ファイル6 「対峙」


 碧衣の騎士団長の目が鋭く細められ、どこか不服そうに肩眉を上げる。
「……何だと?」
 威圧的に問いながら、女性が一歩前に歩み出る。元々が切れ長の目つきをしているだけに、威圧感は大きい。
「俺達はこの先に進む必要がある。即退去、というわけにはいかない」
 だが、臆さずにヴァリッドは言った。ここで気持ちだけでも退いては負けだ。
「管理者に逆らうと?」
「俺達はここに呼ばれて来たんだ。そいつと会って話ができたら直ぐにタウンに戻る」
「バグデータを放っておけとでも言うつもりか?」
 ヴァリッドの言葉に団長らしい女性が問い続ける。
 イラついているのだと直ぐに判った。
「少し待ってくれと言ってるんだ」
 せめてダンジョンの最深部まで行かせて欲しい、と言ったつもりだった。この先にいるのは恐らくエンスだ。もし、デバッグチームに彼の存在を削除されてしまったら、ヴァリッド達は二度とこのイベントには関われないどころか、心残りになってしまう。
 突然の出来事に混乱もしたし、まだエンスとヴェインには疑惑もある。彼らの意図も、一連の出来事の終結も、ヴァリッド達にはまだ解らない。
 解らないままにされてしまうのは不本意だった。
「屑データって、放浪AIのこと?」
 ルーネが口を挟んだ。
「屑データは屑データだ。そんな呼称に意味はない」
 睨み付けるような表情を見せる女性に、ルーネが納得いかないといった表情を見せる。ルーネもまた、管理者を相手に一歩も退こうとしていない。ただ、説得するだけの言葉を考え出せないだけで。
「放浪AIって、自我があるんでしょ? それを屑データって言うのは……」
「仕様外のデータに価値はない! 他のデータに干渉されたら一般のユーザーが困るんだ!」
 ルーネの言葉を遮って、女性が大声を張り上げた。
 正論ではある。
 ゲームとして『ザ・ワールド』が提供されている以上、仕様外のデータはバグ以外の何ものでもない。仕様外のデータによって、ゲームデータにもバグが生じる可能性はゼロではない。管理者はユーザーが快適に、ゲームをプレイできるよう、出来る限り早急にバグをデバッグしていかなければならないのだ。
 運営側としての責任問題でもある。
 管理者によって組まれたデバッグチームにとっては、放浪AIは仕様外のバグにしか映らない。同時に、デバッグチームはバグを削除するのが仕事なのだ。
 本来はヴァリッド達が説得できるような相手ではないのだ。
「私達は既に関わってしまっている。何も解らないままにされてしまうのは不服だ」
 アーティが言った。彼女もヴァリッドやルーネと同意見のようだ。引き下がりたくない、口調からもその意思が判別出来る。
「それはバグだ。最初から理解できるようなものではない」
 女性がぴしゃりと言い放つ。
 アーティは言い返せずに黙り込み、ルーネは不満そうに頬を膨らませている。その間、ヴァリッドはどうすれば碧衣の騎士団を言い包められるのか思案していた。
 単純にここは退いてくれと言っても聞き入れてはくれないだろう。ならば、どうすれば相手に妥協させられる案になるのだろうか。相手が退かないのなら、ヴァリッド達が動くしかない。
「なぁ、あんたら、誰にこの場所を聞いて来たんだ?」
 ゆっくりと、ヴァリッドは言葉を紡いだ。
 思い浮かべた内容や今までの情報を整理して、言葉へ変えていく。
「……?」
 真意が解らないと言いたげに女性が眉根を寄せる。
「誰かからの情報を得て、ここに来たんだろ?」
 ヴァリッドの言葉に女性が微かに目を見開いた。
「あんたは、『バグデータがいると聞いてきた』んだろ?」
 その言葉に彼女は大きく目を見開いた。
 エンスが用意したと思われるこのエリアワードが、そう簡単に見つかるとは思えない。管理者だから、と理由付けするのは簡単だが、彼女の言葉を借りればエンスこそ仕様外の存在なのだ。デバッグチームとはいえ、実際の作業以外にはシステムに依存する部分が少なからず存在する。
