ファイル1 「傭兵PC」 部屋のドアを開け、デスクに座り、パソコンを立ち上げる。 ファンが回り、起動音が鳴る。 立ち上がったオペレーションシステム、OSは『ALTIMIT』。 いつものようにメールのチェックをしてから、いつものように、アイコンをダブルクリックする。 『The World』 全世界で大反響を呼び、恐らくはオンラインゲームの中で一番の人気を誇る、ゲーム。 一時は様々な噂が溢れ、混乱した時期もあったようだが、今ではその面影もない。 その『世界』は自由度が高く、フェイス・マウント・ディスプレイ、略称FMDと呼ばれるマイクとイヤホン付きのゴーグル状デバイスをプレイヤーが顔に装着する事で、ゲーム内のキャラと視界を共有する事ができる。 プレイヤーキャラクター、いわゆるPCのリアクションも多彩で、人間が普段しているような行動のほとんどが可能だ。 オンラインゲームとしては、かなりの完成度だと言えるだろう。 勿論、普通の家庭用ゲーム機のソフトと違い、オンラインゲームには明確な目的がない。『ザ・ワールド』も例外ではなく、プレイヤー自身が、自由にプレイする事ができる。 自分自身をそのまま投影する者もいれば、ロールプレイ、つまり『役を演じる』者もいる。 ――俺は、どちらだろうか。 いつものように、崎谷由宇(さきやゆう)はザ・ワールドにログインした。 * 水の都、マク・アヌ。 Δ(デルタ)サーバとも呼ばれる、最もグレードの低いサーバの街(ルートタウン)の名だ。 レンガ造りの街並みの中心には、大きな川が流れ、その上には架け橋がある。常に夕暮れにある景色の中を、多くの人がいきかっている。 街の中央にある、青いレンズを金の縁でかたどったようなオブジェの前に、一人の騎士が降り立った。横回転をするオブジェ、カオスゲートを背にして、鎧を身に纏った黒髪の騎士は周囲に視線を走らせる。 左右の上腕と大腿部、腹部から腰にかけての、鎧に覆われていない部分に黒いベルトのようなものを撒いた騎士だ。 PCの頭上に表示された名は、ヴァリッド。職業は、剣士。 「さてと、どうすっかな」 小さく呟く。 Δサーバはザ・ワールドにいる人間ならば必ず足を運ぶ場所だ。プレイヤーが最初に訪れる地が、マク・アヌなのである。だが、グレードが低いからといって中級者や上級者がいないわけではない。 現に、上級者といえるレベルのヴァリッドがマク・アヌにいる。 ヴァリッドはマク・アヌの中央の大通りをゆっくりと歩いていた。特にする事がないためだ。 オンラインゲームにはゲームとしての最終目的がない。ゲームクリア、という概念がないのである。故に、時折『する事がない』という事態に陥る者も多い。自分で設定した目標を達成してしまったり、共に冒険する仲間が集まらなかったり、といった理由で『やりたい事がない』状態になってしまうのである。 だが、それでもザ・ワールドをやめるという選択肢を選ばない者は多い。 ゲームの世界の中を歩き回っているだけでも、声をかけられる事がある。大勢の人間が同時に存在しているが故に、同じ境遇になる者は少なくない。そうした同じ境遇の者を見つけて仲間になった、という人達も多いはずだ。 「メールも来てないしな」 ザ・ワールドの中で知り合い、それなりに親しくなった者にはメンバーアドレスを渡している。メンバーアドレスは名刺のようなもので、受け取ったプレイヤーは相手と連絡を取り合う事ができるようになるというものだ。フレンドリストのようなもので、ショートメールを送る事ができるのである。 ヴァリッドに対しての連絡は無かった。 かといって、ヴァリッドから呼び出しをする事は滅多にない。もっとも、それはヴァリッド自身のプレイスタイルによるものなのだが。 「ヴァリッド!」 不意に、横合いから声を掛けられた。 杖を持ち、筒型の帽子を被った女性型のPCが走ってくる。キャラクターの頭上に表示された名は、ルーネ。職業は、呪紋使いだ。 「ルーネ? どうしたんだ?」 やや驚いたような口調でヴァリッドが問う。 彼女とヴァリッドは知り合いだ。メンバーアドレスも交換している。