ファイル5 「ウィルスバグ」


 空中都市フォート・アウフ。
 買Tーバと呼ばれる上級ルートタウンだ。眼下に雲海を見下ろすように、石造りの巨大建造物が浮遊している。中央に位置する一際大きな足場から、それぞれの区画へと道が続いている。中央ブロックにほど近い広場にはカオスゲートが存在していた。
 人が行き交う広場に、ヴァリッドは降り立った。
「くっそ、やっぱりここじゃ駄目か……」
 ヴァリッドは溜め息をつく。
 買Tーバから行けるのはレベル60から80までのエリアだ。既にレベルが80を超えているヴァリッドのレベル上げに見合わない。
 今も、レベル80ぎりぎりの場所に一人で潜っていた。フィールドのモンスターを全て倒し、ダンジョン内部のモンスターも全て掃討した。それでも、予想以上に経験値は低い。このペースでは望むレベルに達するのはかなり先になりそうだった。
 なら、一つ上の、最後のサーバへ行けばいい。
 しかし、ヴァリッドには固定の仲間というものがいない。メンバーアドレスを渡したのは仕事を斡旋してくれる客が九割以上を占めている。客はヴァリッドよりもレベルが低い。レベル上げの仲間としては見合わない、足手纏いになる者がほとんどだ。元々、ヴァリッドよりも腕の立つプレイヤーには傭兵など必要ないのだから。
 肩を並べてレベル上げに行けるのはルーネぐらいなものだ。
「……使えるようにしといた方がいいからな」
 アイテム欄には、この前Λサーバで手に入れた片手剣ヨルムンガンドが入っている。レベル91以上でなければ、この武器の性能を完全に引き出す事はできない。装備するだけなら、今でも可能だ。しかし、武器の適性レベル以下のPCでは、性能がマイナスされてしまう。プラスマイナスゼロの、武器そのものの性能を引き出せるようになるのは適性レベルを超えているPCのみだ。
 ヴァリッドは、まだヨルムンガンドを使いこなせない。
 だからこそ、レベル上げのために一人黙々とエリアに潜っていた。何度もダンジョンを往復し、経験値を稼いでいる。
 いずれ、エンスかヴェインのどちらかが接触してくるだろうから。
 エンスがヨルムンガンドを入れておいたのには、特に深い意味がなかったのかもしれない。単なる、お礼だった可能性もある。だが、それは逆に何かのメッセージを含んでいる可能性も合わせ持っているという事だ。
 次に会う時はこの武器を使いこなせるだけのレベルであって欲しい、という思いがあったのかもしれない。意図が無くとも、レベルが高いに越した事はない。
 エンスやヴェインにこちらから連絡する術はない。放浪AIだと言う二人の行方は掴めず、連絡先も聞かされていない。ヴァリッドには自ら関わっていく術がなかったのだ。
 それもあって、ヴァリッドはレベル上げをしている。
 恐らく、ヴァリッド達はエンスか、ヴェインにまた呼び出される事になるだろう。エンスの方から連絡を入れると言ってきてもいる。ならば、ヴァリッドに出来る事はレベルを上げて、行動の選択肢を増やしておく事だ。
 レベル上げて戦闘能力が上昇すれば、戦いにも余裕が出てくる。余裕がなければ何かしら行動を起こす事もできない。まだエンスに協力すると決めた訳でもないし、ヴェインの側につくとも決めていない。その時その時の判断で動かなければならないのだ。もしも選択の岐路に立たされた時にヴァリッドが窮地に陥っていたら、選べるものも選べない。
 勿論、今後の傭兵稼業にとっても悪くは無い。
「さてと、どうするかな……」
 ヴァリッドは呟いた。
 今のヴァリッドに出来る事は少ない。
 ヴェインやエンスの行動について考えようにも、何故、という疑問で全て止まってしまう。何故、エンスがヴェインを追っているのか。ヴェインがエンスの存在を消す事が出来るのは何故か。何故、そんな力を持っているのか。何が目的で、ヴァリッド達に関わってきたのか。
 情報自体も少な過ぎた。エンスが話したのはヴェインが自分を消す力を持っているという事と、二人が放浪AIであるという事実と、敵対関係にあるという点だけだ。
