第二章 ――「戦地の風」――




史上三回目の世界大戦が始まったのは今から少し前の事だった。その布石は、当時多発したテロやゲリラによる武装闘争でも、経済発展を続ける各途上国と大国との政治的な摩擦でもなく、一人の学者が発表した理論であったのだ。
地質学者ロセルト・リーブセルク。彼は偶然により、生物学上の奇跡を発見した。
それが「精霊理論とそれに関する熟考」である。発表されるやその理論は世界を席巻し、人類を驚愕させた。
精霊理論の第一人者であるロセルトは、生きる証拠を提出してきたのだ。それが彼の妻であるマリア・リーブセルクと言う女性であり、彼女は人間には有り得ない能力を使った。
大気の操作――風の発生、である。まるで見えない精霊が彼女の手伝いをしているかのような不思議な現象。そこから付けられたのが精霊と言う名称であり、それができる人は「精霊使い」と呼ばれ、世界中に拡散していったのである。
今、百人に質問すれば九十%以上はこう答える。――悲劇はここから始まったのであろう、と。
精霊理論の決定的な欠点は、精霊使いとそれ以外を完全に分けてしまった事だ。それが差別意識を生んだのであり、圧倒的な多数を占めたのは普通の人間であった。
少数の異質は必ず虐げられる立場となる。精霊使いに恐怖心を抱いたのは当然だろうし、主に先進諸国から差別は肥大していった。
精霊使いは、その存在を抑圧されたのである。
世界一有名であったマリアが、一部過激派に暗殺された事が発端となった。今まで精霊使いが事件を起すような事はなかった筈だが、人々は疑心暗鬼に陥り、各地で虐待が頻発していったのである。始めは耐えていた精霊使い達だが、彼らはある日、反旗を翻した。
突如、各地域で精霊使いが結束して蜂起したのである。始めはヨーロッパから、大陸を越えて世界各地に戦火は飛び火した。世界が戦乱に巻き込まれ、世界大戦として未曾有の大惨事が地球を取り巻いたのである。
ここで最も恐ろしいのは、この戦争が「国」を相手にした戦いではなかった事だろう。明確な目標が無いゲリラへの戦闘が、これまでに無い混乱を巻き起こした。何よりも精霊使いになる遺伝子は何処かに潜んでいるのであり、いつその力に目覚めるのかわからないのだから。
結果、人は混乱を呈した。自分が戦っている存在が自分達とは違うと言う信念のもとに殺しを正当化して来たにもかかわらず、自分に近い人物が突如として敵方に廻ってしまう。自分自身もまたその中に組み込まれてしまう。精神的な負担がそこには大きく圧し掛かった。
史上の何処にも無いような大惨事は、兵士の精神病が何よりも多かった事が起因する。両方の側から精神異常者や自殺者が頻発した事こそ、悲惨さを演出していったのだろう。
世界が、混沌が支配する空間に飛び込んでしまったのは何故であろうか。人はここに来て、分裂と言う最大の危機を迎えてしまったのである。
事態が複雑化していく中で、火付け役となったロセルト・リーブセルクの死が小さく報じられた。高度情報社会の現代では、そのニュースは地球を簡単に走り抜けてしまう。しかしそれに関心を持つ者は少なかったであろう。何故ならば、ロセルト自身はもう何もできない状態だったからだ。
だからと言って、彼が責任を感じて自殺してしまった事が見当違いであると言う意見は全く別物である。彼が死の直前に記した『遺書』には彼の苦悩が綴られていたし、彼が果たした役割はこの世界では変わる事はない。
しかし、彼が死んで事態が動く事はなかった。世界的な大発見をしたロセルトの首吊りは歴史の影に埋もれてしまったのである。それが、彼の『大発見』の結果である事は、単なる皮肉でしか無いのかもしれない。
世界は病んでいた。
だが、それは一種、健康的な病み方であったかもしれない。少し前までのテロリズム全盛時代は、標的となる先進国では正に人間不信の極みであったからだ。無差別的に人を殺傷し、しかもその大義は、する側もされる側も利己的で傲慢な姿勢を崩さなかった。それが泥沼となるのが当然の時代であったのだ。だから、全ての民族・宗教・思想を越えた連帯を持ち行動する精霊使い達は、ある意味では人類史上の奇跡であったと言えるだろう。
