第五章 「真実と、意志」


 暖かな光の中、セトは小高い丘の上に佇んでいた。山吹色の光が降り注ぐ中、セトはただその場に立って前を見つめている。その傍らには、セトの足に寄り添うようにシェラが座っている。
 穏やかな表情を向けるシェラを見て、セトも微笑んだ。
 ――セト、あなたは生きて。
 シェラが言葉を投げる。
 セトは、確かに頷いた。しっかりと、強く。
 そのセトの頬を、水の雫が伝っていく。何故か、セトは涙を流していた。
 いや、理由を、セトは知っている。
 ――シェラ、俺は生きるよ。
 改めて口にする誓いの言葉は、かつてセトが抱いた感情よりも穏やかなものだった。
 シェラは、何も言わずにただ微笑んだ。包み込むような優しげな彼女の笑みが、セトは好きだった。
 彼女は、もうこの世にはいない。
 それを思い出したから、セトは涙を流した。目の前にいるのが彼女の幻影であっても、シェラが微笑んでくれた事が嬉しくて。
 霞みゆく視界の中、セトはシェラから視線を外した。光の降り注ぐ空へと顔を向ける。

 日差しを頬に浴びて、セトは目を覚ました。太陽は既に真上に達するところで、朝とは言い難い時間になっている。柔らかなベッドの中が程好く暖かく、セトは直ぐに身を起こそうと思わなかった。
 ベッドから出てしまえば、二度とこの暖かさの中に戻って来られないような気がして。
 顔を枕に埋めようとセトが頭を傾けた時、目尻から涙が伝い落ちた。それに驚きながらも、セトは涙ぐんでいた目を片手で拭い、身を起こした。
 部屋の中にヴィアと十六夜の姿はなかった。カーテンの隙間から日が差し込み、丁度、セトの顔があった枕の上を照らしている
「夢、か……」
 セトは大きく息をついた。
 研究所を抜け出して以来、夢を見た事はなかった。夢を見られる程の睡眠時間を取れなかったという方が正しい。警戒心を持ったままの仮眠は浅く、周囲に人の気配が現れずとも一時間から二時間程度で目が覚める。それを数回繰り返すのが、今までのセトの夜の過ごし方だった。
 警戒心を持たずに眠れた事などなかった。
 そんな生活を繰り返してきたためか、安眠できたセトは体が軽いと感じていた。一年半もの間、少しずつ蓄え続けられた疲労が、ここに来て一気に解消されたようだ。
「目が覚めたか」
 ドアを開け、ヴィアが部屋に入って来た。否、戻って来たというべきだろう。
「どこに行ってたんだ? 護衛のはずだろ?」
「屋上にいた。お前が起きた気配がしたから下りて来たんだ」
 セトの問いにヴィアはテーブルに十六夜を立てかけながら答えた。
 どうやら、ヴィアは天井の壁一枚挟んだ状態でセトの気配を読んだらしい。もっとも、昨夜のヴィアの力を見ていれば、十分可能だと解る。何せ、セトも可能なのだから。
「それにしても良く眠ってたな。いい夢でも見てたか?」
「……まぁ、ね」
 十六夜の言葉に、セトは微かな笑みを浮かべて答える。
「そうか、ちゃんと寝れたようだな。俺もまた暫く寝るかな」
 笑みを含んだ声で十六夜が言う。
 夢の内容を聞かれるかとセトは思っていたが、そうではなかった事に少し驚いた。個人の心の内側に土足で踏み入るつもりはない、という事なのだろう。
「昼食にするか」
 言い、ヴィアはホテルの機器を操作して料理を注文する。
 やがて、テーブルに並べられたのはパスタ系の料理だった。正確な名前をセトは知らなかったが、特に知る必要もなかったのでヴィアに問う事はしなかった。
「一つ、聞いておきたい」
 食事中、ヴィアがセトに声をかけて来た。
 視線だけを返し、問いの内容を促すセトを見てからヴィアは口を開く。
「お前は、生きて何をしたい?」
 その問いの意味を理解しかねて、セトは眉根を寄せた。
「何故、生きようとする? 生きたいと思う理由は、何だ?」
 言葉を変え、ヴィアが問い直す。
 セトは視線をテーブルに落とし、考える。
 今までセトが生きてきた理由の一つは、シェラの願いがあったからだ。死んだシェラの想いを託されたから、という理由は大きな部分を占めている。
 考えてもみれば、今までのセトは生き延びる事に必死だった。ほぼ無意識のうちに身体が動き、敵意を放つ存在に対応してきたのである。ただ、死ぬという選択肢を選ばずにここまで来ただけだ。
 確かに、死ぬ、という選択肢を選ぶのは簡単な事に思えた。死ぬという選択は、セトが置かれている状況すべてを無にする事ができる。自分の存在と引き換えに。今までそれを考える事がなかったのは、シェラが傍にいたからだろう。セトの存在を必要としてくれる彼女がいたからこそ、セトは自身の存在を消そうとはしなかった。
 ――ただ、死にたくない。
 ヴィアの問いへの返答は、漠然とそう思うだけだった。
「……ヴィアは、どうなんだ?」
 セトは問い返す。
 自分の答えが不十分なのだという事に気付いたから。
「俺は、十六夜を人間に戻してやりたいと思っている」
