第四章 「リクシア」


 曇り空の下、互いに相手の出方を伺っていた。誰一人として動かず、呼吸を整え、意識を集中させていく。
「フィオラ、お前の身体、俺に貸してくれ」
 イクシオの言葉に、フィオラは応じた。
 フィオラの視線が刃のように研ぎ澄まされ、顔から表情が失せる。
「……フィオラ?」
 雰囲気の変化に気付いたのか、レイヴァートが微かに眉根を寄せた。
「レイヴァート、お前はまだリクシアを蘇らせるつもりでいるのか?」
「この気配、イクシオか?」
 声を低くして告げたイクシオの言葉に、レイヴァートが目を見張る。
「姿を見せないと思ったら、そんなところにいたのか……」
「実の妹を瀕死にまで追い込んで、お前は……!」
 今まで無表情だったフィオラの顔に、敵意が満ちて行く。イクシオの持つ感情が、フィオラを通して放たれていた。
「俺には、リクシアが全てだ!」
 レイヴァートが駆け出した。
 残像を残してイクシオの目の前に飛び出し、拳を突き出す。
「何も省みずに暴れまわって、あいつが喜ぶと思っているのか、お前は!」
 突き出された拳を左腕で外側へ払い、イクシオが回し蹴りを放つ。
 レイヴァートは屈み、蹴りをかわすと、そのまま下方から掌底を繰り出した。イクシオはその掌底に拳を付き合わせ、反発力を利用して跳躍する。イクシオが空中へ跳ね上がるのを見て、レイヴァートが大きく息を吐き出した。
 レイヴァートの周囲の大気が歪み、風が彼を中心に収束していく。皮膚が白く変色し、体毛が生え、白い虎の姿へと変化する。上半身と下半身の一部に虎の魂を纏い、獣人とでも呼ぶべき状態にまで力を解放した。
 同時に、空中のイクシオにも変化があった。
 イクシオが操る『フィオラ』の身体の周囲から電撃が青白い火花を散らす。曇り空から迸った雷がフィオラの身体を直撃した。視界が白く染まったその一瞬のうちに、イクシオは龍の身体を鎧として纏っていた。翼を広げた龍の瞳は、翡翠色の輝きを帯びている。
 魂だけの存在でありながらイクシオが宿していた、最高位種族の一つドラグーンの魂が力を発揮する。『ドライバー』の魂を、他の人間が持ったためだ。フィオラはドラグーンの力を使役できない。だが、イクシオは『ドライバー』だった。前例などあるはずが無い。ただ、イクシオの『ドライバー』としての力が残っていなければ、フィオラは兄を止める旅には出られなかった。
 二人がうちに秘めた魂を解放すると同時に、他の四人も動いていた。
「白虎様、我々が書を奪取してきます!」
 シアが駆け出し、イグルが魂を解放して飛び上がる。
「あああああああっ!」
 動き出した相手を見て、イルゼが咆哮する。
 大気を歪ませるほどの凄まじい熱量がイルゼへと収束していく。熱気はやがて炎へと変化し、イルゼを包み込んだ。上空をイルゼが跳び抜けようとした瞬間、火柱が立ち昇り、それを防いでいた。
 火柱が細くなり、消える。
 イグルの目の前には、炎そのもので形作られた鳥が浮かんでいた。
「フェニックス……相手にとって不足なしだ!」
 口の端を吊り上げて、イグルが呟いた。
「戦うのは嫌いだけど、ここは通せないっ!」
 炎の中からイグルを真っ直ぐに見据え、イルゼは言い放つ。
「どきなさい」
 シアがセイレーンの魂を解放し、包囲しているガルムへ呼びかける。下半身が魚類に変化し、背中に白い翼が生えている。鳥の羽を持った人魚の姿になったシアの声に、ガルムが身を退いた。まるで、彼女のために道を開けるかのように。
「やはり、お前がグリフォンを誘導したか」
 外套を取り払い、ヴィルノアは近くの部下に放り投げる。
「ただの声じゃ、あなたには通じないようね……」
 シアの前の前で、ヴィルノアは最高位種族の一つフェンリルの魂を解放していく。レイヴァート同様、獣人状態まで力を解放し、抜刀の構えを取った。銀色の狼の身体と力を纏い、臨戦態勢をとる。
「ふぅん、刀なんて珍しいわね? その刀、銘は?」
 値踏みするような視線で、シアが問う。
「氷牙(ひょうが)だ」
 ヴィルノアは答え、腰を落とし、鞘を掴む左手を後方へ引いた。真紅の瞳が細められ、シアを捉える。
「あなた達は何故、白虎様の邪魔をするの?」
