偽りの邂逅
著:白銀

 欠けた月を見上げ、圭司は息を吐いた。煙草の煙が圭司の口から夜空へと吸い込まれていく。
 薄手のシャツとジーパンのラフな服装に、やや長めの黒い前髪の青年だ。二枚目でも三枚目もない、どこにでもいそうな顔立ちの青年だった。ただ、どこか儚げな影がある事を除いては。
 窓の桟に腰を下ろし、窓枠に沿って右脚を伸ばしている。窓枠に寄りかかるように、圭司は背を伸ばした。
 下に視線を向ければ夜になっても明かりの絶えない街並みが見える。
 右手の人差し指と中指に挟んだ煙草を吸い、息を吐く。
「……相変わらず、不味いな」
 溜め息と共に、圭司は呟いた。煙が舞う。
 圭司はまだ十九歳だ。煙草を吸う事が許される年齢ではない。
 だが、圭司が煙草を吸い始めたのは十六歳になった辺りからだ。
 仕事柄、少し大人びた雰囲気を持たなければなめられてしまうから。
 小さなホテルの部屋の中、ベッド横のナイトテーブルには分解された二丁の銃が置かれている。
 一つはグロック十八Cだ。フルオート・マシンピストルとして作られた小型の戦闘拳銃。
 攻撃力、火力の高さから世界各国のどの国においても一般人の所持が認められていない銃だ。ロー・エンフォースメント・オンリー、つまり法執行者以外の所持、運用を禁止するという制限が設けられた銃である。
 だが、圭司は法執行者ではない。
 ならば何故、これを手に入れたのか。
 理由は簡単だ。
 圭司が持ち主から奪ったのだ。裏ルートで部品を仕入れ、整備して使用してきた。今も、整備を終えた後だった。
 窓の桟から降り、圭司は煙草を灰皿で揉み消した。ナイトテーブルの上にある、拳銃に手をかける。
 グロックを的確に組み立て直し、ホルスターに納めた。それを圭司は左脇に固定する。
 続いて手をかけたのは、グロックよりも大きい拳銃のパーツだった。
 デザートイーグル五○AE。五十口径強装弾薬を用いる、ハンドキャノンとすら言われる最強の攻撃能力を持つ拳銃。圭司自身が独自に改良を加え、威力を最大限まで上げている。
 圭司は無言でそれを組み立て、銃の状態へと戻した。ハンドキャノンを大型のヒップ・ホルスターに突っ込み、腰の後ろへ身に着ける。
 ロングコートを着込み、ホルスターを隠して、圭司は部屋を出た。
 ホテルのフロントに鍵を預け、外へ出る。
 街中を少し歩き、圭司は目に留まった小さなパン屋に入った。
 並べられたパンを一通り眺め、圭司はドーナツを一つだけ購入した。砂糖を塗された一般的なドーナツだ。
 紙袋の中から購入したドーナツを半分だけ押し出し、手が汚れないようにしてドーナツを齧る。甘さとパンの食感をゆっくりと噛み締めながら、圭司は街中を歩く。
 圭司が今の職、殺し屋になって、もう八年近くになる。
 幼い頃に強盗に人質として誘拐され、家族から引き離された。圭司を誘拐した犯人は、ある殺し屋に殺された。そして、圭司は彼に育てられた。圭司という名前も、彼から貰ったものだ。
 銃の使い方、刃物の使い方、身近にあるあらゆるものを武器として使う術を叩き込まれて育った。同時に、周りにある全てのものを利用して生き抜く術も教わった。勿論、感情を消す術も。
 十歳になった時、圭司は『彼』と共に殺し屋となった。師と呼べる男と共に実戦経験を積んだ。様々な国を回り、仕事をこなした。死線を潜り抜ける術、誰にも気付かれずに周囲に溶け込む術、暗殺術、全てを学び取った。
 そして、十五になった時、圭司は師の暗殺という依頼を受けた。生活も態度も厳しい人物だったが、育ての親同然の師を殺す事を、圭司は躊躇った。だが、その躊躇を取り去ったのもまた師であった。
 受けた仕事は必ずこなす。
 もしも依頼主を裏切るのであれば、それなりの覚悟をしなければならない。次は自分が標的になる可能性があるのだ。常に自身の安全を確保しながら生きていくのは難しい。
「この世界は偽りで出来ている、か……」
 師の残した言葉を、圭司は呟いた。
 的を射た言葉だと思う。
 表面上は平和に見える世界も、裏では殺し屋や紛争が後を絶たない。
 ――それに……。
 考え始めて、圭司は思考を中断した。
 直ぐ傍の裏路地へとさりげなく進む。ドーナツを齧りながら、暗い路地を進んで行く。足音を立てずに。
 少しずつ、声が聞こえてくる。今回の標的達の声が、前方の曲がり角の先から。
 話の内容には耳を傾けず、圭司はドーナツを食べ終えると紙袋を折り畳んで懐にしまう。微かな音に、相手は気付くだろうか。喋っていればほとんど聞き取れない音を、聞き取った者はいるだろうか。
