第三章 「冷静に」


 魔物と噂されているであろう存在と、ユウは対峙していた。
 敵意を剥き出しにする相手を前に、ユウは武器を構えもせずに立っている。
「人間達が、何かしたのですか?」
 やや哀しげに、ユウは問う。
「……我等、お前達に、住処、奪われる」
 ゆっくりと、言葉が紡がれる。人間には聞き取り難い、ノイズの混じったような声だ。
「奪われる? どういう意味ですか?」
 ユウは眉根を寄せる。
 対峙している相手の瞳の奥に赤い光が宿るのを、ユウは確かに見た。
「無自覚こそ、罪……!」
 幾ばくか強い口調で、相手が告げる。
 その瞬間に殺気を感じ取ったユウは首を横に逸らしていた。何かがユウの顔があった場所を通過した。ユウの髪の毛の先がいくつか切断されたらしく、舞った。
 風だ。
 ユウはそう判断を下した。
 恐らく、目の前にいる相手は風を操れる。密度を高めた大気を刃のように研ぎ澄まし、放つ。それで物体を切り裂いてきたに違いない。足元に転がる死体は、そうしてばらばらに切り刻まれたのだろうから。
「あなた達の主張を聞かせてくれませんか?」
 ユウは問う。
 ここで対話を止めてしまっては、何も判らない。互いを理解し合うためにも、少しでも言葉を交わす必要があるのだ。
「人間は、あなた達との争いを望みません」
 ユウの言葉に、相手は目を細めた。吊り上げた、とも見える。
「全て、無に返す」
 その言葉と共に、風が吹いた。
 凄まじいまでの殺気が辺りに放たれ、突風のように広がっていく。ユウはゆっくりと後退りする。冷静に風の流れを見極め、周囲に吹き荒れる突風の中に紛れた刃をかわしていった。
 傍から見れば、ゆっくり、ジグザグに後退しているようにしか見えないだろう。それほどまでに自然な動きだった。
「ユウっ!」
 背後からのディガンの声に、ユウは視線を向けた。
 大槌を両手で構え、走ってくる。周囲の人は全て避難したらしく、ディガンの後方からリネアが駆けてくるのが見えた。
「待ってくれ! まだ話をしてるんだ!」
「奴の足元の遺体が見えねぇのか!」
 止めようとするユウに、ディガンが言い放つ。普段は見せない焦ったような表情に、ディガンは驚いたように速度を落とした。
 そう、既に相手は人間を一人殺している。同時に、ユウに対しても敵と見做し、殺そうとしていた。
「お願いします! 何故、あなた方は……!」
 ユウの表情はより真剣なものになっていた。
 もはやユウの声は届かないのか。細められ、吊り上った瞳がユウを見据えていた。その後方の、ディガンも含めて。
「……怒りは、止まらぬ」
 風が荒れ狂う。
 吹き飛ばされたユウと入れ違いになるように、ディガンが風の中へ飛び込んでいく。
「ディガン!」
 足から着地したものの、体勢を崩してユウが尻餅をついた。
 ユウの静止を振り切るかのように、ディガンは大槌を振り上げた。
「お前の好きにはさせん!」
 ディガンが足元に大槌を叩き付ける。
 爆音のような凄まじい音と共に、土を叩き付けた周囲の大地が弾けた。ディガンの周囲に壁を作るかのように、飛び散った土が風を押さえ込む。
 神器、『地刻(じごく)』という大槌の力だ。大地の力、つまり地面になっているものを操る能力を持っている。相手への直接攻撃の破壊力も凄まじいが、大地を操る神器の真価は防御能力の高さといっても過言ではない。大地を裂く程の破壊力がなければ、大槌の神器が作り出す土の防壁を突き破る事はできない。
 大槌が巻き上げた土の壁は風を押し退ける。
 だが、敵は土砂の壁を跳び越えていた。大きく跳躍し、土砂の届いていない高度まで跳び越えている。そして、瞳がディガンを捉えた。ディガンが大槌を構えるが、遅い。
