第三章
 第七話「試合ですよ」



 30分が経過した。その時にはFCホシノさん(仮)のメンバーは身体を温めて、戦術確認と簡単な練習を終えることができていたので、聖哉は少し安心していたのだ。何はともあれ、戦う準備は整ったのである。
「整列してくださ〜い」
 と、腕時計を確認しながら声を張り上げたのは、主審役のサッカー部の一年生だった。彼を始め、補欠の下級生は副審や得点係などの雑用をやってくれるのだ。感謝である。
 そんなこんなで、対決するサッカー部とFCホシノさん(仮)が、サッカーコートの中央へと歩み寄っていく。平日の今日は人影もまばらな河川敷だが、休日 に地元の草サッカーチームが試合をした場所なので、タッチラインやセンターサークルなどが引かれている、大変に便利な試合場であった。オジサン達にも感謝 である。
 両チームのスタメン合わせて22名が集まったところで、互いに睨み合いの対峙。主審側にはキャプテンの祐人と長山である。
「なんだ、老貴兄弟じゃないのか?」
 長山は、目の前に来た上級生を一瞥すると、横に控える春輝に疑問を投げつけた。それは皮肉であったろうが、生憎、そんなことで動じはしない。
「先輩に花を持たせるのが下級生の役割でしょう? 風紀委員長にキャプテンをやってもらうのは、当然ですよ」
 ニッコリと笑んでの切り返しに、長山がつまらなそうに視線を外す。一方の祐人は、その通り、と春輝の言に頷いていた。
「はいはい、おしゃべりは後にしてください」
 と、主審が呆れ顔をした。おお、根性あるなぁ一年、と聖哉が感服するが、そんなことはどうでも良いのだ。
「それでは、改めてルール確認をします。ゲームは30分ハーフの60分。前後半でエンド交代あり、ハーフタイムは15分。各チームの交代枠は3名まで。それと、サッカーの公式ルールは全て適用されます。良いですね?」
 との確認には、全員が頷かねばらない。それを見て審判が、
「じゃあ、キャプテン、前に出てください。エンドとボールを決めます」
 そういって硬貨を取り出す審判。コイントスにより、ボールはサッカー部が取る事になった。エンドは西が聖哉たちだ。
「チームはそれぞれ、ビブスを選んで。全員が着用して、所定の位置についたと思えたら、キックオフです」
『よろしくお願いしまーす』
 主審の確認終了と共に交わされる挨拶。その後で、祐人がビブスの入った籠を取って、自分たちのエンドへと進んだので、聖哉たちもそれに続くのだ。
「お、赤なんだ。やっぱレッズを意識した?」
 と軽口を挟む聖哉。
「当然だろ。俺は8番な。他の奴は、事前に話し合った番号を言うから、取りに来い」
 うぃーっす、と返ってくる返事。そして彼らは各々、赤地に白の数字が入ったビブスに袖を通していくのだ。
「ジェラード、俺は?」
「ん、ここにあるぞ。ホレ」
 と、聖哉に投げられるビブス。しかしそれは、他とは違うものなのだ。
「んげ、ピンク?」
「色違いがそれしかなくてな。すまん」
「ん〜……微妙に似合わん色なんだが」
 ブツブツ文句を言いつつ頭から引っかぶり、聖哉は尚且つ、グローブまで身に着け始める。
 つまり彼は、ゴールキーパーなのだ。



 そんなこんなで所定の位置についた両チーム。FCホシノさん(仮)こと聖哉たちのチーム配置はそれぞれ、ポジション、名前、背番号ごとに、
GK 上井 聖哉  1
DF 丸田 啓一  3
   岩崎 真二  5
   硝子 峻   14
   赤川 海杜  18
MF 多比都 輝  10
   瀬良 祐人  8
   老貴 春輝  13
   里辺 利一  7
FW 老貴 秋寛  11
   江藤 伊佐樹 9

