第一章 「ソウル・ドライバー」 眼下に広がる景色に、少女は心を躍らせていた。 圧巻とも言える光景に、少年は目を丸くする。 アルヴア大陸随一の工業都市ラシンケット。きっちりと区画整備の成された街並みを通る道は遠くまで見渡せる。建物は大小さまざまだが、多いのは大きめで突き出る形の屋根のない角張ったものだ。 そして、遠くに見える工場の煙突からは煙が舞い上がり、空へと立ち上っている。 等間隔で砲台が配備された強固で分厚い外壁もさる事ながら、その風景は二人の心を奪った。 「ね、やっぱり街が見渡せる場所に来て良かったでしょ?」 隣に立つ少年へ、少女は笑顔を向けた。 ふわりと、亜麻色の長髪が揺れる。やや童顔の大きな瞳に、人懐っこい笑顔を浮かべ、少女フィオラ・ミュナルは少年を見つめていた。身体は細身だが、華奢というほどではなく、適度に引き締まっている。胸こそやや小さめだが、スタイルは良い方だ。 「そう、だね」 対する少年は苦笑を浮かべる。 アッシュブロンドの短髪の下には、柔和な瞳がある。整ってはいるが、気弱そうな顔立ちに相応しく、フィオラよりも彼の方が身体は華奢に見えた。線の細い少年イルゼ・トラシナは僅かに困ったような表情を浮かべ、右手の人差し指で頬を掻いた。 二人は世界一高いといわれている展望台にいる。 「ちょっとはしゃぎ過ぎだよ」 「いいじゃない。エレベーターがある建物なんて世界中でも数えるほどしかないのよ」 イルゼの言葉に腹を立てた様子もなく、フィオラは笑顔のまま言った。 機械技術力が発達してきたとはいえ、まだそれらが一般化するには至っていない。機械の力で人や荷物を運ぶエレベーターというものが出来上がったのもここ数年のうちの事だ。だが、まだ技術は完全ではなく、定期的な整備が欠かせない。費用の面でも中々効率的にできず、実験段階というのが正しいだろう。 首都や工業都市では普及しつつあるが、地方ともなると技術力の格差は依然として大きなままだ。 「その分入場料が高いんだけどね」 イルゼが溜め息混じりに呟く。 もっとも、イルゼ自身も最新の技術力によって造られたエレベーターというものには感心したのだが。 「ねぇ、フィオラ、そろそろ行かない?」 「え、もう?」 展望台の窓から外を眺めていたフィオラがイルゼに驚いた表情を見せる。 「宿だって取ってないんだから、今から探さなきゃ夜になっちゃうよ」 「えー、だって入場料払ったんだからもう少しここにいようよ」 「ここ、食事取れないよ?」 「むー……。仕方ないなぁ」 食事という言葉にフィオラは考え込み、渋々といった表情でイルゼに応じた。 エレベーターに乗り、展望塔の最上階から地上へと降りる。塔の出入り口から外へ出ると、直ぐに大通りだ。 「今日はどこに泊まろうか?」 都市の中央を走る大通りを歩きながら、イルゼはフィオラに尋ねた。 「安過ぎず高過ぎずってところないかな?」 フィオラは周囲を見回しながら答える。 二人が都市に到着したのは今朝だ。それが理由で、都市の内部構造を知るという目的で展望塔に入場したのだ。 「情報も仕入れられる場所が近くにあるといいけど……」 「ガーディアンズ・ギルドは嫌だからね」 イルゼの言葉を遮って、フィオラは告げた。 ガーディアンとは、主に人間と敵対する種族を相手に戦う者を指す。彼らは常に武装し、外部からの敵だけでなく人間同士の抗争を仲裁する役割も担っている。友好種族との間で問題が起きた場合にもガーディアンが動く場合が多い。 各都市の政府が運営するギルドを中心にガーディアンは集まり、情報交換などを行っているのだ。彼らは賞金首の人間や多種族を狩る事で生計を立てている。 また、ギルドは宿も兼ねており、定住していないガーディアンが泊まっている。 「解ってる、僕達はガーディアンじゃないもんね」 ギルドでは、一般の旅人達にも宿を提供している。 もっとも、旅をするという時点で、旅人もガーディアンに近い存在だ。旅行者と違い、旅人は都市間の移動に公の交通機関を使わない者が多い。