第一章 「賞金首と便利屋」


 豪華とは程遠い、古びた建物に、薄汚れた壁。店の中の雰囲気は暗く、入り口から覗いただけでは人の姿は見えない。こんな状態でよく商売が続けられるものだと、誰でも逆に感心してしまうほどだ。だが、彼にはそれで丁度良かった。
 店に足を踏み入れたのは、まだ二十歳に満たないであろう少年だ。ボサボサの黒髪に、切れ長の双眸。顔立ちは整っているが、脛までを覆う薄汚い外套を纏った風体がそれを台無しにしている。その外套もあちこちに穴や切れ目があり、ボロボロだ。
「何でもいい。直ぐに食えるものをくれ」
 子供とは思えない口調で、少年、セト・ラトランスはカウンターを挟んで立つ男へと声をかけた。もう老人の域に達するだろう男だった。
「料理もしなくていいのなら、パンと水が直ぐに出せるがね?」
「それでいい」
 確認する店主に即答すると、セトは古びたカウンター席に座る。椅子に腰を乗せた瞬間、軋んだ音がした。
 ほとんど反射的に周囲の気配を探っている。店の奥に余り活気のない男が二人、別段何を話すでもなく、コーヒーか何かをちびちびと飲みながら向かい合い、時折言葉を交わしているだけだ。他には店主が一人。
 ようやく一息できそうだと、セトは小さく息を吐く。
 一分と満たない時間のうちに、店主が皿とカップを置いた。皿の上には、仕入れたままに見えるパンが三つ。どこにでも売っていそうなガラスのコップには水が入っている。
 パンを掴み口に運ぼうとして、止めた。
 油断してはいけない。
 開けた口を閉じ、パンを二つに千切る。二つに千切った片方を皿に戻し、もう一方を片手に持つ。そうして、千切れたパンの一部を摘み取る。粉粒のような大きさのそれを舐め、毒が入っていないかを確認する。
 その仕草に、店主が首を傾げているが、気にも止めない。変人に見られるのは慣れているのだから。
 そうしてようやく、安全を確認したパンを齧った。
 味気ない、ただのパン。味など気にせずに、セトはただ黙々とパンを咀嚼していった。そうして、最後にカップに手を着ける。指先で水面を突付いて付着させた水滴を舌に乗せ、安全を確かめる。そうして、水を一気に飲み干すと、セトは席を立った。
「釣りはいらない」
 感情のない機械的な声で言い、セトは懐から出した数枚の硬貨をカウンターに置く。パンと水だけの注文に対して、二倍近い額だが、釣りを貰うつもりはなかった。老店主が何か言うよりも早く、セトは席を立って店の出口へと向かう。
 店から一歩、外へと踏み出した瞬間だった。
 殺気を感じた。
 外套で隠した身体、腰の後ろから右手で拳銃を掴み、それを殺気の方角、頭上へと向けた。視線すら向けず、躊躇う事もなく。
 間髪入れずに発砲。
 直後、気配が消えた。それから数瞬遅れて、上空からナイフが落ちて来てセトの足元に突き刺さる。
 背後で赤い雫が石畳の上を跳ねた。
 他者の命を奪うなど、本当ならばしたくない。だが、撃たなければセトが殺される。たとえ本意でなくとも、生き延びるためには容赦などできなかった。
「くそっ、もう嗅ぎ付けられたのか……?」
 舌打ちし、吐き捨て、次の瞬間には拳銃をしまって、駆け出す。
 寂れた石畳の路地裏を駆け抜ける。ボサボサの髪が乱れ、外套がはためいた。
 前方にある角を曲がり、数百メートル進めば、人通りのある場所に出られる。そこまで行けば、追っ手を足止めする事ができるはずだ。もっとも、周囲に人がいたところで、命を狙ってくる奴等は攻撃の手を緩めはしない。周りの人間を多少巻き込んだとしても、構わずに攻撃してくる。
 それだけの価値が、セトには付けられていた。
 賞金首。
 それも、最高ランクの危険人物として。
 政府が課した賞金首。それらは、賞金稼ぎや便利屋と呼ばれる者達に狙われる。賞金稼ぎは名の通り、賞金首が絶えず現れるこの世界で賞金首を排除する事を生業とする者達だ。
 だが、自ら動く賞金稼ぎに対して、他人からの依頼で仕事を遂行する便利屋も、賞金首を狙う。それは、便利屋が他人からその賞金首を排除してくれと頼まれる事が少なくないからだ。犯罪者や賞金首の多い地域では、周辺の住民達にも危険が及ぶ。それを取り払うために、便利屋という、どんな依頼でも受ける業者に頼むのだ。
 もっとも、賞金首からしてみれば、どちらも命を狙う敵に変わりはないが。
 意識を集中し、走る速度を上げる。
 踏み込み、進む距離が歩幅を大きく超え、数十秒はかかる距離を数秒で走り抜ける。
 前方に明かりが近付くにつれて徐々に速度を落とし、街道に飛び出した。
 道の中央には魔動車用の車道があり、それを挟むように歩行者用の道が区分けされた一般的な街道。その街道の左右には商店など建物が並び、複数の人が歩いている。
 歩道に出て、周囲の人に身体がぶつかるのも構わずに、セトは走り続ける。歩道の途中で車道に飛び出し、時速にして五十キロほどの速度で走る魔動車の間をすり抜けるように、反対側の歩道へと移った。
 魔力と科学の技術を組み合わせた、現代技術の最高峰、魔工学によって作られた移動用の乗り物、それが魔動車だ。車内の内部機関として造られたタンクに蓄えられた魔力を動力として使用し、高速で移動ができるというものである。人間が魔動車と激突すれば、大怪我を負う事だろう。
 息つく間もなく、セトは歩道を走り続ける。
 あてがあるわけではない。帰る場所など元からないのだから。
「くそっ、しつこいな!」
 吐き捨て、セトは腰の後ろのホルスターから引き抜いた拳銃を、車道を挟んだ平たい建物の屋上へと向けた。五、六メートルほどの高さの建物の上を、人が走っている。
