ファイル2 「ガーディアン・ユビキタス」


 世界は変わる。だが、人の思いはそう簡単には変わらない。
 変わっていくこともあるかもしれない。それでも、その人の本質というものは中々変わるものではない。
 この『世界』でも、同じだと思う。

 二年前、『The World』は一度その世界を終えた。火事によるサーバの焼失事件だ。
 それまでに築き上げたプレイヤーデータを失い、一時はゲームを止めようかと考えたこともあった。新たに示された『世界』にはこれまの『世界』の面影はほとんど無かった。
 同じように考えて、止めていった者たちも少なくはないだろう。
 それでも、その『世界』に惹かれた。まだ、続けてみよう。そう思う何かがあった気がする。
 プレイヤーの人口は減ったが、他のネットゲームに比べればまだ世界最大規模と呼べる。世界と同時に、プレイヤーたちも変わってしまったが。

 ドアを開けて、今では自宅となっているマンションに入る。鍵が開いていたことから、既に中に人がいることを知る。
「こっちもまぁまぁかな」
 奥の部屋の中から話し声が聞こえた。
「ん、来たかな」
 部屋の中に入ると、二つあるベッドの一方に腰を下ろし、M2Dをかけた青年が挨拶代わりに軽く手を挙げる。
 それに頷いて、肩に下げていたバッグをもう一つのベッド脇に置いて、枕元のM2Dを装着する。向かい合うようにベッドにその腰を下ろし、パソコンのシステムが起動するのを待つ。
 そして、『ザ・ワールド』へとログインした。

 *

 M2Dの感触がない。視界はゲーム画面に近いが、操作しているはずのコントローラーが手には握られていなかった。手を握れば、PCのヴァリッドが手を握り締める。
「どうなってんだ……?」
 明らかな異常事態に、ヴァリッドは動揺していた。一緒にいるアーティとルーネも同じだ。
 夢を見ているのだろうか。だが、夢とは思えないほどに感覚はリアルだ。
「わかんない……」
「ログアウトも、できないな……」
 首を横に振るルーネの横で、アーティが引き攣った声で呟いた。
 ログアウトができない。となると、ヴァリッドたちの意識がザ・ワールドの中に閉じ込められたということになる。現実的に考えても何故そうなるのかさっぱり判らない。
「冷静だな、俺たち」
 ヴァリッドは小さく呟いた。
 何故、こんなにも冷静でいられるのだろう。パニックを起こしていないのが不思議だった。
 自分の身体はどうなっているのだろうか。ベッドの上に腰を下ろして、M2Dをかけた自分のリアルは、今どんな状態にあるのだろう。意識だけでなく、感覚のほとんどがザ・ワールドの中にある。これでログアウトすれば元に戻れるのだろうか。
 不安はある。それでも、落ち着いているだけの余裕がヴァリッドの中には残っている。
「ほんとだね」
 ルーネが苦笑する。
 ここでパニックを起こしてどうにかなる問題ではないが、もう少し慌ててもいいのではないだろうか。
「……とりあえず、状況を把握した方がいいな」
 アーティの言葉に、ヴァリッドとルーネは頷いた。
 閉じ込められたのは三人だけなのか、他のプレイヤーたちは正常なのかを確認した方がいい。自分たちだけの問題なのか、全プレイヤーに関わる問題なのかは確認すべきだろう。
 さすがに、この状況がイベントであるとは考え難い。
「行こう」
 言って、ヴァリッドは走り出した。
 何もせずにこの場で考えだけを巡らせていたら、いずれパニックを起こしてしまいそうだった。動いていた方が気が楽かもしれない。
 ルートタウンの中でプレイヤー同士の会話を聞いた限りでは、ログアウトできないのはヴァリッドたちだけではないらしい。全プレイヤーがザ・ワールドの中に閉じ込められている。
「もし、この状況でPKされたらどうなるんだろう」
 ルーネが呟いた。
 ゲームシステムとして考えるなら、ルートタウンへ強制的に戻されてペナルティが与えられるぐらいだ。だが、意識がPCと繋がった状態であることを考えれば、死の恐怖を味わう可能性もある。現時点で既におかしくなっているのだ。もし、復活できないとすれば、ザ・ワールドの中に閉じ込められた意識はどこへ行くのだろうか。