 ヴィアは、十六夜が眠っている事を目線で確認してから告げた。
「できるのか?」
 驚愕と疑念を含んだ声でセトが問う。言葉の真偽をはかりかねた視線がヴィアに向けられる。
「さぁな。できるかどうか、俺にも判らん」
 ヴィアは微かに首を振った。
 そもそも、人間の意識を武具に移植するという事自体が常識を超えている。論理的には、人間から武具へ意識を移す事ができたのだから、その逆もできるはずだ。だが、人間としての身体が既に存在していない者を、どうやって戻すつもりなのだろうか。
「ただ、俺はそうしたいと思っている」
 確かな意志の篭った眼差しがセトに向けられる。
 本気なのだと、セトは感じた。
「もっとも、今でも手がかりは全くないがな」
 残念に思った風もなく、ヴィアは言った。
 恐らく、ヴィアも気付いているのだ。それが極めて絶望的な事であると。それでも、ヴィアは探しているのだ。
「十六夜には言わないでくれよ」
 口元に苦笑いを浮かべて、ヴィアが言った。
 セトは頷く事しかできなかった。
「生きてどうしたいのか、どうなりたいのか、それは重要な事だ。確かな目標があって、生きる事に執着できる者はそれだけ強くなれる」
 ヴィアは言う。
 十六夜をリュンヌにする方法が見つからなくとも、ヴィアはそれを目標にしているのだと。その目標を達成するために、強くなってきたのだと。
 目標達成が可能か不可能かは問題ではない。要は、一生かけてでも追い続けたいと思えるものがあるかどうかだ。
「真に強い敵と戦う時、最も必要なのが生きる意志だ。負けられないと思えるだけの目標だ」
 小手先の技が通用しない敵が現れた時、諦めを抱かないだけの意志が必要なのだと、ヴィアは言う。
「お前に、それがあるか?」
 セトは黙り込んだ。
 食事の手を止め、考える。セト自身、生き延びて何がしたいのか、どうなりたいのか。
 セト自身が明確にしたいと思う事はなかった。欲しいものがあるとすれば、平穏な生活を得たい。ただ、それを強く渇望しているかと問われるとそうでもない。単に、生活環境を良くしたいと考えているだけなのだから。
「俺は……」
 セトは言葉に詰まった。
 自分はどうなりたいのだろう。そう考えて、一つだけ思い浮かんだ事があった。
「――俺は、あんたみたいになりたい」
 静かな声で、セトは告げた。
 セトの言葉にも、ヴィアは無表情を崩さない。ヴィアはただ、真っ直ぐにセトの視線を受け止めていた。
 ヴィアのように落ち着いた生活がしたいというわけでも、便利屋になりたいというわけでもない。無論、漠然とそう思ったわけでもない。セトにないものを、ヴィアは持っている。
 確かな心の強さを。
 今までセトが生き延びてきたのはシェラの想いが大部分を占める、生への執着心だ。どのような状況下でも生き延びようとする決意と意志は誰にも負けないとセトは思っていた。セトの心は決して脆くはない。シェラを失った後も、ただひたすらに生きる事だけを考えてきた。
 だが、ヴィアは全てを受け入れ、背負い、その上で生きている。
 それは、今を凌ぎきる事だけを考えているセトとは違う。ヴィアは、しっかりと未来を見据え、生きようとしているのだ。
 セトにそれだけの意志はなかった。
 今までは。
 夢を見たせいだろうかと、セトは思う。ただ生き続ける事がシェラの望みではないと、セトは気付く事ができた。シェラの望みセトが幸せになる事だったのだ。セトが彼女に対してそう思っていたのと同様に。
 今日初めて、シェラの本当の想いに気付く事ができた。自分の意志で生きていく、それだけの強さが欲しいと思った。心も、身体も。
 ヴィアは食事を再開した。セトも止めていた手を動かし始める。
 二人は無言のまま昼食を終えた。
 やがて、夕食を終えても二人は必要以上の言葉を交わさなかった。
 話題がなかったというのもあるが、昼に交わした言葉の存在が大きかった。互いに何かを喋らなければならないという理由もなく、セトは一度もした事のない昼寝を楽しみ、ヴィアは道具を使わずに行えるトレーニングをして午後を過ごしていた。
 夕食を終えて一時間ほどが経ち、ヴィアがシャワーから上がった時だった。
 髪を乾かし終えたヴィアが急に鋭い視線をカーテンが掛かった窓へと向けた。セトが口を開くよりも早く、ヴィアはナイトテーブル脇の十六夜を掴み、柄に右手を添える。
 同時に、セトも窓の外に気配を感じた。急速に迫ってくる、人間の気配を。
 直後、窓ガラスを突き破って部屋の中に何かが突入してきた。
 ヴィアは身構え、セトもホルスターに収められた銃に手を触れている。
 ガラスが砕け散り、床に撒き散らされる。
 その上に、侵入者が転がった。気配から戦意を感じ取る事はできず、セトに背を向けるように倒れ、ぐったりとしている。
 傷を負っているらしく、身に着けている服がところどころ赤く染まっている。今も出血しているらしく、絨毯に赤い染みが広がっていくのが見えた。