 それに、『聞いてきた』という言葉が最も不自然だった。
 ヴァリッド達がいるこのエリアワードはエンスと関わった三人にしか伝えられていないはずだ。他にもヴァリッド達のようにエンスやヴェインと関わったプレイヤーがいる可能性はあるが、それなら同時に呼ばないのは何故か、説明できない。
 だが、可能性の話をすれば『ザ・ワールド』が持つ可能性は無限に広がって行く。これはヴァリッドにとって利点でもあり、不利な部分でもあった。
 いかに相手を言い包められるかは、ヴァリッドの話術にかかっていると言ってもいいだろう。
「誰から聞いた? 知り合いの可能性がある。教えてくれ」
 ヴァリッドの言葉に、女性は黙り込んだまま答えない。
 ルーネがヴァリッドの腕をつついた。見ると、不安げな表情を押し隠しているのが判る。ヴァリッドは口元に笑みを浮かべ、頷いて見せた。
 この場は任せろ。その意図は伝わったはずだ。
「神威(カムイ)隊長、どうします?」
 部下が騎士団長を神威と呼んでいた。
 神威自身はヴァリッドを値踏みするように見つめている。油断のない表情で、何を考えているのかすら判別させまいとしているかのようにも見えた。
 ヴァリッドはリアルで唾を飲んだ。相手が答えないなら、こちらから心当たりのある名前を出して反応を窺うしかない。だが、もしもその名前が情報提供者と違っていたらその時点でヴァリッドの負けだ。
「……ヴェインって名前じゃないか?」
 それは、賭けだった。
「――!」
 神威の表情が固まる。驚愕に眼を見開き、ヴァリッドを見つめていた。
 ヴァリッドは笑みを浮かべた。
 当たりだ。
 なら、ヴァリッドが選ぶ次の言葉は――
「言っとくけどな、ヴェインも放浪AIなんだぜ?」
「なにっ……!」
 ヴァリッドの言葉に、神威は確かに動揺していた。
「結局、あんたらは放浪AIに踊らされたってわけだ」
 少しだけ面白そうに、挑発的な言葉を放つ。相手を怒らせるかのように。
 怒りは冷静な判断力を奪う。冷静に構えていれば引っ掛からないような罠にも簡単にかかる。交渉も同じだ。慌てた方が負ける。そして、慌てさせた方が勝ちを得る。
 神威に通じたかどうかは判らない。ただ、ヴァリッドは彼女よりも冷静であろうとしていた。少しでも油断見せず、隙を見つけ出す。今まで把握している情報を統合し、神威へと投げ掛けていくしかないのだから。
「お前達も同じだろう」
「俺達は一連の出来事を楽しんでるんだ。一つの主観からしか動けていないあんたらとは違う」
 神威の言葉を、ヴァリッドはそう言って切り返した。
 ヴェイン達三人と、碧衣の騎士団ではそもそも立ち位置が違う。プレイヤーとしてゲームを楽しめれば良いヴァリッド達と、デバッグが仕事の騎士団では一つの物事に対しての受け取り方が変わってくる。
 放浪AIの存在を受け入れているか否かで、既に違いは明らかだ。
「よくよく考えたら、仕様外の存在をあんたらつついてバグが広がる可能性だってあるんじゃないか?」
 ヴァリッドは言う。
 放浪AIというものが仕様外のデータ書き換えが可能な存在ならば、下手に刺激しては逆効果になりはしないだろうか。デバッグ用のスキルがあるとはいえ、騎士団もプレイヤーデータとして存在しているのだ。そのデータに干渉されたり、騎士団のデータでは決して勝つ事の出来ないモンスターを生み出されたりしたら太刀打ち出来ないのではないだろうか。
「さっきのバグったモンスターも、もしかしたら俺達じゃなく、あんたらに向けられたものかもしれないな」
 エンスは自分がヴェインに狙われていると言っていた。もし、ヴェインが碧衣の騎士団のような存在に情報を与えたとしたら、エンスは自衛のために行動を起こす可能性がある。
「仕様外の存在と、リスクも考えて向き合う覚悟があんたらにはあるんだよな?」
 真っ直ぐに、ヴァリッドは神威を見据えた。