大戦が始まってから、もうすぐ二年が経過しようとしている。国際社会が疲弊の色を濃くして来た頃に、しかしまだ精霊使いの決起と、それに伴う攻撃の無い国があった。
それが、日本である。
何故なのかは分からない。だがこの国は比較的平和であった。もちろん、精霊使いの人権に関する論議や国際社会への援護、国際団体の要請による人道支援など、多数の分野で、この問題に掻き回されてもいる。
しかし、国内での攻撃は、無かった。
この国だけに精霊使いが居ないと言う訳ではなく、多分、民族性が関係しているのだろう。安全神話にしがみ付き、高度経済成長から、日本国民は政治に後ろを向いた。貧困の時代の連帯が消え去り、個人主義・資本主義が国民の間に浸透したのである。それによって一揆する事を忘れ、彼らは現代に対する傍観者と成り果ててしまったのである。これは悲しい現象だろう。
だから、だろうか。日本は国際的な潮流に敏感でありながら、武力には鈍感であった。日本人は自分の立場を甘んじる事を普通とし、決起を起す勇気も、そして団結も無い。この国でも決して差別が無かった訳ではないのだ。
それが今までの日本の状態であった。
今現在も国民としてのその風潮は消えていないだろう。第二次大戦後、敗者として独立国のプライドを失った日本人は、その習性を骨の髄まで染み込ませていたのだから。
しかし、人は皆、人なのである。
前述したように、この国でも、抑圧された精霊使いは居る。彼らとて長年のストレスを溜め続ける事はしない。国民性だけで全てが決まるのならば、それは感情など持ち合せていなかっただろうからだ。
彼らが行動を起した理由は、国内の精霊使いを鼓舞する為であった。自分達が決起すれば同じような精霊使いも立ち上がり、精霊使いの人権を確立させる。それが狙いだったのだろうが、考えが甘かったのは否めないだろう。何故ならば、それが原因で、世界は大戦へと落ちて行ったのだから。
さらに、彼らは小規模なテロ集団でしかなかった。練度も決して高い訳ではなく、結果、それは精霊使いの鼓舞どころか精霊使いによるテロ事件としてしか伝わらないのである。これでは精霊使いは悪役に落ちる事しかできないだろう。
故に、彼らの行動が当初の目的を遂行する事はなかった。その事件が関東で起きた事から、北海道に居る聖にも余り関係の無い事になっていたのかもしれない。
だが、その事件が起きた場所が、彼にとっては最も重大な事であったのだ。
千葉県若月市――
聖の故郷である。



規則的なローター音を頭上に感じながら、不安定でひんやりとした鉄の地面に身体を揺られている。
機内に張り詰めた緊張が息苦しい。誰もが黙りこくった空間で、聖もまた息苦しく思いをはせていた。
作戦前の緊張は必要な物だ。それが集中力を高め、自分がやるべき作業をスムーズにこなせるようになる。もしそれが無かったならば、部隊は迂闊なトラブルで簡単に浮き足立ってしまう。事前の打合せが済んでいる今の状況ならばこれが自然な形であろう。
だが、と思う。今の空気は重すぎる。皆、初めての作戦に恐怖を抱いているのだ。それが緊張ではなくストレスを発生させているのだろう。それは判断力を鈍らせ、適度な緊張とは逆の効果をもたらす。
自衛隊員は、決して殺人快楽者ではない。元々は国同士の戦いで、自国を護る為に創立された機関だ。政治的な複雑さから不安定な立場に居るのも事実だし、これまで当初の目的で使用された事の無い彼らは、その存在意義を疑われてきた。しかしそれでも、自分が家族を――自分達の大切なものを護る、そのことを誇りに思いながら、訓練に励んで来たのだ。
それが今回、全くその目的に添わない戦いをする事になってしまった。