「お前達が賞金首だからだ」
 冷たく言い放ち、ヴィルノアが地面を蹴った。
 フェンリルが持つ高い瞬発力はヴィルノアを一瞬でシアの目の前に移動させる。鋭く息を吐き出し、ヴィルノアが刀を握り締める。
 刹那、白銀の光が閃いた。
「っく!」
 目にも留まらぬ速さで振るわれた刃が、セイレーンの片翼を切断する。力の具現化である切断面から血は出ない。代わりに、光の霧が溢れ出していた。
 魂を解放した状態にあるヴィルノアの居合いを肉眼で捉えられるものはまずいない。フェンリルの持つ高い敏捷性が、ヴィルノアの抜刀術を極限まで強化する。一瞬で鞘から抜き放たれ、同じ鞘へと戻される。
「かかれ!」
 シアが放った言葉に、ヴィルノアは目を見張った。
 セイレーンが持つ特殊な能力は、声を媒体に音波を自在に操るというものだ。他者の理性を残したまま、一定の行動をするように誘導させ、意思とは無関係に行動を制御する。音波が脳に干渉し、機能を狂わせると同時に、都合の良い指示を出させるのだ。
 その攻撃を防ぐためには、セイレーンが持つ能力を無効化できるだけの力を持つ魂が必要になる。即ち、セイレーン以上の力を持った魂でなければ、音波を遮断できない。高位の種族になるに従い、魂となった状態でも『ドライバー』を保護する力が強くなっていく。
 振り返れば、レイヴァート達を包囲していたガルムの人員の視線がヴィルノアに向けられていた。意識がはっきりしているかどうかは判らなかったが、力なく目を見開き、完全にシアの人形に成り下がっていた。
「彼を殺しなさい! 決して私を追わせぬように!」
 それだけ指示を出すと、シアはガルムが開けた道へと進んで行く。
「させるか!」
 群がるガルムの攻撃をかわし、ヴィルノアはフェンリルの脚力を使って大きく跳躍した。
 シアを飛び越え、彼女の進行方向に立ち塞がる。着地と同時に、ヴィルノアが纏う銀色の毛皮が小さく光を反射する。水滴でもできたかのように毛皮の至る所で光が反射していた。
「はぁっ!」
 裂帛の気合と共に、毛皮が逆立つ。
 毛の逆立った腕を水平に振るった直後、光の粒は氷の針へと凝結し、放たれた。無数に放たれた氷の針を、シアは横へ跳んでかわした。
 四足歩行獣系列の種族中、トップクラスの敏捷性を持つフェンリルの持つ特殊能力は冷気の制御だった。冷気の制御により、大気中の水分を一瞬で氷へと変化させ、自在に操るのがフェンリルの能力だ。
 シアが何かを叫んだ。
 直後、衝撃波がヴィルノアを襲った。丸太で殴られたような衝撃に、ヴィルノアは吹き飛ばされた。そのまま背後の家に激突し、壁を半壊させる。
「……これがセイレーンの攻撃方法か」
 ヴィルノアは呻くように呟き、身を起こす。
 セイレーンが操る音波は、他者の操作だけでなく攻撃にも応用できる。声は大気の振動だ。その波長を操作すれば、衝撃波を打ち出すのも不可能ではない。むしろ、セイレーンの本当の強さは衝撃波にあると言っても過言ではない。目に見えず、物体による攻撃でもない衝撃波は防ぎ難く、かわしづらい。
「お前は、何故そこまで奴のために戦う?」
 前傾姿勢に構えを取り、ヴィルノアは問う。
「愛ゆえに……」
 シアが衝撃波を放つ。
 瞬間、ヴィルノアが地を蹴った。横へ跳び、着地と同時に方向を転換させ、シアへと突撃する。高速で駆けるヴィルノアを追い切れず、シアの視線が彷徨っていた。
 ヴィルノアの右手が刀の柄を握り締める。
「奴は、お前を愛してはいない」
 シアの背後で、ヴィルノアが告げた。
 刃が振るわれる寸前、ヴィルノアが吹き飛んだ。衝撃波だ。
「背後なら攻撃できないとでも思ったのかしら?」
 振り返ったシアが微かに笑みを浮かべる。
 ヴィルノアが着地すると同時に、周りをガルムが取り囲んだ。ガルム達がそれぞれの魂を解放し、攻撃を放つ。
「ちっ!」
 舌打ちし、ヴィルノアはその場から飛び退いて攻撃をかわした。氷の壁を身体の前面に展開し、追撃を防ぐ。
 ヴィルノアの足止めに成功したシアは切断された翼を復元し、研究所へと向かって行った。『ドライバー』本人の生身がある部分にダメージを与えなければ、いずれ傷は治癒してしまうのだ。また、集中力や意識を高めるだけでも、治癒の促進が可能だ。