 敵の腕がディガンへと向けられたかと思った瞬間、深紅の光が閃いた。敵の腕に光が命中した瞬間、爆発を起こす。体勢を崩し、落下する敵へと次々に深紅の光が吸い込まれるように命中していく。爆発に包まれた敵が地面に倒れ付した時、彼は原型を留めていなかった。
 琥珀色の体液と、地上の動物とは異なる臓器らしいものを地面にぶちまけて死んでいた。
「……お嬢ちゃんか?」
 ディガンが振り返った時、両手に真紅の銃を手にしたリネアが立っていた。
 その銃こそ、リネアが扱う神器、『飛焔(ひえん)』だ。炎を司り、銃口から放たれた弾丸は引き金を引いた瞬間の持ち主の意思通りの力を発揮する。拡散弾や、貫通性の高い弾丸、命中時に爆発を起こすもの、など様々に攻撃形態を変える。
「殺しちゃまずかった?」
 無言のユウを見て、リネアが問う。
「……そうだね。できれば戦わずにおきたかったよ」
 ユウは哀しげに視線を細め、告げた。その瞳の中には僅かではあるが、怒りも混じっていた。ディガンやリネアに向けたものではない。止められなかった自分自身に対する怒りだ。
「おい、ユウ。いくらなんでもそれは甘過ぎやしないか?」
 ディガンがユウに詰め寄る。
「あいつは人を殺してる。それに、奴が持っていたのは敵意や憎悪だけだ。そんな奴を庇うつもりか?」
「確かに、彼は殺人を犯した。けれど、彼の行動には何か理由があるはずだ」
 ユウはディガンを見上げて言い放った。
 無自覚が罪、怒りは止まらない、彼はそう言い残している。つまり、彼の行動には何かしら理由があるとみて間違いない。
「理由があれば人殺しを正当化できるのか? 死んだ人は何もしていないだろう!」
「なら、一方的に彼らを殺すのが正しいとでもいうつもりなのかい?」
 怒りを露わにするディガンを見返して、ユウは問う。
 常に微笑を浮かべていたためか、真顔のユウには静かな威圧感がある。見下ろしているはずのディガンが一歩も退かないユウに困惑しているように見えた。
「彼らも生きているんだ。僕らと同じように、知恵もあるし言葉も喋れる」
「だが、あいつらは化け物だ。得体の知れない力も使っていただろ!」
「外見だけで、そう判断しちゃ駄目だ」
 ユウは首を横に振った。
 人間を生物の頂点に置く考えを、ユウは良しとしない。命はどんな生物であっても変わらず尊いものである、というのが基本的なユウの考えだ。ディガンが化け物と呼んだ存在も、ユウは平等に見る。勿論、人間を殺したのは事実であり、一方的に敵意や憎悪を持っているのも確かだ。それでも、ユウにはあの存在を敵とは見ていない。人間と同等かそれ以上の進化を辿った別の知的生命体、と考えている。命の重さで考えれば、人間や他の生物と何ら変わらない。
「ディガン、君は少し感情的になりすぎるよ」
 ユウの言葉に、ディガンは口を噤んだ。
「嬢ちゃんは何も言わないのか?」
 言葉に困ったのか、ディガンはリネアを振り返った。
「あたしはユウの意見が正しいと思うよ」
 不思議そうに首を傾げるリネアに、ディガンは呆れたような怒ったような表情を浮かべた。
「最終的に殺したのはお前じゃないか」
「うん、だからあたしが悪かったんだよ」
 無邪気な表情を全く変えずに自分の非を認めるリネアにディガンは更に呆れたようだった。善悪の判断が欠落していた名残で、リネアは未だに悲哀や自責といった感情が無いに等しい。
「宿で休もう。僕達が言い争っていても、何も解決しないよ」
 溜め息交じりに告げられたユウの言葉に、ディガンは黙って従った。今は言い争いで解決する問題を抱えているわけではない。それはディガンにも判っていたようだ。
