プロローグ




 ボクには好きな女の子がいます。
 その子は凄く優しいです。
 パチクリとした二重瞼の、クリクリ大きな瞳が可愛らしいです。
 鼻筋はスッ、と通って、全体的に小作りな顔立ちは凄く整っています。
 髪の毛だってサラサラで、ふわりと風に揺られると、光に反射してツルツルと綺麗に輝きます。
 小さな口は、唇がプックリとして、凄く蠱惑的です。
 容姿だけじゃなくて、何でもできる凄い子なんです。
 勉強だってボクが追いつくはずも無いほどです。
 小学校の頃からずっとクラス委員長で、率先して行事に参加し、なんでも仕切れるリーダーシップに溢れた子です。
 明るくて素直で、いつも皆から慕われています。
 家庭科の調理実習なんかでも、誰よりも美味しい料理を作って、みんなから羨ましがられています。
 そんな、何もとりえが無いようなボクとは全然つりあわない様な女の子ですが、ボクはずっと憧れていました。
 いつの日か、お近づきになりたいなんて都合の良い事を考えていました。
 でも。
 でもね。
 神様。
 いくらボクが駄目な人間で、彼女とは天と地ほどの差があるからって……。
 こんな仕打ちは酷すぎます神様。
 神様、僕、何かしましたか――?



 中村 聖杜(なかむら まさと)の心臓は、今にも破裂しそうな位に激しく動悸し、頭の中は夢見心地でまるで現実感が無いほどに舞い上がっていた。足元もおぼつかなく、フラフラと廊下を彷徨うように、目的地の体育館裏まで歩く。
 今日は中学校の卒業式。しかし式は既に終えている。クラスで最後のホームルームも終え、後は仲間と最後の別れを惜しみ、学校の思い出に涙したりする時間だ。
 しかし聖杜には、もっと重要な用事があった。
 片思いの少女から、紙切れ一枚の手紙を貰ったのだ。
 「ホームルームが終わったら、体育館裏に来てください」――と、書かれてあった。
 舞い上がるのも当然。ましてや、様々な妄想を抱きながら、常日頃のストレスを解消しようとする夢見がちな思春期の少年である。期待するな、と言うほうが無理だ。
 少女の名前は大幡 由梨花(おおはた ゆりか)。聖杜とは小学校が同じで、隣のクラスであった。少子化の影響か、一学年に2クラスしかなかったので、合同での調理実習とか体育とか、学校行事でも一緒になる機会がたくさんあった。その中で、一際、容姿が恵まれていた由梨花は学年のアイドルだった。可愛いだけではなく、勉強もスポーツもできて、誰からも慕われる優しい性格で、リーダーシップも備えた彼女は、すぐに聖杜の憧れになったのだ。
 ただし、昔から背が低くて地味で勉強もできなかった聖杜が、クラスも違う由梨花の気を引けるはずもなく。6年の長きを、ただ手を拱いて見ているだけの時間としてしまったのである。
 だから、聖杜としては同じ公立の中学に由梨花が進学したことが嬉しかった。彼女の成績はダントツだったのである。なので私立へ進むものと思っていたのだ。そうなれば由梨花の姿を目にする機会すらなくなって、この淡い想いも消えてしまうのだろうと考えていたからである。
 あとから聞いた話ではあるが、由梨花は母子家庭なので経済的な理由から私立への進学を見送ったらしい。
 そうとは知らない聖杜。またクラスは違ったが、同じ学校に好きな子がいる、というは何とも嬉し恥ずかしい気分だったのである。
 更に2学年時のクラス替えで、念願の同じ教室内で授業を受ける権利を得た聖杜は舞い上がった。ただし、その直後に突きつけられた現実は、非常に辛いものであったのだ。