「逃すものか……!」
 ヴィルノアは吐き捨て、刀を抜き放った。
 逆刃に持ち替え、ヴィルノアは峰打ちで刀を振るう。居合いでは、峰打ちができない。仲間を相手に居合いで応戦すれば、部下を切り殺してしまう。居合いほどの腕はないが、峰打ちで戦う以外に方法はなかった。
 群がる部下を次々に昏倒させ、ヴィルノアは包囲を脱した。
 どれだけの距離を離されたのかを考えながら、ヴィルノアは駆け出した。

 *

 炎に包まれた中で、イルゼは相手を見据えていた。赤々と燃え盛る炎はイルゼには透過され、視界は十分に確保されている。
 解放されたフェニックスの魂が、凄まじいまでの力を放出していた。そのフェニックスの魂から、相手の力が伝わってくる。
 イグルが持つ魂は高位種族ガルダのものだ。鳥系種族の中では珍しい、人間に近い身体を備えた種族だ。背中から生えた大きな翼に、鳥の頭と足、爪を持つ。
 同じ鳥系列の種族だからだろう、相手の力がどれほどのものなのか、イルゼにはなんとなくではあるが判った。
「何故、あなたは彼の味方をするんですか?」
 イルゼは問う。
 レイヴァートの下に着くからには、それなりの理由があるはずだ。説得が無理でも、イルゼは事情を知っておきたかった。自分が後悔せず戦うために。
「俺は、白虎に命を救われた」
「命を?」
「ああ。ガーディアンに追い詰められた俺を、白虎は助けた。あの時の圧倒的な力と、意志を持った瞳に、俺は惹かれた」
 イグルが賞金首となってから、彼を追うガーディアンや賞金稼ぎがいたのは間違いない。追い詰められたイグルを白虎が何故助けたのかを推し量るのは難しいが、それがきっかけになったのは嘘ではないだろう。
「その時から、俺は白虎の片腕を担うようになった。少しでも、俺は命を助けられた借りを返したい」
「じゃあ、シアは?」
 強い意思を感じ取り、イルゼは次の問いを放つ。僅かではあったが、彼を説得できるかもしれないと希望を抱いていた。だが、説得は無理だと判断せざるを得なかった。
「あいつも似たようなものだ。最初は白虎の命を狙って現れたが、白虎と戦って気が変わったらしい」
 賞金首が賞金首を狙うのは珍しくない。自らにかけられた賞金を上げるために同じ賞金首を手にかける者も存在する。賞金首の中には、自分の存在価値と賞金の額を同一視する者がいる。自分の価値を引き上げようと、他の賞金首を抹殺するのだ。
 あるいは、単に戦うのが目的の場合という者もいる。
 中には、賞金首を倒して得た資金で生活をする賞金首もいる。一見矛盾しているようにも見えるが、賞金首が同じ賞金首を倒して報酬を得るというのは不可能ではない。身分を隠し、気付かれさえしなければ賞金を受け取るのは可能だ。
「白虎はあいつを軽くあしらった上で、殺さなかった。詳しい事情は判らないが、それからシアは白虎に心酔している」
 イグルの言葉に、イルゼは黙り込んだ。
 説得の余地は無い。イグルもシアも、確かな意志に基づいて白虎の側に着いている。
「お前、人を殺した事は?」
「……目の前で誰かが命を落とすところなら見た事がある」
 イグルの問いに、イルゼは答えた。
 命を奪ったという意味であれば、イルゼは当てはまる。だが、厳密に人間という種族を殺した経験は無い。戦いはしても、イルゼには相手を殺せなかった。いつも敵に留めを刺してきたのはイクシオだ。
 だが、グリフォンの時のように、街や都市の多くの命を守るため敵性種族の命を奪った事はある。それでも、イルゼにとっては気分の悪いものだった。
「そうか、なら、お前は俺を止める事はできないな」
 イグルの口元に笑みが浮かんだ。
 何も反論できず、イルゼは唇を引き結んだ。
 相手を殺すだけの覚悟がなければ、命がけで向かってくる敵を止めるのは不可能だ。どれだけ傷付いても止まろうとしない相手の動きを封じるには、息の根を止めるしかない。だが、イルゼにはそこまでする覚悟がない。
 イグルは瞬時にそれを見抜いたのだ。
「それでも、僕は、止めなきゃならないんだ」
 自分自身に言い聞かせるように、イルゼは呟いた。
 どうにか、相手を殺さずに止める方法を考えなければならない。
