エピローグ 「The long and winding road」 あのサッカー部との決戦から二日後。 翌日に来た急激で苛烈を極めた筋肉痛から、何とかかんとか身体を動かせる程には回復した帰宅部もどきの8人+サッカー部で身体を鍛えている海杜、春輝、 秋寛の3人、つまり即日解散した『チーム・FCホシノさん』のメンバーたち。彼らはヒーコラヒーコラ言いながら、痛む節々を引き摺りつつ、祐人の家へと集 合して見せたのである。スゴイ根性ですね、ある意味で。 その目的はもちろん、かの試合の反省会&祝勝会、そして嬉し恥ずかしドッキドキの、罰ゲーム者発表の為なのであった。 現在、その宴会場と化した祐人部屋は、反省などする前から浮かれまくりの諸君らによって、盛り上がりに盛り上がっている最中である。普段は冷静沈着で的 確な判断力をもった祐人も、変なスイッチが入ってテンションが上がった現在は、この狂乱を止めるどころか、峻や啓一の飲み物に生クリームや山葵、七味唐辛 子、マシュマロetcを放り込んでは悲劇を誘発する性質の悪い人間と化しているので、この興奮の坩堝を止められる者はいない状態なのであった。なのであっ た。 「うーむ……」 眼前で繰り広げられる乱痴気騒ぎを横目に、緑茶の入ったコップをクイッと煽って唸る聖哉の姿。しかしこれは、特別、彼が冷静だという訳ではない。疲労し た筋肉の筋が乳酸の分解になんだかかんだかで再生される過程の、その未だ取れない痛みに眉を顰めて我慢するだけの、何ともマヌケなぎこちなさを憂いただけ の事なのだ。つまり筋肉痛です。 「午前中からこんな騒いで、良いのかね?」 横に座る真二のクールさは相変わらずで、それはもはや冷静と言うよりもドライな乾燥シイタケの如しなのだが、そんな彼も焼き鳥を咥えて刺身に手を出す食魔人ぶりを見る限り、テンションは往々にして高いようである。 「うむ、まぁ、家の人が許してくれている奇跡には、とても感謝しなければならないよな」 と呟いてしまう聖哉くん。早い昼飯にと、大量に買い込んできたスーパーのお惣菜は、アルコールなど無くても宴会が開けることを証明してくれる、偉大な道具なのだなぁ、と関心しきりである。 そして二人は、ワー、ギャー、止めろー、うひゃひゃー、ギエーッ、などの悲鳴と笑い声と奇声が飛び交うカオスな惨状を目の当たりにしながらも、このイカそうめんサイコー、と新鮮なお刺身に舌鼓、なのである。 そんな、ウダウダでグダグダな空気が暫く場を支配した後。 ふふん、そろそろ頃合だな、と言う感じで立ち上がるダビドさん、いやいや多比都 輝の姿があった。 「あー、あ〜、マイクテス、マイクテス。本日は晴天なり。ニイタカヤマノボレ」 と、マイクを持つ風なポーズで小ボケをかます輝の勇姿。しかし、それに気付いているのは恐らく、ウダウダしている聖哉と真二、そしてトイレから帰ってきたばかりの春輝くらいのものだろう。 「よーっし、お前ら注目! 今からオレ様が、素敵で不敵なありがた〜い演説を始めて遣わすぞ!」 と大声で呼びかける輝だが、その声は当然のように、ハイテンション宴会中の皆様には届かないのである。 なので暫く、おーい、こっち向けー、皆のものー? であえであえー! などと困惑しつつ集団に呼びかける悲しい光景が繰り広げられることになるが、これは秘密だ。 そういう訳で、最終的には堪忍袋の緒が切れた輝が、手近にあった硬そうな物をブン投げて、事態の収拾に乗り出す羽目になるのである。 という訳で、レッツ・投擲☆ ぶんっ ガコッ! 「ほげっ!?」 と奇声を上げて倒れたのは伊佐樹である。悲劇である。 その様子を、あー、と遠巻きに見詰める聖哉の瞳も、心なしか哀愁に溢れているのだ。というか同情ですね。 「な、何すんだよトレー! なんか飛んできたぞ!」 と、投げられた百科事典の本が転がる床を尻目に、涙目で訴える伊佐樹くん。額がパックリ割れて、中からドバドバと溢れる血流を右手の平だけで押し止めよ うと言う猛者の振る舞いに、辺り一面は血の海である。