ファイル3 「放浪AI」


 自分の部屋に入り、パソコンの電源をつけた。着替えながら、学校からの帰り際に買った、既に封の開いている缶ジュースに口をつける。
 OS『ALTIMIT』が起動したのを見てとると、いつものようにメールをチェックする。何通か、メールが届いていた。そのほとんどがお礼のメールだった。
 簡単に返事を書いて返信を送る。お礼を言われると嬉しいものだ。
 その上で、いつものようにアイコンをダブルクリック。

 『The World』

 フェイスマウントディスプレイを顔に装着し、トップメニューからBBSを選択する。最新情報は常に確認しておかなくては。
 インターネット上での情報の流れは想像以上に早い。二、三日の間目を離しただけでも、他の情報に埋もれてしまう。一週間以上も見なければ、それ以前の情報を探し出すのは困難だ。
 特に、大勢のプレイヤーを抱えるオンラインゲームのBBSは、書き込む人数もかなり多い。書き込んだ記事はそう時間をおかずに間に流されてしまう。
 だからこそ、毎日一通り目を通し、必要な情報とそうでないものを取捨選択していく。
 ふと、掲示板の中にある記事の一つに視線が向かった。
『謎のキャラクターを見た方にお話があります。Λ 漠然たる 資格者の 集い場 に来て頂けませんか?』
 普通に考えれば、BBSの上で情報を交換しあってもおかしくはないというのに、わざわざ実際に面と向かって話をしたいらしい。何か他の人には知られたくない何かがあるのか、それとも別の理由なのかははっきりしない。当人でない者に正確な事は分からないだろう。
 ならば、行ってみればいい。実際にその場に立ち会えば、はっきりする。
 オンラインゲームという、バーチャルな世界と現実は違う。だからこそ、曖昧な情報があり、真実ではない情報も存在する。バーチャルもリアルも、常に真実だけが存在するわけではない。常に嘘だけが存在しないのと同様に。
 リアルとバーチャルが同じである必要は、ない。

 ――だから、プレイする。

 いつものように、柚木辰己(ゆずきたつみ)はザ・ワールドへログインした。

 *

 文明都市カルミナ・ガデリカ
 Λ(ラムダ)サーバとも呼ばれる、中級サーバのルートタウンだ。常夜の街は明るい色合いの明かりに照らされ、星空とも相まって幻想的な景色を作り出している。石造りの建物同士の多くにはカラフルなテープが括り付けられ、街の空を彩っている。
 赤や緑の明かりに照らし出される街の中央にはカオスゲートが浮かんでいた。
 その広場に、二人のPCが転送されてきた。
 ヴァリッドとアーティである。
 互いに視線を交わすと、二人はカオスゲートに向き直った。
「あれ? ヴァリッド?」
 背後から掛けられた声に、ヴァリッドは振り返った。遅れてアーティが振り返る。
「ルーネ!?」
「ヴァリッドもΛサーバに来てたんだ? 何か依頼でも受けた?」
 不思議そうに首を傾げるルーネの視線が、アーティに向かい、固まった。
「あ、あ、あんたはっ!」
 アーティの名前を見たのだろう、ルーネが大袈裟に驚いた。
「お前は、この前の……。ヴァリッドの連れだったのか?」
 アーティも驚いた様子で、ヴァリッドに視線を向ける。
「まぁ、結構気が合うからな。こいつも格安で依頼を受けるクチだぜ?」
「そうか……」
 ヴァリッドの言葉に、アーティは頷いてルーネに向き直った。
「あの時は誤解していた。すまない」
「え? あれ? そう? あ、うん」
 素直に謝罪するアーティを見て、ルーネは困惑したように二人を交互に見つめた。
「つまり、どゆこと?」
「まぁ、俺らが良い傭兵だって認めてくれたって事さ」
 助けを求めるようなルーネの視線に、ヴァリッドは苦笑して告げる。
 なるほど、と一つ頷いてから、ルーネはヴァリッドとアーティをもう一度交互に見た。
「で、どうして二人でここに?」
「BBSを見て、気になった書き込みがあったから調べに来たんだ」
