第二章
 第三話「デートですよ」



 実はまだ、デート、という呼び方は少し照れ臭いのだ。
 だからだろう、まだまだ初々しいままなのは。
 土曜日の昼前、混雑した都内の某所。美玖と2人で歩きながら、お昼はどうしようか、と話し合っている最中。2人で一緒に居る時間はとてつもなく幸せで、二ヶ月近い関係にもかかわらずまだまだ、ぎこちない感じの彼らは、ゆっくりと並んで歩くだけでも充分であった。
 夏真っ盛りのこの季節、2人は手を繋ぐということはしない。ただでさえ恥ずかしいのに、聖哉はさらにそんな事をしたくないのだ。美玖は少し寂しそうだ が、聖哉は照りつける太陽を言い訳にして、必要以上にくっ付こうとはしなかった。そんな事をしたら、自分が照れくさいだけである。
 ただ、それでもデートを重ねるたびに、2人が並んだ時の距離は縮まっているのだ。オクテで共に異性との交際経験が無いカップルである。密着度が上がるには時間が必要なのだ。
「適当にサ店にでも入る? それともファミレスがいいかな」
 聖哉が美玖に問いかけると、左側に居る少女は少しだけ上の空な様子で、コクリと頷いた。
「そう、ですね……。それが良いと思います」
「………………?」
 そんな美玖の様子に、聖哉は首を傾げる。
 同時に不安にもなる。つまらなかったかな、とか、俺なんかしたかな、とか考えてしまうのだ。
 だが普通、それは思っても口に出してはいけないことである。空気を感じ取った時点で、気分を変えて次にどうするかを考えねばならない。
 ならない――が、聖哉にはそんな事は分からなかった。残念なことに彼が異性との接触が極端に少ない人生を送ってきたのは前述の通りである。ましてや美玖が交際の初相手であることから、そんな高尚な配慮を見せることができる程の経験値は無いのであった。
 だから、訊いてしまったのだ。
「どうかしたの?」、と。
「えっ?」
「美玖ちゃん、今日は気乗りしないかな……」
 聖哉が心配そうに尋ねると、
「あ、い、いいえ! ……っ」
 急いで首を横に振った美玖だが、その後には考え込むようにして動きを止める。聖哉はその様子に、ようやく自分が野暮なことを訊いたのだ、と理解した。
 しまったな、と聖哉が焦って反省したところで、今度は美玖が口を開いた。
「そう言う聖哉さんだって……。今日は、不機嫌です」
 彼女の声音は、拗ねたような響きを帯びていた。
「う、えっ?」
 聖哉は素っ頓狂な声を出した。
 しかし美玖は、そんな聖哉の態度に余計に悲しそうな顔をしてしまう。
「だって聖哉さん、今日は私の方をあんまり見てくれないし、それにいつもより言葉少なだし……時々、不機嫌そうに、そっぽを向いちゃいます」
 むぅ、と美玖がむくれた様に俯いたのを見て、
「んぅ? いや、そんな事は――」
 そんな事は、ないよ。
 と言おうとしたのだが、それは反射でついて出た言葉でしかなかったのだ。だからもう一度、冷静になって考えた時、今度は違う言葉になって出てくる。
「……そんなこと、あるかな?」
 ただその原因を突き詰めた結果、聖哉は自分に苦笑せねばならなかった。
「やっぱり……」
 へにゃ、と美玖が眉尻を下げた。見上げてくる彼女の瞳に、薄っすらと涙が浮いているのを見て、うげっ、と聖哉が気圧される。
 可愛い。
 可愛かった。
 可愛いのである。
 彼女のそんな表情が。
 だから聖哉は、美玖の虜になってしまって、自分としては物凄く恥ずかしい台詞も、思わず口をついて出てきてしまうのである。
「うん……、今日は美玖ちゃん、いつもと違うなって思って。だから、少しだけ、困惑してる」
 それは、正直な思いであった。
「……違、う?」
 美玖の困惑の声は、もっともであろう。
 その、キョトン、とした眼差しに見詰められて、聖哉は照れた。というか、自分が神妙な心持ちになっている理由に思い至って、更に恥ずかしくなったのだ。
