第三章 ――「精霊王との再会」―― * 周囲を確認しながら、二つの分隊がゆっくりと進んでいく。慎重に壁際を歩きながらも、彼らの動きは迅速であった。 そんな中で聖だけは先のショックから抜け出せていないと言うのに、他の隊員は皆、平静を装っている。聖とて表面上は冷静だ。だが、彼の脚は、震えていた。それがバレるのが嫌で、聖は殿を務めている。 多分一生忘れる事のできないだろう感触を思い出した。全ての凍った吉本の身体を支えて、貫いたローターを引き抜いた時の感触だ。あの、硬いゴムから金属を引き抜いた時のような恐ろしいそれが、未だに掌に残って離れない。死後間も無い骸から吹き出す血液は、まだ生温かかったのだ。 急速に失われていく、と言う表現を、聖は嘘だと感じた。閉じさせた吉本の瞼はまだまだ熱かった。 横たえさせた部下の体に小銃をたてかけて、それだけだ。後はもうどうする事もできなかった。敵の潜むその場所で――アスファルトの道路で埋葬などできる筈も無い。これから戦いが終わるまで、吉本はずっとあの冷たい場所に放っておかねばならないのか。 (っ、くそ!) 震える膝を叱咤して、顔を無理矢理に上げる。同時に思考の切り替えをした。 同じような家の建ち並ぶ住宅街。景色の移り変わりに乏しいそこがもう少しで途切れる事を、聖は知っていた。同時にそれは、死角の多い場所から出る事になる事もだ。作戦本部の判断が正しければ、敵の精霊使いの中には、場を掌握できる能力者がいる。そいつが自分達の位置をリアル・タイムで知っているのならば、多分ここらで戦闘を仕掛けてくる筈だ。 もっとも、と思う。それでなくとも先の『狙撃手』がいる。奴がこちらを監視している可能性は極めて高い。狙撃手が応援を呼んだのならば、まず間違い無く住宅街の途切れで仕掛けてくるだろう。 五人ずつが団子状になって進む。物陰に隠れては、その隊列を変更した。二番目が先頭へ、先頭が殿へ。聖も一つずつ前にずれていくと、視線の先では前方の山県隊が十字路を越えた。 先頭の須々木が辺りを確認する。散発的な銃声が遠くから聞こえるのを耳に、じっとりと汗ばんだ掌が手袋の中で蒸れるのを意識した。 須々木が走る。間を置かずに次の隊員が後ろにつくと、聖も飛び出そうと身構えた。 そこで気付く事ができたのは幸福だっただろう。 視線を横に向けた瞬間、影がいた。道路の真ん中に堂々と立ち、小脇に抱えたサブマシンガンを構えているシルエット。その口元が三日月状に吊り上ったのを見た気がして、背中に怖気が走るのを感じる。同時に自分の口元が引き攣ったのを認識し、反射的に八九式の銃口を向けている。 パパパッ、銃声が聞こえて始めて、聖は自分が引き金を引けていない事に気付いた。トリガーに感じる違和感に、セイフティの解除をしていない事を知る。周囲で弾ける弾丸に焦りを覚えながらも、聖は後ろに飛び退いて攻撃を回避した。 一瞬、猛烈な喉の渇きに襲われた。 それでも彼は手を挙げている。自分の銃を使うよりも先に、習性として、部下に命じていた。 「撃て――!」 声までが渇いている。 それでも隊員達は動いてくれた。瞬時に壁際によると、未だに移動中の二人を庇うように弾幕を張る。硝煙の匂いが鼻に残って、聖は実戦を意識した。 小銃のセイフティを外し、三点射に切り換える。サイトに光点を表示させると壁から頭を出して応戦する。 目前で兆弾が弾けた。それに一瞬だけ瞳がスパークするが、構わず、引き金を引いている。 タタタッ、と軽快な炸薬音。引かれた火線はアスファルトに傷を付けたのだろうか。 もう一度、目標をしっかりと定めて、トリガーを引く。敵の様子を探る事も忘れない。向うの角に隠れた相手は、恐らく五・六人。数の上ではこちらが有利ではあるが、特殊な能力を持つ精霊使いにどれだけ通じるだろうか。そう、不安になった。 横を向く。先を行っていた須々木達は無事に十字路を渡りきったらしく、壁に隠れて応戦していた。聖は一安心してから口を開いた。 「山県!」 