 背筋に寒気が走る。
「ヴァリッド!」
 不意に掛けられた声に、ヴァリッドは思考を中断した。
「頼みがあるんだ!」
 駆け寄ってきたのは、一人の青年だった。ジャケットを羽織ったようなデザインのPCだ。名前は、弘人と表示されている。
「俺の友達が! 助けてくれ!」
「落ち着け! ちゃんと説明してくれないと解んねぇよ!」
 縋り付いてくる弘人の両肩を掴んで、ヴァリッドは言い聞かせた。
 かなり混乱しているようだ。この青年は、以前ヴァリッドに依頼を持ち掛けてきたことがある。弘人と、もう一人のPCを連れてダンジョンに潜ったのを思い出した。レベル上げのために、高レベルエリアの付き添いを頼まれたのだ。
「見たことないモンスターが現れて! タクマが……!」
 半泣きになりながら弘人が説明する。ヴァリッドたちは顔を見合わせて、頷き合った。
「今直ぐ案内してくれ!」
 見たことのないモンスターに襲われた弘人の友達、タクマを助けて欲しい。その意図は掴めた。ならば、詳しいことは移動中でいい。戦闘中に助けを呼びに来たのだから、一刻を争う。
 ヴァリッドは弘人の手を引いてカオスゲートへと向かった。
 弘人の言う通りにエリアワードを組み合わせ、飛んだ。エリアレベルはヴァリッドたちから見れば高くない。浮島を橋で繋いだような、地下へ続いていくダンジョンとは異なる構成のマップだ。フィールドと呼ばれる、一階層だけのエリアである。
「攻撃が全然効かなくて、逃げても直ぐに追いつかれて……!」
 目的地へ向かう途中、弘人が言った。ダメージを与えることができず、諦めて二人で逃げたが、逃げ切れなかったのだと。そのため、どうにかできそうな人に助けを求めようと、タクマだけがその場に残ったのだ。ログアウトできない今の状況に気付いているから、敗北が怖いのだ。だから、二手に分かれて助けを求めるという、普段しないことをしているに違いない。
「あれか!」
 橋を渡り切ったところで、戦闘が見えた。モンスターを相手に、一人の青年PCが戦っている。
 確かに、奇妙なモンスターだった。黒い点を身に纏った、狼のようなモンスターだ。ヴァリッドの記憶にも、そんなモンスターは存在しない。今までプレイしてきて、ほぼ全てのゲームデータを知り尽くしているはずだが、見たことが無かった。
「タクマ!」
 駆け出そうとする弘人の肩を掴み、ヴァリッドは前に出た。
「俺たちがあいつを引き付ける。その間に早く二人でタウンに戻れ」
 背中から銃剣を取り出し、ヴァリッドは告げた。弘人は頷いた。
 ヴァリッドのレベルを知っているから、弘人は何も言わない。弘人やタクマのレベルはまだ初心者の域を出ていない。二人に勝てないモンスターでも、ヴァリッドたちなら勝てる。そう思ってくれたのだろう。
「雷光閃弾!」
 ヴァリッドの銃剣が閃光を吐き出す。
 モンスターが吹き飛び、ヴァリッドたちの存在に気付いたタクマが弘人の方へと駆け寄ってくる。タクマのHPとSPは尽きる寸前だった。
「後は任せて!」
 言い、ルーネが双剣を取り出す。飛び掛ってくるモンスターに双剣を叩き付け、押し止めていた。
「お願いします!」
 タクマと弘人は口を揃えて言うと、一礼してその場から遠ざかって行った。
 二人が見えなくなったのを確認して、ヴァリッドたちはモンスターに向き直った。
「バグモンスターっぽいな」
「あれの出番ね」
 ヴァリッドの言葉に、アーティが頷いた。
 銃剣をしまい、ヴァリッドは腰の紋章へ手を伸ばす。生成されて行く刀剣は、柄に宝玉が埋め込まれた神秘的なデザインをしていた。身長ほどもある、長い刀剣だ。研ぎ澄まされた刃は淡く光を放ち、宝玉の奥が脈動するように輝いている。
 ――黎明ノ絆。『レイメイノキズナ』
 凄まじい攻撃力を持ち、普通の武器にはないアビリティのセットされた剣だ。
 アーティも大鎌を取り出している。柄の先端に宝玉が埋め込まれ、そこから刃が伸びている。闇色の陽炎を纏い揺らめく大きな刃に、輝きを帯びた宝玉。大きな鎌だ。どこか、槍斧の面影の残る、特殊な形状をしている。
 ――流離ノ記憶。『サスライノキオク』