 周りの人間が悲鳴をあげ、セトから離れていく。そんな事を気にも止めず、建物の上からセトを見下ろしながら追って来る賞金稼ぎをセトも視界に捉える。
 意識を集中させ、引き金を引いた。
 放たれた弾丸は空気を裂いて飛び、吸い込まれるように賞金稼ぎの額を撃ち抜く。鮮血がしぶき、細かな肉片が飛んだ。
 慣性によって体勢を崩し、足を踏み外した死体が向かいの歩道に落下した。その付近にいた人達に赤い血が飛び散り、人々は悲鳴を上げて逃げ惑う。店の出掛けに撃ち抜いた賞金稼ぎの仲間だ。
 今、二人目を倒したが、まだ殺気を感じる。三人目の気配は、二人目の傍から感じた。セトには見えない場所を走っているらしい。二人目の後方を、セトに視認できない位置を走っていたのだろう。だが、その二人目が死んだ事で、三人目は自らセトの前に現れる事を余儀なくされた。そうしなければ、セトを追う事はできないのだから。
 発砲した事で、セトの進路を妨害する者はいなくなった。歩道の左右に人々は寄り、セトを避けている。
 外套は、元々頭を隠す事もできるものだった。だが、こうやって追われているうちに、少しずつ消耗していき、今では顔を隠すフードも千切れてしまった。先日、フードがなくなったばかりで、新調する暇もなかったのである。
 舌打ちする。
 顔を隠せないのなら、街にいる間はセトの顔が見られてしまう。一般にセトの顔は公開されていない。だが、人を殺す瞬間を見られてしまっては、殺人犯として知られてしまう。人目のある場所で注目される事は好ましくない。顔を見られない場所に逃れない限りセトは常に監視されているようなものだ。
 噛み締めた奥歯が音を立てた。
 今まで逃げ続けてきたが、値が上昇するにつれ、セトを狙う賞金稼ぎの腕も上がってきている。より強い賞金稼ぎを退ければ、それだけセトの値は上がる。そうなれば、更に強い者がセトを狙う事になるのは当然の事だ。
 顔の公開されていない、名前だけの賞金首であるにも関わらず、賞金稼ぎの追っ手は後を絶たない。
 セト自身、今までの生き方に悪意など一つもない。だが、賞金首にされてしまえば、身を守るためには必然的に向かってくる賞金稼ぎを殺さなければならない。しかし、結局はそれもセトの賞金を高める事になり、悪循環からは抜け出せない。
 逃げ場などない。何度、政府からの追っ手にそう言われた事か。
 セト自身、こんな生活には嫌気が差していた。だが、諦めて死ぬ事だけは選べない。死ねない理由がある。
 ここに来てようやく呼吸が乱れ始めたセトは、走る速度を緩めた。近付いて来た高層ビルに飛び込み、エレベーターには目もくれずに階段を駆け上がる。受け付けにいた若い女性が何か言っていたようだったが、セトは無視した。
 誰もいない階段を、セトは人間としての限界を超えた速度で駆け上がる。最上階で足を止め、ドアの鍵を銃で撃ち抜いて屋上へと出た。多少呼吸が乱れているが、直ぐに治まる。
 晴れた青空と街の景色が見える屋上。そこから見える、大小も色も様々な建物が並んだ街並み。
 屋上自体はそう広くはなく、建物の上に展望室があるようなものだ。十数メートル四方の、小さな屋上。階段のある小部屋のような部分の上には給水等があり、屋上の周囲は成人男性の腰の高さ程度までの柵がある。
 何階まで上ったのかは数えていなかった。ただ、八十メートル以上はあるだろう。
 都心からは比較的離れた地区にいるが、それでもまだ人口の密集度は高い場所だ。
 何度か誰もいない場所に逃げた事もあったが、誰もいない場所では直ぐに気配が察知されてしまう。やはり、人間の気配が多く集まる街中の方が、身を隠すには丁度良かった。
 それでも、賞金稼ぎはやってくる。
 ただ、周囲の人々は障害にもなる。自分にとっても、敵にとっても。
 敵にとって障害物になるなら、利用しない手はない。人前で発砲しても、セト自身は一向に気にならない。周囲の目など、セトにとってはどうでも良いものだ。
「俺の仲間をよくも二人もやってくれたな……」
 怒りと憎悪の交じった声が、背後から掛けられた。
「政府の人間も呼ばせて貰った」
 振り向けば、賞金稼ぎの三人目の男が立っていた。息を切らしていないところを見ると、エレベーターで最上階まで上がり、最後に一階分の階段を上ってきたのだろう。
「わざわざ追い詰められるところに逃げるなんざ、やっぱりガキだな」
 こんなんで大金が手に入るなんて美味しい話だ。下卑た笑みを浮かべ、男が言う。
 セトを殺せると解れば、仲間の事はどうでもいいらしい。元々仲間ではなく、ただ同じ相手を狙っていた同業者だっただけかもしれない。薄情な奴だとは思わなかった。賞金稼ぎなんて、皆そんなものだろう。
「悪いけど、俺がここに来たのは、あんたをここに誘き寄せるためだけだ」
 言い放つと、セトは右手に握っていた拳銃を賞金稼ぎに向けた。
 そして、躊躇う事なく引き金を引く。
 咄嗟に横に身体をずらし、男は銃弾を避けていた。その男の手にも拳銃が握られている。
「ただの拳銃で倒せる相手だと思ったか?」
 男の手にしたものは、ただの銃ではなかった。持ち手と銃口に、魔石と呼ばれる魔力を結晶化させたものを埋め込んだ魔工銃だ。破壊力は通常の銃弾の比ではなく、マガジンとして使う魔石、持ち主が発射時に掌から発した魔力を、銃口から放つ魔力に繁栄させ、様々な撃ち方を可能とする拳銃でもある。
 慣れれば使い勝手は良いが、金がかかる装備だ。
「ま、ガキに魔工銃は買えねぇか」
 よく喋る男だと、セトは思った。
 男は勝利を確信したのだろう、そのために心に余裕ができているのだ。それが危険だとも知らずに。
 魔工銃の銃口から、赤い光が放たれた。光は熱を放ち、拡散する。セトの全身を燃やそうというのだ。