「その、ね。美玖ちゃん、今日はいつもより何だか、露出が……その、うん。肌を曝す美玖ちゃんって珍しいから」
 だから目のやり場に困っていた――これが理由の、一つ。
 もう一つは更に恥ずかしくて言葉にできないのである。
 美玖が自分の格好を見下ろした。つられて聖哉も美玖を凝視する。
 ついこの間、樹理たちと会った時の服装だ。短めのキャミとデニムの短パン、それと少しだけヒールがあるサンダル。短パンとは言っても、デニム生地はお尻 を隠す程度で、太腿以降のスラリとした綺麗な脚は全く隠されていない。キャミソールは露出した細い肩と、首周りというか、華奢な鎖骨とかが丸見えで、白い 肌がとても眩しい状態なのだ。
 美玖はとても綺麗である。そんな娘が、剥き出しのシミ一つ無い綺麗な肌を曝すような開放的な服装で隣を歩くなんて夢のような情景ではあるが、女性に慣れ ていないオクテな聖哉は、そんな状況でどうすれば良いのか訳も分からず、ただ視線を持ってくことができずに照れまくっているだけなのだ。要するに根性無し である。
 普通この場合、ガールフレンドが大胆な装いで隣を歩くことに喜ぶべきである。自信を持って堂々と公道を進むべきであるのに、聖哉は美玖の美しさに寧ろ尻込みしてしまったのだ。やはり根性が無い。
 それは本人も分かっているので、
「う〜ん、なんだか、ね。気圧されちゃったんだよ。美玖ちゃんに」
 ポツリと、そう言った。だがその言葉が一番、陳腐なセリフだとは、気付いていない。
「………………」
 美玖は黙っている。まるで聖哉の言ったことを良く噛み締めるように、ジッ、と彼の目を見ながら、反芻しているのだ。
 聖哉はその視線に怖気づいた。美玖の瞳が放つ純粋な輝きは、何者よりも彼の心を射竦める。
「変ですか?」
 美玖はそう、問うてきた。それは聖哉の予想の範疇外の質問で、えっ? と思わず呟いてしまったが、聖哉はそこで始めて理解した事がある。美玖の真っ直ぐな視線に含まれた不思議な色は、不安に揺れた彼女の心だったのだ。
 聖哉は焦って首を振り、
「うぅん! に、似合ってるんだよ。だからその、変に緊張しちゃってね、その……可愛いから、さ」
 結局その事を口に出してみて、聖哉は、そんな事を気にしてたんだなぁ、といまさら馬鹿らしくなったりもする。
 美玖は顔をニッコリと綻ばせて、
「そっか……。なら、良いんです」
 美玖の笑顔はとてつもなく魅力的だった。
 その笑顔に魅了された。――その表現が最も正しいだろう。絆されたのだ。だから聖哉は、喋る気のなかった言葉をも、吐露してしまう。
「ごめんね。俺さ、美玖ちゃんがいつもより綺麗で、自意識過剰になっちゃったんだと思う。周りの視線を気にして……嫉妬に近い思いって言うのかな、他のヤツに見られたくない、なんて考えちゃって。そんなおこがましい自分自身にも、嫌悪してた」
 だから、不機嫌だったんだ――。囁くように、美玖の瞳を見詰めて、聖哉は気持ちを吐き出していた。先程まで言うのを躊躇っていたセリフが流れ出して、自分が驚くほど陳腐で恥ずかしいことを言ってることに、気付かない。
 美玖は唐突に饒舌になった聖哉に驚かされたようで、ぱちくり、と目を点にしていたのではあるが、真っ直ぐに見詰め合う格好になっている現状に気付いて頬を赤くした。
 次いで、美玖は聖哉の言葉を理解したようで、少女の顔全体が真っ赤になったのである。
「あ、あの、その、……えっと、――そうなん、ですか?」
 美玖がパッと俯いた、その瞬間に、聖哉は我に返る。魔力が解けたように自分のセリフを反芻し、物凄い恥ずかしいことを言ったのだと思い出した。途端に頭に血が上ると、うわヤバッ、と死んでしまいたくなるくらい顔を熱くする。
「ご、ごめ、変なこと言って!」