 駆け寄り、顔を見てセトは息を呑んだ。
 セトはその人物を知っていた。
「フィア!」
 驚愕に目を見開き、セトは名を呟いた。
 それは昨晩、敵として対峙したはずの少女だった。


 セトが少女の名前を呟いた時、ヴィアは窓の外へと視線を向けていた。
 窓の外から何者かの気配がある。実際に目で確認しようと、ヴィアが踏み出そうとした直後、気配は消えた。割れた窓ガラスから外を見回し、敵がいない事を確認する。
 唐突な気配の消え方に、ヴィアは眉根を寄せる。空間跳躍が可能な者はセトの他に、レジウムとファストしかいない。
 気配というのは人それぞれで微妙に異なる。言葉での説明は難しいが、ヴィアとセトの気配は違うものだ。人物が体内に持つ魔力量の差、魔力のもたらす特性などと理論付けられている。はっきりと認識する事ができれば気配だけで誰が近付いて来たのか判別する事も可能である。少々訓練を必要とするが、ヴィアは会得していた。
 セトの気配は既に認識できているが、幾度か相対したはずのレジウムの気配がどうも認識できない。輪郭がぼやかされているような、妙な感覚があったのである。ただ、窓の外に存在した気配はレジウムに似ているようにも思えた。だが、今一つ確証を持てない。
 気配の消失に疑念を抱きつつも、ヴィアはセトがフィアと呼んだ少女に視線を向ける。
 瞬間、ヴィアは目を見張った。
「こいつ、何者だよ……!」
 十六夜も気付いたらしく、上擦った声を上げた。
「ヴィア?」
「フィア、と言ったか?」
「あ、ああ」
 セトがフィアに視線を落とす。
 ヴィアは気を取り直して少女の傍に屈むと、怪我の具合を見た。
「う……ぁ……」
 呻き声を上げ、フィアが微かに目を開ける。
「……敵、が……逃げ、て……」
 それだけ呟くと、彼女は気を失った。
「逃げて、だとよ。どうする、ヴィア?」
 十六夜が問う。
「フィアは、政府側の人間だ。昨晩、戦った」
「何故、ここにこうして現れたのかが判らないな。今の言葉も、敵にしては妙だ」
 セトの説明に、ヴィアは告げた。
 見たところ、フィアは無数の傷を負っているものの、致命傷となる傷は負っていなかった。身体へのダメージは大きいだろうが、応急処置をしておくだけでも死ぬ事はないだろう。
 ヴィアは荷物の中から携帯用の医療セットを取り出してフィアの手当てを行い、自分が使っていたベッドの上に寝かせた。はっきりと間近で見たフィアの顔は、リュンヌに酷似していた。
「敵の策、という事も考えられなくはないが……」
 ヴィアとセトの隙を狙って二人を始末するために送り込まれたとも考えられるが、フィアは確かに気絶している。むしろフィアの方が隙だらけな状態だ。
「寝返った、っていうのも有り得なくはないよな」
 十六夜の言葉にヴィアは頷く。
「結局、これからどうするんだ?」
 セトの問いに、ヴィアは窓の外へ視線を投げた。
「ここを出る」
 ロングコートに腕を通し、ヴィアは言った。
 敵が迫っている、というフィアの言葉を信用するならば、直ぐにこのホテルを引き払うべきだ。二人の居場所は既に知られている。ならば、ビルの最上階という行き止まりにいる事は分が悪い。ホテルの経営側にも迷惑がかかるだろう。そう時間を置かず、警備の人間が来るはずだ。
「セト、彼女を運んでやれ。聞きたい事もある」
「解った」
 ヴィアの言葉に、セトは素直に頷いた。
 セトがホテルに入って来た非常用の裏道を使い、ヴィアとセトは路地裏に出た。
「ホテルの方は、いいのか?」
「お前が気にする事じゃない。少し余計に金を払えば済む事だ」
 フィアを背負うセトの問いにヴィアは笑みを浮かべて答える。今まで自分自身の安全しか考えていなかったセトが、他の事に意識を向けた事にヴィアは笑みを浮かべた。もっとも、セト自身は気付いていないようだが。
 ホテル側には、部屋の修理費用と宿泊代金、迷惑料を払えばどうにでもなる。幸い、ヴィアの資産は十分にある。
 欠けた月が空を薄く照らす中、左右を高い壁で囲まれた暗い路地裏を二人は駆け抜けていった。
 だが、その足も直ぐに止まる。
 一直線の道の先に、数は明らかに一桁を越える数の人影が待ち受けているのが判った。
「政府のエージェント……!」
 セトが呟いた。
「あなたは、便利屋?」
 声と共に、奥から巨大な影が進み出てきた。
 甲冑のような装甲で覆われた人影だ。灰色の装甲に身を包んだそれに頭はなく、巨大な流線型の胴体に、大型の腕部と脚部がついている。腕には大きな銃口があり、背には巨大な剣が見えた。
「魔動機兵か」
 ヴィアが呟いた。
 魔動機兵。それは政府が保有する中でもトップクラスの性能を誇る、身に着ける兵器だ。胴体内部に人間が入り、操縦するのである。強固な装甲は通常の兵器だけでなく、魔工学兵器への防御能力も高く、見た目の重量感とは裏腹に機動性も高い。無論、瞬発力などは人間の比ではない。
「昨夜は退いたけれど、今日は違うわよ」