「そろそろ行くぜ。時間も惜しい」
 イグルが言い、翼をはためかせた。高度を上げたイグルの翼が光を帯びる。そのエネルギーの塊を上空から撃ち出す。
 フェニックスが翼を薙いだ。熱風が大気を揺らめかせ、エネルギー弾を炎が飲み込む。純粋なエネルギーの塊を炎が焼き尽くし、打ち消していた。
 フェニックスの翼から炎が放射され、上空のイグルへと向かう。火の粉が舞い落ち、荒れ狂う力が渦を巻いて突風を巻き起こしていた。
「くっ!」
 イルゼは歯噛みした。
 炎の中、イルゼは胸に当てた拳をきつく握り締める。フェニックスの力を解放し、炎と同化した今のイルゼに実体はない。ただ、意識感覚としての自分自身はフェニックスの内部に残っている。
 意識体、魂の状態でイルゼは必死に自らの力を抑えようとしていた。
 防御行動を取っただけでも、無意識のうちに反撃が放たれてしまう。厳密に言えば反撃ではなく、単なる余剰エネルギーなのだが、イルゼにとってはどちらも変わりない。
 意図しない攻撃を抑えるため、自分の力を意思で抑え込む。
 フェニックスの力が地上に近い場所で吹き荒れれば、大陸随一の巨大都市であるラシンケットといえども火の海にしてしまいかねない。イグルとの空中戦に持ち込めたのは、その点ではありがたかった。
「食らえ!」
 イグルの翼から光が無数に放たれる。
 まるで雨のように、広範囲へと光が放たれた。
 二人の真下には都市がある。ガルムもいれば、住民も大勢残っている。そして何より、フィオラがいる。
 フェニックスが翼を広げ、円形に炎を撒き散らした。イグルの放った光が炎によって阻まれ、打ち消される。防御に使った炎から火の粉が舞い落ちる。高度があるお陰で都市に到達する前に火の粉も消えるが、低空で戦っていれば火事を起こしているはずだ。
「長時間戦うのはまずいな……」
 イルゼは小さく呟いた。
 このまま長期戦になれば、やがては戦闘の範囲自体が移動していくだろう。その時、フェニックスの力が都市に直接影響してしまう位置で戦わなければならない可能性は低くない。
 理想的なのは、この場で決着を着けて戦闘が終了するという状態だ。
「完全に受身だな。何故攻撃してこない?」
 イグルが問う。
「だから、戦うのは嫌いだって行ってるだろ」
「なるほど、他の者達の決着が着くまで俺を抑え込もうって考えか」
 イルゼの答えに、イグルが溜め息混じりに呟いた。
「甘いな。甘過ぎる」
 イグルの言葉がイルゼに突き刺さる。
 戦うのが嫌いだと、攻撃を躊躇っていては向かってくる相手を止めるのは不可能だ。
「お前は俺を侮辱するつもりか?」
 イルゼは黙ったまま、イグルを見つめていた。
「俺を防御だけで止められると思ってるのか?」
 イグルの声に、怒りが交じる。
 次の瞬間、イグルが動いた。大きく翼をはためかせ、フェニックスへと突撃する。燃え盛る炎で覆われたフェニックスへと、イグルが拳を突き出した。
 反射的に身を退き、イルゼはイグルから距離を取る。
 炎と同質とすら言える超高温の身体を持つフェニックスに肉弾戦など、わざわざ死にに来るようなものだ。それを理解していたからこそ、イグルは今まで遠距離攻撃で出方を伺っていたはずだ。だが、ここに来てイグルは自ら肉弾戦を仕掛けてきた。触れれば逆にダメージを返されるような灼熱のフェニックスに。
「あなたは、何を……!」
「俺まで傷付けたくないって言うんだろ!」
 イルゼの言葉を遮って、イグルが叫ぶ。
 フェニックスを後退させ、イグルの拳をかわしたのは自分のためではなかった。拳を突き込んだイグルへのダメージを恐れて、イルゼは身を退いたのだ。
「今身を退いたのが証拠だ」
 イグルが告げる。
 彼はイルゼの行動を見抜いていた。いや、それを判っていて試したのだ。
「どけ。お前じゃ俺を止めるのは無理だ。気付いてるんだろ?」
 イルゼは歯噛みした。
「俺を殺すぐらいの覚悟がなければ、お前は白虎を止める戦力には入れない」
 心のどこかで、イルゼ自身もそう思っていた。
 白虎は自分の信念に基づいて、命懸けで戦っている。それを止めるためには、同じだけの覚悟がなければならない。だが、イルゼには覚悟が足りない。イクシオは勿論、ガルムの戦士長という立場のヴィルノアもその覚悟がある。戦う力はあるが、イルゼはその力を行使して戦う覚悟が足りないのだ。