何故ならば、精霊使いは国とは関係ないからだ。国内のテロリストは、敵国でも悪の組織でもない。彼らは日本の精霊使いであり、隊員は自国民に銃口を向ける事になってしまったのである。
これは、彼らにとって最も恐れていた事態であったのだ。
通常、テロリストの制圧に自衛隊は使われない。公安機関である警察が処理する問題である。ならばなぜそれが活動していないのか。
否、警察は既に動いていた。
今回の犯人が動いたのが三日前の事だ。この時彼らは市役所と市庁舎などを遅い、街の機能をストップさせた。その上で住民全員を避難させ、市内を空にして篭城したのである。
非効率的な作業だったが、この作戦は成功した。彼らは市内の全メディアを使い、至るところにこの事を流した。そうする事で日本中の視線を集め、声明文をマスコミに流したのである。
内容は単純にして明快であった。
『国内の全精霊使いへの決起の要請――』
クーデターの煽動である。
それに対して後手に廻った行政であるが、今まで何の対処法も考えなかった訳ではない。各地で暴れ出した精霊使いも、各個人でしか動けない。まとまった存在ではない彼らは機動隊により取り囲まれ、為す術も無く投獄されていったのである。故に大きな反乱が起きる事はなく、作戦は不完全燃焼のまま終焉を迎えた。
しかしそれでも若月市は解放されなかった。彼らの結束は固く、人数も少なくはない。警察はやむを得ず特殊部隊を投入した。が――
結果は無惨な物であった。作戦の失敗どころか、帰投者すら居なかったのだ。精霊使いの中に、場を掌握できる能力者が居るのだろうと言う推測しかできなかった。収穫はそれだけだ。
犬猿の仲とは言っても、同じ政府内である。頼らねばならないと知り、警察庁は防衛庁に応援を要請した。たった一日で判断を下したのは素早い反応だったろう。彼らにしては最高の決断であり、最高の機転であった。
要請を受けた防衛庁は、東部方面隊を中心に制圧部隊を編制したのだ。すぐさま投入したが、思うようには進まなかった。
戦況が膠着してしまって始めて、こちらに優位なのが物量だけである事を知らされたのである。
負傷兵から話を伺う事で、精霊使い達が、倒した兵士の武装を奪っている事を知った。強力な能力を持ち合せていなくても、それならばダメージを与える事ができる。最初に小数部隊を送ってしまった事で返って敵の戦力を増やしてしまっていたのだ。それに気付いた時、前線司令官は他の方面隊に応援を要請していた。大規模部隊を投入して、人海戦術で攻めるしか方法は無くなってしまったのだから。
応援を受けて各方面隊は自分達の部隊を派遣した。市街戦と言う事もあって重火器などは使えない。戦車や自走砲、迫撃砲を使う事は許されないのだ。それ故に白兵戦闘しか許されない。犠牲者を出す事を厭わなくなってしまった。
聖は応援部隊の第三波として北部方面隊から送り込まれた。彼らが投入される目的は創設されたばかりの『第一空挺特殊部隊』が来るまでの時間稼ぎと敵の消耗だ。他にも多数の方面から各部隊が走輪装甲車で侵攻するが、聖はヘリコプターで敵陣深くまで移動するヘリボーン降下で戦場に降りる。UH−1Jヘリで輸送できるのは十一人である。聖は自分の小隊の中から二分隊を率いて最前線で戦うのだ。
だからだろう。聖は自分が震えているのを自覚している。恐怖よりも、やはり緊張の占める割合の方が大きい。他の部下達もそうなのだろうと思う。だからこその沈黙だった。
ふうっ、と溜息を一つ。天を仰ぎ、瞳に無機質な鉄板しか映らない事を複雑に感じた。視線を下に移すと、自分の相棒が目に付いて、彼はそれを拾った。
八九式小銃。陸上自衛隊の正式採用小銃で、純国産のライフルとして、名前の通り1989年に選定された。旧式化した六四式小銃に代わり各部隊に多数配備されている最新式ライフルである。