 メンバーアドレスも交換していないため、こちらから連絡は出来ない。そもそも、放浪AIにメンバーアドレスが存在するのかも判らない。
 CC社へ連絡を入れようという考えは、無かった。
 連絡を入れるなら、全てが終わってからだ。それも、こんな現象が起きた、という事実だけを連絡するつもりだった。ただのバグなら直ぐに管理者へ報告するが、放浪AI二人との一件はただのバグには思えなかった。
 いや、そもそもバグという認識では無い。最近の『ザ・ワールド』はバグがほとんど無いのだ。昨年以前はバグ報告も多かったらしいが、一年前にバグは一気に激減したと聞く。
 そのため、バグと思う前にイベントの一種かと思ってしまったのだ。イベント用に外部で組んでいたプログラムが何らかの手違いで開始されてしまったのではないか、と。
 だが、それにしては公式発表もなく、ヴェインやエンスに関わるBBSの書き込みも流れてしまっている。
 ワイズマンの話でも、ヴェインとエンスは放浪AIの可能性が高いと聞かされた。ヴァリッド達は『ザ・ワールド』の仕様外の出来事に触れているのだ、と。
 だから、ヴァリッドは最後まで関わりたかった。
 この『ザ・ワールド』に何が起きているだとか、それを自分が解決しようなどとは思っていない。ただ、仕様外の現象をそのまま見つめてみたいと思った。
 CC社に連絡を入れて、放浪AIを排除されたり隔離されたりといった処置が成されるのは不本意だ。途中まで関わってしまった以上、最後まで見届けたい。
「……来た!」
 思わず、ヴァリッドは呟いていた。
 エンスからのショートメールだ。エリアワードが記され、そこに来て欲しいとだけ記されていた。
 メールを確認した後、ヴァリッドは目を閉じて数瞬の間、立ち尽くしていた。いや、時が来るのを待っていたというべきか。
 ショートメールが二通、ほぼ同時に届いた。ルーネとアーティからだ。予想通り、二人にもエンスからのメールが届いていたようだ。それを見た二人から、ヴァリッドへもメールが送られて来たのだ。今直ぐ行けるか、と。
 ヴァリッドは用意していた返信を即座に返した。
「買Tーバ、カオスゲート前で待つ」
 その一言だけで十分だった。
 直ぐに二人がカオスゲート前に降り立つ。
「息ピッタリじゃん」
 ルーネが笑う。それにヴァリッドも笑みを返す。
「行くぜ、二人とも」
 二人をパーティに誘い、ヴァリッドはカオスゲートにアクセスした。
「煤@揺れ動く 封ざれし 残影」
 エンスのメールに記されていたワードを入力し、エリアへと飛ぶ。
 エリアレベルは70、フィールドは夜の雪原だった。空は漆黒に染まり、大地は白銀の雪に覆われている。
「ほんとに何か出そうな雰囲気だね」
 ルーネが呟いた。
「……精霊神の槍、か?」
 アーティが手にしている槍を見て、ヴァリッドは呟いた。重槍としてはトップレベルの性能を誇る武器だ。制限レベルは83だ。アーティがそれを手にしているという事はレベルが83を越えたと見て間違いない。制限レベルに達していない状態では、適性レベル装備の方が戦闘力が高いからだ。
「判るか?」
「少し前に依頼で取りに行った事があるからな」
 驚いたようなアーティの問いに、ヴァリッドは頷く。
「……お前達二人と肩を並べられるように、鍛えてきたんだ」
 言葉通り、アーティのレベルは高くなっていた。前回パーティを組んだ時から、10以上もレベルが上がっている。70代だったアーティがこの数日間で10もレベルを上げるのは相当難しかったはずだ。それこそ、寝る間も惜しんでレベル上げをしていたに違いない。
「追い抜かれそう」
 ルーネが苦笑する。
「その前にカンストさせるさ」
 ヴァリッドは笑って見せた。今の『ザ・ワールド』は99レベルでカウントストップしてしまうのだ。レベルという値での成長が止まった後は、アイテムでステータスの基本値を上げていくしかない。基本値を底上げするレアアイテムなら、レベルが最大になってもPCを強化していける。最も、それほど大きく値が上昇するわけではないため、他者と差を付けるには相当な数を使用しなければならないのだが。