 今までの旅で感じていたのも事実だ。
「でも、見過ごせないんだ……!」
 やっとの思いで、イルゼは言った。
 覚悟が足りなくても、動かずにはいられなかった。脇から眺めているだけなんて、イルゼにはできない。
「なら、俺を殺すんだな!」
 言い捨て、イグルが身体を研究所へと向けた。
「待て!」
 フェニックスがイグルの前に立ち塞がる。
 だが、構わずにイグルは直進する。戦意の無いフェニックスなど眼中になく、研究所に向かうつもりなのだ。
 直進してくるイグルに攻撃もできず、彼の身を案じてイルゼはフェニックスを退かせていた。イグルが口元に笑みを浮かべ、フェニックスとすれ違う。
「ごめん!」
 意を決して、イルゼはイグルに手を伸ばした。
 フェニックスの足がイグルの足を捉え、引き寄せる。
「ぐっ!」
 炎に握られたイグルの足から肉の焼ける音が聞こえた。
「謝ってんじゃねぇよっ!」
 叫び、イグルが身体を反転させて光弾を放った。
「うぁっ!」
 至近距離から攻撃を受け、衝撃でフェニックスが仰け反る。イグルを捕らえた足が緩んだ瞬間、その足が焼けるのも構わず、イグルは強引に掴まれた足を引き離した。
 イグルの前にフェニックスが割り込み、翼を大きく薙いだ。炎が周囲にぶち撒けられ、イグルは高度を落として炎の波をかわした。
「行かせない! 諦めてくれ!」
 イルゼは叫び、イグルの前に滑り込む。
「その力で止めてみろ!」
 イグルがフェニックスを迂回してすり抜けようとする。フェニックスは翼をはためかせて炎を壁のように放射し、イグルの進行を阻む。凄まじいまでの熱気と炎の放つ光に顔を顰め、イグルが距離を取る。
「多少はやる気になったみたいだな」
 口元に笑みを見せ、イグルが呟いた。

 フィオラの目のまで繰り広げられる戦いは熾烈を極めた。
 ドラグーンが放つ雷撃を、白い虎が密度の濃い突風で掻き消す。次の瞬間には虎が飛び掛かり鋭利な爪を龍へと振り下ろす。龍が放つ回し蹴りが虎を弾き飛ばし、その直前に虎が巻き起こした突風が龍を吹き飛ばしていた。
 二者共に、道を挟んで立つ建物へ背中から激突し、壁を貫く。
 建物の中から紫電が生じ、幾筋もの雷撃が向かいの建物を破壊する。白い虎が建物の天井を突き破って飛び出し、大気が揺らいで見えるほどに濃度を高めた風を放つ。圧力を一点に集中させた風はまるで刃のように建物の壁を切り裂いた。
 龍も建物の屋根を突き破って外へと飛び出し、白い虎へと襲い掛かる。
「あいつはもう死んだんだ!」
「リクシアはまだ生きている!」
 虎が吼え、龍を風で吹き飛ばす。
「お前は関係の無い者を巻き込んでまで秘術書を使うつもりか!」
「当たり前だ!」
「罪の無い人間を殺してまであいつを蘇らせて、あいつが喜ぶとでも思っているのか!」
「死を逃れて喜ばない者がいるか!」
 互いに叫び合い、刃を交わす。
 周りの建物が戦いの影響で崩れ落ちていく。地面にも戦闘の爪痕がびっしりと刻まれていた。
 風が地面を抉り、建物を壊し、瓦礫を吹き飛ばす。雷撃が地面を焦がし、建物を貫き、壁を焼いた。二人の戦う一帯は暴風が吹き荒れるかのように風が渦を巻いて立ち昇り、他者を寄せ付けない。一歩足を踏み入れれば、風に切り刻まれ、雷に全身を焼かれてしまうだろう。
「お前こそリクシアを助けようと思わないのか!」
「死んだ人間は生き返らない!」
「秘術書がそれを可能にする!」
「自然の摂理を覆す気か!」
「リクシアのためなら構わん!」
 力の限り叫び合い、二人は意思をぶつけ合う。
 二人は並の『ドライバー』ですら即死するような攻撃を放ち続けていた。それをかわし、防ぎ、反撃を続ける。最高位種族の魂を持つ者同士の戦いは、尋常ではなかった。
 その戦いをイクシオの中でフィオラは見つめていた。
 吹き荒れる莫大なエネルギーを、フィオラはイクシオの視点で見ている。力の矛先は実の兄だ。レイヴァートは今、かつての親友だったイクシオと、実の妹の二人と戦っている。それも、一歩も退かずに。
