――其の六 Dualize――


 まず、衝撃を感じた。そして、急速に熱が冷めていくような感覚と共に、漣は目を覚ました。
「――!」
 目を開けた瞬間、漣は周囲の有様に目を疑った。
 視界に入ってくるのは建築素材の破片ばかりで、漣の部屋とは思えない状態になっている。瓦礫の中に埋もれるようにして、漣は目を覚ましたのだ。
「な、何が……!」
 そう呟いて、声が出る事に驚く。
「俺、死んでない……?」
 身体を動かそうとして、しっかりと反応が返ってくるのを感じた。
 何も問題ない、五体満足な状態で、漣は生きている。
(……夢、じゃない……よな)
 漣は右手で首をさすった。しっかりと右腕もあるし、首もくっついている。身体をバラバラにされた事は記憶として残っているが、それが実際の身体にはフィードバックされていない。
 ベッドの上にも瓦礫は多少落ちているが、それ程の数ではないし、小さなものばかりだ。運が良かったのは、ベッドの傍にあった本棚が支えになったらしく、大きな瓦礫は漣の上に落ちていないという事だった。
 瓦礫によって閉じ込められてはいるものの、漣自身には怪我はない。
「でも、一体何が……?」
 地震だろうか。
 召喚されていたために気付かなかったとすれば、説明はつく。それに、最初に感じた衝撃がその地震だったのかもしれない。
 ベッドの上で上体を起こし、漣は枕元に置いておいた携帯電話で時間を確認する。瓦礫に埋もれて光はほとんど見えないが、携帯電話のディスプレイは光ようになっており、暗い場所でも見る事ができた。一応、午前六時にはなっている。
 両親の事も、周囲の状況の事も気になった。しかし、今の漣の置かれている状況からは、外の様子は判らない。
「……何がどうなってんだ……」
 額を右手で押さえ、漣は呻いた。
「――?」
 瞬間、目に留まったのは自分の掌だった。
 言いようのない青い色の紋様が手に描かれていたのだ。鋭角的で、しかし曲線的でもある、繊細かつ優美な紋様。その紋様から、心の奥に伝わってくるのは言いようのない感情。希望。
「……これは――?」
 そう呟いた直後、轟音が響いた。
 伝わった振動が周囲の瓦礫の置かれているバランスを崩し、漣の目の前に大きな瓦礫が落下した。ベッドを突き破り、砂埃を上げる。
 埃を吸い込まぬように口元を押さえながら、漣は頭上を見上げた。瞬間、目に入ったのは本棚の支えが外れ、瓦礫が降り注いでくる光景だった。
「――!」
 声も出せず、咄嗟に顔を両腕で庇う。
 瞬間、掌が熱くなった。
 そして、凄まじいまでの破砕音と共に、頭上から降り注ぐ瓦礫が吹き飛ぶ。漣の頭上から、真上へと何かが突き抜けたのだと、解った。
「……マテリアライズ……」
 茫然と呟く。
 腕をどけた漣の目の前に巨大な剣が浮いていた。反射的な防衛本能が生み出した、漣を守る剣。それを創り出せるのは、自分自身以外には考えられない。
 自分の右手を見つめる。刻まれた紋様は淡い光を発し、熱を持っていた。
 センター・ゾーンでしかできなかったはずのマテリアライズが、アンダー・ゾーンでできた。それが信じられなかった。いや、全てが信じられない。
 目の前の崩壊した光景も、掌に刻まれた得体の知れない紋様も、マテリアライズできた事も。
「……」
 無言で、漣は立ち上がった。
 剣を手に取り、瓦礫の穴から外へと這い上がる。崩れそうな瓦礫の上に慎重に足を乗せ、ゆっくりと体重を移動させ、上って行った。そうして、外に出た時、漣は周囲の異常さに言葉を失った。
 倒壊しているのは漣の家だけではなく、周囲の家もほぼ全てが倒壊している。それだけなら正常だと言える。しかし、漣の目に映ったのは、遠くだ。ある一定の距離を置いて、建物が倒壊していない。円形に、一定の範囲内の建物だけが倒壊し、廃墟と化しているのである。
 まるで、小さな隕石でも落ちてきたかのように。
 少なからず、死者が出ているだろう。漣はともかくとしても、他の人間のほとんどは重傷を負っていておかしくはない。下手をすれば、もう手遅れな者もいるかもしれない。
