Blandished Blades

著:白銀

 私がその街へ辿り着いた時、すでに戦いは始まっていた。
 いや、一方的な虐殺と言っても良かったかもしれない。戦う力の無い住人たちはとうに逃げ出している。
 相手はたった一人だった。
 シンプルな漆黒の鎧に身を包んだ一人の剣士が、向かって来る戦士を薙ぎ払っている。装飾など何もない、ただの装甲でしかない鎧には夥しい量の返り血が飛び散っている。顔さえも装甲で覆われていて表情を窺い知ることはできない。それで前が見えているのかと疑いたくなる。
「うがああああああああ!」
 絶叫とも雄叫びともつかない声を上げて、一人の大男が剣士へと突撃していく。人間が振り回せる限界とさえ思える大斧を振り上げ、剣士へと力任せに叩きつける。
 漆黒の剣士はただ無言で、その右手に握られた漆黒の長剣を水平に構える。まともに受ければ長剣が折れてしまうはずだ。だが、剣士は長剣の腹を滑らせるようにして大斧を受け流してみせた。
 並の腕前ではない。
 地面に大斧が深々と減り込み、隙ができる。大男は斧を手放して飛び退こうとした。
 が、できなかった。大斧が地面に減り込むよりも早く、剣士の長剣が水平に払われ、大男の首を刎ねていたから。
「あれが……闇騎士」
 思わず、奥歯を噛み締める。
 その漆黒の剣士は闇騎士と呼ばれていた。
 魔族との戦いが始まって、どれほどの年月が流れたのだろう。数年前に突如として現れた闇騎士は経った一人で多くの戦士を葬ってきた。その強さは筆舌に尽くし難く、闇騎士と対峙して生き延びた者は皆無だった。
 人類最強と謳われた私の友人も、闇騎士に負けて命を落とした。魔族に挑むために旅に出て、消息が掴めなかったが、風の噂でそう聞いた。
 闇騎士の顔がこちらを見た。
 私は腰の左右に下げた剣を抜き放つ。
 闇騎士が私へと走ってくる。
 心を静め、集中力を高める。自分の心音が聞こえるほどに意識を研ぎ澄まし、神経を緊張させ、向かってくる闇騎士を見据える。
 自然体に下げられていた右腕が跳ね上がり、長剣で切り上げてくる。私は左手の剣で長剣を受け、内から外へ半円を描くように打ち払い、攻撃を逸らす。
 金属音が響き、防御した腕に衝撃が走る。
 まともに打ち合えば押し負ける。そう確信するのに十分だった。筋力は私よりも上だ。
 僅かに痺れる左腕を強引に後ろへと回す。その反動で腰を捻り、右手の剣を外から内へと水平に振るう。
 闇騎士は装甲に包まれた左腕で剣を受けた。私がやったように、力の向きを逸らすようにして攻撃を受け流す。闇騎士が次の動作に入る前に、私は回し蹴りを繰り出していた。
 甲冑相手に致命傷が与えられないのは分かっている。体勢を崩すのが目的だ。
 首の後ろで縛った銀髪がなびき、視界の端に映る。
 左腕を上げて私の剣を受けたから、左の脇腹が空いている。だが、私の足は空を切る。
 僅かに身を引いた闇騎士が長剣を引き、突きを繰り出そうとしているのを見てとる。蹴りの勢いのまま体を水平に回転させ、左手の剣で切り払う。遠心力の乗った剣で突きを逸らし、続く右手の剣で闇騎士の首を狙う。
 闇騎士は身を屈めて二撃目をかわした。突きを放つ時点で身を沈め始めていた。攻撃が読まれていたのを悟る。
 左手の剣を下から振り上げる。闇騎士は右手の長剣でそれを受け、外へと払う。その時には右手の剣が振り下ろされている。
 見透かしたかのように、闇騎士の左手が私の右手首を掴む。
 闇騎士の剣先が私の喉へと向けられている。
 身を捩り、左足を闇騎士の脇腹へと突き込む。僅かに姿勢が崩れ、剣先が逸れる。長剣が掠めた左の頬が浅く裂け、鋭い痛みが走る。
 左手の剣を闇騎士の左腕に振り下ろすも、闇騎士がを左手を振り払い、私を投げ飛ばした。
 空中に投げ出され、地面に背中からぶつかる。衝突の瞬間に軽装の鎧が僅かに肌へ食い込む。革製の胴当てを間に着込んでいるとはいえ、一瞬呼吸が詰まり、地面を転がった。
「……っはぁっ!」
 息を吸い込み、吐き出す。