 となっており、システムを配置で表すならば、

   11 9    ↑敵陣
 10     7
   13 8
 3 14 5 18
    1     ↓自陣

 と言う、オーソドックスな4−4−2のシステムを取っていた。
 一方の小川南高校サッカー部は、システム表記だけに簡略化するが、

   11 9
    10
  8   7
    6
 3 4 5 2
    1

 という、中盤をダイヤモンド型にした4−4−2、詳しく言うと4−3−1−2というシステムを取って来たのだ。



 理軽都 和真(かりかると かずま)は、小川南高校のサッカー部員で、一年生ながら右サイドハーフのレギュラーを担う素晴らしい実力者である。彫りの深 い端整な顔立ちに、精悍な印象の短髪、平均的ではあるが引き絞られた体格に、その堂々とした態度。一見すると一年生に見えないような和真は、いささかやる 気の無いダルさの中で、部内の小競り合いに巻き込まれた立場を疎ましく思っていたのだ。
 しかし、当日を迎え、センターサークルで敵のメンバーと顔を合わせた時に、本気でギョッとしたのである。
「か、カイさん……!?」
 整列で目の前に来た相手を見た時などは、本当に心臓が飛び出すのではないか、と言うくらいの驚愕だったのだ。
 そして、驚きの元となった張本人は、余裕綽々な態度で自分を見返すと、ニヤニヤと意地の悪い笑みを口角に浮かべながら、
「お、和真はオガ南だっけか? 奇遇だな。お前とやり合うとはね」
 などと、からかい半分に話しかけてくるではないか。
「な、なんでカイさんが、うちの学校の内部抗争に? あんた関係ないじゃないですか」
 未だに困惑を隠しきれないまま和真が言うと、兄の親友であり和真も世話になっている赤川 海杜は隣をチラと目配せした後、
「友人に頼まれたもんで、助っ人に来てるんだよ」
 事も無げに言い放った。
「んなっ……」
 和真は思わず絶句である。その後で、まさか、と思いキョロキョロと対戦相手を見回してみる。それに気付いた海杜は、心配すんな、と言った。
「大丈夫だ、来栖は来てねぇよ。今回は俺だけだ」
「そ、そうですか」
 冷や汗を浮かべながら答えるが、ここに来てようやく、和真は敵のメンバーに気付いたのである。海杜が目配せした相手にも見覚えがあって、海杜と共に家に 遊びに来たこともある上井 聖哉や岩崎 真二、硝子 峻など、兄の友人たちがチラホラ。当の兄である理軽都 来栖(りかると くるす)は確かに来ていない 様だが、それでも微妙な顔見知りたちがいる状況に、立ち眩みを起こしそうになったのである。
 そして実際に、海杜の隣の聖哉や輝がこちらに気付いて手を振って来た時などは、本気で眩暈に襲われてしまったのだが、そこは何とか気を取り直した。
「か、カイさんが居るなんて聞いてないですよ! そんなの卑怯も甚だしいでしょう!」
「なーに、大丈夫だよ。俺は今回、攻撃的なポジションじゃあない。得意じゃないけど、空きポジションに当てられるんだ」
「はい……?」
 思わずマヌケな声を出してしまったが、残念ながらその先は繋げなかった。
「お、と。始まっちまうな。そんじゃ、今日はよろしくな。楽しくやろうや」
「あ、よろしく、お、お願いします」
 どもりながらも、何とか海杜の差し出された手を握ることに成功する。
 その後すぐに、彼らは自分陣地へと行ってしまったので、これ以上の会話は不可能であった。和真は半ば呆然としたまま、彼らの後姿を追うことになったのである。