真上の銃声がうるさかったが、構わずに叫んだ。 「何ですか!?」 「お前達はランデブー・ポイントに行け! 予定は狂ったが、俺達はこのまま目的地に向う!」 向うに聞こえた事に少し安堵しつつも、彼は叫んだ。その内容に山県は怪訝顔をする。 「でもここじゃあ……」 「大丈夫だ、裏道がある!」 ここは地元なんだ、と言外に含ませるが、山県はそれでも納得していない様子であった。くそっ、と一つ毒づいてから、再び声を張り上げようと口を開く。 だがその前に、へぇ、と感嘆するような声が耳に届いた。しかも――上で。 (なっ……!?) 振り向くとそこには、少年がいた。見たところ十代前半。不安定な時期なのだろう、勝ち気な表情に、不敵な笑みを張り付かせていた。小柄だが、その瞳には危険な光が宿っている。間違い無い、と思った。こいつは人殺しに慣れてしまっている。 「面白そうだな。俺にも教えてくれよ」 その近道よ、と、少年は笑った。先に見たような、唇の端を吊り上げるような笑みだ。狂気に執りつかれた者の笑み。再び、聖の背中を悪寒が駆けた。 少年は、空中から、サブマシンガンを向けて来た。 そう。 空中から―― 「浮いてる――!?」 地に足を着けぬまま、その少年は聖達を見下ろしていた。それは向の塀の真上で、少し大き目の木と同じ高さに少年の肩がある。倣岸不遜な態度でふてぶてしくこちらを見据え、盾になりそうな物も無く、ただ空中から銃口を向けている。 その瞳に宿った狂気の光が、一瞬だけ、強さを増した。 「――――っ!」 直感で横に飛ぶ。その時に横にいる二人にタックルを駆ける事も忘れない。バランスを崩した二人が倒れ、着弾音が背中に伝わってくる。小銃を上げて反撃すると、 「おっと!」 わざとらしく少年が声を出し、からかう様に身体を左右に振った。三発の二十二口径弾が虚しく空を裂くのに合わせて、少年が笑みを張り付かせながら三十八口径弾をばら撒いてくる。聖は急ぎ立ち上がると、スリー・ショット・バーストで少年を威嚇し続けた。 その間に二人が体勢を立て直して、少年を牽制する。フル・オートの銃声に少し怖じ気づいた少年の隙を見付けて、聖は走り出していた。 「こっち!」 と声を掛ける前に、二人は聖に着いてきている。その様子を見た少年が少し表情を顰めた。 「逃がすか!」 瞬時に加速してくると、聖の前に廻り込んだ。同時にサブマシンガンの銃身をこちらに振り回してくる。それで牽制をしたつもりだろうが、聖は、そのまま少年に突っ込んでいた。 八九式を縦に構えると、サブマシンガンの銃把と弾倉の間に引っかける。その上で小銃を横に倒して相手のバランスを崩すと、下に向けて少年を突き放した。銃剣術の「横突き」。 がっ、と、少年が、喉に詰まったような息を吐く。背中から叩き付けられて呼吸が乱れたのだ。そこに銃口を向けると、少年の身体が再び浮き上がった。聖は反射的に、トリガーを引かずに、銃を突き出している。 ドッ、と銃口が少年の腹に減り込む。直突で後ろに吹き飛ばされた小柄な身体に、一瞬、怒気が噴出した。 ヒュッ、と、自分の肺から絞り出された空気が、音を出す。それが聞き取れたと思ったら、聖は前方に指を突き出した。 それは少年を越え、山県に送ったメッセージだ。行け、と、示すと、彼も頷く。援護に小銃を放ちながらも彼らは順次、後ろを向いていった。 聖もまた背後を向こうとする。と、多分に怒りを孕んだ声が鼓膜を揺さぶった。 「貴様あぁぁぁぁぁっ!」 それでも聖は振り向かず、角を曲がっている。山県達の援護射撃の銃声が木霊して、少年の行く手を阻んでいる事を理解していた。 「待てよ! 許さねぇぞ、ぶっ殺してやる! 必ずお前を見付けて八つ裂きにしてやるからな……!」 急ぎその場を離れる聖の耳に、少年の罵倒が響いた。それが遠くなっていく事に多少の安堵を感じつつ、 「餓鬼が、良く喋る……!」 小さく毒づく。そんな余裕が無い事を知っていながらも、これは、自分を落ち着ける為だけに吐いた言葉だった。 