序章 「期待と不安」


 誰もがその一言に注目した。
「――俺は反対です」
 両手を机について席から立ち上がり、真っ直ぐに視線を一点へと向ける青年がそこにいた。アッシュブロンドの髪に、同系色の、薄い水色の瞳の、端整な顔立ちの青年。いや、少年とも取れる、狭間の年齢だろう。
 彼が見据える先にいるのは、一人の男。長い机の端、『長』とでも言うべき立場の者が納まるべき場所に座る男に対し、彼はその視線を真っ直ぐに見据える。
 その男は、その場の誰よりも威厳を持っていた。身体は大きく、体格は今でも鍛えているのだろうと思わせるほどに筋肉質で引き締まっている。邪魔にならないような短さの銀色の髪の下には、何ものにも動じないであろう堂々とした、瞳。その男には顔だけでなく、衣服の隙間から見える肌には無数の傷があった。
 そして、何よりも違うのは、その男の身体が淡い光を発している事だ。その虹彩は黄金の燐光を放ち、その場を見つめている。
「彼は下手に刺激すべきではありません」
 威厳のある男に、青年は物怖じせずに告げる。
「このままでは彼は敵に回ります!」
「……いや、奴は敵だ」
 男はゆっくり、告げた。適度に低く、それでいて澄んだ、耳に心地良いくらいの声だ。
「彼はまだ中立を保っています。危険だからと言って、排除するのはこちらに被害が出るだけです」
「……そうか、お前は知らないのだな…」
 青年が返す言葉に、男は苦笑し、答えた。
「奴の両親が、私にこの傷を付けたのだ」
 誰もがその言葉に黙り込む。
 それはアッシュブロンドの青年も同じだった。
「私を瀕死にまで追い込んだあの二人の子供だ。それを知れば奴は必ず敵となる」
 青年に対して、という口調ではなく、過去を回想するような、それでいて自分の推測を口にしているかのようなものだった。そして、その言葉には嘘や偽りといったものは全く含まれておらず、確信に近い感情があった。
「ですが、これは余りにも……!」
 それでも食い下がろうとする青年に、男は再度苦笑を浮かべる。
「やり過ぎなのだろうという事は解っているつもりだ」
「なら、何故ですか……?」
「……私は怖れているのだろうな、あの二人の力を両方共受け継いだ、奴を」
 青年の言葉に、男は目を閉じて答えた。
「だからこそ度々攻撃を仕掛けさせたが、やはり、奴はあの二人の子なのだな。全て退けて、今も生きている」
 瞑想するように、溜め息とともに男が呟く。
「だが、先に皆には伝えて置く」
 目を開いた時、周囲の空気が一変した。それまでの意見の出し合いだった部屋の空気は、緊張感に包まれ、誰もが男の言葉を待った。
「我々が裏で動くのは、恐らく、これで最後になるだろう」
 その言葉に誰もが息を呑んだ。それはその場にいる者達だけでなく、彼等の組織に属する全ての者達の望みでもあるのだ。組織が大きく動き、彼等全ての望みを叶えるべき行動を起こす事を示唆している。
「もし、今回の事が失敗に終わった場合、奴は全力で叩く事となる。無論、他の障害となっている者達も同様だ」
 そして、男は座席の一角を見る。
 そこにいるのは、一人の日本人女性だ。ウェーブのかかった、肩ほどまでの長さの茶髪に、日本人としては美人の部類に入るだろう、目鼻立ちの女性だった。
「これが奴を引き込む最後のチャンスになるだろう。第二特殊特務部隊長、ハラヤマ・カツミ、任せるぞ」
「はい、アグニア様の御期待に副えるよう、努力します」
 カツミと呼ばれた女性は、自信に満ちた微笑で、男、アグニア・ディアローゼに応じた。
(……本当に、大丈夫なのだろうか…)
 アッシュブロンドの青年、ダスク・グラヴェイトだけが、その中で一人だけ胸に不安を覚えていた。だが、それを口にする事は、彼には出来なかった。何故なら、彼は組織の事を案じているだけではなかったのだから。
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