「低級か、期待できそうにないな」
 落胆の溜め息と共に呟き、セトは一歩前に踏み出した。瞬間、セトは男の背後に移動している。無論、魔工銃の弾丸など一発も当たっていない。男の知覚でも移動は捉え切れなかった事だろう。
 セトが右手の銃口を向けた瞬間、男が飛び退っていた。動きを捉えられなくとも、背後に現れた気配は感じたらしい。それほど低い腕ではないという事だ。それならば、少しはセトの期待している事に応えられるかもしれない。
 男が向けた魔工銃から魔力の弾が放たれるよりも早く、セトは左腿のホルスターの銃を左手で掴み、右手の銃の変わりに賞金稼ぎへと向けた。
「なっ、そいつは……!」
 男が目を剥いた。
 セトの手には、魔工銃がある。グリップに埋め込まれた魔石が、セトの意思に応じて淡い光を放っていた。男のものとは違う、純度の高い魔石でなければ起きない光。
「お前のより上等なものだ」
 言い、セトは左手に握った魔工銃の引き金を引いた。
 銃口から放たれた金色の閃光は雷撃の槍となり、男の心臓を貫く。光に近い雷撃を、引き金を引いた後に回避する事はまず不可能だ。
 口をぱくぱくさせ、男が心臓のある胸を手で押さえ膝を着いた。雷撃は傷口の中を焼き、出血はしない。それから間もなく男は絶命し、屋上の床に倒れた。痛みはほとんど無かったはずだ。本格的に痛覚神経が作用する前に絶命したのだ。息苦しくはあったろうが。
 人間は簡単に死ぬ。魔工学により武具の発達した現在は、特に。
 魔工銃を左腿のホルスターに収め、セトは倒れた男に歩み寄った。その衣服を探り、財布を引っ張り出すと、中に入っていた現金だけを自分の財布の中に入れた。そうして、元あった場所に財布を戻す。
 これが唯一、セトが金銭を得る方法だった。襲ってくる者の所持金を奪い、自分の生活費に当てる。そうでもしなければ、セトは資金を得られない立場にあるのだ。
 思ったよりも男の所持金が多かった事に、セトは口元に小さな笑みを浮かべた。
 階段を下りようとドアを開けた直後、階段の下方から気配がした。後退り、背中を柵につける。
 やがて、現れたのは数人の男達だった。全員、服装がまちまちで統一感がないが、政府の人間だ。丁度良く付近の街中にいたエージェントにセトを処理するよう指示されたのだろう。
「……施設に戻るのなら、手荒な事はしない」
「皆そう言うよな」
 男達の中の一人が無表情で放った言葉に、セトは吐き捨てるように言った。
 誰もが、一度はセトにその確認を問う。もう、今となっては従うつもりは全く無い。本人の意思を尊重しようというのか、それともその確認を拒否するのであれば殺すと言っているのか。セトにはどちらでも良かった。
「……俺は、お前等が諦めるまで逃げ続けてやる」
 言い、セトは柵を支点に、仰け反るように体重を後ろへと移す。
 そのまま、軽く床を蹴って身体の重心を後方へ移し、柵を背中から越えるようにしてセトは屋上から仰向けに飛び降りた。
 男達が息を呑むのがセトにも解る。柵に駆け寄り、セトが落下していく様を見ようとする。
 人間が落下すれば、まず助からない高さだ。それを、セトは躊躇う事なく飛び降りていた。
 落下するセトは、屋上から身を乗り出してセトに視線を向ける男達を真っ直ぐに見上げていた。落下の風を受け、外套がはためき、ボサボサの黒髪が乱れる。
 穴だらけの外套は落下速度を緩める要因にはならず、重力に従って身体はどんどん加速して行った。
 青空の中に自分が浮かんでいるような浮揚感は一瞬の事。視界には建物が映り、空が遠くなる。セトは両腕を振り、その慣性を利用して身体を回転させて前後を入れ替えた。風圧に呼吸がし辛くなるが、堪える。全身にぶつかる風を感じながら、セトは距離を測っていた。
 正面に地面が迫って来る。落下場所を路地裏を選んだため、周囲には誰もいない。
 意識を集中していく。
 歯を食いしばり、目を見開く。その瞬間、セトの身体は地面に膝を着いて着地していた。
 落下時の速度の影響など全く見せず、立っていた状態からただ膝を着いて座っただけのように、セトはその体勢で地面に足を着けていた。数瞬の間その体勢で固まっていたセトだったが、大きく息を吐き出すと、ゆっくりと立ち上がる。
 そして、駆け出した。


 小さな部屋の中、デスクに座り青年は写真を眺めていた。あの夜、レジウムという男から渡された写真。そこに写った、自分に似た顔立ちの少年。知らない方が職業柄おかしいだろう、相手だ。
 セト・ラトランス。
「特一級、指名手配。賞金額は二百億……」
 呟いた言葉は、セトという少年に課せられた情報だ。
 この少年賞金首には不明な点が多過ぎる。第一、特一級という危険度判定なんてそうそう付けられるものではない。危険度はその賞金首の戦闘能力や性格などから判断されるものだが、本来は第一級という判定までしか割り当てられない。にも関わらず、セトはその更に上、特一級などという、名詞を聞く事すら一生のうちであるかないかの極めて稀な判定がなされている。つまりは何かがある、という事だ。
 次に、二百億という異例の報奨金。しかも、生死問わずである。
 賞金首同士がぶつかり合い、一方がもう一方を仕留めた場合、仕留めた側、生き残った側の賞金は上昇する。仕留められ、死んでしまった者の賞金が上乗せされるのだ。しかし、二百億という一生遊んで暮らせる額は明らかに破格過ぎる。
 同じ賞金首を何人も仕留めてきたとしても、億などという域には達しないはずなのだ。
「で、どうすんだ? 受けんのか、それ」
 声をかけて来たのは、壁に立て掛けてある長刀、十六夜だった。武具が喋るなど異常な事だが、常日頃からそれを体験している青年には気にした様子もない。