だから彼は、後ろを振り向いてみせて、続いてくる隊員を気遣うフリをした。それで二人が安心するならば安いものだろう。 * 周囲の混沌に焦って、聖は、銃口を跳ね上げてしまった。不正確な照準が目標を素通りしていくと、敵は瞬時に反撃してくる。それに二人の隊員が援護してくれるが、ほとんど膠着状態のまま、ただ弾数が削られるだけだった。 別ルートを通って目的地に向った彼らではあるが、完全に待ち伏せを食らってしまった。広めの道路に、所々に立ち並ぶ色々な商店。普段では人通りの多い場所のはずだ。それが全く活気を見せずに、銃声だけを響かせている事に悲しみを覚える。だがそんな感傷も意味を成さず、ただ、聖は戦う事だけを至上命題とされている。 市庁舎にはそれなりにではあるが近づいていた。その度に幾度か戦闘を行っている。こんなに頻繁に敵と遭遇する事に、聖は違和感を覚えているのだ。 「やはり敵に位置がばれているのか?」 声に出すと、 「そうでしょうね。幾らなんでも多すぎます」 平原三曹が同意した。嫌な事だな、と自嘲する。同時に疑問も起こった。 (敵の規模は……?) 今までにも散々、突入作戦を行って来た筈だ。それなのにまだこれだけの戦力が残っている。もしかしたら相手は当初の予想とは比べ物になら無い程の数なのかもしれない。 もっとも、戦闘に突入してもなるべく戦わずに逃げる事を繰り返している自分達がそれを言うべきではないのかもしれない。こちらの犠牲を最小限に抑える為に、敵を殺す事を前提にはしていない。 だが、これは、精霊使いとの戦闘ではほとんど基本と言えた。精霊の能力は個人で違う。敵がどんな能力を持っているのかわからない状態では深追いはできない。そのため、まず自分が生き残る事を大前提に、目的地の制圧のみに尽力するのだ。非効率的ではあるが、後手に廻らざるを得ない正規軍はこれをやるしかないのが現状である。 「残弾は?」 ドットを覗きながらも聞いている。 「二つ目が終わりました」 「自分はまだ半分あります」 そうか、と頷きながら、敵に向けてバースト射撃をしている。サイト越しでは一人が倒れたようだった。 「ここを抜けるぞ。そろそろきつくなって来た」 『了解!』 返事を聞くが早いか、即座に身を翻し、別ルートで目的地に進んでいく。幸い、敵の精霊使いもそこまで強力な者は居ないらしく、始めに受けた奇襲のような不意打ちはない。敵をまいて前進するのにさして苦労は要らなかった。 今までは。 だが今回は、裏道に入った瞬間、銃声を聞いた。 「っ……!」 咄嗟に自身に急制動をかけて、身体を止める。目の前を熱い鉛弾が駆け抜けていった。 それに一瞬だけ怯んだ。だが、それだけだ。即座に銃を突き出して応戦する。 撃ってから、初めて気がついた。敵が目の前に居る事に。 ダンッ! 銃声が大きい。それが単発である事に気付き、身を晒す。一人。遮蔽物も無い道路の真ん中に、たった一人、ショットガンを構えた青年がいた。二十代半ばだろうか、金色に染めた髪の毛が日に照らされて鮮やかだった。 青年が銃口を向ける。警察が暴動鎮圧用に使用しているM500コンバット・ショットガンだ。それが散弾を撒き散らしてアスファルトに傷を付けた。 トリガーを引く。牽制に放たれた二十二口径弾が青年の傍を駆けると、金髪を揺らして、青年はこちらがわに駆けて来た。――恐ろしいほどの速度で。 「なにっ!?」 踏み出しからトップ・スピードで近づいて来た青年に、味方の弾幕すらも追いつかない。聖自身、唖然として、反撃を忘れた。 その間に目前に迫った青年がM500ショットガンを向けて来た。フォア・グリップが引かれる。排莢、装填。ショット・シェルが放物線を描いて宙を舞った。 マズル・フラッシュ。銃口から十二口径弾が十数発の束となって放たれる瞬間に、聖は身体を横に倒していた。散弾が真横を通り過ぎて上着の袖に傷を付け、聖は地面に背を打ち付ける。 「こ、んのっ……!」 青年の声が聞こえた。