 目を回してなどいられない。ほとんど勘で地面に手をついて跳ね起き、振り下ろされる長剣を身を投げ出すようにしてかわす。
 追撃にも容赦がない。一瞬でも遅れていれば首を切り落とされていた。
 投げ飛ばされた時に手放してしまった剣を探し、地面に転がっているのを確認する。その一方に剣に飛びつくようにして右手で掴み、背後からの殺気へと立ち膝の姿勢のまま振り返りながら、横合いから剣を叩き付けた。
 甲高い金属音が響き渡る。
 振り下ろされようとしていた長剣に真横から私の剣がぶつかり、軌道が逸れる。空振りした長剣を流れるような動きで構え直し、闇騎士はすぐさま水平に切り払う。
 上体を逸らしてどうにかかわし、下方から剣を突き出した。両手で柄を握り、思い切り。左腕の手甲に剣の切っ先を滑らせ、闇騎士が突きを逸らす。
 私は突きの勢いのまま立ち上がり、大きく上に逸れた剣を強引に振り下ろした。
 闇騎士の左腕が剣の腹を横合いから打ち、私の攻撃を防ぐ。同時に外から内へと長剣が振るわれ、私は飛び退った。長剣の切っ先が鎧の胸を掠め、小さく火花が散った。
 再び踏み込んで剣を振るう。闇騎士が長剣で受け止めた。
 金属音と共に衝撃が体に伝わる。
 剣を握る両手と、全身に力を込めて押すが、闇騎士はそれを押し返してくる。踏み込んだブーツが地面を僅かに削る。
 押し負ける。
 そう思った次の瞬間には体を傾けて重心を移動させ、すれ違うようにして押し合いから身を退く。
 闇騎士が私の方へと踏み込む。水平に振るわれた長剣を屈んでかわし、足元に転がっているもう一方の剣を素早く拾う。
 一瞬の時間差をつけて下方から左右の剣で切り上げる。闇騎士が体を逸らし、一撃目をかわし、二撃目を長剣で払った。
 私は一歩踏み込み、腰を捻って水平に二つの剣を振るう。闇騎士が長剣の切っ先を下に向けるように構え、下方から円を描くようにして剣を二つとも逸らす。そのまま返す刃で切りつけてくるのを、私は肩から体当たりするように懐に飛び込んで防いだ。
 闇騎士の左手が跳ね上がり、私の首を掴む。
「っぁ――!」
 瞬間、息が詰まる。目の前が白く染まりかけた。
 引き離され、後ろに大きく振り被られた長剣が振るわれる。
「――ぁぁっ!」
 声にならない叫び声をあげて、どうにか長剣の前に右手の剣をかざす。
 接触の瞬間に長剣を横へ押し出すようにして軌道を逸らし、そのまま柄尻で闇騎士の顔を殴り付けた。重い金属音が響くが、闇騎士の兜はびくともしない。僅かに首を傾げさせる程度の攻撃でしかなかった。
 首を掴む腕に力が籠もる。
「っか――!」
 息ができない。
 力が入れられなくなる前に、両手の剣をがむしゃらに振り回す。むしろ危険と判断したのか、押し出すようにして闇騎士が手を放した。
「――はぁっ!」
 後ろへとよろめきながら、息を吸う。
 その時にはもう闇騎士が踏み込んできている。長剣が振るわれ、両手の剣を交差させ、挟むように受け止める。そのまま円を描くように外へ逸らし、腰を捻り回転切りへと繋ぐ。
 後退する闇騎士へ追撃を仕掛ける。闇騎士が私の攻撃を防いで切り返す。それを凌いで反撃に転じる。
 息もつかせぬような攻防が続く。
 髪は汗で肌に張り付いている。服の中もどれほど汗をかいているのか分からない。普段なら気持ち悪さを感じるところだろうが、そんな感覚を抱く余裕はない。
 息を切らしながら、闇騎士と戦い続ける。
 相手は消耗していないのだろうか。顔すべてを覆う兜はこういった場合には便利なものだ。疲れた顔を見られない。呼吸の乱れを悟らせない。どんな状態なのか、まるで分からないというのは対峙する相手にはかなりの重圧を与える。
 ぶつけあった剣を互いに弾き合い、距離が開いた。
 踏み込もうとした瞬間、背筋を寒気が走った。闇騎士の左手を黒い陽炎が包んでいるのが見えて、私は咄嗟に横へと跳んだ。
 闇騎士が左手を突き出す。
 その手から、暗い色の炎の塊が放たれる。数瞬前まで私がいた場所を突き抜け、後方にあった家屋に直撃する。凄まじい爆音と熱風が背後から私を襲った。