そのため、旅人達も自衛の手段を持っている。ガーディアンと違うのは、故意に賞金首を狙っていないというところだ。 フィオラとイルゼはガーディアンではない。だが、旅人と言うには中途半端だ。 「ねぇ、何かあったみたいよ?」 フィオラが大通りの端を指差す。その先に人だかりができていた。 野次馬の向こうには、砂煙が立ち上っているのが見えた。何か騒動が起きているようだ。 「爆発ってわけでもなさそうだけど……」 イルゼは言いながら、フィオラを見る。 「厄介事は避けたいけど、何か手掛かりになってるかも」 彼女もイルゼを見返して、告げた。 二人は一度頷き合うと、人だかりの方へと駆け出した。 「なんだろ? 戦ってる、のかな?」 人だかりの最後列からイルゼが呟く。人が多過ぎるせいで、良く見えない。 と、突然野次馬が左右に動いた。イルゼとフィオラまでの道を作るかのように退いた人々に、状況の掴めない二人は目を丸くする。 次の瞬間、フィオラが消えた。 野次馬が囲んでいた中心から飛び出してきた影が、フィオラをかっさらっていったのだ。 「フィオラ!」 影を目で追い、イルゼは叫んだ。 フィオラをさらった影は途中で空へと向きを変え、飛び上がる。影が停止してようやく、相手が大型の鳥だと判る。翼は左右に開けば大人が三、四人は並ぶだろう長さだ。長い尾を持つその鳥には、腕があった。いや、腕だけではなく、人間の身体も備わっている。 人間に鳥の皮を被せたように、鎧のように翼や毛皮を纏っていた。鳥男はフィオラを抱きかかえるようにして、人々を見下ろしていた。鳥の頭が兜のようになっており、表情は良く見えない。 「丁度良い、この娘の命と引き換えに本を寄越せ」 男が大きな声で言い放つ。声が向けられているのは、野次馬が囲んでいた騒動の中心部の方だった。建物があったのだろうが、騒動に巻き込まれたらしく廃墟と化している。 イルゼが視線を向ければ、瓦礫の中から一人の男が起き上がろうとしていた。 乱れた長い金髪に、ぼろぼろの鎧を纏った男だ。相当な手傷を受けているらしく、口の端から血が滴っている。がくがくと震えながら地面に手を突き、身を起こそうとしていた。 「貴様のような人間は、いくら痛め付けても無駄だからな」 「……賞金首風情が……!」 男は吐き捨てた。反抗的な視線を鳥男に向けてはいても、攻撃を躊躇っているのが判る。 「フィオラ!」 「あ、大丈夫。こんな所でイルゼに戦われるのも困るから、待ってて」 人質にされているというのに、フィオラは全く動じていなかった。 「貴様、何を……?」 フィオラの言葉に疑問を抱いたらしく、鳥男が視線を彼女に向ける。 だが、その瞬間にはフィオラの拳が鳥男の顔面に突き刺さっていた。鼻血を拭いて男が首を仰け反らせる。フィオラは右腕で男の首を外側から抱え込むようにして抑え込み、自らの身体を持ち上げた。鳥男の背後に回り、フィオラは左右の翼の付け根をそれぞれ掴み、男の背中に蹴りを見舞った。 声も無くバランスを崩し、男が落下する。フィオラは男の背中でバランスを調整し、落下速度を緩める。十分な高度まで落下したところで、フィオラは男の背中を蹴って跳躍し、イルゼの隣に着地した。 その時のフィオラは、今までのフィオラではなかった。 大きな瞳は鋭く研ぎ澄まされた刃の如く細められ、表情は完全に消えている。誰が見ても同じ人間とは思えない程の表情の変化に、イルゼは動じない。否、動じる必要がないと既に知っているのだ。 フィオラが瞬きをした直後、表情は元に戻っていた。 「こんな所でイルゼが戦ったら、周りの人が危ないからね」 あなたはまだ未熟だから、と笑顔を見せて、フィオラは自力で脱出した理由を告げた。 「まぁ、ちゃんと使いこなせてないのは認めるけど……」 唖然とする観衆を無視して、イルゼは苦笑をフィオラに返した。 「何者だ、貴様……」 賞金首の鳥男が身を起こし、フィオラを睨み付ける。彼女を危険と判断したのか、鳥男がフィオラへと突進する。