ファイル6 「ギャザリング・オブ・ジ・アンウィリング」


 最近のザ・ワールドは少々異常だった。少なくとも、ヴァリッドにはそう見えた。
 黒点、つまりAIDAの存在がその象徴だ。既に、少なくはない人数のプレイヤーがその存在を何らかの形で認識している。AIDAという正式名称も、その存在に対抗できるのが碑文使いであることも、誰も知らない。ただ、黒点というバグらしいエフェクトが存在していることを知っているのみだ。
 それでも、その黒点によって連絡が取れなくなったプレイヤーがいるだとか、妙なモンスターに襲われて戦闘不能となった仲間が意識不明になっただとか、掲示板では話題に上がることも出てきた。
 クーンに確認を取ってみたが、碑文使いたちでどうにかする作戦を考えている、という返答が帰ってきただけだった。ヴァリッドたちがAIDAと戦えるのは武器があるお陰なのだから、自衛や身近な人たちを守ることを優先して欲しい、要約するとそんな内容の返事だ。クーンたちの調査によれば、ドール症候群や意識不明になる原因はAIDAにあるとのこと。
 AIDAと戦うことには危険が伴う。ゲームとしてではなく、現実の問題として。
 ロストウェポンに近い武器を手にしているからと言って、部外者でもあるヴァリッドたちを巻き込みたくないのだろう。クーンのような碑文使いなら、AIDAと対等以上に渡り合うためのアバターという力を行使できる。その力には、AIDAの影響力に対する抵抗力があるらしい。
 武器に力があるとは言え、ヴァリッドたちのPCは一般プレイヤーのそれと変わらない。
 以前のバージョンから、ザ・ワールドには仕様にはないものが存在しているということは知っていた。かつてはヴァリッドたちには全く手の届かないものだったが、今は違う。
 AIDAに対して、ヴァリッドはある程度の対抗ができる。ロストウェポンと呼ばれる、碑文の力が込められた武器をヴァリッドたちは持っている。何故、消えたはずのデータが存在しているのかは判らない。そもそも、今手にしている武器がかつて手にしていたものと同じであるとは限らないのだ。
 ただ、この武器に力があることだけは確かだった。
 けれど、その力を振るうのはヴァリッドたちだ。そして、かつて誓った、この「世界」を見つめていくという思い。だから、ヴァリッドたちは今まで通り一人のプレイヤーとしてこの「世界」を見ていこうと思えた。ヴァリッドたちなりのやり方で。
 気にならないと言えば嘘になるが、手の出しようが無いというのも事実だ。ヴァリッドたちにAIDAを探す術はないし、AIDAと戦わなければならない義務も理由もない。それはむしろクーンたち碑文使いの役目だろう。
 それに、言葉を話さないAIDAは今のところ得体の知れない怪物のようなものだ。積極的に関わろうと思えないのも本音だった。何らかの意思を持っている可能性も否定はできないが、攻撃を仕掛けてくる時点で友好的には思えない。
 ヴァリッドたちと関わろうとするのであれば、AIDAの方から出向いてくるだろう。相手に何らかの意図があるのなら、ヴァリッドたちは何もせず向こうからのアプローチを待った方が良いようにも思えた。結局、こちらからは接触できないのだから。
 月の樹の一件以来、ヴァリッドたちがAIDAと関わるような事件は起きていない。
「とりあえず、ダンジョンに行こうか」
 ヴァリッドは檜からエリアワードを聞き出すと、カオスゲートに向かってそのワードを入力した。ヴァリッドとパーティを組んでいたアーティ、ルーネは自動的に転送される。梓は檜のパーティに加わってダンジョンへと飛んだようだ。
