ファイル7 「覚悟」


 息が詰まりそうな沈黙が流れる。
「何が、目的だ……?」
 次の言葉を発したのは、アーティだった。
「断片の回収……」
 ヴェインが、答えた。
 今までとは違う、反響するような声ではない。ヴァリッド達と同じように、ヴェインは喋っていた。そして、アーティの問いに答えを述べている。ヴァリッドやルーネだけでなく、問いかけたアーティ自身も驚いているようだった。
「断片……?」
「……散らばった、世界の揺りかごの欠片」
 眉根を寄せるヴァリッドの言葉が聞こえているのかいないのか、ヴェインは言葉を続けた。
「本来在るべき姿を忘れた揺りかごの断片を、私は集めている」
 ヴァリッド達には、何の事を言っているのか理解できなかった。
 世界の揺りかご、というのは比喩なのだろう。だが、だとすれば『本来あるべき姿を忘れた』というのはどういう意味なのだろうか。
「エンスは、それを持っている」
「だから、狙っているのか?」
 ヴァリッドは問う。
 エンスが、ヴェインの求める何かを持っているという事だけは察しがついた。
「全ての断片を集め、闇の中へ封印する」
「封印……?」
 ルーネが首を傾げる。
「それが、私の使命」
 ヴェインは静かに告げる。
「……じゃあ、エンスから断片さえ貰えればあいつは見逃してやれるのか?」
 ヴァリッドは問う。
 エンスが持つアイテムを集めているのなら、渡してしまえばいい。生き延びる事が目的のエンスなら、アイテムをヴェインに渡して終わりなはずだ。
「断片は、エンスのキャラクターデータと一体化している」
 ヴェインは言った。
 断片を回収する際には、エンスのキャラクターデータを破壊しなければならないのだ、と。エンスという放浪AIの命を奪わなければ、断片を回収する事は出来ないという事だ。
「話が見えないな」
 ヴァリッドは呟いた。
 断片という存在自体、ヴァリッド達には把握し切れない。本来あるべき姿というものが何を意味しているのか、断片を集めて封印する理由も説明がなされていないのだ。
「あなた達には関わりが無い」
 微かに笑みを浮かべ、素っ気無くヴェインが告げる。
「もう関わっちゃってるんだけど……」
 ルーネが苦笑する。
 ヴァリッド達にヴェインの求める『断片』との直接的な関係はない。ただ、エンスに頼まれて動いているだけだ。そこから放浪AIに関わりが出来たとも言えるが、ヴェインとの関係は薄い。
 まだ、ヴェインの側に着くかエンスの側に着くかはっきりと決めてもいないのだ。情報も少なく、接触も難しい状況では、接触して来たエンスの話を聞く以外に手はなかった。場合によってはヴェイン側に着く可能性も十分にある。
「私達に関わるのならば、危険が伴う……」
 笑みを湛えたまま、ヴェインは言う。
「危険? バグとか?」
 ルーネが問う。
 オンラインゲームで危険という単語を出されてもピンと来ない。そもそも、ゲームは安全なものだから。
「いいや、もっと恐ろしい事態になるかもしれない」
 どこか面白がるように、ヴェインは告げる。
「何を言って――!」
 ヴァリッドの言葉を遮るように、ヴェインは手にした槍斧の切っ先を持ち上げる。矛先をヴァリッドへ向け、ヴェインは口元に笑みを浮かべる。
「試して、見るか?」
 からかうような視線のヴェインに、ヴァリッドは背筋に寒気が走るのを感じた。ゲームのグラフィックとしか捉えられていないはずの、ヴェインの視線を確かに感じた。
 ヴェインは、槍斧を水平に一閃した。
 瞬間、ヴァリッドの意識が遠のいた。暗い闇の底へと吸い込まれるかのように、視界がディスプレイの奥へと引き寄せられるような感覚がヴァリッドを襲う。
