第三章
 第八話「苦しい展開」



 暑い日差しが降り注ぐ午後の陽気。そのカラッとした空気の中を駆ける自転車の、なんと苦しいことか。
「なにやってんのー、置いてくよー」
 少し前から聞こえる杏里の声。そんなこと言ったって、と辛そうに眉を顰めながらも、美玖は懸命にペダルを漕いでいるのだ。
「ま、待ってよ〜。少しくらいペース落としてくれても、良いじゃないぃ」
 半ベソをかきそうになりながらも、美玖は辛うじて返事をしたのだ。しかし杏里はにべも無かった。
「アンタが行こうって言い出したんでしょうが。あたしはあんま乗り気じゃないんだからね」
「うう、確かにそうだけどぉ」
 と言いながら、通学用といわれるカゴのついた自転車を必死に進ませる。一方の、先行している杏里と類は、スポーツ用のマウンテンバイク。長身で全体のシ ルエットがスラリとしている二人にはとても似合っているが、基本性能の違いが速度に反映されているのは言うまでもないのである。
「ほらほら、もう少しだから頑張って。樹理もあんまり無理しないで、少し休む?」
 後ろを振り向いてくれた類が、優しい言葉をかけてくれた。声をかけられた樹理の方は、小さい身体で精一杯に酷暑のアスファルトを滑る自転車にヘトヘト、言葉少なに杏里たちを追っていたのだが、
「だ、大丈夫……もうすぐなんだから、休んでらんないわよ」
 と、搾り出すように声を出していた。
 美玖はそんな健気な姿にちょっと感動して、
「うん、樹理ちゃん。ホントにもうちょっとだから、頑張ろうね」
 と励ましていたのだ。
 今、彼女たちは河川敷の裏手、真っ直ぐ行って小さな林を抜ければその場所に着く、という位置まで来ているのだ。理由はもちろん、聖哉たちの試合を見に行く為である。
 それはもちろん、美玖が聖哉の応援に行く為、というのもあるのだが、最大の目的は樹理の「キッカケ」なのだ。彼女が峻との心の壁を崩すために、そして再 び親密な関係に戻るために。だから樹理は必死に暑さに耐えて、自分の決意と彼との約束を果たそうと、懸命になっているのである。
「さ、急ぐわよ。もう時間がないわ」
 類が優しく微笑みながら、樹理の隣に並んでくれる。彼女はこの話を切り出したときに、そして樹理が自ら経緯を説明して協力してくれるように頼んだ時に、 快く事態を受け入れてくれたのだ。その態度は少し意外ではあったが、一人ブーたれる杏里を説得までしてくれてバックアップを申し出てくれた類に、親友の懐 の深さを改めて感じさせられたものだ。
「ん、しっかりしなよ。これはあんたの問題なんだからね」
 杏里もまた、速度を緩めて樹理を励ましてくれる。乗り気ではない様な態度をとるが、何だかんだでしっかりと支えてくれる杏里である。納得してくれた時の推進力と、さりげない優しさには、慈しみが溢れているのだ。
「さ、もうすぐだよ」
 彼女たちはいよいよ、河川敷に通じるちょっとした勾配へと差し掛かったのだ。ここを登りきればサッカーグラウンドがすぐに見えるようになる、開けた場所に出るのである。
 サーッ、と小さい坂を登りきる。先の直線が、林の木陰に日差しを阻まれていただけに、少しだけ体力を回復した樹理も一気に駆け上がった。
 ふうっ、と一息吐いた時に、既にコートではビブスを着た少年たちがボールを追いかけており、サッカー部の補欠らしき声援が聞こえてきていた。その様子を目にして杏里が、
「あっちゃー、もう始まっちゃってるよ」
 と額の汗を拭いつつ、ついでに頭を抱える真似をする。
「ん……でも、まだ始まったばかりの様よ。セーフじゃないかしら」
 類が目を細めた先には、電池を入れたと思しき持ち運び式の電光掲示板。簡単な時間と得点を表示しているアレだ。
 美玖は少しだけ残念に思いながらも安心して、とりあえず降りようか、とグラウンド方面に皆を促した。少女たちはそれに頷いて河川敷のサイクリングロードを降りると、適当な場所に自転車を止めてしまう。
「ん〜、と。どこか良い場所は……」
 キョロキョロと見回した先、ピッチからは少しだけ離れた場所に、やや大きめの並木が列を成していた。そこにサッカー部員の私設応援席があるが、丁度いいので彼らからはちょっと離れた木陰に陣取ることにしたのである。
