第五章 ――「戦いの中の憩い」――




緊張に汗ばんだ掌に暖かい感触が重なる。じっとり湿ったそこに、柔らかいカレンの掌を感じて、聖はそれにすがった。
M9を構えたまま周辺を警戒し、壁際を歩いていく。市庁舎を出てからまだ二十分も経っていないが、聖は身心の疲労に参りそうになっていた。だがそれは許されない。市内を抜けて、カレンを無事に解放しなければ、優との約束は守れないからだ。
ここに来るまでにかなりの回り道を強制された。銃声や足音、人の気配がする場所を避けるのは当然だが、カレンが注意した場所も通っては行けないので、二十分でまだ市庁舎から二百メートルも行っていないだろう。
今、彼らが居るのは、あのオフィス街だ。平原が殺された場所、そして、荻久保が息を引き取った場所。
しかし、今そこを目の前にすると、惨状はさらに酷いものだった。そこら中に血痕がこびり付き、幾つか、眼に確認できる死体が転がっている。私服姿もあるが、大抵はディジタル・ウッドランドの迷彩服――つまり陸自隊員のものだった。それらは最低限、瞼だけを閉じて、兆弾に傷つかない様に壁際に置いてあるだけ。この緊急事態には、死体の運搬・埋葬はおろか、風雨をしのげる建物の中にすら運び込まれることはない。
それは、とても悲しい光景に映った。
カレンはと言うと、彼女はやはり、強かった。死体を見ても、悲しむ顔は見せるが、嫌な顔はしない。むしろそれら一人一人に手を組ませてやって、十字を切ってやる。優しく、そして、強い。聖が驚嘆したのはそこだったのだ。
聖も荻久保と平原のところに行って影に引っ張って、冥福を祈った。スナイパーは普通、一箇所に留まることはせず、定期的にポイントを移動するものなので、狙撃の危険性は極端に小さいだろうとふんでいたのだ。
そうして静かに移動を続けていると、上着の袖を、カレンが小さく引っ張った。振り返る。少女は影を気にしながら、
「ここから先に嫌な感覚が広がってる。行かないほうがいいかもしれないわ」
 と、言った。聖は頷こうとして、パパパパパッ、連続したサブマシンガンの射撃音が通りに広がり、同時に多数の悲鳴が聞こえてくるようになった。3点射のライフル射撃音がさらに重なり、瞬時に戦場が形成されたことを知る。
「逃げよう。急いだほうが良いかもしれない」
 カレンの腕を引っ張った。戦闘中の自衛官が気に掛かりこそしたが、聖にはそれ以前にカレンを無事にこの場から送り届けねばならない、という使命感がある。彼女に戦闘能力は無いのだ。
 それを分かっているからこその反応だった。が、カレンは聖の腕を引っ張り、切羽詰った声を出す。
「だめッ!」
 なにが――?
 聞こうとして、チャ、と金属音がした。
 ハッとして振り向く。そこに一人の少年が立っているのを視認して、聖は肌が粟立ったのを感じた。
「見つけたぜぇ……!」
 何故だろう、その声は決して低くは無いはずなのに、聖には地の底から湧きあがってきたような響きを持っているかのように錯覚させた。
 MP5を構えた少年。残虐な笑みを顔に張り付かせ、彼は一気に跳躍した。その飛距離がグンと伸び、聖との間合いが瞬時にゼロになる。
 くっ、と呻き、聖もまた跳躍する。左側へ地面すれすれの回避。しかし少年は空中で軌道を変えると、サブマシンガンの引き金を絞った。
 パパパパパッ! 連射音が空気を切り裂く。焼けた鉛が聖の周囲に弾け、熱に強いはずの迷彩服を焦がした。
「聖っ!」
 カレンの鳴きそうな声が聞こえる。少女のほうに片手を上げてやって、自分が無事であることを伝える。
 ただ、カレンの叫びに少年が笑みで答えていたのが、気になった。少年は再び聖に銃口を向ける。
「へぇ。お前、ヒジリって言うのか……」
 向けられた無邪気な笑みに、聖はただ嫌悪感を覚えるのみ。
「あばよ、ひじりサン」
 引き金が引き絞られた。
 その瞬間に、聖は自らの身体を浮かせ、同時に空中でベクトルを操作して体を入れ替えた。次に重力方向を変換させて前方へと「落下」する。急激なスピードで迫ってくる聖に、少年が一瞬、怯んだ。それを見逃す事無く少年の脇を通り過ぎてカレンの隣に着地する。
「逃げるぞ!」
 カレンのか細い腕を掴んだ。同時に駆け出し、路地の中へと入っていく。
 少年が、待てっ、と叫んだ。
「どうしててめぇが……!」
 そんな力を――?