 ヴァリッドの持つ剣と似た、高い破壊力を秘めた鎌だ。
 ルーネも魔典を生成していた。楽譜置きの中央にはクリスタルがあり、本ではなく周囲には結晶が無数に飛び散ったようなデザインをしている。中央のクリスタルは虹色に輝き、その光を反射して周囲の結晶が煌めいていた。
 ――存在ノ証。『ソンザイノアカシ』
 全てのスペルを使用でき、圧倒的な魔法攻撃力を持つ魔典。
 これらの武器は普通の装備ではない。ヴァリッドたちがあるイベントで手に入れた、三人の専用武器だ。
「行くぞ!」
 ヴァリッドが駆け出す。
 剣が光の尾を引き、白銀の剣閃を宙に残した。
 モンスターが大きく仰け反り、凄まじいまでのダメージを叩き出す。
「レイザス!」
 仰け反ったモンスターに、ルーネのスペルが命中する。無数の光の矢に射抜かれたモンスターが大きく吹き飛ばされる。
 そこへ、アーティが大鎌を薙いだ。切り裂かれたモンスターが悲鳴を挙げ、息絶える。
「終わった、か……?」
 ヴァリッドは剣を構えたまま、呟いた。
 通常の武器では全く歯が立たないモンスターだった。ヴァリッドが銃剣のスキルで攻撃した時もダメージは一桁程度だったのだ。明らかに異常なモンスターだ。
 ヴァリッドたちも、この武器は極力使わないようにしている。チートだと思われる可能性すらある、破格の性能を持った武器なのだ。あまり人目に触れさせるべきではない。
 だが、相手がバグモンスターであるなら話は別だ。破格の性能を持った武器でなければ倒せない可能性があるのだ。特にログアウトできない状況では下手に戦闘不能となるのはまずい。
「ヴァリッド!」
 アーティが叫んだ。
 モンスターが纏っていた黒い点が蠢き、モンスターから離れていた。まるで、別の空間と繋がる穴であるかのように、黒い点は空中で蠢き、面積を広げて行く。
「何だ……?」
 剣を構え直す。
 三人の目の前で、黒点は増殖し続ける。そして、その面積がある程度大きくなったところで、薄いピンク色をした光が漏れ出してきた。
 まるで穴の中から這い出してくるかのように、奇怪な物体が姿を現した。クリオネのような、透き通った薄いピンクの身体の中に核が入った物体だった。小さな翼のようなもので、空中を泳ぐように滞空している。
「モンスター……なのかな?」
 ルーネが小さく呟いた。
 仕様外の存在だと、直ぐに判った。こんなモンスターのデータは存在しないはずだ。
「まさか、こいつが原因か?」
 ヴァリッドも推測を口にした。
 もし、この仕様外の存在がウィルスか何かだとしたら、この異常事態を引き起こした可能性はある。というよりも、ザ・ワールドの仕様外の存在によって異常事態が引き起こされたと考える方が自然だ。他に、辻褄を合わせるものがないのだから。
「なら、倒せば直るのか?」
 アーティが武器を構える。
「やってみる価値はありそうだな」
 言って、ヴァリッドは駆け出した。
 宙に浮いたモンスターへ、ヴァリッドは剣を振るう。手応えはあった。だが、あまり効いているようには見えない。
「スキルの使い時じゃない?」
 そう言って、ルーネは魔典に両手をかざした。光が集約し、魔典の結晶が一際強く輝く。
「ルーンレイド!」
 武器に記録された特殊なスキルが発動する。魔典から閃光が柱となって空へと伸びる。その先から、まるで月のように巨大な光球が敵の頭上へと落下する。炸裂した閃光がその場を満たし、モンスターに大ダメージを与えていた。
「アルテミスレイ!」
 ルーネはクールタイムを無視した追撃スキルを発動させる。
 魔典の結晶から無数の閃光が弧を描き、モンスターを貫いていく。
「蒼穹翔閃(そうきゅうしょうせん)!」
 鎌に記録された特殊スキルを発動し、アーティがモンスターに斬りかかる。
 大鎌を振り上げて自分も跳躍し、ダメージと共にモンスターの高さまで身体を持ち上げる。鎌は三連続でヒットし、続く水平方向への三連続薙ぎ払い、上空からの叩き付けがモンスターの体力を削る。地面に叩き付けられたモンスターに着地と同時に大鎌を突き刺した瞬間、爆発したかのように閃光が撒き散らされた。
「追閃(ついせん)・虚(うつろ)……!」