「まぁ、同レベルの剣士相手でもヴァリッドのが強いもんね」
 ルーネが微笑む。
「ま、それなりにな」
 ヴァリッドも笑みを見せる。
 パーティリーダーのヴァリッドを先頭に、ルーネとアーティが続く。マップを見てダンジョンの方向へ向かいながら、周囲に警戒する。
「魔方陣がない?」
 アーティが呟いた。
「ほんとだ、無い……」
 ルーネが驚いたように呟く。
 恐らく、マップに魔方陣などのオブジェクトを表示させる妖精のオーブを使ったのだ。その上に、魔方陣のマークがマップ上に表示されなかった。
 ヴァリッドも感じていた。フィールドをダンジョンへ向けて歩いていれば、どうしたって魔方陣は目に入る。魔方陣にぶつからなくとも、視界を巡らせて周囲を見ていれば目に入るはずなのだ。もし、魔方陣が無かったとしても、フィールド上を歩き回っているモンスターもいる。フィールド上にはモンスターも見えない。
 珍しい事だった。
「あえてここにしたのか、それとも……」
 ヴァリッドが小さく呟く。
 魔方陣もモンスターもうろついていないこのエリアを意図して選んだのか、それとも放浪AIの力でオブジェクトを消したのか。ヴァリッドには判らない。ただ、何かしら得体の知れない緊張感だけが膨らんで行く。
 ダンジョンの入り口に辿り着いても、誰も言葉を発さない。ヴァリッドの視線に、二人は頷いただけだった。ダンジョンへ足を踏み入れる。
 石造りの城砦の中を思わせる内装のダンジョンだ。
 そこにも、魔方陣はなかった。妖精のオーブでマップを表示させるが、宝箱や魔方陣は一切ない。しかも、真っ直ぐに直進するだけで次の階へ下りる事ができるマップになっていた。
 地下二階も、同様に何もオブジェクトの無い一直線のマップだった。無言のまま三階に下りた所で、三人は足を止めた。
 妖精のオーブで表示させたマップには、大きな部屋が一つと、その奥にあるアイテムの配置された部屋が表示されていた。そこでマップは終わっている。つまり、次の部屋を越えた先の部屋にはアイテム神像がある。
「この先で何かありそうだな」
「恐らくな」
 ヴァリッドの言葉にアーティが頷く。
 三人共にアイテムの残量などを確認し、前に進んだ。
 部屋の中央に魔方陣が一つだけ配置されていた。ヴァリッドが一歩踏み出した時、魔方陣の光が拡散し、中からモンスターが現れる。
「――なっ!」
「なにこれ!」
「何だ、これ……!」
 ヴァリッド、ルーネ、アーティがそれぞれに一歩、後退った。皆、明らかに動揺している。
 天井にも達しそうな上半身だけの巨大な骸骨のモンスターだ。緑がかった骨の隙間に数本の矢が刺さっている、大型モンスターの一種だ。ただ、普通のモンスターと異なる点が一つだけある。
 現れたモンスターは全身を半透明な六角形のパネルらしきものに覆われていた。
 モンスターの名称は、ス%ルナ@♯メア。文字化けした異様な名称が余計に不気味だった。
「……バグってる、のか……?」
 ヴァリッドは小声で呟いた。
 目の前の骸骨モンスターは本来なら、スカルナイトメアという名称だったはずだ。モンスターレベルも90と高く、エリアレベルの最高値が80の買Tーバでは本来出現しないはずのモンスターでもある。
 異様な姿のモンスターを前に、三人は戦闘を忘れていた。
 魔方陣がある部屋からは、魔方陣の中身を処理しない限り次の部屋へ進む事も前の部屋に戻る事もできない。この部屋から出るためには、戦わなければならないのだ。
「これも、エンス達の仕業かな?」
 少しだけ引き攣った口調で、ルーネが呟いた。
「さぁな。ただ、あれをどうにかしないと進めないのは確かだ」
 言い、ヴァリッドは剣を構える。
 声での合図はなく、ヴァリッドとアーティが駆け出した。すぐさまルーネが物理ステータスを上昇させる呪紋を発動する。ステータスを底上げされたヴァリッドとアーティがモンスターへ武器を振るう。
「ギガノスラッシュ!」
「ギライドゥーム!」