「ふー、あっつい」
 ビニールシートを敷いて荷物を置くと、いの一番に杏里がどっかと腰を下ろす。お行儀悪いよー、と注意するのも聞かずに、パタパタとTシャツの胸元を煽って風を送り込み始めた。
 その時に、豊満とまではいかないまでも充分に柔らかそうな杏里の胸の谷間が現れては消え表れては消えしたので、美玖と樹理は思わず自分の胸元を見下ろして溜息を吐いてしまったのである。
 ついでにその時、少し離れているにも拘らずサッカー部の連中は目敏く杏里のセクシャルな行いを発見し、チラチラ覗く魅惑的な部分に吸い寄せられるように して一斉に凝視していたのだが、そんな事は気付かない鈍い少女たち。ピタッと止まった声援にピッチの先輩が怒号を飛ばして、これまた一斉にビクッ、となる 一年坊たちの、なんと悲しい男の性か。男って馬鹿よね。
 何はともあれ、また再開されたややローテンションの声援をBGMにしながらも、美玖たちはやっと落ち着いて試合を見れるようになったのである。
 そしてふと、今ボールを持ってる少年に目を留めて、美玖はあることに気付いたのである。
「あ、和真くんだ。そういえばサッカー部って言ってたなぁ」
 思わずそう漏らしてしまって、えっ、と怪訝そうな類たちの声が聞こえるのである。
 美玖は彼女たちに振り向いて、
「いまドリブルしてる男の子、和真くんだよ。ハナちゃんの弟さんの」
「あー、花華ちゃんの弟なんだ。そういえば居るって言ってたもんね」
 杏里が、納得した、と言うように頷いてみせる。他の二人も、へー、と納得顔だ。
 理軽都 花華(りかると はなか)は、美玖の中学校時代のクラスメートで、彼女が違う女子高に通う今でも親友の女の子だ。性格もよくて可愛い少女で、すでに自慢の友人として樹理たちには紹介しており、何回も一緒に遊んだ間柄である。
「確かハナちゃんもサッカー部だったよね。お兄さんもそうじゃなかったっけ?」
「兄弟全員、かなりの腕らしいじゃない。ホントにサッカー一家なのねぇ」
 としみじみ漏らす樹理と類。その横で杏里が、「蹴球なのに腕が良いとは、これ如何に」とか言っているが、それは皆して無視なのである。
 そんな風に感嘆していると、件の和真くんが華麗に右サイドを突破して、ラボーナでのハイクロスという超絶技巧でチャンスを演出してしまう。思わず悲鳴を 上げてしまう美玖だが、そのボールの成り行きの最終地点で、さり気無くずっと探していた聖哉がピンチを防いでみせた姿に、胸がキュンとしてしまう。
(ゴールキーパーやってるんだぁ。……でも、カッコいい!)
 ほとんど、のぼせたみたいな思考である。恋をしたらあばたもえくぼ、とはよく言ったものだ。
 ただ、そんな感動は長くは続かなかった。続くホイッスルがコーナーキックの合図であり、その流れから一気にゴールネットが揺らされたのだ。
「あああ―――――っ!」
 今度こそ本当に迸った悲鳴が、樹理のそれと共鳴する。しかしそれは、サッカー部員たちの喜びの声に押されて、大きく響くことは無かったのである。



 聖哉がゴールライン上へ弾き出したのだから、その後は当然、サッカー部のコーナーキックになる。聖哉から見て右側にボールをプレースしたのは長山であ り、彼が見据える先が長身の9番である以上、センターバックのコンビはそいつに連れられてファーサイドに居なければならない。それは聖哉たちにとって不安 であり、何処へ蹴って来るか、という予測を難しくしているのだ。
 特に注意だと思えるのが、ややファーのペナルティーエリアのライン上に居る和真であり、彼は早いクロスをダイレクトで正確に蹴れる技術があることから、飛び込む先を良く考えておかねばならないのは、悩むところである。
「海杜、できるだけ二アには入れさせないようにしてくれ! リベリーと春輝は、飛び込んでくる相手のケアを怠るなよ!」
 そんな風にコーチングをしなければならないのは、キーパーとしては義務のようなもので、全員が緊張しながら頷いてくれた頃に、主審が笛を吹いた。
 長山が助走からボールへ向かう瞬間が、その第一歩が最も緊張して、太腿の筋肉がギュッと硬直したのが分かった。
 ドカッ!