当たる事しか考えていなかったのか、急加速で迫った事で制動が効かなくなっているのだろう。倒れた聖に躓いて転倒した。 即座に起き上がると、青年はまたも信じられないような速度で肉薄してきていた。その距離では発砲よりも近接戦と考えたのだろう、横薙ぎに振るわれたショットガンではあるが、それをしっかりと視覚として捉える事に成功する。小銃で受け止めると同時に左手を右腰に回して銃剣を掴んだ。 引き抜く。それに青年が恐怖の表情を見せた。一瞬の逡巡を見せた後に、青年が横に逃れようとする。急ぎ銃剣を薙ぐが、それはすれすれで顎の皮膚を浅く切り裂いただけだった。 直線で走りながらも銃口を向けてくる事に危機感を覚える。八九式を跳ね上げ、発砲。三点射が突き刺さった青年は、運動エネルギーをそのままに後ろに吹き飛び、動かなくなった。 その様子を見て、聖はただ、顔を顰めた。 ――、くそっ! 青年の顔が――その恐怖の表情が思い出される。胸に痛みが走って、聖は思い出す。同年代なのだ。高校時代に、チラッとだが見た事のある顔だ。確か近くの工業高校の制服を着ていたはずだ。 その時の底抜けに明るそうで能天気な青年の顔を思い出す。あの頃の笑顔を、彼はもう浮かべる事ができないのだ。 (こんなのが……) こんなことが、あって、良いのか? そう自分に問いただした。自失。一瞬でも戦闘不能状態になった聖は、いつ死んでもおかしくなかっただろう。 だがそうはならなかった。自分に向けられた銃声と――すぐそこを通った銃弾の熱気、足元を跳ねる兆弾の異音に意識を取り戻して、そちらに向けて撃つ。平原たちが援護してくれている間に、聖は壁際に張り付いた。 「行くぞ!」 その声に二人がついてくると、フル・オートで残弾を撃ち尽くす。牽制に敵が怯んで弾幕が一瞬だけ止んだ。それにすかさず路地裏に入ると、ジグザグに移動して相手の追尾を振り切る。 辺りを注意深く見回して、敵影が無い事を確認した。 「大丈夫か?」 ふうっ、と一息ついてから後ろを振り向いた。二人は少し疲れたような表情で頷く。 「隊長は?」 「まぁ、何とかな」 ニコリと笑って、聖はオフィス街へと足を踏み入れた。この先を行けば目的の市庁舎がある筈だ。 所定のコースを外れた場合の水先案内人として、ずっと、先頭を歩いている。その事に対する重圧や恐怖はもちろんあった。だが、それも責任感で抑え込んで、ゆっくりと、しかし迅速に歩いて行く。 目的地が先にあるからと言って真っ直ぐ行くような事はしない。途中から路地に入って、さらに遠回りをして敵地に近づいていくのだ。そうでもしなければたった三人の聖達は全滅してしまうだろう。 だからこそ、聖が先頭に立たねばならなかった。入り組んだ構造になっている路地の、さらに少し廻れば簡単に外に出てしまうビル群だ。遠回りをするならばそこを知っている人間でなければ辿り着けない。 そうして暫く歩いていると、少し広めの道路に辿り着いた。ここを横切り、さらに遠回りをしながら、ゆっくりと市庁舎に近づいていく。それが聖の思惑であり、多分、そうでもしないと別働隊との合流は難しいと考えられるからこその道順だった。 ビルの陰から頭を巡らして左右の確認をする。遠くで断続的な銃声が聞こえる。何かの爆音も小さく聞こえた時、耳は余り頼りにならないか、と歯噛みした。それでも神経を集中させて周囲の状況を確認して、近くに怪しい影が無い事を確かめる。 一旦、後ろの二人を振り返り、手で合図を示した。着いてこい、の意味だ。 二人の頷く気配を察して駆け出す。向かい側の喫茶店にへばりついて、割れて無くなった窓と散乱した破片に一瞬だけ目をやって――すぐに銃身と同時に左右に目を配って周囲を警戒しながら影に身を飛び込ませた。 後ろを振り返り、荻久保三曹が後に続いているのを確認した。最後に平原三曹が駆け寄ってくる。 その時、 ガコッ―― 嫌な音が響いた。 同時に平原の頭が傾いで、何かに引き摺られるかのように横に倒れていく。その様が静かに流れ、そして、彼はコンクリートに蹲った。 