 圭司は右腕を懐へ伸ばしてグロックのグリップを握り締めると、曲がり角へと飛び出した。
 間髪入れずに右手を跳ね上げ、銃を水平にして引き金を引く。
 連続で吐き出される銃弾と銃声。マズルファイアが暗い路地をコマ送りの映画のように照らし出す。
 本来なら反動で銃が跳ね上がる動きを利用して、右から左へと銃弾を連続でばら撒いて行く。
 反応の遅れた標的達はフルオートのマシンピストルの弾丸に対応し切れずに仕留められていく。僅かな手首の上下で照準を調整し、その場にいる全ての人間の急所を打ち抜いた。
 弾丸が壁に穴を穿ち、破片が通路に飛び散る。鮮血が路地に舞い、無数の銃弾を浴びて吹き飛んだ肉片が辺りに撒き散らされる。
 ほんの数秒の出来事だった。
 圭司が自作したロングマガジンの弾薬全てが尽きる頃には、標的はただの肉の塊と化している。
 血の海と化した通路に溜め息をつき、圭司はマガジンを交換する。
 まだ仕事が残っている。依頼ではなく、圭司自身が定めた仕事が。
「これ、あなたがやったの……?」
 背後からかけられた声に、圭司は振り返った。
 そこにいたのは、圭司と同い年くらいの女性だった。栗色に染めた長髪を首の後ろで纏めている。やや大きめの瞳の優しそうな顔立ちの女性だ。裾が長めで袖の無いジャケットを着込んでいる。
「……お前――」
 途端に、記憶がフラッシュバックする。
 過去の記憶の中で、圭司は少女と笑い合っていた。それも、楽しそうに。
 記憶の中の圭司が少女の名を呼んだ。佳奈子、と。
 軽い頭痛がした。それに圭司は眉根を寄せ、顔を顰める。
「……祐介?」
 女性がぽつりと呟いた。
「それが、お前の知る俺の名前か、佳奈子……」
 圭司は忌々しい過去を噛み締めるように呟いた。
「生きてたの……?」 
 圭司は無言で佳奈子と呼んだ女性を眺めた。
「お前も、殺し屋か」
 彼女の手に提げられた拳銃を見て、圭司は呟いた。
 佳奈子は右手にベレッタM九二Fを握り締めていた。千九百八十五年、今から五十年近く前から米軍が正式にサイドアームに採用している銃だ。圭司も何度か撃った事がある。
「あなたを誘拐した犯人を探したくて……」
 佳奈子が呟く。
「お前、『圭司』を殺せって依頼を受けてるんじゃないか?」
「え……?」
「俺は、祐介じゃない。圭司だ」
「そんなはず無いわ!」
 佳奈子が叫ぶ。
 恐らく、佳奈子は圭司を殺すという依頼を受けている。この場に現れたのが何よりの証拠だ。先程圭司が処理した者達に雇われたのか、彼らを動かしている組織からの依頼なのかは判らないが。
 だが、間違いなく佳奈子には圭司を始末せよという依頼が来ているはずだ。
「あなた、祐介なんでしょ?」
 佳奈子の訴えを、圭司は無言で見つめていた。
「ねぇ、殺し屋なんて辞めて、私と――」
「黙れ」
 佳奈子の言葉を遮って、圭司はグロックを彼女へと向けた。
 反射的に、佳奈子が曲がり角へと逃れる。その動きが決定的だった。
「お前が敵だって事は、判ってんだよ」
 圭司はそう言って、グロックの引き金を絞った。セミオートで牽制の弾丸を放つ。
 壁が爆ぜ、破片が飛び散る。
「祐介っ!」
 佳奈子の叫びを掻き消すかのように、圭司はもう一発、弾丸を壁に撃ち込んだ。
「この……分からず屋っ!」
 通路から佳奈子が飛び出す。
 姿勢を低くして、一気に圭司へと突進してくる。圭司は後方へと飛び退きつつ、銃口を佳奈子へと向けた。彼女はベレッタの銃口を圭司へと向ける。
 血の海の中に圭司は着地し、横へと跳んだ。血が飛び跳ね、ロングコートの裾に付着する。
 だが、圭司は気にせずに佳奈子の銃の射線上から逃れた。
 同時に、死体の中から使えそうな銃を足で空高く蹴り上げる。グロックを佳奈子に向けた瞬間、彼女が放った弾丸が圭司の手から銃を弾き飛ばした。
「祐介! 私の話を聞いてよ!」
 悲痛な叫びを無視して、圭司は先程蹴り上げた血塗れの銃を空中で掴み、銃口を佳奈子に向けた。ワルサーMPL、サブマシンガンだ。
 佳奈子はジャケットを脱ぎ、圭司へと投げた。それで視界を塞ぎ、MPLの射線から逃れるつもりなのだろう。
「……っ!」
 圭司は舌打ちした。佳奈子の動きが速い。
 かなり鍛えられているはずの圭司より、数段上の瞬発力だ。人間の限界か、それ以上にも思える。
「はぁっ!」
 裂帛の気合と共に佳奈子が回し蹴りを放つ。
 MPLが弾き飛ばされた。
 圭司は反射的に姿勢を低くし、佳奈子の懐へと飛び込んでいく。圭司の繰り出した肘打ちを佳奈子は直ぐに掌で受け止めた。そのまま佳奈子に腕を掴まれ、足を払われた圭司は投げ飛ばされる。
