夜の陰影
著:白銀

 暗い病室には一人の女性が眠っていた。点滴に繋がれ、生命維持装置を着けているかのように、周りには計器が備えられている。
 雲が途切れ、遮られていた月明かりが窓から差し込んだ。
 長く、艶やかな黒髪はもしかしたら腰ほどまであるかもしれない。ベッドに寝てさえいなければ見えただろう。長い睫毛に、少し痩せた頬と、色の薄い唇。肌は透き通るように白く、華奢な印象を強めていた。
「……誰?」
 唇がゆっくりと動き、女性は目を開いた。
 いつの間に現れたのか、窓には一人の青年がいた。窓枠に腰を下ろし、右足を乗せて片膝を立てている。その膝に右腕を乗せて、背中を壁に預けるように座っている。体勢は気だるそうだったが、その表情はどこか楽しげだ。
「おっと、起きてたのか」
 笑みの浮かんだ口から、言葉が紡がれる。
 ぼさぼさの黒髪に、ややつり上がった双眸を面白そうに細め、女性を見下ろしている。もうほとんど黒と言っても良い程に濃い赤のジャケットに、新品かと思えるほどに色落ちのしていない紺のジーンズを身に着けていた。前開きの半袖ジャケットの下には、それよりも袖の長い黒のシャツを着ている。
 時折吹き込んでくる風が、青年の髪とジャケットの裾を揺らしている。
「起こす手間が省けたな」
 青年の言葉に、女性は首を少し曲げた。身体を起こすことはできないのかもしれない。
「俺は、悪魔さ」
 口の端をつり上げて、青年は言った。
「幽霊なら見たことあるけれど、その悪魔さんが何の用?」
 少し馬鹿にしたように、女性が返す。
「まさか、魂と引き換えに願いでも叶えてくれるの?」
 可笑しそうに女性が呟く。冗談のつもりなのだろう。
 悪魔なんているわけがない。そう思っているに違いない。突然現れた理由にも何かトリックがあるとでも考えているのだろう。
「おぅ、解ってんじゃねぇか」
 青年は更に目を細めて笑った。
「あんたはそう日を置かずに死ぬ。その前に少しぐらいイイ夢、見たいだろ?」
「本気で言ってるの?」
 歯を見せて笑う青年に、女性はくすくすと笑った。彼女にしてみれば吹き出したつもりなのだろうが、青年には小さく笑っているようにしか見えない。身体に障るのか、腕さえ動かしていない。
「あんたの死期を延ばしたり、他者の命をどうこうってのはなしだ」
 全面的にイイ夢ではなく、少しだけイイ夢なのだ、と念を押すように青年は告げる。
「イヤなら別にそれでいいぜ。あんたの魂は貰ってくけどな」
「結局、私は死んじゃうんだ?」
 自分がもう直ぐ死ぬと理解しているのだろう。彼女はまるでどうでもいいことのように笑った。
 実際、どうにもできないのだ。彼女の病を治すことは、誰にもできない。
「さ、どうする?」
「そうね……少し、考えたいかな」
 直ぐには思いつかなかったのだろう。女性は苦笑して答えた。
「なら、明日聞かせてもらおうかな」
 青年の言葉に微笑んで、女性は目を閉じた。やがて、小さく寝息を立て始める。
 彼女が眠ったのを見届けてから、青年はようやく視線を外した。月を見上げて、小さく息を吐く。
「もういいぜ、シオン」
 青年は囁いた。
 答える代わりに、部屋の中に人影が浮かび上がる。それは影としか形容できない存在だった。ぼやけた黒い霧のようなものの集合体とでも呼ぶべきか、人に似た形をした実体の無いものだった。シルエットは人型だが、指先には爪があるのか尖っており、顔も竜か獣のように鼻と口が突き出しているように見える。同じ影でできたローブを身に纏っているようだった。深紅の目だけが光を放っている。
「本当にいいんだな?」
 影が、喋った。口に当たる部分を動かして、声を発している。
「毎回聞くなって。今頃いい夢見てんだろうからさ」
 たとえ自分の命は助からなくとも、ささやかな願いを叶えてもらえる。女性がそう信じたのなら、普段よりも心地良く眠れているはずだ。
 今なら、恐怖や後悔の念を抱くこともなく安らかに逝ける。彼女もどうせ死んでしまうのなら、苦しんで死ぬよりも静かに逝きたいだろう。
「最終確認だ」
 へいへい、と生返事をして、青年は窓枠から室内に下りた。