 いつか、自分自身へも返ってくるだろう言葉を、ヴァリッドは口にしていた。自覚しつつも、ヴァリッドはまだそこまで覚悟は決まっていない。
 だから、本当は喉がからからに渇いていた。背筋にも薄っすらと汗をかいている。覚悟が決まらない自分が、他人に覚悟があるのかと聞いている。その事実が、ディスプレイに映る『ヴァリッド』がうわべだけの存在なのではないかという疑念を生んでしまったから。
「何が言いたい?」
 神威が問う。
「俺を雇わないか?」
 内心の揺れを押し殺して、ヴァリッドは言った。
「雇う、だと?」
「俺達は放浪AIに求められてる人材らしいんだ。あんたらが一方的に介入するよりも穏便に事を済ませられるかもしれない」
 疑いの眼差しを向ける神威に、ヴァリッドは答える。
 エンスはヴァリッド達の協力を欲した。ならば、ヴァリッド達が碧衣の騎士団に協力するという形を取った方がバグなどが生じる可能性は少ないのではないだろうか。
 エンスは自分を消そうとするヴェインを敵としている。ならば、エンスを消そうとする碧衣の騎士団も敵と見做す可能性は高い。騎士団が関わった結果としてバグモンスターが大量に発生してしまったら、『ザ・ワールド』というゲームのバランスは間違いなく崩れ去る。それは運営側にとっても避けなければならない事態のはずだ。
 仕様外の存在なら、どんな影響を引き出しても不思議ではない。
「俺達の手に負えなくなりそうなら、連絡する」
 穏便に済ませられるなら、その方が運営側としても都合が良いはずだ。
「無駄に混乱を増やしたくもないだろ?」
「何故そこまでして関わろうとする?」
 神威が問う。
「俺は傭兵だ」
 ヴァリッドはきっぱりと言い切った。
「一度引き受けた仕事は途中で放り出したくない」
 エンスはヴァリッド達に協力を求めた。無意味なPKの依頼でもなければ、ヴァリッドをからかうような内容の依頼でもない。普通にプレイしている者には体験できないこの関わり合いに、興味を惹かれてもいた。
 最後まで関わってみたい。それが本音なのだから。
「……いいだろう」
 神威はヴァリッドを見据えたまま、小さく呟いた。
 騎士団を引き止め続けるヴァリッドの意思を確認したかったのかもしれない。
「ウィルスデータの拡散は避けねばならない。お前の言う事も一理ある」 
 それは自分自身を納得させるための言葉のようにも聞こえた。
「今回はお前の言葉に乗ってやる」
 神威は一度ヴァリッドを睨み付けると、背を向けてその場から去って行った。部下達も精霊のオカリナを使ってダンジョンから脱出していく。迅速な行動だった。統制が取れている、と言うべきか。
 三人だけがその場に残されてから、ヴァリッドは大きく息を吐いた。
「すっごいなぁ、ヴァリッド……」
 感心するルーネに、ヴァリッドは苦笑を返した。アーティもただただ目を丸くしている。
「わりぃ、ちょっと飲み物取ってくるわ」
 そう行って、ヴァリッドはFMDを外した。部屋を出てリビングへ向かい、冷蔵庫の中からペットボトルの飲み物を引っ張り出して引き返す。
 スポーツドリンクに口をつけながら、FMDを身に着けてヴァリッドへと戻る。
「デバッグチーム追い返しちゃったよ」
「運営側に認めさせたって事だしね……」
「言い包められるってのが凄いね」
 離席している間のルーネとアーティの会話ログを一通り確認する。
「良くあそこまで把握してるねー」
「そうでもない」
 溜め息をつきながら、ヴァリッドはルーネに答えた。
「え?」
「半分以上勘だよ」
 首を傾げるルーネに、ヴァリッドは肩を竦めて見せる。
「勘、なのか?」
「予想混じりのな」
 アーティの問いにヴァリッドは頷いた。
 騎士団の説得、つまりこの場でエンス達をデリートしないようにするのを第一に考えた。そのためにはこの場で騎士団がエンスを消そうとしている事のデメリットを挙げなければならない。加えて、ヴァリッド達がこのまま関わり続ける事のメリットを提示する必要もある。