「普通なら、やめておくべきだな」
 写真から視線を逸らさず、青年、ヴィアライル・ウルフは返答する。
「あー、何かやば気な臭いがするもんな」
 十六夜も流石に危険だと感じたのだろう。
 便利屋という稼業をしているため、賞金稼ぎや同業者がどんな依頼を受けているのかはある程度はあくしている。自身が受けた依頼と被らないようにするためだ。それに、特に大きな依頼や賞金首に関しては、誰が、もしくは何人が狙っているかという事は直ぐに耳に入ってくる。
 だが、セトを狙い、成功した者はいない。どんなに腕利きだと言われた者でも、セトは退けている。せいぜい逃げ延びて、二度とセトを狙わないようになった者がいるくらいだ。
「ただ、そうもいかないだろうな」
「ヴィア?」
 呟いた言葉に、十六夜が怪訝な声を出す。
 特一級の賞金首。二百億の賞金。危険な何かが、セトにはある。
 そして、レジウムという男がヴィアに依頼したという事実。加えて、ヴィアとセトの似通った顔立ち。
 レジウムが何者なのかは解らないが、ただ一つ言える事は、レジウムから見てヴィアとセトは無関係ではない、という事だ。あんな不自然な男が理由もなくヴィアのような便利屋に、特一級の賞金首を狩れと依頼する事はないだろう。
 腕利きだと評判になりつつあるが、まだヴィアは便利屋になって二年半ほどしか経っていない。まだまだ重鎮と言われる程の大物ではないのだ。せめて、五年以上は続ける事ができなければ、第一級の賞金首の排除依頼すら入らない。ようやく中級と呼べる段階に入ったヴィアに、第一級を超える特一級賞金首の排除依頼が入るなど、有り得ない話だ。ヴィアの腕を買っていると言われても、どこか釈然としない。
「一応、俺にも生死不明の弟がいるからな」
 言って、ヴィアは視線を背後の窓の外へと移した。
 過去のしがらみかもしれないとも、ヴィアは思う。名前は違うが、セトがもしヴィアの弟だとすれば、何かあったという事だろう。それがレジウムと関わっているのかもしれない。
 セトの顔を知っていれば、ヴィアも直ぐに動いていただろう。顔を知らなかった事で、ヴィアはセトを避けていたのだから。
「会ってみるってのか?」
 相棒の十六夜が問う。
「ああ、それから考えよう」
 頷くと、ヴィアはデスクから立ち上がった。
 十六夜の傍の壁に掛けておいたロングコートを着込み、十六夜を手に、ヴィアは部屋を出る。事務所は二階建てで、二階にはワンルームにキッチン付きの、最低限必要なものの揃ったヴィアの自室がある。一階には事務所部屋だけがある。それがヴィアの住処だった。
 不在、と書かれた札をドアにかけ、ヴィアは歩き出す。
「あてはあるのか?」
「まずは情報収集だ」
 問う十六夜に答え、ヴィアは街の中を歩き出した。
 大陸のほぼ中央に位置し、中央政府の本部もある世界でもトップクラスの大都市、首都アンスール。世界の中心と言っても差し支えないだろう。しかし、大都市であるが故に、裕福な層とスラム化してしまった貧困な層の二つに分離してしまっている面もあるのだが。
 ヴィアの事務所は比較的都心からは離れており、一般付近の層に位置している。
 事務所を出て一時間ほど歩いたところで、ヴィアは足を止めた。
 目の前にはヴィアのものとは違う便利屋の事務所がある。ヴィアと同期であると同時に、昔からの知り合いでもある人物が、ここで便利屋をしているのだ。
 ドアを開け、ヴィアは事務所の中に入った。
 ヴィアの事務所とほぼ同じ間取りの部屋の壁には様々な種類の武具が整理されて掛けられている。剣や刀、ナイフなどの刃物だけでなく、銃すらも壁に設えられたハンガーに掛けられていた。その全ては丁寧に手入れがなされている。
「おう、ヴィアじゃねぇか」
 デスクに座っていた男が立ち上がり、言った。
 スプレンディ・ネウエスト。それが男の名前だ。ヴィアと同い年だが、身長はヴィアよりもやや高く、身体付きも大柄でヴィアと比べてやや筋肉質。そのためか、よくヴィアよりも年上だと思われているようだ。
「今日はどうした? 飯の誘いってわけじゃなさそうだしな」
 時間は午後の三時過ぎ。まだ夕食とするには早過ぎる時間帯だ。
「ああ、ちょっと知りたい事があってな。レンディ、こいつを見てくれ」
 そう言うと、ヴィアは懐から写真を取り出し、旧友の前に差し出した。
「こいつは……!」
 セトの写真を見て、レンディは声を上げた。
「そいつが、セト・ラトランスだ」
 十六夜が口を挟んだ。
 レンディは十六夜の事情をヴィア以外で知っている唯一の人間だ。それが解っているからこそ、十六夜も普通にレンディに声を投げる。
 特一級の賞金首として名前だけは知られているものの、顔写真だけが出回っていない。顔を見られないように注意してきたのか、それとも顔を見た存在を全て排除してきたのか、いずれにせよ奇妙な相手である事に変わりはない。
 セトという名を聞き、驚いた様子を見せながらもレンディは黙ったまま写真を見つめていた。
「俺に、そいつの排除依頼が来た」
「それも何か妙な奴からの依頼でな」
 ヴィアの言葉を補足するかのように、十六夜が言う。
「言いたい事は想像がついた」
 欲しがっている情報を理解したのだろう、レンディは写真から顔を上げ、ヴィアを見た。
「本気で受けるのか?」
 静かに、真意をはかるかのようにレンディが問う。
 依頼を受諾する、という形を取る便利屋には、依頼を拒否する権利もある。都合が悪い時、個人的に受けたくない依頼などを、一方的に拒絶する事ができるのだ。
「会ってから考える」