「平原……!?」 荻久保が立ち止まるのを見て、ヤバイ、と聖は直感する。 「馬鹿、隠れろ!」 ビクリ、と身を硬くした直後に、彼の目の前で弾着があった。それをみて荻久保が焦ったようにこちらに駆け寄って来た。ひょろりとしたこの青年は眼を大きく見開いて、青白い顔色ですぐに後ろを振り向いて、言う。 「ひ、平原が――!」 震える声音に聖もまた、震えで答えた。倒れた平原の頭から流れる大量の血液、そしてその凍り付いた表情が、現状を強く物語っている。 くそっ、と心の中で毒づいた。 「わかってる! ……平原 淳三曹は殉職した」 奥歯を噛み締める。ギリッと小さく、音が聞こえた。 「狙撃手はまだ俺達を狙っている。この場から一刻も早く離れるぞ……!」 「でも、平原が!」 「いいから来い!」 怒鳴って、スナイパーの位置を確かめようと平原の遺体を見た。弾痕は左の後頭部にある。つまり、その方向のビルから狙撃したのだ。 聖はそのことに自分を落ち着けた。大丈夫だ、と。 (敵はそれほど練度の高い訳じゃない。狙われてすぐに命が消える事はない筈だ……) それは、先頭の聖と、それに続いた荻久保が狙撃されていない事実からも明白である。予めここを予測していたのならば、全員が身体を露出している間に素早く撃ち抜く筈だ。だが、タイミングを逃して最後尾の平原を撃った。そして、第二撃には無防備の荻久保を狙った筈なのに、相手はそれを外している。それは狙撃手がそこまでスナイピングに慣れていない事を示しているのだ。 (くっそぉ!) 安全を確かめると即座に身を翻す。仲間の死を、あえて戦力のマイナスと捉える事で、感情的なマイナスを消そうとした。荻久保はそれができずに悲嘆に暮れているが、聖は今の状況でそんな事ができるほどの勇気はない。 自然と、聖の手は、『お守り』のある左胸を掴んでいた。 「一刻も早くこの場から脱出して、奇襲隊と合流するぞ。そろそろ時間だ――」 冷や汗の滲んだ額に気付かない振りをして荻久保に向き直る。ほとんど味方を安心させる為に紡いだ言葉だった筈だが、その荻久保が呆然と上を見ている事に気付いた。 「隊長、あれ――!」 聖が荻久保の視線を追いかけると、高速で接近してくる物質に気付いた。ずんぐりとした形の弾頭。ロケットで推進する砲弾が、ビルの上階に着弾した。――無反動砲の攻撃。 伏せろ、は、声にならなかった。 ガァン――! 咄嗟に身を投げ出して、地面に蹲る。その前に爆音が鼓膜を震わせており、耳が痺れていた。直後に降り注ぐコンクリートの破片に身体を嬲られるも、幸運にも大きい破片には当たらず、ガタガタと近くに落ちた固まりの振動が体を震わせるくらいで大事には至らない。 ガガガガガガガガガガガァ――――――――! たっぷり二秒ほど硬直した後に身を起す。轟音に頭がガンガンしていたが、まだ動ける。そう判断した聖は立ち上がり、 「荻久保」 と呼んでみた。同時に周囲を見回して、地面に仰向けに倒れる青年を見付ける。 「荻久保!」 急ぎ近寄る。抱き上げてみて、その生命が空っぽなことを感じてしまった。 押さえた首筋にぬるりとした生温かい感触。陥没したヘルメット。血の気の失せた顔。 なによりも、感情の失せた、その瞳に強烈なインパクトを覚えた。何も映さず、ただ瞳孔を限界まで開いたその様は、ただ、人が死んだんだ、と訴えかけているかのようでさえあった。 ああっ、と呻き、聖はコンクリートに背を凭せ掛けた。強烈な嘔吐感に口元を抑え付けるが、喉元まで逆流して来たところで、それが再び下に降りていく。吐く気力さえ萎えて、聖はただその不快感に眉根を寄せる。げほっ、と噎せて、その時に涙が零れた。 もう一回、ああ、と呻いた。 「ああ……うあぁ、あ、ああ……」 一人。 ただ一人、箍が外れて、涙を流す。 「うああ……あ、くっ、あぁ……」 ここに来るまでに目の前で三人の部下を亡くした。 それが、抑えていた感情を止められなくなった原因だろう。 だから、ただ、泣き声を上げる。 