第三章 「抑え切れぬ力」


 突き飛ばされ、イルゼが尻餅をついた。
「何で最初から戦わなかった!」
 何度目になるか判らない言葉を浴びせられても、イルゼは地面に座り込んだまま俯いている。
「ちょっと、あんたら……!」
「待って、フィオラ」
 食って掛かろうとするフィオラの腕をイルゼが掴む。
「その人の言う事は間違ってない」
 フィオラには納得できない言葉だった。
 グリフォンが倒された後、ガーディアン達は不満をイルゼに向けた。イルゼがこの都市を守ったと言っても過言ではないのにも関わらず。それどころか、何故もっと早く戦っていなかったのかと追及されているのだ。
 イルゼには彼なりの葛藤があった。イルゼの思いを理解しようとしないガーディアンが、フィオラは大嫌いだった。
「僕がもっと早く戦っていれば、被害は少なくなってたかもしれない」
「でも……!」
「負傷者も出てる。皆、それが許せないんだよ」
 自衛組織であるはずのガーディアンが、全く歯が立たなかった相手をイルゼは一撃の下、圧倒的な力を見せ付けて葬り去った。自分達が守らなければならない者が敵を排除してしまったというのが、ガーディアンには許せないのだ。守るべき対象に守られたという事実が、ガーディアン達のプライドを著しく傷付けたのは言うまでもない。
「もう一度聞くぞ、なんで敵が来た時点で戦わなかったんだ!」
 座り込んだままのイルゼの襟首を掴み、男が引き上げる。強引に立たされ、至近距離で睨まれたイルゼは、静かに顔を背けた。
「僕は、戦うのが嫌いなんだ」
「は……?」
 一瞬の間を置いて、周りにいたガーディアン達が笑い声を上げた。
「何笑ってんのよ!」
 頬を膨らませて怒りを露わにするフィオラの腕をイルゼが引いて宥める。
「戦うのが嫌いなら、何で『ドライバー』なんかになったんだよ? 戦いたくなければ魂を放棄すれば良いじゃないか」
 魂を放棄した場合、『ドライバー』は魂を預けられる前の状態に戻る。その場合、放棄された魂は消失する。魂となる際、生物は肉体を失っているのだ。失われた肉体を完全に復元するのは不可能だ。
 器の無くなった水は地面に零れ落ちて染み込んで行く。地面に零れた水は汚れ、器に戻せもしなければ飲み水にもできない。
「反論してみたらどうなんだよ!」
 遠巻きから眺めていたガーディアンの一人がイルゼに近付いていく。その男は手にしていた酒瓶の中身をイルゼにぶちまけた。
「お前っ……!」
「フィオラ!」
 殴り掛かろうと振り上げられたフィオラの腕を、イルゼが掴んだ。
「どうして止めるのよイルゼ!」
「暴力は駄目だよ!」
「あんたは悔しくないの!」
「僕なら大丈夫だから」
 その言葉に、フィオラは言葉を失った。力なく笑みを浮かべて見せるイルゼに、フィオラは今にも泣きそうな表情を返すしかなかった。悔しいと思う。幼い頃からの付き合いで、共に旅をしてきた仲間を罵倒されて悔しくないはずがない。
 頭から酒を掛けられようが、唾を吐き掛けられようが、イルゼは決して反撃しようとしない。どんな時でも、全てを寛容に受け入れてしまう。自分の責任にして、穏便に済ませようとする。たとえイルゼ自身が一方的な悪者になったとしても、イルゼは厭な顔一つ見せず、力なく笑ってやり過ごして行く。
 腹が立っているのに、イルゼの表情を見ると何もできない。何もしないでくれと、自分が全て背負い込むと、イルゼの目が語っている。それで他の人達の感情を納めようとしているのだ。
「この意気地なしが!」
 突き飛ばされ、イルゼが尻餅をつく。
「食い下がるだけの勇気もないなら土下座でもしてみせろよ!」
 周りからの野次が飛び、イルゼは言われた通りに土下座の姿勢を取って行く。
 フィオラは拳を震わせながらそれを眺めるしかなかった。爪は掌に食い込み、白くなっている。