「どんなの?」
「謎のキャラクターを見たかどうか、って奴さ。お前も返信してたろ?」
 ヴァリッドの言葉に、ルーネの目が大きく見開かれた。
「もしかして、エンスに会いに?」
 頷くヴァリッドを見て、ルーネは更に驚いたようだった。
「てことは、二人とも、変なPC見た?」
「ああ、見た。ヴェインと名乗ったのも聞いた」
 今度のルーネの問いにはアーティが答えた。
「なんなら一緒に行くか?」
「勿論!」
 ヴァリッドの問いにルーネは即答する。
 すぐさまルーネをパーティに誘い、ヴァリッドはカオスゲートに向き直った。エンスが指定した単語を選択し、エリアワードを繋ぎ合せていく。
 転送されたのは、初期フィールドと同じ平原だった。
 表示されたエリアレベルは60という、Λサーバでは最高難易度のフィールドだった。もっとも、全員が60以上のレベルにある三人にとっては、一人で進む事も可能なレベルだ。
 フィールドに降り立った三人は真っ直ぐにダンジョンへ向かった。途中で遭遇した敵は三人で瞬殺し、ダンジョン内に突入する。
 石造りのダンジョンの中、三人は交互に「妖精のオーブ」という、使用する事でその階層のマップ全てを表示させるアイテムを用い真っ直ぐに下の階へと降りていった。
 最下層に辿り着いた三人が、階段を降りた部屋から先に進んだ直後の事だった。
「なぁ、こんな所にあんな奴が出ると思うか?」
 ヴァリッドは目の前に現れた敵を見て、呟いた。
 魔法陣から出現したのは、最上級のサーバに出現するはずのモンスターだった。
 見た目こそ葡萄に翼を生やしたようなものだが、身体は果実ではなく、禍々しい目玉だ。葡萄で言えば皮にあたる金褐色の瞼が全身にあり、果実にあたるのは眼球である。部屋の床から天井にまで届くような、大型のモンスターだ。
 そのモンスターを倒すために最低限必要なレベルはおよそ80。ヴァリッドならば単機でも倒す事は不可能ではないが、それでも油断できないモンスターだ。一人で戦えば、多数の回復アイテムを消費してしまうだろう。
「ニラミコロスモノなんて、こんな所で出ないよ!」
「どういう事だ……!?」
 ルーネとアーティがそれぞれに驚きを露わにする。
「ルーネ、援護と回復は任せた」
「おっけー!」
 それだけ指示を出すと、ヴァリッドは駆け出した。
「アプコーブ! アプボーマ!」
 ルーネが物理攻撃力と魔法防御力を上昇させる呪紋を唱え、ヴァリッドとアーティのステータスを補強する。
 モンスター、ニラミコロスモノが呪紋を発動し、並んで攻撃を繰り出すヴァリッドとアーティの真上に巨大な火球を降らせた。大きく減少するHPに構わず、二人は攻撃を繰り出す。
「ギリウスラッシュ!」
「リウムテンペスト!」
 二人が水属性のスキルを発動する。ヴァリッドは剣をX字に振るい、アーティは大きく水平に薙ぐ。
「ファラリプス!」
 ルーネの範囲呪紋によって減少していた二人のHPが一瞬にして全快した。
「うっ! しまった!」
 アーティがモンスターの呪紋を受け、魅了された。プレイヤーの操作を受け付けず、ひたすら味方を攻撃し続ける状態異常だ。アーティがヴァリッドに刃を向ける。
 振り下ろされた槍を、ヴァリッドは剣で受け止める。
「リプシンキ!」
 すかさずルーネが状態異常を回復し、アーティが敵に矛先を向け直す。
「メロー・ファ!」
 ルーネが発動した召喚呪紋によって、水属性の強烈な魔法攻撃がモンスターを襲う。巨大な氷がモンスターに炸裂し、砕け散った。氷の破片が舞う中、アーティが槍を突き出し、ヴァリッドが剣を振るう。
 モンスターが降らせる火球の雨の中、二人はひたすらに攻撃を続けた。
「ギリウスラーッシュ!」
 思い切り叩き付けた水属性の剣技に、モンスターのHPがゼロになる。
 羽ばたかせていた翼が動きを止め、地面に落下した。そのまま横倒しに倒れ、光の粒子に分解されるかのように消えて行く。
「まさか、ここであんな奴を相手にするとは思わなかったぜ……」