翼が淡い光を帯びたのを見て、イルゼはフィオラを庇うように飛び出した。 イルゼの右腕が一瞬にして炎を纏い、光を帯びた鳥男の翼を受け止めていた。 接触の衝撃と熱気が辺りに撒き散らされる。イルゼの背後にいたフィオラが腕で顔を庇う。亜麻色の彼女の髪が熱風で靡いた。 「できるだけ抑えてね、イルゼ」 「解ってる」 フィオラの言葉に、イルゼは険しい表情で答えた。 身体の内側から溶岩のように湧き上がる力を、イルゼは大きく息を吐き出して抑え込む。身体の奥底から染み出してくる熱量に歯を食い縛り、イルゼは鳥男を見据えた。 イルゼの腕は少しずつ原型を失い、炎でできた翼へと変化していく。 「があああああっ」 裂帛の気合と共に、イルゼは力任せに鳥男を弾き飛ばした。イルゼの意思とは無関係に、振り抜いた翼から炎が放出される。 「うぉぁっ!」 熱気が大通りに荒れ狂い、吹き飛ばされた鳥男を灼熱の炎が飲み込んだ。 暴れ狂う右腕を理性で抑え付け、イルゼは炎を封じ込めていく。徐々にイルゼの右腕が元に戻っていく。まだ熱の冷めない右腕を左手で押さえ、イルゼは鳥男へと視線を向けた。 翼で身体を覆うようにして、鳥男は炎に耐えているように見えた。 鳥男が身体を覆っていた翼を左右に開き、炎を受け流す。その表情に余裕は無く、地肌の見える場所には大粒の汗が無数に浮いていた。翼も複数個所に焦げ目が見える。 「この力……並の生物ではないな……?」 息が上がっているらしく、鳥男は言葉を詰まらせながら問う。 「僕自身、この力を扱いきれてないんだ。気を抜けば直ぐ力に流されてしまう」 イルゼは言った。 自分が得た力の強大さ故に、イルゼは使いこなせずにいる。力を得てから一年以上の時間は経っているが、未だに力を抑え切れない。片鱗を見せただけでも周りに被害を及ぼしてしまうのだ。全力で戦うなど、恐ろしくてできたものではない。 「それに、僕は戦うのが嫌いなんだ」 イルゼは視線を逸らして呟いた。 「何が目的で戦ってたんですか?」 「……言えん。人が多過ぎる。それに、俺はある方に指示されてここに来た」 「誰に?」 「我々は白虎と呼んでいる」 鳥男の言葉に、その場にいた全員が凍り付いたように動きを止め、息を呑んだ。 白虎。賞金首の中でも最も危険とされている人物だ。人間でありながら、凶悪な敵性種族以上の賞金がかけられている人物だ。大陸に存在する都市全ての政府が恐れている存在でもある。 「今、その人はどこにいるの!」 フィオラが叫んだ。 「何?」 鳥男が眉根を寄せた。 「僕も知りたい。彼は、今どこにいるんですか?」 「味方、という訳でもなさそうだな」 フィオラとイルゼの目つきを一瞥し、鳥男は呟いた。 「当然よ。私達は白虎を追ってるんですから」 その言葉に、鳥男が一瞬驚いたように目を見開いていた。 「フィオラに、イルゼ、と言ったな? 覚えておく。白虎にも知らせておいてやろう」 鳥男は一歩後退し、翼をはためかせてゆっくりと空へ上り始める。 「あなた、名前は?」 「イグル・リード」 フィオラの問いに答え、イグルは飛び去った。イルゼの攻撃でダメージを負っているというのに、それを感じさせない身のこなしでイグルは飛んで行く。 ただ唖然とやり取りを眺めていた野次馬達は段々と散り始めた。 「大丈夫ですか?」 飛び去るイグルを見ようともせず、イルゼは瓦礫の中に倒れていた男へと駆け寄っていた。 イルゼ達がイグルの相手をしていた間に自力で瓦礫から抜け出たようで、男は瓦礫に背を預けるように座っていた。 「まさか、お前のような子供に助けられるとはな……」 駆け寄ってくるイルゼを一瞥し、男は小さく溜め息をついた。 「年齢なんて関係ありません。結果的にあなたを助ける形になってますけど、僕はフィオラを助けたかっただけですから」 イルゼは素っ気無く答えながら男の傷を確認していた。 「駄目だ、ちゃんとした施設じゃないと……」 「それぐらい判ってるさ。だが、俺も『ドライバー』だ。常人よりは丈夫だ」 イルゼの言葉に、男が言う。 