 三人は街中に戻り、大通りに面した宿の部屋を取った。最大四人が宿泊できる大部屋を借り、三人は荷物をベッドの脇に置いて一息ついた。
 それまでの間、口を開いて喋っていたのはリネアと、返事をするユウだけだった。リネアは言い争っていた事を全く感じさせずにユウに話しかけていた。明日からはどうするのか、他のメンバーとの合流はどうするのか、創世樹に興味があるらしくいつもより積極的にも思えた。
 ユウは明日に街を出ると答えた。向かう場所は明確に断言せず、ユウが行き先を知っている点だけを教えた。合流に関しては、運任せだとユウは笑って答えていた。
 いつもと同じ微笑を湛えてリネアに応対するユウを、ディガンは一歩後ろから黙って見ていた。
 やがて、リネアはベッドで寝息を立て始める。
 ユウは窓の傍に椅子を置いて座り、月を眺めていた。窓枠に肘を乗せ、頬杖をついて夜空を見上げる。そのユウの姿は、絵画のように美しく見えるほどだった。希薄な気配は周囲の空気と一体化したように溶け込み、存在感を薄めている。ただ、ユウの存在を認識している者にとって、彼の姿は一層際立って見えた。
 それは恐らく、ユウの表情に微笑がなかったからだろう。夜空を見上げるユウは、ただ儚げに夜空を見つめていた。少しだけ目を細め、どこか羨望の混じったような瞳を暗い空へ向けていた。
「ユウ、お前はあいつらの事を知っているのか?」
 ベッドに座ったまま、ディガンは尋ねた。眠ろうとして、窓から夜空を見上げるユウが気になって身を起こしたのだった。
「……少しだけ、ね」
 自然な動きでユウが顔をディガンに向ける。その顔にはいつもの笑みがあり、先程までの違和感を消し去っていた。
「創世樹っていうのは知っているよね?」
「ああ、聞いた事はある。実在するかは知らないが……」
 ユウの問いに、ディガンは頷いた。
「この世界が、三つの世界で成り立っていると言われているのは聞いた事あるかな?」
「はっきり聞いたわけじゃないが、どこかの本で見た事がある気がするな」
「多分、創世神話に関する本じゃないかな」
「昔の話だからな。題名も分類も憶えてないな」
「創世樹を中心に、天上界、地上界、地下界、の三つがあると言われているんだ」
 ユウは語った。
 世界を創ったとされる創世樹は、どこかで区別された三つの異界を形成したと言われている。
 一つは、ユウやディガンのいる地上界と呼ばれる、皆が認識しているこの世界だ。創世樹の幹や、枝や葉の一部が支えているものであると伝えられている。丸く、球形であるとされている地上の他に、上と下に別の空間があるというのだ。天上界と地下界というものが考えられているのである。
 天上界、人によっては神界と呼ばれる空間は、創世樹の枝と葉に支えられている世界だと言われている。雲よりも上に、広大な空間に展開しているとされる創世樹の枝や葉が別の世界を形作り、支えているというのだ。
 そして、それは地下も同様である、と。
 地下界、冥界と呼ぶ者もいるが、その空間は創世樹の根が創り、支えてきた世界だとされている。地面を境に、上には地上界が、下には地下界が広がっているというのである。
「にわかには信じられねぇ話だな」
 ディガンの言葉に、ユウは小さく息をついた。
「でも、嘘だと証明できた人はいないんだ」
「真実だと証明できた奴はいたのか?」
 ディガンの応答に、ユウは何も答えない。ただ、笑みを深めただけだった。
「僕は、彼らが地下界から来た存在じゃないかと考えてるんだ」
「根拠はあるのか?」
「まだ確証はないよ」
 ユウは首を横に振る。
「それで、地底人だとして、お前はどう考えるんだ?」