 双方のバランスが対等ではないと思わせなければ騎士団を追い返す事は出来なかったはずだ。
 深く考えればヴァリッドの主観が多分に入っていると気付くだろう。騎士団長ともなれば即座に判別するだけの知恵もあるはずだ。ただ、神威はヴァリッドに共感する部分があったのかもしれない。
「ヴェインがあいつらに情報提供したとか、バグの拡散とか、でまかせだ」
 結果的に、ヴェインは碧衣の騎士団に情報を流したというのは当たっていたわけだが。
「でも、良くそんなでまかせが思いついたね?」
「傭兵だからな。交渉術は必要だろ?」
 ルーネに笑みを見せ、ヴァリッドは部屋の奥、最深部へと続く扉へと視線を向けた。
 魔方陣の中身が排除された今、扉は開いている。三人はゆっくりと奥へと進んだ。
 アイテム神像の前に、エンスが立っていた。
「やはり、ヴェインからの妨害が入ったようですね」
 ヴァリッド達を見て、エンスが呟いた。
「知ってたのか?」
 その問いにエンスは首を横に振った。
 推測という可能性ならいくらでもできる。最初からヴェインが妨害すると察知するのは不可能だ。予測も外れる事はある。エンスは予測していただけだ。
 知っていた訳ではない。
「あのバグモンスターを配置したのかお前か?」
「はい。私が配置しました」
 ヴァリッドの問いに、エンスは頷いた。
「危なかったんだよ!」
 ルーネが口を挟んだ。
「何故、あんなものを配置した?」
 アーティも不満そうだった。
「あなた方に騎士団を追い返して欲しかったからです」
「つまり、あいつで俺らを足止めして、騎士団が追いつくのを待ったという事か?」
 エンスの言葉に、ヴァリッドが問う。
 もしも、あの場でヴァリッド達が騎士団を追い返せなければ、エンスとの会話中に神威が現れる事になる。デバッグチームである騎士団は迷わずエンスをデリートしようとするはずだ。その事態を避けようとしたという事だろうか。
「場所を変えるなどの手は考えなかったのか?」
 アーティが問う。
 騎士団を避けたいのならば、エリアを変えれば済むのではないか。ショートメールなどで連絡をすればヴァリッド達も直ぐに移動できるはずだ。
「相手は騎士団です。あなた方のログを調べる事も可能ではないでしょうか」
「つまり、自分の安全を確保したかったって事?」
 エンスの言葉にルーネが首を傾げる。
 場所を移動しても管理者側の人間ならプレイヤー達の行動のログを閲覧する権利がある。そこからエンスとのメールの遣り取りを掴まれたなら、どこへ移動しても騎士団には察知されてしまう。下手をすれば先回りやワードへのプロテクトがかけられてしまうだろう。いや、エンスからのショートメールをシャットアウトされてしまう可能性もある。
 管理者にどこまでの権限があるのか判断できないヴァリッドにはこれも最悪の事態を推測するしかない。
「そうです」
 真剣な表情でエンスは頷いた。
 ルーネは少しだけ眉根を寄せる。
「なんか、ずるいね」
「そう思いますか?」
 ルーネの言葉に、エンスは真剣な表情のまま、問いかける。
 自分の安全を確保するためだけに、ヴァリッド達には倒せないウィルスバグを配置したと言うのだ。騎士団が来るまで持ちこたえられなかったら、ヴァリッド達は全滅していた。
 協力を求める相手を危険に晒しても自分自身の安全を優先するエンスに、ルーネは不満を抱いているのだ。それに、エンスはその事をヴァリッド達にも伝えていなかった。
「あなた方は、私とは違うんです」
 次にエンスが紡いだのは、そんな言葉だった。
「違う?」
 アーティが僅かに眉根を寄せる。
「あなた達は、死後を考えた事がありますか?」
 エンスの目つきが、少しだけ攻撃的になった。
「死後?」
 首を傾げるルーネの隣で、ヴァリッドは小さく溜め息をついた。
「そういや、お前はNPCなんだよな……」