 吹き飛ぶモンスターへ、アーティが追撃スキルを発動、鎌を投げ放つ。
 回転しながら飛来する鎌に全身を無数に切り裂かれ、モンスターが更に吹き飛ばされる。鎌はブーメランのようにアーティの手へと戻って来る。
 柄を受け止めたアーティの横を、ヴァリッドが駆ける。
「白虹一閃(びゃっこういっせん)!」
 地面に触れる寸前のモンスターとヴァリッドがすれ違う。
 白銀の剣閃だけがその場に残像のように光の尾を描き、モンスターを切り裂いている。ヴァリッドの腕はほとんど動いていない。一瞬の斬撃だった。
 ヴァリッドの足が地面を踏み締め、身体の前後を入れ替えてモンスターに向き直る。
「連閃(れんせん)・零(ぜろ)!」
 剣に記録された追撃スキルを発動し、ヴァリッドはもう一度モンスターとすれ違う。
 幾筋もの閃光がモンスターを一瞬で切り裂いた。
 モンスターが音も無く崩れていく。粒子に分解されていくかのように、溶けて行った。
「今度は確実だよね」
 ルーネが息をついた。
 既に黒点は消えている。もう、その場には何もなかった。
「タウンに戻ってみるか」
 ヴァリッドの提案に二人は頷いた。
 もしかしたら、他にもバグモンスターが現れているのかもしれない。それを全て潰せば元に戻るのだろうか。そんなことを話しながら、三人はプラットホームからタウンへと戻った。
 タウンへ戻り、広場へと戻ったヴァリッドは周囲の様子があまり変わっていないことに溜め息をついた。ただ、周りの会話の中から、戦闘不能になったPCが行方不明になっているという情報を聞いた。だとしたら、戦闘不能になればログアウトできるということだろうか。
 だが、よくよく話を聞いてみると、メンバーアドレスを調べた時に表示される相手の状態はログインしたままになっているらしい。オフライン、と表示されてはいないようだ。やはり、戦闘不能となるのも危険だ。
 エリアで暴動などが起きてプレイヤー同士での殺し合いに発展しているところもあるらしい。極度の恐怖や緊張状態に、精神状態がおかしくなりつつある者も多いのだろう。
「何だろ、あれ……」
 ルーネが空を見上げて呟いた。
 白い紋様が描き出され、空を覆って行く。その範囲が広がるにつれて、真下にいるPCたちの足元にも紋様が浮かび上がる。同時に、頭上にも生じた紋様で挟み込まれたPCが転送されていくかのように消え始めた。
 逃げ惑う人々が次々に消えて行く。そして、ヴァリッドたちの足元と頭上にも紋様が生じた。
 身体が消える瞬間、意識が途絶えた。

 Θサーバ。蒼穹都市、ドル・ドナ。
 マク・アヌの一つ上に位置する、中級サーバだ。
 通路の左右を崖に囲まれた都市だ。谷の間にできた街、と呼ぶべきかもしれない。空は晴れ渡っており、いつも青空が見える。どこか清涼感のある都市だ。
 ヴァリッドたちはドル・ドナのカオスゲートからダンジョンに潜っていた。
 あれから数日が経った。ヴァリッドたちは何事も無かったかのようにザ・ワールドをプレイしている。気付いた時、リアルのヴァリッドはベッドの上に横になっていた。眠ってしまったのかと錯覚もしたが、連絡を取り合ってみればアーティとルーネも同じ経験をしていたのだ。夢などではない。
 以前のザ・ワールドでも不可思議な現象は起きていたようだが、その延長線なのだろうか。
 ただ、あの黒点に関する噂は増えた。BBSを見ていれば、何度か目につくようになっている。もっとも、多くのプレイヤーはそれをバグと思っているらしく、話題としては直ぐに終わっているものがほとんどだ。あの日のことも、夢、の一言でほとんどが片付けられている。
 ヴァリッドたちもCC社にメールをすべきかとも思ったが、止めた。他のプレイヤーが殺到しているだろうし、言ったところで何も変わらない気がした。
「にしても、依頼もなくこんなとこに来るのは久しぶりだね」
 ルーネが呟いた。
 ヴァリッドたちが今いるダンジョンのレベルは70程度しかない。三人がレベルを上げるならもう一つ上の上級サーバでなければ経験値が入らないのだ。依頼もなしにΘサーバのダンジョンに潜るのは久しぶりだった。
「気になったからついてきたんだろ?」
 ヴァリッドは言った。