「あぐ、あ、ああぁ……」 たった一人で、泣き続ける。 「うあぁ……うああぁぁ……」 それはなんと悲しい事だろう。 * いつまで、そうして泣き続けていただろうか。 気がつくと日は傾いて、感じ取れる光はすでに夕焼けのオレンジへと変わっていた。 聖は顔を上げると、ぎこちなく、ゆっくりと立ち上がった。そこで荻久保の開いたままの瞳に気付く。ノロノロとした動作で冷たくなった青年の瞼を閉ざした。硬く、ザラッとした感触に鳥肌が立つ。 「あぐっ……!」 グッ、と胃の内容物が急速に逆流してきて、口元から胃液に混じったそれが吐き出された。塩酸に喉と口内が痺れ、ヒリヒリと痛んで、苦しい。 さっきは吐く事はしなかった。だが、今回はそれを撒き散らしている。その落差に、胸に支えて居た物が取れたような気がして、少しだけ楽になった。 はあっ、と大きく息をして、再び立ち上がる。右腕の袖で口元を拭ってから、少しだけ働いてくれるようになった脳味噌で、現状を分析しようと思考を凝らした。 ――別働隊は? よろよろと、ビルの壁に手をつきながら、そのことを気にする。その次に出てくるのは、どれくらいああしていたんだろう、という自然な疑問だ。 腕の時計を見る。十七時の少し手前。そして、合流予定時刻は十五時過ぎ。しかし彼らからは何の連絡も無かった。当初の予定では、市庁舎前の公園に潜んでいた聖達の分隊が、山県達から連絡を貰って、裏門から攻撃を仕掛ける事になっていたからだ。だが、音沙汰が無い。という事はまだ目的地に辿り着いてないか、あるいは―― (――辿り着けない状態にいるか、だ) 前者は考え辛い。後者ならば、それ即ち、全滅という事。圧倒的に後者の方が有利だろう。そう考えて、援軍は期待できない、と思った。 (なら、俺は、どうすれば良い……?) 選択肢は考え付くだけで三つあった。 一人で戦う、援軍を待つ、敵に投降する。 この選択肢の中で何を選べばいいか。それだけだ。 だが、それだけが、選べなかった。 (俺は、どうすれば良い? どうすれば最良の選択だったと胸を張れる?) わからなかった。 今後、どうすれば良いのか、全くわからなくなった。 どうすれば自分が納得するのか、理解できなかった。 だから一人、毒づく。 くそっ、と小さく呟いて、壁に拳を叩き付ける。だがそれは決して、解決手段にはならない。 焦りは募るばかりだ。ここは非安全地帯。自分の行動を決め兼ねているのは危険でしかない。 「くそっ!」 再び拳を叩き付けようとして、そこがガラスである事に気付いた。正面に顔を向けると自分が見える。 そのやつれた表情に力無い苦笑いが浮かんだ。 ハハッ、と口から渇いた笑い声が起こる。 「酷い顔だな……」 『自分』を一瞥して、顔を身体の向きに戻す。その顔は多少、晴れていた。迷いは未だに頭の中を廻っているが、それはこの場で出すものではない、と感じたのだ。 今の自分は少し格好悪すぎる。そう思った。そうだろう、優? と問い掛けてさえ居る。 胸ポケットに伸びた手は、気付かなかった。 濃い緑の垣根に、ポツンと一箇所だけ空いた空間がある。入口というには狭いそこから先は、整地された中くらいの公園だ。そこからすぐ目の前に市庁舎が在る。聖達が一時、潜伏する為の場所としたのが、この公園だった。 その公園に辿り着いた聖の横顔は、夕陽に照らされて橙色に輝いている。もうすぐ日は沈み、闇夜に世界が包まれるだろう。 入口――というか裏口から、公園の中に足を踏み入れる。少し背の高い垣根が、渡って来た道路を隠し、見えなくした。それは好都合だろう。視界の狭まるここならば、或いは狙撃を免れる事ができる。 裏口から入ってすぐに水飲み場がある。そこに近づいて、蛇口を捻った。垂直に水が立ち、それに口をつけると、胃液と消化物で汚れた口腔内を濯いで、失われた水分を補給した。喉を鳴らして渇きを潤してようやく、ふうっ、と一息つけた。その次に放出されている水を手で掬って、顔に叩き付ける。冷たい水が皮膚を引き締め、さっぱりした気分が戻って来た。 