コラム
――岐路、選択――



 ○最初に○
 今回のコラムはかなり私的な内容になっています。
気分を害する人がいるかもしれませんし、私の主張が間違っていると仰る方もいるかもしれません。
ですが、これは私の本音を書いているだけでもありますので、その辺をご理解下さるようお願い致します。
人生観が変わってしまう人もいるかもしれません。
従って、閲覧は自己責任でお願い致します。

 今回のコラムはちょっと人生観に関わる内容だ。
 私は高校時代、二学年になった辺りから勉強するのを止めた。厳密には止めてないが、気分的には止めた。
 というのも、高校に入って直ぐ、私は『ライトノベルライターになりたい』と思うようになり、執筆を開始した。この時に書き始めたのが『蒼光』だ。この時点では、小説を書き始めた事が『勉強』というものを捨てる大きな理由ではなかった。
 一番の転機は学校側にあった。
 今は違いますが、高校時代の私は『人付き合い』というものが得意ではなかった。言ってしまえば、誰とでも分け隔てなく話せる訳ではなかった。
 いや、これも厳密にはニュアンスが違う。
 私自身は相手が誰であろうと偏見を持たずに人物を見る事ができると思っている。
 ただ、そうした際に、『相手と自分が上手く付き合えるかどうか』を見てしまっていた。もし、ここで『私とは合わない』と感じた相手なら、私は積極的に言葉を交わそうとしない。
 高校の校風、というものもあったのだろう。
 私が入学した高校は、進学校の部類に入る高校だった。しかも、そこそこ名の知られている高校だったように思う。
 私は元来、ゲームが大好きだった。中学校での成績は上の下か上の中ぐらいにあったが、宿題は最低限済ませてゲームやパソコンをする毎日だった。
 だが、私が入学した高校には、そういった生活をしていた人間が極めて少なかった。
 基本的に話が合わないのである。
 私は流行に敏感でもなく、ファッションにも拘りや気遣いもない。テレビもそれほど見ているとは言えず、ドラマや有名人の話題には中々ついていけない。
 私と同じように、ゲームやパソコンに興味のある数人の人物を除いて、クラスや学年のほとんどと私は会話をしていない。
 話しかけられれば応じるが、中には陰口を言う奴もいたし、からかってくる者も少なくなかった。
 加えて、私は運動が苦手だ。全くと言って良い程に出来ない。せいぜいバスケのシュートフォームを友人に「綺麗だ」と言われたぐらいだ。
 短距離走も長距離走もビリだし、そもそも喘息だった私が人並みに走れるわけがない。小学校低学年時は一年の間、入院している期間の方が長いという有様だった。そのために他の脚力だけでなく腕力や握力、持久力さえも無い。唯一、柔軟性が高いだけだった。
 高校のクラスメイト達は、基本的に成績優秀で運動神経も十分ある人たちばかりだった。ゲームをほとんどしない、アクティブな人が多かったから、尚更ついていけなかった。
 正直、私には見学さえ苦痛だった。これでは余計クラスに馴染めない。
 勉強なんて皆普通にやっているから、その関係の話はほとんどしないし、その他の話題も私はできない。
 ただ、高校時代に出来た一握りの友人達を除いては。
 彼らがいなければ、私は高校を中退していたかもしれない。
 だが、一学年から二学年に進学した際に転機が訪れる。
 クラス変え、である。
 私だけ一人、友人グループから別のクラスに放り出された。
 これはショックだった。高校は教室移動がほとんどとはいえ、クラスが変わった事で友人達と会う機会はほぼ食事時だけとなり、クラスには余計馴染めなくなった。
 既に友人が出来ている場所で新たな友人を作るという事が、当時の私にはできなかった。
 その当時は基本的に狭く深く、というのが私のスタンスだった。
 そして、その頃から私の生活に対する『小説』の割合が増加してきた。

 いつの間にか、私の昼夜は逆転し掛けていた。家では夜遅くまで小説を執筆し、学校で眠る。そんな毎日を繰り返していた。
 一学年の頃はまだ多少はやっていた自主学習も全くしなくなった。強制の宿題のみをこなし、残った時間は全て小説に回す。
 もはや勉強などどうでも良くなっていた。
 親に『勉強しろ』と何度も言われた。だが、私は小説を書き続けた。夜遅くまで勉強せずに起きていたから、尚更だ。成績も右下がりになる一方だった。
 一際強く『勉強しろ』と言われた時、私は自分の思っている事の全てを話した。
「小説家になりたい」
 と。
 そのために学校の勉強なんてどうでもいい。学校なんかよりも自分の人生の方が大切だ、と。
 私は親に小説を書く事を認めさせた。真剣にやっているんだと、遊びのつもりではないのだと訴えて。
 高校では、成績は更に下がり、教師にもクラスの人間にも目を付けられるようになる。勉強もせず、授業の八割は眠っていた。進学さえできればいい。卒業さえできればいいと思うようになっていた。
 三学年になった時には、定期テストで一桁を取る事も度々あった。
 二年後半からほぼ月に二度行われるようになった模試も、寝ていた。普段夜更かしをして小説を書いていた私にとって、週末の休みは貴重な睡眠時間だった。体力を完全に回復できないまま次の週へと移った時の木曜日・金曜日はまともに起きていられなかった。授業の合間だろうが教室をさっさと移動した後で寝ていた。
 元々、理数系の進学校だったために、普通の高校で行う数学の範囲『TA・UB』は二学年の前半辺りで終わってしまう。それからは国公立の大学の入試範囲となる『VC』という分野をやる事になる。いわゆる『積分』や『空間ベクトル』といった分野だ。
 私は基本的に数学が嫌いではなかったが、高校の授業は捨てていた。国公立の大学に受かるとは思っていなかった。
 進学校的には、国公立、あるいは有名私立校を受験してほしかったのだろうが、私はさほど有名ではない私立大学を受験した。大学には悪いが、レベルはさほど高くないだろう。正確に判断できないが、中の下か、下の上ぐらいではないだろうか。
 高校では勉強をしていなかったが、問題なく受かっていた。
 高校時代、圧迫されてきた私にとって、大学生活は楽しいものになっている。私自身も、高校の時より人と話す事に抵抗が無い。何か文句があれば率直に言うし、嫌なら嫌と言う、ほとんどあるがままの自分を見せている。
 それでも私と付き合ってくれる友人と言える存在を見つけられたのは幸せな事なのだろう。