 由梨花は誰にでも優しい。当然、聖杜にも。彼は自分が、その他大勢の一人であることを自覚せざるを得ない状況に置かれた。しかも由梨花の競争率の激しさは群を抜いている。学校内の男子全員が彼女を狙っている、といっても過言ではない。その中で何の取り得も無い聖杜が、どうやって由梨花の気を引くことなどできようか。
 聖杜は人見知りするタイプだ。それは恋において大きなハンディキャップである。明るい由梨花を眩しいと羨みながら、自分は日陰から出る勇気が無い。どう考えても、聖杜はクラスメイトの一人であり、それ以上にはなれなかった。
 ただ、日頃の努力が実ったのか、ある事をきっかけに由梨花と会話をする機会があった。
 それが余りにも唐突だったので、聖杜は気が動転して上手く喋れなかったのだが、とにかくそのお陰で仲良くなったのは事実だ。とは言っても日常で少し会話を交わすことができるくらいになった、という程度。好感度はそんなに高くはなっていないのかも知れなかった。むしろ気を使わせているようで、余計に気分が沈んでいたかもしれない。(そのせいで父親には物凄い八つ当たりをした)
 とにかく、どうにも恋愛には発展しそうに無いと思える状況のまま、今日。卒業と言う日を迎えてしまったのである。
 しかしこの日。前夜の暗く沈んだ気分もどこへやら。聖杜は人生で始めて、神様に感謝したのである。
 理由はさっき述べた通り。
 手の中にある、大幡 由梨花直筆の綺麗な字と、その文である。
(よかった……!)
 聖杜は顔を紅潮させて興奮しているのだ。
(神サマはボクを見捨ててはいなかったんだっ――!)
 と、地に足着かぬ浮かれ気分で歩いては、フラフラと通行人に当たって怒られる。
 その繰り返しであった。
 彼の頭の中では、すでに事態は薔薇色だ。
 悪い予感なんて完全に消し飛んでいる。それくらい、聖杜は舞い上がっていた。
(待っててねボクの新生活! 辛く苦悩に満ちた昨日までよ、さようなら! そして初めまして、明るい未来に満ち満ちた貴女との日々よ!)
 ルルーラールー、と訳の分からない鼻歌を口ずさみながら、聖杜は体育館裏に到着したのである。
 由梨花はすでにそこにいた。
 体育館の壁に背を凭れかけ。上履きのまま、手入れの行き届いていない、雑草が所々に生えた粗悪な地面を踏みしめている。視線を下に向け、鞄を前に両手で持った姿勢。
 その端正な横顔に、聖杜はすぐに動けなくなった。
「わ、わぁ……っ」
 口から漏れたのは、感嘆の吐息。
 まだ日は高い。3月中旬の柔らかな日差しが緩やかに少女を照らし、彼女の白い肌、美しい髪の毛を綺麗に彩っている。
 神々しいとすら、感じてしまう。通学用のモコモコしたコートに紺の制服は地味なものだが、それですら輝いて見える。
 はあっ、と白い息が由梨花の小さな口から漏れ、肌寒さに白く色づいた吐息が拡散する。
(絵画に見える……)
 その画は聖杜の目に、芸術とすら映った。
(き、綺麗だなぁ)
 聖杜は素直にそう感じたのだ。
「っくしゅん!」
 由梨花がくしゃみをした。
 その可愛らしい仕草を見て、聖杜はハッ、と現実に戻った。
(ぼ、ボクが待たせてるんだ!)
 思わず顔を朱に染めてしまう。
 そして思い切って足を踏み出し、
「お、大幡さん!」
 声をかけた。
「あ、中村くん」
 由梨花が振り向き、そっ、と顔を綻ばせる。
 この仕草1つで、聖杜の心拍数は跳ね上がってしまうのだ。
(か、カワイイ!)