 魔族を魔族と呼ばせる由縁が魔術だ。この世界を構成する要素を操り、超常的な力を発揮する。人間が魔族とまともに戦って勝てない理由の一つだ。
 倒れそうになるのを辛うじて堪えたところへ、闇騎士が切りかかってくる。
 剣で受け止めようとして、失敗に気付いた。闇騎士の長剣が陽炎を纏っていた。剣が接触したと思った時には、私は吹き飛ばされていた。地面を三度ほど転がって、うつ伏せに倒れる。
 至近距離で爆発を浴びた。受け止めようとした左腕の手甲に亀裂が走り、胸を守る鎧にもヒビが入っていた。顔を庇った右腕の手甲は爆発を受けた面の装甲がなくなっていた。その下にあった肌は火傷を追う一歩手前といったところか。
 左手の剣を手放していなかったことに、自分で驚く。
 身を起こそうとする私へ、炎で構成された斬撃が向かってきていた。
 体を転がすようにしてかわす。
 歯を食いしばり、ダメージの抜け切らない体を強引に立たせる。
 魔術を持つ魔族に対して、人間はただ蹂躙されていたわけではない。為す術がないのなら、もうとっくに人間は滅んでいる。
 大きく息を吐き出して、意識を集中させる。
 炎の塊が飛来するのを横へ跳んでかわす。膝が悲鳴を上げ、着地時に体勢を崩すも、左の剣を地面に突いて体を支えた。
 その剣が淡い輝きを帯びる。美しい白銀色の輝きが薄膜のように私の体を包む。
 魔術に対抗するために人が生み出したのが神技だ。魔術とは逆に、この世界を構成する要素を集約させ、恩恵を得る。破壊などの攻撃に特化した魔術とは違い、防御や回復を中心とした加護で人間の身体的な弱さを補う。
 私の持つ剣も、神技の触媒になり得るように鍛えられている。この剣で使える神技では受けた傷がすぐに癒えるわけではない。痛みを和らげ、疲労を忘れさせ る。同時に、一時的にではあるが人間としての限界を超えた身体能力を引き出す。反動はあるが、相手が魔術を使い始めた以上、神技がなければ太刀打ちできな い。
 踏み込む速度が闇騎士のそれを超える。
 振り下ろした剣が闇騎士の長剣とぶつかる。闇騎士の左手が炎に包まれる。握り締めた右の剣が蒼い燐光を纏う。闇騎士の放つ炎塊を蒼い光に包まれた剣が引き裂いた。
 返す刃を陽炎を纏った腕が受け止める。
 何かが弾けるような音と共に、剣と手甲が反発し合う。互いにそれを強引に押し付け合う。
「あああああっ!」
 叫び、気合を入れて踏み込む。
 闇騎士が腕の角度を変え、均衡が崩れる。弾かれたように滑る剣を強引に引き戻し、薙ぎ払う。陽炎を纏う長剣が蒼い光に包まれた剣を受け止め、弾く。白銀に染まる剣を突き出し、半身になるようにしてかわした闇騎士が炎の拳を振るう。
 熱気が銀髪をはためかせる。鎧の表面が僅かに溶ける。服の裾が焦げる。それでも、神技の加護がある私自身の体はまだ何とか守られている。ただ、直撃を食 らってはそうもいかない。いくら神技で守られているとはいえ、剣も炎もまともに食らえばただではすまない。そこまで強固な守りではなかった。
 瞬きも、流れ出る汗も、疲労も忘れて闇騎士に剣を振るう。蒼と銀の軌跡が紅と闇の残影と踊る。
 呼吸と鼓動だけしか聞こえない。剣がぶつかり合う金属音も、爆音も、叫び声すら耳に入らない。意識はただ目の前の相手を倒すことにだけ向いている。
 突き出された掌底が私の左胸を捉える。身をよじるが、かわしきれない。視界が揺れ、衝撃が体を突き抜ける。もうぼろぼろだった軽装鎧が弾け飛び、その下の皮鎧も左半分が吹き飛んだ。下着も燃え、やや小ぶりな左の乳房が露わになる。
 心臓が止まらなかっただけマシだ。羞恥心など感じている余裕はない。そんなものはもとより意識の外だ。
 鎧の下に、隠すように身に着けていたネックレスが揺れた。小さな翡翠色の宝石が一つだけの、簡素なネックレスが。
 反射的に振るった剣が闇騎士の肩を掠め、鎧の一部を吹き飛ばす。
