序章 「不安の予兆」


 男は椅子に座った状態で部屋の窓から外を眺めていた。
 僅かに細められたその眼差しには仄かな悲哀と怒りの感情が揺れている。
「馬鹿野郎……」
 ぽつりと漏れた言葉が、部屋の中に空しく響く。
 ユニオンという国が滅んで十数日、世界は平和を勝ち取ったということになっている。かつて世界を救ったはずの英雄を悪とし、一方的に攻撃を仕掛けておいて、何が平和なのか。
 かつての英雄たちは、恐らく自ら命を絶ったのだろう。
 そうでなければ、今頃世界は彼らに滅ぼされていたに違いない。彼らは、自分たちが悪と認識されようともこの世界を守る道を選んだだけだ。
 それが一番だと思ったのだ。
「何故、こんな世界を選んだ……!」
 苛立ちと共に握りしめた拳を机に叩きつける。
 残された者や、残されたこの世界が向かう先のことを考えはしなかったのだろうか。
 この世界は、あの戦争が起こる前に戻りたがっているのかもしれない。いや、この世界ではなく、精確には、この世界を動かす者たちが。
 溜め息をつく。
 窓から視線を外した直後、向かいのドアをノックする音が聞こえた。
「……急に呼び出すなんてどうしたんだ?」
 部屋に入ってきたのは、一人の青年だった。
 男と同じアッシュブロンドの髪には、茶色のメッシュが入っている。冷静さが垣間見える大人びた端正な顔立ちに、程よく引き締まった体をラフな服装で包んだ青年だ。
「ああ、頼みたいことができた」
「急ぎの用?」
 男の言葉に、青年は探りを入れるかのように問いを返した。
「でなければわざわざお前を呼び出したりはしないさ」
 僅かに苦笑を浮かべて、男は答えた。
「それで、用件は?」
 青年の冷静な言葉に、男は一つ頷くと口を開いた。
「人を探してここまで連れて来て欲しい」
「そんなことを、俺が?」
 青年がかすかに眉根を寄せる。
 わざわざ青年に頼むことではないとでも言いたげだ。実際、男の立場なら他に手足となって動いてくれる人材は多い。何故、そういった者たちではなく青年なのか。
「表立っては手を回せなかったからな……間接的にとはいえ少々強引にやり過ぎた。警戒されるわけにはいかなくてな」
 男が険しい表情で呟いた。
 そうとは悟られぬよう、かなりの回り道をして関わったはずの事象が、それでも警戒されかねないほど重要なものだったのだ。これ以上下手に組織を動かせば感づかれてしまう。
「珍しいね、そんな危ない橋を渡るなんて……」
「急な事態だったからな、完璧な準備をする時間がなかった」
 驚いたような青年に、男はどこか悔しそうに告げた。
「そうじゃなくて、それほど重要なことだったの?」
 青年の言葉に、男は静かに頷いた。
「まぁな……」
 男が目を細める。
「それで、探して来て欲しい人って言うのは?」
「ああ、そのことだが……もし何も問題が起きないようであれば、必ずしも連れてくる必要はない」
 男の返答に、青年はまたしてもわずかに眉根を寄せた。
「どういうこと?」
「彼らが望むか、状況次第ということだ」
「傍らで様子を見ろってこと?」
「そうだ。何かあればこちらからも連絡する」
 青年の疑問に答えながら、男は手帳サイズの携帯端末を取り出した。
 椅子から立ち上がり、青年へと端末を差し出す。
「彼らのことや一応の手はずについてはこれに記してある」
「解った。やれるだけやってみるよ」
 端末を受け取り、青年は薄く笑みを見せた。
 携帯端末を片手に、青年が踵を返して部屋を出て行く。
「……頼むぞ、ライズ」
 ドアが閉まり、一人となった部屋で、男は彼の名を呟いた。
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