 土下座しようと、両手を地面に着いて上半身を傾けていくイルゼを見て、周囲の人間達が軽蔑の眼差しを向ける。
「もっと深くやれよ」
 直ぐ前にいた体格の良い男がイルゼの頭を踏みつけ、勢い良く地面に叩き付けた。
 つっ、とイルゼが声を漏らしたのが聞こえた。
 反射的に、フィオラの拳が跳ね上がった。
 フィオラが男の横っ面を殴り付ける。だが、男は倒れもせず、ただ顔を背けるに留まった。怒りの篭った視線がフィオラに向けられる。
「ってぇなぁ!」
 下方から、男の拳が迫ってくるのがフィオラには見えた。
 避けられないと思った瞬間、イルゼの掌が男の拳を受け止めていた。ずしん、と重い音が響く。
「何の真似だ、意気地なし」
 見下した視線に怒りを込め、男が問う。
 男はイルゼを見下していたが、その表情には驚愕も含まれていた。イルゼの細腕が、並以上の筋肉を持つ男の拳を受け止めているのだ。一回りも小さな掌に受け止められた事実にショックを受けているのは間違いない。
「僕はともかく、彼女には手を出さないでくれませんか」
 丁寧な返答であるにも関わらず、イルゼの声には凄味があった。
 男を見上げる視線も、今までのものとは明らかに違っていた。そこには確かな敵意があり、曖昧な笑みを浮かべていた気弱な表情も消えている。
 直ぐ目の前でイルゼを見ていたフィオラには、男の拳を受け止めた彼の腕が微かに陽炎を纏っているのが解った。魂の力がイルゼの感情に反応してか、溢れ出しつつある。
 少しずつ、イルゼの掌が男を押し返していた。
「このガキ……!」
「いい加減にしろ、お前ら」
 男が喋りかけたその時、野次馬の奥から声が上がった。
「ガーディアンが嫉妬なんて情けないな。お前らはそこの少年以下の奴ばかりなのか?」
「てめぇ何を……!」
 言いかけ、男が目を見開いた。
「あんたは……」
 男を見て、フィオラも驚きに目を見張った。
 そこに立っていた者に気付いたガーディアン達が一気に距離を取った。
「戦士長……ヴィルノア・ライル!」
 イルゼの掌から拳を引き離し、男が逃げるように後退る。
 全身を包む外套を身に纏い、細いサングラスをかけた男がゆっくりと歩み出てきていた。やや青みがかった灰色の長髪を、首の後ろでまとめている。
「この少年は優しい。お前達に彼の葛藤など理解できまい」
 ヴィルノアは呟きながら、フィオラとイルゼの前まで歩み出た。
「二人は俺の古い友人だ」
 そう告げ、ヴィルノアは鋭く睨みを利かせて周囲を見回した。
「文句がある奴はかかってこい。俺が代わりに相手をしてやる」
 ヴィルノアの言葉に辺りが静まり返る。
「ふん、ここにいるのは弱そうな者にだけ上からものを言う腰抜けの集まりか」
「舐めるな!」
 野次馬の中から一人の男が飛び出し、剣を振り上げてヴィルノアに飛び掛った。
 ヴィルノアの外套が翻り、腰に帯びた刀が見えた刹那、白銀の光が閃き、澄んだ金属音を響かせた。
 男とすれ違う位置に立ったヴィルノアが溜め息をつく。ヴィルノアの背後では、切りかかった男の剣が中ほどから綺麗に切断されていた。切り離された刃が中を舞い、男の目の前、鼻先を掠めて地面に突き刺さる。髪の毛が数本舞い落ち、口元を引き攣らせて男が座り込んだ。腰が抜けたのだ。
「自分の弱さを認められない者に倒されるほど、俺は甘くないんでな」
 ヴィルノアは吐き捨てるように呟いた。
 居合いと呼ばれる抜刀術を、ヴィルノアは体得している。それも、並大抵のものではない。極めたと言っても過言ではないほどの腕だ。
「まだやりたい者がいればかかってこい。死なない程度に相手をしてやる」
 口元に笑みを浮かべ、ヴィルノアが言い放つ。
 ガーディアン達は引き攣った表情を浮かべながら、一人また一人と離れて行った。
「ヴィルノアさん……」
 ようやく、フィオラがヴィルノアの名を呟いた。
 フィオラがさん付けで名前を呼ぶ者は数えるほどしかいない。