 思わず跳び退ろうとしてしまうが、それより一歩早く、美玖が聖哉のシャツの裾を握った。聖哉はカクンとなる。
「いいえ、変なんかじゃ、ないです……。私、嬉しいですよ、聖哉さん」
 変わらず赤い顔で、いやもしかしたらもっと赤くなっている美玖が、恥ずかしそうに聖哉を見上げてくる。その瞳が潤みを帯びていて、凄く色っぽい。
「……ありがと、美玖ちゃん」
「いいんです。ホントに嬉しいんですもん」
 聖哉は完全にやられてしまっていた。ドキドキと血流がやたら活発になり、体温がどんどん上昇しているのが分かる。俺はこの子が本当に好きなんだなぁ、と実感した。
 二人は互いに顔を真っ赤にしながら、それでも目線を逸らさず、見詰め合っているのだ。互いに魅入られてしまったかのように。彼らは二人だけの世界に突入していたのである。
 が、そんな時間が終わりを告げるのは、意外と早かった。
「あれー? 先輩、こんなところでボーっとして、なにしてるんですか?」
 と背後から声が掛かり、ハッ、として振り向いたら、こちらに近づいてくる端整なルックスの少年が一人。左目の下にホクロがあるので、老貴兄弟の兄の方だ。
「あ、と……辺莉さんも一緒だったんだ。邪魔だったかな?」
 本気で、しまったなぁ、という顔をする春輝。聖哉の真後ろだったので、真向かいで見詰め合っていた美玖が見えなかった様子。振り向いて初めて気が付いたのだろう。
「なんだハリーか。いや、ちょっと驚いただけで、特に問題はないよ」
 と、いうよりも。寧ろ助かった、という気分である。声がかけられなかったらキスの一つもしていたような気がして、今更ながら街中で何をやっていたのか、という思いに駆られているのだ。内緒だけど。
 なので聖哉は、何食わぬ顔で春輝に向き直るのである。
「どど、どげさしよったい、今日は?」
 思いっきりどもっている。
 そんな聖哉の挙動不審さと、密かに頬を染めている美玖の様子に不思議な顔をしつつ、春輝はニッコリと微笑んだ。
「ショッピング、ですかね。県予選で負けたんで、暇になったからちょっとその辺をぶらついてみようかと、そう思いまして」
「一人か? 秋寛はどうしてんの」
「メンドイんで家でゴロゴロ、って言ってたはずですよ。いまごろポテチ片手に『星のさん』三昧なんじゃないですかね?」
 『星のさん』とは、某グラビアアイドルでも、某野球監督でもなく、『星のカービィ』のことである。念のため。
 秋寛は何故かいまごろ、スーパーファミコンの『星のカービィ3』にハマリ直したという奇妙な流行の持ち主なのだ。
「あ、なーる」
 聖哉は知ったかぶりをした。いや、彼も星のさんは好きなんだけどね。
「先輩は、まぁ、デートですよね」
 見たまんまだけど、一応の確認であろう。春輝の言葉に、聖哉はちょっと照れながら、おうよ、と答えた。
 先程も言ったとおり、やはりまだ、デートという響きが余所余所しい。
 そういう恥ずかしさは美玖も同じなのだろう。話題を変えるように、春輝に向かって話しかける。
「県予選、残念だったね。体調を崩してたって聞いたけど、大丈夫?」
「ぅえっ、誰からその話を?」
「クラスの女の子が話題にしてたよ。2人が居なかったから負けたんだー、て」
 春輝は思いっ切りバツの悪そうな顔をする。そんな情報は初耳だったので、聖哉はとりあえず食いついて見た。
「なに、試合に出場してなかったん?」
「ええ、そうです。残念ながら」
 知らなかったんですか、という表情の春輝。知られたくなかったのだろう、ちょっと嫌そうな顔だが、ちゃんと理由は述べてくれた。
「まぁ、兄弟そろって夏風邪にやられまして、試合はベンチスタートだったんですよ。途中出場したんですが、万全じゃなかったもので、身体が重くてですね、思うようにプレーできず……足を引っ張る結果になってしまったんです」