 淡々と答えるヴィアを数秒見つめ、レンディは一度溜め息をつくと写真をヴィアに返した。
「じゃあ、俺の知ってる情報を全て話しておく」
 そのレンディの言葉に、ヴィアは頷いて事務所中央にあるソファに腰を下ろした。十六夜はコートから取り外し、壁に立てかける。
 本来ならば商売敵のはずの二人だが、旧友であるためか、妙なところで協力し合う事が多かった。戦闘能力、つまり依頼の遂行能力はヴィアの方が上だが、情報収集に関して言えばレンディの方に分がある。その辺りの事があるせいか、レンディが、自分が無理と判断した依頼をヴィアに回す事も、ヴィアがレンディから情報を得て依頼をこなすという事も少なくない。
 チームを組んでの便利屋ではないが、レンディの情報網はかなりのものだ。彼の情報網で得られなかった情報は、今まででも数える程しかない。
「まず、セト・ラトランスが賞金首にされたのは一年半ぐらい前だ。覚えてるよな?」
「確か、表では流れていなかったよな」
 レンディの言葉に十六夜が相槌を打った。
 最近のメディアでは賞金首の情報を取り扱う事も増えた。しかし、通常のメディアでは取り扱われる事のない、裏の世界がある。
 政府か、もしくは力のある組織や機関によって賞金首にされる者も存在するのだ。そういった者達も無論、基本的には犯罪者なのだが、危険性から表向きには報道されないケースが多い。
 セトは表ではなく、裏情報で賞金首として手配された。組織や機関の個人的な怨恨にしては額が多過ぎるが、それだけセトの存在が邪魔だという事だ
「賞金首にされてから今まで、セトは逃げ延びている」
 それも確認済みの事だ。改めて言われるまでもない。
「俺の知る中でも腕利きだと噂の賞金稼ぎのチームがセトの排除に乗り出したんだがな。失敗している。ここで重要なのは、その賞金稼ぎ達の唯一の生き残りの証言に妙な内容があった事だ」
 そのレンディの言葉に、ヴィアは眉根を寄せた。
「まず、ガンナーである事。発砲に躊躇いがなく、いかなる状況でも最善のタイミングで引き金を引いている。会話中に撃たれた奴もいたそうだ」
 ガンナー、主に銃を使う者の事をそう呼ぶ事がある。まだ銃という武器が高価で、使う者が比較的少ないために生まれた特殊な呼び方だ。また、最善のタイミングというのも、セトが生き延びるために最善の、という意味合いだろう。隙があればすぐさま射撃し、自分自身の安全と敵対相手の消失を優先しているのだ。
「問題はここだ。そいつは、セトが消えた、という発言をしている」
「消えた?」
「高速移動術の一種だろうとは思うが、それにしては妙な点があってな……」
 ヴィアの確認を求める問いに、レンディは言い淀んだ。
 高速移動術というのは、体術として習得する一種の呼吸法のようなものに近い。気配を極限まで消して素早く動き、相手に捉えられぬように移動して戦う術だ。かくいうヴィアも、高速移動術をかなりのレベルで会得している人間だ。
「移動可能な距離が半端なものじゃないらしい」
 レンディの言葉に、ヴィアは考え込むように顎に手を当てた。
「瞬間移動と形容していたんだよ、生き残ったそいつが」
 それを聞いて、ヴィアの脳裏に浮かんだのはレジウムという男だった。
 あの、奇妙な男のような移動術を持っているのだとすれば、排除するのはかなり厄介な仕事だ。ヴィアには手に負えない可能性も、ゼロとは言い切れない。
「瞬間移動ねぇ、可能だと思うか?」
 十六夜が問いを投げる。
 大気と自身の身体に存在する魔力をかなりの精度で制御し、気配という存在感そのものを絶つという技術は理論的には不可能とはされていない。だが、人間が扱える魔力量でそれが可能か、と問われれば非常に難しいというのが答えだ。人間であるのなら、まず不可能という事だ。
 体術、呼吸法などで気配を絶つという方法もあるが、それは過程や媒介とするものが違うだけで、実質的には呼吸などを変化させる事で体内の魔力を制御していると考えられている。個人差はあるが、人間の身体にはほぼ一定量の魔力が存在しているのだ。
 だとしたら、セトやレジウムは人間ではないという事だろうか。
 魔物、という存在は都市の外に存在しているが、大抵の魔物には知性など存在しない。魔物とは、野生動物が何らかの理由で変質したものだからだ。理由はまだ定かではないが、時折発生する過剰な魔力を浴びたり、原因不明で歪んだ魔力に影響されている事は事実として確かめられている。そのため、本能だけで存在しているようなものなのだ。
 それとセトやレジウムはどうしても結び付かない。
 実際に会った事のないセトはともかくとしても、レジウムに関してだけ言えばその不自然さからある種魔物のような雰囲気がしないでもないのだが。
 答えの解り切っていた十六夜の問いには、ヴィアもレンディも答えなかった。
「まぁ、要は気を付けなきゃ直ぐにやられるって事だな」
 レンディは言い、息をついた。
「居場所は?」
「昨日、ラドで三人の賞金稼ぎがやられた。政府のエージェントもいたらしい」
 ヴィアの問いにレンディは答える。
 都市ラド。首都アンスールから北西に向かった平原にある比較的大きな都市だ。
 政府から逃れたのだとすれば、あながち間違った選択ではない。政府の中枢がある首都アンスールにいれば、政府からの追っ手は多く、それらから逃れるために別の都市へ移動したという事だ。しかも、小さな街などではなく大きな都市に潜む事で、街そのものを追っ手への障害に利用できる。
「ラド、か」
 一度呟き、ヴィアは立ち上がった。
「行くのか?」
「ああ、確かめなければならない事もある」
 レンディに言い、ヴィアは十六夜を掴んだ。
