第四章
 第十二話「勝負あったね」



  その後、サッカー部も一時だけ、落ち着きを取り戻した時間帯がある。ロングボールを9番が上手く収めて、囲まれる前にダイレクトで展開することで、ディ フェンダーの背後のスペースにボールを届けて見せたのだ。しかしそれは、キーパー海杜の積極果敢な飛び出しと、反射神経を活かしたファインセーブ、さらに は久々のチャンスに緊張した攻撃陣のミスなどで、尽く不発に終わってしまう。
 これに焦りを感じたのか、後半の半ば過ぎに、サッカー部は疲れの見えた6番と8番を下げ、フレッシュな選手を入れる交代策に打って出た。これにより中盤の守りをタイトに、攻撃の芽を摘もうという作戦である。
 しかし、これは結果的に、流れを断ち切る決定的なキッカケになってしまう。豊富な運動量でサイドを上下していた8番と、高度な戦術眼でフィルター役と配 給係を担っていた6番が抜けたことで、展開力が下がってしまったのだ。その上、試合感の少ない控えの交代選手は、このゲームのリズムに乗り切れずに、聖哉 たちの攻撃に対処できなくなってしまったのである。
 そうして生まれたのが逆転弾であり、左サイドでボールを受けた秋寛が中に切り込むと、寄って来た数人を充分に引き付けてからサイドのスペースに輝を走ら せたのである。ギリギリで追いついた輝が、正確な左足のセンタリングを上げるも、キーパーがパンチングで逃げてしまう。その零れ球をギリギリのスライディ ングでカットした春輝が聖哉に渡すと、速いパスが再び輝に届く。それを、ペナルティーの左隅手前からニアに折り返すと、飛び込んだ祐人が押し込んで、この 日ドッピエッタ、つまり2点目を記録したのである。
 この、技巧的なアウトフロントに引っ掛けたようなシュートが決まった時、場内はついぞ騒然となった。ピッチ上で飛び上がるホシノさんFCと、地面を見詰めるサッカー部員は当然だが、応援席のサッカー部員は頭を抱え、美玖たち4人は抱き合って喜びを表現したほどだ。
 だが、この歓喜の直後においても、彼らの集中力は切れなかった。再開後の不用意なパスミスを突いて、素早いカウンターを仕掛け、相手の大半を再び陣地に押し込めると、余裕を持ってサイドへの展開を進めていくのである。
 そして、サイドで張りながらもボールを待つ峻の瞳は、貪欲にゴールを狙って輝いているのだ。



 相手のプレッシャーを躱すために、祐人が聖哉の隣まで下がってくる。回ってきたボールをゆっくりキープし、縦に入れて戻ってきたそれを、今度は右の利一に渡した。
 この時、敵の頭の中には先の突破シーンが浮かんだのであろう、ボールを無理に奪いに行かず、峻へのパスコースを切るポジショニングを取ったのだ。
 それを見た利一がどうするのか。峻はそれを読み取り、とっとと行け、と言うようにサイドのスペースを空ける。
 利一は一気にギアをトップに上げ、初速でマーカーを一人、置き去りにした。
 峻が中央よりにポジションを取るころには、利一はさらにもう一人のディフェンダーを追い抜いて、サイドの深い位置で二人に囲まれてしまっていた。しかしタッチライン際で上手くボールを操ると、一人の股を抜いて突破し、ゴールラインとペナルティーのギリギリまで来たのだ。
 だが、中には相手の人数が揃っている。それを見て、利一は近づいてきた峻にボールを預けた。ただ、ゴール前を固める相手にパスコースが見付からないのは、峻とて同じである。
 だから、やや離れた位置に居る聖哉が近づいてきた時、そちらに身体を入れ替えたのだ。
(……よしっ!)
 しかし峻は、キックを空ぶらせて間を外すと、即座にゴール前に切れ込んでいくドリブルを開始する。
 完全に力を抜いていた数人が、突っ込んでくる峻に、身体の緊張を遅らせてしまった。慌てて囲みに来るところを、右足で左側に切り返すと、即座に左足に当てて反対側にボールを送り、密集地を抜け出すことに成功する。
 そこには、フリーランニングで右側に走っていった伊佐樹が作ったスペースがあった。スルーパスを警戒したセンターバックが引っ張られ、小さな空白地帯で峻はボールに届いたのである。
 飛び出してくるキーパーが見える。周囲のディフェンダーが重心を入れ替えてこちらを狙っている、その重圧をヒシヒシと感じつつ、彼は左足を踏ん張った。
 インサイドで丁寧に、軸足をしっかりと地面に食い込ませて、振り被った右足を思いっきり当てる。ドカッ、と響いた衝撃音の後に、強烈なシュートはキーパーの脇を越え、ファーのサイドネットに勢い良く突き刺さったのである。
「…………っ!」
 慣性に流されながら、倒れ込みそうになる身体を必死に制御しつつ、峻は自分の肺から空気が搾り出されるのを感じていた。
 ただ、ああ、入ったんだぁ、という感慨である。
 その形容し難い不思議な感覚は、自分の頭の中を真っ白に染め上げていて、空白時間には周囲がまるで存在していないかのような浮遊感を味わっていたのだ。
 だから、この後チームメートたちにメチャメチャに押し潰されることなど何も考え付かないで、ただそれでも樹理のことだけが浮かんできたのが、印象的だった。