「相変わらずだな、お前らは」
 ヴィルノアは苦笑いを浮かべ、二人に振り返った。サングラスを外し、優しい眼差しでフィオラとイルゼを交互に見やる。
「それに、イクシオ」
 本当に懐かしげに目を細め、ヴィルノアは目には見えないが確かに存在している人間に呼びかけた。
「久しぶりだな。三人とも、元気にしてたか?」
 その言葉に、胸の奥、イクシオの魂が震えたのをフィオラは感じ取っていた。

 *

 ヴィルノアが、身に纏っている外套の裾で濡れたイルゼの顔を拭う。
「災難だったなイルゼ」
「もう慣れましたよ」
 労うヴィルノアにイルゼが笑みを返す。
「そんなのに慣れないでよ、もう」
 フィオラは呆れながら言った。
 旅の途中、同じような事態には何度か遭遇している。フィオラがガーディアン嫌いになったのも、これが原因と言って差し支えないだろう。中には好印象のガーディアンもいるが、フィオラとイルゼに絡んでくるガーディアンは性質が悪い者達ばかりだ。
 自分達が都市を守っているのだと言って、威張っている者は少なくない。ガーディアンが都市の守護に貢献しているのは間違いないが、だからと言ってでかい顔をしている者達がフィオラは気に食わない。好戦的な連中も多く、対照的なイルゼがその中に放り込まれれば憂さ晴らしの標的になるのは確実だ。特に、イルゼは自分の実力を示さないのだから、相手は図に乗る一方だ。
 少しでも力を見せておけば、誰も迂闊に手は出せないだろうに。
「お前らしいと言えばらしいがな」
 ヴィルノアも苦笑した。
 少しは戦ったらどうだ、などとはヴィルノアも言わなかった。イルゼの考えを理解しているからこそ、彼が嫌うようなやり方を勧めようとはしない。
「でも、ちょっとは私の気持ちも考えてよね」
 フィオラにもイルゼの考えが理解できないわけではない。
 ただ、完全に納得できないだけだ。
「ごめん。けど、暴力で対抗したら、さっきの人達と同じにならないかな?」
「うぅ……」
 イルゼの言葉に、フィオラは反論できなかった。
 ただ感情に任せて力で対抗すれば、それはフィオラが嫌っているガーディアン達と同じになってしまう。だが、フィオラはイルゼのような全てを一身に受けるだけの器量はない。相手を見下したり、蔑んだり、嘲ったりというのはフィオラも嫌いだ。しかし、相手に何も反論せずに下手に出るのが、フィオラには我慢できない。こちらの意思も主張しなければ相手には届かないのではないか、そう思う。
 いつでも、イルゼは下手に出る。何か言われれば素直に謝り、理由は一切口にしない。ただ、謝り続ける。相手が理解してくれるまで。
 唯一、例外があるとすればフィオラやヴィルノアだろう。親しい相手になら、イルゼは自分の意見を主張する。もっとも、対立が起きた場合はどちらも納得できる答えを探そうとするのは変わらないが。
「彼女はお前が傷付くのが我慢できないんだよ。それは解っているんだろ?」
「ええ、まぁ……」
 ヴィルノアの言葉に、今度はイルゼが口篭った。
「こんな所で立ち話をしていても疲れるだう。食事でもしながら話さないか?」
「ヴィルノアさんの奢りですよね!」
「値段によるな」
 食事と聞いて顔を輝かせるフィオラに、ヴィルノアは失笑を洩らした。
 ヴィルノアの案内で近くの食堂に入り、三人は最奥部の席に腰を下ろした。さほど大きくはない、比較的地味な落ち着いた雰囲気の店だ。
「グライスから話は聞いた。秘術書の護衛に参加するんだな?」
 落ち着いてから直ぐに、ヴィルノアは話を切り出してきた。
「まぁ、白虎とか、高位種族とかが出てきたら力を貸すって感じかな」
 最初に出された水を一気に飲み干し、フィオラが答える。
「ガルムで対応できるなら、その方が良いでしょうから」