 ヴァリッドとアーティがスキルを発動し、モンスターを斬り付ける。片手剣が交差する軌道で叩き付けられ、上段と下段を狙う槍の攻撃がモンスターにダメージを与えた。
「ダメージ小さっ!」
 ルーネが目を丸くする。
 元のスカルナイトメアに与えられるはずの半分か、それ以下のダメージしか与えられていない。ヴァリッドとアーティの攻撃力が小さいわけではない。モンスターの物理防御が極めて高いのだ。
 しかし、ヴァリッドはそれだけの防御力を持つモンスターを知らない。そもそも、元々のモンスターの周囲に何らかのエフェクトが付加された上位モンスターという存在があるという話は聞いた事がなかった。色違いの上級モンスターは存在するが、名称もちゃんと変わっている。
 目の前にいるモンスターのように名称の文字化けした存在は初めてだ。
「効いてないわけじゃない!」
 ヴァリッドは言った。
 文字化けしているのはモンスターだけではない。モンスターの名称の下に表示されているHPゲージの数値も文字化けしていた。分母も分子も文字化けしており、数値を読み取る事は不可能だ。
 ただ、ダメージを与えると文字化けした文字が変化し、カウンターが回っている事だけは確認できる。同時に、ゲージも僅かながら減少しているのが見て取れた。
 ダメージがゼロだったり、HPゲージが全く減らなかったり、カウンターが変化しなかったりしない限りは倒せるはずだ。
「何かレアアイテムでも落とすのかな?」
 ルーネの声は少し弾んでいた。
 バグなのかイベントモンスターなのかは判らない。ただ、倒せると思った事で余裕が出て来たのだ。
 油断に繋がる可能性もあるが、切羽詰っているよりはある程度余裕を持っていた方が良い。
「ぐっ!」
 モンスターの腕がヴァリッドを吹き飛ばす。
「なっ……なんだこのダメージ……!」
 ヴァリッドのHPが一撃で三分の二に減少する。
「オリプス!」
 すかさずルーネがヴァリッドのHPを回復させる。
「ステータスが無茶苦茶だ……!」
 アーティが呻く。
 ヴァリッド達の攻撃はほとんど効かず、モンスターの攻撃力は極めて高い。ルーネの呪紋でどうにか戦闘を続けている状態だ。前にニラミコロスモノと戦った時と違い、ルーネが攻撃する余裕は無かった。
「闘士の封印っ!」
 吹き飛ばされ、モンスターと間合いの開いたヴァリッドが敵の物理攻撃力を下げるアイテムを使う。だが、ターゲットしたモンスターにはアイテムの効果が成功した時に生じるエフェクトは起きない。
「闘士の封印っ!」
 ヴァリッドはもう一度同じアイテムを使う。呪紋の効果を発動するアイテムも、元の呪紋と同じようにミスする事があるのだ。
 だが、モンスターには効果がない。
「弱体化スキルが効かない……!」
 長期戦になるのなら、相手のステータスを低下させる弱体化スキルやその効果を持つアイテムは有用なものだ。どんなに防御力の高い敵でも防御ステータスを下げるアイテムや呪紋などを使うだけで戦闘がかなり楽になる。攻撃力の高い敵に対して、プレイヤーがダメージを抑えるために攻撃ステータスを下げるのだ。
 しかし、このモンスターには弱体化効果の能力は通じないようだった。
 完全にヴァリッド達の実力だけで勝たなければならない。
「ジュカテンペスト!」
 アーティが緑色の光に包まれた槍を振り回す。
「ギアニスラッシュ!」
 ヴァリッドも闇色の光を帯びた片手剣をX字に叩き付ける。
「オラリプス!」
 ルーネは範囲回復呪紋章で前衛二人の回復に専念していた。いや、ルーネが回復や援護を受け持ってくれているからこそ、ヴァリッドやアーティは攻撃に専念できるのだ。減ったHPはルーネが回復してくれる。そう安心していられるから、ヴァリッドやアーティは攻撃を続けられるのだ。
 モンスターの攻撃力は極めて高く、弱体化もできない。ヴァリッドやアーティにはひたすら攻撃を叩き込むしか選択肢はないのだ。弱体化や状態異常攻撃が通用しない以上、ヴァリッド達には物理的にダメージを与えるしか手がない。同時に、そうなった際にヴァリッドやアーティの回復が行えるのはルーネだけだ。攻撃呪紋を使用できるだけの余裕はない。