「その声、ラセル……!」
 セトが鋭い視線を向け、呟く。
「便利屋さん、悪いけれど下がっていた方がいいわよ」
「生憎、雇われの身なんでな」
 魔動機兵の中のラセルに言葉を返す。
「ふぅん、命知らずなのね」
 艶っぽい声を響かせ、魔動機兵の足が一歩踏み出される。
 瞬間、ヴィアの身体が弾かれたように動いた。セトの前に割り込み、左手で背中の長刀を回転させ、ウェストベルトの連結部をずらす。右手に柄を滑り込ませ、そのまま抜刀し、前へと切っ先を突き出した。
 十六夜の切っ先を突きつけられたラセルが動きを止める。
「魔鋼剣で、この魔動機兵の装甲は切れないわよ」
 ラセルが言い、動いた。
 横薙ぎに手刀が繰り出され、ヴィアはそれを屈んでかわす。十六夜を握る右手に力を込め、ヴィアは大きく後方へと刃を引いた。
「閃風(せんぷう)!」
 ヴィアの言葉を合図とするかのように、十六夜の刀身に白銀の光が走る。その刃が風を纏い、周囲の景色が揺らぐ。
 右足を踏み込み、右から左へとヴィアは十六夜を振るった。白銀の閃光が弧を描き、刃の軌跡を描く。刀身が纏っていた風は鋭く音を立てて吹き放たれ、魔動機兵とその周囲に立つ諜報員を直撃した。
 諜報員達はその突風に吹き飛ばされたが、魔動機兵は一メートルほど後ずさっただけだった。
「氷牙(ひょうが)!」
 振り抜いた十六夜の返す刀が三日月に近い形の氷の刃を放った。白い冷気を帯びた剣圧が周囲に放たれる。
 氷の刃は魔動機兵の胴体に命中こそしたが、装甲を貫く事はできずにガラスの砕けるような澄んだ音を立てて砕け散る。
「焔刃(えんじん)!」
 右上から左下へとヴィアが袈裟懸けに振り下ろす十六夜が炎を纏う。赤々と燃え上がる炎が熱気を放ち、振り下ろされると同時に刃から放出された。大気を焦がすように陽炎を振り撒く真紅の炎が魔動機兵を捉える。だが、装甲を溶かす事もできずにいとも簡単に消失した。
「招(しょう)雷(らい)!」
 左上から右下へ、ヴィアは十六夜を逆袈裟に振り下ろす。刃は雷をその身に纏い、鋭く空気を切り裂いて魔動機兵へと直撃した。雷撃は装甲表面を伝って周囲に拡散し、消滅する。
「対魔処理が施された装甲には魔鋼剣の攻撃は通じない」
 ラセルが呟き、魔動機兵の腕が跳ね上がった。大型の銃口から放たれた巨大な弾丸が、ヴィアの目前で消失する。一瞬遅れて、頭上で爆音が聞こえた。多量の火薬を詰めたグレネード弾だったらしい。
「良いタイミングだ」
 ヴィアが口元に笑みを浮かべる。背後のセトが、空間跳躍の力を使って魔動機兵の攻撃を別の場所に転移させたのだ。
「加勢しようか?」
「いや、フィアの事もある。防御に徹していてくれていい」
 セトの提案を拒否し、ヴィアは魔動機兵とエージェント達を見渡した。
「人間一人で魔動機兵に勝てるかしらね」
 ラセルの声と同時に、魔動機兵が動く。突風のようにも感じられる爆発的な瞬発力で魔動機兵がヴィアに肉薄する。魔動機兵が背中の巨大な剣を手に取り、振り下ろした。
 肉厚の大剣をかわしきれないと判断し、ヴィアは十六夜で受け止めた。真横に向けた刀身の背に左手を沿え、肉厚の大剣を真正面から受ける。大木が倒れて来たかのような重量のある一撃に、しかしヴィアは耐えた。衝撃で足元の地面が抉れたが、ヴィアは魔動機兵を押し留めた。
「な……!」
 ラセルが息を呑む。表情こそ見えないが、人間離れしたヴィアの行動に驚愕しているのが容易に想像できる。周囲の諜報員もざわめいている。
 普通の人間にできる事ではない。人間に受け止められるようでは、魔動機兵が存在する意味はない。人間には不可能な戦闘能力を持たせるという意義がなくなってしまう。
 息を吐き、ヴィアは十六夜を払った。魔動機兵が飛び退き、距離を取る。
 十六夜の刀身にも刃こぼれはない。
「大丈夫か、ヴィア?」
 ヴィアにしか聞こえないほどの小さな声で、十六夜がヴィアを気遣う。耐える事はできたが、ヴィアも全ての衝撃を受け流しきれてはいなかった。身体を重りで縛られたかのような圧迫感が残っている。
 出方を窺っているのか、魔動機兵が攻撃してこない間にヴィアは圧迫感を消す事に意識を集中させていた。
 静かに息を吸い、吐き出す。その動作で体内の魔力を調整し、ヴィアは身体に残されたダメージを消化させる。
 並の人間以上の身体能力を持つヴィアは、体内に存在する魔力も多い。それを一気に調整すれば大抵の打撃・衝撃のダメージは簡単に消す事ができる。
「十六夜……一気に仕留めるぞ」
「アレだな。魔力は十分に溜まってるぜ」
 極小さな声で十六夜と言葉を交わす。
「ヴィア?」
 聞こえていたらしく、セトが声をかけてくる。何をするのか知りたいのだろう。
「一斉にかかれ! 戦闘能力が高くともこの数をまともに相手にはできないはずよ!」
 ラセルが指示を飛ばす。
 エージェント達が動き始める。各々武器を手に、雄叫びを上げてヴィアへと殺到する。