(俺だって分からないさ)
 心中で毒づく。
 ただ、これは優が授けてくれた力だから、聖にとっては大切な力なのだ。



 いくつかの路地を不規則に移動しながら、聖とカレンは、銃声の止んだ、『嫌な予感のする』場所に足を運んだ。そして生存者が誰も居ないのを確かめた。迷彩柄の者も私服を着込んだものも平等に瞳を閉じさせてやり、壁際に運んで胸の前で腕を組ませてやるのは、それがカレンの意志だからだった。
「私の家はプロテスタント系のキリスト教徒なの」
 そう言いながらも、この人たちは放っておけないわ、とカレンは話した。だから聖書の一説を読むのだ。
 カレンは両膝をつき、胸の前で腕を組むと、静かに唇を開いた。閉じられた瞼の、その長い睫毛に聖は、綺麗だな、と思ってしまって、少しだけ焦った。
 朗々とした言葉が紡がれ始めた。
「天にいます私たちの父よ。
 御名があがめられますように。
 御国が来ますように。
 みこころが天で行われるように
 地でも行われますように。
 私たちの負い目をお赦しください。私たちも、私たちに負い目のある人たちを赦しました。
 私たちを試みに会わせないで、悪からお救いください」
 マタイの福音書の第六章だった。聖はカレンの真剣な表情を見て、自分も瞼を閉じ、そして言った。
「国と力と栄えは、とこしえに貴方のものだからです。――アーメン」
 静かに、しかしはっきりと、十字を切る。
 少しの間だけ、その場に静寂が訪れた。死者の冥福と、天での加護を望むその瞬間は、聖には永劫の時間にも等しいものだと感じられるのだ。
 だから少しだけ、緊張感を忘れた。
 カレンの立ち上がる気配がしたので、聖も瞼を開いて、少女を見つめる。カレンはこちらを見ると微笑し、
「教養深いのかしら?」
 と、笑った。
「そうでもないよ。亜流の大学出だ」
「でも新約聖書の、しかも有名ではないところを知ってるだなんて……」
「聖書は数回、目を通したことがあるんだ。小学校の時に優が貰って来てね。小さい時だったけど、クリスマスの日は大抵、読まされてた」
 そこで聖は、クスリと笑った。思い出し笑いだ。
 カレンが、そうだったの、と納得したように頷いた。
「だから優は、あんなに幸せそうに笑っていられたのね」
 聖は首を傾げる。
「関係あるのかな」
「あるわよ。子供の頃に聖書を呼んでもらっていた人は、みんな気持ちに余裕が出来て、笑顔が幸せになるの」
「そうなのかな」
 はははっ、と聖は笑った。カレンも微笑して、幾分か軽くなった気持ちで、再び二人は歩き出した。
 戦いの音は鳴り響いている。
 銃声、砲声、破砕音、エンジンの駆動音、ローター音、ゴムタイヤがアスファルトを滑るような音、などの無機質なものから、狼狽する犬の咆哮、野鳥の羽ばたき、そして、人の悲鳴、といった生物的な「声」まで。様々な音が交錯する。爆発の衝撃に頭を伏せる回数も増えてきた。
 今まで以上にこの街は、戦場らしくなってしまったのだ。
 遠くで、近くで、戦いが行われていることが、とても悲しかった。
 その中を進む自分が信じられないでもいた。戦場の実感はある。生々しいまでの現実感を肌で感じ、自分に何度も、冷静になれ、と訴え続けてもいる。だがどうしても、今現在、自分が安全であると言うことが、信じられないのだ。少しの物音に過剰に反応してしまう自分がいる。いつ誰が自分に銃口を向けてくるのかと怯えてもいる。世の中を見る自分の眼が疑心暗鬼に満ちているのだ。その中で、果たして自分が、今現在、生存しているのか、と言うことさえ疑問に思えてくるほど、聖は憔悴していた。
 きゅっ、と聖の掌に温かい圧力が掛かる。その心地良さに思わず、聖はカレンを振り向いてしまった。カレンは清楚に微笑んで、また少し強く、聖の掌を握ってくる。そうして始めて、聖は自分が震えていたことに気付いた。
「……ごめん」
 ありがとう。と、聖は呟いていた。それに対してカレンは、ふるふると数度、首を振って、また微笑を浮かべてくれる。それだけで聖は、見失っていたものを見つけられたような気がした。
「行きましょう……」
「ああ。行こう」