 彼がリクシアという女性を愛していたのは、フィオラも知っている。リクシアの死は、確かに受け入れ難いものでもあった。だが、秘術書『蘇魂転生の呪』の存在を知っていたレイヴァートは、リクシアを蘇らせようと秘術書を求めた。そして、今までいた大陸政府直属の特殊機関『グングニール』から追われた。
 責任を取ってヴィルノアはガルムへ身を移し、イクシオは『グングニール』から身を退いてレイヴァートの消息を追った。
 イクシオがレイヴァートの故郷へ立ち寄った際、フィオラは初めて事実を知った。風の噂で兄が賞金首になったとは聞いていたが、リクシアが命を落としたという背景は知らなかったのだ。
 フィオラはイクシオに同行させてくれと頼み込んだ。だが、イクシオはそれを拒んだ。戦う力の無いフィオラを連れてはいけなかったのだ。レイヴァートと会えば戦闘になる。そんな場所へフィオラを連れて行けば、巻き込むだけでなくイクシオの足手纏いになってしまう。自分なら説得できると言い張るフィオラを、イクシオは頑なに拒み続けた。
 フィオラ自身、足手纏いになるだろうという自覚はあった。だが、それでも兄と会って話をしたかった。
 その街にレイヴァートが向かっているという噂を耳にしたイクシオは、密かに街を抜け出した。イクシオが街を出るのを、フィオラは見逃さなかった。噂を聞いた夜、フィオラはずっと起きていた。イクシオが動くと踏んで。
 雨の降る夜だった。
 イクシオを追って街を出たフィオラは、二人の戦いを目にした。丁度、今目の前で繰り広げられているような激しい戦いを。
 互いに思いを叫び、力をぶつけ合っていた。
 無意識のうちに、フィオラは止めに入っていた。割り込んだフィオラに、一瞬二人の動きが止まった。ずぶ濡れになりながら、フィオラは兄に真実を問い質した。リクシアの死が事実なのか、レイヴァートが秘術書を使おうとしているのが真実なのか、その思いは本気なのか。
 全てを肯定する兄を、フィオラは必死になって説得しようとした。
 だが、レイヴァートは決して折れなかった。イクシオがフィオラの肩に手を置き、さがっていろと告げても、フィオラは兄の説得を止めようとしなかった。
 そして、レイヴァートはフィオラに力を振るった。
 何の力も持たないフィオラはその攻撃をかわせもせずに身に受け、血塗れになって地面に転がった。薄れ行く意識の中、イクシオとレイヴァートの二人がぶつかり合うのをフィオラは見つめていた。
 やがて、何も見えない暗い意識の底で、フィオラはイクシオと再会する。
 レイヴァートの攻撃で魂の半分を吹き飛ばされたフィオラを救うために、イクシオは自らの魂を使ったのだ。自身の魂でフィオラの魂を補うという強引な方法で。
 そして、フィオラは決意した。イクシオと共に兄を止めると。
 イクシオの思いを、フィオラは今、全身で感じていた。好意を寄せていた人と、尊敬すらしていた兄の戦いに、フィオラは泣いていた。泣きながら、二人の戦いを見守っていた。決して目を逸らさずに。
 フィオラには、それしかできなかったから。

 *

 グライスが研究所に駆け付けた時、そこは既に戦いが終わった後だった。前面を防衛していた守備部隊は壊滅し、研究所の扉も突き破られていた。
 白虎の気配に寒気を感じて飛び起きたグライスは医療施設を飛び出し、ここまで来た。その途中、空で戦うフェニックスとイグルの戦いが見えた。崩れた外壁の近くでは突風が渦を巻いて立ち昇り、時折電流が走っている。
「これだけの部隊をこの短時間で……!」
 自分一人加わったところで、状況は変わらなかったかもしれない。そう感じさせるほどに、敵の戦闘能力は高かった。部隊の者は虫の息だ。全員『ドライバー』なのだから死にはしないが、戦闘の続行は不可能だ。一週間は治療に時間を費やさねばならない。
「あら、あなたは……!」
 不意に聞こえた声に視線を向ければ、そこには一人の女性が立っていた。
 研究所の入り口に立つ女性は、脇に大きな書物を抱えていた。ウェーブのかかったセミロングの金髪の女性だ。
「シア……!」
 グライスの表情が歪んだ。まるで、会いたくない人物に出会った時のように。
「グライス……?」
 シアが目を見張る。
