――其の七 Realize――


 その場所には逸也と深冬、そして漣と澪那が集まっていた。携帯電話で連絡を取り合い、漣が得たスペイシャライズで空間を繋げ、澪那の家の近くの公園に来ていたのである。既に、逸也と深冬にはリークを倒した経緯や漣が新たな能力を得、本当のマテリアライズを使いこなせるようになった事を説明した。
「で、ここからが本題だ」
 漣が告げる。
 それに他の三人が頷いた。
「今のところ、『闇』がこの世界で何か問題を起こしたとすれば、到着時の破壊だけだ。それ以外には姿を眩ましたままで何の音沙汰もない」
 アンゴルモアと名乗っているらしい、『闇』はアンダー・ゾーンに辿り着いた時に周囲に破壊を振り撒いただけだった。それ以外には何の事件も起こしていない。
「そうね。あれ依頼、新聞やニュースにはリークの事は大々的に載っていたけど、そっちの方はさっぱりね。強盗殺人だとか、強姦だとか、いつも報道されてるような事件しかないわね」
 深冬が言う。
 能力を全面的に使い、思い通りに動き始めたリークはニュースとなった。リークは日本警察に逮捕され、近日中にアメリカに引き渡されるそうだ。そちらのニュースはかなり報道されていたが、アンゴルモアに関係していると思われるような事件は今のところ、無い。毎日のように報道される、強盗殺人や婦女暴行などのニュースはあっても、アンゴルモアに直接結び付きそうなものは無いのだ。
「結局のところ、俺達にはあいつが何をしたくてここに来たのかは知らない。あいつが何でここに来たのか、その理由ぐらいは聞いた方が良いと思うんだ」
「あなた、敵討ちとかはしたくないの?」
「頭なら冷えたからね」
 口を挟んだ深冬に、漣は肩を竦めてみせる。
「……敵なんじゃないのかよ?」
 意図が解ったのだろう、逸也が言った。
「戦わなくて済むならそれでいいだろ? 平和が一番だって」
 漣の答えはそれだった。
 結局、アンゴルモアが敵なのかどうかは、漣にははっきりと断言する事ができなくなっている。もし、アンゴルモアがこの世界での平穏な生活を望んでいるのならば、それをさせてやった方がいいかもしれないとも思い始めてすらいた。たとえ、アンゴルモアが漣の両親を殺しているとしても。
 この世界で戦う事は、センター・ゾーンで戦う事とは違う。一歩間違えれば、特殊な能力を持っている漣達が世界から孤立してしまうかもしれない。怨恨で戦って、勝ったとしても何も残らないのだから。
「……でも、そうも行かないみたいね……」
 澪那が呟いた。
「ああ……」
 溜め息と共に漣は頷く。
 異変は少しずつ、世界を蝕んでいた。アンゴルモアがこの世界に現れてから四日が経った今、その異変は目に見える形で現れている。
 漣は空を見上げた。逸也も深冬も、澪那も、空へと視線を移す。そして、皆が目を細めた。
 青かったはずの空が、少しずつその色を変えている。今ではもう、青紫に近い程に変色しているのだ。四日目となって、世界中がこの異変に気付いた。漣と澪那が朝、見ていたテレビでも空の変化が取り上げられていた。それに対する見解などは憶測の域を出ず、結局のところ理由は不明とされている。
 だが、『光』の一部を魂に持つ漣達には、解る。
 この現象の元凶は『闇』だ。本来ならばアンダー・ゾーンには存在しないはずの、トップ・ゾーンの生命体。その存在がこの世界そのものに影響を与えているのだ。このまま放っておけば、異変は空の変色だけには留まらない。