 イルゼもフィオラに賛同していた。賛同というよりは、彼自身が戦いたくないからというのが本音だ。フェニックスの力を極力使わぬようにしているのだ。イルゼは、自分だけでなく他者が傷付くのも嫌う。本来ならば戦いそのものを止めたいのだが、イルゼが力を行使すれば、彼の意思とは無関係に莫大な力が周囲に撒き散らされてしまう。結局、イルゼが戦うと周りにも被害を与えてしまいかねない。周囲に溢れ出る余分な力をかわしたり凌いだりできる者だけが仲間ならばともかく、そうでない者がいる時には、イルゼは最後まで自分が力を使うのを躊躇っている。
「結局、グリフォンも助けられませんでした」
 悲しみと悔しさの交じった声で、イルゼは呟いた。
 イルゼはどんな相手に対しても平等に優しい。たとえ話の通じない敵性種族を前にしたとしても、イルゼは相手に配慮する。
 今回もそうだった。グリフォンが人里、それも大きな都市に理由もなく攻撃を仕掛けてくるとは思えない。都市を攻撃するように仕向けられたか、あるいは攻撃せざるを得ない立場に置かれたかの理由があったに違いない。
 イルゼはグリフォンも助けたかったのだ。だが、フェニックスの力を行使すれば、グリフォンを助けられない。イルゼには致命傷を与えずに相手を戦闘不能にできるだけの技術を持っていなかった。フェニックスの力は扱いが難しいと、フィオラは何度も聞かされている。
「それはお前にはどうする事もできなかった、違うか?」
 ヴィルノアの言葉に、イルゼは押し黙った。
 それを理解しているからこそ、イルゼは悔やんでいるのだ。だが、誰かに言って欲しかったのかもしれない。
「そのグリフォンだがな、俺の推測では白虎の差し金だ」
 声を落として、ヴィルノアは告げた。その言葉に、フィオラとイルゼの表情が引き締まる。
「根拠は何です?」
「まず、タイミングの良さだ。おかしいとは思わなかったか、ガーディアンの練度の低さを」
 イルゼの言葉に、ヴィルノアは自分の問いを返した。
「確かに。いくらなんでも、これだけの規模の都市なんだからグリフォンのような高位種族とも戦えるチームの一つはあっても良いはずよね」
 大陸随一の工業都市、首都の次に大きいとさえ言われる都市なのだから、ガーディアンの戦力も相応にあるはずだ。それこそ、全戦力であれば最高位種族とも対等程度には戦えるだけの戦力があっておかしくない。
「主力は皆、出払っていたんだ。丁度、グリフォンが来たのとは反対方面から敵性種族の軍勢が接近していてな」
「確かに、丁度真逆の方角というのも怪しいですね」
「加えて、昨日現れたという、第一級賞金首イグル・リードの存在だ。奴は白虎と繋がっていると自分で口にしたそうだな。追跡の妨害や攪乱、防衛勢力を削るといった目的も考えられる」
「否定できませんね」
 イルゼが真剣な面持ちで頷いた。
「それと、まだはっきりと断言はできないが、シア・ヴォルガという第一級賞金首が奴らの仲間になっている可能性もある」
「シア・ヴォルガ……?」
「セイレーンの魂を持つ賞金首だ。その力を使ってグリフォンを魅了した可能性がある」
 首を傾げたフィオラに、ヴィルノアが告げる。
 セイレーンは高位種族の一つだ。外観は鳥の翼を持つ半人半漁の種族で、特殊な声で他者を魅了し、行動を指示できると言われている。
「厄介なのがついてるのね」
 イルゼの前に置かれているグラスを掴み、フィオラはそれを煽った。
「フィオラ、僕の水まで飲まないでよ……」
「もう一杯貰えばいいじゃない」
「じゃあフィオラがそうしてよ」
「面倒でしょ」
 呆れたような笑顔を浮かべるイルゼに、いつもの事だし、とフィオラも笑みを返す。
「水が欲しいなら、俺のを飲むか?」
「あ、そこまではいらないです」
「じゃあ貰ったって問題無しね」
「飲むかもしれないじゃないか」
「その時に分けてもらえばいいのよ」
 ヴィルノアは二人のやりとりを微笑ましく思いながら見ていた。