 BBSで黒点を見た、というプレイヤーの書き込みがあった。そのエリアワードを見て、ヴァリッドたちはここへ来ているのだ。今までは黒点を見た、という書き込みはあってもエリアワードはほとんど書かれていなかった。そのエリアが気になったヴァリッドはアーティとルーネに連絡を取り、ダンジョンへ潜ることにしたのだった。
「まぁね」
 ルーネが頷く。
 やはり、三人ともあの日の一件が気になっている。あの未知のモンスターが何なのか。単なるバグなのか、それとも違う存在なのか。
 巷ではアリーナの碧聖宮が賑わっているようだが、ヴァリッドたちはあまり関心が無かった。アリーナで他者と戦うこともたまにあるが、それも依頼で参加する程度だ。ただ、レベルがかなり高くなっているヴァリッドはトーナメントには参加していない。他者と競い合うよりも、何でも屋のように気楽にプレイする方がヴァリッドには合っている。
 最下層まで来た時、ヴァリッドは異変を感じた。
「モンスターがいない……?」
 部屋の中にはモンスターが配置されていなかった。アイテムの入っているオブジェクトも無い。何も無い部屋だった。
「ヴァリッド! あれ!」
 ルーネが指を差した方向に目を向けて、ヴァリッドたちは身構えた。
 黒点が蠢いている。あの時と同じ黒点だ。
「何故、私たちの時に……?」
 アーティが呟いた。
 BBSの情報には、他にもここまで来た者の返信もついていた。だが、そのプレイヤーは黒点に遭遇することはなかったらしい。何故、ヴァリッドたちが来た時には黒点が現れたのだろうか。
 微かに耳鳴りがした。武器が反応している。
 武器を取り出そうとした瞬間、黒点からクリオネのようなモンスターが這い出して来た。
「待て! そいつは危険だ!」
 背後から誰かの叫ぶ声が聞こえた。
 振り返ったヴァリッドの直ぐ横を、一人の青年が駆け抜ける。黄色を基調とした服に、青い長髪をポニーテールのように纏めた青年だった。手には銃剣を握り締めている。
「来い! 俺の……メイガス!」
 大きく跳躍した青年の身体を淡い光が包み、爆発するかのように閃光を周囲に撒き散らす。
 周囲の景色が一変した。星の一つも無い宇宙空間にいるかのような景色が広がり、地面と思えるものが見えなくなる。
 青年は細い体を持つモンスターに変化していた。細く長い尾と、腕には葉状の装飾が配され、肩部や腰部は植物の種や実を思わせる形状をしている。
「おおおおおっ!」
 青年の咆哮が聞こえた。
 黒点から現れたモンスターに爪で一撃を加え、吹き飛ばす。吹き飛んだモンスターへ、モンスターに変化した青年が腕をかざす。腕に配された葉状の装飾が展開するように開き、光を纏う。その腕から虹色に輝く光球が放たれ、モンスターに炸裂した。閃光が周囲に飛び散り、眩しいほどに輝いた。
「一体、何が……?」
 ヴァリッドたちは呆然とその光景を見ていた。
 PCの姿に戻った青年が着地する。表示された名前は、クーン。
 その時には既に、周囲の景色は元に戻っていた。そして、黒点から現れたモンスターも消滅している。
「……今の、何? 変身、だよね?」
 ルーネの言葉に、クーンは驚いたようだった。
「俺のアバター……見えたのか?」
「アバター、って言うのか?」
 ヴァリッドは問いを返した。
「まさか、碑文使いじゃあ、ないよな?」
 クーンの言葉に、三人は顔を見合わせる。
 聞いたことが無い単語ばかりだ。
「ヴァリッド!」
 突然、アーティが声を上げた。
「クーン! 危ない!」
 ヴァリッドは黎明ノ絆を引き抜き、クーンを横に突き飛ばした。
「うわっ!」
 クーンの背後にいきなり生じた黒点から、ピンクのモンスターが現れていた。ヴァリッドの剣がモンスターを斬り付け、弾き飛ばす。
「まだAIDA(アイダ)がいたのか……!」
 クーンが呟いた。
「翡翠裂閃(ひすいれっせん)!」
 アーティが大鎌、流離ノ記憶を構えて突撃する。横に薙ぎ払った鎌から翡翠の光が周囲に散る。間髪入れずに大鎌を振り下ろし、AIDAと呼ばれたモンスターを縦に切り裂いた。
「AIDAを、倒せるのか……?」