件の背表紙に『か〜けぇ』とある百科事典の角は、彼の血液にどす黒く汚れ、なんだか物凄いサスペンス 風味が漂う光景であった。 なので皆、そのホラーな風景に押し黙ってしまうのである。策士ですね、トレさんは。 「はっはっはっ、てめぇらがうるせぇから、俺も実力行使に出ざるを得なかったのだよ。許せ」 あくまで爽やかに悪役笑いの輝であった。 そんな、反省の色の欠片もない少年の態度に伊佐樹は、 「ったく、ヒデェことしやがるぜトレゼゲットめ、ゲットー野郎め、怪我ばっかしてねぇで試合に出ろっつの」 自分の怪我を省みることなく、ぶつぶつと文句を呟きながらも素直に座り直すのだった。頑丈ですね。 さて。そんな突発的猟奇殺人の未遂事件が起きた現場で、周りの人間は日本人特有の見て見ぬフリを決め込む事にして、全員が輝の方へと向き直る。薄情である。 「ふむ」 室内の視線が集中したことに、満足そうな笑みを浮かべた輝は、一つの頷きの後に演説を開始するのだ。 「まずは皆、こないだはお疲れさん。無事、一人の怪我人も出すことなく、サッカー部の嘗めた後輩共をギャフンと言わせられたことを、誇りに思うぞ」 にこやかな笑みでうんうんと頷く輝。先日、徒手空拳で膵臓に被害を受けた可哀想な啓一くんのことは、誰も口には出さないのだ。ちなみに今も血を流し続ける伊佐樹のことも。 あと、ギャフンと言わすって、もはや死語だよね。 ただ、誰もが抱く疑問に関して、輝は全てにノータッチである。 「俺は感動している。みんなの健闘に加えて、ヒラリーちゃんが国務長官に就任したお祝いも、今ここで宣言させていただく次第なのだ、それくらいの感動だ」 「いやいや、ヒラリーちゃんの入閣って、随分と前の話だぞ?」 自信満々に胸を張る輝。祐人の冷静なツッコミもどこ吹く風で、まだまだ演説は続くのだ。そして聖哉の頭の中には、オバマさん大統領就任に併せて、大統領 選での敗北と国務長官就任を(何故か)報告させられていた、彼のクラスの某副担任の困惑顔が思い出されてしまうのであった。 それはどうでも良いとして。 「よおーっし! それでは今日も恒例、『試合でもやっぱり輝くことができなかったでshow!』な者を発表する! そいつは罰ゲームやってもらうからな!」 心底から嬉しそうに、本人的な本題に入る輝のテンションはだだ上がりである。そして、なんだか嫌な予感に全身をヒシヒシさせている場のムードはだだ下が りである。特に前回、やたらヒドイ目に会った祐人などは、顔面蒼白で天を仰ぎながら、神に祈る言葉を捧げている始末であった。 ウキウキワクワク、ドキドキドックン、待ちきれない様子でソワソワ興奮しながら、「誰かなー、誰なのかなー?」なんてワザとらしく間を取る輝の、とても 輝きに満ちた表情は何なのか。もはや、サンタさんにお願い事を書いた手紙を出したばかりの子供の様子を凌駕する、そんな雰囲気なのであった。 ゴクン、と全員の喉が緊張に生唾飲み込んだころだった。 「ほんじゃ、今回の『サイキで賞』を発表するぞ! そいつの名はずばり、岩崎 真二! お前だ〜!」 「………………はっ?」 うはは〜、と浮かれながら指差した輝と、状況が飲み込めず呆けた声を出す真二。二人の表情は、正しく天と地ほどの差があったことだろう。 そんな二人の視線が交錯しつづける事およそ数秒あまり。 ちょーっとばかし沈黙に耐えられなくなった聖哉たちが、あの〜、と一斉に発しようとした時に、真二が現実へと帰還するのであった。 「なっ、……待―――――――――――っ!?」 と大声で叫んだ後に、 「えっ、ちょっ、俺かよ!? な、バカな! それなりにやってたじゃねぇか、他に駄目だった奴はまだまだ多いだろうが!?」 と、まるでリカルド・カルヴァーリョのチ○コを踏んづけて一発レッドを喰らった06年のルーニーの如く、やり場の無い怒りに任せて猛抗議する真二くん。 今にも、伝説のキング・カントナばりのカンフー・キックを輝に仕掛けそうなくらいに、納得のいかない判定に不服を申し立てているのである。 しかし、当の輝はどこ吹く風、とでも言いたげに聞き流す構えであった。 