「おい、和真。お前、さっきの奴と知り合いか? どういう奴なんだ?」
 首を傾げながらも、何とか後ろを向いた和真に、隣に居た新部長の大岩が問いかけてくる。まだまだ頭は状況に追いついていないが、和真は返事を返していた。
「……ホントに知らないんすか、先輩。さっきの人、有英高校のサッカー部でエースを張ってる、赤川 海杜さんですよ」
 その事実を告げてしまうこと自体、和真には辛いことであった。あの人が敵に廻ったんだ、という苦々しさである。
「ゆ、有英高校の赤川、て……お前の兄貴とコンビを組んでる?」
「そうです。県内最高のツートップの、一角ですよ」
 和真の口から飛び出したのは、嘆息であった。
 有英高校は、今年の夏のインターハイ予選で決勝まで進んだ、強豪校である。特に海杜と来栖のコンビネーションは補完性抜群で想像力に富んでおり、攻撃陣は高い評価を得ている。昨年の冬の高校選手権では全国にも進んだほどの名門サッカー部だ。
 そんな実績十分の学校のエースが、まさか素人集団と侮っていたチームに加わっているとは、夢にも思わなかったのだろう。大岩はその頬を引き攣らせながら、和真の顔を凝視している。冗談だろう、と訴えたいのだ。
「残念ながら、事実ですよ。あんな人が来るなんて知らなかった。先輩も知らないんじゃ、みんなに教えたほうが良さそうですね」
「そ、そうだな!」
 大岩は慌ててチームの方へと戻っていく。キャプテンの長山に知らせることが重要だと思ったのだろう、真っ先に彼に駆け寄っていく姿は、どこか物悲しい。
(にしても……準備不足も甚だしいな)
 チーム内に広がっていた楽勝ムードに、和真はほとほと呆れ返った。どうやら、警戒すべきは老貴兄弟だけで、他の人間など取るに足らないとでも思っていた のだろう。もう一人、危険な相手が出てきただけで、この混乱状態だ。大岩の話を聞いたらしい先輩方は、一斉に顔色を変えて慌てているのだから。
(まぁ、このくらいの緊張感を持ってもらわなくちゃ、試合なんてつまらないんだろうけど)
 そう思い至ると、和真は少し、海杜に感謝したい気持ちが芽生えてしまった。そんな自分に苦笑しつつも、ようやくスイッチが入ったな、という自覚に目つきを変える。何だかんだで負けず嫌い、しかも油断できない相手ならば、本気で戦いにいける。
 知り合いだの先輩だの、そういうことはピッチに入った瞬間に、体を成さなくなるものだ。むしろそれを吹き飛ばすことこそ、サッカーの醍醐味である。和真はそうも考えているのだ。
「いっちょ、やってみますかね」
 不敵な笑みを浮かべながら、7番の付いた青いビブスを受け取った和真。喧々諤々と対応を話し合う先輩たちを無視して、和真は一人、自分のポジションである右サイドについた。今さら慌ててもしょうがないと分かっているからだ。
「サッカー部、ポジションについて。そっちのキックオフなんだから、早く試合を始めるよ」
 主審が焦れたように促す。この、度胸満点の同級生には、和真は好感を抱いているのだ。
 こうして全選手が配置に付いた時に、サッカー部の方がむしろ硬い表情をしているのは、どんな皮肉な展開か。そんな苦笑を浮かべつつも、和真はその集中力が鋭敏に研ぎ澄まされるのを感じていた。
 そして、主審の笛と同時に自陣へと蹴りだされたボールを目で追った時、自分が試合へと完全に入り込んだことを自覚したのだ。