 シオンと呼ばれた影の外套の一部が翻り、右手が掲げられる。その手に、巨大な鎌のシルエットが現れた。周りから影が集まってくるかのように、ぼんやりとした影から物体の形を組み上げていく。
 シオンは、鎌を女性に振り下ろした。
 だが、鎌は女性を擦り抜ける。ベッドや周囲の物体すべてに干渉していない。もちろん、女性の身体にさえ何の影響もないはずだ。
 振り返ったシオンを見て、青年は窓枠を蹴って外へと跳び出した。部屋の中に、シオンの姿はもう無かった。そして、一瞬の間を置いて計器が一斉に音を立てていた。
 三階の窓から飛び降りた青年は茂みの中に着地した。両脚を曲げて衝撃を受け流し、手を着いて身体を支える。人間業ではないが、青年はそれができるのが当然とでも言った様子で、何事もなかったかのように茂みから外へと出た。
 病院の脇を通る道路に出たところで、ジャケットの中に振動を感じた。内ポケットから携帯電話を取り出し、通話に出る。
「こちら飛白(かすり)」
 青年は今までいた病室を見上げた。警報に気付いた医師や看護士が駆けつけてきたのか、明かりが灯っている。
「はい、補給は済ませました。いつでも行けます」
 電話に答える飛白の表情は、病室で女性に見せたものとは一変していた。笑みはなく、真剣な表情がそこにある。
「……了解、一分以内に向かいます」
 通話を終えた携帯電話をジャケットの中にしまい、飛白は自分の右脇に視線を向けた。まるでその視線に答えるかのように、シオンが現れる。
「既に始まってる。行くぞ」
 飛白の言葉に、シオンは確かに頷いた。
 そして、次の瞬間、二人の姿はもうそこにはなかった。

 静まり返った住宅街に、二種類の影が蠢いている。
 一方は、武装した人間だった。肉体を保護し、同時に身体能力を高める強化外骨格に身を包み、手には銃器が握られている。機関部がグリップよりも後方に位置するブルパップ方式のサブマシンガンだった。
 もう一方は、四足歩行獣のような外見の影もあれば、人間の二倍はあろうかという巨大な人影もある。身体の細い、カマキリのようなシルエットも見受けられた。体毛のようなものを持つものもあれば、鱗や、昆虫のような外骨格のような外観を持つものもいる。ただ、総じて全身が漆黒に染まっている。目に当たる部分だけ、紅く怪しい光を放っていた。
 その化け物を相手に、銃を小脇に抱えた人間たちが戦っている。状況は、人間たちが劣勢だった。少しずつ後退しながら、化け物へ銃を撃つ。兵器としては優秀な銃だったが、化け物には通じない。いや、命中させることができればダメージは与えることができる。致命傷だって可能だ。だが、問題は相手の動きが速過ぎることだった。人間の反応速度を越えた動きをする化け物に、生身の人間では太刀打ちできない。強化外骨格でどうにか一方的な戦いになってしまうことを避けている状態だ。
 不意に、化け物たちが動きを止めて一斉に後退った。人間たちも攻撃を止める。
「待たせたな硯(すずり)、状況は?」
 やや人間よりの位置に、飛白が現れていた。隣には、シオンの姿もある。ただ、影のような存在だったシオンには実体が存在していた。外套を風にはためかせた鱗に覆われた竜人だ。
「仲間が三人喰われた。四人が負傷している。結界も、もう後がない」
 先頭に立っていた人間が息を荒げながら答えた。女性の声だった。肩が上下していることから、相当苦戦していたのだろう。
 この世界とは異なる場所から現れた化け物には実体がない。実体のない化け物はこの世界で自身の存在を保つことはできない。ただ、この世界に存在するものに干渉することはできた。そして、干渉の仕方によっては存在を保つことができる。
 魂を喰らうことで、彼らは実体化していく。生物の魂ならどれでもいいが、最も効率が良いのが人間の魂だったようだ。故に、彼らは人を襲う。実態の無い化け物が干渉するのは、同じく実体のない魂だけだ。人間に抵抗などできない。