「はあっ……」 と溜息を吐いて顔を拭おうとした時、 キィッ―― 物音を聞いて、瞬時に緊張感に顔を強張らせる。水道の隣はすぐにトイレとなっており、遊び場は死角になっているが、そこに誰か居るのだろうとすぐに分かった。人の気配があるのだ。 (誰だ?) 仲間かもしれない。そう希望を抱き、そっ、と影から覗いてみる。するとブランコに、ブラウンが鮮やかなワンピース・タイプの服と、美しい金の髪の毛が揺れていた。 葵女子高の制服だった。それに一瞬だけ、逡巡する。その娘が敵かどうかを判断しかねたからだ。だが、一般住民はすべて退避させてある筈だ。保安部隊か陸自の制服を着ていない以上、それは全員、敵である。そう判断して、聖は小銃を構えた。 サイトの先の光点が少女の背中に重なる。 だが、撃てない。 「優……」 少女の制服が、今は居ない妹にダブって、引き金を引けない。おかしい。優はロングの金髪ではなく、少し明るい感のある黒のボブ・カットだと言うのに。 苛立ちが増した。 似ても似つかない筈だというのに、という焦り。 (何を迷っている?) そうだ、何を迷う必要があるのだろう。あれは優じゃない。判りきった事だ。それにこの場に居る以上、彼女は精霊使いだ。政府に反旗を翻したテロリストの一員なのだ。 (撃てない訳が無い。さっきまでは、何の躊躇も無く人を撃っていただろう?) 右人差し指に力を込めた。が、肝心なところ――撃針が解放されて雷管を叩くまでに至らない。スリー・ショット・バーストの5.56mm弾を撃ち込む筈の腕が、完全に怖じ気づいてしまっている。 (速く撃て、聖!) 吉本の苦痛の表情が過ぎる。平原の無表情が過ぎる。荻久保の恐怖に引き攣った顔が過ぎる。 そして―― 優の、眠ったような姿が、過ぎる。 タ、タタン―― 胸が、ギリッ、と痛んだ。 いつのまに目を瞑っていたんだろう。漆黒を、自らの力で切り開き、前を見る。そこで始めて、全身の力が抜けている事に気がついた。腕がだらりと下がり、小銃に狭められていた視界が、広く、そして何者にも邪魔されずにクリアに映っている。 そして、その先に、少女は立っていた。 美しい娘だった。 整った目鼻立ち。白く透き通った肌。小作りな顔立ち。すっ、と通った鼻梁。 何よりも、その、憂いを帯びた瞳を、聖は知っている。 そう―― 天使。 (カレン……) 母が言っていた。優の友達だ、と。フランスからの留学生で、美しく、また聡明であると。確かに聖も彼女を見た時はそう感じた。だが、いま改めて少女を見て、気付く。 (こんなに儚いなんて……) 夕焼けを全身に浴びて、焦がれたような少女の姿は、その雰囲気は、悲しみを連想させた。まるで別れを惜しんでいるかのような全身の空気が少女の幻想性を煽り、黄金の夕陽に照らされた髪の毛が、まるで幻の翼のように、ゆらゆらと揺らめいている。 彼女はここに存在しているのだろうか――。そんな馬鹿げた疑問さえ浮かぶほどの神秘性。それを見せ付けられた聖は、ただただ呆然と固まっている事しかできない。 少女の瞳は、まっすぐに聖を捉えていた。その悲しみの奥に自分を見ている気がして、聖は不安感に泣き出してしまいそうになる。 まるで全てが消えてしまいそうな焦燥感が彼を襲っていた。それが何なのか解らない。ただ、気がついたら、ふらふらとした足取りで、無防備に少女の前に全身を晒すだけ。 しかし少女は動かない。まるで本当の幻影の様に――。 焦燥感に駆られて、聖は、口を開いていた。 「君は……?」 幻影の天使に表情が宿る。笑み、という形の感情表現。 「私はカレン・デュ・フィアンシアーズ……」 深い笑みに吸い込まれたまま、聖はただ、動けずに居た。少女の笑顔は真実の美しさを伝えてくるようで、ただ、胸が苦しい。 カレンの瞳の憂いが密度を増した。 「……人が、精霊王と呼ぶ、存在です」 |
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