 聖杜がそんな邪な感情を抱いているとは知らず、由梨花はニコリと笑顔を浮かべてくれた。
「ごめんね。急にこんなところに呼び出しちゃって」
「う、ううん。俺は大丈夫だよ」
 浮かれ気味な興奮から一転、今度は緊張が聖杜を襲う。ガチガチの状態になりながら、それでも言わねばならないことを精一杯、探し出した。
「俺のほうこそ、あの、ごめんね。こんなに寒いのに、その、待たせちゃって」
「大丈夫だよ、ここは日向だもん。あったかかったよ」
(ふ、ふわぁ、優しいなぁ)
 聖杜は気付いていなかったが、彼は右手と右足を同時に出しながら進んでいた。そんなベタなボケをかましながらも、ギコギコと機械仕掛けになったかのような硬い動きで由梨花のもとへと歩み寄る。
(うわわわわぁっ、い、良い匂い!)
 近づいてから、ふわり、と香る由梨花の匂いに、さらに緊張してしまった。
 いつも以上に意識して、いつも以上に緊張する。
 もう視線は、由梨花の表情に釘付けだった。
「ね、中村くん……」
 空気が変わった。由梨花の声が恥じらいの響きを帯びる。それと同時に、顔色に赤みがさしたように見えたのは、聖杜の気のせいではないはず。
 いよいよ本題だ、と聖杜は生唾を飲んだ。
 トン。トン。トン。
 心臓の鼓動は早鐘のようだ。
「あの、お父さんから、聞いてるかな?」
 由梨花は窺うように尋ねてきた。
「う、うん……」
 聖杜は正直、聴こえていなかったのだ。由梨花が何と言ったかを。
 だから由梨花が、ほっ、と顔を綻ばせて、
「良かったぁ。ね、中村くん。これから、お兄ちゃん、って呼んでいい?」
 と聞いてきた時、何の意味か分からなかったのである。
「え、えっと……う、うん。――って、え?」
 オニイチャン?
「え? な、なにが?」
 思わず聖杜がそう聞き返してしまう。
「だめ、かな?」
 由梨花が目尻を下げていた。上目遣いに悲しげな表情をされて、聖杜は反射的に疑問そっちのけで頷いてしまう。
「いや、だ、大丈夫! 全然オッケーよ!」
 鼻息が荒い。
 由梨花がパァッ、と微笑んだ。
 その笑顔を見て、か、かわいい! と思ったが、その脳みそは依然として事態を把握していない。
(な、なに? お兄ちゃん? どういうこと?)
 聖杜の顔には困惑の色が濃い。
 だがそんな事は由梨花には関係ない。
 彼女は眩いばかりの笑顔を浮かべ、
「良かったぁ。私、ずっとお兄ちゃんって呼べる人が欲しかったんだ」
 と聖杜を見上げてくる。状況が飲み込めていない聖杜の方は、そ、そうなんだ、と頷くことしかできなかった。
 えへへへ、と嬉しそうに由梨花が笑う。そのまま一歩か二歩、彼女は後ろに下がった。そして改めて聖杜の瞳を見返すと、勢いよく頭を下げる。
「不束者ですが、親子ともどもよろしくお願いします」
「え、えっと、うん……」
 由梨花は顔を上げると、とびっきりの笑顔で、
「これからよろしくね、お兄ちゃん!」
 と、言った。

 それから数日後。中村 正孝と大幡 美和の入籍届けが市役所に正式に受理されて。
 大幡 美和は姓を中村へと変更し。
 晴れて由梨花は中村の苗字となり。
 聖杜は彼女と、義兄妹になったのだった。



 憧れの彼女はボクと同じ家で暮らしています。
 部屋だってすぐ隣で、耳を澄ませば彼女の息遣いすら聴こえてくるんじゃないかって、毎夜ドギマギです。
 僕とも打ち解けて、手料理を振舞ってくれたり、お風呂上りのホカホカな身体で擦り寄ってきたりと、ドキドキの連続です。
 そんな風に毎日が甘酸っぱい日々を過ごしています。
 でも。
 でもね、神様。
 ボクは彼女と兄妹なんですよ。
 ボクは彼女に恋してるのに。
 ボクに向けられるあの無邪気な笑顔は凄く純粋で。
 どれだけボクが苦しんでいると思ってるんですか。
 こんな状況って……。
 そう、こんなのって……!
 こんなのって……こんなのって、ないよぉー!
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