日記


――「精霊使いの概要」――


(前文省略)

世界が混乱しているのは、私の責任だ。
地球規模の大反乱に、「精霊使い」と呼ばれる人類の優性系が絡んでいるのは周知の事実である。だが、彼らを発見してしまったのは、私なのだ。
ヨーロッパ地区を主軸に、アフリカ、オーストラリア、アメリカ、アジア。世界の各地方で発見された、特殊能力保持型ホモ・サピエンス。数々の超常現象が、この『世界』と言う空間――地球の能力に酷似していることから、彼らは人類の進化系ではないかと言われ続けてきた。しかし、認めねばならないこともあるのではないかと考えた。まだ、彼らも人間なのだ。人を好きにもなるし、人を妬みもする。私は彼らを見付けてしまったことを、心底後悔して止まない。
彼らの力を、誤解してはいけない。彼らは人の持っていた能力とは明らかに違うが、それでも『この世』に存在していた力を使うのだ。その説明を、今から下に書き記して行くこととする。
この世は、各属性によって創られている。元素(エレメント)、である。それらの成り立ちは未だに解明されていないが、この存在に逸早く気付いたのは我が恩師、故リブラル博士であったのは有名だ。
私は、それが生物にも関係しているのではないかと考えた。一度考えてしまうと、実証したくて堪らなくなる性分である。苦手な物理分野や化学分野にも手を出し、様々な角度でこのエレメントと言うのを調べてみた。結果、これがある法則を使うことによって操ることが出来るのではないか、と言う仮定が浮かんだのだ。
だが、自分では何度やってみても成功しなかった。そこで、私は妻に実験を要請したのだ。
彼女は私に快く協力してくれた。こんなエゴの塊のような危険な実験を、私を信じて受け入れてくれたのだ。私の指示通りにそれぞれの過程を行った後に、彼女は実験を成功させた。
これが、『覚醒』と呼ばれる状態である。
妻は風を操った。大気を動かすエレメント特性があったのだ。
私は狂喜し、この現象に名をつけた。エレメントを起動させる事は、まるで見えない精霊の力を借りているかのような、精霊を操っているかのような現象だった。私はこの能力を「精霊起動」と呼び、人類にこの様な力があるのだ、と言うのを発表した。
それが間違いだったのだ。この力は、適性者と非適性者が存在した。つまり、エレメントを動かせる者とそうでない者、である。
発表直後に、世界各地でエレメントを操る存在が出現した。だが、当然のように操れない物も存在しているのである。そう――私のように。
非覚醒者たちは恐れたのだ。自分達を越える不可思議な力を使う、彼らの存在を。だからこそ、大多数の覚醒者を虐げる結果となった。
私の妻も、その様にして命を奪われた。世界初の『精霊起動』体験者である妻は当初、メディアに大きく取り上げられたからだ。彼女は一般者によって、刃物で刺されて帰らぬ人となってしまった。
彼女は優しい人だったのだ。彼女の力も、微風を起こして戯れる、と言うだけの極微量な物だった。危険など一切無かったと言うのに、死んでしまったのだ。全ては私の責任として――
それは悔やんでも悔やみきれない罪である。だが、それは取り返しもつかないほどに広がっていた。
鬱積した覚醒者達――『精霊使い』と呼ばれるのは人と認められないからだ――は、どこかで強固な結束力を手に入れた。全地球人工の三分の一にも満たない彼らは、世界に向って蜂起したのである。
今でも続くこの反乱は、欧米を中心として各地に広まった。私の推測だと、全てを統轄できる力をもった精霊使いが彼らを率いているのだろう。
話は変わるが、精霊使いたちは人類の『別の意味』での進化系ではないかと考える。
彼らがエレメントを操る能力は、旧人類には無い特殊な器官が発達した為だと思うのだ。それは、現代人の全てが持つ器官だが、非覚醒者達はそれを使うだけの力が無いからだろう。だが、それを差別として受け取っては行けないのだ。伝統は壊れない。いずれ、全ての人々が精霊使いとなるときが来る。それまで、我々は待ち続けられるのではないか。戦う必要は無いのだ。この現在の世とても同じである。共存できぬ筈はない。何故、人が知性を持ったのか。その理由は、精霊使いが現れたときにこそ発揮できる世界共存の為だと考えてしまうのは、私のエゴであろうか。
それでも良い。この混乱を抑えられるのならば、私は一縷の希望すらも巨大な光明に思えるのだ。
だが、私が罪を犯したことに変わりはないであろう。今から私がやることは、その罪からの逃避だ。しかし私は、これをやるしかないのである。弱いとは、分かっている。情けないとも、思っている。それでも私に、彼女の所へと行かせて欲しい。何故ならば、私はこれを彼女の為だけにやるからだ。
お別れとなるであろう。しかし私は、悔やまない。この世界でやってきたことを悔やむことをしない。許しを請うことはしよう。しかし懺悔することはない。早すぎた発見が招いた戦いを、直接に生んだのは私である。だからこそ、その戦いにすべてを託そう。この様なエゴイストであることを、皆は許してくれるだろうか?
許さなくても良い。許してもらわなければならないと言うことはないだろう。私が真に許して欲しいのは、全てを包んでくれた優しい女性だけで良いのだから。
愛しきマリアよ、私は君の所へ行こう。心配はしない。きっと、次に生まれ変わることがあるのならばそれは全てが共存できる世界なのだから――


(地質学者ロセルト・リーブセルクの日記、最終ページより)
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