恐らく、ヴァリッドと最も親しいキャラクターだろう。パーティを組む回数も、ルーネが一番多いかもしれない。 「今、暇だったりする?」 「何で?」 「さっき、酒場でちょっとした依頼を受けたんだけど、手伝ってくれないかな?」 「依頼? どんな?」 ルーネの言葉に、ヴァリッドは問いを返した。 彼女は十分に上級者と呼べるレベルに達している。Δサーバのレベルでの活動ならば、彼女一人でもそつなくこなせるはずだ。にも関わらずヴァリッドに協力を求めるという事は、少し厄介な依頼なのだろう。 「簡単に言うと、PK」 PKとは、プレイヤーキラーの略称だ。自由度の高いザ・ワールドでは、他のプレイヤーを攻撃して戦闘不能にする事ができる。プレイヤー同士の決闘が可能という事でもあるのだが、そのシステムは暗殺や恐喝、略奪などにも利用できる。アサシンや盗賊のような事もできるという事だ。多くの場合、自身の利益を考えて故意に他者を殺すプレイヤーを、PKと呼ぶ。 「相手は解ってるのか?」 「えーと……。キーシェってPC」 周囲を見回し、ルーネは声を潜めて答えた。オープンチャットのため、一定範囲内のプレイヤーの会話記録の中に彼女の言葉は入ってしまうのだが。 「サーバはここなのか?」 「初心者を狩ってるらしいよ」 「また随分と妙な事する奴だな」 ルーネの言葉にヴァリッドは溜め息をついた。 プレイヤーが戦闘不能になった際、パーティがいれば、戦闘不能から回復するアイテムを使えば復活できる。その場合は何もペナルティはないのだが、自分以外にパーティがいなかったり、仲間が全滅した場合はルートタウンへと強制転送されてしまう。ほとんどの場合、ペナルティとしてレベルが1下がる。 まだレベルが低い者ならばまだしも、高レベルの者になるほど、そのペナルティの意味は大きくなる。レベルの上昇に従い、経験値を稼ぐ事は難しくなっていくのだ。 初心者を執拗に殺せば、少しずつザ・ワールドから人は離れていく。同じ参加者が去っていく事を嬉しいと感じる者はほとんどいないはずだが、中には逆の人間もいるという事だ。 「強いのか?」 「それなりに強いんじゃないかな」 「ふぅん、依頼者は?」 「被害者達の代表らしいよ。周りに何人かいたし」 「BBSにも書き込まれてたけど?」 「俺は基本的に、依頼を追うタイプじゃないからな」 ヴァリッドはルーネに苦笑する。 一応、それらしい記事を掲示板で見たような気もするが、ヴァリッドは自ら首を突っ込むタイプではない。持ちかけられた依頼を受けるタイプだ。 「報酬は?」 「そこそこもらえるよ」 「なら、三分の一で手を打とうか」 「じゃあ決まりだね」 ルーネが笑みを浮かべる。ヴァリッドも、笑みを返した。 ヴァリッドはシステムメニューを開き、ルーネをパーティに誘う。それに応じたルーネのHP(ヒットポイント)とSP(スキルポイント)が、画面下部にあるヴァリッドのステータス枠の隣に表示された。 HPはヴァリッドよりも少ないが、SPが多い。呪紋使いという職業の特性だ。 「で、そいつのいるワードは解ってるのか?」 パーティを組んでいる仲間にしか聞こえない、パーティチャットに切り替えて、ヴァリッドは問う。 ザ・ワールドでは、三種類のワードリストからそれぞれ言葉を組み合わせてフィールドエリアへと転送する。フィールドはルートタウンと違い、モンスターから宝箱を秘めた魔法陣やダンジョンが存在する。要するに、RPGとして遊ぶための空間だ。 フィールドに飛ぶには、カオスゲートを操作すればいい。 「うん、被害が多いのは、萌え立つ 過越しの 碧野」 「初期フィールドかよ」 ルーネの言葉に、ヴァリッドは額に手を当てた。 萌え立つ・過越しの・碧野、三つとも各々のワードリストの先頭にある言葉を繋げたエリアだ。エリアレベルと呼ばれる、プレイヤーの選択の指標となる数値は1だ。エリアレベルはプレイヤーレベルとほとんど対応しており、近い数値を選ぶのが基本である。 ルーネの提示したエリアワードは、ゲームを始めた者ならば必ず一度は行くであろうフィールドのものであった。 