「でしょうね。そうでもなきゃ死んでるわ」 瓦礫の山を見つめ、フィオラは呟いた。 フィオラとイルゼが男を見つけた時、彼は崩壊した建物の中から身を起こしていた。少なくとも、彼は瓦礫に埋もれていたのだ。普通の人間ならば致死ダメージを受け、死んでいる。 「ていうか、そもそもあなた誰よ?」 「……俺はグライス・レザー。ガルムの一員だ」 怪訝そうに眉を潜めるフィオラに、男は答えた。 ガルム。それは、大陸全土の都市が協力し合って作り出した組織だ。彼らは全ての賞金首、敵性種族から都市や友好種族を守る事を目的としている。 ガルムに所属する者は全てが『ドライバー』だ。 「イルゼと言ったな、お前が持つ『ソウル』は何だ?」 グライスは真剣な眼差しでイルゼを見つめた。 イルゼがイグルと戦った時に使った力を尋ねているのだ。『ドライバー』は自分以外の種族の生命の結晶である『ソウル』を自らの身体に宿している。そして、必要に応じて『ソウル』、魂の力を解放し使役する。様々な種族が存在するが故に、魂にも多数の種類があり、その能力も千差万別だ。共通しているのは、『ドライバー』の肉体に『ソウル』を持つ種族の力を上掛けするという部分だ。これを『ソウル・ドライブ』と呼ぶ。イグルが鳥に似た外観になっていたのも、鳥系種族の魂を使役していたためだ。 無論、最初から自身とは別の魂を持っているわけではない。様々な理由を経て、相互に了承が得られた際に一方が他方に魂を委ねる。魂となった側は、委ねた相手の行動には干渉できない。思考を伝えるだけならばできるが、意識の直接共有はできないのだ。 「……フェニックス」 数秒の間を置いて、イルゼは答えた。 不死鳥、鳳凰とも呼ばれる存在だ。全身を灼熱の炎に包まれた、最高位種族の一体である。絶対数の少ないその種族の魂を持つ者は極めて稀だ。だが、魂の持つ力は莫大なものだ。 「フェニックス……!」 グライスが驚愕に目を見開いた。 救助員が到着したらしく、グライスの様子を確認し、担架に乗せて運び出そうとする。 「お前達に話がある。ついて来てはくれないか?」 「奇遇ね。私達もあなたには話しがあるわ」 担架の上からグライスが放った言葉に、フィオラは腰に手を当てて答えていた。 * 医療施設の病室にフィオラとイルゼはいた。ベッドには治療の施されたグライスが横になっている。 「それで、何があったの? イグルは何者なの?」 フィオラが話を切り出した。 「イグルは賞金首ですよね? 彼が言っていた『本』とは何ですか?」 続いて、イルゼが問う。 「まぁ待て。一度には答えられない。それに、機密情報もある」 「じゃあ、話せるだけ話してよ」 困ったような表情を浮かべるグライスに追い討ちをかけるかのようにフィオラは言い放った。 「まず、イグルは白虎の一味と見て間違いない。今までは一介の賞金首に過ぎなかったが、奴が白虎の傘下に入ったというのはこれで確実だ」 白虎自身は組織を作ってはおらず、彼に影響された者達が集っているに過ぎない。しかし、集った者達に対して白虎は拒絶するでもなく、己の手足として使役している。彼自身も動いているようだが、効率化を図っているのだ。 「俺は酒場で一息ついているところを強襲された」 グライスがいた瓦礫の山は、元は酒場だったのだ。休憩をとっている所を不意打ちされたのである。いくら『ソウル・ドライバー』でも、魂を解放する前の状態では人間だ。一般人と比べれば身体能力も回復力も高いが、『ドライブ』した者とは大きな差ができてしまう。 特殊な組織であるガルムに所属するグライスの戦闘力は決して低くはないはずだ。真正面から戦っていればイグルと互角の戦闘ができたに違いない。 グライスは『ドライブ』する前に攻撃を受け、敗北したのだ。 「という事は、イグルはあなたの動きを知っていた」 顎に手を当てて、イルゼが呟く。 「基本的にガルムは裏で動く組織だ。情報が漏れたという事だろうな」 頷き、グライスは言葉を続けた。 