「下がっていろ、セト」
 静かに言い放ち、ヴィアは十六夜を左脇に回した鞘へ収めた。そのまま右足を前に出し、左足を引く。上体を倒し、やや前傾姿勢になったヴィアは左手を鞘口、右手を柄に添える。
「月齢(げつれい)――」
 ヴィアの目が鋭く細められる。まるで、刃のように。
「――満欠(みちかけ)」
 柄を握り締め、ヴィアは駆け出した。
 魔動機兵にも劣る事のない爆発的な瞬発力で、ヴィアがエージェント達の中へと真正面から飛び込んでいく。戦闘に立つ男に肉薄したヴィアが右腕を一閃させる。
 白銀の閃光が弧を描いた。
 鞘から解き放たれた十六夜の刀身は白銀の光に包まれ、同色の光の粒子を周囲に振り撒いている。刀身に刻まれた溝に光が走って輝いているのではなく、十六夜の刃全体が光に覆われていた。
 光の正体は魔力だ。切断力と破壊力の増幅に効果を発揮させているのだ。
 振り抜いた刃に引かれるように、ヴィアは身体を回転させていく。ヴィアはそのまま回し蹴りを男に放ち、横の壁へと吹き飛ばす。男が壁に激突するよりも早く、直ぐ傍にいた男へヴィアは遠心力を加えて加速させた十六夜を振るった。
 勢いを消さずに返す刃で近付いてきていた別の諜報員を切り付ける。十六夜を袈裟懸けに振り下ろし、身体を反転させて背後へと突きを繰り出した。二人の男の丁度中間に突き出した十六夜を、ヴィアは二つに分離させる。二つの刃を左右に払い、それぞれ一人ずつ仕留めた。
 すぐさま右から左へと右手を、上から下へ左手をヴィアは振るう。二人の諜報員を同時に切り伏せ、両手の刃を水平に構えて左から右へと一閃させた。そうして背後と正面の諜報員を切り払う。
 そのまま身体を一回転させ、ヴィアと右手に握った上弦の月を、遠心力を利用して前方へと投擲する。
 ヴィアの手から上弦の月が離れた瞬間、下弦の月と柄が光の鎖で繋がれた。鎖を引き、上弦の月を横薙ぎに振り回した。距離の離れていたエージェント三人を薙ぎ倒す。
 鎖の中央を掴み、ヴィアは刀を引き戻すと同時に左手の刃を手から離す。ヴィアは鎖の中央を引き、二つの刀を大きく振り回す。周囲にいたエージェントを鎖で吹き飛ばし、離れた場所の敵を二つの刃、上弦の月と下弦の月が薙ぎ払っていく。
 ヴィアが地を蹴った。空中で左右の長刀をそれぞれの手に戻し、ヴィアは鎖を消した。着地点にいた三人のエージェントを、一人は上弦の月、別の一人を下弦の月、最後の一人には回し蹴りを見舞って薙ぎ倒す。
 殺到する諜報員達の中を止まる事なく駆け抜け、ヴィアは十六夜を振るった。
 白銀の閃光がエージェント達のいる中を駆け巡りヴィアの軌跡だけを残していく。
 真正面に残された魔動機兵が動いた。右腕下部からグレネード弾を放つ。
 ヴィアは右手の上弦の月と左手の下弦の月をグレネードの左右に叩き付けた。グレネードの内部で二本の刀が十六夜へと変化し、白銀の光が内側から溢れる。十六夜の放つ膨大な量の魔力によってグレネードが内側から分解され、消失した。足を止める事なく、ヴィアは魔動機兵へと突撃していった。
「おぉぉぉぉぉっ!」
 雄叫びを上げ、ラセルが魔動機兵をヴィアへと突撃させる。
 魔動機兵が振り下ろした大剣を、ヴィアは身体を捻りながら軸をずらし、かわした。地に叩き付けられた大剣が路地裏の地面を砕き、縦に裂いた。
 大きく左下から右上へ、ヴィアは十六夜を振り抜いた。魔動機兵とヴィアがすれ違う。
 白銀の光が弧を描く。水飛沫のように白銀の燐光が剣先から放出され、辺りに光を振り撒いた。
 一瞬の間を置いて、魔動機兵の胴体が裂けた。人間でいう、左脇腹を深く裂かれている。左腕が地面に落ち、金属の軋む音を響かせて魔動機兵が倒れこむ。その背面が小さく爆発を起こした。十六夜の持つ莫大な魔力を受けて、動力部位が暴走したのである。
 魔動機兵の胴体が開き、中からラセルが這い出して来た。
 ラセルの全身は汗で濡れ、茶髪のショートヘアも乱れきり、左の脇腹が赤く染まっている。傷口を右手で押さえ、左上で身を起こし、魔動機兵の傍らに立つヴィアへと睨むように視線を向ける。
「く……何故、装甲が……!」
 魔動機兵の有様を見て、ラセルが呻くように呟いた。
「刀というタイプの武器は、角度と速ささえあればどんなものでも断ち切れる。魔動機兵の装甲を裂いたのは、単純な刀の切断力だけだ」
 ヴィアはラセルへと振り返った。
 表情はなく、ただ鋭い視線だけがラセルへと向けられる。
「何故、殺さない! 情けをかけたつもり? 私だけ!」
 ラセルが叫ぶ。汗で濡れた髪を振り乱し、ラセルが取り乱す。敵意をむき出しにしてはいるが、戦うだけの体力はもうないようだった。
「他の者も全て急所は外してある。死にはしないだろう」
 言い、ヴィアは路地裏の後方にいるセトへと視線を向けた。それに気付いたらしく、セトが駆け寄ってくる。
 ヴィアは長刀に残された光を振り払うかのように右腕を一閃させ、その光だけを払い落とした。元の状態に戻った十六夜を、ヴィアは鞘に収める。