聖は銃身の上にあるサイトを見た。スコープにしては口径の大きいそれは、ドット・サイトと呼ばれる物だ。狙撃用の倍率スコープとは違い、覗き見た時にサイトの中央に赤い点が表示されるようになっている。銃身に付いた照星と照門のように、距離は固定されているが視界が狭まる事の無いサイトだ。イラク派遣時に得た教訓として各部隊に順次配備され始めた設備であり、陸自の中では優遇される傾向にある北部方面隊――特に北海道支部――に所属する聖がドットの付いた小銃を持つのは不思議ではない。もちろん彼の部下もこのタイプの銃である。
サイトに照準を表示する。自分の命を預ける武器だ、調整は入念にせねばならない。点の位置が少しずれているだけで、着弾点は大きく外れてしまう。
無論、銃の調整は出撃前に既に済ませてある。銃だけではない。戦場に出る為の全装備は、完璧に近い状態で点検してあった。ようは気を紛らわしたかっただけだ。こうする事で、聖は思考を遮断したのである。
自分が本当に人を撃てるのか、そんな疑問が浮かぶのを必死に否定し、感情を殺す事で自分も殺す。そうでもしなければ、自分が潰れてしまいそうだと、無意識的に感じ取っていた。
「隊長……」
隣に居た若い男が話し掛けて来た。不安そうな声に目を向けると、吉本陸士長であった。高校を出たばかりの新米で、彼の怯えた瞳に聖は、自分の責任感を呼び起こそうとした。
だから、努めて冷静に言葉を紡ぐ。
「……なんだ」
震えはなかった。それに少し満足する。
「聞こえませんか?」
聖は小さく頷いた。
ローターの喧しい回転音に混じって、微かに別の音がしている。それが自衛官には聞き慣れた音――火薬の炸裂音、つまり銃声である事も、だ。
その音は戦場の雰囲気を喚起させる。同時に、小休止状態だった戦闘が再開された事も意味していた。
「そろそろ降下ポイントだ」
先の会話が聞こえていた訳ではないだろうが、操縦席からそんな声がする。それに一つ頷き、聖は手を二回叩いた。それで十人の視線が聖に向く。
「作戦の最終確認だ」
言って、手前に地図を広げた。若月市の全身が、文字や簡素な絵、記号などで詳細に載った物だ。
「俺達の降下ポイントがここだ」
聖はまず、地図の一点を指差す。市庁舎に程近い住宅密集地。
「二手に分かれてから、ここを南下して図書館に向う。途中で俺の班は方向転換して、山県の班はそのまま図書館で別働隊と合流してくれ」
青と赤の二つのポイントを地図上に置き、それを途中で二つに分ける。顔を上げて山県准尉に確認すると、彼は一つ頷いた。
それに聖も頷き返す。次に聖は赤いポイントを左にずらした。自分達の班だ。
「最終目標は市庁舎だ」
聖は二つのポイントを市庁舎に向けて別々に動かした。赤は遠回りに。青は他の班のポイントと一緒に、市庁舎への近道に。
「ここを制圧できれば、もしかしたら特殊部隊の投入は杞憂に終わるかもしれん。責任は重い。各自、気を引き締めて事に取り掛かってくれ」
『了解!』
それぞれの声に、緊張に満ちた響きを感じ取る。それに自分も飲まれた気がして、聖は少し頭を振った。何か気晴らしになるような言葉は無いか――
聖は、口を開いた。
「大丈夫だ、皆。確かにこれは大掛かりで初めての実戦だが、君たちは厳しい訓練に耐えて来た優秀な陸自自衛官だ。そこに自信を持ってくれ」
固い言葉だな、と自分でも思う。だが、聖は極力、優しい言葉になるようにした。表情も穏やかになってくれたと思う。
その思いを感じ取ってくれたのか、大岡陸士長が明るく言ってくれた。
「それに、この戦いを勝ち抜けば、仕官の道も開けますしね。特殊空挺団の出番を奪って敵を制圧できたら僕たち、きっと英雄ですよ」
「部隊員全員に勲章が貰えたりしてな」
「それはないでしょう! そういう時は部隊長が貰うのが筋ってもんです」
ハハハッ、と明るい笑い声が響いた。それは全員の恐怖の裏返しでもあるだろうと、冷静に分析する。緊張を押し殺す為に、皆が必死なのだ。それでも隊員の表情が和らいでくれた事に安心した。
そんな心境への配慮は何も聖の隊員だけではない。操縦席からデカイ声が届く。
「宮枇!」