 そのヴァリッドの言葉に、ルーネとアーティがはっとする。
 放浪AIであるエンスには、リアルのプレイヤーが存在しない。この世界での消滅は、即ち死を意味する。ヴァリッドやルーネ、アーティという存在はプレイヤーの器に過ぎない。
 ヴァリッド達三人は、HPがゼロになっても死ぬ事はない。全員が戦闘不能になったパーティはペナルティを受けてルートタウンに戻される。ゲームのプレイヤーが死なない限り、『ヴァリッド』が死ぬ事はない。加えて、管理者にプレイヤーデータを抹消されたとしても、同じようなPCをエディットしてゲームをやり直す事ができる。
 しかし、エンスは違う。
 プレイヤーという存在のいないエンスにとって、この世界でのキャラクターデータの消失はエンスという存在そのものの消滅と同じだ。
「私は、この世界に『生きて』いるんです」
 エンスは頷いた。
 ヴァリッドには、放浪AIというデータの塊が『死』という概念を自覚している事が驚きだった。自我そのものを持っているのだと理解した時よりも、ずっと。
「だから、私はまだ生きて行きたいんです」
 放浪AIを抹消する力を持つヴェインを、エンスは恐れているのだ。
 死を、恐れているから。
「何故、私達を選んだ?」
 静かに、しかしはっきりとアーティは問う。
「今までずっと疑問だった……。他にもヴェインを見たPCはいたはずなのに……」
 それはアーティだけでなく、ヴァリッドやルーネも一度は考えた事だった。
 ただ、最初は単なるイベントだと思っていたせいか、あまり深くは考えていなかった。ランダムに選出したPCのみの限定イベントと、そう考えていたのだ。
 放浪AIという存在を知ってからは、ヴァリッドは今後の行動について考える事が多くなった。
「あなた方だけが、ヴェインの言葉を聞いている」
 エンスは言った。
 他の誰も、ヴェインに語りかけられていないのだと。
 その存在を見る事は出来ても、ヴェインの言葉が聞こえない者には彼女と対峙する資格がないのだ、と。
「ヴェインの存在を完全に認識出来ているのは、あなた方だけだった」
 エンスの言葉は、ヴァリッド達には何を示すものなのか、解らなかった。
 声を聞き、ヴェインに視線を向けられた、彼女が認めた存在でなければならないのか。それとも、ヴァリッド達の意識の問題なのか。
 ただ、はっきりしているのはヴェインもエンスも、ヴァリッド達三人を選んだという事だけだ。
「それで、今回の呼び出しは何だ? まさか、騎士団との交渉のために呼んだだけじゃないだろうな?」
 ヴァリッドが問う。
 バグモンスターとの戦闘で、ヴァリッド達のアイテムはもう底を突いている。まさかこの状態でヴェインと戦えというはずもないだろう。何せ、エンスは生きたいのだ。生きるためにヴァリッド達を利用するなら、三人が万全の状態である方が良い。
 だとすれば、今回の呼び出しは一体何なのだろうか。
 ヴェインもそうだが、エンスについてもヴァリッド達は放浪AIである事ぐらいしか知らない。エンス自身も、ただ自分がAIである事とこの場に存在している事実しか知らないようにも思える。ただ、そうだった、としか説明されていないのだから。
 もっとも、生きたいと強く願うなら騎士団も押さえておく必要がある。そのためだけ、という理由は十分に成立するのだ。
「恐らく、もうすぐヴェインがこの場に現れます」
「何だって……?」
 エンスの返答に、ヴァリッド達は目を見開いた。
「騎士団へ情報を流し、それが阻止されたヴェインは、自ら出向いてくるはずです」
 つまり、自ら手を下しに来ると言う事だ。ヴェイン自身が放浪AIだからか、騎士団と直接対面する事を避けたとでも考えるべきだろう。その騎士団がヴァリッド達に言い包められたとしたら、ヴェイン自身が出てくるしか手はない。
「けど、それだったら騎士団に情報を流す必要もないんじゃない?」