 和風な屋敷を彷彿とさせるダンジョンの入り口で、ヴァリッドは梓と檜が転送されてくるのを待った。二人が転送されてきたのを確認して、ヴァリッドはアーティに目配せする。
「じゃあ、今回はアーティに頼もうか」
 梓と檜を前に、ヴァリッドは言った。
「解った」
 アーティは答えて、ヴァリッドたちのパーティから抜ける。
 そのまま、アーティは梓と檜のパーティに加わった。
 以前梓がレベル上げのためヴァリッドたちに依頼した時よりもエリアレベルと二人とのレベル差は低い。今回はアーティに二人を任せても大丈夫だろう。ヴァリッドとルーネは支援に回ることにした。
 アーティが先頭に立ち、梓と檜を引き連れてダンジョンを進み始めた。少しだけ距離を置いて、ヴァリッドとルーネも後を追う。
「順当に行けば今回はボクの担当じゃない?」
 ヴァリッドにのみ聞こえるように、ルーネが問う。
 確かに、前回梓のレベル上げを手伝った時はヴァリッドとアーティが二人で梓を引っ張っていく形となった。あの時はレベル差もあったが、何より梓一人であったことから二人でサポートすることにしたのだ。攻撃主体のヴァリッドとアーティで梓を攻撃する前に敵を倒すという戦法で。
 だとしたら、今回はルーネがサポートを担当しても良かった。スペルを使えばどこにいても二人を回復させることができるし、敵に対して攻撃を仕掛けることもできる。
 もっとも、それならヴァリッドでも似たようなことはできる。銃剣を使うヴァリッドは遠距離攻撃が可能だ。襲われそうになった梓たちを助けるのは難しいことではない。モンスターが近くにいるのであれば刀剣に切り替えればいい。
「まぁ、檜一人とかならルーネに任せるつもりだったけどな」
 守る対象が二人いることを考えたら、ルーネには負担が大きいかもしれない。
 スペルは強力だが、連発はできない。クールタイムを考えたら、ルーネをサポートにつかせるのはどうかと思えた。通常攻撃が攻撃範囲の広い大鎌を使うアーティのが適任だろう。それに、敵に接近された場合は拳当に武器を切り替えれば素早く攻撃が繰り出せる。
 もっとも、ルーネならそれぐらいは察しているだろう。そもそも、ヴァリッドたちのレベルならこの程度のダンジョンで作戦を練る必要もないのだが。
「それに、お前の洞察力も少し欲しいんだ」
 ヴァリッドの真意はこちらだ。
 リアルでもほとんど一緒に行動しているアーティとは価値観が似通ってきている。それに、彼女は同じ部屋でプレイしているのだから、直接会話することもできる。
 間近での観察はアーティに任せ、ヴァリッドとルーネは後方から客観的に眺める。何かあればアーティがリアルで直接話しかけてくるはずだ。
「なるほど、そういうことね」
 ルーネは納得したようだった。
 今のところ、特に際立って異常なところはない。
 梓の様子に違和感を抱いた檜もいつも通り振る舞っている。ただ、梓に対して少し距離を置いているような気もした。
「檜の変化に対する反応とかっていう可能性もあるよね」
 ルーネが囁いた。
 変化があったということ自体が檜の思い込みという可能性もある。その思い込みでさり気なく距離をとるようになった檜に気付いたのかもしれない。その変化に対しての梓のリアクションという可能性もあるのだ。
 だが、もしそうだとすれば梓のリアクションを様子の変化と受け取った檜が更に距離を取るという連鎖反応も起きかねない。ヴァリッドたちが直接介入すべきではないが、早く二人がすれ違いに気付かなければ溝は深まるばかりだ。
「そうなってなければ楽なんだけどな」
 ヴァリッドは小さく溜め息をついた。