顔を向けると、パイロットの横顔に不敵な笑いが刻まれていた。
「そうなったら俺の事も良く言っといてくれよ!」
聖は口元を綻ばせた。
「考えといてやるよ! だけど勲章は譲れんからな!」
「この欲張りめ!」
わはははっ、と陽気に、パイロットは笑った。コ・パイ(副操縦士)も緊張の面持ちを和らげてくれている。そこで始めて、緊張が適度な興奮に変わっていく事に聖は気付いた。
(皆もそうだろうか……)
ひっそりとだがそれぞれの顔色を確認する。訓練中の、いつもの表情がそこにはあった。
(良かった……)
聖は始めて、小さく安堵に胸を撫で下ろす。そして、制服の胸ポケットに入ったキーホルダーに触れた。それはイルカを象った、安物だが心の篭もったお土産だ。
(優、俺を護ってくれよ)
感傷だろうと思う。だが、それは何よりも重要な儀式だ。だから聖は、優からの贈り物をお守りにした。高校受験の時に買った天満宮のお守りよりも、大学受験の時に引いた大吉の御神籤よりも、これが一番、安心できる。
「さぁ着いたぞ、お前ら!」
全員の顔に真剣が宿る。不安定なヘリコプターが、不安定な静止をした。空中でのホバリング、同時に聖の中で、いよいよだ、という緊張感が膨らんだ。鼓膜に盛大なローター音が突き刺さった。そこにロープを垂らすと、
「行きます!」
隊員達が順次、降下していく。聖は左のドアの最後尾に着いていた。
「宮枇!」
ロープを握ると、操縦席から声が振って来た。見やると、二人のパイロットが親指を立てている。
「グット・ラック!」
聖は笑みと模倣を返した。
「お前もな、杉谷!」
杉谷 義和三尉――幹部候補生キャンプ時代からの友人とコ・パイに笑ってやると、床を蹴る。六・七メートル程の高さから勢いを巧みに殺してのラペリング降下。一気に地表に接地すると、ハーネスからロープを抜いて素早くヘリから離れる。それを見て取ってUH−1J多用途ヘリは即座にロープを巻き上げた。
聖が虚空に閃光を見付けたのもまた、その時だ。
――なんだ?
日が傾き始めた日中の青空に小さく咲いた火花。それが、未だホバリング中のヘリコプターに向けて煙の尾を引いて向っていく。
「っ、杉谷!」
急いで胸ポシェットの無線に呼びかけた。波長を合わせるのももどかしかったが、返事は返ってきてくれた。
『へっ?』
間抜けな返答の直後に、ヘリに弾頭が突き刺さる。伏せろ、よりも、逃げろ、と聖は叫んでいた。
轟音。ローター部に直撃した小型誘導弾が爆発して鉄の航空機を吹き飛ばす。姿勢制御どころか飛行性能すら失ったUH-1Jが、為す術も無く落下してくるのが見える。
逃げろ――。聖自身、それは非現実的な事だと思っている。だが、自分に言い聞かせて、強張った筋肉を動かしていた。テール・ローターに機体を支える力など無い。ほとんど垂直に落ちてくるヘリから離れようともがく。
「隊長――!」
隊員が自分を呼ぶ声が耳に入る。それが聞こえたのが不思議だった。それよりも、ガガガッ、とコンクリートが削られる音の方が遥かに大きかったからだ。その一瞬後に火花が帰投用に半分以上あった残りエンジンに引火して爆発する。音が寸断された。――高周波は鼓膜を潰されたからか? そんな疑問が小さく浮かぶ。
頭の中が真っ白とは、こういう感覚を言うのだろう。二週間前に『天使』に会った時とは別の衝撃――物理的なインパクト――に周りが全く見えなくなった。耳鳴りと目眩に全身が振り回されているような錯覚を覚える。
ただ一方で、冷静な思考も在った。瞬間的に見て取ったあの煙から狙撃手の武器を割り出す。間違い無く携行式地対空ミサイルだ。だが、陸自の地上制圧隊がそんな物を持って行く筈が無い。ならば何故そんな物があるのか。
(アメリカ軍だ……)
在日米軍基地――日本国民が自衛隊よりも古く付き合っている軍事施設。その中で対空ミサイルがあるところ。
(横田、座間、或いは普天間――)
そしてそれらで使われる対空ミサイルと言えば――
(――スティンガーSAM!)