 ヴィアにセトの排除を依頼したレジウムの真意は解らないが、ヴィアとセトが接触する事で何かしら新たな情報が得られるはずだ。特に、謎の多いセトに関しての事を本人から聞きだす事ができるかもしれない。
 だが、接触する事もまた危険な行為だという事は、頭の片隅に置いておく。接触できたとしても、会話する前に撃たれる可能性だってあるのだ。
「十分に注意しろよ」
「ああ」
 背中に真剣なレンディの声を受け、ヴィアは事務所を出た。
 セトだけではない、レジウムや、政府、賞金稼ぎにも注意しなければならないだろう。大きな賞金首を相手にする依頼では、その賞金を狙う賞金稼ぎの妨害に遭う事も少なくはない。それらの意味も含めての言葉だと、ヴィアには理解できた。
「で、どうする?」
「まずは荷物を纏める。その後で列車を使う」
 十六夜に答え、ヴィアは歩き出した。
 どの道、セトは首都アンスールには近寄らないだろう。だとすれば、最新の目撃情報があった都市ラドへ向かうのが最良だ。それに、ヴィアの推測が正しければ、セトはラドから離れる事はない。
 田舎や人里離れた場所に移動するのは、政府の持つ大型探索装置に引っ掛かるからだ。魔力の動きを常に観測している装置の精度は高く、人間の身体に存在する魔力ですら拾う事ができる。その装置の存在を知っていれば、人間一人分の魔力が田舎や人里離れた場所をうろついているのは直ぐに解ってしまうのだ。精度が高いといっても、人が密集している中で個人の動きを追えるほど完成されてはいない。元から人の密集している都市にいる事で、装置を欺いているのである。
 日の傾きつつある街中を、ヴィアは歩いて行った。


 日が沈み始め夜へと変わりつつある中、壁に挟まれた薄暗い路地裏で、セトはうずくまるようにして身体を休めていた。
 薄汚れた石畳に腰を落ち着け、古びた建物の壁に背を預けたセトは、外套で身体を包むようにして目を閉じている。口元まで外套を引き寄せ、顔の下半分を外套の中に埋めるようにして、休息を取っていた。
 人間の多い場所に潜んでいるとはいえ、休息を取る時だけは周囲に人のいない場所を選んでいる。賞金首のセトが街中で眠る事など、まず不可能だ。政府のエージェントは何人倒したとしても、また補充される。それも、より戦闘力が高く、より影響力の強い者が。
 政府が軍を動かしてセトを排除しようとするのも、そう遠くない。直ぐに攻撃を仕掛けないのは、セトの持つ力と、その価値を軽く見ていないという事なのだろう。もっとも、政府を避け続けているセトに正確なところは解らないのだが。
 魔力という存在が発見されてからというもの、人類の技術は飛躍的に発展した。
 物質的な力と違い、自然界のあらゆる場所に存在する魔力は、人間がその存在を掌握し、操作する事で様々な物理現象を生み出す。発見当初、魔力は人間の精神力と意思によってのみ操作できるものと考えられていた。
 だが、今まで使われてきた科学と相反するかに見えた魔力はやがて一つとなり、魔工学というあらたな技術をもたらした。
 それは、未知の怪物でしかなかった魔物を都市に寄せ付けぬようにする結界を形成する技術や、魔力による治癒力向上を絡めた新たな医療技術を生み出し、科学技術が生み出した乗り物の効率化すらも促した。今では人々の生活の付近にまで魔工技術は存在している。そうして、技術の発展は人間を更に繁栄させる事となったが、それに伴う弊害も拡大の一途を辿った。
 魔工学が研究され始めた初期の頃から、その技術は武器開発へも転用されていく。魔力を科学で制御する技術は、新たな機器を作り出し、強力な兵器をも生み出した。当然、それを利用しての犯罪も起こる。
 結果として、街中に存在する公安機構は魔工技術を手にした犯罪者には対抗し切れず、政府が新たに組織した軍が動き始めた。しかし、大規模に組織された軍をも退ける武器を手にした犯罪者が現れた時、それを葬ったのは政府関係者ではなく、一市民であった。それが賞金稼ぎの始まりである。
 それ以降、賞金首への対処は賞金稼ぎや便利屋、軍などの人間が受け持つようになり、次第に公安機構は賞金首と距離を取るようになった。
 気配を感じ取り、セトは目を開けた。
「……もう、来たのか」
 小さく呟くと、セトはうずくまった体勢から一息に横へと跳んだ。
 足を地面に着けた瞬間に、セトは右手で腰の拳銃を引き抜くと頭上へ向けて引き金を引いた。
 気配が一つ消え、死体が落下して地面に激突する。石畳の地面に全身を打ち付けて転がったその男は、既に絶命していた。赤い染みだけが石畳に広がっていく。
「! 壁の向こうかっ!」
 気付いた瞬間には遅かった。
 先程まで背を預けていた壁が吹き飛び、二輪型魔動車、科学時代から魔力技術を組み込んで発展させたバイクに乗った男がセトへと突撃してきた。両手で顔を庇うようにして壁の破片を防いだセトに、バイクの車体が迫る。
 刹那、セトは身体を横へと飛ばしていた。
 その直後、バイクが向かいの壁にぶつかる。しかし、今度はその壁を突き破る事はなく、タイヤが壁の上を滑った。ハンドルをセトのいる方へと切った男の操作に従い、バイクは壁に垂直に立つかのように後輪を壁に着けた。エンジンによって回り続ける後輪が壁に着いた瞬間、バイクは壁を駆けてセトへと真っ直ぐに向かってくる。
 ゆっくりと車輪を石畳の上に戻し、真正面から向かってくるバイクを見ながらも、セトはドライバーの男が手に散弾銃を持っている事を見逃さなかった。
 銃口がセトへ向けられた瞬間、右手の拳銃で反撃しようとしたセトはその時になって拳銃が手にない事に気付いた。
 壁が吹き飛んだ時、顔を守ろうとした際に破片で弾き飛ばされたのだ。見れば、バイクのタイヤのすぐ脇に拳銃が落ちている。