 その化け物に対抗するために、人間たちは知恵を絞った。特殊な術式で結界を張り、その範囲内でのみ空間の異相をずらして化け物を実体化させる。実体化させることができれば、化け物でも物理的なダメージを与えることで倒せる。ただし、実体化した化け物は、そうなる前に比べて能力が上がる。この世界に準じた存在となるのだから、当然と言えば当然だ。
 諸刃の剣ではあったが、それ以外に有効な手段は無かった。
「解った」
 飛白は一言だけ応じて、視線を化け物たちに向けた。
「シオン、来い」
 背後に移動していたシオンの外套が大きく揺れた。
 飛白とシオンのシルエットが重なり、姿を変える。短かった飛白の黒髪は腰ほどまでの長さに伸び、瞳が紅く染まる。身体は竜鱗の鎧で包まれ、手には大きな鎌を握り締めている。深い銀色の刃を持った、シンプルな鎌だった。
 小さく息を吐くと、飛白は地を蹴った。
 瞬間移動したかのように飛白の姿が掻き消え、化け物たちの中央に着地する。横薙ぎに振るった鎌が熊のような影を切り裂いた。両断された化け物は闇に溶けるかのように消失する。
「かかってきな、逃げ場なんてねぇぜ?」
 飛白は笑みを浮かべ、挑発的に呟いた。
 シオンもまた、向こうの世界から来た化け物の一種だ。ただ、この事態を良しとしない存在でもあった。
 爪で襲い掛かる獣型の化け物を鎌で左右に両断する。背後からの気配に振り返り、両手を振り上げる漆黒のカマキリに横合いから鎌を叩き付ける。脇腹辺りから真っ二つにされたカマキリが溶けて消え去り、その向こうから狼のような影が飛び出してくる。振り上げた鎌で黒い狼を切り裂いて、横合いから向かってくる気配に鎌の柄を突き出した。
 頭部を貫かれた獣型が消え去ったところで、飛白は敵が後退し始めたのに気付いた。
「こいつら、下っ端か」
 舌打ちして、飛白は駆け出した。
 シオンのように、向こうの世界にも知的に発達した存在がいる。知恵のある者が指揮を取ってこの世界に現れる集団もいくつか確認されている。今回はボス、つまり司令塔がいるということだ。
 追いついた傍から鎌で切り捨て、飛白は最後の敵だけを道標として残した。結界が途切れ、化け物が実体を失う。住宅街から離れていく化け物を追って辿り着いたのは、山の中だった。
 ボスらしい影が見えたところで、飛白は道案内をさせていた敵に鎌を振るった。切り裂かれた化け物が一瞬遅れて消滅する。実体を失っていても、向こうの存在であるシオンと存在を重ねた飛白になら攻撃することができる。
 化け物たちはいわゆる霊体として存在する。
 霊感の強い弱いは、彼らにとっては良い餌かどうかという基準だ。霊感が強ければ強いほど、狙われる可能性も高くなる。そういう者ほど生命力は高い。だからこそ、良い餌になるのだろう。
「貴様か、私の食事を横取りしたのは」
 シルエットは病室に現れた時のシオンに似ていた。いや、シオンが向こうの世界でいう知的生命体の形なのだ。
「元々てめぇのもんじゃねぇだろ?」
 飛白は挑発的に答えた。
 食事とは、つい先ほど病院で会った女性のことだろう。彼女は過去に一度、このボス級の化け物に襲われているのだ。その時に魂を吸収しなかったのは、予備の食料として確保しておいた、ということだろう。
 魂を喰らって実体化しても、その状態を保つためには人を喰らい続けなければならない。必要の無い時に多くの魂を喰らっても、許容量を越えて取り込むことはできない。人間の胃袋が大きくなるように、少しずつ拡張させていくことはできても、限界を超えた量を入れることはできないのだ。
 彼らにとっても、人間なら誰でもいいというわけではない。霊感が弱い人間は喰らってもほとんど力を得られない。霊感は強いほど、化け物に対する抵抗力も上がる。その分、魂は相手にとって上質なものになるわけだ。
 あの女性は魂の一部が欠損していた。強引に魂が傷付けられたことで、彼女の肉体にも影響が生じたのだろう。彼女が寝たきりになっていた原因は、目の前の化け物だ。肉体を保つことができず、本当にゆっくりと徐々に崩壊していく。身体は衰弱し、継続的に苦痛も伴う。だが、死にたくても、自力で身体は動かせない。
「あいつの魂は、馴染んできたか?」
 飛白はシオンへと問う。