 衝撃音。右利きの長山は、内に巻きながらゴールへ向かうボールを入れる。その軌道を見ながらも、予想外に低く、また近いクロスに、左足を踏ん張らねばならなかった。同時に視界の隅に入り込んでくる影は、弾道に走りこんでくる敵と、味方である。
 先にボールに触れたのは敵の11番だった。セカンドストライカーが素早く右足を出して、その太腿に当てて、軌道を内側に変えたので、聖哉は慌てた。
 くっ、と呻いて、手を伸ばす。しかしタイミングが合わず、指先にすら掠めずにニアに飛び込んだボールが、バーに当たって跳ね返った。
「っ!」
 自分の目の前を通り過ぎたボール。尻餅をつきながら、ゴール前の混沌へと視線を移すと、そのスペースに人が居ることに気付く。ハッ、として倒れ込むも、それは無駄な努力に終わってしまった。
 相手の6番が、身体に当てて無理矢理ゴールに捻じ込んだのだ。ネットを揺らした後でコースを塞いだ聖哉は、その虚しさに脱力した。
(……、クソ!)
 喜びに沸くサッカー部員たち。その姿を尻目に、先制点を、しかも早い時間に取られてしまったことに、チーム内のほとんどが項垂れる。
「してやられたな」
 海杜が聖哉に手を差し出してくる。それを受け取りながらも、
「マークを外すなよ」
 と文句を言うと、
「ああ、すまん」
 素直に謝罪が帰ってきた。聖哉はそれで済ますことにしたのだ。
「よろしい。――みんなっ!」
 と大声を出すと、周囲の仲間が振り返る。
「早い時間に点を取られて良かった。これで後は、追いかけるだけだ」
 そう、陽気に笑ってやると、返って来るのは呆れた苦笑だ。
「お前が言ってちゃ、どうしようもねぇだろ」
「失点したくせに偉そうに言うな」
「ってか、それは俺のセリフなはずだろ、取んな!」
 祐人には怒られまでしてしまった。聖哉は微笑むと、重い空気を少しは飛ばせたかな、と思えた。
「動きが悪いからって、油断しちゃいましたね。次からは気を引き締めないと」
「しっかりとプレスをかけて、中盤での数的優位を生み出していこう。そうすれば恐くないはず」
「よし、確認終わり! 次はウチの攻撃だ、しっかりやるぞ!」
 本心の確認と祐人の喝。それに気合充分な返事を見せて、各人はまた、自分のポジションへと戻っていく。
 しかし事態は、そう簡単には変わってくれなかった。
 ホシノさんFCのキックオフから再開されるゲーム、伊佐樹が蹴って一旦、自陣へと戻す。それを春輝が受けた瞬間、素早い影が迫ってきていた。
 タックルは強烈なスライディングだ。それを、簡単に体を入れ替えてヒラリと躱すも、その時には目前に敵がいることに気付く。
 囲まれている、しかも三人に。いきなりのハードプレッシングに、最後尾でそれを確認した聖哉も、思わず呆気に取られてしまったのだ。
(いきなりのゾーンプレスか……? いや、違う。始めから、春輝だけを潰しに来てたんだ)
 それが聖哉の結論であり、明らかに足を削りに行っていることこそが、その証明である。
「春輝、無理するな! 早く周りに繋げ!」
 右手を上げてボールを催促するのは、最終ラインの真二である。この状況を素早く読み取り、適切なアドバイスを送って見せたのだ。
 だが、如何な春輝と言えども、三人のマークマンが密着してくる状態では、安心して周囲を確認することも出来ない。ボールキープすら厳しくなったと見るや、次の瞬間には身体を抑え込まれ、ボールを奪取されていた。
 くっ、と呻いたのは誰だったか。いや、もしかしたらチーム全員なのかもしれない。敵は真っ直ぐに前を向くと、全員が攻め上がりに重心を前に置いたような気がして、聖哉の背中がプレッシャーに濡れる。
「っざけんな!」
 ガッ、と身体をぶつけ、横から祐人が割って入る。バランスを崩したミッドフィルダーが倒れ込むも、ホイッスルは無い。その様子にホッとして、祐人は真二へとボールを戻した。
