一 「きっかけ」


 自動開閉式のスライドドアが開き、二人は外へと足を踏み出した。
「あー、やっと着いたぁっ!」
 青空の下、大きく背伸びをしながら、少年が声を上げた。
 シャツとジャケットにジーパンというラフな服装の少年だ。やや長めの前髪の下、額には紺色のバンダナを巻いている。変わっているのは、バンダナを右のこめかみの辺りで縛っている事だろう。顔の右側に、二十センチほどバンダナを垂らしているのだ。また、両腕には厚さ三センチ、長さ十センチ程もあるリストバンドを付けている。特徴的なのは、そのリストバンドの手首の裏と背の部分にそれぞれ蓋のようなオブジェがついている事だ。そして、手には指抜きの黒い手袋を付けている。
「全く、これだから移動ってのは厭だよな。時間も金もかかる」
 少年は背伸びをしたまま、腰を左右へ曲げて間接を解すような仕草をする。
「文句を言うな、費用を出している訳ではないだろう」
 少年の後方から隣へと、青年が歩み出てきた。
 バンダナの少年よりも一回りほど長身で、薄手のコートを身に着けている。長い髪を気にした様子もなく、背に垂らしている。前髪も長く、目に掛かるほどだ。切れ長の双眸に、落ち着いた雰囲気を持っている。
「入国審査も嫌いなんだよな、時間かかるし面倒だし」
「ノア」
 苦笑を浮かべて振り返る少年に、青年は非難するような視線を向けた。
 ノア・ウィルバード。それが少年の名前だ。
「分かってる。仕事はちゃんとやるさ。デイヴ」
 ノアが溜め息交じりに言葉を投げる。
「誰だ、それは?」
「お前だよ。名前言い辛いじゃん」
「……勝手にしろ」
 真顔で言うノアに、青年が溜め息交じりに呟いた。
 ディヴィエイト。本名ではないが、ある一点からの記憶を失っている彼を指す言葉だ。
「しっかし、厄介な仕事するはめになったよなぁ」
 ノアが呟く。
 地球上に存在する九十パーセント以上の陸地が海に沈んでから一世紀以上が過ぎた。環境の激変による海面の上昇と地殻変動により、陸地のほとんどが海底となり、人類は生活圏を別の場所に移さざるを得なくなった。
 即ち、空へ。
 当初は海上に人工の島を造るという計画案も出されていた。しかし、環境の激変は地表での天候や海流を乱し、人工島の維持が厳しいという結論が導き出されたのである。
 陸地の消失が深刻化した頃から、人類は超大型の船を建造した。最新鋭の技術を詰め込み、反重力を発生させる事で浮遊する空母を。人間は、その上に生活圏を築いた。
 文字通り、人類にとって空の母になったのだ。
 見渡せば、特殊鉄鋼で覆われた地面に、角張った外観の街並み。陸地がまだ十分にあった頃の都市からは想像もできない集落が、空母の上には存在していた。木や草や土といった、いわゆる自然は全くと言って良いほど存在せず、大気は空母の機構で精製している。人工が絶えず変動する人類を支えるためには、『自然』のスペースを空母の中に作り出す事も難しい。せいぜい、公園やテーマパークなど、一部の場所に存在する程度だ。
「見た目は他のとこと変わらないな」
 囁くような声で呟き、ノアは周囲に視線を廻らせた。
 ノア達が辿り着いた空母都市『ヘヴン』は世界の中央からは比較的離れた場所に位置する。空母自体が巨大なため、都市一つで国という概念が成立する。経済単位を国とするなら、空母都市はそれ一つで『国』と呼べるのだ。
「空母の差異はどうあれ、大抵の構造は変わらないからだろう」
 ディヴィエイトは呟き、歩き出した。
「戦時中とは思えねぇなぁ……」
 ディヴィエイトの後を追い、ノアも歩き出す。