 最終的には、このアンダー・ゾーンそのものがその存在を維持できずに崩壊してしまうだろう。アンダー・ゾーンを構成する情報や法則が、『闇』の存在によって捻じ曲げられているのだ。物理的な身体を造り出したといっても、元々の存在は変える事はできない。物理的な身体を持つ事によって、存在の消滅自体は防ぐ事ができたが、その本体はあくまでも精神生命体である『闇』だ。
 精神生命体の存在が許されないアンダー・ゾーンにおいては、それが存在するだけでアンダー・ゾーンの規律が乱されている事になる。それが乱されたままでいれば、いずれアンダー・ゾーンそのものの法則は打ち砕かれるはずだ。法則の存在しないものは、混沌でしかなく、それはアンダー・ゾーンの存在の崩壊とイコールで結ばれる。
 漣達が生きるためには、この世界が存在していなければならない。そして、そのためには、『闇』の存在を排除しなければ、この世界の変質は止まらない。
「……俺達四人で、止めるぞ」
 漣は言った。
 止めたところで、世界が元に戻るかどうかは解らない。それでも、崩壊に至る前に乱れを鎮める必要がある。そうしなければ、この世界そのものが消えてしまうのだから。
 そして、止めるならば早い方がいい。変質が止まらないのであれば、その変質はできる限り少ない方が良い。今、変質は加速度的に早まりつつある。いつまで、この世界の状態が保たれるのかは、既に予測がつかない。明日には理由も解らずアンダー・ゾーンに存在する事が苦痛になっているかもしれないのだ。
「止められるのか?」
「止められなきゃ終わりだ」
 逸也の問いに、漣は言った。
 漣達が負ければ、この世界には『闇』に傷をつけられるような兵器は存在しないだろう。そうなれば、世界の崩壊は止まらない。
 止めなければならない。可能、不可能を選択している余裕などなく、それが不可能であったならばこの世界が崩壊するだけだ。
「空間に干渉するタイプの防御は俺が無力化できる」
 一番厄介であったその防御能力さえ無効化できれば、逸也や深冬にも攻撃のチャンスはある。漣がスペイシャライズで『闇』が扱うであろう空間干渉能力を相殺し、他の能力にはそれぞれが対応すればいい。
 漣達に力を与えた存在なのだ。全員で戦わなければ勝ち目はないだろう。
「今から、戦えるか?」
 漣は問う。
 アンゴルモアを倒すのに、あまり時間はかけられない。日曜で休日という事もあり、四人全員が余裕を持って揃うのは、今を逃せば次の土曜日までは確実に待たなければならないだろう。その間にどれだけ変異が進行するのか、予想ができない。戦うのならば、今が一番なはずだ。
 無論、漣達が死ぬ可能性は低くない。たとえ勝利したとしても、その時には仲間が欠けているかもしれない。今、この場で戦いを挑むだけの、命を懸ける覚悟があるのかは確認しなければならない事だ。
 漣自身は勿論の事、澪那には昨夜のうちに確認してある。
「俺は構わねぇ。あいつさえ倒せば終わりなんだろ?」
 真っ直ぐ、射抜くような視線で逸也が告げた。
「待って、なんて言えないものね」
 深冬が微笑んだ。
「じゃあ、行こう」
 それを聞いて、漣は頷いた。
 左手の紋様が熱を持つ。スペイシャライズを発動し、空間に穴を開け、別の場所へと繋いで行く。その中で『闇』の気配を探り、最も近い場所を覗いた。漣だけにしか見えない空間の穴から、アンゴルモアを捉える。
 そして、アンゴルモアの周囲を確認し、穴を人が通れるサイズへと変更した。三人に目配せをし、漣は空間を飛び越える穴を通って『闇』の背後に移動した。
 海外ではない、日本国内の街並。路地裏らしい、人気のない場所。周囲の建物は都会のもの。
「……そろそろ来る頃だと思っていた」
 振り返り、『闇』は告げた。
「……気付いてるんだな?」
 その『闇』に、漣は問う。