「ふふふふふん、そんな事を言っても無駄なのだよ、残念ながらこれは決定事項だ。前回の祐人の時も言ったが、これに関して俺が全てであり、その効力は悪名高き『児ポ法改悪』の如き、許しがたくても受け入れねばならない、絶対の掟なのだ、ふはははははっ」 「こ、この野郎! 理由を言いやがれ、ファ●キンサノ●のくそったれダビドめ! 場合によっちゃあ――ムっ殺す!」 と、いつもはクールな真二くんも、爽やかに悪役笑いの輝さんに放送禁止用語を垂れ流しで怒鳴り散らす始末であった。そんな、普段は自分に利害が及ばない 範囲に薄情な真二君も、自分に火の粉が掛かってきたら容赦なく不当を訴え感情を爆発させる、実はとっても利己主義で性質の悪い性格なのであった。であっ た。まる。 「ま、まぁまぁまぁまぁまぁまぁ。どうどうどうどうどう、落ち着こうぜ真二、とりあえず理由を聞こう」 ついにはオンドゥル語まで飛び出してきた、カッサナーテ全開の真二の様子に、必死になって聖哉が宥めにかかる。少しずつ落ち着きを取り戻した真二は、それでも不満全開の表情であったが、渋々という感じで座りなおしてくれたのだった。 ふうっ、と言う感じで服の乱れを直す輝。いや、服、乱れてないけど。 「やれやれ、まだまだ自分の活躍できなかった加減を理解できて無い様だな、ムッシュー。我々は、攻撃陣の奮闘によって6点を取ることができたものの、実際には4点も取られていたんだぞ? これを守備崩壊と言わずしてなんというのか」 「いや、まぁ、確かにそうだが……。でもだからって、失点の原因を俺にだけ押し付けられても困る」 「ふふん、だが実際には、これはお前の責任だ。残念ながら、守備陣のリーダー役は真二、お前に任されていたんだからな」 むぅ、と真二は渋い顔。実はちょっと痛い所を突かれたなぁ、と思っているのである。 「それにだぞ。前半と後半で、我々はシステム配置を変更した。失点原因の大半を負わされるキーパーは交代し、コンビを組んだ峻は前線へ、サイドバックもそれぞれ位置を変えている」 ちょっと偉そうに腕を組みながら、尊大に顎を反らせた輝は、大仰に真二の方へと目を向ける。そして、口を噤んだ彼に人差し指を突きつけると、 「つまり、最終ラインで唯一、お前だけがポジションを変えていないのだ! それが、大量失点の責任を真二が負うべき理由なのだよ!」 なんか片足立ちの変なポーズで結論を叫ぶ輝の姿。ちょっとマヌケな光景ながら、真二は悔しそうに視線を逸らした。 実は彼も、そのことについては考えていたのだ。ラインを統率すべき自分が、何度も裏を取られてゴールを許した。そういう思いに奥歯を噛むのは、責任感の強い彼の痛感が現れているという事である。 「なんか、ムチャクチャ言ってねぇ?」 「そうだよね。それなら、何度もマークマンの和真に振り切られてきた啓一の方が、責任は重いと思うけど」 「わ、しーっ! せっかく皆が黙ってるんだから、それを掘り返すのは止めてー!」 海杜と祐人の呟きに、大慌てする啓一の声が小さく響く中、ぐったりと真二が首を縦に振る。 「わかったよ……確かにそれは、反省してる。今回は俺が罰ゲームを受けるよ」 先程の勢いとは打って変わって、観念したような声で返事をする真二。不当な扱いや巻き添えを食うなどの事態には烈火の如く怒りを露わにするが、しっかり と納得できる理由があればそれを受け止める、そういう素直な心根もまた、真二の特徴である。だから皆が彼を信頼しているのである。 「ふふふ、ようやく自分の立場を弁えたようだな。よぉし、聖哉! 真二には後日、あの罰ゲームを遂行してもらうことにするぞ!」 「お、おう、分かった。今回も俺が見張り役な」 「あ〜、でもチクショウ! シャーイセ! やっぱ悔しい、でも、納得しちゃう!」 などと悲喜交々、罰ゲームに携わる人間がハイテンションなリアクションを繰り広げる中。 輝の演説の終わりを察知した面々は、思い思いに他の話題へと移ることにするのである。 「いや〜、それにしても峻くん、君、もうちょっと捻ろうよ」 啓一が唐突に、そんな事を言ってくる。