 落ち着いたトラップから、真二が峻へと簡単にパス。それは敵の出方を窺ったものだが、案の定、彼らは無理なプレスをかけて来ない。
 つまり奴らは、抑えるべきはボールの出し手である春輝だけで、中盤で春輝が持った瞬間に潰しにかかろう、という事なのだ。現に春輝の周囲は未だ、二人のマーカーが挟んでいる状態で、迂闊にパスなど出せないのである。
 フム、と一つ頷いて、峻が海杜へとサイドチェンジ。すると海杜の前に居たサイドミッドフィルダーが、やや距離を取りながらも前のコースを切って見せた。その態度に、彼も注意人物に数えられているんだ、と気付く。恐らく有英高校サッカー部だとバレているのだろう。
 海杜は再び、最終ラインへとボールを戻した。相手の戦術が分かったところで、いつまでも横パスしててもしょうがない。それにこっちはリードされている立場。攻撃に出なければ話にならないのである。
「頼むぞ」
 パシッ、とショートパスが祐人に入る。春輝ほどのプレッシャーがないことから、余裕を持って前を向いた祐人は、自陣からいきなり右足を振りかぶった。
 蹴られたボールが向かった先は、左サイド。輝が待つ、それより先のスペースだ。そこへ向けて走れ、ということであり、それを承知している輝もまた、その俊足にスイッチを入れる。ダッ、と駆け上がってサイドの深くを抉ろうとするが――
 そのボールには、輝よりも早く敵のサイドバックが追いついていた。そして、走っていた輝がプレッシャーに行くよりも先に中盤へパスすると、一気のカウンターが始まるのである。
 サッカー部の攻撃の起点となるのが、トップ下に入っている長山なのは明白だ。そのマークに付くのがダブルボランチ、中盤の祐人と春輝であり、彼らが背番号10を挟み込もうとしたところで、長山が足を止めた。
「なっ!?」
 スルーである。スペースに出されたボールを追いかけるのは長山ではない、左サイドの8番が素早く拾い、動きが固まってしまったセントラルMFの二人を追い越して、一気に中盤を追い抜いた。
 中央突破。しかも事前に考え込まれた攻め方をされた。その事実に、セオリー通りの対処ではダメなのだ、という焦燥感が聖哉の背筋を焦がした。
「なにやってんだ、カバー早く回れ! ラインの裏を取られてるぞ!」
 大声の指示も、その焦りから生まれたものであろう。しかしセンターバックのコンビは落ち着いていた。
 ドリブルで突き進む8番の前に峻が立ちはだかる。敵は抜けると考えたのだろう、フェイントを一つ入れてから左足のアウトで切り返してくる。しかし峻が惑 わされずに身体を寄せると、ガッ、と当たってバランスを崩した。しかしボール奪取まではいかずに、敵は止まってキープに入る。
 その瞬間に密着して、相手にプレッシャーをかける峻。さらに数人が囲みに行った所で、8番は冷静にパスを出した。
 ボールを任されたのがセカンドトップで、彼はやや下がり目の位置からダイレクトで裏にスルーパスを狙う。普通ならここで聖哉は飛び出さねばならなかった が、それをしなくても良かったのは真二が予測していたからだ。9番がボールに触れるよりも早く、スライディングで足元からカット、巨体が倒れる頃には起き 上がって、近くの啓一へと捌いている。
 ここから逆カウンターへと入るが、サッカー部の戻りは速かった。いや、そもそも攻撃に手数をかけていない。だから守備組織の穴を見つけられずに、啓一は縦パスの選択肢を消して祐人に預けざるをえなかった。
 だが祐人は、攻め手にも関わらずハーフラインまでしか上がらず、そのまま今度は右サイドにロングボールを放りこんでしまう。それは先程の輝と同様、利一に届く前にサイドバックに処理されてしまい、またもやボールを失う結果になってしまったのである。
 聖哉はその時に、祐人が苦虫を噛み潰したような表情を浮かべたのを見た。それで、喉まで出かかった野次にも似た叱責を飲み込んだ。
(焦ってるんだな、アイツ……)