 背中から地面に叩き付けられながらも、圭司は受身を取って跳ね起きる。
 佳奈子の銃が眉間へと突き付けられた直後、圭司は頭を下げて射線から逃れた。同時に、懐から紙袋を取り出す。一度振るって空気を入れ、佳奈子の顔の目の前で両手を叩き合わせるようにして紙袋を割った。大きな音に佳奈子が一瞬ならが怯む。
 細く息を吐き出し、圭司は割った紙袋の欠片を佳奈子の目の高さで一閃した。
「あぁっ!」
 佳奈子が呻き、両目を抑えた。
 紙の薄さを使えば、速度と角度さえ用意すれば切断力を持たせる事ができる。刃物とまではいかないが、眼球を傷付けるには十分な道具になる。
 佳奈子から飛び退いて距離を取り、圭司はデザートイーグルを両手で構えた。
「祐介……! どこなの!」
「幼馴染面は止めろ、化け物が……!」
 圭司は冷たく吐き捨て、引き金を引いた。
 爆音のような銃声が轟き、強装弾が吐き出される。デザートイーグルは大きく後方へ跳ね上がり、圭司は両腕と全身でその衝撃を受け流す。本来の破壊力を上回るように設計した分、反動も大きい。下手な姿勢で打てば肩が外れる威力になっている。
 弾丸は佳奈子の眉間で炸裂し、頭部を吹き飛ばす。
 血と肉片と、破片が佳奈子の後方へと撒き散らされた。
「全く、良くできた人形だ……」
 圭司はそれを見下ろして吐き捨てる。
 佳奈子は人間ではない。正確には『人間であったもの』だ。身体の中に機械が埋め込まれ、身体能力を極限まで高められると同時に、何者かの都合の良いように動かす事のできる、人形だ。
「これで幼馴染は十九人目だ」
 圭司は自嘲気味に笑った。これで今回の仕事は圭司独自に定めたものも含めて完了だ。
 ――この世界は偽りで出来ている。
 それは真実だ。
 今の世界に、純粋な人間がどれだけいるのだろう。表面上は平穏と紛争の裏表があるように見える。だが、その裏には何かの意思が介入している。
 圭司の師は、それに気付いていた。だからこそ、消されたのだ。圭司の手によるものだったとしても、当時の圭司にはそうする事しかできなかった。同時に、師もそれを推奨した。
 何者かの意思が介入し、世界は偽りに満ちた。
 気付かない事は幸せかもしれない。
 だが、圭司は知ってしまった。気付いてしまった。
 だから、介入者によって狙われている。
 何人もの『幼馴染』が送り込まれ、その度に介入者によって圭司は『造られた過去』を見る。
 最初は、相手を消す事を躊躇した。だが、師によって刻み込まれた戦士の部分が身体を動かし、相手を排除した。そこから、全てが始まった。
 圭司は何人もの知り合いを撃ち殺し、殺し屋としての仕事も全てこなしてきた。中には、介入者の仕業なのか、圭司の存在がばれていた時もあった。もしかしたら圭司の誘拐も仕組まれたものだったのかもしれない。
 この運命そのものが、既に仕組まれているのかもしれない。
 外部から送り込まれる記憶の存在に、もしかしたら、圭司自身も介入者に手を加えられているのかもしれないと思ってしまう。否定し切れない事が怖い。どんな原理でその過去を見せられているのか、圭司自身にも解らないのだ。それが余計に恐怖と敵意、憎悪を増幅させる。
「……佳奈子、か」
 圭司は首のない死体からベレッタを奪った。弾丸を受けて弾き飛ばされたグロックはもう使い物にならない。だから、圭司は武器を奪う。
 運命を狂わされた相手の無念を背負うかのように。その相手を心に刻み込むかのように。
 圭司はその場に背を向けて歩き出した。路地裏の闇の中へと姿を消していく。
 死んだ方が楽になれるかもしれない。そう思った時もあった。
 それでも、圭司は生き残っている。
 いや、生き抜いてきたのだ。
 目的はただ一つ、全てを狂わせた介入者を殺すために。
 それが何者なのか、人間なのかすら判らなくとも、圭司は抗い続ける。
 自らの運命を、この手に取り戻すために。


 後書き

 この短編は長編作品に盛り込めなかった(これから盛り込むにも周辺設定や詳細な背景・結末が思い浮かばないままになっていた)ネタを息抜きも兼ねて短編化したものです。
 実際に存在する銃を用いた話も書いてみたかったので、今回の短編に取り入れました。
 イメージ的には長編のワンシーンを切り抜いたような短編として書きました。
 もし、後に近いネタや設定などが思い付いたら独自に長編として応募するとは思いますが。
短編の目次へ
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