 もし梓が檜の変化に気付いていないのなら、思い過ごしだから気にしないようにと言えば済む話だ。
「うーん、でも、ちょっと違和感あるかも」
 ルーネが苦笑する。
 不安なのは、梓と檜はヴァリッドたちがAIDAと戦う姿を見ているということだ。あの戦いが梓に何か影響を与えたのだとしたら、ヴァリッドたちにとっても好ましいことではない。
 不正に入手したわけではないが、ヴァリッドたちのロストウェポンは一般のプレイヤーから見たらチート武器だと見られてもおかしくはない。武器に固定されたアビリティの名称も類を見ないものであったし、その性能も破格であるとしか言えない。何より、何も知らないプレイヤーからすれば、得体の知れないバグモンスターを倒すことができる武器、なのだ。
 ヴァリッドたちが不正プレイヤーとして管理者に通報されてしまうことだって無いとは言えない。
 ダンジョンの区画を奥へと進んで行く。
 ルーネが感じた梓の変化は、本当に些細なものだった。
 積極的に攻撃するようになっていたのだ。勝ち目がないから逃げているだけでも良いのだが、どれほどダメージが小さかったとしても攻撃に参加している。前回、梓と共にダンジョンに来た時とは印象が違う。
 とは言え、その前回の依頼でレベルが上がった結果だと言えなくもない。まだ二人には高いレベルではあるが、梓が依頼を持ちかけてきた時ほどの差がないため、二人にも少しの余裕がある。
「……ん?」
 檜と言葉を交わす梓の横顔に、ヴァリッドは確かに違和感を抱いた。
 一瞬だが、梓の瞳に何かが見えた気がした。同時に、ほんの僅かな耳鳴りがする。
「……ヴァリッドも何か見えた?」
 ルーネの言葉で、違和感は確信に変わる。
 見れば、ルーネの表情は真剣なものになっていた。
「……AIDA、だよな」
 小さく呟く。
 ほんの一瞬だったが、梓の瞳の中に黒点が映った。
 どうすればいいだろうか。ヴァリッドは自問する。あの時、狂気に呑まれそうな檜を前にして思い浮かべた選択肢が脳裏を過ぎる。ヴァリッドたちのロストウェポンでAIDAだけを除去することは可能なのだろうか。梓のPCデータを破壊してしまったりはしないだろうか。
「彼女の中のAIDAを外に引っ張り出せれば、仕留められるかな?」
 ルーネの言葉に、ヴァリッドは返事ができなかった。
 そもそも、どうやってAIDAを引っ張り出すというのだろうか。どんな形でAIDAが梓に関わっているのか、まだ判然としない。早合点は危険だ。
 ただ、AIDA絡みであることだけは確信していた。僅かだが、武器が反応した。
 恐らく、アーティも気付いているはずだ。アーティには驚いた素振りは全く無い。平然と二人の援護をしている。ただ、M2Dの隙間から覗いた彼女は静かに頷いていた。
「まずは様子を見よう」
 ヴァリッドの言葉にはアーティもルーネも賛同してくれた。
 どうすべきか考える時間が欲しい。同時に、もし梓と檜がAIDAのことをヴァリッドたちに尋ねてきたらどう答えるべきかも考えておく必要がある。
 正直に話してしまうべきだろうか。AIDAのことやロストウェポンのことを話したとして、二人が信じるだろうか。いや、そもそも二人が口外しないという保障はない。今はヴァリッドたちを信頼してくれているようだから、まだいいが、もしも碑文やAIDAについて話してしまった後で不信感を抱かれたらどうだろうか。
 崩れた信頼を元通りにすることは難しい。恐らく、ヴァリッドたちに対して良い印象はなくなるだろう。口外しないという約束をしたとしても、信頼を失ってからでは守ってもらえるか怪しい。
 碑文やAIDAについてはヴァリッドたちでさえ正確に把握しているわけではないのだ。説明するのも簡単ではない。