 数年前から、世界規模の戦争が起きていた。人類が空へと移住してから一世紀が経ち、生活が落ち着いてきた事がきっかけだと言われている。艦の上に都市を作ったとはいえ、空母は戦闘にも用いる事が可能な設計がなされているのだ。国とも呼べる都市そのものを用いて攻撃とはいかないが、防衛という意味でなら戦闘も可能である。もっとも、都市に乗り込まれてしまえば、その防衛力もほぼ無力に等しいわけだが。
「中枢区域からだいぶ離れているようだからな」
「確か、二年前ぐらいに離れたんだっけか」
 ディヴィエイトの言葉にノアは周囲を見回しながら答える。
 中枢区域、それは現在の世界の中心だ。世界の中で最大の空母の上に存在する都市が、今、実質的に世界を動かしている。空へと移住してから、他の空母都市を纏め上げて連合国家を作り出し、世界を安定させた都市だ。
 今起きている戦争は、連合国家と、そこから離反した都市群との間で起きている。独立を望む都市群を相手に、連合国家の都市群が争っているのだ。戦争とはいえ、空母都市に乗り込まれる事はほとんどなく、周辺空域での小競り合いが続いている。
 空母都市『ヘヴン』は連合国家側に属し、数年前までは中枢区域に近い位置にあった。しかし、一時期、戦争が激化した際に空襲を受け、それ以来『ヘヴン』は中枢区域を離れたのである。
「らしいな」
 ディヴィエイトが頷く。はっきりと断言しないのは、ディヴィエイトの記憶がないためだ。一般教養や世界情勢として、知識を得てはいるが、彼はリアルタイムに知識を得て来た訳ではない。
「景色見て何か思い出したりはしたのか?」
「いや、今の所は何も……」
 ノアの問いに、ディヴィエイトが言葉を濁した。
 元々、ノアとディヴィエイトは知り合いではない。今回の仕事のために組む事になった、一時的なパートナーでしかない。ノアにとっては、上司がディヴィエイトと組んで仕事をしろ、と言って来ただけだ。ただ、ここに来るまでに会話をした限りでは、ディヴィエイトはこの仕事に自ら志願したらしい。
 ヘヴン、という言葉がディヴィエイトにとって記憶の手がかりになるかもしれないのだと、彼はノアに語った。何一つ思い出せない状況で、ヘヴンという単語が引っ掛かったらしい。
「まさか、ここが故郷だった、とかじゃねぇよな?」
「さぁな」
 ディヴィエイトが肩を竦める。
 有り得る話だ。何かしら、ディヴィエイトとヘヴンに関わりがあるとして、最も有力なのは「ここが彼の故郷である」という結論だ。
「裏切られても困るぜ?」
 苦笑交じりのノアの言葉に、ディヴィエイトは何も答えなかった。
 頭の後ろで両手を組んで、ノアは周囲を見ながらディヴィエイトの後をついて行った。
 ノアは道路脇の歩道を歩きながら街並みを眺める。道路も歩道も、特殊金属で覆われた空母都市の一般的な道だ。それと同様の金属を用いて作られた、角張った建物が並んでいる。反射防止剤を用いられた金属は、光を反射していない。他の都市とほとんど変わりのない街並みだ。
「ん、なんだあれ?」
 不意に、ノアの目に止まったのは、街中にある大型のモニターだった。
 映し出されていたのは、一人の少女だ。栗色の長い髪と細められた優しげな眼差し。透き通るような白い肌に、華奢な体付きの少女。薄青色のワンピースとストールを身に着け、テレビ番組の司会者らしい人と言葉を交わしている。遠過ぎて声は聞こえないが、少女の雰囲気は穏やかなものだ。
 ヘヴンのアイドルの一人といったところだろう。名前が分からない事を考えれば、世界的に有名な人物であるとは思えない。
「どうした?」
「いや、好みのタイプだなぁ、って……」