 大きく息を着いて、ヴァリッドは呟いた。
「だね、三人で来て良かったよ」
 後方で援護していたルーネが駆け寄ってくる。
「私一人じゃ、あいつは倒せなかった……」
 アーティがぽつりと漏らした言葉に、ヴァリッドは彼女のレベルを察した。ヴァリッドやルーネよりも、5か、10程度低いのだろう。ニラミコロスモノというモンスターを単体で倒せるレベルには達していないのだ。
「ねぇ、ちょっとおかしくない?」
「ああ。エリアレベルに見合わない敵が出るとは……」
 ルーネの言葉に、アーティが同意する。
「話してても始まらない。とりあえず、奥に行こうぜ……」
 二人が頷くのを確認してから、ヴァリッドは正面にある奥の部屋へと進んだ。
 進んだ先の部屋には、一人のキャラクターが立っていた。
「お前は――!?」
 ヴァリッドは思わず歩みを止めた。
 ルーネとアーティが小さく息を呑んだのが聞こえた。
「ニラミコロスモノ、倒せたのですね」
 部屋の中央で待っていたのは、ヴェインと同じく、通常ではエディットできないキャラクターだった。
 中性的な顔立ちと中性的な声。セミロングの髪はプラチナの輝きを放ち、ただ蒼いだけの外套に身を包んでいる。外套から除く右手には、翼の生えた卵を思わせるレリーフが彫られた杖を持っている。
 名前は、表示されていない。
「私の名は、エンス……。君達を待っていました」
「お前も、ヴェインと同じ……」
 驚愕の表情を浮かべたまま、アーティが言葉を放つ。尻すぼみに消えて行く声を聞いて、エンスは微かに、しかし確かに首を縦に振った。
「そう、私も、彼女と同じ……」
 ゆっくりと目を閉じ、エンスは噛み締めるように言葉を紡いだ。
 ――NPC。
 紡がれた短い単語に、三人は言葉を失った。
 NPC。それは、ノン・プレイヤー・キャラクターの略称だ。通常のキャラクターはプレイヤーが操作しているからこそ存在している。だからこそ、PCと呼ばれる。だが、NPCはプレイヤーが操作をせずに存在するキャラクターを指す。
 ルートタウンではアイテムショップを開いているキャラクターを示す言葉だ。特定のイベント時に出現するNPCもいる。しかし、その全ては設定された言葉を喋るだけの存在である。自我は存在せず、ただ、プログラムに従って応対を行うだけのキャラクターだ。
「NPCって事は、これってイベントなのかな……?」
 ルーネがぽつりと呟いた。
「確かに、そう考えればさっきの敵も説明は付けられるな」
 答えながらも、ヴァリッドは何か違和感を抱いていた。
 特定のPC向けのイベントだと考えれば、今までの過程は全て説明が付く。強力なモンスターがいた事も、ヴェインの事も。だが、どこかでヴァリッドはその仮定を否定していた。
「放浪AIという言葉を、ご存知ですか?」
「いや、聞いた事がないな」
 エンスの問いに、ヴァリッドは左右に立つ仲間に目配せをしてから告げた。
「この世界では、度々現れているのですが、表立って現れた事はありませんからね。説明しましょう」
「頼む」
 アーティの言葉を聞いて、エンスは一つ頷いた。
 その動きを見て、ヴァリッドは違和感が何であるのかに気付いた。
 NPCというものは、PCが話し掛ける事で応対を行う。だが、自らをNPCと告げたエンスは、ヴァリッド達の言葉に応対している。言うなれば、自我と呼べるものがあるかのように振舞っているのだ。
「放浪AIとは、簡単に言えば、自我を持ち、この世界を歩き回っているNPCの事です」
「そんなもの、ありえるの?」
 驚いた様子で、ルーネが問う。
「はい」
 エンスは頷いた。
「私も、恐らくは放浪AIの全てが、どうして生み出されたのか、どのようにして生み出されたのかは知らないでしょう。ただ、それでも、私はここにいます」
「なら、お前も……」
「ええ、私も放浪AIの一人です」
 ヴァリッドの言葉に、エンスはまた頷いた。
「でも、BBSに書き込みをしてたよね?」