「くそっ!」
 呻き、セトは思い切り地面を蹴る。正面から一直線に特攻してくるバイクを飛び越えるように跳躍し、空中で左腿から魔工銃を抜き放った。
 明らかに人間としての身体能力を超えた跳躍力に、男が一瞬怯んだ。
 空中で背後へと銃口を向け、気配を頼りに引き金を引く。そして、着地と同時に拳銃を回収し、その後で放たれた雷撃が命中したか確認する。
 男の脇腹が裂け、流血しているが、まだ戦闘不能とは言えない状態だ。
 狭い路地内で器用にバイクの向きを反転させる男に、セトは右手の拳銃を向ける。意識を集中し、引き金を引く。
 弾丸は寸分違わず男の額に命中し、致命傷を与えた。鮮血が弧を描き、男の見開かれた目の焦点がセトから外れていく。
 男が振り落とされ、加速したバイクだけがセトへと向かってくる。それを、セトは軽く右へと跳んでかわし、壁を蹴ってバイクのハンドルを左手で掴んだ。そのまま強引に左腕を引くようにして身体をバイクの上に乗せ、エンジンを停止させた。
「いたぞ!」
 前方からの声に、セトは顔をその方向へ向けた。
 見れば、昨日ビルの屋上で会った政府のエージェント達だった。
 公安機構が賞金首に対して動く事がなくなった今、普段、街中の賞金首に対処するのは軍か、もしくは政府直属の諜報員達である。組織的なために大事になる軍を動かすよりも、その場にいる諜報員を向かわせる方が費用も手続きも必要ないため、効率が良いのだ。加えて、軍事行動以外の情報収集活動が可能な諜報員はほぼ全ての都市に存在する。政府にとって最も使い勝手の良い駒、それが諜報員だ。
 だが、諜報員は戦闘技術もかなりの域にまで訓練されており、並の賞金稼ぎ以上の強さを誇る。
 先程の戦闘の際の音でセトの存在に気付いたに違いない。
 舌打ちし、セトはバイクのエンジンをかけた。右手のグリップを動かし、アクセルを全開にして前方へと突撃させる。タイヤが空回りし、石畳にゴムの擦れる音が響き渡った。
 セトはバイクのシートを蹴って後方へと跳躍し、追っ手を避けるために路地の奥へと駆け出した。
 上空から気配を感じ取り、セトは拳銃を抜き放った。ほぼ一瞬のうちに右手を頭上へと構えた時、路地の奥からも気配を感じた
 左手で魔工銃を掴み、その方向へ向ける。引き金を引こうとしたところで、背後から複数の気配が近付いて来た。バイクを上手くかわしたらしく、気配は減っていない。
 囲まれたと思ったのは一瞬の事。
 躊躇う事なく両手の銃の引き金を引いた。右手の銃口からは通常の弾丸が、左手の銃口からは雷撃が放たれる。
 だが、気配が消えない。
 仕留め損なった。
 だが、弾丸と気配は一直線に結ばれた。命中した事は間違いない。
 となれば、防がれたと考えるのが妥当だ。
 上空から着地した人影と、路地の奥から現れた人影は盾らしいものを持っていた。
「ふぅん、確かに噂通りね」
 上空から着地した人影が呟いた。女だった。
 茶色く染められたショートの髪に、訓練されて引き締まった身体。今までの者より強いエージェントだと、セトは彼女の持つ気配の強さから判断する。
「施設に戻ってもらえるかしら、セト・ラトランス――」
 女が言葉を投げると同時に、他のエージェント達がセトの背後に追いついて来ていた。
 数は、七。
「――いえ、ゼロ・スリーと呼ぶべきかしらね?」
「……!」
 艶を含んだ声が余計に癇に障った。
「あら、怒ったの?」
 セトの向ける殺気の篭った視線に臆した様子もなく、女は軽い調子で笑ってみせた。
「いいわ、かかってきなさい」
 女が言い、身構える。それだけで十分だった。
 周囲のエージェントがそれぞれ動き出し、セトへと攻撃を繰り出し始める。二人の男が前後から拳銃を向け、女を除く他の四人がセトへと接近しようとする。
 女はというと、身構えたままセトに目を向けているだけだ。
 セトは壁へと跳び、接触の瞬間に足で壁を蹴飛ばす。向かいの壁へと跳びついて、同様に反対側の壁へと跳ぶ。
 外套の裾先を弾丸が掠め、布の切れ端が舞った。壁に片手をつけ、両足が着いた所で思い切り蹴飛ばし、反対側へと跳ぶ。外套を翻し、下方から飛んでくる弾丸の存在を無視するかのように。
 人間の脚力では難しい壁蹴りを繰り返すセト自身に、弾丸は命中しない。
 十分に空中へと上がったところで両手の拳銃を地面へと向け、引き金を引く。七人のエージェントそれぞれが盾で急所を守っていたために、セトの攻撃は効果がなかった。
 またも舌打ちし、セトは壁を蹴りながら路地の奥へと入り込むように動き始めた。左右の壁を蹴りながら、前方へと跳ぶ。ゆっくりと高度を落とし、着地すると同時に石畳の上を転がるようにして身体を背後へと向けた。
 一方に集めた七人のエージェントへ、左手の魔工銃を向け、グリップを強く握り締める。魔石が淡い光を放ち、セトの意思を汲み取ったのを確認すると、引き金を引いた。
 銃口から放たれた雷撃が拡散し、通路全体に電流が流れる。盾で覆えない部分を雷撃で焼かれ、先頭にいた三人の男がふらついた。
 瞬間、駆け出していたセトが真正面の男の懐に飛び込み、盾と身体との間に滑り込むと右手の銃を顎に押し当てて引き金を引く。男の頭部が内側から吹き飛び、血と内容物を撒き散らす。
 頭部を吹き飛ばされて絶命する男の身体をセトは蹴り、近くの男に肩から突撃して壁にぶつけると即座に足払いを放つ。転倒するのを確認しながら、その場から飛び退いて背後からの銃撃を回避し、それと同時に右手の拳銃で転ばした男の額を撃ち抜く。石畳に赤い血がぶちまけられ、頭を失った死体が力無く横たわる。