狙い澄ましたかのような不意打ちとなれば、イグルは始めからグライスがそこにいると知っていたと考えて間違いない。敵性種族に情報を漏らさぬために、ガルムは人類や友好種族に対しても情報を公に流していない。 「スパイの可能性が高い。白虎も動くはずだ」 イグルがガルムの動きを掴んでいたという状況を考えれば、彼を指揮している白虎にも察知されているだろう。 「じゃあ、『本』というのは?」 「そこから先は機密だ」 イルゼの問いにグライスは首を横に振った。 「……蘇魂転生の呪?」 不意に、フィオラが誰にともなく問う。 それを聞いたグライスが目を見開いた。 「そうなの? ガルムが?」 見えない誰かと会話でもしているかのように、フィオラは相槌を打つ。 「ガルムが管理してる秘術書『蘇魂転生の呪』を白虎は狙ってるわけね」 フィオラがグライスに視線を戻して告げた。 秘術書とは、遥か昔から今に至るまで世界の裏で密かに伝えられてきた古文書だ。そこに記されているのは、一般には知らされていない技術や呪術だ。だが、どの秘術書も古代文字が使われており、現代で解読できる者はほとんどいない。研究者達は過去の技術を得るためだけでなく、歴史を知るという目的もあって秘術書の解読や発掘に勤しんでいる。 工業都市ラシンケットの科学技術も、政府が秘術書を解析して得られた情報を元にして発展させてきたものだ。 「お前……」 グライスが言葉を詰まらせ、怪訝な表情を浮かべる。 一般人が知りえない事実をフィオラは言い当てて見せた。彼女の秘密を知らない者ならば驚いて当然だ。 「私達は白虎を追ってるのよ。知ってて当然よ」 「知っていたのはフィオラじゃないでしょ」 得意気に胸を張るフィオラを見て、イルゼは苦笑した。 「で、秘術書はあなたが持ってるわけじゃないんでしょ?」 何か言いたげなグライスを無視し、フィオラは尋ねた。 グライスが秘術書を持っていたとすれば、イグルは彼を不意打ちした際に強奪しているはずだ。それをせず、人質を取って交換条件を出した。少なくとも、グライスが秘術書の在り処を知っている可能性はある。 「確かに、俺は持っていない。だが……」 グライスが言葉を止めた。 秘術書の在り処は機密に触れるのだろう。グライスはその先を躊躇っていた。フィオラとイルゼは秘術書の存在を知っている。少なくとも、秘術書に関しての知識は持っている。 世界を変えてしまうほどの技術が記されている秘術書の情報を二人に伝えていいものか迷っているのだ。グライスは二人を信用し切れていない。 「先に一つ問う。お前達は秘術書をどうするつもりだ?」 「別にどうもしないわよ」 フィオラの即答に、グライスが目を丸くした。 「さっきも言ったけど、私達は白虎を追ってるの。秘術書が無ければ白虎を倒せないっていうのならともかく、白虎に対抗できると思っているうちは秘術書なんてどうでもいいわ」 グライスを真っ直ぐに見つめ、フィオラは告げた。 彼女の目的を達成するために秘術書が必要にならない限り、フィオラは秘術を使おうとは思わない。 「世界を敵に回してまで、秘術書を使おうとは思わないよ」 イルゼも肩を竦めて見せる。 秘術書といっても、実際に何ができるのかは解読しなければ分からない。世界を揺るがすほどの力を持つ秘術書を手にしたとしても、秘術を使用できるとは限らない。二人にとっての確実性が少ないのならば、その力を手に入れるために危険を増やすのは避けるべきだ。 秘術書の存在は他の種族の者達も警戒している。不用意に手にすれば、大陸全土の種族全てを敵に回しかねない。 「興味がないってわけじゃないけど、今は他に優先すべき事があるから」 フィオラの顔に人懐っこい笑みが浮かぶ。 「お前達が白虎を追っているというのなら、協力してはくれないか?」 「協力? 白虎を倒す手伝いをしろっていうの?」 グライスはフィオラに頷いた。 「もし、協力してくれるというなら、秘術書の在り処を教える」 逆に言えば、協力しないのであれば秘術書が今どこにあるか教えないつもりなのだ。 