 もう一方の剣による突きを、首を逸らしてかわした闇騎士が拳を炸裂させる。私に命中させるのではなく、爆発を浴びせるのが目的の攻撃だ。後ろへ跳びながら蒼い光に包まれた剣で爆炎を切り裂いてどうにか凌ぐ。その炎の後ろから、闇騎士が飛び込んできていた。
 薙ぎ払いを、両手の剣を立てて受け止める。が、陽炎を纏った長剣の勢いを殺しきれない。右の脇腹に長剣が食い込んだ。
「ぐ――!」
 無意識に声が漏れる。
 長剣は拳一つ分ほど減り込んで、止まる。夥しい量の血が噴き出し、その直後に長剣が炎に包まれる。傷口が内側から焼かれ、血が止まり、代わりに肉の焼ける臭いがする。
「――ぅぁっ!」
 呻き声ともつかない叫びを上げて、強引に両手の剣で長剣を追いやり、傷口から引き抜く。
 神技でも押し留め切れなかった痛みと熱が脳を焼き、突き抜ける。喉の奥に熱いものが込み上げる。
 それでも。
「がっ――ぁあ!」
 吐血しながら剣を振るう。
 一瞬でも手を休めてはならない。この戦いに置いてはそれこそ死を意味する。
 痛みにのたうちまわるのは後でいい。今はこの敵に勝つことだけを。
 二重にぶれかける視界を気力だけで持ち直し、飛びそうになる意識を繋ぎ止める。
 長剣が突き出される。もう、避けようとはしなかった。致命傷にだけならないように僅かに体を動かし、両手の剣を振るう。
 漆黒の刃が私の右肩を貫く。視界の端に鮮やかな紅が舞う。
 神技の加護を受けた体は傷を無視して腕を動かしてくれる。蒼い剣を闇騎士の左腕が受け止める。受け止め続けた、その手甲に亀裂が走った。反対側から振 るっていた白銀の剣は闇騎士の鎧を砕いていた。人間でいうところの肋骨辺りの装甲が砕け散る。だが、闇騎士の突きを避けなかったことで剣を振り切ることが できず、鎧を砕くにとどめ、その下には食い込ませることは叶わなかった。
 鎧を砕かれた衝撃に闇騎士の体が一瞬硬直する。その瞬間を見逃さず、私は体を低く沈めて踏み込んだ。右肩が裂けるのも構わずに。顔の右側に温かいものが飛び散る。
 神技の加護で痛みを意識の外に追いやり、両手の剣を振るう。闇騎士が炎を纏った拳を横合いから叩き付けてくる。防いでもかわしても、近距離で炸裂させるつもりだ。視界と動きを止め、反撃に転じるつもりなのだろう。今までそのパターンに苦しめられた。
 両の剣を強く握り締める。剣の輝きが増す。拳を蒼く輝く剣で受け止める。蒼い燐光が爆発を掻き消す。衝撃だけは殺しきれずに、右腕が弾かれる。大きく体勢を崩すも、左の剣を突き出す。闇騎士が長剣で突きを逸らし、切り返す。
 右の剣で受け止めた瞬間、右肩から血が溢れ出す。
 下段を狙って左の剣を薙ぐ。闇騎士が力任せに長剣を振るい、私を弾く。数歩後退したところへ、切っ先を私へ向けるように長剣を両手で水平に構えて闇騎士が突進してくる。
 体を抱くように大きく剣を引いて、私は踏み込んだ。突きを首を逸らすだけかわして、左右に開くように両の剣を振り払う。
 首と肩の境目辺りが浅く裂ける。それと引き換えに、闇騎士の鎧に剣を減り込ませることができた。鎧こそまだ完全に砕けてはいないものの、あれだけ変形するほどの衝撃ならばその中の生身の体にもダメージがあるはずだ。
 振り下ろされる長剣へと、左手を払う。剣の柄尻で闇騎士の手首を打った。密着するほどの至近距離にいたことで、勢いと体重が乗る前に打ち払うことができた。
 長剣が宙を舞う。
 追撃だ。
 闇騎士の掌が私の右腿を焼くのと、私が剣を振るうのは同時だった。
 右腿の表面で炎が爆ぜる。体が傾ぐ。振るった剣の軌跡が歪み、首を狙ったはずの一撃は闇騎士の兜を打った。
 闇騎士の頭が大きく弾かれ、兜の左半分が砕け散る。そのまま、闇騎士は仰向けに倒れた。
 右足に力が入れられず、私も膝をついた。
「そんな……!」
 闇騎士の顔が、見えた。
 声が震えていた。
 漆黒の面の中にあったのは、懐かしい顔だった。
 整った鼻梁に切れ長の目と、薄い色の金髪が兜の砕けたところから覗いている。鎧の破片で傷を負ったのか、端整な顔立ちは血に濡れていた。
「……何故だ、アレス!」