それに峻は、手羽先のカリッと揚がった皮に齧り付いたまま、キョトンと目を瞬かせていた。 それに同調するように祐人が、 「まったくだぞ、なんだあの『抱き締めたい』をそのままパクった告白は」 と言うと、次いで海杜やら春輝やらが、 「いやはや、よくもまぁ恥ずかしげもなく、あんな古い歌の歌詞をそのまま使ったよな」 「良くあれでオッケーでたもんですよね。木橋さんって、実はスゴイ大物?」 「ってかあれ、絶対に分かってない顔だったよな。パクリだって知ったらどうなるかね?」 「自分の言葉じゃない告白って、軽いよね」 やんややんやと非難の嵐。ついにはヒモ野郎の伊佐樹にまで軽いとか言われる始末である。やれやれと肩を竦めるピッポウに、全員がツッコミを入れるべきか逡巡するのだが、それはまぁ良いとして。 「…………えっ?」 目が点、な峻くんは、正しく状況を把握できてない呆けた表情をしていた。そしてその顔が、ギギギ、と錆び付いた擬音とともに、気まずそうな顔の聖哉へと向かう。 「……ごめん、峻くん。隠し切れなかった」 全部見てたんだ、しかもみんなで。そう続いた聖哉の声に、峻の瞳は驚愕の余り大きく見開かれる。 「いやー、まさかあんな文句で告白とは、常人離れしたセンスだったよ峻くん!」 「色んな意味で脱帽だったよな。俺にはとても真似できないってか」 いつの間にか会話に入っていた輝と真二。二人のニヤニヤ笑いは峻の衝撃に追い討ちをかけ、彼の身体はガクガクと、真冬のシベリアに強行軍したナポレオン 軍の兵士のような、一種の錯乱にも近いくらいの震えが走り始めるのである。もう、今にも服を脱ぎ捨てて全裸で奇声を発しながら駆け回りそうなくらいの、凄 まじい振動ぶりであった。 「ア、アバ、アバババラバダバララガバダダダダダダ…………!?」 ついには奇声を発し始めたではないか。 「あ、あれ? おーい、峻くーん?」 「な、なんかヤバイ雰囲気っぽくね?」 「う、うわっ、瞳孔が、瞳孔が散大しよるぞ!」 「ぎ、ぎゃーす! しっかりしろギャラス! 目を覚ませウィリアムー!」 などと、ただならぬ峻の様子に周囲が騒然とし始める中、当の本人はもう、恥ずかしいやらショックやら屈辱やらで、脳内の情報処理が訳の分からない状態になってしまっているのである。 だから、周りの喧騒など聞こえない程の揺さぶりの中で、彼の瞳は虚空の幻想へとテレポし、飛翔する世界の中でまさに意識が昇華されんとしていた。 つまり完全に昇天したドタマの状態で発する言葉は、 「オラ、ムーチョ、グスト、……マグロダイブ――――――――――――――――――ッ!」 というトランスした謎の絶叫だけだったのである。 こうして、彼らの宴は盛況のうちに、峻のプライバシーという犠牲だけを残して幕を閉じたのであった。 いやぁ、若いって、良いね。←爽やか * ふうっ。 と思わず漏れてしまう溜息は、先程の疲れが心底から蓄積されていたからである。 反省報告宴会で思いっきり個人の権利を侵害された峻は、その圧倒的な心的ダメージに膨大な疲労感を抱えながらも、節々に走る筋肉痛を押して、なんとかかんとか家まで帰りついたのであった。 いやはやもう、何かやたら疲れたのである。 (でもまぁ……) そんな疲れも消し飛ぶ、嬉しいサプライズもまた用意されていたのは、予想外だった。実は本人もやや浮かれていたのだが、本日は峻の誕生日なのであった。 今か今かとソワソワしていたのに、会った時から皆に無視されていたので、もう忘れられてるんじゃないか、と諦めかけていた帰り際。みんなから、さり気無く 新聞紙を四つに折ったくらいの大きな箱を渡され、『バースデイ』の大合唱をされてしまったのだ。←しかもビートルズの 喜びに感涙する峻に、聖哉がそっと近づいて、「恥ずかしいから、家に帰ってから開けてね……」と赤面に恥じらいを乗せて囁いてくるものだから、ちょっとだけ感じた嫌な予感を押し込めて、とても楽しみにしていたのである。まぁ、別れ際の、 「I`m glad it`s your birhday. Happy birthday to you!」 