「ああ。私の存在がこの世界そのものを歪ませている」
「……俺達は、お前の存在を抹消させるために来た」
「それも解っている」
「何故、この世界に来る事を望んだんだ?」
 淡々と返答を返す『闇』に、漣は再度問いを放った。
「……変化を、望んだからだ」
 今まで黙して語らなかった『闇』が、一言一言を噛み締めるように語り出す。
「トップ・ゾーンには変化がない。同じサイクルを何度も繰り返していただけだ。精神生命体には死の概念はなく、力尽きた個体は分解され、再構築されて存在を続ける。存在と意識をリセットされるだけだ」
 漣達には想像もつかない世界。トップ・ゾーンに住まう精神生命体の一つが『闇』と『光』だった。
「私は、そのサイクルに変化を与える要素として二つの意識を持って構築された。この二重人格は次に再構築される時には破棄される要素でもある。一つの個体に一つの意識しか持たぬ中、一つの個体に二つの意識を持つ。だが、それも大きな変化は与えられない」
「お前は、その変化のために……?」
「いや、違う。それと関係が無いとは言い切れないが、アンダー・ゾーンへの移動を考えたのは別の理由からだ」
 漣の言葉に、アンゴルモアは首を横に振った。
 変化の一つとして、そういった思想を持たされていたという事かもしれない。しかし、『闇』は自らの意志でそれを望んだのだとも言っている。どちらも間違ってはいないはずだ。
「私は精神生命体からの変化を望んだ。アンダー・ゾーンに住まう生物はそれぞれが変化を続けながら世界を構築している。私は、それが羨ましかった」
 物理的な存在として、この世界に住まう生命体はそのどれもが成長と言う要素を持つ。それは時に進化であり、時に変化となる。偶然によって変化した環境に合わせて、自らの生き方や身体を変えて行くのだ。
 変化や進化という要素を持たない精神生命体には、それが羨望の対象だったのだろう。
「私は、生物としての死を望む。この物理的な肉体でこの世界を生き、この世界で死を迎える。それが私の目的だ」
 アンゴルモアは告げた。
 彼の目的は、この世界に来るという事そのものであったのだ。そして、この世界に入り込んだという事で、彼はこの世界で生きるという目的を果たした事になる。それ以外には何もする気はなかったのだ。だから、事件を起こすような事をする必要もない。
「生物らしく、最後まで生に執着する。たとえ、私の存在によってこの世界が崩壊してしまうとしても、私は生きる事を諦めはしない」
「……解った」
 アンゴルモアの言葉に、漣は一つ頷いた。
「なら、俺達が戦う理由と同じだな」
 そして、呟く。漣達が生きるために必要な世界を守るためには、アンゴルモアを倒さなければならない。互いに、生きるために、戦う。
「この場で、戦うつもり?」
「無論、そのつもりだ。私は少しでも自分に有利な状況下で戦う」
 深冬の問いに、アンゴルモアは答えた。
 生きる事への執着、それがフェアではない戦いをも許容する事になる。人気が少ないとはいえ、街中であるこの場で戦えば、一般人が巻き込まれるのは言うまでも無い。漣達にとっては巻き込みたくない対象であっても、アンゴルモアにとっては違う。自分自身の生を最優先に考えているのならば、漣達にとっては厄介なものはアンゴルモアにとっては隠れる場所となり得る。
「……行くぞ」
 言い、アンゴルモアが踏み出した。
 次の一歩でアンゴルモアの身体が加速する。通常の人間では不可能な加速。それが可能な創られた身体。そして、それを補助する力。
(全てが視える眼を――!)
 ミラーシェードが、漣の眼を覆うように創り出された。
(全てを裂ける剣を――!)