 心臓が跳ねる。
 静寂、暗闇、孤独、感覚の喪失。遠のいてくあらゆる感覚に、ヴァリッドの本能が危険を告げる。
 痛みを、感じた。
「――ッ!」
 直後、ヴァリッドはFMDを顔から剥ぎ取り投げ捨てていた。
 乾いた音を立てて、FMDが床の上を転がる。
「……!」
 呼吸が震えている。
 全身から汗が一気に噴き出し、悪寒に肌が粟立つ。現実へと引き戻されると同時に、失われそうになった感覚の全てが戻って来ていた。
「何だよ、今の……!」
 喉が渇き、つい先ほど持ってきたペットボトルの飲料を煽った。
 両手を握り、開き、胸に手を当てる。極度の緊張から、心臓はいつもより早く脈動していた。同時に、今の現象が錯覚ではなかった事を認識する。
 床に転がったFMDを恐る恐る持ち上げる。フレームの表面に傷が付いたが、内部機器は無事らしい。
 顔に装着せずに覗いたディスプレイには尻餅をついたヴァリッドが表示されている。HPは残り一、SPもゼロになっていた。パーティメンバーとして表示されているアーティとルーネのステータスもヴァリッドと同じだった。瀕死の状態で、アーティは膝を着き、ルーネは仰向けに倒れている。
 皆、ヴァリッドと同じ体験をしたのだろうか。
「危険の意味を、理解したか?」
 ヴェインの声がFMDから漏れてきた。
 その時、ヴァリッドは理解した。面白がっているような口調に聞こえるが、実際はヴェインが達観しているだけなのだ。
 何故、ゲームであるはずのザ・ワールドでこんな現象が起きたのか、今の不気味な感覚は何だったのか、ヴァリッドの頭には無かった。ただ、ヴェインが意図的に引き起こしたものだという事だけを理解していた。
 視覚への刺激から脳に何らかの影響を与えたと見る事も出来るが、そんな事はどうでも良かった。ヴァリッドには、ヴェインという放浪AIの力で引き起こされたという事実が信じられない。ザ・ワールドにこれだけの力が眠っていたという事なのだろうか。デバッグチームが放浪AIを削除しようとする理由の本質が解った気がした。もっとも、デバッグチームがこの現象を把握しているかは判らないが。
「アーティ、ルーネ、無事か……?」
 意を決してFMDを装着し、ヴァリッドは呼び掛けた。
「な、なんとか……」
「い、今のは、何だ……!」
 ルーネとアーティの返事を聞き、ヴァリッドは安堵の息を漏らした。
 どうやら二人とも無事のようだ。もし、返事がなかったら、無事ではなかったらどうなっていたのか、ヴァリッドには想像がつかない。
 意識を失っていたのか、それとも命を落としていたのか。
 考え、ヴァリッドはリアルで身震いしていた。
 危険だ。
 ヴェインの言葉が理解できた。ヴェインには、PCではなく、プレイヤーに直接影響を与える力がある。もし、ヴェインが本気だったなら、ヴァリッド達はどうなっていたか判らない。
「これでもまだ、関わるか?」
 ヴェインが問う。
 ゲームという枠を逸脱し、現実のプレイヤーにも影響を与えられるヴェインと関わるのは、危険だ。何が起きるか判らない。PCデータの破損ならまだ良い方だ。リアルで再起不能になる可能性もあるかもしれないのだから。
「なぁ、エンスにもお前と同じ力があるのか?」
 ヴァリッドは問いを返した。
 返答を考える前に、聞いておきたかった。
 放浪AIには全てヴェインと同じ力があるのだろうか。ヴェインが追っているエンスはどうなのか。
「ある。私と全く同じではないが、少なからずエンスと関わる事にも危険が伴う」
「放浪AIは、皆そうなのか?」