「ここが最後だな」
 アイテムでマップを確認したらしいアーティが呟いた。
 全員は順調に進み、最後の区画まで辿り着いていた。
 梓に変化はない。傍から見ていれば、変化など見て取れないほどのものだ。親密な檜だからこそ気付いたのだろう。ヴァリッドもAIDAに気付かなければはっきりとは変化を認識できなかったかもしれない。AIDAが梓のPCデータに潜り込んだと仮定して、それで何故リアルの梓に変化が起きるのかという理屈は判らない。
 クーンの言葉を信じるなら、碑文がそれを使う者の精神とリンクするのであればAIDAが人間の精神に影響を及ぼす可能性も否定はできない。ドール症候群の原因がAIDAなら、考えられないことではない。むしろ、梓がドール症候群を発症していないことを幸運だと思うべきだ。
 ただ、ここに来て問題が生じていた。
 AIDAの問題もそうだが、今ここで何より危険なのは梓がこのままヴァリッドたちと別れてしまうことだ。AIDAの存在が関わっていることは判ったが、このまま何事もなく依頼が終了してしまった場合、梓は帰ることになる。PCデータにAIDAが侵入しているのか、梓のPCをAIDAが何らかの形でモニターしているのかは判別できないが、彼女の変化にAIDAが関わっているような気がした。
 月の樹の一件で、何か狂気のようなものに呑まれそうになっていたが、その影響だろうか。AIDAによって起きた事件であれば、考えられなくはない。
 ともあれ、このまま梓を帰すわけには行かない。どうにかしてAIDAを駆除しなければならない。
「ボクらがやる義務はないよね……」
 ルーネが小さく囁いた。その言葉の中に、理由という単語がないことに、ヴァリッドは小さく息をついた。
 そう、理由ならある。
「守ることが依頼だったからな」
 あの時、ヴァリッドたちが受けた依頼は楓と梓の援護であり護衛であった。つまり、二人を守り抜くことがヴァリッドたちの仕事だったのだ。もし、あの時に梓がAIDAに感染したのであれば、その後始末はヴァリッドたちの役目だ。ここでAIDAを駆除して初めて梓を守り切ったと言えるのだから。
「だが、どうする?」
 アーティの声が聞こえた。
 リアルからヴァリッドに話しかけている。梓や檜には気付かれていない。
「……武器がAIDAに反応してるなら、逆もあるかもしれない」
 ヴァリッドは呟いた。
 AIDAが現れた時、それを知らせるかのようにロストウェポンが反応する。何らかの関係があるのだとしたら、ロストウェポンをAIDAが察知しているという可能性もあるのではないだろうか。ヴァリッドたちがロストウェポンをAIDAに近づければ何らかのリアクションを起こすかもしれない。
 クーンも、ロストウェポンを狙ってAIDAが現れる可能性があるかもしれないと言っていた。
 ただ、問題は梓のPCデータに影響を残さずにAIDAを切り離すことができるかどうかだ。下手をすれば梓を意識不明にさせてしまうこともあるかもしれない。
「武器を構えてみようか?」
 ルーネが言う。
 武器を梓に向ければAIDAが現れるかもしれない。ロストウェポンにはAIDAを倒す力がある。もし、ロストウェポンの力を狙ってAIDAが現れていたのだとしたら、危険を感じて梓から離れる可能性はある。
「おらぁっ!」
 不意に、前方から声が聞こえた。アーティでも梓でも檜でもないプレイヤーの声だ。同時に、武器同士がぶつかりあう金属音が響く。
 ヴァリッドとルーネは顔を見合わせ、駆け出した。前方でPKらしい三人組と対峙するアーティたちの下に追いついた。