 だが、それを冷静に考える暇など無かった。そのまま敵はサイドを変えると、再び和真がドリブルを仕掛けてきたのである。
 並走した輝が身体をぶつけるも、素早い切り返しで逆に相手のバランスを崩した和真は、そのまま斜めに入ってくる。対峙しようとした啓一は一瞬だけ躊躇するも、ポジションを変えた長山へとマークを変えた。それで祐人が和真のユニフォームを引っ張り、無理にでも減速させる。
 その様子を見て主審が笛を口に咥えた。しかし和真が振り解いて、間隙をついてショートパスをしたので、ホイッスルは吹かれずじまい。アドバンテージを取ってくれたのだ。
 11番へのスルーパスだが、鋭い読みで真二が弾く。それに向かって海杜が走るも、8番が巧く身体を入れて確保、後ろのボランチに戻す。それを今度は、大きく縦にロビングが入り、ターゲットの9番がジャンプした。
 付いていた峻は、既にポジションを取られてしまい、対応に苦慮する。ペナルティーエリアの浅い部分に敵を侵入させて、なおかつスクリーンされて背後に居るしかない。ガッシリとした体格の峻だが、身長は170センチちょっとと低く、空中戦では不利なのだ。
 ボールが届いてしまう。身体を寄せて峻も飛ぶが、敵はそれを片手で抑え込んで、頭に合わせた。そのままシュートしてくれたら楽に対処できたが、よりによって空いたスペースへと落とすことをする。
「っ、なろ!」
 聖哉が飛び出した。しかしその場所にはすでに、和真が走りこんでいるのだ。足元に来るボールを振りかぶっている和真。タイミングはドンピシャリ。ならば身体を投げ出して、シュートコースを限定するのみ。
 トン。和真は余裕を持って、右足のインサイドを大きく広げる。ニアサイドに放たれたグラウンダーの早いシュートは聖哉の爪先を掠め、サイドネットに突き刺さっていた。
「よおおおお―――――っし!」
 ゴールを決めた和真がガッツポーズと共に雄叫び、聖哉の横を走り抜けていく。サッカー部応援席が盛り上がる中、奴が本格的に乗ってきたことを知った。
 ふうっ、と溜息を一つ。
(やっぱ、単純なパワープレイには弱い、かな?)
 それは弱点として心得ていたことだが、実際に付かれると、やはり辛い。
 ゴール内に転がるボールを拾い上げると、そんな聖哉に峻が近づいてくる。
「ごめん……オレのせいで、失点したよね」
「いや、そんなことはない。峻くんはフォワードに前を向かせなかったし、それで充分。むしろ和真へのカバーが遅れたのが原因だから、心配しなくていいよ」
 苦笑と同時に、ボールを蹴って前に送る。
 しかし峻は、まだまだ浮かぬ顔をしていた。
「でも……」
「ほらほら、そんな事はもう忘れて。試合中なんだ、しっかり集中しなきゃ。……あの娘も見てるよ」
「……うん」
 ピッチサイドの木陰にいる美玖たち。そちらへ視線を投げて、木橋 樹理が峻のことを見ていることを確認すると、峻もまた、頷いてくれる。
 暗い顔をしていても始まらない、ということを思い出してくれたのだろう。峻は彼女を無理矢理、ここへ呼んだのだ。あんな大見栄まできってみせたのに、このまま負けっぱなしでは、やはり申し訳がたたないのである。
 行こう、と言った彼の顔には、真剣さが戻っているように見えた。



「祐人っ!」
 背後からの呼びかけの声。それに振り返った時、駆け寄ってきた真二が肩に手を置いた。
 そして開口一番に、
「らしくないな。どうかしたか?」
 なんて聞いてきたので、祐人は少しだけ、ムッ、と来たのだ。
「……別に。何もないよ」
 ぶっきらぼうにそれだけを返し、再び前へと向き直る。汗に濡れる額を拭って、暑さに辟易とした所で、真二の苦笑が聞こえてきた。
「なにを固くなってんだよ。俺たちは別段、急いでボール蹴っても意味がないだろ。いつも通りに、余裕を持って周りを見回せよ」
「……見透かしたようなこと、言うなよ」
「拗ねんな」
 真二の苦笑が深くなったようだ。そんなのは、見ないでも分かる。