 先ほど病院で出会った女性の魂を、シオンは吸収した。そうしなければ、シオンはこの世界で存在を保てない。同時に、飛白たちの力になることもできない。
 いくら敵と戦うためとは言え、その辺を歩いている人間の魂を奪うことには抵抗がある。かと言って、シオンがいなければ雑魚はともかく竜人には対抗できない。
 飛白たちが選んだのは、彼ら竜人に襲われた人間を探し出し、その魂を貰うことだった。
 回復の見込みのない、不治の病と判断された者の死期が近付いた際に魂を吸収する。敵の食料を奪うと同時に、こちらも力を得ることができる。一石二鳥な選択肢だった。
 敵が現れるより早く、対象を発見しなければならない難しさはある。それでも、無差別に命を奪うよりはいい。竜人が確保した人間は総じて霊感が高く、シオンの強化と回復にも効果的だった。
「飛白、気を付けろ」
 シオンの声が頭の中に響く。
 竜人の背後に、いくつかの人影が横たわっていた。強化外骨格を身に着けていることから、彼らが喰われた仲間だろう。
 目の前の影が、結界に入ってもいないのに実体化する。
 相当な数の人間を喰らってきたのだろう。既に自力で実体化できるほどまでの力を着けている。敵としては、手強い部類だ。
「お前も、相当な力を持っているようだな」
 どこか嬉しそうに、竜人が呟いた。人間なら舌なめずりでもしていたかもしれない。
 シオンを自分に重ねている飛白の霊力は高い。桁外れの力を持っているからこそ、シオンを憑依させることができる。相手からしてみれば、飛白はこれ以上ないぐらいに上質な餌だ。
 竜人の両手の付け根辺りから刃が飛び出した。漆黒の外観に似合う、グレーの剣だ。その武器を構えて、竜人が地を蹴った。
 身体を包むように大きく左へと引いた右腕を思い切り水平に払う。手の付け根に固定されたままの剣が薙ぎ払われ、飛白は咄嗟に飛び退いた。同時に、手にしていた鎌を相手と同じように薙ぎ払う。
 刃同士が空中で激突し、甲高い金属音を辺りに響かせた。
 竜人は踏み込むと同時に後方へ引いていた左手を大きく突き出した。飛白は空いている左手で刃を掴んで受け止める。
 シオンの身体で保護されている飛白の手に、刃が食い込む。竜人は想像以上に力を取り込んでいるらしく、押し負けているのが判った。
 飛白は強引に刃を脇へと押し退けて、竜人へと回し蹴りを放った。逸らされた腕に体重を乗せていた竜人が前方へ体勢を崩す。その竜人の腹へ、飛白の蹴りが突き刺さった。
「くくっ……」
 竜人の喉から笑い声が漏れた。
 飛白は眉根を寄せた。先ほどの蹴りは確かに決まったはずだ。武器による攻撃に比べて威力が落ちるとしても、加減などはしていない。笑っていられるほど弱いものではないはずだった。
「ようやく馴染んできたぞ」
 その言葉に、飛白は舌打ちした。
 喰われた仲間の魂が敵に消化されたのだ。魂を完全に取り込むには、多少の時間がかかる。力の強い魂ほど、タイムラグは大きい。飛白の蹴りが命中するのとほぼ同時に、魂の消化が完了したに違いない。ダメージが打ち消されたか、瞬時に回復したのかは判断できないが。
「だが、これではまだ不利だな」
 竜人が呟いた瞬間、飛白は飛び出していた。
 まだ何か奥の手を隠している。そう感じられた。なら、その奥の手を使う前に倒すのがベストだ。全力を出し切らぬ前に、決着を着けた方がいい。
 飛白も長時間シオンと存在を重ねているわけにもいかない。戦うには適した姿だが、デメリットもある。飛白は霊力、すなわち魂の力を消費し、シオンがそれを喰らうことで存在を繋ぎ合わせている。長時間の同化は寿命を削ることにもなるのだ。同時に、次に同化が可能になるまでの回復時間もその分必要になる。
 袈裟懸けに振り下ろした鎌が空を切る。横へ跳び、飛白の背後へ回り込もうとする竜人へ、水平に振るった鎌で追撃を仕掛けた。竜人は垂直に大きく跳躍し、鎌を跳び越える。
 背中に月を背負うように、竜人が飛白を見下ろす。翼を広げ、滞空していた。やや蒼みがかった月に、竜人の紅い目が怪しく映える。
 その、竜人の口が歪んだ。端がつり上がる。笑った、と言うべきか。
 飛白は、手に持った鎌を思い切り投げ放っていた。円を描くように回転しながら、鎌が竜人へと真っ直ぐに向かって行く。