「無駄な殺しはしたくないんだ」
 それだけ言い残して、ヴィアは歩き出した。


 セトの目の前で繰り広げられた戦いは凄まじいものだった。
 十六夜が白銀の光が燐光を撒き散らしながら軌跡を描く。水の如き流れるような無駄のない動きで、ヴィアは諜報員達の間を駆け抜けていった。
 今までセトが見た十六夜の構えは、三つだ。
 一刀流、招(しょう)夜(や)。
 二刀流、狼(ろう)月(げつ)。
 変異二刀流、鎖刃(さじん)。
 ヴィアが見せた技は、三つのどれにも属さないものでありながらも全てを含んでいた。流れるように次々と十六夜の型を切り替え、ヴィアは的確かつ素早く敵を薙ぎ倒していった。
 諜報員達に攻撃の余地を一切与えず、ヴィアは一人につき一撃で戦闘不能に陥れていく。魔動機兵ですら、ヴィアを止める事ができなかった。
 かつて、セトも一度だけ魔動機兵を相手にした事がある。その時は装甲で覆われていない間接部に弾丸を撃ち込み続け、戦闘不能に追いやった。人間相手ならばそれほど苦労もしないセトだったが、魔動機兵にはかなり苦戦した記憶がある。
 並の人間が勝てる相手ではない魔動機兵を、ヴィアは一太刀で仕留めてしまった。それも、搭乗者すら殺さずに。
「あのままでいいのか?」
 セトは後方を見やり、ヴィアに問う。
 生かしておけば、また追っ手となる可能性もある。ここで排除しておいた方がいいのではないだろうか、セトはそう問い質したいのだ。
「戦意を失くした者がいれば、それは伝播していくものだ。生きていれば追撃の命が下るかもしれないが、積極的に仕掛けてはこなくなるだろう」
 ヴィアが答える。
 確かに、ヴィアの言う通りならば、追っ手は暫く現れないかもしれない。ヴィアを恐れた諜報員達に感化され、他の者達も追撃を躊躇するかもしれないのだ。
「それより、これからどうするんだ?」
「この先に廃工場があるのをホテルの屋上から確認している。一旦、そこに身を隠そう。フィアから話も聞く必要があるからな」
「まさか、朝屋上にいたのはこうなる事を見越して?」
 朝、ヴィアが屋上に出ていた事を思い出してセトは驚いた。
「半分は偶然だが、いずれ敵が来る事は判っていた」
 走りながらヴィアが言う。
 昨晩、セトがファストと戦っていた事はヴィアに話していない。しかし、ヴィアならばセトの様子から何者かと戦闘していた事は察しているはずだ。その戦闘で居場所が割れたとすれば、敵は準備を整えて包囲してくるだろう。
 ただ、ホテルの最上階は逃げ場がない。退く事のできる場所へ移動する方が好ましいはずだ。廃工場ならば人気も少なく、障害物も適度に多い。
「――そう簡単には逃がさねぇぜ」
 前方に一つの気配が現れ、セトとヴィアは足を止めた。
「単純な戦闘力じゃ俺のが下でも、依頼達成力で劣るわけにはいかねぇ」
 間髪入れずに放たれた弾丸に、セトは反射的に対応していた。前方から殺気が向けられると同時に銃声が鳴り響き、セトは反射的に横へ足を踏み出した。殺気から身体をずらしたセトの顔のすぐ脇を銃弾が通過していく。
「ちっ、外したか」
「ギュレーか……!」
 ヴィアが十六夜の柄に手をかける。
 セトには二人の間で何があったのか知らないが、ギュレーが敵である事だけは理解できた。依頼達成力、という言葉からギュレーが便利屋であり、狙いがセトである事も明らかだ。
 十六夜に手をかけたまま、ヴィアが駆け出す。
「今度は前と違うぜ!」
 ギュレーが挑戦的な口調で言い、銃を放つ。
 銃口はヴィアに向けられておらず、左右の壁に向けられていた。放たれた弾丸が硬質な壁で跳ね返り、ヴィアの背後へと向かう。その先にいるのは、セトだ。
「跳弾か!」
 咄嗟にセトは空間跳躍で自身の前面の空間を転移させ、銃弾をかわした。ギュレーの殺気がヴィアではなくセトへ向けられているのを感じ取っていた事で、直ぐに反応できた。
 一瞬の後に舌打ちが聞こえた。セトが弾丸をかわした事が判ったらしい。セトとギュレーの間にヴィアがいる事で、相手はセトの動きを余り視認できていないようだ。
「俺を狙ってるのか。なら!」
 セトが駆け出す。
「フィアを!」
 空間跳躍でヴィアの横へ転移すると、背負っていたフィアをヴィアの方に放り出した。
 瞬間的に絡み合った視線に、セトは自身が戦う意思を込めた。その意図を理解したらしく、ヴィアはフィアを受け止めると後方へ退いた。
 視線を前方のギュレーに向け、セトは地面を蹴る。
 セトだけに攻撃を向けるギュレーとヴィアが戦うよりも、狙われているセトがギュレーを倒す方がやり易い。ヴィアがセトを守りながら戦うよりも、セトが単独で戦う方が簡単だ。セトとヴィアの戦闘力が互角なのだから、どちらが戦ったとしても大きな違いはないだろう。
 ただ単に一人の人間を相手にするのならば、特異な能力を持つセトの方が優位に立てるはずだ。