 そして、光を帯びた剣を両手に創り出す。
 両掌が熱を帯びるのを感じて、漣は自分の力の発動を認識した。マテリアライズが、漣が望む力を持った装備を創り出し、人間でしかない身体能力をスペイシャライズが引き上げる。
 創り出したミラーシェード、漣の眼がアンゴルモアの空間干渉を捉えていた。身体を包むように展開した防御のための壁。それを打ち消すようにスペイシャライズを発動させる。一瞬、アンゴルモアの動きがブレるが、やはり人間とは違う存在だけあって、素早さそのものはさほど低下していない。
 人間をトレースしつつも、人間とは異なる存在なのだ。
 ミラーシェード越しの視覚は全てを捉える。アンゴルモアがどこへ攻撃をしようとしているのか、どこへ移動しようとしているのか。その全ての情報が残像のようにアンゴルモアから伸びる。その先が攻撃の場所であり、移動先。
 漣は踏み込んだ。一歩先の空間からアンゴルモアまでの空間を圧縮し、縮めた距離を踏み越える。空間の跳躍。
 右腕を引き、左腕を右側へと伸ばす。目の前にはアンゴルモアがいた。目を剥いたアンゴルモアに左手の剣を振るう。光の尾を引いて、剣が流れるようにアンゴルモアへと向かって行く。
 アンゴルモアが右手に剣を作り出し、漣の剣を受け止めるように身体の前へ滑らせた。その柄に左手を添え、右足を引いて受けの姿勢を取る。剣同士がぶつかり合い、金属音を響かせた。一拍おいて、漣の右手の剣が振るわれる。
「……砕け」
 漣は呟いた。その意思に呼応するかのように右手の剣が光の尾を引き、アンゴルモアの剣とぶつかり合う。そして、次の瞬間にはアンゴルモアの剣は砕かれ、彼自身は吹き飛ばされていた。漣はあくまでも普通の人間だが、スペイシャライズやマテリアライズが身体能力を補助し、ミラーシェードによる敵の行動の先読みが漣にアンゴルモアとの戦いを可能にしていた。
 コンクリートの地面に背中をぶつけながらも、アンゴルモアはその接点で勢いを殺さず、背中で地面を転がるようにして足を地に着ける。屈んだような姿勢から一度後退し、自然体で立った。
「……見くびっていたようだ」
「手加減してくれるんならありがたいけどな」
 アンゴルモアの呟きに対して漣は告げた。
 漣が得た能力は組み合わせる事であらゆる戦況に対応できると同時に、あらゆる戦局において優位に立つ事ができる。組み合わせによって生まれる多数の戦術。想定できる全ての事象が漣の武器だ。
 たとえ相手が今まで触れられない存在であったとしても、今の漣にはその境を消す事ができた。あとはどちらの生きる事への執着が強いか、だ。
「こっちも全力で行こう」
 漣は背後へと声を投げる。
 同時に、アンゴルモアが動き出した。
 漣の視覚に映る残像がアンゴルモアの動きを示す。踏み出した先の空間干渉による穴を、漣はスペイシャライズで埋めた。再度生み出される空間の穴を、瞬時に埋めていく。
 その漣の左右から逸也と深冬が飛び出した。重力制御を広範囲に拡大させ、深冬の動きを逸也が補助しているのが解る。
 アンゴルモアが両手から刃を創り出し、放つ。物質生成の能力によって創り出された攻撃を、漣の傍に立つ澪那が爆破し、逸也や深冬を援護していた。相変わらず移動のための穴を作り出そうとするアンゴルモアに、漣はその力を打ち消していく。そのアンゴルモアへと、逸也が重力球を投げた。
 同じ重力制御能力を発動させ、アンゴルモアは逸也の重力球を打ち消す。入れ替わるように深冬がアンゴルモアの懐に飛び込み、掌底を放った。それ左手で外側へと払うアンゴルモアに、更に回し蹴りが繰り出されている。同じタイミングで放たれた重力球を打ち消し、アンゴルモアが高く跳躍した。
 澪那が右手を伸ばす。アンゴルモアが澪那に右手をかざす。アンゴルモアのかざしたその手の少し先の空間で澪那の能力が炸裂した。