 だが、鎌が突き立ったのは竜人ではなかった。横合いから現れた大きな鳥のような化け物だった。黒い羽で覆われた、遠目から見ればカラスにも思える、そんな化け物だ。
 カラスの胸に鎌が突き刺さり、一瞬の硬直の後、存在が消滅する。突き立っていた鎌は落下を始める。
 鎌が命中しなかったことよりも、飛白は別のことに驚愕していた。
 竜人が、強化外骨格を身に纏った人間を抱きかかえていた。もちろん、竜人を見上げていた飛白には全て見ていた。
 巨大なカラスのような怪鳥が人間を捕らえていたのだ。足に捕らえていた人間を竜人に受け渡すと同時に、盾となって飛白の投げた鎌を受けた。
「野郎……伏兵か!」
 噛み締めた奥歯が音を立てる。
「知恵は貴様たち人間だけのものではない。そうだろう?」
 まるで嘲笑うかのように竜人が呟く。勝ち誇ったかのように、悔しさを滲ませる飛白を見下ろしている。
 竜人が人間を喰らおうと口を開けた。飛白は、竜人へ目掛けて跳躍する。月明かりが、人間の顔を照らし出すのが見えた。
「硯っ!」
 飛白は目を見開いた。
 砕けたヘルメットの下に、気を失っている女性の顔があった。
「なるほど、知り合いか」
 竜人は呟き、硯の身体そのものを取り込んだ。シオンが飛白と同化した時と同じように。
 強化外骨格は消え、飛白と同じように黒い竜鱗に身体を包まれた女性が現れる。虚ろな瞳は紅く染まり、硯自身には意識がないことが確認できる。
「さぁ、どうする?」
 人質を取ったとでも言わんばかりの言葉に、飛白は目を鋭く細めた。
「待たせた」
 シオンの声が頭の中に響き、飛白は口の端をつり上げて笑みを浮かべる。ようやく、取り込んだ魂が馴染んだ。時間がかかった分、かなりの力を持っていたようだ。全身の血管が脈動しているかのように、力を感じる。
 水平に引いた右手に、新たな鎌が形作られる。今までと違う、血のように濃い赤の刃を持った鎌だ。それに身体を乗っ取られた硯が目を見開いた。
 細く息を吐き出すと同時に、硯へと袈裟懸けに鎌を叩き付ける。鎌が硯の身体に食い込み、黒い霧が血のように噴き出す。
 鎌が硯の魂に触れる寸前、飛白はシオンを自分の身体から弾き出していた。ほんの一瞬の間を置いて、再びシオンが飛白と同化する。何も言わずとも、考えは通じている。慣性で動いていた飛白の身体にシオンが戻った時、硯の魂の部分を通過していた。彼女の魂はそのままに、敵だけを切り裂く。
 竜人の存在が消滅し、気を失ったままの硯が落下を始める。飛白は彼女を抱き止めて、ゆっくりと地面に下りた。ちゃんと生きている。それに安心して吐息が漏れた。
「全く、今回ばかりは少し焦ったぞ」
 気絶したままの仲間を地面に下ろし、飛白は隣に立つシオンへと文句を言った。
「私に言うな」
 少し困ったように、シオンが言葉を返す。
 飛白が溜め息をついた直後、ジャケット内の携帯電話が震えた。
「はい、飛白です」
 素早く通話に出ながら、飛白はシオンに目配せする。
「了解、これからそちらへ向かいます」
 それだけ答えると、飛白は電話を切ってジャケットの中にしまった。
「ゆっくり話してもいられねぇや、わりぃな」
 少し寂しげに視線を細めて、飛白は目を閉じたままの硯に囁いた。聞こえてはいないかもしれない。それでも、言わずにいられなかった。
 シオンの姿は既にない。姿を消しているだけで、シオンは飛白の直ぐ傍にいる。
 ジャケットを翻し、飛白は硯に背を向けて次の戦場へと歩き出した。

 後書き

 大学にて、大学祭の時にサークルで本を出すこととなり、それ用に書き下ろした短編です。
 ページ数がある程度あるということで、今までの短編よりもちょっと長めですね。
 また少し長編の切り抜きっぽくなってしまったのは反省点かもしれません。
 思いついたネタで書き切れなかった部分があるので、これと関わりのありそうな長編を書く可能性がちょっとあったりします。
短編の目次へ
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