「そうか、そういえば、君は俺がガルムに入った事は知らないんだったな」
 グライスは微かに苦笑いを浮かべ、呟いた。
「ガルム……」
 シアがその言葉を復唱する。
「何故、賞金首なんかになった? どうして白虎と共にいるんだ?」
「最初は賞金稼ぎだったのよ。でも、戦う手段が問題になって、賞金首にされてしまった」
 セイレーンの戦い方の一つは、他の種族を誘惑、操作して戦力に加えるものだ。敵性種族だけでなく、共に戦う仲間までを自分の意のままに動かし、自身に有利な状況を作り出す。
「賞金首にされても、賞金稼ぎを続けていただけ」
 微かに目を伏せ、どこか気だるげにシアが告げる。
「なら、何で白虎と?」
「惚れたのよ、白虎様に」
 グライスの問いに、シアは口元に小さく笑みを浮かべた。
「あの方は、私を助けてくれたわ」
「助けた?」
「白虎様を殺そうとしていた私は、賞金稼ぎやガーディアンに狙われていた。白虎様は、私ではなく、私を狙っていた者達を薙ぎ払ってくれたわ」
 仄かに熱っぽく、シアは語った。
 賞金稼ぎを続けていたとはいえ、シアは賞金首に名を連ねてしまっていた。故に、同じ賞金稼ぎを名乗る者達やガーディアンからは排除対象として見られていたのだ。賞金稼ぎ達は白虎を標的として戦いを挑んだシアを背後から狙っていたのだろう。どこかに注意が向いている者は、真後ろからの攻撃に弱くなる。仮に気付いたとしても、戦闘の途中に横槍を入れられてしまえば回避は難しい。
「共に来ないか、とあの方は仰ったわ。私が追われる立場にある事を知って、白虎様は私を包んでくれた」
 賞金首になってまで賞金稼ぎを続けていたシアを、白虎は誘ったのだ。同じ、孤独な道を歩む者として。
「それで、奴の側についたのか?」
「なら、あなたは、どうしてガルムにいるの?」
 グライスの問いを、シアは切り返した。
「俺は君を探すためにガルムに入った。ガルムには賞金首の情報が数多く流れ込んでくる。だから……」
「それで、あなたは私を見つけたらどうするつもりだったの? 止めようとしたでしょう?」
 シアの言葉に、グライスは言葉を詰まらせた。
「あなたはいつもそう。止めようとするだけで、私の事を理解しようとはしなかったでしょう? いつも自分の主張を押し付けてばかり……。それでは、あなたとはいられないわ」
 冷めた視線を向けるシアに、グライスは何も言い返せずに見つめていた。
「あなたは、私を力任せに止めるのかしら?」
 シアが投げた問いに、グライスは答えられなかった。
「止めるさ、力任せだろうと何だろうとな」
 突如割り込んだ声に、二人の視線が向かう。そこには、獣人と化したヴィルノアが立っていた。
「戦士長……!」
「これは秘術書の関わる争いだ。迷ってなどいられない」
 鋭く言い放ち、ヴィルノアが駆け出した。
 シアが魂を解放し、セイレーンへと姿を変える。セイレーンが衝撃波を放ち、ヴィルノアがそれを跳び越える。空中で抜刀の構えを見せるヴィルノアへ、セイレーンが水流の鞭を放った。
 ヴィルノアの腕がブレる。銀色の光が閃き、水でできた鞭が切り裂かれた。水は裂け目から氷へと凝結し、砕け散る。ヴィルノアの持つ刀剣『氷牙』は特殊な製法で精錬された刃でできている。冷気を帯び、持ち主の力によって冷気を操る力があるのだ。元々フェンリルの持つ冷気制御との相性は良く、ヴィルノアの攻撃を倍加させる相乗効果すら生み出す。
「くっ!」
 ヴィルノアの居合いによって生じた真空波がセイレーンの右肩を掠めた。
 鮮血がしぶき、セイレーンが体勢を崩す。崩れ、仰け反った体勢から、シアが衝撃波を放った。ヴィルノアは一瞬で大気を凝結させて足場を作り出し、横へと跳んだ。
 着地と同時にシア目掛けてヴィルノアが疾駆する。
 セイレーンが自分を中心に衝撃波を発生させるが、ヴィルノアは構わずに突撃した。衝撃波によってヴィルノアの速度が落ちる。セイレーンが水流を一点に圧縮させた槍を放つ。水は瞬く間に凍り付き、砕け散った。
 フェンリルの冷気制御能力と、セイレーンの水流生成能力では相性が悪い。もう一つの力、波を操る力でしかフェンリルとは戦えない。
 セイレーンの発生させる衝撃波が破壊力を増す。