 フィオラがからかっているのだと、イルゼ自身も気付いている。だからまだ笑みを浮かべて言葉を交わしているのだ。
「話を戻してもいいか?」
「あ、はい」
 ヴィルノアの言葉に、イルゼが頷く。
「恐らく、近い内に白虎がここへ攻め込んで来るのは確実だ。その時はイグル・リードとシア・ヴォルガも連れてくるだろう」
 フィオラとイルゼは頷いた。
「その三人を確認した際は、ガルムとガーディアンには攻撃するなという指示を出した。奴らには俺とお前達二人で対応する」
「やはり、そうなりますか」
 イルゼが呟いた
 ガルムやガーディアンに手出しをさせないのであれば、戦うのは必然的にフィオラとイルゼだ。
「まぁ、丁度相手も三人だしね」
 テーブルに頬杖をつき、フィオラも呟く。
 最高位種族の魂を持つ白虎を筆頭に、高位種族の魂を持つ第一級賞金首二人が相手だ。戦士長であり最高位種族の一体を持つヴィルノアや、フェニックスの魂を保有するイルゼ達ならば白虎達に対抗する力は十分にある。
「そこで、二人には、イグル・リードとシア・ヴォルガの相手を頼みたい」
「断るわ」
「そう言うと思った」
 フィオラの答えに、ヴィルノアは苦笑を浮かべた。
「だが、これは俺も譲れんな」
「いくらヴィルノアさんの頼みでも、こればかりは駄目よ」
 ヴィルノアの視線を真っ直ぐに見返し、フィオラは確かな口調できっぱりと告げた。
「白虎は俺の弟子みたいなものだ。後始末は俺の義務だ」
「そんな義務果たさなくてもいいわ。言っておきますけど、私だってこればっかりは妥協しないわよ」
 頬杖をついたまま、フィオラは鋭く言い放った。
「まぁ、状況にもよりますから、決めた相手と戦えるか判りませんよ」
 イルゼが割って入り、フィオラとヴィルノアを宥める。
「イクシオだって、白虎と会わなきゃいけないんだから」
 フィオラが呟いた。
「……結局、決められませんね」
 イルゼの結論にヴィルノアは首肯するしかなかった。
「一つ言える事は、これで全ての決着がつくだろうという事だ」
「違いますよ、ヴィルノアさん」
 珍しくイルゼが異を唱えた。
「これで全てを終わらせないといけないんです」
「そうね、決着はつけないといけないものね」
 フィオラが頷く。
「そうだな、着けねばならないのだろうな……」
 言葉を噛み締めるように、ヴィルノアは呟いた。
 決着が着くだろうと考えたヴィルノアに対し、イルゼは決着を着けねばならないと考えている。ガーディアン達に絡まれていたのが嘘のようにすら思えるほど、イルゼの意志は強い。それが本来のイルゼだと知っているからこそ、フィオラは彼が罵倒されるのが厭なのだ。
「ねぇ、イクシオはどうなの?」
 口には出さず、フィオラは尋ねた。白虎との因縁は、イクシオが一番深いかもしれない。白虎と最も対峙したいのは、イクシオだ。ヴィルノアやフィオラよりも。
「決着は着ける。必ずな」
 イクシオの確かな意志を感じて、フィオラは安堵に似た感情を抱いていた。

 *

 夜、昨日も泊まった宿の一室でイルゼとフィオラは寝ていた。いや、寝ているのはフィオラだけで、イルゼはまだ起きていた。
「眠れないのか?」
 不意に、フィオラが口を開いた。
「イクシオ、さん?」
 声は確かにフィオラのものだが、口調は彼女のものとは違う。それを感じ取って、イルゼは相手をイクシオだと判断した。
「フィオラは?」
「寝ている」
 イルゼの問いに、イクシオは静かに答えた。
 今、フィオラの身体感覚はイクシオが保有している。流石に身体を起こしたり動き回ればフィオラも目を覚ますだろうが、それさえしなければ彼女に知られずに会話が可能だ。
 いつもと口調の違うフィオラの声に多少の違和感はあるが、さほど気にはならない。
「お前も眠った方がいい。グリフォンとの戦いで昨日よりも疲れているはずだ」
「うん……」
 返事はしたものの、イルゼはまだ眠れそうになかった。
「イクシオさん」