「とりあえず、行ってみよ」 「そうだな、俺達二人で行ってみて、勝てそうになければ一旦引き上げるか」 ヴァリッドは言い、カオスゲートの方へと道を引き返した。 カオスゲートの付近には絶えず人がいる。オンラインゲームという特性上、どんな時間帯でも必ず人がいるのだ。 ヴァリッドとルーネはカオスゲートの前に立つ。オブジェを捉え、ワード生成ウィンドウを開く。ワードリストから、ルーネから聞いたエリアワードになるように言葉を選択し、決定。 二人の頭上にいくつもの光の輪が生じ、その身体を包むようにリングが地面へと降りていく。そうして、二人はフィールドへと転送された。 消えた時と同じように、輪が筒を作り出すように生じた。ヴァリッドとルーネの身体が筒の中に再構築され、転送が完了する。 一般的な平原エリアだ。空には適当な数の雲が浮き、周りには風車のようなオブジェクトが存在している。 「それで、キーシェってのがどこにいるのかは判ってるのか?」 基本的に、ヴァリッドは詳しい情報を知らない。今回に限っては、ルーネの情報に頼るしかないようだ。 「んー、多分、ダンジョンにいると思うよ。一番被害が多いらしいから」 ヴァリッドの言葉に、ルーネが顎に手を当てて答えた。 フィールドには、ダンジョンと呼ばれるポイントがある。最深部には、アイテム神像と呼ばれるグレードの高いアイテムを得る事のできる宝箱が置かれている。また、ダンジョンはフィールドと違い、直接ルートタウンに戻る事ができない。 精霊のオカリナ、というアイテムを使う事で一瞬にしてフィールドに戻る事はできるが、そのアイテムも戦闘中では使えない。フィールドでは、戦闘状態になっても敵モンスターから一定の距離まで離れれば戦闘から逃れる事ができるが、ダンジョンではそうもいかない。ダンジョン内部は細かな部屋に区切られており、敵の出現する魔法陣から逃れる事ができない造りになっている。魔法陣を全て解放し、敵を全滅させない限り進む事も戻る事もできない。 逃げられないからこそ、最深部にはエリアレベルよりもワンランク上のアイテムが置かれているのである。 もっとも、PC相手ならば逃げる事もできるのだが。 「なら行くぞ」 「おっけー」 画面の右上に表示させたマップを見つつ、ヴァリッドは歩き出した。 平原を進み、地下遺跡への入り口といった風情のダンジョンへと、二人は迷わず突入した。 レンガを敷き詰めて作ったような簡素な部屋を、二人は無言で進んで行く。部屋をくまなく調べ、プレイヤーがいないか確認していく。 「一階にいないとなると、二階か」 ヴァリッドは呟いた。 ダンジョンの構造は基本的に地下に伸びていく。一階とはいえ、その言葉の頭には『地下』という単語がつくのである。 「神像前のエリアとかだね、きっと」 ルーネも苦笑した。アイテム神像に辿り着くまでに必ず通らなければならない道に待ち構え、初心者を秒殺しているのだろう。 正直、それのどこが面白いのかヴァリッドには理解できない。 「さっさと片付けようぜ」 ヴァリッドはそう呟くと、階段を降りていった。 階段を降りて、地下二階へと入った次の部屋には、二人のPCがいた。 一方は、真紅の長髪を持つ、女性型PC。もう一方は、巨大な身体を鎧で覆った男性型PCだ。女性型のPCの頭上には、アーティと名前が表示され、彼女が手にした槍から、職業は重槍使いだと解る。男性型PCは大きな身体と、手に持った斧から、重斧使いという職業だと判断できた。 斧を振り回すPCの頭上に表示された名前は、キーシェ。 二人は戦っていた。 アーティが振るう槍を、キーシェが斧で弾き落とす。力任せに攻めてくるキーシェに、アーティは押されていた。 元々、重槍使いは攻撃と素早さ、スキルポイントが高いレベルでバランスの取れた職業だが、重斧使いは、攻撃力と防御力、ヒットポイントに特化された職業である。アーティが素早さでなんとか凌いでいるという状況なのだ。 「ヴァリッド!」 「解ってる、加勢するってんだろ!」 ルーネの言葉に答えると同時、ヴァリッドは駆け出していた。 ヴァリッドは腰から剣を抜き放つ。 