「今のお前には、腕章の責任が重過ぎるのかもな。でも、そんなの誰も気にしちゃ居ない。輝や聖哉だって、お前に託すって言ってくれたじゃねぇか。なら、お前らしく、嫌味なくらいに相手を見透かして、しっかりボールを保持すればいい」
「……んだよ、それ」
「肩の力を抜いてみろって言ったんだ。信じてるぜ、ジェラード?」
 真二は言いたいことだけを言うと、また後方のポジションへと戻って行ってしまう。その気配を背後に感じながら、ふうっ、と祐人は溜息を一つ。
 空を見上げて、カンカン照りの真夏の日差しを、真正面から受け止めた。
 その時にホイッスルが響き渡る。今日、三度目のキックオフ。
「祐人!」
 声が掛かる。同時に転がってくるボール。それを、視線を前に向けて、捉える。同時に足を踏み出して、トラップ。
 ボールが足に吸い付いた。そんな錯覚を覚えるほどの、優しいパスだった。出し手の輝を見て、今度は自分が苦笑を浮かべてしまう。
 左腕に巻かれた腕章はキャプテンの証。その責任感に、判断が鈍っていたのは事実である。同時にダブルボランチの相棒である春輝が激しいプレスで抑え込ま れ、自分がゲームを創らねばならない、という重圧も圧し掛かっていた。だからトラップの瞬間に余裕なく、ただサイドに展開することだけに逸って早計なロン グボールを入れるだけ。確かにこんなのは自分のスタイルではないし、チームとして練習した形でもないのである。
(このチームのキャプテン、か……。今の動きじゃ、聞いて呆れるな)
 足の裏でボールを転がし、スパイク越しにその感触を確かめた。そして、自陣でのプレッシャーがないと見るや、中央をドリブルして敵陣へと侵入する。
 相手はほとんどが中央を固め、引いて守ってカウンターを狙っている。このままではパススペースはない。なら、掻きまわす。
 前に立ち塞がった相手を、上体を左右に振る簡単なフェイントでいなして、次に迫った敵にボールを遠ざけてキープ。二人が挟み込んでくるのを、身体を利用して時間を稼ぐと、近づいてきた啓一に預けてのワン・ツー。
 サッカー部の全員の視線が、祐人へと集中した。その瞬間、春輝がスペースへと飛び出して、手を挙げてボールを欲しがる。それを見逃さずに、インサイドで丁寧にパスを出した。
 ハッ、としたように敵がボールを視線で追う。そして、春輝がフリーであることに気付くと慌てて、彼の周囲へと殺到していった。
 春輝が厳しいマークを受けているのは、その実力が飛び抜けているからだが、ようやく訪れた2度目のボールタッチで、そのイマジネーションを存分に発揮して見せるのは、やはり特別な存在だと言う事を意識させてくれる。
 向かってくるボールに、ダイレクトでアウトフロントに当て、ワンタッチで軌道を変更。右サイドの深い部分へと速いボール。サイドバックとセンターバックの間を抜けたスルーパスは、高速で彼らの背後へと抜けた。
 それを察知していたのが利一である。全員がボールを追いかけた瞬間に走り出し、春輝が叩いた時にはトップスピードで、オフサイド・ラインのギリギリを意 識しながら猛然とダッシュ。普通は追いつけないと思うような高速のボールを、ゴールライン手前でトラップして、中を見る。
 右サイドの深い位置。ピッチの角に近い場所が基準となり、敵味方がゴール前に殺到する。フォワードの二人、伊佐樹と秋寛は、従順に相手のバックライン裏を狙ってくれた。
 利一が覚悟を決める。急ぎ迫ってきたサイドバックを横目に入れながら、余裕を持ってセンタリング。
 それが、予想を裏切って高く、速い。低身長のツートップを軽く追い越し、センターバックやキーパーも届かない状態で、マイナスの遠いところへと流れていって――
 ボールの着地地点に、輝が、いた。左右に揺さぶることで敵の目を引き付け、動きを鈍らせる。そして逆サイドに待ち受ける背番号10が、落ち行くボールを注視して、左足を振りかぶった。
 ガッ!