 ただ、ルーネも隙の少ない召喚系呪紋で時折加勢してくれている。
「くっ……!」
 アーティが呻いた。
 理由はヴァリッドにも判る。いや、ヴァリッドも舌打ちしたい状態だった。
 SPが尽き始めているのだ。アイテムで回復させてどうにかやりくりしているが、アイテムが尽きた後はSPを回復させる事ができない。時間で徐々に回復するようにはなっているが、スキルはほとんど使えなくなってしまう。一度スキルを使用した後、同じだけSPが貯まるまでの時間がかなり長いのだ。
 ヴァリッドは一瞬、距離を取るべきか迷った。
 距離を取り、今ヴァリッドとアーティが持っているSP回復アイテムを全てルーネのために使えば、ダメージをほとんど受けずに戦う事ができるかもしれない。敵の攻撃範囲外から、ルーネの呪紋でダメージを与えていく戦法だ。
 だが、それではヴァリッドやアーティの存在意義がない。そもそも、呪紋というSP消費攻撃でなければまともに戦えないルーネに攻撃の全てを任せるのは負担が大き過ぎる。いざという時に回復呪紋が使えなければ困るのはパーティ全体だ。それに、SPが無くても十分に攻撃できるヴァリッドやルーネがいなければ、アイテムが尽きた時の攻撃頻度が著しく低下してしまう。
「アーティ! 気魂は全部ルーネに回せ!」
「解った!」
 ヴァリッドの言葉にアーティは応じた。
 回復の要であるルーネに、全てのSP回復系アイテムを使用すれば長期戦にも対応できると考えたのである。
「……減って、ない……?」
 相手のHPに目を向けて、ヴァリッドは愕然とした。
 モンスターの体力が止まっていた。文字化けしたカウンターは動いているが、HPゲージは丁度半分で止まっている。今までは少しずつでも減っていたゲージが全く動かなくなっていた。
「本当にバグってんのか……!」
 モンスターが腕を薙ぎ払い、ヴァリッドは剣で受け止めて防ぐ。
「どうすんのさ!」
「強制終了しかないか……?」
 ルーネとアーティがそれぞれに呟く。
 部屋から出るための扉は目の前のモンスターを倒さなければ開かない。この状況を抜け出すには『ザ・ワールド』のゲームプログラムを強制終了するぐらいしか手がない。
 全滅すればペナルティとして経験値や所持金が減少する。それが嫌ならば強制終了してログインし直すしかないのだ。
「アイテム尽きたーっ!」
 ルーネが声を上げる。
「俺のを使え!」
 躊躇う事なく、ヴァリッドは自分の手持ちの回復アイテムを全てルーネに手渡した。手際良くトレードを済ませ、モンスターの背後へ回り込んで武器を振るう。
「私もこれ以上はアイテムがない!」
 少し遅れてアーティのアイテムが尽きる。ルーネに手渡した時点でヴァリッドは回復アイテムが尽きていた。
「まずいね、これ……」
 ルーネが渋い表情で呟いた。
 HPゲージが減少しなくなってから三十分近くが経とうとしている。この化け物のようなバグモンスターを相手にここまで戦えただけでも奇跡に近い。
 このままでは全滅する可能性が高い。いや、相手のHPが減らないのならば、ヴァリッド達が全滅する以外に結末はない。
 全滅すれば、パーティ全員のレベルが1下がる。今のヴァリッド達は1レベル上げるだけでも相当な時間を要する。可能な限り避けたいが、そうなるとシステムをシャットダウンして強制的にゲームから離脱するしかない。
 勿論、それは強引な手段だ。レベルダウンが嫌だからといって強制終了する事が心の狭い行為である事はヴァリッドだけでなくアーティとルーネも理解しているだろう。だが、相手はバグモンスターだ。バグモンスターに全滅させられてPCデータにバグが出ては困る。得体の知れないバグの影響を受ける事を何より恐れているのだ。
 もう強制終了しかないのだろうか、ヴァリッドが考えた時だった。
「デリートっ!」
 女性の声が、戦場に響いた。
 突如戦場に割り込んで来た人影が槍を一閃する。その刃に切り裂かれたモンスターが、光に包まれて四散した。HPが減少するよりも早くゲージの表示が消え、モンスターの身体を覆っていた緑色のエフェクトも消失する。間を置かずして、モンスターは文字通り削除されていた。