 ヴィルノアが抜刀する。一瞬の間に鞘へと戻る刃が大気を切り裂き、衝撃波すら断ち切った。大気が切り裂かれて生じた真空へと流れ込む空気の流れによって、大気の振動として発生している衝撃波が乱れる。
 そのほんの僅かな時間に、ヴィルノアはセイレーンを攻撃範囲に捉えていた。
 セイレーンが衝撃波を自らに生じさせて飛び退くのと同時に、ヴィルノアの腕が揺らぐ。銀の軌跡が宙を舞い、紅い血しぶきが舞った。
 飛び退くために使った衝撃波で、シアが研究所の壁に背中をぶつける。その彼女には、左腕が無かった。肩の関節すらも綺麗に切断されている。
「く、ぅ……」
 夥しい量の血を流しながら、シアが呻き声を上げる。セイレーンの状態を保てず、人間の状態に戻っていた。
 ヴィルノアが歩み寄ろうと一歩を踏み出した直後、大きな影が生じた。その場にいた三人が空を見上げるよりも早く、影を落とした存在が研究所に激突する。轟音と熱気が周囲に吹き荒れ、破片が飛ぶ。
「フェニックス!」
 研究所に墜落したのはフェニックスだった。翼を広げた大の字の状態で、研究所の瓦礫の中に倒れている。
「ぐ……っ」
 フェニックスが頭を持ち上げ、空の一点を睨む。視線の先には、イグルがいる。
「シア、首尾は?」
「これを……!」
 右手で差し出した秘術書を、ヴィルノアが動くよりも早くイグルが掴んだ。
 直後、イグルの腕を逃したヴィルノアの刀がシアの右胸に深く突き刺さった。血を吐き、シアが目を見開く。ヴィルノアは直ぐに刃を引き抜き、イグルへと向けた。
 イグルが空中から放つ光弾をヴィルノアが刀で切り裂く。振り抜いた刃が返される前に懐に飛び込んだイグルが回し蹴りを放った。止むを得ずヴィルノアが跳び退り、距離を取る。
 その一瞬に、イグルはシアを抱えて飛び上がる。
「ま、待てぇっ!」
 イルゼが叫ぶ。
「一つだけ教えてやる」
 一度静止し、イグルはフェニックスを振り返った。
「戦いってのは、何かを守るか、得る代わりに何かを失うものだ。何も失わずに戦う事なんて、できない」
 それだけ告げると、イグルは高度を上げて飛び去った。

 イクシオとレイヴァート、二人の戦いは互いに致命傷を与えられぬまま続いていた。
「秘術書を奪取しました!」
 上空から聞こえた声を耳にして、レイヴァートの口元に笑みが浮かんだ。その言葉に驚きを感じてはいるものの、イクシオは攻撃の手を緩めなかった。緩めてしまえば、レイヴァートが撤退するからだ。この場で戦い続けるよりも、レイヴァートはリクシアを蘇らせる方を優先する。彼にとっては、リクシアが全てなのだ。
 相手の考えを知っているからこそ、イクシオはレイヴァートを攻撃する手を緩められないのだ。ここで秘術書を奪われたまま、レイヴァートを逃がすわけにはいかない。
「イグル、先にリクシアの下へ向かえ! 直ぐに追い付く!」
「了解!」
 レイヴァートの言葉に応じ、イグルが高速で遠ざかって行く。
「くっ、させるか!」
 イクシオがイグルへと電撃を放つ。
 それを、レイヴァートの起こした暴風が打ち消した。もっとも電流を通さない物質である大気を操るレイヴァートの力は、雷撃を操るイクシオには厄介なものだ。相反する力と言っても過言ではない。決して交じり合わないのだから。
「隙を見せたな、イクシオ」
 レイヴァートの言葉に、イクシオが歯噛みした、
 イクシオの視線が戦場に戻った時、レイヴァートの姿はなかった。巻き起こした濃密な風で大気を歪め、自身の姿を隠している。同時に、自分の気配を乗せた風を撒き散らし、イクシオを撹乱していた。
「また逃げるつもりか!」
「お前だって、リクシアに眼を覚まして欲しいはずだ」
 叫ぶイクシオに、レイヴァートの声だけが返ってくる。
「俺は、お前とは違う!」
「冷たい兄だな、お前は……」
 イクシオの奥歯が音を立てた。
 レイヴァートが愛する女性、リクシア・リュアルエは、イクシオの妹だった。
「だからこそ、あいつを静かに眠らせておいてやりたいんだ……!」
 もう、レイヴァートからの返事はなかった。
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