「何だ?」
「イクシオさんは、あの人と戦う事になったら、どうしますか?」
「……最悪、奴を殺してでも止める」
 予想していた通りの返答に、イルゼは眉根を寄せる。イクシオの考えが決して間違っているわけではない。ただ、イルゼがまだ納得できないだけだ。
「僕には、できない……」
 相手を殺すという行為を、イルゼは酷く嫌っていた。
 戦わず、和解できたならどんなに良いだろうか。どうして、解り合おうとしないのか。相手が白虎だけに、イルゼは苦悩していた。
「お前がやらずとも、俺か、ヴィルノアがやる」
 イルゼにはイクシオやヴィルノアを止める力はない。彼らの考えも解る。だが、理解はできても納得できない。たとえ、そうしなければ世界が危機に晒されるのだとしても。
「でも、あの人は……」
 イルゼは目を伏せた。
「忠告しておく」
「え……?」
「お前は力を使いこなそうとしていないだけだ。使いこなせないんじゃない」
 思わず、イルゼは隣のベッドで眠っているフィオラに視線を向けた。寝顔を見せてはいるが、口だけが動いている。
「お前は、力の使役を恐れ、ただ拒絶しているだけだ。それでは、お前を信じて魂を預けた者はどうすればいい?」
 イクシオの言葉が、イルゼにはどこか遠く聞こえた。
 イルゼがフェニックスの『ソウル・ドライバー』になったのは、フィオラと旅に出る数日前だった。その時には既に、フィオラはイクシオの魂を持っており、白虎を追うために旅の支度をしていた。
 ガルムが追い込んだフェニックスがフィオラとイルゼのいた街に逃げ込んだのが始まりだった。
 フェニックスは最高位種族の中でも数少ない敵性種族だ。基本的に自ら戦闘をしかけようとはしないが、近付く人間は敵と見なし、容赦なく攻撃する。
 フィオラとイルゼの前に現れたフェニックスは街そのものを人質に取り、ガルム相手に篭城戦をしようとしていた。
 凄まじい熱量を周囲に放つフェニックスには誰も近寄れず、このままガルムを全滅させてしまうかのようにすら思えた。街の中で、フェニックスに奇襲をしかけようと秘密裏に作戦が考案される中、イルゼはフェニックスの前に立ち、説得を試みていた。単なる時間稼ぎのつもりで指示されたものだったが、イルゼ自身は真剣にフェニックスと会話した。
 最終的に、フェニックスは街からの奇襲とガルムの突撃で追い詰められる。とどめが刺される寸前、イルゼは止めに入っていた。
 フェニックスと対話し、相手の気持ちを少なからず知っていたからこその行動だったが、それは当然皆の反感を買った。フェニックスもイルゼの行動に驚き、何故庇うのかと怒りを露わに問い質した。
 それでも、イルゼはフェニックスを助けたかった。
 イルゼごと殺すという言葉が出た時、フェニックスは自らの魂をイルゼに託し、一言だけ告げた。
「お前のような人間に逢えた私は幸せなのかもしれない」
 フェニックスの魂は、暖かかった。
 イルゼの胸の奥が微かに暖かくなる。思い出した過去に、フェニックスの感情も揺れていたのかもしれない。
「フェニックスは、お前を選んだ。言葉を伝える事のできない魂は、お前の葛藤に答えるために力を高めようとする」
 抑え込もうとすればするほど、内側から力が溢れ出す。イルゼは周りへ被害を出さぬように力を抑え込もうとし、逆効果になっていたのだ。
「それでも、怖いんです。この力が……」
 胸に手を当てる。
 いきなり手に入れたフェニックスの力に、一番戸惑っていたのはイルゼ自身だった。戦いを好まず、平穏を望むイルゼには、フェニックスの魂は力があり過ぎた。イルゼが操作しなければ、フェニックスの力は仲間をも簡単に巻き込んでしまう。
 フェニックスがガルムに追い込まれて街に逃げ込んだ時も、街の四分の三ほどが火の海になった。イルゼの家族はその際の火事に巻き込まれて命を落としている。家族を失った光景が頭から離れず、イルゼはフェニックスの力に恐怖を抱いていた。