 思い出したくないのだろう。やや暗い面持ちで、大会敗退の経緯を話してくれる姿は、なんだか儚かった。そんな薄幸の美少年風な空気にちょっとした嫉妬を感じた聖哉は、残念ながら同情をしてくれないのだ。偏狭ですね。
「そんなの、コンディション調整してないお前らが悪いだろ」
「うぅ、バッサリ切り捨てられた!」
 図星なので痛いのである。グサリ、という感じに胸を押さえる春輝の姿は少しコミカルではあった。
「で、でもでも、病気はしょうがないよね、突然だし。それにちゃんと出場したんだもん、2人は偉いよ!」
 ちょっとテンションの落ちた春輝を慌ててフォローする美玖。胸の前で手を重ねて春輝を労う姿は、まるで女神である。聖哉とは器が違うのである。
「あ、ありがと〜、辺莉さん。君はいい人だよ〜」
 救われた〜、て感じで顔を綻ばせる春輝。そんな2人の様子にちょっと妬ける思いを抱きながらも、イジメが過ぎるのもどうかと考えて、
「ま、しゃーないよね」
 と聖哉も頷いた。
 そうして話が一段落したところで、春輝が腕時計に目を落として、
「それじゃ、僕はそろそろ退散しましょう。デートのお邪魔してすいませんでした」
 爽やかな笑顔でからかい言葉を述べてくる、そんな後輩に聖哉は苦笑である。
「おう、本気で邪魔だったぞ。とっとと行きなさい」
「聖哉さん、そんな言い方はダメですよ。……じゃあ、ハリーくん、またね」
 美玖に窘められてしまった。反省。
 そんな2人の様子に、春輝はニッコリと笑みを浮かべると、そっと左側に歩き出した。
「あ、そうそう先輩。これから、ある程度は暇になるんで、またサバゲしましょうよ」
 ちょっと振り返ってそう言ってくれる春輝は、正直、ありがたい。
「おーよ、こないだの様には行かないから、覚悟してろや」
「いの一番に死なないように、ですね」
 あはは、と笑いながら今度こそ、背を向けて歩き出す春輝。最後に嫌味かよ、と思いつつも、彼のああいう態度は嫌いじゃないから不思議だ。
 そんな少年の後ろ姿が雑踏に紛れた頃、聖哉は自分の顔に浮かんだ苦笑に気付いて、軽く頭を左右に振る。その後で気を持ち直して、隣の美玖へと向き直った。
「さ、行こっか」
 さっきよりも随分、気が軽くなっている。それは二人のわだかまりが解けているからだ。これからは二人のデートを楽しもう、そんな気持ちが満ちているのを心地よく思った。
「はい、行きましょう!」
 屈託の無い笑顔で答えてくれた美玖の気持ちも、きっと同じなのだろう。そう感じたことで、聖哉はもっと笑顔になった。互いの心が通じ合って、それはとても嬉しいことなのだ。
「もう映画館いっちゃおか?」
「そうですねぇ、だいぶ時間も迫ってますしね」
 そんなことを話しながら歩き出した二人のカップル。その距離は先程よりも、随分と縮まっている印象だった。



 聖哉と美玖と春輝。この三人が道端で話しに興じていた、そんなころ。彼らの様子を、少し離れた所から見ている少年が、一人だけ、存在した。
 仲良さそうに談笑するその輪を前に、少年は眉根を寄せて、瞳を細める。
「くっ……!」
 奥歯を噛み締める少年の、苦々しそうな口角が不機嫌さを表していた。忸怩たる想いが詰まった視線で、しばしその光景を観察していたが、彼は不意に顔を背けて、その場を離れるように歩き出したのだ。
(ちくしょう、こんな所でまで追い抜かれた……。だが待ってろよ、すぐにこの悔しさ、お前にぶつけてやる)
 それは羨望であり、嫉妬であっただろう。憎しみに近い負の感情を心に秘め、それを晴らす為の行動を練るその姿は、暗い逆襲者のそれである。
 少年は、いま見た光景を憎い気持ちで反芻しながら、曇ってしまった気分を抱えたまま、都会の道を歩き続けるのであった。
BACK     目次     NEXT
SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送