世界最強の『アメリカ』が誇る携行式地対空誘導弾スティンガー。最高級の熱感知システムを持つ高性能ミサイルであり、その性能は冷戦時代のアフガン、イラク、ベトナムで証明されているのみならず、近年のアフガニスタン戦争やイラク戦争でも最新式スティンガーの威力は発展し、そして通用している。
何故彼らがその様な物を持っていたのか。――在日米兵に精霊使いがいたのか、何処かの武器庫を襲ったのか――色々な仮説は立つ。だがここに来てそれが使われた事に、聖の受けた衝撃は大きかった。そんな物を持っている筈が無いと誰もが思い込んでいたのだ。結果、UH-1Jは囮を放出する事すらできずに落ちたのである。大きな損害であり、これは陸上自衛隊の油断が招いた結果なのだ。
(慎重さを失っていた……)
通常、航空機の装甲は非常に薄い。それは軽量性を保つ為の物だ。故に高射砲のみならず、大口径ライフルでも簡単に装甲を貫けてしまう。それは巨大なジャンボ・ジェットですら同じである。まして誘導可能なミサイルが飛び交う戦場にヘリを投入するなど、むざむざ落としてくださいと言っているような物だ。ヘリボーン降下とはその面を踏まえて、突入班や奇襲班を迅速にゲートに届ける為の物であり、敵陣に直接踏み込むような真似を犯す事はない。それは間違い無く撃墜されるからだ。
だが、今回は武器の補給ルートすらないゲリラが相手であったはずだ。その先入観が普通の戦場ではやらないようなミスを生んだ。如何なる事態も想定していなければならない筈なのに――!
「くっ、そぉ……」
呻く。その声でようやく、自分の立場を理解できた。
生きてる――
その実感が感覚を呼び覚ますのだ。
痛い、と思った。全身の打撲だろうか。だがそれは所詮打撲でしかないようで、重傷、つまり動けないような痛みではない。それを確認し、聖は身体を起した。
頭を振る。瞳を開けると地面が見えた。アスファルトと抱き合ってたんだな、そう思う。特に何の感情も無い、空虚な思考だった。
頭に軽い鋭痛。無視して首を回す。それで周囲の状況が見えた。その惨状を目の当たりにした事で、返って鈍痛が頭を襲う。
煙が辺りを満たしているが、それは大方、土煙のような物だろう。ヘリから立ち昇る黒煙は残らず天に向っており、聖の視界を晦ませてはいない。
「杉谷……」
両膝をアスファルトについたまま、聖はヘリの残骸を直視する。優秀なパイロットだった杉谷と、緊張にガチガチしていたコ・パイロット。ほとんど反射的に胸を押さえている。きりきりと締まっているのは胃の方だと言うのに。
「っ、クソぉ!」
いっそ叫んでしまいたかったが、喉は大きくは震えなかった。小さな振動が音として周囲に拡散しただけだ。空虚の中に見付けたのは、より悲惨な闇でしかないと言うのだろうか。
聖は頭を上げた。次に手をついて膝を伸ばす。立ち上がるが、特に支障はなかった。
(まだやらなきゃならない事がある……)
自分が少しでも理性的な人間である事が恨めしかった。だが、それは所詮泣き言でしかないのだろう。責任感か何か知らないが、聖は周囲を見回している。
「……隊長!」
薄い砂煙の中に複数の人影が見える。聖は右手を挙げて、小さく頭の上で円を描いた。同時に声も発している。
「集合」
感情を押し殺しているのが自分でも分かった。
すぐに機敏な動きで人影が集まる。ディジタル・ウッドランドの迷彩服、自衛隊員だ。
「全員、怪我はないか?」
確認に各々が口にした。大丈夫です、と。
「番号確認だ」
「一!」
「二!」
「三!」
「四!」
「五!」
「六!」
「七!」
「八!」
「九!」
型通りの返事に少し間が開いた。それで聖は違和感を感じる。
(一人足りない……?)
聞いた声を顔と照合させると、瞬時に誰かを弾き出す。
「吉本は――?」
言った直後に風が吹いた。
自然の風ではない。何故かそう直感して、身を強張らせる。その後で気付いた。この季節には考えられない、東方面からの風であることに。しかも微風――。
俟っていた白煙が晴れる。ただでさえ薄かった煙は、瞬時に視界を確保させた。それに目を配らせると同時に、背中に回していた小銃に手を掛けていた。
「――、隊長!」
隊員の声に振り向く。銃を構えようとして――
降ろした。
警戒を解いた訳ではない。解けてしまったのだ。それは、聖の見た光景が余りにも衝撃的なものだったからに他ならない。
晴れた煙の向うに、人影が見えた。それは木に寄りかかっていた。
あぁ、と、勝手に喉が呻く。聖はその人物から目を逸らせなかった。
――よし、も、と……?
崩れた瓦礫。
舞い散る落葉。
そして――
誰かの嗚咽。
吉本 隆太陸士長はローターの破片に胸を貫かれ、痩せ細った小さな木に磔にされたまま、死んでいた。
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