 アーティの鎌がPKの大剣を受け止めている。檜が後退り、ヴァリッドが銃剣を取り出した瞬間だった。
「仁王槌(におうつい)」
 梓がアーティに大剣を振り下ろしているPKへと、拳を叩き込む。それを蹴りへと繋げ、最後に跳び蹴りを叩き込んだ。表情がどこか虚ろなようにも見えた。
「なっ!」
 敵が吹き飛ぶのを見て、ヴァリッドたちは目を見開いた。梓がPKに与えたダメージは大きかった。
 檜も驚いている。このダンジョンは梓と檜にとってはまだ適正ではない、やや高めのエリアレベルのはずだ。そこにいたPKに、戦闘不能とまでは行かないものの大ダメージを与えられるというのは普通ではない。
「てめぇ!」
 別のPKが突き出した槍を、梓は拳当で打ち払う。
 何かおかしい。
 ここに来るまで、梓の攻撃はモンスターにはほとんど効いていなかった。だが、PKを相手にした途端、梓の攻撃力が跳ね上がっている。レベルが上がっていたにしては上昇し過ぎだ。
 PKに対して、鬱陶しそうに敵意を向ける梓を見て、ヴァリッドは確信した。確かに、梓の様子はおかしい。たとえレベルで勝っていても、梓はPKに対して積極的に応戦するような性格ではなかったのだ。
 その瞳に、一瞬だが黒点が映る。
「塵球至煉弾(じんきゅうしれんだん)!」
 ヴァリッドは銃剣を上空へ向け、三連射する。放たれた光がPKに降り注ぎ、炸裂した。最初に梓が吹き飛ばしたPKを残して、他の二人が一撃で戦闘不能に陥る。
「この野郎……伏虎跳撃(ふっこちょうげき)!」
 残されたPKがスキルを発動、大剣を構えて梓へと突撃する。
 右から袈裟懸けに叩き付けた大剣を再び右に振り抜き、跳躍して再び叩き付ける。近くにいたアーティは鎌でガードしたものの、梓はまともに食らってしまった。
「痛っ……!」
 梓が小さく悲鳴を上げた。
「天下無双飯綱(てんかむそういづな)舞い!」
 すかさずルーネが双剣を構えて飛び込み、スキルを放った直後のPKを上空に打ち上げる。そのまま自身も跳躍し、同じ高さになったところで左右の剣で切り刻む。地面に叩き付けられたPKが戦闘不能となり、ルートタウンへと転送されて行くのを見てとり、ヴァリッドたちは梓を振り返った。
「梓……?」
 檜が心配そうな顔で梓を見る。
 ダメージを受けた時、梓は痛いと言った。ゲームをしている時のノリではなく、確かに痛がっていたのだ。表情が歪むのを、ヴァリッドは確かに見た。
「な、何……? どうしたの?」
 何も気付いていないかのような梓を見て、ヴァリッドはまた違和感を抱いた。
「何故、PKに攻撃した?」
 ヴァリッドが何か言うよりも早く、アーティが問う。
 PKへの対応は護衛や手伝いを依頼されたヴァリッドたちの仕事でもある。梓や檜が手を下す必要はないのだ。それに、二人とも月の樹に所属するプレイヤーだ。PCへの攻撃は禁じられているのではなかっただろうか。
「あ……」
 そこで初めて梓は自分がPKに応戦しようとしていたことに気付いたようだった。
「何でだろう……私にも、解らない……」
 もしかして、意識が無かったのだろうか。だとしたら、AIDAが梓のPCを操っていたとしか考えられない。月の樹の一件で心境が変化し、意識せずともPKに応戦するようになったと考えられなくもないが、それは強引だろう。
「PCが勝手に動いた、とか?」
 ルーネが呟いた。
 もし、梓の意図とPCの動きに、本人が自覚しないうちに差異が生じていたとすれば、良く一緒に行動をしている檜が違和感を抱く可能性はある。
「あ……」
 梓が何かを言おうとした瞬間、その周囲に黒点が生じた。