「地面、つまり世界の境を越えてまで来ようとするのはただ事じゃないと思ってるんだ」
「だから理由があるってか?」
「今まで僕達と彼らには接点がなかったわけだからね」
 彼らを突き動かす大きな理由がなければ、地盤という境を越えてまで人間達に攻撃しようとは思わないはず。それがユウの推測だった。
「はっ、ばかばかしい。あいつらが何も考えずに地上に出てきた可能性だってあるじゃないか」
 肩を竦め、大きな溜め息をついてディガンが告げる。
「でも、彼らには知性があるんだ。何も考えてないとは思えないよ」
「あんたは理論的になり過ぎだ。感情や本能だけで出て来たって事もありうるわけだろう?」
「感情や思想だって立派な理由じゃないかな?」
 ぐっ、とディガンが押し黙った。
「ただの屁理屈じゃねぇか」
「ディガン、君は立場的には僕の部下なんだよ?」
「口答えするなってのか?」
 ディガンが目を鋭く細めた。
 体格を考えれば、ディガンの方がユウよりも強そうに見える。まともに戦えばユウが丸め込まれるような構図だ。だが、ユウは威嚇するような表情のディガンを見ても顔色一つ変えない。微笑を湛えたまま、ディガンを見返している。
「僕はあまり部下とは呼びたくないんだ。仲間でいたい」
 ユウは首を横に振った。
 自分より下ではなく、対等の立場にあるとユウは考えたいのだ。
「僕が君の下の立場じゃないって事は解って欲しいんだ」
 年齢や経歴などは不問で、仲間同士は全て対等な立場にある。ユウの定めた仲間の掟のようなものだ。掟といっても、明確に守らなければならないというのではない。守って欲しい、とユウが頼んだものに過ぎない。
「君の考え方は間違ってるとは思わない。だけど、僕の考えも認めてくれていいんじゃないかな?」
 微かに首を傾けるユウに、ディガンは視線を逸らした。
「へいへい解りましたよ、あんたにゃ敵わねぇな」
 諦めたように大きく息を吐いて、ディガンは告げた。
 そのまま大柄な身体をベッドの中に押し込むようにして横になる。頑丈そうな造りのベッドだったが、ディガンの動きに合わせてぎしぎしと軋んでいた。
 ユウは眠りにつくディガンから視線を夜空へと戻す。頬杖をつき、物憂げに。
「……僕は、どうすべきなのかな――」
 誰にも聞こえないほど小さな声で、ユウは呟いた。
「――フィクタス……」
 今は亡き、友の名を。

 *

 朝、宿屋の前には人だかりができていた。その中心にいるのは、ユウ達三人だ。
 昨夜の出来事を見て、街の警備部隊が話を聞きに着ていた。最初は事情の確認のための会話だけだったが、途中から数人の男が割って入って来た。
 昨晩の地底人に殺された女性の知り合いらしく、事情を聞きたがっていたのだ。だが、地底人を庇うような発言をしていたユウは彼らから敵視されてしまった。
 口論に発展した彼らを、皆が遠巻きに眺めているというのが現状だ。
「あいつらの目撃例が他にもあって、被害者が出ているんだろ! なら、あの化け物共は敵だ!」
 彼らの言い分はこれだけだ。
「敵意を向けてくる相手に敵意を返しても、根本的な解決にはならないよ」
 対するユウは言葉巧みに周りの男達を諭していた。いつも通りの微笑を湛えた表情で。
「被害者がこれ以上増える前に奴らを全滅させりゃあいいだろうが!」
「命を奪って平和を守るのは間違ってるよ。人間じゃないから殺して良いなんて、傲慢だとは思わない?」
「それはあいつらだって同じだろ!」
「だから、彼らとも話をしないと駄目だよ」
「あいつらが話を聞かないんだ! ただ殺されろっていうのか!」
「僕達が彼らを拒絶していたら、余計に話し合いなんてできないよ」