 家族を失っているにも関わらずフェニックスを助けようとしたのは、家族の死を無駄にしたくなかったからだ。フェニックスを殺してしまったら、何も残らない。被害の傷跡だけが残るだけだ。言うまでもなく、イルゼの考えを理解してくれた者は少ない。フィオラが旅に出ると同時に、イルゼは街から追放された。
 以来、イルゼはフェニックスの力を極力使わずに旅をしてきた。誰かを傷付けるだけの力を使役するのが厭で、何かを守れないかと苦悩した。だが、フェニックスの力は制御を誤れば守りたいと思うものですら飲み込んでしまう。それが恐ろしかった。
「答えは一つしかないのに、それでも悩むんだな、お前は……」
 イクシオは苦笑の交じった声で呟いた。
 白虎と対峙した時、下手に力を抑えて戦おうとすれば不利になる。全力で戦わなければならない。だが、それに抵抗がある。
 悪循環の螺旋にイルゼは陥っていた。
「僕には皆みたいな潔さは無いですから」
「それを恥じる必要はない。悩むのは大切な事だ」
 イクシオはそこで一度、言葉を区切った。
「もしかしたら、お前はあいつとの決着に別の答えを見つけ出せるかもしれないな」
「別の、答え……」
 自分に、全く新しい結論を導き出せるのだろうか。不安の方が大きい。
 ただ、今のイルゼには苦悩する以外にない。
「もし、それが間に合わない時は、俺が奴を止める。たとえどんな手を使ったとしても……」
 イクシオの言葉には、確かな意志を感じた。
「一つ、聞いてもいいですか?」
「……少しでも眠れ」
「え?」
「俺があいつなら、このチャンスは逃さない。今夜、日が昇る前に仕掛けてくる可能性が高い」
 だから少しでも体力を回復しておけ、イクシオはそう告げて気配を消した。
 相手が古い知り合いであるが故に、イクシオには白虎の行動がある程度予想できる。必ずしも当たるわけではないが、何も無い状態で推測するよりはかなりマシだ。今までも、行き詰った際にはイクシオの行動予測を当てにして来た。
「もし、白虎との決着が着いたら、あなたはどうするんですか?」
 聞けなかった問いを、イルゼは口の中で呟いた。
 今、フィオラとイルゼが旅をしているのは全て白虎との因縁に決着を着けるためのものだ。イクシオがフィオラの中にいるのは、彼自身が白虎との決着を望んでいるというのもある。だが、半分はフィオラの力となるのが目的だった。白虎を止めるためには、少なからず強い力が要る。
 目的を持って動いている白虎を止めるためには、相応の力が必要だった。
 旅立つ直前にフェニックスの魂を得ていなければ、イルゼは同行できなかっただろう。
 イルゼはフィオラの寝顔に視線を向けた。
 何もしてやれない。
 そんな無力感だけがある。
 フェニックスという強大な力はあるものの、その全てを使いこなせず、迷惑ばかりをかけている。戦いを嫌い、いざこざではフィオラに心配をかけてばかりだ。
 だが、白虎がイグルとシアを率いてきた時、イルゼは三人のうちの一人と戦わなければならない。それも、敗北の許されない状況で。
 暗い部屋の中、イルゼは微かな孤独感を抱いて眠りに着いた。
 それから何時間ぐらい眠ったのだろうか。気がついた時、イルゼはベッドから跳ね起きていた。隣に視線を向ければ、フィオラも目を覚ましていた。
「来た……!」
 何か、大きな力を持った魂が近付いている。フェニックスの魂が反応し、熱を持っていた。フェニックスがイルゼに敵の存在を教えてくれたのだ。
「いくわよ、イルゼ!」
 手早く支度を済ませ、二人は宿を飛び出した。
 大通りへと出て、二人は周囲を見回した。空が微かに明るくなりはじめている。まだ朝には遠い。
「グリフォンが開けたところじゃない、別の方角からだ!」
 イルゼは大通りから路地裏へと駆け出した。