「馬鹿言ってないで、行くぞ」
「あ、おい! 待てよ!」
 溜め息をついて歩き出すディヴィエイトを、ノアは慌てて追った。
「で、どうするんだ?」
 人気のない路地裏に差し掛かった辺りで、ノアはディヴィエイトに声をかけた。
「宿を探して、それから考えよう」
「まぁ、ゆっくりできる場所で、っていうのは賛成だな」
 ディヴィエイトの返答にノアは頷く。
 二人にはやらなければならない仕事がまだ数多くある。ただ、多過ぎてどれから手をつけていいものか迷うのも事実だ。そのため、ゆっくりと話し合い、状況を確認する時間が必要だった。
 会話が途切れた後、ふとノアがディヴィエイトに目を向ければ、彼はこめかみを右手で押さえていた。
「ん? どうした?」
「いや、俺にも、分からん……」
 顔を顰め、ディヴィエイトは首を小さく左右に振った。
「記憶が戻りかけてるとか?」
 首を傾げながら、ノアは問う。
 記憶喪失には、頭痛や眩暈が回復の前兆だったりもすると、どこかで聞いた事があった。関わりのある場所に来た影響かもしれないと思いながら、ノアは不安感も抱いていた。
 一人でも仕事をこなす事は不可能ではないが、できる事なら楽をしたいというのがノアの考えだ。頭痛や眩暈といった症状でディヴィエイトが役に立たない時はノア一人で仕事をしなければならない。パートナーとして同行したのだから、ディヴィエイトノアと同程度の働きをして欲しいものだ。
 ディヴィエイトはノアの問いに答えず、こめかみを押さえたまま歩いて行く。だが、その速度が少しずつ低下していくのをノアは感じ取っていた。
 声をかけるべきか否か、ノアが逡巡した直後だった。
「おい、そこの二人!」
 振り向けば、数人の男女がノアとディヴィエイトへと駆け寄ってくるのが見えた。
「え? なに?」
 ノアは驚いた様子で駆け寄ってきた男女を見回すが、向こうはノアではなくディヴィエイトへと視線を向けていた。
 二人を呼び止めたのは、三人の男と二人の女だ。五人とも、白衣のようなコートのような、特徴的な衣服に身を包んでいる。その胸元には一筆書きでAと描かれたエンブレムが縫い付けられていた。
「お前達、何者だ?」
「は?」
 男の一人が睨みつけるように問いかけたのに対し、ノアは間の抜けた声を返していた。
「お前は我らと同族のはず。何故ここにいる? 何故、我々に属していない?」
「何言ってんだ、お前ら……?」
 ノアが怪訝そうに眉を顰めるが、男達はディヴィエイトへと視線を向けている。
 状況は理解できないが、男達はディヴィエイトについて何か知っているという事だけははっきりと分かった。
「あのさ、こいつ、記憶喪失なんだけど」
「何! だとすると、まさか……!」
 ノアの言葉に、全員が凍り付いた。
 事情を知らないノアだけが男達の様子に首を傾げている。当のディヴィエイトも、頭痛があるのか状況が把握できないのか、眉間に皺を寄せて男達を見ていた。
 そして、二人と向き合っていた男女五人が、一斉に身構えた。
「な、なんだ! やる気か?」
 慌ててノアも身構える。
 記憶の無いディヴィエイトはともかくとしても、ノアには彼らに攻撃されるような事をした覚えは無い。向かってくるのなら昏倒させてその場から去るぐらいの事は考えていた。
 だが、次の瞬間、ノアは目を見張った。
 男達の背に、翼が生えたのである。
 純白の、美しい翼が。
 ノアは息を呑んだ。
 在り得ない光景が目の前にある。
 人間が持ち得ない鳥の翼を、男達は背に生やしているのだ。大きさは片方だけでも持ち主の身長ほどもある。何処に隠していたのかと聞きたくなるほどの大きさと、美しさだった。