 溶けるように消えて行くAIDAを見て、クーンは目を丸くした。
「まだいるみたいだよ!」
 ルーネが魔典、存在ノ証を生成し、叫ぶ。
 部屋には合計五つもの黒点が生じ、そこからAIDAが出現していた。
「来い、メイガス!」
 クーンがアバターと呼んだ姿に変化する。それに伴って周囲の景色も宇宙空間のようなものに変わった。
 現れたAIDAにクーンが突撃し、爪で切り裂く。二体のAIDAをクーンが引き付けている間に、ヴァリッドたちはそれぞれ一体のAIDAを相手にスキルを発動していた。
「極光閃破(きょっこうせんぱ)!」
 剣を振り上げ、高高度からAIDAに叩き付ける。剣から溢れ出した閃光が一直線に突き抜ける。一直線に並んでいた三体のAIDAに直撃し、上空に打ち上げる。ルーネの発動したスキルが空から光球を落とし、AIDAを纏めて吹き飛ばす。逃した一体のAIDAはアーティの大鎌が切り裂いた。
 その間にクーンも二体のAIDAを葬っていた。
「いやぁ、助かったよ。まさかこんなに現れるなんて思ってなかったし」
「俺たちだけだったらキツかったな。クーンがいてくれて良かったよ」
 苦笑するクーンに、ヴァリッドは言った。
 AIDAが一体なら、ヴァリッドたちで押し切ることもできる。一人につき一体が同時に相手できる限界かもしれない。ヴァリッドたちの持つ武器以上の力を持つクーンがいて助かったのは事実だ。スキルで押し切ってはいるが、ヴァリッドたちは普通のPCでしかない。
「それにしても、まさか、AIDAを倒せる武器があるとは思ってなかったなぁ」
 クーンがヴァリッドたちの武器を見て呟いた。
「何かわかるのか?」
「俺のアバターが反応してる。その武器には碑文と同じものが込められているのかもしれないな……」
 クーンが言うには、本来、AIDAに対抗できるのはアバターと呼ばれる力を持つ碑文使いだけらしい。ヴァリッドたちの武器はその碑文と同じ力を持っているが故に、AIDAを倒すことができるのかもしれない。クーンはそう言った。
 強過ぎる武器だとは思っていたが、本当に仕様外の力を持っているとは思わなかった。
「碑文使いはクーンだけなのか?」
「いや、俺だけじゃあないんだけどね……」
 ヴァリッドの問いにクーンは苦笑いを浮かべて頭を掻いた。
「ところで、その武器を譲ってくれないか?」
 クーンの頼みに、ヴァリッドたちは顔を見合わせる。
「それはできない」
「その武器を持っていたらAIDAに狙われるかもしれない。それに、碑文の力が込められているなら碑文使いが持っていた方が……」
 首を横に振るヴァリッドに、クーンが言う。
「駄目なんだ。この武器、俺たちにしか装備できなくなってるし、トレードにも出せないんだ」
 クーンの言葉を遮って、ヴァリッドは告げた。
 三人が武器を手に入れた時から、それぞれにしか扱えないようになっていた。トレードにも出せず、完全にそれぞれの限定武器となっている。
「それに、これは俺たちにとっても大切なものだから」
 ヴァリッドは武器を見つめ、呟いた。
 大切な思い出のある武器だ。トレードに出せたとしても、誰かに譲り渡すつもりはなかった。
「そっか……」
 クーンは諦めたように溜め息をついた。
「悪いな」
 残念そうなクーンに、ヴァリッドは言った。本当なら碑文の力は碑文使いが持っていた方がいいのかもしれないとも思うが。
「いや、気にしないでくれ。君たちが良い人だってのは解った。無闇にその力を振り回さないのなら多分、大丈夫だと思う」
 クーンは肩を竦めてみせる。
「そろそろタウンに戻らないか?」
 アーティが言った。
 これ以上この場にいてもAIDAが現れそうになかった。なら、もうここにいる必要はなさそうだった。一息入れたいところだ。
「そうだな、そうしよう」
 クーンが頷いて、歩き出した。
 ヴァリッドたちも後に続き、近くにあったプラットフォームからルートタウンへと帰還した。
「やっぱり、仲間って良いもんだな……」
 途中でクーンが小さく呟いたのを、ヴァリッドは確かに聞いた。
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