「……ほぅ、お前の家の近くだったか」
 廃墟と化した円形の中央から声が聞こえた。
 見れば、そこには人が立っていた。
 褐色の肌に、黄金色の髪。深紅の瞳を持つ目から頬と額へ黒い筋が伸びている。漣達のコピーレギオンに近い外観の男が立っていた。身に纏っているのは灰色のロングコートだ。
「お前は……!」
 それが誰であるのかは、直ぐに判った。
 人間にしては異様過ぎる気配を周囲に放つ男は、漣達が今まで抗って来た『闇』と同じ雰囲気を持っている。それに気付いた瞬間、剣を持った右手の紋様が疼いた気がした。
「……そうだな、この世界ではアンゴルモアとでも名乗っておこうか」
 口元に笑みを浮かべ、告げる『闇』に、漣は自分の中に膨らんだ感情を抑え切れずに駆け出していた。
 何故かは解らないが、解る。
 トップ・ゾーンにいた時から、『光』も『闇』も、アンダー・ゾーンを覗いていた。だから、漣達の世界に存在する現象や事象のほぼ全てを把握している。『闇』が名乗った名詞も、漣達へのあてつけでもあるのだ。
「貴様ぁぁぁあああああ――っ!」
 瓦礫の上を駆け抜ける。パジャマ姿である事も、裸足である事も漣の意識にはなかった。
 足の裏が瓦礫によって切れても、瓦礫の突起物が刺さっても、漣の激情を抑える事はできなかった。瓦礫の山を駆け下り、右手に握り締めた剣に左手を沿え、握り締める。引き摺るように下げていた剣の切っ先が上がり、『闇』に近付くにつれて持ち上げられて行く。
「命を捨てるか……」
 アンゴルモアと名乗った『闇』が呟いた。
 振り下ろされる剣を、『闇』は左の掌で受け止める。瞬間的に加えられた力で、いとも簡単に刃が砕け散った。突き出された左手にかわり、引かれていた右手が突き出される。その右拳は吸い込まれるように漣の腹部へと向かっていく。
「――っ!」
 瞬間、漣の身体から『光』が湧き出した。
 湧き出した『光』は渦を巻くように、アンゴルモアの拳の進行を阻むように、集約する。その『光』を突き抜けて漣の腹部に拳が突き刺さる。
「あが――ぁっ!」
 凄まじいまでの衝撃が漣の身体を突き抜ける。吹き飛ばされ、瓦礫の山に激突し、その瓦礫を崩壊させた。
 砂埃が視界を奪い、更にその砂埃が霞み始めた。急速に視界が狭まって行くのを感じながらも、漣はただ茫然としていた。
 何も、考えられなかった。

 *

 暖かさを感じた。どこか懐かしい、内側からも外側からも感じる暖かさ。長い、長い夢を見ていたような感覚。
 ゆっくりと目を開けた時、そこは見慣れぬ部屋だった。自分の部屋とは物の配置が違う。場所の違う本棚には、漣が買った覚えのない本が収められている。
「……」
 身を起こす。見れば、自分の着ているものが新品の下着とパジャマになっていた。
 開け放たれたカーテンから差し込む陽の光。それを見上げて、目を細める。寝かされていたベッドの傍に置かれていた時計の針は、十二時二十分前を示していた。
「……俺は……」
 どうなったのだろうか。
 目覚める前の事は鮮明に覚えている。崩壊した家、周囲の建物、両親の安否も判らない。
 右掌に視線を移す。青色の紋様が刻まれていた。それが全てが夢でなかった証拠。『闇』がアンダー・ゾーンに入り込んだ事。漣が成す術もなく負けた事も、全てが現実に起きた事だ。
 足の裏には包帯が巻かれている。背中と身体にも包帯が巻かれているのが判った。
 ベッドから抜け出し、包帯の巻かれている足を床の上に置く。傷はもうほとんど塞がっているのか、痛みは感じなかった。それでもゆっくりと体重を乗せていく。多少ちくちくとした痛みを感じるものの、普通に動くのに問題はなさそうだった。
 そうして、本棚の前に立つ。
「……これは……」
 前に漣が本屋に行った時、澪那が買っていた本が本棚に収められていた。帰り道に漣が澪那に何を買ったのか尋ねた時に、本のタイトルは聞いてあったのだ。
(じゃあ、ここは澪那の家か?)