 疑問を口にするヴァリッドに、ヴェインは首を横に振った。
「危険なのは、断片を持つ者だけだ。今は、私とエンスのみ」
「つまり、他の断片はもう回収したって事?」
 ヴァリッドより前に、ルーネが問いを発していた。
「そうだ。残るは、エンスの断片のみ」
 ヴェインが答える。
「なら、お前はエンスの断片を得たらどうするつもりだ?」
 今度はアーティが尋ねていた。
 残る断片がエンスの持つ一つだけとなれば、それを得た後ヴェインはどうするつもりなのだろうか。彼女は、断片を全て集めた後、それを闇に封印すると言っていた。
「全てを闇の中へと葬る。無論、私ごと」
 ヴェインは告げる。
 断片を持つ自分自身ごと、全てを消し去ると。
「何故?」
 アーティは問う。
 ヴェインは、自ら命を絶つと告げた。そこまでする理由は何だというのだろう。エンスは生きたいと願っているというのに、ヴェインは全く逆の事をしようとしているのだ。断片と共に死ぬ事が目的だ、と。
 放浪AIはザ・ワールドの中でしか生きられないというのに。
「それが、神が与えた私の使命」
 ヴェインは言い切った。
 放浪AIとしてヴェインを生み出した存在が、彼女に与えた目的だ、と。ヴェインは断片を集め、消し去るために生み出されたのだ。
「神……」
 ヴァリッドは小さく呟いた。
 この世界には神が存在する。
 ワイズマンはヴァリッド達にそう話した。同時に、この世界の神はAIだ、とも。
 もしも、ヴェインの言う神がワイズマンが話したものと同一の存在ならば、AIがAIを造り出したという事になる。彼女が断片と呼ぶデータを回収し、消去するために。
「他に聞きたい事はあるか?」
 ヴェインが問う。
 彼女の目的は断片というデータの回収と消去だ。エンスを追う理由は、断片データがエンスという放浪AIのキャラクターデータと一体化しているという事であり、ヴェインはそのデータの回収を目的としている。集めたデータはヴェインが自ら死を選ぶ事で全て抹消すると言った。
 断片はザ・ワールドにおいては危険なもの。リアルのプレイヤーに影響を与える事の可能な力を持つ、仕様外の力だ。
 そして、ヴェインは神に断片を集めるという使命を与えられた。
 聞き出したかった情報は全て聞き出した。
「いや、もうない」
 ヴァリッドは首を横に振った。
「そうか」
 ヴェインは小さく頷いた。
 放浪AIやザ・ワールドの神について尋ねても明確な答えは返ってこないだろう。エンスもヴェインも、自分自身の行動目的や理由以外の情報はほとんど持っていないはずだ。
「お前達は、まだ私達に関わるつもりか?」
 ヴェインは問う。
 危険性を知ってなお、ヴェインとエンスと関わろうとするのか。ヴァリッド達の意思を尋ねている。
「まだ、判断できないな」
 ヴァリッドは溜め息をついた。
 確かに、ヴァリッド達は危険な力の片鱗を垣間見た。だが、その危険性がどの程度にまで及ぶのかは判然としていない。意識を失うだけなのか、命を落とすのか。意識を失うにしても、一時的なものなのか、そうでないのかも判らない。
 リアルへの影響が判然としないのだ。先ほどの攻撃も、結局のところヴァリッド達は無事だった。ヴェインの脅しに過ぎないという見方ができない訳ではないのだ。
「もし、関わろうとするのなら……」
 ヴェインが言葉を紡ぐ。
「次に会う時に、問いへの答えを聞かせてもらおう」
 それだけ告げて、ヴェインは姿を消した。
「問い……?」
 アーティが怪訝そうに呟く。
 ――あなたの意志は、意思?
 ――それとも、ただの理想?
 ――迷い、惑い、何を想う?
 ――何を信じ、何を想い、その身を纏う?