 着地と同時に蹴りを放ってきたエージェントを左手の魔工銃の雷撃で貫き、セトはその男を盾にして銃撃が放たれるのを防いだ。
「貴様ぁっ!」
 叫び、セトへ銃口を向けるエージェントに右手の銃口を向け返す。発砲音が重なる。
 エージェントの放った弾丸を、セトの拳銃の弾丸が弾いた。弾かれたセトの弾丸は別の男のこめかみに命中し、脳を貫いている。目を見開いた状態で、男の頭が砕け散った。血と肉片が道を汚す。
 偶然ではない。セトは、それを狙って行った。
 無論、相手の銃弾と自分の銃弾がどう動くのかを瞬時に計算して撃ったなどというのではない。セトにはそれを実現するだけの能力があるというだけだ。
 立て続けにもう一度引き金を引き、銃撃してきた男を射殺する。心臓を撃ち抜かれ、盛大に血しぶきを撒き散らして男が倒れる。身体を痙攣させるように数度震えさせ、苦しげに視線をセトへ向けた後、力尽きた。
 残ったのは、男が一人と、ようやく追いついて来た別格らしい女が一人。
「この短時間によくやってくれたわね」
 余裕の表情を崩さない女は、どうやら歩いて来たらしい。
「あなたは退きなさい」
「え? ですが……」
 生き残っている男の肩に手を乗せ、女が言った。
 その言葉に、セトは両手の銃口を二人へ向けるのを躊躇した。理由は、解っている。目の前の光景が、セトの記憶と被っただけだ。自分がしなければならない事は解る。銃を向け、引き金を引けばいい。
 だが、外套の中で震えた腕は、結局上がらなかった。
「どうせあなたじゃ相手にならないわ。それとも、あなたもあっさり死にたいわけ?」
 六人の死体を顎で示し、女が言う。
「ラセルさん……」
「あたしも死ぬ気はないわよ、ちゃんと戻るから。上に報告しといてね」
 男が不安げに呟いた。女、ラセルはそれだけ言うと男を背後へと押しやる。
 そして、仲間がその場から去って行くのを確認するとラセルはセトへと向き直った。
「よく見逃してくれたわね? 余裕って事かしら?」
「そんなんじゃない」
 押し殺したような声で、セトは言った。
 撃っていれば、終わっていたはずなのに。撃てなかった。
 一年前の過去と、被って見えた。
 状況も、人も、何もかも違う。過去が理由だとは思いたくなかった。
 ただ、セトにとって、それは重要な過去だ。今、逃げ続けている理由の一つであり、誓いでもある。
「まぁ、いいわ……。じゃあ、相手して貰おうかしら!」
 小さく笑みを浮かべたラセルが地を蹴った。
 今までのエージェントよりも力強く、早い踏み込み。今までセトが戦って来た人間の中でも、トップクラスに強いだろうと、その瞬間に判断できた。
 右手の拳銃を向けた瞬間、ラセルが屈む。銃の射線上から逃れるように体勢を低くし、更にもう一歩踏み込んでいる。右手の銃の照準を修正しようとした直後、ラセルが大きく跳躍し、横合いから右手を振るって何かを投げる。
「っ!」
 瞬間、セトは前方へと移動していた。ラセルが最初に立っていた辺りに、一瞬で移動する。
 見れば、セトの立っていた付近に、逆三角形の小さな刃物が突き刺さっている。刃物型投擲武器の一種だ。回避していなければ、急所に命中していたはずだ。
「今のが『転移』……確かに、脅威ね」
 引き攣った笑みを浮かべ、ラセルが呟く。
 その瞬間には、セトの右手の銃口が彼女を捉えていた。しかし、ラセルも直ぐにその場から飛び退き、射線上から逃れる。左手の銃を向けようとした瞬間、ラセルが刃物を投げた。
 その刃物を、セトは右手の拳銃の銃弾で弾く。
「やっぱり、分が悪いかしら……」
 舌打ちすると共に、ラセルは両腕を交差させるように振るい、いくつもの刃を投げ放った。
 セトは刃の軌道を見切り、安全な場所へと身体を滑り込ませる。
 だが、その刃に注意を取られ、回避行動を取った時には既に、ラセルはセトの脇をすり抜けるようにして走り去って行った。
 追おうと思えば、簡単にできたはずなのに、セトはそうする気分にはなれなかった。今までは、逃げようとした者達も極力排除してきたというのに。
 一度だけだ、心の中でそう呟いた。次に会った時は躊躇わない。
 既に夜となった暗い路地裏を、ゆっくりとセトは歩いていた。
 何故か、すっきりしない気分だった。元々、良い気分だろうと悪い気分だろうと、心に引っ掛かるような事はなかったはずなのに。
 路地裏の途中で、セトは分かれ道を曲がった。街道と平行しており、途中で大きな道を交わる事のない道。人気のなく、寂れた建物の裏面だけが並ぶ道をセトはゆっくりと歩いていた。
 不意に、正面から二つの存在を感じた。
 大きな魔力の塊のようなものと、人間の気配が。
「……ようやく、ご対面か」
 声に、セトは素早く顔を上げた。
 そこには、ロングコートを着込み、長刀を背負った一人の青年がいた。だが、何故か今の声は青年が発したようには思えなかった。
「――だ、誰だ、お前……!」
 その時、セトは恐怖を感じていた。
 反射的に向けられた右手の拳銃にも、青年は動じない。
 自分の心臓が早鐘のように拍動し、呼吸が震えているのをセトは感じた。背筋には冷や汗が噴き出し、膝は今にも震えだしそうなほどに感覚がない。
「その言葉、お前にも返す」
 口を開き青年が言い放った言葉に、セトの向けた銃口が震えた。自分のものと同質な声が、青年の口から放たれている。
 危険だと、本能が告げていた。
 だが、引き金が引けない。正面に立つ青年から、セトは目が離せなかった。
 ――切れ長の双眸に、整った目鼻立ち。
 その青年の顔は、セトと余りにも似ていた。
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