 話を戻す。
 こういう事を言うと自慢とも取られてしまいかねないが、私は小学校・中学校と、体育が出来ない事を除けば『優等生』と言われて来た。入院生活ばかりで勉強も余りしていなかったが、何故か授業の内容は理解できた。小学校のテストは全教科においてほぼ百点を取り、逆に九十九点以下だとへこんだ。中学では流石にそれはなかったが、それでも七十点以下を取った事は一度しかない。だが、宿題以外の勉強はほとんどしなかった。
 だが、高校へ行くと私は平均的な成績の人物に分類されてしまった。高校のレベルが高かったのだろう。ショックが無かったと言えば嘘になる。一学年の時は多少勉強していたが、二学年になった辺りで上記の心情変化があり、自主勉強を止めた。
 最終的には、三学年時の数学のテストはほとんどゼロ点という結果だ。追試・追々試(追試と問題が変わらないので答案を暗記して)を行ってどうにか切り抜けてきた。
 成績も、十段階評定で一つだけ五があったのみで、後は二か三だった。
 こんな私でも大学には受かった。いや、受かる場所を選んだというべきか。
 進学校にいたためか、大学での勉強はかなり理解できている。個人的にはそれほど嬉しくないわけだが。

 ともあれ、今回私が言いたいのは、『勉強は決して大切な事ではない』という事だ。
 ある程度の勉強的知識は生きていく上で(将来の仕事関係などでも)必要になるとは思うが、それは一般常識の範囲だろう。
 職にした分野の勉強なら誰でも進んでやろうと思うだろうし、やらなければならないとも思うはずだ。
 ただ、勘違いしないで欲しいのは、それは『自己責任だ』という事である。
 勉強をしない事によって生じる弊害を『全て自分の責任にする』という事が前提だ。そうでなければ、自分の生き方を変更する資格はないと思う。
「もし、高校の時にもっと勉強していたら○○大学にも行けたかもしれないのに」
 と家族に良く言われた。
 知ったことか。
 これは私の自己責任で、自分の意志で決めた事だ。その大学に行きたかったら最初から勉強している。だが、私は『小説』を選んだのだ。成績などという一般数値化は私の眼中にはない。
 低かったから何? という思いぐらいしかない。
 高校の二学年から三学年の担任教師だった人物は私の『小説家になりたい』という夢をあまり理解してくれなかった。
「それは今やらなければならない事ではないだろ」
 と諭してきたほどだ。
 その当時の私は今ほどオープンではなかったから、反論できなかった。
 彼が言いたかったのは、進学校に来たのだから在学中は進学のための勉強をしろ、という事だったのだろう。
 しかし、私はあの高校が『どんな高校なのか』を知らなかった。体験入学や学校見学には行ったが、入学して生活をし始めなければ見えない事は山ほどある。私はその見えない部分の多くに裏切られた。
 もし、中学の時代に戻れるのなら、私は入学する高校を変えるだろう。
「今、始められずに後悔したくない」
 反論するなら、私の意見はこうだ。
 思った時に実行せずに見送って後悔した経験がある人は多いのではないだろうか。買い物などの些細な事から、もっと大きな事まで。だから、私は決めたのだ。
 小説を書き始めて、色々な事を考えるようになった。哲学的な事から、もっと一般的な事象や、現実、心理、様々な物事の絡み合い。
 二〜三学年時の担任の言いたかっただろう事も考えた。十分に悩んだ末に出した結論が『それでも小説家になりたい』というものだったのだ。
 だから、私は後悔していない。
 高校はつまらなかった。辛かった。
 それも私の選んだ選択肢がもたらしたものだ。私自身が『小説』を選んだ事で引き換えにしたものだ。そうなるだろう事も考えて、私はこの選択肢を選んだのだから。

 人生を自ら変える事は自己責任で行う。それに関して、勉強は大切なものではない。
 やりたくなければやらなければいい。ただし、それが原因で生じる問題は自己責任で解決するべきだ。
 だからこそ、何か重大な事を決めるためには十分に考えた方がいい。選んだ事によって捨てなければならないもの、得られなくなるものを良く考えて、失くすかもしれないものに見合う選択かどうか決めて欲しいと思う。
 私は『簡単に、あるいは勢いや思いつきなどで選択する』事を勧めない。

 ただ一つ、心残りがあるとすれば、入学する高校を変えていたら私にも彼女が出来ていたかもしれないという事だろう。
 後悔はしていないが、これだけは残念だ。
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