二人が戦っている場所まではかなりの距離がある。ヴァリッドが二人の下に辿り着くまでの間に、ルーネが補助魔法を唱え始めた。 「アプコーブ! アプボーブ!」 物理攻撃力と物理防御を上昇させる二つの呪紋がヴァリッドのステータスを強化させる。 「ギアンクラック!」 大きく跳躍したヴァリッドが剣を振り上げる。その刃が漆黒の光を帯びる。ヴァリッドは振り上げた剣をキーシェの背へと、着地と同時に思い切り叩き付けた。闇属性を持つスキルが炸裂する。 「ぐぁ、何っ!?」 不意打ちを食らったキーシェのヒットポイントが大きく減少した。ダメージと衝撃に気付いたキーシェが振り返り、斧を薙ぐ。 斧の刃を剣を受け止めたヴァリッドを、キーシェが見下ろす。 「くっ、仲間がいたのか!? 卑怯者め!」 「違う! 私は知らない!」 キーシェの言葉にアーティが反論する。 「デクドゥ!」 追いついたルーネがキーシェの動きを遅くする呪紋を唱え、ステータスを低下させる。 「ぐっ……なら、お前らは何者だ!?」 「あんたに狩られた被害者の代理人だ」 キーシェに言い、ヴァリッドは斧を弾いた。 「まぁ、自業自得ってやつだよ」 後方からルーネが言う。 「それに、卑怯なのはお前だろ! 低レベルの初心者狙いなんて、上級者がやることじゃねぇぜ」 「俺は俺のやり方で遊んでるだけだ!」 「あっそ、それなら俺達も同じなんだぜ。俺達のやり方でプレイしてたらこうなっただけの事だ」 キーシェの言葉に反論せず、ヴァリッドは剣を振るった。 オンラインゲームの規約に違反しない限り、管理者から制裁が加えられる事はない。自由度の高いザ・ワールドでは、PKも違法ではないのである。度が過ぎれば制裁が加えられるだろうが、ゲーム内にもそれらを排除しようとする流れは少なからず現れるものだ。様々な人間がいる故の流れである。 「傭兵か……!」 忌々しげにキーシェが吐き捨てた。 「ま、そういう事だ」 笑みを浮かべ、ヴァリッドは剣でキーシェの斧を受け止める。 ヴァリッドのプレイスタイルは傭兵だ。他PCからの依頼を請け負い、実行する代価として様々な形で報酬を貰う。ただ、ヴァリッドは依頼者が自ら依頼を持ちかけてこない限りは動かない。自ら依頼を追いかけるルーネとは少し違うタイプのプレイだ。 「アクセルペイン!」 キーシェが振り回した斧がヴァリッドを吹き飛ばす。 全てのパラメータがバランス良くまとまった剣士では、多少レベルが低い重斧使いでも物理攻撃や防御が劣る。力任せに斧を振り回された斧を、ヴァリッドは防ぎきれなかった。 「うぉっ!」 吹き飛ばされたヴァリッドが着地する。 ヒットポイントも減少していた。無視できないダメージを負い、ヴァリッドが回復アイテムを使うべきか迷った瞬間、ルーネが動いていた。 「オリプス!」 ルーネが唱えた中級回復呪紋がヴァリッドの追ったダメージを完治させる。 「サンキュー、ルーネ!」 礼を言うと同時に駆け出し、ヴァリッドはキーシェに剣を叩き付けた。 「ギリウスラッシュ!」 ヴァリッドはスキルを発動し、水流を纏った剣をキーシェへと袈裟懸けに振り下ろす。その剣を逆袈裟にもう一度振り下ろし、キーシェをX字に斬りつけた。 キーシェのHPは激減し、ゼロになる。 「この――!」 最後まで言葉を発する事ができず、キーシェが倒れた。そのままキーシェの身体は分解されるように消え去った。ルートタウンに強制転送されたのだ。 「で、お前は何なんだ?」 キーシェを倒した事を確認し、ヴァリッドはアーティへと問いを投げた。 「別に、ただアイツを倒したかっただけ」 つまらなさそうにアーティが答える。 「てことは君も傭兵?」 敵がいなくなった事で、ルーネが駆け寄ってきた。 呪紋使いはスキルポイントと魔法系ステータスに特化している代わりに、物理系ステータスとヒットポイントが極端に低い。戦闘の際には後方で援護をするか、遠距離から強力な呪紋を使って敵を一気に排除する事がほとんどだ。 今回はヴァリッドがいた事で援護に徹していたのだ。重斧使いは呪紋使いには不利な相手だろうから。 「……代価は、取るのか?」 アーティが問う。 