 一瞬の出来事だった。
「お前達! ここで何をしている!」
 女性が一喝する。
 特徴的な姿のPCだ。碧色の鱗で造られた軽鎧を身に着けたショートカットの女性だ。やや切れ長の双眸がキツめの印象を与える。だが、面と向き合って最も特徴的なのは左右の瞳の色が違うという事だろう。
「何って……」
 ルーネは目を丸くして呟いた。アーティも同様に訳が解らないといった様子で女性を見ている。
「……碧衣の騎士団、か?」
 ヴァリッドの言葉に、女性が微かに目を見開く。
 碧衣の騎士団。『ザ・ワールド』のデバッグチームの通り名だ。不正データやチートなどを調査し、発見次第排除するのが目的の部隊として一部の人間にその存在を知られている。
「お前、何故その名を知っている?」
 女性が不審げに視線を細める。手にした槍の先を僅かに上げ、いつでも攻撃できるようにしていた。
「騎士団の奴に手伝いを頼まれた事があってな、少しだけ話は聞いてる」
「そんな話、私は聞いていない」
「あんた、もしかして騎士団長か」
 ヴァリッドの言葉に、女性はしまったというように目を見開き、一歩後ろへ下がった。
 仕事については依頼者の意見を尊重する。他言無用と言われれば誰に対しても決して話さず、いいふらしてくれと言われればBBSや情報通な人間にそれとなく情報を流す。指定がなくとも、誰かに聞かれない限りは、ヴァリッドから話す事もない。
 つまり、ヴァリッドは騎士団の人間から仕事の手伝いを頼まれた事があり、その仕事に関しては今まで誰にも話していないという事だ。女性がこの内容を聞くためには、依頼者本人から事情を聞きだしておく必要がある。彼女が知らない、聞いていないという事は依頼者も口外していないと見ていい。
 そして、さも事情を全て把握しておかなければならないような言葉を口に出すという事は、彼女はそれだけの立場を持っているという事だ。つまり、長という立場に。
「……私の事はどうでもいい。お前達は何故ここにいる?」
「それはボク達が聞きたいよ。君こそどうしてここに?」
 女性の言葉に、ルーネが問いを返した。
 ここのエリアワードはヴァリッド、ルーネ、アーティの三人しか知らないはずだ。いや、ワードの組み合わせによっては他のプレイヤーがこのエリアに来る可能性はゼロじゃない。ただ、エンスからの呼び出しという事を考えれば、他のプレイヤーがいるというのは不自然だった。
 しかも、碧衣の騎士団の人間が都合良く現れるというのは偶然にしても出来過ぎている。
「屑データをデバッグするためだ」
「屑データ?」
 アーティが眉根を寄せる。
「ザ・ワールドのバグデータだ。我々はそれを削除するために存在している」
 女性の言葉を、ヴァリッドは理解した。
 放浪AI、エンスやヴェインがバグデータであると言っているに違いない、と。確かに、放浪AIの存在は一般には知られておらず、仕様外の存在と言えなくもない。
「この先に、バグデータがいると聞いてきた」
 聞いた、という言葉にヴァリッドは眉根を寄せた。だが、誰もそれに気付かなかった。
「一般プレイヤーの皆様には大変ご迷惑をおかけしますが、即刻このエリアから退出して頂きますようお願い申し上げます」
 遅れて部屋に入って来た女性の部下らしい剣士が頭を下げた。
「え、でも……」
 ルーネとアーティが目を見合わせる。
「このエリアはこれよりデバッグ作業に入る予定です。そのため、一時的にこのエリアにはプロテクトをかけ、作業が終了次第プロテクトを解除致します」
 それまでこのエリアには入るな、とそう言っているのだ。
 デバッグ、つまりはエンスのデリートの事だろう。ならば、もし彼らの指示に従えばエンスには二度と会えなくなってしまう。ヴェインとの一連の出来事も途中で終止符が打たれてしまう事になるのだ。
 ヴァリッドも、それが嫌だった。
「断る」
 だから、そう告げた。
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