 同時に、男達の気迫が増している。
 ノアの背筋を寒気が走った。
 軽くあしらうつもりだった気構えを、手強い敵を相手にする時のものへと一変させる。肩幅くらい開いた右足を引き、両手を胸の高さまで持ち上げ、ノアは身構えた。
 辺りの様子に注意を払い、瞬間、ノアはディヴィエイトの様子がおかしい事に気付いた。
 どうやら男達もそれを感じ取ったようで、一歩、後退っていた。
「あ、ぎ、う……ぬぁあああああああああああ――!」
 ディヴィエイトが奇声を上げ、両手で頭を押さえ、悶える。
 後退りながら頭を周囲に振り回し、奇声を上げるディヴィエイトに、ノアは唖然とした。
「お、おい、デイ――」
 ノアが名を呼ぼうと口を開いた直後、ディヴィエイトが身体を大きく折り曲げた。
 くの字に曲がったディヴィエイトの身体、背の、肩甲骨の辺りが大きく膨らんだ。薄手のコートを突き破り、ディヴィエイトの背から巨大な翼が生えた。
 ただ、男達の時と違っていたのは、ディヴィエイトの背に生えた翼は黒かった。烏の羽のように、漆黒の翼だった。
「あああああああああ!」
 絶叫とも思えるような奇声を上げ続けたまま、ディヴィエイトが身体を反らす。
「同族って、こういう事だったのか……」
 ぽつりと漏らしたノアだが、訳が分からなかった。
 何故、ディヴィエイトが男達と同じように翼が生やせるのか。それ以前に男達とディヴィエイトは何者なのか。男達の翼は白いのに、ディヴィエイトのものが黒いのは何故か。
 加えて、今、ノアはどうするべきなのか。
 逃げるという選択肢もあるが、ディヴィエイトの身に起こっている事がはっきりとしない以上、彼を置いていくのも危険だ。知り合いではないとはいえ、パートナーなのだ。
 男達を倒すべきなのか、それともディヴィエイトを抑え込むべきか。そもそも、男達もディヴィエイトも、敵なのか味方なのかどちらでもないのかすら分からない。
 混乱するノアの思考に、翼を生やせるという事がヘヴンの人間の常識なのかという疑問までも入り込んでくる。
「いぃぃいいいいいいいいい――!」
 ディヴィエイトの奇声が変化した。
 ノアを含めた全員が注目する中、ディヴィエイトが翼をはためかせ、空中へと昇って行く。ちらりと見えたディヴィエイトの表情はとても正気とは思えなかった。血走った目は白目を剥き、口の左右からは泡を吹いている。
 冷静に見えたディヴィエイトから想像もつかない醜悪な顔になっていた。
 そのディヴィエイトが周囲の建物よりも高くへ上昇していく。そして、ディヴィエイトはいきなり加速し、どこかへ飛び去ってしまった。
 ノアはディヴィエイトが視界から消え去ってしまうまで、茫然と彼を見つめていた。
 不可解な出来事に、一同が茫然としているのなか、最も早く立ち直ったのはノアだった。
「で、あんたらは何なんだ?」
 男達へと振り返り、ノアは問う。
 ディヴィエイトの反応に唖然として虚空を眺めていた彼らも、ノアの一言に我に返ったようだった。
「そ、そうだ。お前は何者だ? 何故、奴と共にいた?」
 狼狽しながらも、一人の男がノアへと問い返した。
「あいつはどうしたんだよ! あんたら知ってんだろ!」
「簡単に話していい事じゃないのよ。まずはあなたの事を聞かせて頂戴」
 ノアの言葉に、一人の女が返した。
「話しても問題が無ければ、ちゃんと教えてあげるから」
 別の女が言い、ノアに一歩、詰め寄った。
 相手の事だけを聞き出そうとしていたノアだったが、数が多過ぎた。一対一なら言い包める自信があったが、数が多いとなるとどうしても言葉の誘導に引っ掛からない者が出てくる。