「あいつらが拒絶してるんだろうが!」
「だからこそ、僕達の方から彼らを理解していかなきゃいけないんだよ」
 ユウは相手の言葉に一切間を置かずに返答する。周りで見ている者達はユウの応対に目を見張るばかりだった。どんな言葉を投げ掛けても、ほとんど間を空けずに的確な反論を告げていく。勢いだけならユウは押されているように見えるだろうが、実際はユウが押していた。
 相手を否定せず、意見を受け入れた上で自分の考えを提案する。ユウの指摘に対して明確な反論を返せる者はいなかった。相手の男達は論点をずらし、別の方向からユウに言葉を投げる。だが、ユウはその言葉を受け入れた上で真正面から返答しているのだ。論点をずらしたりせず、意見に対してはっきりと異論を唱える。それも、相手の言葉を極力尊重した内容で。
「……あいつのが化け物に見えるな」
 ディガンはユウのやりとりを見て、溜め息と共に呟いた。
「そう?」
「お前、ユウが何て言ってるか判ってるか?」
 首を傾げるリネアにディガンは呆れたように問いを返した。
 もはや二人が喋る隙はなかった。言葉での応対は全てユウに任せっきりだったというのもある。だとしても、ユウの応対は常に理想的なものにも思えた。優しい口調を崩さす、友好的に自分の提案を述べているだけにしか聞こえない。しかし、実際に口論をしたディガンにはそれがユウの武器なのではないかと思えた。
「仲良くした方が楽しいって事でしょ?」
「要点だけは押さえてるってとこか……」
 ディガンはリネアの回答に苦笑した。
「間違ってた?」
「いや、間違いじゃねぇけどな……」
 またも首を傾げるリネアに、ディガンは苦笑を深める。リネアの相手もディガンには疲れるのだろう。
「俺はあいつらを許せねぇんだよ!」
「同じ目に合わせたい、というのなら間違いだよ。彼らを傷付けても、死んだ人は蘇らない」
「んな事ぁ解ってる!」
「解ってないよ。彼らもあなたと同じような感情を抱くだけだ。同じ事の繰り返しになってしまう」
 男の言葉にユウは首を横に振った。
 一方が相手を傷付け、それに仕返しをしていれば同じ状況が続くだけだ。相手が人間と同じように知性や感情を持っているのだから、仕返しをしても解決にはならない。それこそ、相手の種族を絶滅させるという規模の話になってくる。
「死者を丁重に弔って、同じ事を繰り返させないようにしないと……」
「お前は身近な人が殺されてねぇからそんな事が言えるんだ!」
「僕は知り合いが死ぬ瞬間を数多く見てきたよ。だからこそ、感情だけで動いちゃ駄目だと思ってるんだ」
 相手の反論に言葉を返すユウの表情からは笑みが消えていた。静かな圧迫感のある、真剣な表情が男に向けられる。
 ユウは、親友や仲間と呼べる者達が死ぬ場面を幾度となく経験してきた。だから、感情的になる気持ちも理解できる。しかし、それだけでは駄目なのだ。感情を先走らせても同じ事を繰り返すしかできない。冷静に、落ち着き、感情は上手くコントロールすべきだ。
 感情が力になる事も、ユウは知っているから。
「けどよ……!」
「そいつに言葉で勝とうなんざ思わない方がいい」
 人だかりの中から、一人の青年が歩み出て来た。腰に二振りの刀を携えた、長髪の青年、ゼアだ。
「あ、ゼアだ」
 リネアの言葉にディガンがゼアを注視する。
「ゼア……? ゼア・シュリフか!」
 ディガンは驚いたように呟いた。
 ゼアの名は一部では有名だ。ガルド大陸でも一、二を争う猛者として。
「てめぇ……」
 ユウと口論していた男がゼアを睨み付ける。水を差されたとでも思ったのだろう。
「どうせ普通の人間にあれは倒せない。戦おうとするだけ無駄だ」