 ヴァリッドたちは瞬時に武器をロストウェポンに切り替える。
「檜! 奥の獣神像まで走れ!」
 ヴァリッドは叫んだ。
「で、でも……!」
「説明は後だ! 早くしろ!」
 梓の変化に混乱する檜を、アーティが促す。
「梓はちゃんと助けるから!」
 ルーネの言葉で、ようやく檜は駆け出した。
 黒点から伸びる光が、梓に絡み付く。梓の白目が漆黒に染まり、瞳が赤に変化する。全身に暗い輝きを帯びた光が纏わり付き、鎧のように梓を包み込む。その背中に翼が伸びる。今まで出会ったAIDAと同じ、透き通った色の翼だ。
 両手は血のような赤色の籠手を纏っている。
「……もう、戦うしかないよね」
 ルーネが息を呑む。
「信じるしかないな、こいつを」
 流離ノ記憶を構えて、アーティが呟いた。
 ロストウェポンの力を信じるしかない。この武器の力が、AIDAにのみ効果のあることを祈るしかなかった。
 虚ろな視線がヴァリッドたちに向けられる。背筋を寒気が走り抜けた。
 久しぶりの感覚だと思った。これほどまでに恐ろしさを感じたのは、六年ぶりだろうか。放浪AIと関わり、ゲームを超越した力の片鱗に触れた時に抱いた感覚だ。だが、あの時とは決定的に違うものがある。恐怖を抱くのは、自分たちがどうなるか、ではない。梓を救うことができるのか、だ。
「やるぞ……デバッグだ」
 ヴァリッドは告げた。
 黎明ノ絆を構え、走り出す。一歩遅れて、アーティが駆け出した。ルーネは存在ノ証を構えてスペルを唱える。
「ルナフェイズ!」
 ルーネの唱えた特殊スペルが三人を無敵状態へと変える。
 梓が動く。何も無い場所から、ヴァリッドへ向けて拳を突き出す。直後、深紅の閃光がヴァリッドに叩き付けられた。咄嗟にガードしたが、吹き飛ばされる。ダメージも、僅かではあるが受けていた。
 もし、スペルでの強化が無ければ一撃で戦闘不能となっていたかもしれない。AIDAの攻撃を軽減しかできないということか。
「翡翠裂閃!」
 水平に大鎌が振るわれ、翡翠の閃光が周囲に解き放たれた。梓は翼で身体を覆うようにして翡翠の衝撃波を防いだ。アーティが振り下ろした鎌を、梓は後方へと飛んでかわし、翼を使って空中へと舞い上がる。
「追閃・虚っ!」
 距離を取ろうとする梓へ、アーティが鎌を投げ放つ。ブーメランのように弧を描いて鎌が飛び、空中の梓を切り裂く。
「ルーンレイド!」
 梓のものではない呻き声を上げる梓へ、ルーネがスペルを唱える。失速する梓は低空で翼を広げ、ヴァリッドたちへと突撃する。スペルの効果範囲から逃れつつ、AIDAは翼を広げ、その羽根をミサイルようにヴァリッドたちへと乱射した。
「白虹一閃!」
 すれ違う瞬間、ヴァリッドは羽根を食らうことを承知の上でガードを解いた。ダメージを無視して、特殊スキルを梓に叩き付ける。
 ルーネの回復スペルがヴァリッドのHPを即座に回復し、アーティが梓を追う。
「極光閃破!」
 ヴァリッドは刀剣を振り上げて跳躍、高高度から地面叩き付けるようにして閃光をAIDA目掛けて放った。
 閃光を浴びたAIDAが地面に叩き付けられ、そこへアーティが鎌を振るう。
「蒼穹翔閃!」
「ルーンレイド!」
 アーティの鎌が梓を上空へ打ち上げ、頂点に達したところへルーネのスペルが命中する。落下しようとするAIDAへ、同じ高さへ辿り着いたアーティの鎌が横薙ぎに切り払う。三回転分の斬撃を食らい、トドメの一撃で地面に叩き付けられた。
「アルテミスレイ!」
 叩き付けられたAIDAへ、ルーネの追撃スペルが叩き込まれる。
「白虹一閃!」
 身動きができずにいるAIDAへ、ヴァリッドが更に攻撃を重ねた。
「連閃・零!」