 まず間違いないだろう。
 漣の事を知っているのは、この付近では澪那ぐらいしかいない。漣の友人達は家の方向が違うために、漣の知り合いは漣自身の家の周囲にはほとんどいないのである。それに、近所であれば巻き込まれて家も倒壊しているはずだ。
 不意に、廊下で足音が聞こえた。漣がいる部屋の前で止まり、ドアが開く。
「澪那……」
「あ、気が付いたんだ?」
 ドアを開けて入ってきた澪那は、漣を見て小さく微笑んだ。
 咄嗟に言葉が出てこない。話すべき、話さなければならない事はいくらでもあるというのに、どれから話すべきなのかすら判らない。
「ここは、澪那の部屋なのか?」
「うん」
 漣の問いに、澪那は頷いた。
「……悪いな、部屋占領しちまったみたいで」
「気にしないで」
 澪那は小さく首を横に振り、呟いた。
「俺は、いつまで寝てたんだ……?」
「三日。今日は土曜日」
 澪那は、漣の問いに端的に答えていた。彼女の方からは何も話を切り出さず、漣の問いには正直に答えている。漣を気遣っているのだと判った。
「三日か……怪我の手当ても澪那が?」
「うん。少し、お父さんとお母さんに手伝ってもらったけど」
「そうか……ありがと」
 言葉が止まる。
 もどかしい空気に、漣は澪那から外へと視線を向けた。晴れ渡った空は、今まで漣が戦っていたセンター・ゾーンのものとはまるで違う。
 三日間も眠っていた。それだけで、状況は確実に変化しているはずだ。
 漣の両親はどうなったのか。三日も経っていれば、瓦礫の撤去や生存者の捜索は行われているはずだが、それがどうなっているのか。また、漣が通っている学校は無事なのか、もし無事だったとすれば、漣の扱いはどうなっているのか。
 それだけではない。アンゴルモア、『闇』はどうなったのか。どこへ行き、どうしているのだろう。そして、それがこの世界にどれだけの影響を出しているのか。
「あ、そうだ、これ……」
「俺の携帯……?」
 澪那が左手で差し出したのは漣の携帯電話だった。
 それを漣は左手で受け取り、一通り確認してみた。表面が多少傷付いてはいるものの、ちゃんと動いている。
「充電はしてあるよ」
「……」
 澪那の言葉に頷き、漣は着信履歴とメールを確認する。
 一彦、高山、山中、それに澪那の四人から着信があった。澪那は、充電だけしていたようで、通話記録は増えていない。安否を気遣うメールも届いていた。それらを一通り読んで、漣は携帯電話を閉じる。
「その携帯電話がなかったら、私は漣を見つけられなかった」
 澪那が言った。
 恐らく、漣の携帯電話を呼び出して、漣の居場所を特定したのだろう。澪那の携帯電話からの着信はその時のものに違いない。
「……でも、何で俺をここに? 病院に送った方が良かったんじゃないのか?」
「見て……」
 右手の掌を、澪那は漣に見えるように差し出した。そこには、赤い色の紋様が刻まれていた。内側へと集約していくかのような、曲線的な紋様。
 漣は自分の右手へと視線を移した。そこには、色は違えど同じ何かを持つ紋様が刻まれている。
「これだけじゃない。あなただけが、瓦礫の上にいた。確かに、埋もれてはいたけど、外部的な場所にいたの」
 澪那は言った。
 他の、家の中にいた人ではないと、彼女は言いたいのだろう。あの状況は確かに不自然なものだ。そこに、不自然に倒れている人がいれば、何かしら情報を持っていると思っても不思議ではない。漣にとっては、それは厄介なものだ。
「……何があったの?」
 躊躇いがちに、澪那は問う。
「……『闇』が、いた」
「――!」
 漣の言葉に、澪那が息を呑んだ。
「多分、あいつがここに来た影響だよ、あれは」
 ゾーンを移動した影響だとしか考えられなかった。あの場所に『闇』が現れた事が、アンダー・ゾーンに影響を及ぼしたのだ。恐らくは衝撃というもので。
「人の形をしていたよ、あいつは」
 吐き捨てる。