 昨日のうちにグリフォンが侵入してきた大通りには、ガルムやガーディアンの護衛が多数配置されている。外壁の修復作業の間、護衛の人員が外壁の役割をなすのだ。
 白虎達はそこから侵入する可能性があった。だが、実際は違った。突撃してきたグリフォンも、囮として都市に近付いてきた敵性種族の群れも、目くらましに過ぎない。
 両端に引きつけておけば、どちらから、もしくは全く別の方角から攻めるのか、選択肢が増える。後は状況に応じて、複数用意した選択肢の中から最良のものを選べば良い。
「このままじゃ都市内で戦う事になる。どうするの?」
 走りながら、イルゼはフィオラに問う。
「どうするって、戦いが始まっちゃったらしょうがないわよ」
「この時間帯じゃ避難もほとんどできないよ」
 イルゼは歯噛みした。
 夜明け前は、ほとんどの人間が眠っている時間帯だ。特に、一般の住人達は。
「この殺気と存在感に気付いて、自主的に逃げててくれれば助かるんだけどね」
 フィオラが苦笑する。実際のところ、そうなる可能性は薄い。
 二人には強烈な存在感が伝わってくる。だが、白虎達は極力気配を抑えているはずだ。だからこそ、同じ最高位種族の魂を持つ『ドライバー』でもなければ彼らには気付かない。
「気配が!」
 強くなった、イルゼがそう言おうとした瞬間、都市中に轟音が響き渡った。
 フィオラとイルゼが向かう方角の外壁が内側に吹き飛び、瓦礫が舞う。
 数秒の間を置いて、周囲の建物から一斉に人が飛び出し、逃げ惑い始めた。
 存在感を解放したため、一般人にとっては計り知れない程の殺気が感じられるはずだ。高位以上の種族でなければ、魂が竦んでしまうだろう。
「急ごう、フィオラ!」
 イルゼが伸ばした手を、フィオラが握り締める。
 しっかりと手を掴むのを確認してから、イルゼは脚に力を込めた。両足が陽炎を纏い、地面を蹴ると同時に熱量が爆発する。イルゼの身体が一瞬のうちに数十メートルを駆け抜ける。踏み込む度に加速をかけ、イルゼは大きく跳躍した。建物や路地を飛び越え、目指す方角へ一直線に向かう。
 上空に上がった二人には、外壁の周囲の光景が見えた。
 半円を描くように外壁が崩壊し、瓦礫が建物に突き刺さっている。幸い、潰された建物や吹き飛んだ建物はない。死者はないだろうとすら思えた。
 だが、建物を潰せないほどの瓦礫しか飛び散っていないというのは、それだけ白虎の攻撃に破壊力があるという証拠だ。分厚い外壁を細かい破片に打ち砕くだけの衝撃があるのは間違い無い。
 外壁のあった場所に、白虎が見えた。その左右にはイグルとシアがいる。距離を取り、彼らと向き合うようにヴィルノアが立っていた。
 遠巻きからガルムの数人が包囲しているが、手出しはしていないようだ。ヴィルノアが攻撃するなと指示だしたようだが、確かにその指示を守っている。
 イルゼとフィオラは包囲網の中、ヴィルノアと白虎達の間に着地した。
 熱量を放出して衝撃を緩和し、膝を大きく曲げて残りの衝撃も受け流す。
「来たか、二人とも」
 ヴィルノアが呟いた。
 繋いでいた手を離し、フィオラが一歩前に出た。
 フィオラの凛然とした瞳に、白虎が微かに目を細めた。
「……レイ兄、どうしても諦めてくれないの?」
 真っ直ぐに相手を見据え、フィオラが問う。彼女の声に躊躇いはなく、強い意志が感じられる。
「ああ。たとえ、お前が相手でも、俺は諦めない」
 白虎、レイヴァート・ミュナルは静かに告げた。彼の声にもまた、躊躇いのない確かな意志があった。
 兄の強さを知っているからこそ、妹である自分が止めなければならない。フィオラの中にはそんな思いがある。
「馬鹿……!」
 フィオラの奥歯が音を立てる。握り締められた彼女の拳が震えているのを、イルゼは見逃さなかった。
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