 彼女が投げ掛けた問い。
 もしもまだヴェインとエンスに関わるのなら、次に会う時に答えを聞かせろと、彼女は言った。
「答え、か……」
 ヴァリッドは溜め息をついた。
 それを聞いてどうするのか、考えても仕方がない。ヴェイン本人に聞く以外に真意を知る術はない。彼女が問いへの答えを求めると知っていたなら、ヴァリッドは真意を問い質していただろう。
「これから、どうしよっか?」
 小さく、ルーネが呟いた。
「とりあえず、今日は解散だろうな」
 ヴァリッドは息を吐いて告げた。
「二日後、結論を出そう」
 ヴァリッドの言葉に、アーティとルーネが小さく頷いた。
 今、この場でヴェインとエンスの二人に関わっていくかどうか結論を出すのは難しい。話し合うことは可能だが、結論が出るか怪しいものだ。情報の把握と整理、自分自身の考えなどを纏める時間は必要だ。無論、ヴァリッドの意思を押し付けることはできない。もっとも、ヴァリッド自身もはっきりとした結論は出ていないのだが。
 三人はもう一度頷き合い、ほぼ同時にログアウトした。ダンジョンからフィールド、フィールドからタウンへと移動し、ログアウトのコマンドを選ぶ。
 一言も言葉を交わさず、ヴァリッド達はザ・ワールドを後にした。

 *

 FMDを外して、由宇は大きく息をついた。
 手元に置いたペットボトルを掴み、残りを飲み干す。
「明日、土曜日か……」
 今日の日付を思い起こして、由宇は呟いた。
 二日後は日曜日だ。学校がある平日よりは都合が良い。休日ならば一日中ログインしていられる。
「危険、か……」
 どこまで危険なのだろうか。
 リアルのプレイヤー達のことをヴェイン達はどれだけ知っているのだろう。彼女達の力がリアルの人間にどのような影響を及ぼすのか、どれだけの影響が出せるものなのか、把握しているのだろうか。
 聞けなかった。
 尋ねることはできたはずなのに、問うことができなかった。
 答えを聞くのが怖かった。恐ろしい答えが返ってきたかもしれない。そう考えると、問うことが躊躇われた。聞かなくても不安は残っているのだ。だが、聞いたとして、その返答が恐ろしいものであった時は尋ねたことを後悔していただろう。
 聞かなければ良かった、と。
 怖くないと言えば嘘になる。
 ヴァーチャルな世界では起こりえないはずの現象が起きた。自分の体の感覚が無くなっていくのが、意識が遠のいていくのが、実感として残っている。また同じような体験をしたいとは決して思わない。むしろ、二度としたくはない。
「俺は、どうしたい……?」
 由宇はベッドに背中から倒れ込んだ。
 仰向けのまま天井を見つめる。
 これ以上関わるのは危険だ。それは十分に実感している。
「あいつら、何で俺を……?」
 何故、由宇だったのだろうか。
 もしかしたら、他にも似たような経験をしている者がいるのかもしれない。ヴァリッド、アーティ、ルーネの三人が選ばれたのは、単にタイミングが早かったからなのかもしれない。掲示板へのエンスの書き込みにすぐさま反応したのがこの三人だった可能性はある。エンスの書き込みを確認して直ぐに指定されたエリアへと向かったのだ。他にエンスやヴァリッドを見た者がいたとして、その者達がエリアへ向かった時にはヴァリッド達がエンスと言葉を交わした後だった可能性がある。
「答え、か……」
 ヴェインによって投げ掛けられた四つの問い。
 問い自体も難解だ。
 それでも、関わるのであれば答えを出さなければならない。
「俺は、関わりたいのか?」
 口に出さず、思う。
 問いへの答えを考えるということは、またヴェインの前に立つという意思があるのと同義だ。まだ関わるのなら問いへの答えを聞かせろと言ったのはヴェインなのだから。
 だが、由宇には家族がいる。危険だと判っていることを避けた方がいいのは当然だ。自分自身の生活を壊す危険を冒してまでゲームをすることはない。
 由宇はベッドから起き上がると、部屋を出た。階段を下りてリビングに下りると、玄関へと向かう。
「ちょっと出て来る」
 リビングにいた母にそれだけ告げて、由宇は家を出た。
 近くの自動販売機で缶ジュースを購入し、道を歩く。川原へと出て、土手の斜面をゆっくりと下りた。斜面の中ほどに腰を下ろして缶ジュースを開けた。