 試合も終盤に差し掛かったこの時分、照り付ける強烈な直射日光と、日本特有の匂い立つかのような息苦しい湿気の中で、両チームのメンバーは極限まで体力を削られていた。
 特に、陣地に引いて守る敵を崩すためにあの手この手で動き回る聖哉たちは、普段が帰宅部の体力なしなことも相俟って、疲労度は驚くほどである。しかし、 攻めて勝っている、という心の余裕が、その疲労を幾分かは軽減させてくれていることも事実であり、それでもやはり若い彼らは、勝ちに回る頭のいいサッカー ができないのだ。
 だから、守勢を強いられることで精神的にも肉体的にも限界に差し迫ったサッカー部ではあるが、普段から厳しいトレーニングを積んできた彼らの方が、より元気を持っていたと言えるだろう。
 足の止まってきた聖哉たちが、スペースではなく味方その者を見てパスを出してしまった時、容易に間合いを詰められ、結果、ボールを奪われてしまったので ある。それでも単調な縦パスで逃れようとする状態であったから、センターフォワードへのチェックで対応できると思われた。
 だが、ボールカットに向かおうとした啓一が、疲労に足を縺れさせて膝をつくと、ボールをキープした9番に真二一人がマークせざるを得なくなった。そうな るとフィジカル面で優る相手にボールを奪えずに、好機とばかりに前線に駆け上がり始めたサッカー部への、全体の反応が遅れてしまう。
 そうして、ラインギリギリを抜け出した左サイドの和真にボールが渡ると、素早いクイックネスに置いて行かれたディフェンダーが誰も進路を防げず、広いスペースを独走された挙句、守備の人数が不足した状態になってしまったのである。
 あとは、数的不利に迷いが生じた中央の隙を付いてキーパーとの一対一に持ち込まれると、海杜の反対を付く巧みなシュートフェイントからニアに押し込まれて、簡単に一点差へと戻されてしまったのだ。
 この、追いかけられる失点により、ホシノさんFCの面々に精神的な重圧がかかる。それは忘れていた疲労を呼び起こし、彼らに余計な緊張感を与えてしまう のだ。特に最少得点差にされてしまった事で、相手は追い上げの気概に奮起する上、こちらはその迫力に圧されて精神的な劣勢状態に追い込まれてしまう。事 実、ゴールよりしばらくは再び、防戦に回る時間帯が増えてしまったのである。
 だが、ここで集中力を切らさなかったのが守備リーダーの真二であり、ゴールキーパーの海杜であり、後半からピッチに立ったことで体力に余裕のある聖哉な のである。高度な戦術眼で危険を予測する真二と、持ち前のセンスでビックセーブを連発する海杜の働きは何度も危機から救ってくれた。そして聖哉は、アン カーマンとして中盤の守備を一手に引き受けることで、前半にはまるでイングランド代表でランパードとジェラードが横並びで共存できなかったように、攻守に 遠慮があった祐人と春輝のピボーテ・コンビを開放し、二人の、戦術の制約に縛られない自由な動きによるボール支配率とチャンス増加に一役買っているのだ。 これは危険を防ぐ為の最高の手段であるのは前述の通りであるが、地味な黒子役を周囲との連携で黙々と勤め上げる聖哉の姿は大袈裟に言えば、ギャレス・バ リーかヤヤ・トゥーレを想起させるものですらあった。
 そして、厳しい時間帯を切り抜けた彼らは、ラインを下げた状態から無理に前線に大きくクリアするという苦肉の策を取ることになる。が、一度はクリアされ たセカンドボールを拾って丁寧にパスを繋ぐことで先程までのポゼッションを復活させ、相手がゴール前に並ぶ状態を作り出した。しかしサッカー部攻撃陣が攻 めに逸っている為に中盤が間延びし、大きなスペースが空いたのを見て、聖哉がそこに飛び出したのだ。春輝がポジションを下げながら聖哉の進路にボールを渡 すと、彼はシュートコースをむりやり見つけ、ノートラップでインステップにボールを当てた。
 衝撃音が、鈍い。伸びてくるような速さのミドルシュートを、キーパーが堪らず両手で弾くと、そこにはいち早く反応していた伊佐樹がいたのだ。
 倒れこんだキーパーを嘲笑うかのような、簡単なボレーでゴールマウスに押し込んだ伊佐樹は、この日2点目、勝負を決定付けるゴールを刻んだのである。灼熱の中で最後まで集中力を切らさず、嗅覚で得点を掠め取る感覚は、もはや流石は和製ピッポ、としか形容の仕様も無い。
 こうして、聖哉たちホシノさんFCは、サッカー部との面子をかけた試合をモノにしたのである。
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