 ルーネが口を挟んだ。BBSとは、プレイヤーが書き込みをする場所だ。そこに、NPCであり放浪AIであるエンスが書き込みできるものなのだろうか。
「ただ、できました、としか言えません。そして、何故、私が自分を放浪AIだと知っているのか分かりません。ただ、知っていました」
 エンスが語る姿や口調は、人間に近いものだった。ヴァリッド達が知っているどのNPCとも違う、人間じみた雰囲気を放っている。
「同時に、私はヴェインを知っている」
 三人が身を乗り出すように、エンスに一歩踏み込んだ。
「彼女も放浪AIです」
「それで、俺達に話したい事ってのは? まさか、それだけじゃないよな?」
 ヴァリッドは問う。
 ヴェインという名が、今までの驚愕を全て抑え込んだ。本来の目的はヴェインという存在に関する情報を得る事だ。放浪AIというだけでも大きな情報ではあるが、ヴァリッドはそれ以上のものが欲しい。
「ニラミコロスモノを配置したのは私です。君達がヴェインと対峙できるだけの力があるかどうかを試すために……」
「そんな事、できるの!?」
「できました。理由は分かりません。もしかしたら、ヴェインもできるかもしれません」
 ルーネの言葉に、エンスが頷く。
「ヴェインは、俺達にとって敵なのか?」
 エンスの言葉を受けて、ヴァリッドは問う。
「私とっては、敵です」
 問いに、エンスははっきりとした答えを返さなかった。
 つまりは、ヴァリッド達がエンスの味方になるかどうかでヴェインの立場は変わってくるという事だ。回りくどい言い方をする事に、ますます人間らしいと感じてしまう。
「敵って、何で?」
「理由は話せません」
 ルーネの疑問に、エンスは答えなかった。
「彼女は、まともに戦って勝てる相手ではありません。君達三人でも、勝てるかどうか……」
「お前が戦おうとは思わないのか?」
 エンスの言葉を遮って、アーティが問うた。
「彼女には、私を消し去る力があります」
 放浪AIにとって、キャラクターデータが消失するという事はそのまま死に繋がる。通常のPCは、データが削除されても新たなキャラクターを作成する事でもう一度ログインする事ができる。だが、NPCは違うのだ。
「AIではない、PCでなければ、彼女とはまともに戦えません」
「それで、俺達に頼みたいって訳か?」
 ヴァリッドの問いに、エンスが頷く。
「彼女の居場所は、私がメールで教えます」
 メールも送れるのかと、ヴァリッドは言葉に出さずに感心していた。
「余り長時間同じ場所に留まっていては、私がヴェインに気付かれてしまいます。今回はこの辺で、立ち去らせて貰います」
 一方的に告げると、エンスはその場から姿を消した。
 普通のPCの転送エフェクトは全く無い、身体が次第に透けていって、消えた。
 取り残された三人は、暫く無言で立ち尽くしていた。
「ねぇ、とりあえず奥に進んで神像のアイテム取ろうよ」
「……ちゃっかりしてんな、お前も」
 ルーネの言葉に、ヴァリッドは溜め息をついて苦笑する。見れば、アーティも苦笑していた。
 頭の切り替えが早いというべきか、ルーネはどんな状況でも機転が利く。
 三人は更に奥へ進み、アイテム神像の宝箱を開けた。
「片手剣だったー」
 そう言って、ルーネはグレードの高い武器をヴァリッドに渡した。
「ヨルムンガンド!?」
 思わず声を上げたヴァリッドに二人の視線が集中する。
 現在のヴァリッドのレベルでは使いこなせない高級武器が出たのである。アイテム神像から出現する武器が上質のものだとしても、Λサーバで手に入る剣ではない。最上級のサーバでなければ出現しないはずの武器が入っていたのだから。
「まぁ、おかしいとは思ったけどさ、ニラミコロスモノも出てきたわけだし」
 恐らく、三人は同じ事を考えていただろう。
 エンスが仕組んだのだと。
「とりあえず、戻ろう」
 ヴァリッドが精霊のオカリナを使い、ダンジョンからフィールドへと脱出した。
「……どう思う?」