 ゼアが男に言い放つ。
「なんだと!」
「お前らがあれと戦えば、負けるのはお前ら自身だ。こいつはそうならないように優しく言い聞かせてやってたんだよ」
 食って掛かる男を見下して、ゼアが告げる。
 地底人とまともに戦える人間がいるとは思えない。それこそ、神器でもなければ対抗できないだろう。だが、神器は数えるほどしかなく、扱える人間も一握りの者達だけだ。
 神器のない人間達が総力戦を挑んでも勝てるかどうか怪しい。だからこそ、ユウは優しく諭す事で戦意をなくそうとしていたのだ。勝てないから戦うな、というのではなく、戦いで解決しても駄目なのだと言い聞かせて。
「驚いたような顔しやがって……」
 僅かに目を丸くしているユウを見て、ゼアは舌打ちした。
 それを見て、ユウがいつもの笑みを見せる。心底つまらなそうにゼアが視線を逸らす。
「……場所、変えようぜ」
「そうだね」
 小声で提案するゼアにユウは頷いた。
 警備部隊との用事はもう済んでいる。ユウに突っ掛かってきた者達との会話さえ終われば移動できる状態だ。
「じゃあ、僕達はこれでこの街を出るよ」
「どこに行くつもりだ?」
 ユウの言葉に、一人の男が尋ねた。
「彼らとの問題を解決しに、ね」
 それだけ言って、ユウは人だかりの隙間から大通りへと歩き出した。
 ディガン、リネア、ゼアの三人が後に続き、街を出る。
「お前もユウの仲間だったとは驚いたな」
 暫くして、ディガンが口を開いた。
「……お前は、強いのか?」
 名前を聞くよりも早く、ゼアは尋ねていた。
「やってみるか、狂刃?」
 挑戦的な笑みを浮かべ、ディガンが問う。狂刃というのはゼアの異名の一つだ。己の力を高める事のみを目的に戦い続けるゼアを、誰かがそう呼んだのだ。
 背負った大槌を地面に下ろすディガンを見て、ゼアも二振りの刀をユウに預けた。
「今度は油断しないようにね、ディガン」
 笑顔を見せるリネアにディガンが一瞬だけ苦笑を浮かべる。
 足を肩幅に開き、両手を軽く前に出して身構えるディガンに対し、ゼアはただ立っているだけだった。構えもなく、ゼアはディガンを見据えている。
 ディガンが地を蹴った。大柄な見た目とは裏腹に高い瞬発力でゼアとの距離を詰める。大きく振るわれた右腕を、ゼアは一歩後退してかわした。ディガンは続けざまに左腕を突き出す。それをゼアは片手で受け止めて見せた。
「動きが大振り過ぎるな」
 ゼアは冷静に告げる。
 体重の乗った一撃を、ゼアは片手で受け止めていた。接触の直後に軽く後ろに下がって上手く力を逃がし、その場に留まっている。もし、力を逃がせない状態だったならゼアは吹き飛ばされていただろう。
「だが、筋は良い……」
 ゼアの口元に笑みが浮かんだ。
 ディガンの蹴りを屈んでかわし、ゼアは目を鋭く細めた。屈んだ体勢から思い切り地面を蹴飛ばして跳躍する。そしてディガンの顔面へと回し蹴りを放った。ディガンの腕が蹴りを防いだ瞬間、ゼアは空中で身体を水平にするように体勢を変え、蹴りを防いだ腕にもう一方の足を叩き付けていた。
 思わぬ攻撃に体勢を崩すディガンの顔面に、ゼアの拳が突き出された。鼻先で寸止めされている。
「参った、参ったよ」
 苦笑を浮かべたディガンは溜め息と共にそう告げた。
「破壊力は申し分ないが、無駄な動きが多い」
 ユウから刀を受け取りながら、ゼアが呟いた。
「お、ゼアが他人を褒めるなんて珍しいね」
 リネアがからかうような目でゼアを見る。
 その二人を見るディガンの表情は少しだけ険しいものだった。
「なぁ、ユウ。キュリエを殺したのが誰か、知ってるか?」
「ゼアだよ。リネアも知ってる」
