだとか。長らく出自を気にかけていたアクセルとしては色々と思うところもあったようだが、今は現状 に納得しているそうだ。
 バイルの方も、残骸が見つからなかったためてっきりアクセルはイレギュラーに破壊されたものと思っていたらしく、後から生存を知ったところでアクセルが自立しているならどうしようとも思わなかったのだとか。
 そして新世代型レプリロイドの開発研究にも携わったバイルにとって、彼らのイレギュラー化を防ぎ、直す技術や手法にも繋がるソレイユの研究は協力するに値するものだった。
「相変わらず忙しそうだな」
 視線は端末の画面に向けたまま、デスクの隅に置かれていたカップに手を伸ばしたソレイユにゼロは苦笑した。顔の近くまで持ってきたところでそれが空であることに気付いたソレイユの手からカップを取り、研究室に備え付けのポットからココアを注いで渡してやる。
「ありがとう、ゼロ」
 照れ笑いを浮かべるソレイユに、ゼロも微笑み返した。
 彼女自身はサイバーエルフの研究を進めているが、それに関連する情報もあるからとイレギュラーの解析やシグマウィルスの研究などにも参加している。つまり仕事の量は多い。
「また何か分かったら教えてくれ。あまり無理をするなよ」
 ええ、とソレイユの苦笑交じりの返事を聞きながら、ゼロは研究室を後にした。
 彼女の研究内容を知ってからというもの、ゼロは良く研究室に顔を出していた。
 レプリロイドの魂とも呼べる深い部分にまで干渉できる可能性を秘めたサイバーエルフになら、ゼロの中にあるロボット破壊プログラムを消し去れるかもしれない。そんな期待や打算もあり、気にかけていた。
 いずれ、自身の中にあるロボット破壊プログラムと、それをどうにかしたいという願いは打ち明けなければと思っている。だが、まだサイバーエルフ技術の目処すら立っていない今の段階では彼女に背負わせるものを増やすだけだ。
 次に向かったのはハンターベースから最も近くにある海辺だ。砂浜の前でライドチェイサーを降り、少し歩けば予想通りの人影があった。
 エックスと、その隣で一人のレプリロイドが砂浜に腰を下ろして海を眺めている。
 ロングの金髪に、露出度の高めな軽鎧のような装甲を纏った女性型のレプリロイドだ。水辺でのレスキュー用人魚型レプリロイドだが、陸上にいる今は下半身を二本足の人型にしている。
「……エックスはさ、何のために戦ってるの?」
 会話の中で放たれたであろう彼女の言葉が聞こえてきて、思わずゼロの足が止まった。
 ――俺は、何のために戦っている?
 ゼロの中で、その問はあの時からずっと渦巻いている。護りたかったはずの者を、敵対などしたくないと思っていたはずの者を、この手でイレギュラーとして斬り捨てたあの日から。
 イレギュラーは処分すべき敵だ。ハンターであるなら当然の判断で、そこに迷いなどありはしない。
 あの時だって、そうしなければもっと多くの被害が出ていたはずだ。
 ゼロには戦うことしかできない。
 エックスのように、他の方法を探そうという意識さえ起こらなかった。あの時、ゼロには彼女を止める術が、救う方法が、戦って破壊すること以外に思い付かなかった。平和を愛したはずの彼女に、破壊を振り撒かせてはならないと思ったから。
 彼女を想い、彼女のために刃を向けた。初めて、誰かのために戦った。
 それでも。
 エックスなら、違う結末に向かえたのだろうかと、そう思ってしまう時がある。
「俺は……」
 エックスのその言葉の先を、ゼロは知っている。エックスならこう言うであろうと、おおよその見当はついた。
「皆が笑い合って暮らせる世界のために戦っている……つもりだ」
 水平線よりもずっと向こうを見つめているのだろう。
 きっとその表情はどこか苦しげで、迷いや憂いを帯びているに違いない。長い付き合いだ、見なくても分かる。
 それでも、エックスは目を逸らさない。だからこそ、躊躇いも、迷いも捨て去れず抱えてしまうのかもしれないが。
「人もレプリロイドも関係なく、手を取り合える世界に……」
 そう口にするエックスの声に迷いはない。
 理想論で、実現が極めて困難だということはエックス自身も十分に理解している。戦いを無くすために戦うという矛盾に苦悩しながらも、それに向き合い、歩み続けてきたのだ。
「アンタらしい答えだね」
 苦笑混じりではあったが、穏やかで優しい声音だった。
「結局、エックスはエックスらしくしか生きられないんだから、自信を持って悩んだらいいよ」
「何だよそれ」
 明るく笑って背中を叩く彼女に、エックスは困惑混じりだが笑みを返す。
「きっと正解なんてものはないんだから、思う通りにやってみたらいいってこと」
 今までだってずっとそうだったんでしょ、と笑ってみせる。
 迷っても、悩んでも、変わることのない芯がエックスにはある。彼女はそれを良く分かっている。
 戦いがなくなれば良い、とはゼロも確かに思ってはいる。だが、エックスのように目標を持って戦ってきたわけではない。イレギュラーハンター所属のレプリロイドとして、それが当然の仕事だと思ってやってきただけだ。だから、悩む必要も迷うこともなかった。
 戦う理由が見出せないのなら、もう戦うべきではないのかもしれない。そう思う時もある。ロボット破壊プログラムの方をどうにかするために動くべきなのかもしれない。
 だが、今はまだやるべきことが残っている。
「エックス」
 止まっていた足を踏み出して声をかければ、振り返ったエックスの表情は、少しだけすっきりしたものになっていた。
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