「あなた達は白虎をどうするつもり?」 「無論、危険分子として排除するつもりだ」 フィオラの問いにグライスは目を細めて告げた。 「ガルムには白虎を見つけ次第抹殺するよう優先命令が出されている」 フィオラは険しい表情で俯いた。 考えてみれば当然だ。秘術書を狙い、高い戦闘能力を持つ賞金首を、ガルムが放って置けるはずがない。白虎が秘術書を解読できるのか判らないが、できないと言い切るには情報が足りないのだ。 白虎には不明な点が多い。 「私は白虎に話があるの。その前に殺されたら困る」 フィオラが口を尖らせた。 「優先命令が出されていても、ガルムだってそう簡単に白虎に手出しできないよ」 「どうして?」 「白虎は強い。下手に白虎と戦闘になったら、周りへの影響が大き過ぎる」 フィオラの問いに、イルゼは告げる。 防衛を目的とした組織であるガルムにとって、住民への被害は極力避けなければならない。相手が仕掛けてきた時は応戦しなければならないが、ガルムが仕掛けるとなると状況が変わってくる。相手を被害の極力少なくなる場所へと追い込み、一気に仕留めるのだ。 だが、その作戦が通用するのは相手が追い込まれてくれるような者だった時だけだ。白虎のように勘も知恵も鋭い者には通用しない。逆にガルムの方が追い込まれたり、巧く誘導されて逃げられてしまったりと、いいようにあしらわれているという話を良く聞く。 「そうでしょ?」 イルゼの言葉に、グライスは険しい表情で頷いた。 「どうにかして都市の外で対峙できればいいんだが……」 グライスが歯噛みする。 白虎も、都市内ではガルムが迂闊に手出しできないと解っているのだ。 「ただ、奴の手に秘術書が渡った時は、ガルムも全力で攻撃を行う」 はっきりとグライスは告げた。 秘術書が奪われたとなれば、周囲への被害を気にしている余裕もなくなる。最悪、都市にどれだけの被害が出たとしてもガルムは全戦力を注ぎ込んで白虎を倒そうとするだろう。 「とりあえず、協力はするわ」 意を決したかのように、フィオラが口を開いた。 ガルムから情報が得られるのであれば悪い話ではない。白虎を追っているという点では、フィオラ達とガルムは共通している。二人の戦力を一時的にでも手に入れられるガルムにとっても悪くない話だ。 「秘術書は、この都市の第一研究所で一昨日から解析されている」 フィオラの申し出を受けて、グライスは声を落として告げた。 この都市で最大規模の研究所に秘術書が持ち込まれている。恐らくは、ガルムが輸送してきたのだ。 「戦士長がこちらに向かっていると聞いているが、いつになるか判らない。その間の護衛もして貰えると助かる」 「その辺は私達で判断するわ」 フィオラは肩を竦めてみせた。 ガルムを指揮する長、即ち戦士長は最高位種族の魂を持っていると聞く。組織の中で白虎と対等に渡り合えるのは戦士長ぐらいだろう。 秘術書がラシンケットに持ち込まれたと白虎達が気付いたとしたら、戦士長の行動も推測できているはずだ。近いうちに白虎が行動を起こすと覚悟しておいた方がいいかもしれない。 「……お前達は何の目的があって白虎を追っているんだ?」 フィオラの考えを見透かそうとするかのように目を細め、グライスが問う。 「あなたには教えてあげられないわね、それは」 薄く笑みを浮かべ、フィオラは答える。 そのまま、フィオラはイルゼを促して部屋を出て行った。 一人残されたグライスは二人の出て行った扉を見つめたまま、暫し沈黙していた。 「教えてあげられない、か……」 溜め息と共に言葉を吐き出し、グライスは目を閉じた。 フィオラとイルゼの二人には何かがある。白虎との関わりもそうだが、最高位種族の魂を秘めているというのは異常だ。普通に生活していれば多種族と接する機会もほとんど無いのだから。 * 大通りに面した安宿の二階の部屋で、フィオラとイルゼは一息ついていた。フィオラは窓から身を乗り出して大通りを眺め、イルゼはそんな彼女の背中をベッドに腰を下ろして眺めていた。 