 狙った対象そのものを爆破するはずの澪那の能力が防がれていた。
「……」
 漣は舌打ちする。
 アンゴルモアが澪那の能力を防いだのは、円形の盾だった。それを見た瞬間、それが全ての力に対して有効な盾である事が、漣には解った。マテリアライズと同じ能力によって創り出された、特殊な力を付与された盾。
「上等だぁっ!」
 逸也が叫び、重力球をアンゴルモアの周囲に創り出す。更に、両手に重力の剣を創り出し、アンゴルモアに突撃する。
 アンゴルモアが周囲に手をかざし、重力球を打ち消し、手に創り出した光を纏う剣で逸也の創り出した重力剣を受け止めた。重力が剣の帯びる光によって打ち消され、逸也が圧されて行くのが視えた。
「危ないっ!」
 叫ぶと同時に逸也の正面に空間の穴を創り出し、逸也を別の場所へ転送する。直後、逸也のいた位置にアンゴルモアの剣が振り抜かれていた。
「漣、私を飛ばせ!」
 深冬が声を上げた。反射的に深冬を着地したアンゴルモアの背後に転送させる。
「人間の身体の構造なら熟知しているっ!」
 言い、深冬が掌底を繰り出す。内側へと弾かれた腕を折り曲げ、肘打ちに転じた深冬に、アンゴルモアが後退する。左足を深く踏み込み、それを軸に右足で地面に円を描きながら身体を沈め、足払いへと攻撃を変化させた。払われた足に、アンゴルモアの身体が倒れ込むように浮いた。
「――!」
 立ち上がる勢いを加速させ、膝蹴りを鳩尾に食らわせる。そのまま膝を下ろさず、軸足から身体を捻るようにして回し蹴りを繰り出す瞬間、深冬の脚を光が包んだ。アンゴルモアは寸前で身体の前に左腕を回し、どうにか蹴りを受け止めたが、浮いているために慣性に逆らえずに弾き飛ばされた。背中を壁にぶつけながらも、腕をついて立ち上がる。
「……本当に生物になったみたいね」
 大きく息をしながら、深冬が呟いた。
 見れば、アンゴルモアの左腕が、蹴りを受け止めた場所から崩壊し始めていた。砂になって崩れるかのように、肉体組織が破壊され、崩れ落ちていく。流れ出る血は、赤かった。
 ただの物体にリカバライズは作用しない。それによる効果を受けたという事は、アンゴルモアが、『闇』が生物となっているという証明にもなる。
「それは光栄だな」
 呟き、アンゴルモアは自分の左腕を右手で切り落とすと、マテリアライズで左腕を復元させた。リカバライズによる肉体組織の崩壊は、伝染するかのように周囲の体組織へと広がって行く。それを、リカバライズの効果が侵食していない場所から腕を切り落とす事で身体全体が崩壊してしまうという事態を避けたのである。
「……やはり、少々不利か……」
 呟き、アンゴルモアが一歩後退した。
「――! 待て!」
 その意図が視えた漣は、アンゴルモアの進行方向にスペイシャライズで穴を開ける。逃がさないために。
 しかし、アンゴルモアは自らの空間干渉の力によって漣が創り出した穴を塞ぎ、その場から離脱して行く。戦場を都市外から都市内へと移そうというのだ。
「……どうする、漣?」
 視線も向けずに、逸也が問う。
 敵だけしかいない時には真っ先にでも突っ込んで行く逸也が、今回ばかりは漣に指示を仰いだ。四人の中では最も好戦的で直情的な逸也だったが、最も普通の人間でいたかったのかもしれない。都市内に入れば、少なからず漣達が戦う姿を見られてしまうのだから。
「追うしかない」
 言い、漣は駆け出した。
 スペイシャライズを使えば、漣達の姿を他の人間に見せる事なく移動する事はできる。そう告げ、漣はミラーシェード越しの視界で、アンゴルモアの向かった方向を見据えた。望むもの、アンゴルモアがどこにいるのかが、視覚に映る。距離がどんどんと開いていくのに焦りを覚え始めた時、漣の身体が軽くなった。逸也の重力制御が漣達を加速させて行く。