つまり、君の誕生日で僕も嬉しい、ハッピーバースデイ峻くん! というメッセージには、全員の瞳に不審な光は無かったので、まぁそれなりに安心してはい たのだった。そういう訳なので、峻は思わずランニング状態で静止してしまえるほどのテンションで家に帰ってきて、プレゼントの中身を今か今かと確認した がっていたのだ。 「ふんふふんふふ〜ん、さって、何が入っているのかなー?」 と鼻歌なんぞを鼻ずさみながら、待ちきれない様子で、玄関にて開封作業に移るウキウキ峻くん。律儀に家に帰ってから開ける辺り、マジメですねぇ。 ふんふふー、ふふーふふーん、と鼻歌も最終局面に達した辺りで、リボンと包装を解いて上箱を持ち上げてみる。すると中に入っていたのは! なんと! 「これは……切り株!」 もとい、バームクーヘンという奴であった。まるまるデカイのが一個。 ………………。 (何故にバウム?) と疑問に思いつつ、ご丁寧に18本も入っている蝋燭やら、ちょっと小さいんじゃないかい、とツッコミたくなるお手拭やらを確認すると、やはりバームクーヘンはバームクーヘンだけであった。生クリームもチョコもない、普通の小麦色のお菓子である。 殺風景だなぁ、と思いつつも、ふと手紙が同封されているのを見つけて、どれどれと何気なく開いてみる。 「え〜、と、『どぅぉうふふふふふ、神よ、我らが神よ……我らの願いを叶えておくれよ、素敵で不敵な小麦色の美しいバウムクーヘンよ、何故に艶やかで欲情 を刺激する曲線を描いているのだ、我らが黄金の丸い食べ物よ。貴方は最高だ、空洞バンザイ! 折り重なってマンセー!』……」 そして、切り株みたいで、ウラー! と、その様に、書いてあるのだ。 ………………。 「ふふ、あいつら、小憎らしい演出しやがって……!」 そういう峻の瞳には、静かに光る感動の涙があったのだった。 峻は浮いた涙を拭いつつ、友人たちの果てしない友情に、感謝の念を抱くのである。 いや、これの何処に感動したのかとか聞かれても分からないけれど、そこは彼ら独特の価値観と言うもので、つまりそれこそが、切り株みたいでウラー、なのである。である。まる。 「さーってと、……痛たたっ」 立ち上がる動作だけで太腿と背中の筋肉繊維を痛めつつも、峻は大切そうに箱を閉めて、後で食べよう、と笑顔であった。宴会で惣菜やら菓子やらをたらふく食したので、今は満腹なんですね。 ふっふっふーん、とまたまた上機嫌な鼻歌を鼻ずさみ始めた所で、今度は玄関のチャイムが鳴った。 ピンポーン。 一般的な呼び鈴である。 おや、と思った峻は、両手に持った箱に視線を落とす。少しの逡巡のあと、まずはこれを置いてこよう、と隣の居間へと足を向けた。 そしてそこで、もう一度、チャイムが鳴る。 ピンポーン。 「はいはーい、ちょっと待ってくださいねー」 居間に入って、テーブルにケーキを置こうとしながら、そう叫ぶのである。箱を乗せた直後に、峻の耳には声が聞こえた。 「ご、ごめんくださーい」 「!」 テレン、と峻の頭の上にマークが点灯した。 「じ、樹理ちゃん!?」 ドア越しのか細い声ながらも、愛しい少女の声音を聞き間違えることなどないのである。彼は速攻、踵を返すと、大急ぎで玄関へと走っていくのだ。 ドタドタドタ。 ガチャッ。 「……あ、峻」 扉の奥には紛れも無く、短めの髪に大きな瞳、ぷっくらした唇とちょこんとした鼻の、小さくて可愛い峻の愛しの女の子が立っていたのだ。 「や、やぁ」 感動と興奮に、思わず上擦った声で、だけれどそんな普通にしか挨拶が出来なかった。告白してから二日、付き合い始めてからもそれしか経っていないから か、面と向かって会うのは少し気恥ずかしい。それに昨日は、情けない事に全身の筋肉痛に悩まされ続け、結局、樹理に会っていなかったのだ。電話で話はした けれど、実はあれから顔を合わせるのは初めてなのである。 樹理もそういう恥ずかしさがあるのか、頬を朱に染めながら伏し目がちに、 「えと、こんにちは、峻」 と言うに留まる。 