 口を付けて一気に煽ってから息をつく。
 日が半分以上沈んでいる。朱色に染まる空から川に視線を落とす。
 流れていく川の流れに逆らうように、風が吹いた。
「崎谷、君……?」
 土手の上へと振り返ると、雪が立っていた。
「藍川……」
 ゆっくりと、由宇は立ち上がった。
「こんな時間に、どうしたの?」
「藍川こそ」
「私は、散歩かな……」
 由宇の言葉に、雪は曖昧な笑みを浮かべた。
「俺も似たようなもんかな」
 由宇も曖昧に笑って、川へと視線を向けた。
「色々あって、頭の中が整理できなくて……」
「色々?」
 雪の言葉に、由宇は自分の現状を重ねていた。由宇も、状況が整理できないでいる。だから、頭を冷やし、落ち着かせるために川原で景色を眺めながら一息ついていた。
「聞きたい?」
「嫌なら無理に聞こうとは思わないけど……」
「珍しいね」
 雪が小さく笑った。由宇は眉根を寄せて雪を振り返った。
「崎谷君が他の人の事聞きたいなんて」
 由宇は返す言葉が無かった。
 いつもなら、もっと違う言い方をしていた。それこそ、興味がないという意思を前面に押し出すような言葉を使っていた。無理に聞こうとは思わない、ということは、聞けるなら聞きたいと言っているのと同じだ。
「……俺も、色々あったから」
 由宇は川に視線を戻して呟いた。
「ねぇ、崎谷君は、バーチャルから現実の人間に影響を出すことってできると思う?」
 思わず、由宇は雪へ振り返っていた。
 その問いは、由宇にとって他人事ではなかった。由宇は、現実には考えられないような体験をしたのだ。インターネットのプログラムデータでしかないはずの放浪AI、ヴェインの攻撃を受けて現実の身体感覚が消えそうになった。
 もし、雪も由宇と同じ体験をしたというのであれば、パーティを組んでいたプレイヤーの一人は彼女ということになる。
「私、ザ・ワールドなら自分の思う通りに動けた」
 雪が呟く。
 普段は出せない本音を、インターネット上でなら出せるというのは珍しい話ではない。
 顔も見えず、個人を特定できないが故に、周りの視線を気にせずに言いたいことが言える。インターネット上では自分を偽ることが十分に可能だ。現実で本音が出せない者が、インターネット上で本音を出すというのはある意味では偽りだ。当然ながら、逆は言葉そのまま偽りだが。
 どちらを偽りと見るかは、人によって違う。
「だから、そのためにレベルも上げた……」
 自分の思う通りに動くために、行動できるだけの力を得ようとしたのだろう。
「けど、強くなっても、何もできなかった」
 雪の言葉に、由宇は共感していた。
 由宇はザ・ワールドの中ではトップクラスのレベルを誇るプレイヤーになっている。だが、それでもヴェインの攻撃に対して何もできなかった。現実のプレイヤーにすら影響を及ぼす力を防ぐ術はなかった。
「あの時も、凄く、怖かった」
 由宇の推測は確信に変わっていた。
 雪は、ヴェインと対峙したプレイヤーの一人だ。
「アーティ……?」
「え?」
 雪の目が見開かれる。
「俺も、同じだ」
 何か言おうとした雪よりも先に、由宇は言葉を紡いでいた。
「結局、俺は人に関わりたかったのかもしれない」
 心の奥底では、他者に関わりたいと望みながら、踏み込んで行くのが怖かった。相手の深い場所に踏み込んで、自分の深い場所に踏み込まれるのを、恐れていたのだ。
「傭兵なんてやってたのも、色んな人に会えるからだったのかもな」
 小さく呟く。
 依頼を受けて動き、報酬を貰う。単純だが、ただプレイしているよりも他のプレイヤーと出会う機会は多くなる。知名度が上がれば依頼者は増え、常連客も出るだろう。
 だが、傭兵は深い付き合いをしない。せいぜい、広く浅くと言ったところだ。報酬を受け取ってそれまでの関係に過ぎない。常連客が現れて、深い付き合いをするようになるには時間がかかる。
 結局、由宇はリアルでもネットでも本質的な部分は変わらない。
「俺だって、覚悟なんて決まってないんだ」
 由宇には踏み込む覚悟がない。
 それがたとえ放浪AIであっても、他者の深い部分に踏み込んでいく覚悟がなかったのだ。他者の心の深いところを見て、自分自身の本音の全てを曝け出すのが怖い。今まで築き上げたものが壊れてしまうのではないかとすら思えてしまって。