 震えは小さくなっていた。しかし止まった訳ではない。現実を理解してから訪れる恐怖に、聖はまだ慣れきっていない。
 歩きながらも数度だけ、意図的に瞬きをする。それだけで自分の中の勇気を鼓舞し、冷静さを取り戻そうとするのだ。いまからこんな調子では先は無いだろう。
「もう少しだ」
 呟きは自らへの勇気づけである。
「うん。もう少しだよ」
 静かな声。肯定のようで、それは願望の共有であったろう。二人は願っているのだ。何もなくこのまま生きれる事を。



 路地の先に小さく、コンビニエンス・ストアの看板が見えた。同じような家が立ち並ぶ区間の中で、そこだけ雰囲気が違うように見えるのは、気のせいではないだろう。何故ならそこだけ、ドアのガラスが破られ、中が大きく荒らされていたからだ。
 入り口の見える付近で足を止め、聖はカレンに振り向いた。彼女は優しい微笑でそれに答えてくれた。
 危険はない。カレンの太鼓判に安心して、聖は中へと踏み込んでいった。
 施錠されているドアに、大きく穴があけられているので、鋭利なガラス片に気をつけながら穴を潜り、カレンに向けて手を伸ばした。
「気をつけるんだぞ」
「ええ。ありがとう」
 カレンが優しい微笑みを向けてくれる。その笑顔を正面から受け止めて、何となく照れくさくなって、聖はカレンを中に招き入れてから、少女から赤くなった顔を反らして店内の様子を見渡した。
「……酷い様相だな」
 思わずそう呟いてしまっている。
「この期に及んでお金なんて……」
 カレンも悲しそうな声を漏らしていた。その視線の先には、左手側のカウンターがある。バールで無理に抉じ開けられたレジが、二つとも醜く歪んで、カウンター内側には小銭が散乱していた。
 カウンターの奥、天井を見上げてみると、そこにはレンズが割られてコードが延びきった防犯カメラが見て取れる。今度は反対側、弁当の陳列棚からお手洗いの方向に顔を向けてみると、そこにはキチンと形を残しているカメラが存在しており、なぜこれも壊さないのかと疑問に思ってしまう。
 もっとも、防犯カメラがそこにあるからといって、別段なにかの影響があるわけではない。すでに若月市に電気を送る変電所は自衛隊によって制圧され、送電はストップしている。電源のないカメラが稼働することはありえない。
 視線を下に持ってくると、陳列棚の商品のほとんどが棚から落ち、あるいは根こそぎ持って行かれていた。蜂起した精霊使いはこうやって食糧を供給していたのだろうか、と思いつつ、これでは鮮度が保てないだろう、とも考えていた。今が冬であることを差し引いても、彼らが長期戦を想定していなかっただろう、という見通しの甘さを裏付けることができる。
 そこでふと、聖は疑問を抱いた。
(全体的な作戦は非常に稚拙で素人のやることだ……。だが戦闘計画や作戦行動は、非常によく練られた、緻密で効果的なものに思える)
 素人ばかりじゃない、と聖は呟いていた。全体的によく統率された空気は一朝一夕では作れない。アマチュア集団ならば4日も持つ訳がない。いくら精霊使いといえども、たった数十人で、その何十倍、何百倍の数の、専門の訓練を受けた部隊を相手になど出来ないはずだからである。しかし彼らは、それを数度に渡って退けている、実績がある。
 それはつまり、対テロ戦の特殊訓練を受け、尚且つ警察部隊と自衛隊の手法に通じている人物がいる、ということを示しているのではないか。
(なんで今まで気付かなかった? いくらでも合点は行ったはずだ……。正攻法が通じるわけがない)
 自分はそこまで動転していたのか、と思った。心底からそれが悔やまれる。ならば自分達の退路も読まれている。
 あの少年との遭遇は偶然じゃなかったのか。
 自分の頬に冷たい汗が流れた。
 そうだ――。突入を開始した時だって、相手は完全にこちらに効果的な配置で、奇襲を仕掛けてきたではないか。UH−1Jの撃墜も、最初の奇襲も、平原への狙撃も、直後の砲撃も――
 向こうは全て解っている。理解している上で、この先に罠を張っているはずだ。それも二重三重に、嫌になるくらい執拗な、俺たちを屈服させるようなトラップを。