 ギュレーが銃口を向けた瞬間に、セトは目の前の空間をギュレーの背後へと繋げた。セトには感覚でそれができる。
 視界から消えたセトを見て、ギュレーの身体が強張った。その時既にセトはギュレーの背後に立っている。気配を感じ、振り返ろうとするギュレーへとセトは回し蹴りを放った。
「いつの間にっ!」
 ギュレーは辛うじて蹴りを腕で防いだ。セトは力任せに足を振り抜き、ギュレーの体勢を崩す。
 セトは腰の後ろから銃を抜き放ち、仰け反るようにバランスを崩したギュレーへと向ける。反射的にギュレーが足を跳ね上げ、セトの手から銃を上空へと弾き飛ばした。
 空間跳躍に対応したギュレーに、セトは少しだけ感心した。今まで、セトの動きに反応できたのはヴィア、ファスト、フィアの三人だけだ。並の人間以上の反射神経と身体能力はあるらしい。だが、それでもヴィア達のように人間離れしていると言えるほどの力はない。
 ギュレーが銃を向けた瞬間、セトは右手だけを空間跳躍で転移させていた。空間に穴を開け、任意の場所に出口を作る。セトの手が空間を跳び越え、ギュレーの銃身を掴む。
 銃身を掴み、強引に引く。空間の穴から手を引き抜き、ギュレーの銃を奪い取る。
 銃を奪うと同時に銃身からグリップへと手を回し、セトは即座にギュレーへと突きつけた。
「何っ!」
「柄にナイフを組んだ銃か、こういうのもありだな」
 目を剥いて動揺するギュレーを他所に、セトは小さく呟いた。ギュレーから奪った銃の柄には、ナイフの刃が組み合わされていた。近接戦闘にも対応できる銃を自作した、というところだろうが、セトは悪くない発想だと思う。
 ギュレーは懐からもう一丁、同じ銃を取り出し、ナイフ部分でセトが奪った銃を弾いた。
 勝ち気な表情は消え失せ、未知の敵を相手にする警戒心が満ちた顔でギュレーはセトを見ている。いきなり視界から消えたと思えば一瞬で背後に移動し、銃すらも簡単に奪う。普通の人間であるギュレーにとっては、セトの特異な能力が信じられない事だろう。もっとも、空間跳躍という能力を理解し、それだと判別できているとも思えないが。
 ギュレーが左手に拳銃を持ち、セトへと向ける。
 セトは最初に弾き飛ばされた拳銃を空間跳躍で右手に戻し、ギュレーへと向ける。
 だが、引き金を引こうとして、セトは躊躇した。今までは意識せずとも引き金を引いていた。ただ、この時のセトは自らの意思で銃を撃たなかった。一瞬、セトにも理由が解らなかった。しかし、その間にギュレーは引き金を引いている。
 銃弾が頭に命中する寸前に、セトはギュレーの背後へと転移する。反射的な防御行動だ。セトは無防備なギュレーの背中に銃口を向けようとして、止めた。
 無駄な殺しはしない。
 ヴィアの言葉がセトの躊躇いの理由だった。
 今までは引き金を引いてきた。しかし、ここで引き金を引かずに相手を退けたなら、どうなるだろうか。敵を打ち倒し続けるよりも、もっと違う道が開けるのだろうか。ただ排斥していくのとは違う、異なった可能性が、そこにはあるのかもしれない。
 セトは右手を振り上げた。銃の柄をギュレーの首筋へと振り下ろす。
「なっ……!」
 振り返ろうとしたギュレーの肩にセトの攻撃が命中した。すかさずセトは回し蹴りを放ち、ギュレーを道の脇の壁へと叩き付ける。
「ぐっ!」
 背中を壁に打ち付けながらも銃を向けようとするギュレーに、セトは発砲した。
 ギュレーが持つ銃に、銃弾が撃ち込まれる。フレームが砕かれ、内部機構が破損し、破片が飛び散る。
「ヴィアを倒せないお前に、俺は倒せない」
 一言、セトはそう告げてギュレーの鳩尾に強烈な拳打を見舞った。
「あがっ……」
 身体をくの字に曲げ、ギュレーが気を失う。
 気絶したギュレーを道に放り、セトはヴィアに振り返った。
「行こう、ヴィア」
 その言葉にヴィアは頷き、駆け出した。セトはそれを追って走り出した。

 辿り着いた廃工場の周囲には人気がなかった。内部には既に原型を留めていない朽ち果てた機械の一部分が散乱している。周囲の壁は酷く損傷し、錆び付き、欠けた鉄骨が覗いている。廃工場の敷地自体はかなり広く、五百メートル四方はありそうだ。
 廃工場の内部を見て周りながら、二人は壁の破損が比較的少ない部屋を探し出して一息ついた。廃工場内に落ちていたビニールシートを地面に敷き、フィアをその上に寝かせた。
「フィア、おい、フィア!」
 セトはフィアの肩を軽く揺すり、呼び掛ける。状況が状況なだけに、セトはフィアから早く事情を聞きだしたかった。身を隠しているとはいえ、いずれ気付かれるという事は目に見えている。
「うぅ……」
 呻き声を上げ、フィアがゆっくりと目を開いた。
「何があった? いきなり突っ込んでくるなんてどうなってるんだ?」
 起きたばかりのフィアにセトは質問を浴びせる。ヴィアは小さな窓の脇に立ち、腕を組んで壁に背を預けている。
「セトに……ヴィアライル・ウルフ……?」