 耳打ちするような小声でのディガンの問いに、ユウはあっさりと答えた。
 ユウがゼアと行動を共にしていた時に、リネアを仲間に誘ったのだとも教えた。ゼアがキュリエを殺す場面にはユウだけでなくリネアもいたのだ。その際に、ユウはリネアを仲間に加えたのだ。
 育ての親が殺されても、リネアは悲しまなかった。悲しみというものが理解できなかったのだ。そういう世界を生きて来たリネアにとって、育ての親であろうとなかろうと、死んだ者に変わりはなかった。死ぬ事が悲しいものだと教わって来なかったリネアにとっては、キュリエの死ですら出来事の一つに過ぎない。事実を受け止め、これからの生活が困る事だけを自覚していたようだ。ユウがリネアを誘った時、彼女はこれからの生活に瞳を輝かせてすらいたのだから。
「とりあえず、俺が一番格下か」
「そうでもないよ。攻撃の力だけならディガンが一番強いと思う」
 溜め息をつくディガンにユウは変わらぬ微笑を湛えて言った。
「後はそれを活かせる戦い方が出来るかどうか、だ」
 素っ気無くゼアが告げる。
 ゼアの筋力も相当なものだが、ディガンのような一撃の破壊力を高めている鍛え方ではない。一撃の攻撃力だけならディガンが一番だろう。ただ、それを活かせるかどうかだけだ。的確な瞬間に、最適な場所へ渾身の一撃を叩き込めるかどうかがディガンの戦い方では鍵になる部分なのだ。
「ねぇ、ゼア、一つ聞いてもいい?」
 ユウが口を挿んだ。
「……あれなら、殺した」
 ゼアは答えた。
 何の事か言わなくても、ゼアには伝わったらしい。ユウと合流したとなれば、ゼアは地底人と戦っているはずだ。ユウはその顛末を知りたかったのだ。特に、言葉を交わしたか、殺したか、の二つを。
「そう……」
 哀しげな表情を浮かべユウは微かに俯いた。
 予想はしていた。地底人と戦えば、ゼアは必ずユウと行動を共にしようとすると踏んでいた。だが、そのためにはゼアが地底人と戦うというのが前提条件だ。地底人の戦闘能力を目の当たりにすれば、ゼアはユウの下に来る。
 ユウが一連の異変を解消するために、数多くの地底人、もしくは最も強い地底人と相対するだろうから。一人で旅を続けるよりも、ユウと共に事変の核心に向かう方が地底人とは遭遇しやすいはずだ。
 そう考えるだろうと思っていたし、その通りにもなった。ただ、地底人と戦うとなれば、ゼアは相手を殺さざるを得ない。ゼアはユウと違い、純粋に力を高める事のみを目的としている。話し合いは二の次で、戦い、修行になるかどうかがゼアには最も重要だった。そして、地底人は最後に手加減できるような相手ではない。殺さなければ無力化できないのだ。
 人間に対して憎悪を抱き、敵意を剥き出しにしている地底人を説得できるだけの言葉を、ゼアは持たないのだから。
「お前がどうしようと、向かって来るなら俺は戦うからな」
 ゼアが告げる。それが彼なりの気遣いだ。
 彼にとっては戦うという行為そのものが目的でもあるのだ。相手が攻撃して来るなら戦う、というのは、攻撃して来ない状態の間はユウに任せると言っているに等しい。本当なら、ゼアは修行になる相手と一瞬でも早く戦いたいだろうに。
「それで、これからどこに向かうの?」
「このまま真っ直ぐ進むと、駅があるんだ。それに乗る」
 リネアの問いにユウは答えた。
 街の駅ではなく、少し離れた場所にある駅を使うのだ。街の駅から行ける場所ではなく、離れの駅から行ける場所へ向かう必要があった。
「うん、解った」
 笑顔を見せるリネアに、ユウはいつもの微笑で答えた。
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