 鳴り響いたホイッスル。同時にサッカー部のキックオフ、ボールが中盤へと戻されると、それを追うために猛然とダッシュするのは、目先のことしか頭に無い伊佐樹である。
 あいつは本当にペース配分を考えない。そんな風に苦笑しながらも、最終ラインの右サイドで広くピッチを見渡せる海杜は、全体に合わせてポジションを前へと押し上げた。
 相手がボールを下げているのだから、ラインを上げねば中盤が間延びしてプレッシャーが通じなくなるのは明白であるが、そんな事を考えなくても充分なくら いに、敵側は混乱しているようであった。その理由が良く分からない自分ではあるが、とにかく見た感じでは、敵チームのほとんどが焦ったようにボールだけを 回して、どこか試合に集中できていない様子なのである。だから伊佐樹や秋寛の単純なプレスを避けるように、慌てて近くの味方へとパスを出す。戦術的な動き が見えずに、ボールを奪うのは時間の問題ではないか、と思えた。
「なんか……拍子抜けだな」
 思わず一人ごちてしまうのも無理はない。小川南のサッカー部がインターハイ予選で8強にまで残ったのは前述の通り。それだけのポテンシャルを持ったチームを相手にするチャンス、友人に頼まれた助っ人とはいえ、それなりに楽しみにしていたのではあるが――
(所詮、快挙を達成したのは3年生、てことなのかね。2年生中心じゃ別チームにもなっちまうか)
 そんな、軽い失望すら感じてしまったほど、サッカー部連中の序盤の動き方は不味すぎた。
 彼らは結局、一旦はゴールキーパーまでボールを戻した後で、戦略のないロングボールを右サイドへと展開した。それが2、3人の攻防を経て、空いたスペースに零れて両チームの選手が殺到したのだが――
 ボールの落ち際を予測していたかのように、その場所に素早く飛び込んだ和真の動きは、完全にキレていると思えた。
「っ、マズい!」
 思わずそう叫んでしまったものの、逆サイドの海杜には止める手立てはない。ただ、周囲を見回すと同時に体を変えて、サイドチェンジへの対抗を講じるだけである。
 しかしその努力は徒労に終わる。和真はボールを保持すると同時に、プレッシャーに来た春輝を軽くいなすと、瞬時にタッチラインへと突進していた。間隙を 付かれた輝が一歩遅れで振り向いた時には、すでにハーフラインを越えて陣地への侵入を許している。ドリブルを緩めずに、トップスピードに入った和真は、そ のままマッチアップする啓一へと突進して行った。
 突っ込んでくる敵に対し、啓一も重心を低く構えながら、後ろへと下がり始めた。立ったまま待っててもスピードで躱されるだけ。下がりつつ内側のコースを切って、隙を付いてボールを奪おうと考えたのだ。
 が、和真は一対一だと理解した時には、右足でボールを跨がせていた。その勢いでシザースを繰り返し、細かいタッチを交えながら対峙する啓一を翻弄する。
 高速フェイントに相手の身体が固まった。そう見るや、素早く右のアウトで切り返し、一瞬の加速で外側へと追い抜いていく。その時には既に、和真はクロス領域へと切れ込んでいた。
 ルックアップ。と同時に、カバーに来たセンターバックがコースを塞ぐ。追い抜かれていたサイドバックが背後から挟み込もうとしていることも察知して、二人との距離がまだ開いていることを意識した。
 ボールを止めてフェイント一つ。それで峻の重心を右にずらした後で切り返し――軸足の後ろから、思いっきり右足を振り抜いた。
「っ!」
 その場の全員が息を飲む。放たれたハイクロスが、シュルシュルとゴールへの回転を描きながら落ちてくると、敵チームの9番がその巨体をペナルティーエリ アの中へと侵入させてきた。それを海杜は、真二と挟み込みながらマークするも、早い段階でジャンプされて、頭一つ分の高さを超えられてしまった。
 ヤバイ、と思った瞬間に、真二が身体を凭せ掛け、相手のバランスを崩そうとする。空中で重心がズレたフォワードはしかし、やや下がりながらもクロスを頭で合わせてきた。そのボールがゴールマウスを捉えるものの、勢いを失したヘディングを聖哉がクロスバー上へと弾き出す。
 ボールの軌道を目で追って、ホッ、と息を吐いた時に、敵の9番がよろけながらも着地した。その時に、チッ、という舌打ちが聞こえたことに、海杜が奥歯を噛み締める。
「ラボーナとは……やってくれるぜ、和真の野郎」
 苦々しく、そう吐き捨てた。南米など技巧派の選手が駆使するトリッキーなキックで、そんな物で早速チャンスを創出した和真の行為に、してやられた、という思いが湧いたのだ。
 ほとんど魅せ技なのである。
「流石はクァレスマこと和真だな。今のであいつら、雰囲気を甦らせたぞ」
 聖哉がそう話しかけてくる。海杜はそれに頷くしかない。確かに敵方は、先程の和真のプレーに触発されて、瞳に闘志を宿したのだから。
 つまりこれからが本番だ、ということである。
「参ったな。ったく、本当に厄介なヤローだぜ」
「ああ。ホントに、理軽都家ってのは、盛り上げ上手な家系だな」
 二人は苦笑を交わしてから、コーナーキックに備える為に、マークマンの確認へと急ぐのであった。
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