どうやらアーティも先のヴァリッド達とキーシェとの会話で、ヴァリッドやルーネが傭兵的な事をしているという事は理解したらしい。 「依頼者から報酬を貰わなきゃ傭兵なんて言えねぇだろ」 ヴァリッドの言葉に、アーティが目を鋭く細めた。 「足元を見るなんて、最低だな」 「むかっ……!」 アーティが吐き捨てた言葉に、ルーネが頬を膨らませる。 「俺達は慈善事業してるわけじゃねぇんだ。ギブアンドテイクだ、ギブアンドテイク」 ヴァリッドの言葉に、アーティは無言で背を向けた。 どうやら彼女はヴァリッド達とは違い、傭兵プレイをしているわけではないようだ。 なら、何故ここでキーシェと戦っていたのだろうか。本来、エリアレベルが最低の初心者練習用のフィールドに、キーシェのような上級者PKと渡り合えるアーティのような者が来る事はまずない。アイテム神像の宝箱が目当てだとしても、上級者にはグレードが低過ぎて役に立たないものばかりしか得られない。 「君はどうなのさ!?」 ルーネが問い質す。 「私は、ただ目障りな奴を排除しに来ただけだ」 誰かに頼まれたわけでもなく、自分自身の意思でキーシェを倒しに来たのだと、アーティはそう言っているのだ。 「慈善事業もいいけど、もう少しレベル上げた方がいいぜ」 見たところ、アーティのレベルはキーシェと同等か、それ以下だ。でなければキーシェに梃子摺るとは思えない。対するヴァリッドは、キーシェよりもレベルが上だ。補助魔法がかけられていたとはいえ、戦闘能力で大体の見当はつく。キーシェのようなPKを排除したいのならば、相手よりもレベルが上である方が良い。 「余計なお世話だ」 ヴァリッドの言葉に、アーティはそれだけ言い残して転送してしまった。 精霊のオカリナを使ったのだろう。光の輪の残りがその場に残り、地面に到達して消えていった。 「とりあえず、俺達も戻るか」 「そだね」 ルーネは言い、ヴァリッドを見る。 「何だよ、ルーネが使うんじゃないのか?」 「あれ、ヴァリッド使ってくれないの?」 ルーネが首を傾げるのを見て、ヴァリッドは溜め息をついた。 パーティでのダンジョン探索には、しばしばこういった事が起こる。パーティを組んでいる時は、誰か一人が脱出アイテムを使うだけで全員がフィールドに戻る事ができる。そのため、誰がアイテムを使うかで皆が混乱する事もあるのだ。精霊のオカリナも、タダではないのだから。 「俺は助っ人だぞ、報酬だって三分の一の分け前でって言ってるんだから、お前が使ってくれよ」 「じゃあ、歩いて帰ろうよ。どうせレベル1だしさ」 「仕方ねぇなぁ」 ルーネの提案に肩を落とし、ヴァリッドは来た道を引き返した。 短いダンジョンであるために、フィールドには直ぐに戻る事ができた。そのままメニューからルートタウンへと戻るコマンドを選び、二人は転送のリングに包まれた。 「じゃ、まずは報酬受け取ってくるね」 「解った、橋の辺りで待ってる」 駆け出すルーネがパーティから外れ、カオスゲート前にはヴァリッドだけが残される。 周囲を見回すが、アーティの姿はなかった。精霊のオカリナを使えば後を追う事ができたかもしれないが、徒歩でダンジョンから出たためにどこにいったのか判らなくなってしまっていた。もっとも、ヴァリッドがアーティを追う理由など一つもないのだから問題はないのだが。 ヴァリッドはゆっくりと歩き出した。ルーネに言った待ち合わせ場所、架け橋へと向かう。 石造りの架け橋の半ばで、ヴァリッドは足を止めた。 橋の向こうに、人が立っていた。 胸部と右肩、左脛だけに曲線的な翡翠色の軽装鎧を着けた女性型のPCだ。鎧の下には薄い絹のテープを体中に巻きつけたような衣服を纏い、槍とも斧ともつかない奇妙な武具を携えている。右目の上には真紅の紋様が刻まれ、傷のように見える。長い髪はプラチナの輝きを放っている。 見た事のないエディットの施されたPCが、真っ直ぐに、ヴァリッドを見つめている。 目立つ格好のキャラクターが存在しているにも関わらず、周囲の人々は彼女に目もくれない。まるで、そこに誰もいないかのように。 