 どうやって人間の身体を手に入れたのかは解らない。ただ、漣が感じ取ったのは、あの身体が人間以上のものであるという事だけだ。漣達のコピーレギオンに近いものでもあった。今まで『光』から聞いてきた事から考えれば、『闇』はレギオンの身体を創り出し、それを自分の魂の入れ物としたという事だろう。
「……俺には、何もできなかった」
 一方的に攻撃を受けただけだった。それも、たったの一発。
 戦う力はあったはずだった。しかし、その力も敵の足元には及ばなかった。レギオンには勝ってきたというのに。
「とりあえず、そっちは何かあったのか?」
 漣は澪那に問いかけた。この世界に『闇』が現れた事で、何か事件が起きているのかもしれない。状況の確認をしなければならなかった。
 澪那は漣をリビングまで連れて行くと、テレビの電源をつけた。どうやら、澪那の両親は外出しているらしく、姿が見えない。
「アメリカで起きている大量殺戮は未だに……」
 アナウンサーの言葉は漣の耳には入っていなかった。映し出された映像は、凄まじいものだった。放送するためにモザイクによる修正がかけられていたが、画面のほとんどがそれで埋まっている。モザイクは赤や黒しか移さず、それ以外のものはほとんどない。建物らしいものにも赤や黒の、恐らくは人の死体があるせいだろうが、モザイクがかけられ、その上からでも破壊されているのが解る。
 ビデオの映像なのだろう、そこに写っていたのはリークだった。
「あいつ……!」
「三日前からよ、このニュース」
 澪那が言う。
 逆らう者や邪魔だと思った者を、周囲の目も気にせずに殺しているのだという。それも、『闇』から与えられた空間に干渉する力を使って。
「……俺、ちょっと家を見てくる」
「待って、服は? 靴もないのよ」
「創ればいい」
 言い、漣は自分が良く着ていた服を創り出した。右手の掌の紋様が淡く発光し、熱を帯びる。澪那は、それを見ても何も言わなかった。恐らく、彼女も解っているのだ。右手の紋様が、セーフティを外されたという証なのだと。この物理世界で、精神世界の存在から与えられた力を発現させるための媒体になっているのだ。理由もなく、それが解る。
 創り出した服に着替え、漣は玄関で靴も創り出し、それを履いた。
「私も行く」
 澪那の申し出を断る理由はなかった。
 彼女に案内されて、漣は自分の家の付近まで辿り着いた。周囲にはまだ撤去作業中の人がいた。三日も経ち、建物が全て倒壊しているためか、立ち入り禁止の札はなかった。見落としただけかもしれないが、そんな事はどうでもいい。
 漣の家があった場所には、崩れた瓦礫しか残っていなかった。
「あの、すみません。ここに住んでいた人は……?」
 近くの瓦礫を撤去していた作業員に、漣は声を掛けた。
「そこの家の関係者かい?」
「家族です。両親が中にいたはずなんですが……」
「そうか……。それはご愁傷様だったな。二人共、死亡が確認されたよ。即死だったそうだ」
「――! そうですか……」
 ある程度は予想できていた。両親が生きていれば、漣を探しているはずだ。それがないという事からも、推測できた事だ。
 動揺はあったが、涙は堪えた。締め付けられる思いをする、とはこういう事を言うのだろうと、漣は思う。何も考えられず、思考が他の事に向けられない。身体を動かしたくても、動かす事ができない。意識がそこに向かってしまって、離れない。
「……知ってたのか、やっぱり」
「……ごめんなさい」
 ようやく出せた漣の言葉に、澪那は謝った。それだけでも思いは伝わってくるようだった。伝えるのも、辛かったのだろう。澪那の方から会話をきりだなかったのもこのためかもしれない。それに、漣が家に向かう事も引き止めなかった。
「……暫くは、私の家にいてもいいから」
 澪那の両親も了承しているのだろう。漣が両親を失っている事を知っているのだろうから。
「ありがと。そうさせてもらうよ」
 漣は努めて明るく答えた。
「ふむ、どうやら目が覚めたようだね」
 不意に掛けられた声に、漣は振り返った。
 そこには、リーク・トーカスが立っている。何故ここに、とは問わない。そんな事は空間干渉によって移動できるリークに対しては愚問だ。