「やっと、直接会えそうだね」 「ええ」 イルゼの言葉に、フィオラは窓から外を眺めたまま頷いた。 「でも、白虎が秘術書を狙ってるって、知ってたんだ?」 「そうみたいね」 フィオラは溜め息混じりに振り返った。 「確信が持てなかったから黙ってたんだって」 肩を竦め、口を尖らせるフィオラを見て、イルゼは苦笑する。 「まぁ、イクシオさんらしいけどね」 イルゼに負けず劣らず、フィオラは特殊だ。いや、フィオラの方が明らかに特殊だろう。 何せ、フィオラは人間の魂を持っているのだから。普通なら、他種族の魂を体内に秘めていても完全な会話や意思の疎通はできない。魂を委ねられた側からの思考は伝わるようだが、その逆はほとんどないと言われている。ある程度は意思に呼応するが、会話と呼べるレベルとはいかない。せいぜい魂が持つ能力が多少上下する程度なのだ。 他多種族の中には言葉が通じる者もいるが、『ソウル』となって魂を委ねた後の会話はほとんどできない。 だが、彼女が持つイクシオ・リュアルエという人物は魂であるにも関わらず、フィオラと意思の疎通ができる。本来不可能とされている魂の側からの呼びかけができるのだ。 声はフィオラにしか聞こえないが、彼女は確かにイクシオと会話している。 そして、他の魂と同じように、イクシオの魂も『ドライブ』できる。 通常の能力解放と違うのは、イクシオが人間であるという部分だ。他の種族の魂であれば、元の生命体が持つ特性を使役するのだが、イクシオの場合は違った。 元々、人間の魂には解放する能力がないとされている。一つの生命体としては肉体的に貧弱で、他の種族が持つような特殊な能力を持つわけでも、身体的特徴を持っているわけでもない。故に、人間の魂を持つ『ソウル・ドライバー』は成立しないと考えられていた。 だが、イクシオの『ドライブ』は、フィオラの身体を彼が一時的に動かすというものだった。彼女と立場を交換するかのように、イクシオはフィオラの身体を制御できる。その間、フィオラの意識はイクシオが魂の状態である時と同じ状況に置かれる。自分の身体を他者が動かし、更に本人は自身の制御を離れた行動を見ているのだ。 奇妙な感覚に彼女も最初は戸惑っていたが、何度もイクシオの魂が解放されるうちに慣れてしまっていた。 先程、イグルから自力で逃れたのも、イクシオの力があってこそだ。目つきや表情の変化は、イクシオのものなのである。 「もっと早く教えてくれてもいいのに」 フィオラが頬を膨らませた。 「でも、イクシオさんの判断は正しいと思うよ」 「何でさ?」 「だって、ただ単に秘術書を追ってたら、僕達も賞金首になってたかもしれないよ」 「むー……」 イルゼの言葉に、納得し切れないといった表情でフィオラが口を尖らせる。 秘術書という、一般に存在が公表されていないものを追っていると周りに知られてしまえば、危険分子と思われ兼ねない。今の白虎と同じように、賞金首なっていたかもしれないのだ。 白虎を追うために秘術書を調べるためには、正式な許可が必要になる。 ここでガルムと接触できたのは運が良かった。 ガルムからの協力を取り付けたとなれば、秘術書に近付ける。白虎が秘術書を狙っているとすれば、待ち伏せができるのだ。 「それで、イクシオさんはこれからの事、何て言ってるの?」 イルゼは問う。 「そうね……。研究所で秘術書を確認した方がいいって言ってるわ」 フィオラとイルゼだけでなく、イクシオも白虎を追っている。彼女の『ソウル』となる前は、イクシオも独自に白虎を追っていたらしい。 彼女が白虎を追うと決めたのは、イクシオにとっても幸いだったに違いない。 「今日はもう日が沈みそうだし、研究所に行くのは明日にしようか?」 「少なくとも、今日は白虎も動かないだろうって」 窓の外を見て尋ねるイルゼに、フィオラは頷いた。 「他の都市に比べて警備も厳重だし、部下もいるみたいだから、準備してるって事かな……」 ラシンケットは大陸の首都と比べても遜色ない程に厳重な警備が敷かれている。