ヴァリッドが彼女に気付いた時、そのPCは小さく笑みを浮かべた。 ――あなたの意志は、意思? ――それとも、ただの理想? 声が、響いた。澄んだ、清流のような声と共に、直接ヴァリッドの会話記録に文字が流れ込んでくる。 「お前は――」 ヴァリッドが足を踏み出した瞬間、橋の向こうにいるPCが一歩、足を引いた。 ――必然と偶然は相反するものではなく、絡み合う事象。 チャットログに流れ込んだ文字と音声が、ヴァリッドの問いを掻き消した。 ヴァリッドの前を、人が通り過ぎる。誰もが、あの女性型PCに気付かない。会話の記録にさえも。ヴァリッドのログ以外には言葉が流れ込んできていないかのように。 直後、女性型PCは姿を消した。跡形も残さずに。 「――お前は、何なんだ……?」 一瞬前まで女性型PCのいた場所へ、ヴァリッドは問いを投げていた。返答は、ない。 大勢の人がいる中で、ヴァリッドの呟きは直ぐに掻き消されていく。誰もが聞く事のできるオープンチャットの言葉でさえ、人が溢れ、同じオープンチャットの言葉が氾濫するオンラインゲームではほとんど影響力を持たない。 ヴァリッドの行動や言葉を、気にするような者は、いない。ただ、他の人との会話の一説が漏れただけだと考えるのみだ。 「……」 イベントだろうか。 ヴァリッドがまず最初に考えた事は、それだった。 オンラインゲームは大抵、運営・管理側から様々な『イベント』が提供される。期間限定のものがほとんどだが、中には特殊なイベントがあってもおかしくはない。そういったイベントの一環として、オリジナルデザインのエディットキャラクターがプレゼントされたとしてもおかしな話ではない。ただ、オリジナルデザインPCをプレゼントするという企画を、ヴァリッドは聞いた事がなかった。ザ・ワールドの公式サイトは毎日覘いている上に、BBS(掲示板)も毎回ログインする度にチェックしている。 考えられるのは、『隠し』のイベントであるという事ぐらいだ。 抜き打ちで、しかも抽選のような選定基準で特定の条件を持つPCに一定のイベントを与える。それに他のプレイヤーが干渉し合い、一つのイベントにする、というものだ。 もっとも、そんな形式のイベントがあったという話も聞いた事がない。 だからこそ在り得るのかもしれないが、断定はできない。 「ヴァリッドー!」 ルーネの言葉に、ヴァリッドは直ぐに反応する事ができなかった。 「どしたの? 報酬貰ってきたよ?」 「あ、ああ。悪ぃ、トレードだな」 顔を覗き込んでくるルーネに答え、ヴァリッドは頭を掻いた。 メニューを呼び出し、ルーネとトレードするコマンドを選択する。今回はヴァリッドは受け取るだけであるため、ルーネが送る金額を提示した所でトレードを実行した。資金だけがヴァリッドの所持金に追加され、トレードが終了する。 思ったよりも報酬が少ない事に、ヴァリッドは内心で苦笑した。基本的に、ルーネは依頼を格安で請け負う。報酬が資金として支払われる場合、提示された額よりも少ない金額で依頼を請け負うのだ。 故に、ルーネは客受けが良い。ヴァリッドも似たようなものだが、依頼を持ち掛けられるのを待つためにルーネほど繁盛してはいない。 「確かに受け取った」 「ん、じゃあ、ボクはBBS見てくる」 「俺も今日はそろそろ抜けるよ」 「お疲れ様〜。また宜しくね」 「ああ、お互いにな」 労いの言葉を掛け合う。 転送エフェクトのリングに包まれてログアウトしていくルーネを、ヴァリッドは見送った。 完全にルーネがログアウトした事を確認し、ヴァリッドは視線を架け橋の向こうへと向けた。 あの、謎のキャラクターが残した言葉が、ヴァリッドの頭を過ぎる。 ――あなたの意志は、意思? ――それとも、ただの理想? ――必然と偶然は相反するものではなく、絡み合う事象。 他の誰でもなく、ヴァリッドだけに向けられたであろう言葉。その真意が解らない。 「あいつは、何なんだ……?」 ただ、虚空に問いかける事しかヴァリッドにはできなかった。 |
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