 右掌が疼いた気がした。
 リークの身体全体に、闇色の紋様が刻まれている。やはり、この世界で能力を使うために生じたものなのだ。
「私は、お前達の始末を命じられているのでね」
 空間干渉か何かで言葉を瞬間的に訳しているようで、リークの声と口の動きは噛み合っていない。
「……今頃来た理由は何だ?」
 リークに、漣は問う。
 漣達を始末するのであれば、三日前に簡単にできたはずだ。それをせず、今頃になって漣の前に姿を現すというのは、非効率的だ。
「私を見下していた連中に私の力を見せ付けていたのさ」
「何……?」
「ふ……解らないだろうね、今まで私がどれほどの絶望を感じていたのか」
 リークは苦笑を浮かべ、呟いた。
「私は大企業からリストラされ、妻と娘にも逃げられ、家も失ったのさ」
 何も気にしていないかのように語られた内容に漣は何も言えなかった。
「もう死のうかと思った時、私は力を得る事ができた。神は私を見捨ててはいなかったという事だ」
 嬉々として言うリークに、漣は悟った。リークにとっては、自分以外の人間はもうどうでもいいのだろう。世界に絶望したというのだから、それはもう復讐でしかない。与えられた能力を使って好き勝手に生きるのがリークの目的になっているのだ。
「まぁ、私も少々退屈していたところだ。この世界では私に勝てる兵器など存在しない。あるとすれば、同じ類の力を持つ君達ぐらいだ」
 周りにはまだ人がいるにも関わらず、リークはそれを気にする事もなく喋っていた。
 本当に自分以外がどうなろうと構わないのだろう。漣達にとっては厄介だった。恐らく、リークは躊躇なく周囲を巻き込むだろう。場所を変えようと提案したところで、リークが襲い掛かってくれば漣達は反撃するしか手がない。どの道、この場で決着をつける以外に方法はない。
 逃げようにも、リークは空間に干渉でき、自由に移動が可能なのだから、逃げ場所もない。それに、周囲も巻き込んでしまう。
(……問題は、勝てるかどうかだ……)
 漣や澪那がこの世界で力を扱えるようになったところで、リークの能力には太刀打ちできない。漣達は一度、リークに敗北しているのだから。それに加えて、リークはこの世界で自分を倒せる兵器が存在しないと言った。漣の能力ではこの世界に存在する兵器しか創り出せない。漣では、リークには勝てない。
 だが、だからと言って澪那一人でも勝てないだろう。逸也や深冬を呼び寄せるにも、今すぐとはいかない。離れた場所に住んでいるのだから、一日はかかってしまうだろう。
 右手を握り締める。
 リークの腕の紋様が淡く光を発し、振り上げられた。その腕の直線上に見えない刃が飛び、瓦礫を切り裂いて行く。その刃は漣の真横にまで届き、瓦礫を破砕した。
「……さぁ、どうする?」
 挑発的な笑みを浮かべ、リークが呟いた。
 周りにいた作業員達が悲鳴を上げながら逃げていく。
「……私なら、大丈夫」
 澪那が小さく囁いた。
「戦えるよ」
「……解ってる。俺達が退くわけにゃいかないしな」
 小さく笑みを見せ、漣は言った。
 周囲に視線を走らせる。瓦礫だらけの地形は戦闘には有利とは言えない。足場が崩れる事だってあるのだ。
「マテリアライズ!」
 刀を創り出し、両手で握り締める。
 瞬間、澪那が手をかざしていた。右手の紋様が淡く光を放ち、リークの足元で爆発が起きる。澪那のニュークリアライズの能力だ。
 爆発を起こすだけならば、空間干渉に影響されずに攻撃ができるのかもしれない。澪那の能力は、爆発ならば視認できる場所ならばどこにでも爆発を生じさせる事ができる。
 リークはそれに一瞬驚いたようだったが、直ぐに表情を戻した。余裕のある表情で澪那の攻撃を避けて行く。どこにでも爆発を起こす事ができると言っても、視認してから能力を発動させるまでにはどうしてもタイムラグが生じてしまうのだ。その一瞬さえあれば、リークは自分の能力を使ってどこにでも逃げる事ができる。
(……待てよ、俺にだって……!)