 それに、パートナーがいきなり発狂して失踪してしまったという状況で、ノア自身も冷静さを完全に取り戻せてはいない。
「俺はあいつについて来ただけだ!」
「ついて来た?」
「記憶喪失で、ここに何か記憶の手がかりがあるかもしれないって言い出したから、ついて来たんだよ」
 眉根を寄せる男に、ノアは言い放った。
 勿論、嘘だ。
 ディヴィエイトについての情報を聞き出しておいた方がいいと判断してのものだ。
「じゃあ、あなたはただの観光客?」
「そ、そうなる」
 女の問いを、ノアは反射的に肯定していた。
「……なら、話す事はできないな。ここで見た全てを忘れて帰れ」
 男の言葉に、ノアは内心で「しまった」と思った。
 観光客に話せるような事情であるとは思えない。何らかの機密に触れているだろう事は明白だ。一般人が教えて貰えるようなものは機密とは呼べない。
 関係無し、と判断されつつあるのは悪い事でもないが、情報を聞き出せないというのも良い事ではない。
「で、奴とはどこで会った? 何故、ここに手がかりがあると思った?」
「一方的に情報を教えるのって嫌いなんだけど」
 詰め寄ってくる男に、ノアは言い放った。
「これは我々に関わりがある事だ。君には関係ない」
「関係あるだろ! 連れだったんだぞ!」
「なら、奴に関する情報を教えてくれ。我々で探し出す」
 男達の言葉に、ノアは口元を引き攣らせる。
 どうやら一方的に情報を引き出してノアを放り出すつもりらしい。観光客、と言ってしまった時点でノアが情報を引き出す事は極めて困難になっている。これ以上粘ると逆に怪しまれかねない。ただでさえ、ディヴィエイトが行動があり、連れだと言ったのだから、既に怪しんでいる者もいるかもしれない。
「面倒だ、力ずくで聞き出して奴を追おう」
 後方にいた男が駆け出した。
 通常の人間を上回る瞬発力で突撃してきた男へ、ノアは右方向へ身を投げ出していた。受け身を取って地面を転がり、ノアは屈んだ体勢で着地する。その身のこなしに、男達は驚いた様子だった。
「貴様、やはり、観光客ではないな」
 男が言う。
 中枢区域からかなり離れた場所にあるヘヴンへ観光に来る者はほとんどいない。観光客もゼロという訳ではないが、観光名所と呼べるような場所はない。来るとしても親戚に会うためだとかの事情があってのものだ。
 そう考えれば、ノアの存在はやはり浮いて見えてしまう。男達も薄々感付いていたのだろう。恐らくはノアの身のこなしが決定的な判断材料になったに違いない。
「ま、俺にも色々と事情があるんでね、火の粉は払わせてもらうぜ」
 勝ち気な笑みを浮かべ、ノアは言い放った。
 両手のリストバンドに一度ずつ触れ、身構える。
「ほう、ならばその事情とやらを聞かせてもらおうか」
 男が言い、踏み込んだ。
 ノアは後方へと大きく跳び退る。同時に、両手を内側から外側へと開くように、大きく振るった。
 細く、線のような白銀の輝きが閃いた。
 途端に、ノアへと突進してきた男の身体が三つに分かれた。胸と腰に横一直線の切れ目が入り、そこから分離したのだ。一瞬で切断された切り口から、遅れて血が噴き出す。
 くず折れた男は何が起こったのか分からない様子で、目を見開き、口をぱくぱくさせている。その顔が自らの血で濡れ、開閉する口の中へも流れ込んで行く。見開かれた目が、自らの身体の切断面を直視し、固まった。
 人間は首を斬られても十五秒は身体の感覚があるらしい。
 知識では知っていても、実物を見ると毎回ぞくっとしてしまう。