「私に彼女の真意は解りません」
 ルーネの問いに、エンスは首を横に振った。
 騎士団に頼る必要性が、ヴェインには感じられない。エンスを消す力があるのなら、自ら出向いて来れば良いのだ。AIをデリート出来るからと言って、騎士団を頼る必要はない。
 ヴァリッド達の存在によって騎士団がヴェインの敵に回る可能性は考えなかったのだろうか。
「それに、彼女の行動は不可解な事が多過ぎます」
「お前も似たようなもんだけどな」
 エンスの言葉に、ヴァリッドは小さく呟いた。
 結局、エンスもヴェインも解らない事だらけだ。エンスの話を聞く限りでは筋が通っているようにも思えるが、実際はどうだか判らない。エンスが何か隠している可能性は十分にある。
「あなた方には、ヴェインから真意を聞き出して欲しいのです」
「聞き出す?」
 アーティが呟いた。
「出来るのか?」
 ヴァリッドは問う。
 初めて見た時も、ヴェインは一方的に言葉を投げて姿を消してしまった。まともに会話する気があるのかどうか怪しいのだ。
「何とも言えません」
 また、エンスは首を横に振った。
 エンス自身、ヴェインと直接会う事を避けているのだ。実際に会話しているとも思えなかった。
「今回は交渉役ってこと?」
「そうです」
 ルーネの言葉に、エンスは頷く。
「可能であれば、彼女を倒して欲しいところですが……。今回は私を狙わないように交渉してみて下さい。彼女の行動の理由なども聞き出して下さい」
 エンスは言う。
 可能ならヴェインの行動理念を聞き出し、エンスを消さぬように説得して欲しいという事だ。
「……出来なければ?」
 ヴァリッドが問う。
「何を、ですか?」
「ヴェインを倒す事、交渉と、情報の聞き出し、それぞれだ」
 エンスに、ヴァリッドは告げる。
 ヴェインを倒す事が出来なかった時、エンスを狙わぬように説得出来なかった時、行動理由が聞き出せなかった時、エンスはどうするつもりなのか聞きたかった。
「どうもしません」
 エンスは小さく笑って言った。
「ただ、次の手を考えるだけです」
「次の手、か……」
 ヴァリッドは呟く。
 エンスが生き延びる道が、他にあるだろうか。ヴァリッド達は『ザ・ワールド』のプレイヤーだ。放浪AIという、この世界で生まれた存在と違って、行動には数多くの制限がある。仕様、という名の制限が。
 プレイヤーであるヴァリッド達に出来るのは、戦う事と話す事だけだ。他に何が出来るのだろうか。
「……来たようですね」
 エンスの表情が真剣なものに変わる。
「それでは、宜しくお願いします」
 告げて、エンスはその場から姿を消した。
 エンスが移動するのを見終えてから、ヴァリッド達は部屋の入り口へと振り返った。
 マップデータの区切られた暗闇の奥から、人影が歩み出る。透き通るような白い肌に、翡翠色の軽装鎧を身に着けた女性、ヴェインだ。薄い絹の帯を優雅に揺らしながら、歩いて来る。
「ヴェイン……!」
 三人は一歩後退った。

 ――迷い、惑い、何を想う?

 ヴェインの言葉がログに流れる。歌うように流れる澄んだ声と共に。
 彼女は微笑んでいた。

 ――何を信じ、何を想い、その身を纏う?

 ――見せ掛けと、真意は絡み合い、互いを隠し、表現する。

 ヴェインが紡ぐ言葉が、ヴァリッド達の中に響いていく。
 その瞬間に理解出来なくとも、心の奥底を撫でられたような感覚が残る。表面に触れられたように感じても、波紋のように内側まで何かが響く。
「……お前は、一体、なんなんだ……!」
 ヴァリッドは、やっとの事でそう問いを投げていた。
 喉が詰まりそうだった。その場の全てがヴェインに支配されたかのように、空気が重い。だが、誰かが動かなければ何も進まない。ヴェイン以外の、誰かが動かなければ。
 ヴェインが、くすりと笑った。
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