 漣はリークへと意識を向けた。
 リークの周囲一ミリの近さでニトロを生成させ、動作として衝撃を与えて起爆させる。だが、リークの身体は爆発の影響を全く受けず、その爆風の中から飛び出していた。
「そこのお嬢さんの方が脅威かな」
 軽口を叩く。それが挑発だという事は解った。
 恐らく、リークは自分の身体とそれ以外を空間として別物に分けている。対象物のある場所に物体を創り出す事のできない漣では、どうしてもリークの身体から離れた位置にしか物体を生成できない。つまり、漣にはリークに通用する攻撃は不可能なのだ。対象物そのものに爆発を生じさせる事のできる澪那でなければ、リークに致命傷を与える事はできないだろう。
(……くそっ)
 漣は澪那の援護に徹するしかない。
 リークはまだ様子見をしているようで、攻撃していない。自分の優位を確信しているためだろう。だが、事実として空間干渉の能力は攻撃も防御も可能な万能な能力であると同時に、隙をなくす事のできる能力でもあるのだ。その能力を有する敵を相手に、正面から戦うのは得策ではない。かと言って、リークはどこにでも瞬時に移動する事ができる。逃げ場などなく、正面から戦わざるをえない。
 立て続けに爆発が生じ、瓦礫が破砕されていく。今は周囲に人がいないが、そう時間が経たないうちに人が集まってくるはずだ。それに、既に遠くからはこの戦闘が見られているかもしれない。
 内心の焦りを抑え、漣もナイフを創り出し、射出した。その全てがリークの身体に命中せず、別の場所に瞬間移動している。
「そろそろこちらからも攻撃させてもらうよ」
 言い、リークが腕を振るった。
 その直後、リークの腕の延長戦上の瓦礫が吹き飛んで行く。リーク目掛けて能力を使う澪那へと降り注ぐ瓦礫を、漣は創り出したニトロで全て破壊した。
 リークが見えない刃を飛ばし、澪那がそれを辛うじてかわす。着地を狙った瓦礫の攻撃を漣が爆破させて防ぎ、澪那が攻撃を続ける。
「防げない攻撃ができる事、忘れてないよね?」
 呟き、リークが空間に干渉して瓦礫を浮かせた。それを澪那へと射出するのを見て、漣はその瓦礫の進路上にニトロを生成する。それを起爆させた直後、爆煙の中から瓦礫が突き抜けてきた。
「――!」
 寸前で澪那が瓦礫を爆破し、直撃を防いだ。
 瓦礫の周囲の空間を他の空間と分離させ、瓦礫への外部からの影響を遮断したのだろう。つまり、漣には援護もできないという事を見せ付けているのだ。
「……ちっ……」
 舌打ちし、漣はリークを睨み付けた。
 レギオンと戦っていた時から感じていた思いが蘇る。自分の無力さに苛立ちを覚えた。
「――私、頑張るから」
 澪那が囁いた。
 その言葉は余計に漣の心を抉る。澪那は元気付けようと、自分にも言い聞かせようと言った言葉なのかもしれないが、漣には逆効果だった。澪那一人にこの戦闘を任せてしまう事になる。それは澪那への負担が大き過ぎる。
 澪那が瓦礫の上を駆ける。足場を崩しながらも、核融合のエネルギーで足場を補いながら、リークの攻撃を避けつつ反撃の爆発を起こしていた。その額には汗が浮き、呼吸も荒くなっている。
 リークはじわじわといたぶるように澪那への攻撃を正確なものにしていた。澪那の服に切れ目が入り、ズボンの一箇所が裂ける。攻撃が正確になる度に澪那は移動能力を上昇させようと、ニュークリアライズの能力を並列発動し、攻撃回数を増やしていた。
「勇敢だね、お嬢さん」
 リークが呟き、腕を薙いだ瞬間、澪那が吹き飛ばされた。
「あうっ……!」
「澪那!」
 瓦礫に背中をぶつけ、呻き声を上げる澪那に、漣は駆け寄った。
「……ぁ…はぁ…まだ……大、丈夫っ……!」
 大きく肩で息をしながら、澪那が身を起こす。
「澪那……」
 見れば、澪那の右手から血が流れ出ていた。淡い光を放つ紋様が右手に食い込んでいるかのように、紋様の縁から出血している。能力を酷使し過ぎたという事なのだろう。それも何故か、解った。
「……中々粘るね。勝ち目がないのは解っているだろうに」
 リークがゆっくりと歩いてくる。その視線が澪那に向けられているのを見て、漣はリークの前に立ち塞がった。
「何の真似だい?」
 そう問い掛けるリークの周囲に無数のナイフを創り出す。全方位からの攻撃を凌ぐためにはそれだけ精神力が必要になるはずだ。少しでも負荷をかければ、空間干渉の能力にも穴ができるかもしれない。澪那があれだけ消耗しているのだから、リークにも相当な負荷がかかっていると考えての事だ。
(パラダイス・ロスト……!)