 フィールドに出た所で、アーティが口を開いた。
「どうって?」
「エンスの事だ」
 首を傾げるルーネに、アーティが言う。
「そうだねぇ……。NPCって言ってたけど、CC社の人かもしれないよね。特定のモンスターを配置したり、高級武器をアイテム神像に入れたりしたわけだし」
 ザ・ワールドを管理・運営する会社の人間かもしれない。ルーネの推測はヴァリッドだけでなくアーティも考えたはずだ。本来なら出現しないはずのモンスターを出現させたり、ヨルムンガンドなどという高級武器を配置したりできるのは運営会社の人間だ。エンスやヴェインが運営会社の人間だとすれば、疑問の全ては氷解する。
「そう知ってるだけ、っていう言葉も曖昧だしな……」
 ヴァリッドは溜め息をついた。
 完全にエンスを信用するわけには行かない。イベントであるのなら、ヴェインを倒す、という明確な目標がある。だが、そんなイベントを実施するという公式な発表もない。
 エンスの味方となる事に、ヴァリッドは納得し切れていなかった。
「腑に落ちないってのはあるよ」
「俺もだ」
「私も釈然としない」
 ルーネの言葉に、ヴァリッドとアーティも同感だった。
「そもそも、このイベント事態が何か妙だ」
「確かな情報が欲しいな」
 ヴァリッドの言葉に、アーティが呟く。
「そうだね、ちょっとこのゲームに詳しい人に聞きに行こうか?」
「もしかして、アイツか?」
 同意したルーネの言葉に、ヴァリッドが問い返した。
「うん」
 笑みを返すルーネに、アーティだけが不思議そうな表情をしていた。
 フィールドからルートタウンに戻った三人は、カルミナ・ガデリカの酒場を訪れた。その酒場の一画、三人が目指す場所には一人の呪紋使いが座っている。
 短い銀髪を撫で付け、紅色の装飾の入った紺色の包囲を身に着けたPCだ。顔には髭こそ無いが、やや深い皺の刻まれた老年の呪紋使いである。名前は、ワイズマン。
「やぁ、ヴァリッドにルーネ」
「ワイズマン、早速だが聞きたい事がある」
「だと思ったよ。君が私を訪ねてくるのは、私の知識が必要になった時ぐらいだからな」
 口元に笑みを浮かべ、ワイズマンは向かいの席を顎で示した。
「まさか、彼は……!?」
 アーティは驚いた表情でワイズマンを凝視している。
「ドットハッカーズの知恵袋の情報が欲しくってね」
 アーティに聞こえるように、ヴァリッドは言った。
 ――.hackers(ドットハッカーズ)。
 一年ほど前、ザ・ワールド内に隠された『最後の謎』を解き明かしたとされる者達がいた。通常ではエディットできない赤い双剣士をリーダーに、ザ・ワールド内で活躍した集団だ。赤い双剣士は『勇者』カイトと呼ばれ、重剣士ブラックローズという相棒と共に活動していたらしい。有名な人物の中ではバルムンクとオルカという、それぞれ『蒼天』と『蒼海』という異名を持つ剣士がドットハッカーズに名を連ねている。
 ワイズマンは、そのドットハッカーズに名を連ねる人物の一人だ。参謀に近い役割を持っていたとも聞く。
「ただし、情報はギブアンドテイクだ」
「ああ、分かってる。まずはこっちが体験した情報を話す」
 テーブルに頬杖をつき、笑みを浮かべるワイズマンに、ヴァリッドは告げた。
「まず、俺達はヴェインというキャラクターに話し掛けられた。BBSを見てくれれば分かると思うが、通常ではエディットできないキャラクターだ」
 ヴァリッドが語り出した情報を、ワイズマンは興味深げに聞いていた。
 通常では作成できない外観を持つヴェインとエンス。彼等がNPCである可能性。話し掛けられた言葉。体験したありのままの様子全てを、ヴァリッドはワイズマンに語った。
「なるほど、興味深いな」
 話を聞き終えたワイズマンは小さく頷いた。
 包み隠さず全ての情報を伝える事、それがワイズマンが提供する情報の代価となる。何も情報を持っていない場合、ワイズマンの出す条件を飲む事で報酬としての情報を得る事ができる。
「恐らく、その二人は放浪AIで間違いないだろう」