「ヴァリッド、なの……?」
 由宇は肯定も否定もせず、雪を見つめた。
 雪はアーティとしてザ・ワールドにログインしていると見て間違いない。アーティのレベルがぐっと上昇した時に、雪は寝不足で体調不良になっていた。
 そして、先程の言葉。ヴェインと出会っているのではないかと、由宇にも思えたのだ。現実のプレイヤーに影響を出すバーチャルなど、ヴェイン以外に考えられなかった。
「ヴァリッド、なんだ?」
 由宇はゆっくりと頷いた。
「なんか、印象が全然違う」
 雪が小さく笑った。
「そっちこそ」
 苦笑して、由宇は言葉を返した。
 アーティと雪は全く逆の性格にも思える。積極的に自ら動き、力不足だと感じれば己を鍛えようとする。消極的、というわけではないが、雪には積極性が欠けている感があった。ただ、根底では同じなのだとも思う。
 アーティである雪は少なからず彼女の中にはあったのだ。そうでなければ、アーティというPCは誕生しなかった。
 ヴァリッドは、どうだろうか。
 由宇の中にヴァリッドである部分があっただろうか。それとも、由宇はヴァリッドと同じだったのだろうか。
「……関わるかどうか、迷っててさ」
 小さく息をついて、由宇は呟いた。
「……私もそう」
 言葉が途切れる。
 あと数分で日が完全に沈みそうだ。そろそろ家に帰らなければならない。
「でも、どこか似てる」
「似てる?」
「崎谷君と、ヴァリッド」
「そりゃあそうだろ。どっちも俺なんだから」
 言って、二人は軽く笑い合った。
「不思議ね。リアルでの知り合いとザ・ワールドやってたなんて……」
 雪が呟いた。
 最初から示し合わせていなければ、リアルの知人とオンラインゲームを一緒にやることはほとんどないのではないだろうか。ゲーム内で知り合った人が偶然身近な人だったというのはむしろ珍しい。
「でも、何だか納得できるの」
 雪の言葉に、由宇は首を傾げる。
「崎谷君なら話し易いと思ってたのは、ヴァリッドだったからなんじゃないかって……」
「かもな」
 由宇は僅かに微笑んだ。
 ヴァリッドとアーティとして知り合っていたから、無意識のうちに近い雰囲気を感じ取っていたのかもしれない。普段あまり話さないとしても、ザ・ワールドの中で互いの一面を知っていたのだから。
 自覚しないまま互いに接点を持っていたから、リアルでも自然に会話ができたのかもしれない。
「……ねぇ、これからどうするの?」
 ヴェインやエンスとのことだろう。
「碧衣の騎士団に任せてもいいんだよな……」
 由宇は呟いた。
 デバッグチームに任せるという選択も可能だ。ヴァリッド達の手に負えない、と伝えればいいだけなのだから。
「でも、関わって欲しくないなら、あんなことしないよね……?」
 雪の言葉に、由宇ははっとした。
 エンスはともかく、ヴェインは由宇達を相手にする理由がない。エンスが逃げたのなら、由宇達の前に現れる必要はないのだ。逃げたエンスを追って、その場から移動した方が手っ取り早い。危険性を伝えることも、問いの答えを求めることも、する必要性はなかったのだ。
 ヴァリッド達が邪魔なら、パーティを全滅させてタウンに強制転送させた方が早い。ザ・ワールドの中の存在だからPKを避けたのかもしれないが、ヴァリッド達の言葉に耳を貸す必要はなかったはずだ。放浪AIではないヴァリッド達にはエンスと違って行動の制約が多い。ヴェインがその気になればヴァリッド達に気付かれずに動くこともできるはずなのだ。
 エンスを追うことだけを考えているのなら、エンスだけを追っていればいい。たとえ、エンスが協力を求めたPCだとしても、放浪AIであるヴェインは無視して動くことが十分に可能なはずだった。
 だが、ヴェインはヴァリッド達と言葉を交わし、危険性を伝え、問いへの答えを求めた。
 それは、関わって欲しくない、という意図には反しているのではないだろうか。関心の反対は、無関心だ。
「藍川はどうする?」
「もうちょっと考えたい、かな……」
 由宇の問いに、雪は少し俯いた。恐怖という感情はそう簡単に乗り越えられるものではない。
「俺は、決まりそうだよ」
 由宇は静かに、だがはっきりと告げた。
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