 自分自身のコピーレギオンにぶつけた技を、漣は発動した。
 射出されたナイフは全てリークに触れる寸前に全てが別の場所に転移され、瓦礫の山に突き刺さる。その攻撃が防がれたために、漣自身が行う追撃ができない。
「どいてもらおうか」
 言い、リークが右腕を左から右へと薙いだ。
 瞬間的に生じた衝撃波に吹き飛ばされ、漣は瓦礫の山に突っ込んだ。手に持っていた刀が手から離れ、地面に転がる。
「ぐぅっ……!」
 痛みに呻き声が漏れる。
「れ、漣!」
 起き上がろうとしていた澪那が声を上げた。
 この世界には他に存在しない能力が使えるとは言え、漣や澪那の身体は普通の人間と変わらない。吹き飛ばされ、強く背中を打ち付けただけでも一時的に身動きが取れなくなる。
 リークが澪那の目の前に立つ。マテリアライズで攻撃を繰り出そうと考えるが、下手をすれば澪那に攻撃が向かうように逸らされてしまうかもしれない。それに、痛みで意識も集中できなかった。
「……殺すには惜しいな」
 リークが呟く。
「彼の命は見逃してやろうか?」
「え……?」
「……代わりに、君が私のものになるなら、な」
 口元に笑みを浮かべ、リークが告げる。
「恫喝じゃねぇか……! ふざけるなよ……!」
 背中の痛みを堪え、漣は立ち上がった。自分の命と引き換えに、澪那が敵の言葉に乗ってしまうのは厭だった。たとえ、それしか漣が助かる道がないとしても。
 そんな漣を見て、リークは腕を振るった。瞬間、放たれた見えない刃が漣の右肩を裂いた。
「――っ!」
 首と肩の関節の中間辺りに斜めに傷が走り、血が噴き出す。骨までは届かない、筋肉までが裂かれていた。致命傷ではなく、深い傷を負わせたのだ。激痛を感じるよりも早く、瓦礫の山に背中を預けるように倒れ込んでしまう。その衝撃の直後に傷口が熱を持ったかのようにして痛みが脳へと伝わった。
 耐え難い痛みに、必死に声を抑えても呻き声が漏れる。
「……さぁ、どうする?」
 リークの声。澪那がこちらを見ている。
 その視線が、漣を助けようとしているのが解る。漣は小さく首を横に振るが、澪那は唇を噛み締めていた。戦局は明らかに漣達の敗北だった。
 それでも敵の思い通りに行くのは厭だった。何よりも、澪那が漣を助けるためにリークのものになってしまうのが。
(――剣が、欲しい……)
 強く握り締めた右掌が熱を帯びる。
「……澪那――!」
 漣は声を張り上げた。右手の熱がその力を増す。
「――お前は俺の彼女だろうがぁっ!」
 叫ぶ。今まで一度も言った事のなかった言葉を。一度も話題にした事のない言葉を。それがたとえ一方通行の想いだったとしても、漣にとっては澪那が初めて『好き』になれた女性だった。
「……漣……!」
「ふん、子供のクセに言うじゃないか」
 澪那が呟き、リークが鼻で笑う。
「で、結局どうするんだい?」
「……私は、あなたのものにはならない!」
 言い、澪那が右手をリークへ向けた。
「そうか。残念だ」
 溜め息と共に呟き、リークが腕を薙ぐ。瞬間的に生じた突風に澪那が吹き飛ばされ、空中で見えない刃が澪那の身体にいくつもの傷を付ける。瓦礫の上に落ちる澪那を、漣はただ見ている事しかできなかった。
 恐らく、澪那はまだ生きている。殺すなら首を刎ねればいいのだ。それをしないのは、じわじわと嬲り殺しにするためだ。リークにとっては、澪那の返答もどちらでも良かったのだろう。
 この状況を打破したい。その思いだけが漣の中で積み重なっていく。リークにまで届く剣が欲しかった。今の漣には、『闇』にも、リークにも通じる攻撃ができない。
 ――望む事。それがあなたの力になる。
 心の奥から湧き上がる言葉。それを理解する。
 魂の状態の漣達は一度、リークによって切り刻まれた。その漣達の命を救うために、『光』は自らの身体を漣達に分け与えたのだ。精神生命体である『光』はいわば魂だけの存在。その身体を分解し、漣達の魂の欠けた部分を補うように同化させた。自らの命が失う事も省みずに。
 その『光』の一部が全てを教えてくれていた。敵の存在も、掌の紋様の事も。漣がアンゴルモアの拳の直撃を受けて死に至らなかったのも、残った『光』の力が緩和してくれたのだ。
 痛みも忘れて、漣は立ち上がった。
「……何の真似かな?」
 リークが呟く。
 それを見据え、漣は右手をかざした。掌の紋様は暖かな光を放ち、漣の意志が可能だと告げている。
(あいつを……空間を裂く剣が――!)