「う、うん。こんにちは樹理ちゃん」 峻はちょっと言葉を淀ませたが、それは純粋に、小さな身体をより小さくしている樹理がとても可愛いという、そんな邪まな気持ちが働いたからである。 だからそれを悟られないようにと、無駄に話題を探そうとするのは仕方のない事なのであった。 「あ、えと、その……来てくれてありがとう、凄く嬉しいよ。それで、どうしたの?」 遠慮会釈ない言い方になってしまうのは、女性との交際経験が浅いからでもあるし、元々の峻が空気の読める器用なタイプではないからである。 ただ、樹理はそんなポンコツ峻くんの失礼具合を流してくれて、慌てたように口を開くのだった。 「う、うん。その、ね、今日は……えと、峻、今日、誕生日でしょ。おめでと、て言いたくて」 そのセリフに、峻の気持ちは天にも昇るほどの上昇気流を巻き起こしたのであった。 「あ、ありがとう! 憶えててくれたんだ!」 「そりゃ、大事なこと、だもん。忘れるわけないでしょ」 照れたように顔を背ける樹理がさらに可愛い。だが彼女は、それでね、と続けてくれたのだ。 「えと、プレゼント、用意したの。ケーキだけど、焼いたから、食べて欲しい、な」 そっ、と手元を差し出す少女。その時になって始めて、峻は、彼女が箱を持っていることに気付いた。それだけ樹理の顔を注視していたということで、つまり浮かれバカである。 「わ、ありがとう! 嬉しい、よ――」 と言い掛けて、瞬時に掘り起こされる過去の記憶。あれはもう5年かそこらほど前か。当時の峻は、樹理が始めて作ったケーキを目の当たりにして、その独創 的な色合いと形、そして信じ難いほど脳髄を刺激してくれる、濃厚で淡白で芳醇で過激な、まるでカセットテープのA面とB面を逆にセットして再生した奇妙な 響きの如き、もはや味では例えることのできないほどの感触をリアルに再現してしまい、非常にアレな渋い表情を浮かべてしまう。 そんな峻くんの顔色を見て、カンのいい樹理は、彼が何を考えたのか理解したのだろう。 「あのねぇ、あたしがあれから、何の成長もしてないと思ったわけ? 中学に入った頃のクッキーは人並みだったでしょ。そのケーキだって、ある程度は美味しくできたつもりなのよ」 と、途端に頬を膨らませてしまう。 彼女が少し不機嫌になってしまった、そんなことはカンの悪い峻くんにもすぐに察しがついたので、フォローはより慌しい。 「いや、あははっ。そんな事は心配してないよ。ただ、ちょっとお腹一杯だから、今は食べられないな、て思って……」 「あ、……そうなんだ」 樹理が、寂しそうな笑顔を浮かべてしまう。そこで、彼女の目の下に浮いたクマに気付いて、もしかしたらこのケーキは本当に一生懸命に作ってくれたものなのかもしれない、と思い至った。 「じゃあ、後で食べてよ。感想、待ってるから――」 そう言って、箱を押し付けて帰ろうとする樹理の素振りに、思わず腕を掴んでしまう。 だって彼女の心遣いが、こんなにも愛おしい。 「待って。いま、家族は誰もいないし、しばらく弟たちも帰ってこないよ。だから……上がってってよ」 思いのほか簡単に、峻はその言葉を伝えていた。 そして、その意味するところに気付いた樹理は、耳まで真っ赤になるほど顔を染めると、おずおずと、覚悟を決めたように頷いてくれた。 「う、うん……」 「よかった」 峻は笑顔で、樹理を家の中へと招き入れた。 そして。 パタン、と閉まる扉の奥には、ぴったり寄り添って玄関を上がる二人の姿があったのだ。 長いすれ違いの果てに結ばれた幼なじみ、この2人の行く末に、永遠の幸福がありますように―― * 長く曲がりくねった道は きみの扉へとつづいている 決して消えることがない 以前にも見たことのある道 いつもここに導いてくれる きみの扉に導いておくれ The long and winding road ―end― (出典:『ザ・ビートルズ レット・イット・ビー...ネイキッド』) |
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