(……絶望したらダメだ。どうしたら相手の裏をかけるか。それを考えなければいけない)
 敵はすでに勝利を諦めている。だからこそ、戦争の象徴であるカレンを確保しようとするはずなのだ。死に物狂いでカレンを手に入れなければ、彼らはこの行動と自分達の存在意義が失われたも同然になるのだから。
 今のところはまだ危険はない。当たり前だ、相手はこちらの油断を狙っている。
 ここから先――そう、例えば住宅街に入った直後に、様々な方法で襲撃が来るはずだ。
(敵はほとんどの勢力をこちらに注ぎ込んでくるだろう……。ならばその時に、俺はどんな事をしてもこの娘を護らなきゃいけないんだ)
 視線の先、店の奥の弁当棚の前でこちらに背を向けているカレンを見つめ、聖は一人、決めねばならない覚悟に怖気づいた。震える拳に力を加え、抜いて、握り開きを繰り返す。意識してそれを行うことが自らを落ち着ける方法であることは、高校時代のバスケット大会でやっていた癖だった。今まではそんな事を忘れていたはずなのに、この時は何故かそれを思い出してしまい、藁にも縋る思いでその行為に頼っている。
 追い詰められてる、と実感した。
 視線の先、こちらに近づいてくる少女の、その笑顔が眩しい。何故だろう、それは物理的な光ではないにも関わらず、聖は瞼を細めていた。
 握り開きしていた拳。その力を静かに抜いた。震えが止まっているのを感じた。
 まだ覚悟の重圧を受け入れきれていない。それでも自分が、ある程度の落ち着きを取り戻せたことに、聖は心底から安堵していた。
 カレンを護ることは、俺がこの娘に出会ったときから、――「天使」と感じたあの時から、決められていた責任なのかもしれない。優が与えてくれた、俺が果たさねばならない運命なのかもしれない。
 聖は自分の肩から力が抜けたことを理解した。手前に来たカレンの顔に合わせて視線も下がっている。そこで初めて、自分がボーっとカレンを見つめていたことを知った。見蕩れていたのだ。
 少女はその名の通りの可憐な笑顔を浮かべて聖に向き直る。前のような儚さを湛えた悲哀の笑顔ではない、歳相応の華やかな雰囲気であった。生きていることを誇りとしてくれている。それだけで聖は嬉しかった。
 カレンの唇が笑みのまま言葉を紡ぐ。
「聖っ!」
 呼ばれて聖も、笑みを深くした。カレンに付き、カレンに従う。その過程の中で彼女を護らねばならないのなら、聖はカレンを護衛する。自分の中で重圧が解消されたのを感じた。聖は気負いを心地良いと感じることが出来たのだ。
 だから聖は、どうした、と屈託なく笑うことが出来た。
「賞味期限の切れてないのが幾つかあるの。菓子パンだけれど、食べないよりは良いんじゃないかと思う」
「そうかもね。……でも俺は食べられる状態じゃないよ」
「ダメよ! 聖はもう、何時間も食べてないんでしょう。そんなのじゃ体が持たないじゃない……」
 気遣ってくれる様子に聖は少し息を吐いて、カレンの頭に手を乗せて、ポンポンとした。
「食べるよ。せっかく心配してくれてるんだもんな」
 もお、とカレンが苦笑にも似た表情を浮かべた。優とは違う反応。あの子はこうされると嬉しそうに微笑んだ。それを思い出して、対照的な二人が、重ならずに並んでいるように見えて、聖は少し嬉しくなった。
 店内の一番奥に行って、一応は缶コーヒーに触れてみるが、案の定それは冷たい風に4日間さらされていた為に冷たくなっていた。すぐに体を変えて右に歩を進めると、飲料水用の冷蔵庫の前にくる。戸を開けてウーロン茶を取り出した後でカレンに振り向いた。
「ご注文は?」
「みんなでQooが良いな……白いやつ」
「……しろくー?」
 意外な選品にキョトンとすると、カレンは少し恥ずかしそうに頬を染めて、
「別にいいでしょ? 好きなんだもの」
 と唇を尖らせた。
 ははっ、と笑ってペットボトルを取り出して、パンの陳列棚の前に歩を進めた。冷たいよ、と言ってジュースを差し出すと、うん大丈夫、とカレンは笑ってそれを受け取った。
「優はオレンジが好きだったな……」