 右頬に痛みが走った。リークの威嚇攻撃だろう。それを無視し、漣は口を開く。
「マテリアライズ――!」
 剣が創り出された。
 その刃は淡い光を放ち、重さはほとんどなく、軽い。それを右手で握り締める。
 漣は踏み出した。リークが腕を振るうのと同時に剣を水平に薙ぐ。一瞬、刃がスパークを起こした。リークが放った空間を裂く攻撃を、漣の剣が打ち消したのだ。
 刃を覆う光が、空間を裂く力を宿している。
 マテリアライズ、物質化。それは物質を構築するものではなく、生み出すものだったのだ。望むものを物質として創り出す。それがマテリアライズの本当の力だったのだ。
 漣は、アンダー・ゾーンの現実に存在する物質を創り出す事しかできないのだと、心の奥でそう考えてしまっていた。それが自らの能力の限界を創り出していたのだ。本当のマテリアライズには、限界など存在しない。
 今、漣は、空間を裂く力を持った剣をマテリアライズしているのだから。
(あいつの動きを視る目が欲しい!)
 淡い光を放つミラーシェードが物質化する。それを通して見る世界には、全てが視えた。
 リークが動く先が示される。リークの攻撃が表される。それを打ち払うように剣を振るった。スパークが生じ、漣の剣がリークの攻撃を打ち消す。
「そんな……馬鹿な……!」
 初めて、リークが焦りを見せた。
 漣は目の前の空間を剣で裂き、リークの背後に瞬間移動する。そして、返す刃でリークに攻撃を仕掛ける。リークがそれを辛うじてかわすが、その右腕に一筋、赤く血が滲んでいた。
(――届く!)
 漣が剣を振り上げる。リークが空間に穴を開けて逃げようとするのが解った。その穴へ飛び込もうとするリークに、創り出したナイフを放つ。淡い光を帯びたナイフがの足に突き刺さる。自分とそれ以外を隔てている空間の分け目を貫く力が付加されたナイフだ。
「な――っ!」
「……逃げられると思うなよ」
 バランスを崩し倒れたリークに、漣は言葉を投げた。
 逃げられぬよう、剣の切っ先をリークの喉元に押し当てる。リークの能力は創り出したミラーシェードによって視認できる。攻撃をしようとしている事も見抜けるのだ。もう、リークには身動きすらできない。
「……殺すつもりか?」
 リークが言った。
 漣は左手に短刀を創り出す。その刃は淡い光を帯び、リークの防御を無効化する力を備えているのが解る。
「――殺しはしない……お前の力だけ奪う!」
 創り出したのは、リークの持つ能力を奪う武器、だった。攻撃した相手の持つ能力を奪う武器として、マテリアライズしたものだ。その短刀をリークの右腕に滑らせる。致命傷にはならないであろう場所に、それほど深くない傷を与えた。
 瞬間、リークの表情が変わった。そのリークの腕にあった紋様が消えている。それと同時に、漣は左手に得体の知れない痛みを感じた。短刀を取り落とし、左掌を見れば、そこには右掌にあるのとは別の紋様が新たに刻まれていた。
「……奪った、か……」
 漣は小さく安堵と苦笑の混じった溜め息をついた。
 奪う、つまり、リークの持つ能力が漣に移動したのである。つまりは、漣は二つの能力を扱える事になる。空間に干渉するスペイシャライズと、マテリアライズ。
「……そんな……私の、神の力……」
「人間として最初からやり直すんだな」
 告げ、漣はミラーシェードを外した。
 そのつもりはなかったが手に入れる事になった空間干渉の力で、漣はミラーシェードやナイフを破壊する。空間そのもに影響を与える武器など、危険すぎるからだ。自ら創り出した武器を破壊し、漣は澪那の元に駆け寄った。
「……見てたよ、漣……」
 微笑みかける澪那に漣は頭を掻いた。その一言が、漣が澪那達と同等以上に戦えるという事を示している。今まで自分の力の限界に苦しんできた漣には、それが純粋に嬉しく思えた。
「俺、自分で能力の限界を作ってたみたいだな」
 苦笑し、漣は言った。
 澪那の傷口に手をかざし、能力を発動する。マテリアライズによって、澪那の身体を構成する細胞を傷口を埋めるように創り出す。ダメージそのものは回復しないが、傷口ならば問題なく治癒させられた。
「早いとこ立ち去ろうぜ」
 パトカーのサイレンが近付いてくるのが聞こえた。もう数分と経たずにこの場に警察が到着するだろう。漣達がこの場にいては後々面倒そうだ。
「……そうね」
 漣の提案に苦笑し、澪那は頷いた。
BACK     目次     NEXT
SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送