 死んだと思っていた。殺されたと思っていた。闇騎士の手にかかったものだとばかり。
「……まだ、身に着けていたんだな」
 私の首元で揺れるネックレスを見て、闇騎士は、アレスは、小さく苦笑した。
「どうして……」
 頭の中が真っ白になっていた。
 戦意が失せ、その場に力なくへたりこむ。
「……兜が無ければ死んでいた、か」
 アレスは虚空を見上げて、静かに呟いた。
「強くなったな、セレネ」
 酷く優しい声だった。
 これまでに何人もの戦士を葬ってきた魔族の手先だとは思えないくらいに。
 もう、言葉が出てこなかった。何故、疑問しか湧いてこない。どうして彼が闇騎士なのだろうか。何があったというのだろう。
「俺は、負けたんだ……勝てなかったんだよ、魔王に」
 言葉少なに、アレスは語った。
 私の前から姿を消したアレスは魔王の下まで辿り着き、戦いを挑み、そして敗北した。
「俺の腕が惜しいと、あいつは言ったんだ……」
「だから、魔族に下ったのか?」
 魔王はアレスの力を高く評価したらしい。その場で、自分の配下にならないかと勧誘したのだろう。
「……力が、足りないと思った」
 ゆっくりと、アレスが身を起こした。
 悔しげに表情を歪めるアレスを見て、何となく、察してしまった。
 アレスは神技を使えなかった。人間としては適性が極端に低く、まともに神技を使うことができなかった。それでも、類稀なる身体能力を根性で更に鍛え上げ、その身一つで彼は人類最強の剣士と呼ばれるまでに腕を磨いた。
「魔族に下ることで、魔術を使えるよう呪いがかけられた」
 アレスが立ち上がる。
 その口から紡がれたのは。
「人を殺すことで、その生命力を自分の身に宿し、魔術の糧とする……そんな呪いだ」
「まさか……」
 呆然と、私はアレスを見上げる。
 彼は、私に背を向けて、歩き出そうとしていた。
「俺より強い戦士が現れたなら、潮時だ」
 漆黒の背中が、一歩、遠ざかる。
「希望はまだ、あるってことだからな……」
 一度だけ振り返り、アレスはそう告げた。
 その表情はとても穏やかで、優しげで、儚かった。
 伸ばした手が空を切る。
 今まで押し留めていた痛みと疲労が、一瞬で意識を埋め尽くす。脳が焼けついて、思考が停止する。
 何も見えなくなって、何も考えられなくなって。すべての感覚が遠のいて。
 ただ、頬を伝う涙の熱さだけが、鮮明に感じられて。
 私は気を失い、その場に倒れた。

 廃墟と化した城の中を、私は走り続けていた。
 惨殺された魔族の死体が辺りに転がっている。夥しい量の血が辺りに飛び散り、戦いの余波で破壊された壁や柱の残骸が足場を悪くしている。
 胸騒ぎが治まらない。
 闇騎士、アレスがまた姿を消した。いや、闇騎士は私が倒したということになっていた。それがアレスだということを知る者は私しかいない。誰にも話していないから。
 負った傷が癒えるのももどかしく、私はアレスの後を追った。
 二日近く意識を失っていたために、事態はもう動いていた。何者かが、魔族の砦を壊滅させたという話が耳に飛び込んできた。
 アレスと戦った街から、魔族領の最深部にある魔王城への最短距離にある砦だと、地図を見なくても直ぐに分かった。
 砦は崩れ落ちて、建物としての機能を失っていた。
 周りの制止も聞かずに、私は魔王城へと足を向けた。
 道中は酷い有り様だった。邪魔なものは砦であろうが街であろうが、容赦なく叩き潰されている。お陰で、私は敵に遭遇することもなく、いとも容易く王城まで辿り着くことができた。
 恐らくは玉座があるであろう大広間へと続く扉があったのだろう。大きな穴が開いた瓦礫を超える。
 その先に、アレスはいた。
 見たこともない誰かの死体に深々と長剣を突き立てたアレスが。
 床に仰向けに倒れているのが、魔王だろうか。右腕が肩口から切り落とされ、左腕は人差し指と中指の間から肘まで縦に裂けて分かれている。足にも刺し傷があり、顔の右半分が爆発したように黒く焼け焦げていて、既に崩れ始めている。
 その胸の中央に、漆黒の長剣が突き立っている。