「何故そう思う?」
 ワイズマンの言葉に、ヴァリッドは確認を求める。
「CC社はザ・ワールドを管理していると思われがちだが、実際は少し違う」
「違う?」
「うむ、ザ・ワールドという世界は発売以前から既に構築されていて、現在はCC社が所有権を持っているに過ぎない」
「それはどこかで聞いた事があるな」
 ヴァリッドはワイズマンと交互に言葉を交わす。
「CC社に管理しきれない部分があるという事だ」
「それ、おかしくない?」
 ルーネが口を挟む。
 管理しきれないというのはゲームとしては明らかにおかしい。
「元々、ザ・ワールドというのは、ある人物が創った文字通り『世界』なのだよ」
「それは、どういう?」
 アーティが眉根を寄せる。
「この世界は、神が存在しているのさ。AIだがね」
「AIが、神……?」
 次に疑問を投げたのはヴァリッドだった。
「元々はヴァーチャルな世界として創られたプログラムを、ゲームに転用した、とでも説明すべきかな? もっとも、その世界自体はAIを育成するための世界だったわけだがね」
「とても信じられない話だな」
「だろうね。私自身もこの世界を普通にプレイしていたのでは到底理解できなかっただろう」
 ヴァリッドの言葉に、ワイズマンが苦笑した。
「ともあれ、この世界には放浪AIという存在が出現しても不自然ではないという事だ。信じるかどうかは君達に任せるがね」
「……いや、信じさせてもらうよ。あんたから嘘の情報を貰った事は無いからな」
 ヴァリッドの言葉に、ワイズマンが小さく笑みを浮かべる。
「後は、ボク達がエンスを信用するべきかどうかって事だね」
「それは私には断言できない」
 ルーネの疑問に、ワイズマンは首を横に振った。
「今まで君達がAIと交わした言葉の中には、どちらが悪であるのかを判断できるようなものはない。君達が彼等と関わっていく中で判断していくしかないと思うがね?」
「そっか。確かにそうだね」
 がっかりした様子もなく、ルーネは前向きに納得したようだった。
 双方が正しい、もしくは双方が間違っている場合もある。そうなった場合、どちら側につくのかは三人がそれぞれの判断を下すべきだ。結局は、客観的に見ても関わりが浅過ぎるという事だろう。
「真に受けず、関わらない、というのも一つの手だが?」
「いや、気になって仕方がないからな。最後まで関わってみるさ」
 ヴァリッドの返答に、ルーネもアーティも頷いていた。
 そうか、と頷き、ワイズマンは笑みを深める。
「AIが現れるというのは非常に珍しい。全てが終わったら、また話を聞きたいものだ」
「ああ、終わったと思ったらまた来るぜ」
 そう言って、ヴァリッドは席を立った。ルーネとアーティも続いて立ち上がる。
「うむ、楽しみにしているよ」
 おっけー、とルーネが言葉を返し、三人は酒場を出た。
「で、二人ともこれからどうする?」
 歩きながらの問い掛けに二人が顔を見合わせる。
「私はそろそろログアウトするつもりだ」
「ボクもパーティから抜けるよ。仕事あるかもしれないし」
 アーティとルーネが言い、ヴァリッドはそれに頷いた。
「じゃあ、ここで解散だな。何かあったらメールで連絡を取り合おう」
 今度はアーティとルーネがヴァリッドに頷き返す。ヴァリッドはそれを確認してから、パーティを解散した。
 ログアウトするアーティと、手を振って歩いて行くルーネを見送り、ヴァリッドは小さく息をついた。
 理解力が追いつかない程の情報を頭の中でもう一度思い起こす。今日は色々な事があったようにすら思えた。ヴェインと会い、アーティと和解し、ルーネを加えてエンスとも会った。更には、ワイズマンとも話をした。
「少し、疲れたかな」
 呟いて溜め息をつくと、ヴァリッドもログアウトのコマンドを選び、フェイス・マウント・ディスプレイを外した。
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