白虎に部下がいるとしても、そう簡単に突破できるものではないはずだ。 イグルが白虎の下に辿り着いているかどうかは判らないが、まだ秘術書が研究所にあるとは知られていないだろう。 「本当に大丈夫なのかな……」 イルゼは呟いた。 夕日が高い外壁の向こうへ沈んでいく。朱色に染まる大通りを眺めながら、イルゼは不安感を抱いていた。 白虎の戦闘能力は凄まじく高い。ガルムの人間が束になっても敵うかどうか怪しい。ガルムの中でも飛び抜けて戦闘力の高い戦士長クラスにならなければまともには戦えないだろう。同時に、白虎は切れ者だ。他者の思考を推測し、その裏をかいて行動する場合が多い。 イクシオの推測も、白虎が裏をかいて今夜実行に移さないとは言い切れない。 「……それじゃあどうするのよ」 眉根を寄せ、フィオラが不満そうに呟いた。 「どうしたの?」 イルゼが問う。 彼女の視線はイルゼには向けられていなかった。フィオラはイルゼではなく、イクシオへ不満をぶつけたのだろう。 「イクシオ、可能性がゼロとは言い切れないって言うんだもん」 フィオラが言う。 イルゼの不安に対しての言葉だと、直ぐに判った。 「着いたばかりで疲れてるだろうから今日は休んだ方がいいって……」 「白虎と戦う事もあるかもしれないし、確かに休んでおいた方がいいかもしれない」 フィオラの言葉に、イルゼは答えた。 今日着いたばかりの都市で、フィオラとイルゼはイグルと対峙した。まともに戦った時と比べればさほど消耗していないが、疲れが無いと言えば嘘になる。 白虎とまともに戦うのならば、僅かな疲労も命取りになり兼ねない。そういう相手なのだ。 「じゃないと、いざという時に力を制御できないかもしれない」 イルゼには自分が『ソウル・ドライバー』として未熟だという自覚がある。魂の持つ力を上手く誘導できず、意思とは無関係に攻撃が放たれる時があった。ただ防御をしたつもりでも、相手に反撃の炎を浴びせてしまう時があるのだ。 その強大過ぎる力を恐れ、イルゼは中々全力で戦えずにいる。だが、白虎と対峙した際に全力を出せなければ、フィオラとは肩を並べて戦えない。 フィオラの持つイクシオの魂は、ある最高位種族の『ソウル』を秘めている。彼はフィオラの『ソウル』になる前、『ドライバー』だったのだ。それも、白虎に匹敵するほどの使い手と言われている。 フィオラ自身に『ドライバー』としての素質は無い。だが、イクシオの魂が解放された時、彼は更に己の内に秘めた魂を『ドライブ』できる。フィオラではなく、イクシオが『ソウル・ドライバー』として力を使うのだ。 イクシオの力はイルゼを凌ぐ。 フェニックスと同等かそれ以上の力を秘めた魂を、イクシオは完全に制御している。イルゼのように、制御し切れずに意図しない攻撃が放たれるなどという事は無い。 傍からから見れば、イルゼがフィオラを守っているように見えるだろう。だが、実際は違う。フィオラを守っているのはイルゼではなく、イクシオだ。イルゼ自身はいつかフィオラを守れるようになりたいと思っている。しかし、現状ではイクシオとイルゼの差は凄まじく大きい。 いざという時はイクシオがイルゼも含めて守って来た。その現実がイルゼを微かに焦らせているのも事実だった。 自分が力を抑え込まずに魂を解放すれば、周りに被害を出してしまうのではないか。逆に味方の妨げになってしまうのではないか。自分は足手纏いなのではないか。そんな不安がイルゼの胸中に渦巻いていた。 「ね、夕飯食べに行こうよ」 俯きがちになっていたイルゼに、フィオラが声をかける。 イルゼの不安に気付いた様子もなく、フィオラは笑顔で彼を見つめていた。 「そうだね」 彼女を心配させたくない。これは自分自身の問題だ。心の中でそう言い聞かせ、イルゼは笑みを返す。 ベッドから立ち上がると、急かすフィオラを追いかけてイルゼは部屋を出た。 |
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