 懐かしむように呟きつつ、聖は棚の中の残り少ないパンの中から、メロンパンとチョコクリームの入ったデニッシュを手にとって、カレンの隣に腰を下ろした。メープルシロップが上にかかったパンに口をつけていたカレンは、
「そうだね……」
 と言って、左手に持ったジュースのラベルを見つめた。
「優に勧められたの、これ。炭酸のジュースが苦手だったのは二人とも一緒だったから」
「昔は優のせいでコーラが飲めなかったよ」
 クスクスと二人で顔を見合わせて笑う。不思議だ、カレンと一緒だというだけで、この間まで聖に悲哀を抱かせて来た思い出が、こんなに楽しいことに感じられるなんて。優の事を吹っ切れた訳じゃないけれど、着実に良い方向に聖の心が向かっていることを実感させた。
 そういう意味での安心感を得つつ、カレンの言葉に耳を貸す。
「でも奈津は炭酸が好きだったから。二人が遊びに来たりするときは予め両方を用意しておかなきゃいけなかったわ」
 カレンの楽しそうな笑顔が眩しい。年頃の女の子なんだな、と言うのを改めて実感した。
「奈津か……。そういえば奈津はどうしてるだろう」
 聖は奈津の元気な笑顔を思い出した。優の幼稚園の頃からの親友の少女だ。いつも活発で笑顔を絶やさない、回りを明るく染めてくれる女の子。小さい頃から聖に懐いてきて、優と一緒に遊んでやった記憶は、最近のことまで沢山ある。奈津は優とは違い西若月高校に入学したはずだ。優と一緒に真新しい制服の見せあいっこをしていたのは今でも頭の中に鮮明に残っている。
 学校が違くとも二人の仲は変わらなかった。そんな親友を持つ妹を聖は羨ましく思ったものだ。
「奈津は通夜に顔を出さなかった気がする。最近会ってないし、元気にしてるのかな?」
 メロンパンをかじりながらカレンを振り返ると、少女は何故か、浮かない表情で俯いていた。疑問に思ったがすぐに思考をきりかえて、大丈夫か、と覗き込んだ。
 優れない顔色で、ええ、とカレンが微笑む。
「心配はしないで……。きっと奈津は元気だよ」
「そう、かな」
 カレンはこの会話を切り替えたがっている。何があったのかは判らないが、聖は言葉を飲んだ。
 ただ聖は、このまま重い空気のままにしたくはなかったので、ニコリと微笑んで、
「奈津は元気だけがとりえの様な女の子だもんな」
 と言った。
 それにカレンも微笑んでくれて、静かなムードが部屋の中に流れてくれたので、聖は安心してパンを口に含み、ウーロン茶を流し込んだ。
 その後でカレンが食べ終わるのを待った。トイレを済ませてもとの場所に戻ると、カレンが白クーのペットボトルを空にして立ち上がる。行きましょう、と手振りで示して歩き出したので、聖も後を追って歩き出した。
「トイレは良い?」
「うん。大丈夫」
 歩きながら振り返る時の、カレンの笑顔は可愛かった。ふわりと回転する長い金髪が綺麗な軌跡を残して、聖の網膜に強く焼きつく。
 道路のほうから入る、冬の低く差し込む陽日の中でも、彼女の神秘性は失われない。
 聖は微笑みを深くした。
 並んでカウンターの前にくると、待って、とカレンが呼び止める。どうしたのかと思ったら、カレンは財布を取り出していた。
「払っていきましょう」
 言った時にはすでに小銭を探っている。そんな様子に聖は苦笑しながら、
「自分の分は自分で払うよ」
 と言った。しかしカレンに、
「お財布はあるの?」
 と聞かれて、あっ、と呟いてしまっている。
 クスッ、とカレンが笑った。
「……帰ったらちゃんと払うよ」
「良いわよ。これから充分、返してもらうから」
 チャリン、と小銭がカウンターに跳ねた。見たところ一円玉まで置いているところから、几帳面にきっちり丁度の値段なのだろう。
「えっ?」
 キョトンと間抜けな顔をした聖。その表情を見て、クスリッ、とカレンがふきだした。
「聖のことは頼りにしてるから。安いけれどボディーガード代ね」
 クスクスとしながら財布をしまってこちらに近づいてくるカレン。それに聖は、
「うん。頑張るよ」
 と、力を抜いて笑った。
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