 追撃スキルで再びすれ違い、十連続の斬撃を叩き込んだ。
 AIDAが翼を大きく開き、周囲に紅い光を撒き散らす。ヴァリッドたちはその衝撃波で吹き飛ばされ、梓が両手から閃光を連発し始めた。
「ルーネ、援護は任せる」
 ヴァリッドはそう言って立ち上がり、駆け出した。同時に、AIDAを挟んで向かい側に吹き飛ばされたアーティも走り出している。
 閃光が叩き付けられる度にダメージを食らうが、それを無視してヴァリッドとアーティは走った。ルーネのスペルが即座にダメージを回復してくれるから。
 ヴァリッドとアーティは同じタイミングでAIDAを間合いに捉え、スキルを発動させていた。
「極光閃破!」
「蒼穹翔閃!」
 声が重なり、武器を振り上げながら同時に跳躍、真下からAIDAを切り上げた。ヴァリッドは思い切り武器を叩き付けて落下し、アーティは水平に鎌を振りながら三回転、その上で縦に鎌を叩き付ける。
「連閃・零!」
「追閃・虚!」
 地面へ叩き付けられたAIDAに追撃の斬撃を叩き込む。同時に、回転する鎌が梓を何度も切り裂いた。
 ようやく、梓が動きを止めた。
 身体を覆っていたAIDAの外殻全体に亀裂が走る。軋み、欠片が飛び散ったかと思った瞬間、外殻が周囲に砕け散った。羽根は光の粒子に分解されるように崩壊し、気を失った梓だけがその場に倒れ込む。
 ヴァリッドとアーティが倒れる梓を支えたが、意識は無いようだった。
「……大丈夫だと思うか?」
 ヴァリッドは誰ともなく呟いた。
「大丈夫ですよ♪」
 アーティでもルーネでもない声の返答に、ヴァリッドは思わず振り返った。
「欅……!」
 楓と共に、欅がヴァリッドたちの方へ歩いてくるのが見えた。
「何でここに?」
「檜から相談を受けまして、欅様があなたたちに頼むと良い、と答えたのです」
 ルーネの問いに答えたのは楓だった。
 考えてみれば、檜が真っ先に相談するのは楓だろう。同じギルドに所属しているのだから、その中で発言力の高い楓を頼らないはずがない。同時に、一緒にいた欅にも相談したということらしい。そして、欅はヴァリッドたちに依頼すると良いと助言をしたのだそうだ。それで、結果が気になって後から追いかけてきたというところか。
「僕はロストウェポンを持っていませんから♪」
 AIDAに対抗できる力を持っていないから、ヴァリッドたちに頼んだということだろうか。欅ならどうにかできそうにも思えたが。
「PCデータがバグを起こしていた、とでも二人には説明しておきますよ♪」
 欅はそう言って微笑んだ。
「大丈夫なの? それ」
 ルーネが苦笑する。
「特別にデバッグスキルを持っていたということにさせてもらいます♪」
「あまり尾ひれは付けないでくれよ?」
 欅の言葉に、ヴァリッドも苦笑した。
 特別にもほどがあるだろうとは思うが、欅の言葉なら二人も信じるかもしれない。AIDAという危険な存在はあまり公にすべきではないだろう。プレイヤーの多いザ・ワールドが大混乱に陥るのは間違いない。それに、欅もそれを望んでいないように見えた。
 穏便にことが済むのであれば、その方がいい。梓と檜の二人に身の危険や不安を感じさせたくはなかった。
「うぅん……あれ……? 私……?」
 梓が目を覚ましたことに安堵して、ヴァリッドたち三人は溜め息をついた。
 とりあえず梓に何も異常はなさそうだった。武器に反応もない。
「……とりあえず進もう、檜が待ってる」
 やや混乱気味な梓を促して、ヴァリッドたちは奥に避難させた檜と合流するために歩き始めた。
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