 アレスは、剣を右手で握り締め、押し込むような姿勢で静止していた。身に着けた鎧はもう見る影もなくぼろぼろで、その下の肌も傷だらけだった。左腕は肘 の直ぐ上辺りから千切れている。体には無数に傷があり、どれがどう付けられた傷痕なのか判別が困難なほどだった。剣による傷なのか、魔術による傷なのか、 分からないほどに。
 その腹部には大きな穴が開いていて。
 鬼のような形相のアレスは、もう、息をしていなかった。
 私はその場に崩れ落ちた。
 遅かった。いや、初めから追い付けないと分かっていた。
 アレスは人間を裏切ったわけではない。いや、普通の人間からしてみれば十分裏切りではある。だが、その真意に気付いてしまった。
 魔族に下ることで、今以上の力を得る。それを高めるために人間を殺さなければならない。アレスは自らが強大な敵となって立ちはだかることで、自分を超える戦士を生み出そうとしていたのだろう。
 自分を倒せる者が現れるまで、人間の戦士を倒し、己自身をも鍛え続けてきたのだ。その身に、魔術を使うための生命力を蓄えながら。
 そして、人の中に自分以上の可能性が現れた時、アレスは魔王に挑むつもりでいたのだ。魔族に下ったと思わせておいて、真意を隠して。
 だからといって、多くの命をその手にかけた償いなどになるはずもない。
 恐らく、彼自身も分かっていたはずだ。その上で、アレスは闇騎士となる道を選んだのだろうから。
「馬鹿……」
 視界が滲む。涙が溢れる。
 ずっと、その背中を追いかけてきた。共に剣の腕を磨いていた頃から、アレスは私の目標だった。一度も、勝てたことがなかった。私にとっては、かけがえのない、大切な人だった。
「お前は、いつもそうだ……!」
 昔から、アレスは言葉よりも先に行動する。
 手伝うこともできたのに、共に戦うこともできただろうに、一人で挑んで、闇に堕ちた。共に行っていたら、違う結末だったかもしれないのに。
 そこで気付く。
 アレスの首から翡翠に光るものが揺れている。
 私は目を見開いた。
 自分の首に下げているものと同じものが、そこにあった。ずっと昔に、お揃いで購入した安物のネックレスだ。祭りの席で、街の子供が作ったらしい、世界に 二つだけしかない、簡素な装飾品。あれからずっと、肌身離さず身に着けていたのだろうか。漆黒の鎧の下にも、あったのだろうか。
 嗚咽が漏れる。両目をきつく閉じて、涙を抑え込もうとしたが、駄目だった。
 誰もいない廃墟で、泣き叫ぶ。
 床に両腕を打ち付けて、涙が枯れるまで、声にならない声をあげ続けた。

 振るった二つの剣が目の前の魔族の首を刎ねる。
 横合いから突き出される槍を、身を逸らしてかわす。薙ぎ払われる槍を剣で受け止め、下方から上へ打ち上げるように払う。そのまま返す刃で槍を持つ両腕を断つ。
 魔王が倒れたことで、戦況は大きく人間側に傾いた。
 私は、まだ戦い続けている。
 優勢になったとはいえ、魔族は停戦するつもりはないようで、反抗を続けている。また新たな王が現れる可能性もある。この戦争がどんな結末で終わろうと構わない。
 私は、人として最後まで戦い続ける。私にはそれしかできない。
 何より、この剣が、私の存在が、アレスが人のために戦った、生きた証でもあるから。彼のことは誰にも言えないだろう。だけど、私はずっと憶えている。
 彼の想いは、私が継ぐ。託されたわけでもないし、継ぐようなものがあったのかという者もいるかもしれない。
 それでも。
「セレネ! 後ろだ!」
 共に戦う仲間の声に、振り返る。
 銀髪がなびき、首から下げた二つのネックレスが揺れて、小さな宝石が翡翠の光を反射して煌めいた。
 そして、私はまた剣を振るう。
 後書き

 とにかく激しい戦闘シーンが描きたくなって描いた作品です。
 今回もまた一人称視点にて。
 戦闘シーンのリハビリも兼ねていたりします。
短編の目次へ
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