 自分のしでかした事に自ら身震いをしながら、ノアは残りの四人に視線を向けた。
「羽根があっても人間っぽいな」
 息絶えた男の純白の翼は、もはや血を染み込んで紅く染まっている。
「き、貴様……!」
「一応、これでも元特殊戦闘員なんでね」
 口元に笑みを浮かべ、ノアは言い放った。
「増援を呼べ、四肢をもいででも捉えるぞ」
「ひでぇ!」
 思わずノアは苦笑した。
 男の一人が腕時計型の通信機器に何やら呼びかけている。
 かと思えば、残りの三人が一斉にノアへと向かってきた。一人が地上から、二人が跳躍し、三方向からノアに突撃する。正面から一人、その左上からもう一人が滑空するように、最後の一人は上空から背後へと回り込もうとしている。
 位置的に、ノアの攻撃方法では三人を同時に仕留める事ができない。
 前方の二人を相手にすれば、上空から一人が回り込んで攻撃を仕掛けるだろう。かといって上空の一人を食い止めようとすれば、前方から向かって来る二人がノアに攻撃するはずだ。
 最終的には三人とも倒すだけの技術をノアは持っている。ただ、忘れてはならないのが四人目だ。
 恐らく、四人ともまだノアの攻撃方法を見切ってはいない。三人を倒したとしても、一歩退いた場所にいる四人目が目を凝らしていれば攻撃方法を見切られしまう可能性もある。それはノアにとって好ましい事ではない。
 相手が普通の人間でないのに対し、ノアの身体能力は確かに普通の人間だ。攻撃方法を見切られてしまえば、ノアのアドバンテージは著しく減少する。
 そこまで考えて、ノアは二人に背を向けて来た道を引き返した。
「逃がすか!」
「逃げ切る!」
 律儀に応答し、ノアは全力疾走する。
 背後の気配がじりじりと追いついてくるのを感じ取り、ノアは肌が粟立つのを感じた。
 上空から一人の女が回り込んで来るのが見えた。その手には銃が握られている。
 瞬間的に速度を落としたところへ、銃弾が放たれた。
 ひゅっ、という風の直後に、ノアの足元で爆竹が爆ぜるような音が響いた。
 炸薬弾である。
 命中すれば身体の一部は確実に吹き飛ばされてしまう威力の銃弾だ。
「殺す気かテメェ!」
「先に殺ったのは貴様だろう!」
 ノアの文句に答えたのは背後からの声だ。
 振り向き様に腕を振るい、ノアは一メートル以内にまで近付いていた男の身体を両断する。そのままバク転をするように飛び退き、上空からの銃撃をかわす。
 低空から滑空して来た女の肘打ちを、横へ跳んで回避した。
 そこへ浴びせられる銃弾を、地面を転がるようにして間一髪でかわす。
 顔が上空を向いた瞬間、ノアは愕然とした。
 空から十を超える数の敵が降りて来ていた。全員が胸にエンブレムの縫い付けられた白衣のようなコートを纏い、背から真っ白な翼を生やしている。
「そいつを捕らえろ!」
 連絡していた四人目が追い付いて来るのが見えた。敵達がそれぞれ懐から銃を取り出す。上空から銃を向けていた女の顔に笑みが浮かぶのも見える。
 ノアは冷や汗が頬を伝うのを感じた。
 勝ち目が無いのを悟り、ノアは跳ね起きると直ぐに駆け出した。
「追えーっ!」
 叫び声を背に聞きながら、ノアは全力で走る。
 背後から銃弾が飛んで来ないのを感じ取り、ノアは咄嗟に脇道へと飛び込んだ。
 敵がノアの背に銃弾を放たなかったのは、ノアの前方に先回りして着地する仲間がいるからだろう。仲間に流れ弾が当たるのを避けるために、銃を撃たなかったのだ。だとすれば、あのままノアが直進していれば、回り込まれて捕らえられていただろう。
 予想通り、ノアが脇道に逸れた途端に銃弾が足元の地面に炸裂した。