 二人の顔を見てフィアが眉根を寄せた。
「順を追って話せ。俺達は状況が知りたい」
 静かな、それでいて穏やかな口調でヴィアが言う。目には鋭い光があり、周囲への警戒心が見て取れた。
 フィアは躊躇いがちに目を伏せた。フィアは、黙ったまま見つめるセトに哀しげな視線を向ける。続いて、窓から外の様子を窺うヴィアに憐れむような視線を向けた。
「私は、昨晩、あなたと戦った後、研究施設に戻った。そこで、あなたの事を調べたの」
「俺の事を?」
 躊躇いがちながらも語り出したフィアの言葉に、セトは眉根を寄せた。
「最初は、あなたへの対処法を考えるつもりだった。私は、多分、あなたもそうでしょうけど、ハッキングの技術も教え込まれている。その技術で、端末から深い場所へアクセスした。あなたの情報は最上級のセキュリティがかけられていたわ」
 セトが研究施設にいた頃、カリキュラムとして様々な技術を教え込まれた。戦闘技術はその一端にしか過ぎない。一般教養、礼儀作法を初めとして、機械に関する技術、高度なハッキングまでもセトとシェラは会得させられていた。同じくナンバーの名を持つフィアも、教え込まれていた。
「最上級のセキュリティがかけられていたあなたの情報を、私は引き出した。けれど、それが失敗だった」
 セトにはフィアの言いたい事が判った気がした。
 最上級のセキュリティが掛けられた重要機密を見てしまったという事だ。つまり、重要機密として秘匿されていた情報を見た事で、フィアは敵と認識されたのである。
「すぐさま私は包囲された。私はファストに追われたわ。それでも必死に逃げたけれど、ファストは空間跳躍で私はあなた達のところに放り込んだ。最初に抵抗しなければ追われる事はなかったんでしょうけど」
 フィアが自嘲気味の笑みを浮かべる。
 フィアが施設の人間達に敵と認識されたのは、抵抗したからだ。抵抗しなかった場合、フィアは研究施設に留まる事ができたのかもしれない。機密事項に触れた事で厳罰を与えられる可能性は低くないが、特異な能力を持つフィアを簡単に切り捨てたりはしないはずである。
 加えて、彼女がホテルのガラスを破って突入してきたのはファストの仕業だったという事だ。
「でも、何でファストがお前を俺達の所に飛ばしたんだ?」
 セトは首を傾げた。
 機密事項を知ってしまったフィアを、研究機関が生かしておく理由はない。機関側の人間であるファストが、フィアをセトとヴィアの下へ放り込む理由はないはずなのだ。
「私も分からない。推測で良ければ後で教えてあげるけれど」
 研究施設から離れていたセトには、ファストの真意が分からない。近くにいたフィアの方が、推測も正解に近いはずだ。決して真意を見せないファストだが、何かを企てているのは感じられる。
「それで、何を見た?」
 今まで黙り込んでいたヴィアが口を挟んだ。
 問題なのは、何故フィアが抵抗したのか、である。彼女が目にした情報が関係しているのだと、ヴィアは直ぐに見抜いていた。
「二人とも、互いに似ていると思わない?」
「俺がヴィアの弟かもしれないという事は聞いている」
 フィアの言葉にセトは答えた。
 ヴィアがセトに接触した理由の一つだ。
「違うわ」
「違う、だと?」
 フィアの言葉を、ヴィアが復唱した。
「なら、他人の空似って奴か?」
 十六夜が口を挟んだ。
「この声、その魔鋼剣?」
 フィアがヴィアの背の長刀に視線を向ける。
「元人間だけどな。人間の時は、あんたにそっくりだったぜ」
 十六夜の言葉は初耳だった。リュンヌとフィアが似ている。同時に、フィアはシェラと似ている。それはつまり、シェラがリュンヌに似ているという事を意味する。
「でしょうね」
 フィアの顔は哀愁に満ちていた。今にも涙を流しそうな表情をしている。
「私は、リュンヌ・レトワールのクローンだから」
「なんだと!」
 ヴィアが目を見開いた。セトには、初めてヴィアが取り乱したように見えた。
「いいえ、正確には、ゼロ・ツー、シェラのクローンよ」
「どういう事だ……?」
 セトの手はフィアの胸倉を掴んでいた。
 シェラがリュンヌのクローンだと、フィアは言ったのだ。同時に、彼女自身も同系列のクローンなのだと。
 魔工学が発達している現在、設備さえ十分に整っていれば成長促進なども可能と言われている。フィアがシェラと同年齢に見えても不自然ではない。
 驚愕だけではない、言い知れぬ恐怖が腹の奥底に渦巻いているのが、セトには解る。
「セト、いいえ、ゼロ・スリー」
 時間が引き延ばされたような錯覚にセトは陥っていた。フィアの言葉がやけにゆっくりと、反響して聞こえる。彼女の次の言葉が、セトにも予想できた。
 セトにはそれが、恐ろしかった。
「あなたは、ヴィアライル・ウルフのクローンなのよ……」
 瞬間、その場から音が消失したような気がした。
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