 固い、打撃音。同時に崩れ落ちる輝の、その痛々しい表情。背後から相手のボランチがスライディングタックル、軸足を刈り取って転倒させたのだ。
「っ、でぇぇ!」
 輝が叫び、右足を押さえる前に、甲高い笛の音が響き渡る。主審が駆け寄って6番を立たせると、迷わず胸ポケットからカードを取り出した。
「イエローかよ!」
 そう怒鳴ったのは伊佐樹だ。先程のプレーは一発退場に相当する危険行為だと、審判の一年生に詰め寄ったが、後輩は頑として首を振り、伊佐樹の怒りを冷まさせてはくれない。
 同時にボランチもまた、警告に不満らしく、審判へと苦情を言おうとする。その様子に祐人は駆け寄って、一先ず伊佐樹を引き離した。
「待て待て、伊佐樹。大丈夫だ、輝も大事はないっぽいし、そう怒るな」
 と目配せすると、その先には、まだ痛そうにはしているが、すでに立ち上がっている輝の姿があった。
 二人は苦笑を交換すると、伊佐樹もまた渋々と引き下がる。同時に当事者のボランチに、気を付けろよ、と釘を刺すことも忘れない。
 審判が、もう良いか、と目で訴えてきたので、それには頷いた。そうしてひと悶着が終わったところで、セットプレーへと移行するのだ。
 先程のファールはペナルティーエリアの外だった。そのため直接フリーキックとなるが、その距離はゴールまで約25メートル。利一のクロスは張り切りすぎである。
 相手が壁を作り、ゴール前に人間が入り乱れる様子を目にしながら、祐人はボールをプレースした。そして隣に立つ輝を見据えると、
「大丈夫か?」
 と聞いている。
「まぁ、プレーに影響ないけど、ちょっとジンジンするかな」
「じゃ、蹴れるか?」
「問題は無さそうだけどね。残念ながら、ここは譲ろう」
 彼の口元の、ニヒッ、とした笑みを見て、そうか、とだけ言った。
 それは感謝すべきことであり、同時に期待されている、ということでもある。
 相手キーパーの指示が収まった時、審判がキョロキョロしながら、笛を咥えた。祐人はボールから距離を取り、前傾姿勢。
 ピーッ、とキックを促す笛が鳴る。そして、壁の中に入った峻が、思いっきり相手を押してスペースを抉じ開けた。
 ボールからゴールまでの一本の道ができた。祐人は走り出し、さっきまでのモヤモヤを吹き飛ばすように右足を振り被り、一気に振り抜く。
 インステップがボールの中心をミートした感触が全身に伝わった時、彼は咆哮を発していたのだ。
「ヤマだキ―――――――――――――ック!」
 ゴッ!
 放たれたボールは一直線に、物凄いスピードで駆け抜けた。キーパーが弾道に手を伸ばすも、それよりも早くそこを掠めて、ファーサイドの上隅へと突き刺さり、サイドネットを豪快に揺らす。
 その様子を睨むような眼つきで見詰めた祐人だが、たとえ見ていなかったとしても、ゴールは確信していただろう。
 フッ、と鋭い呼気を放った後に、祐人は後ろを振り返り、両拳を天に掲げてガッツポーズ。そして、目線の先に居る真二へと、思いっきり舌を出して見せた。
 苦笑と同時に拳を突き出す真二。その様子を遠くに見ながらも、祐人は、背後に迫る仲間たちの圧力を感じていた。
BACK     目次     NEXT
SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送