 人間の身体を吹き飛ばせるだけの威力はあるが、空母の装甲はその程度では傷一つつかない。
「くそぉっ!」
 思わず毒づきながら、ノアは素早く両腕を壁へと振るう。同時に、壁に向かって身を投げ出していた。
 一瞬のうちに壁が崩壊し、ノアは出来た穴に飛び込んでいる。
 背中が何かにぶつかり、ベクトルを殺し切れずに破損した。人工合成の木製テーブルが盛大に音を立てながら吹き飛び、木片を撒き散らす。住人らしい人物の悲鳴が聞こえる中で、ノアは受け身を取って身を起こしドアへと走った。
「ごめん、邪魔した!」
 それだけ言い残して、ノアはドアを開けて外へと飛び出した。
 人の多い通りに出てホッとしたのも束の間、翼を消した男達が道に飛び出して来た。
 頬が引き攣るのを感じながら、ノアは包囲網の手薄な方向へと駆け出す。
「動くな!」
「止まれ!」
 白コートの者達の警告を無視し、ノアは走る。
 と、直ぐ脇にあったショーケースに炸薬弾が命中し、ガラスが砕け散った。
「うおっ!」
 咄嗟に顔を庇ったが、ガラスの破片が左頬を掠めた。頬に鋭い痛みが走る。
 周りを行き交う人々が悲鳴を上げながら遠ざかって行く。
「周りの奴等はお構い無しかよ!」
 吐き捨て、ノアは再度脇道に飛び込んだ。
 そのまま更に脇道へと駆け込み、入り組んだ路地へと進んで行く。
 だが、不意に気配を感じて上空を見上げれば、そこには翼を生やした男がいた。手には、ロケットランチャーらしきものを持って。構えた男の口元に冷笑が浮かぶ。
 前方へと大きく跳んだノアの背後にロケット弾が命中し、爆発を起こす。爆風に煽られ、ノアの身体が十メートル近く吹き飛んだ。
 ノアは地面を転がり、衝撃に噎せながら身を起こした。
 見れば、強固な空母の装甲が欠けている。
「捕らえろって、言ってたよな……?」
 ぞっとしながら、ノアはロケットランチャーを放った男を見上げた。
 新たなロケット弾を装鎮する男に、ノアは顔を引き攣らせた。
 照準が向けられた瞬間、ノアは壁へと両腕を振るうと同時に身を投げ出した。
 先ほどまでノアがいた場所にロケット弾が命中し、爆発を起こす。爆風によって吹き飛ばされ、ノアは背中から壁に叩き付けられた。だが、寸前で切断した壁は衝撃で崩壊し、ノアを家の中へと放り込んだ。
「うあああああぁっ!」
「きゃあああああっ!」
 ノアの悲鳴と、誰かの悲鳴が重なった。
 部屋の中に転がり込むノアが木製の椅子を粉砕し、壁の破片がテーブルを破砕する。テーブルの上にあった花瓶が割れ、水がぶちまけられた。
 爆煙と埃が舞い上がり、部屋の中に充満する。
「げはっ、がほっ……!」
 噎せながらノアは身を起こそうとする。
 身体中が衝撃で痺れているようだったが、損傷している箇所はどこもない。打ち身ぐらいはしているだろうが、大怪我と呼べるほどのものはなさそうだ。
「あ……あぁ……!」
 恐怖のためか、聞こえて来た声は震えていた。
 その声に顔を上げたノアは、言葉を失った。
 透き通るような白い肌に、栗色の長い髪。華奢な体付きの少女が、目を見開いてノアを見ていた。座り込んだ背中を壁に押し付けるようにして、身体を震わせてノアを見ている。
 テレビに映っていた少女と、同一人物だった。
 身体を持ち上げようとするノアの腕も震えている。
「な、なぁ……」
「は、はい……!」
 ノアの呼びかけに、少女が一瞬びくっと肩を震わせた。
「ちょっと、助けてくんないかな……?」
 苦笑を浮かべてノアが告げた言葉に、少女が固まった。
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