 剣を握り締めたままの左手を見る。感じていた熱は、痛みに変わりつつあった。
 逸也が重力制御で漣達を空中へと上げた。視界の下を多くの人が歩いている。何も知らずに、ただ平穏に生きている人達。少しだけ、羨ましいと思う。命のやり取りなど、望んでしたい事でもない。できるならば、一生せずに生きていたかった事だ。だが、それでも戦わなければ、全てが終わる。
「見つけた……!」
 前方に見えたアンゴルモアに、漣は思わず呟いていた。
 アンゴルモアは街中を走っている。周囲の人がそこに視線を向けている事から、姿は隠していない事が解った。周囲の目線を盾に、逃げているのだ。人間を明らかに越えた速度で走り続けるアンゴルモアに、道を作るかのように周囲の人達が道の脇にどいていく。
 不思議と、卑怯だとは思わなかった。アンゴルモアはただ、自分自身が生き伸びるために戦っている。周囲にあるもの全てを使い、あらゆるものを利用して、手段を選ばずに戦っているのだ。この世界を維持しようと、周囲の人達をも守る対象に入れている漣達にとっては、手が出し辛い状況にしているのだ。
 それでも、漣達は戦わなければならない。市内に入った事で、視界が開けた。その視界の上に映る空が、それを漣達に教えている。
 アンゴルモアの足元で小さく爆発が起きた。アンゴルモアが高く空中に飛び上がり、一瞬だけ漣達に振り返ると同時にナイフを四本投げる。それを澪那が空中で爆破し、攻撃を防いだ。
 地上では、アンゴルモアの跳躍の高さや、いきなり投げられたナイフ、それが途中で爆発した事で人々が混乱しているようだった。しかし、それに構っていられる暇は、漣達にはない。
(……やり辛い)
 漣は歯噛みしていた。
 アンゴルモアはこの世界にいる全てのものを破壊する事に抵抗がない。建物だけでなく、周囲の人間そのものに被害を与えても平然としていられるだろう。それが解っているから、漣達は地上に降りる事ができない。地上で戦えば、アンゴルモアとの戦いで周囲の人にも影響が出るのは必死だ。しかも、アンゴルモアが地上にいる時も攻撃が難しい。周囲の人に流れ弾が当たってしまう可能性もゼロではないのだから。加えて、漣の攻撃に至っては、攻撃したものがその場に残される。迂闊に攻撃するわけには行かない。
「逸也、俺だけでいい、地上に下ろしてくれ」
 漣は言い、地上に降り立った。まだ漣の姿は周りには見えていないが、見えないだけであって、触れる事はできる状態だ。
 剣を周囲の人達に当てないように注意しながら、漣はアンゴルモアへと駆け寄る。その漣を、逸也の重力制御が補助していた。周りには見えないはずの空間を作り出していても、能力の大本であるアンゴルモアには打ち消されてしまっている。アンゴルモアが、漣達だけは確実に視認できるよう、自らに能力を付与させる空間干渉をしているのかもしれない。
 漣が剣を振るう。避けようとするアンゴルモアに対して、澪那が能力を使った。よろめいたアンゴルモアに漣が剣を突き出す。後方へ逃れようとするアンゴルモアを、逸也の重力制御が押し留めた。武器を創り出し、防ごうとするアンゴルモアの腕を深冬の蹴りが弾く。
 アンゴルモアは漣の目の前に盾を創り出し、剣を弾いた。弾かれた剣を握る腕から、赤い雫が一滴飛んだ。
 周囲の人達は何が起きているのか解らず、ただうろたえている。
 近くにいた少女の腕をアンゴルモアが掴み、漣達へと突き飛ばす。うろたえる少女に攻撃の手が止まり、その間にアンゴルモアがナイフを連続発射した。
 逸也の重力波がナイフを空中へと吹き飛ばし、消滅させる。少女を避けるようにして漣達はアンゴルモアを追いかけた。
 背後で少女が転んでいたが、受け止めてやればそれだけあの少女も戦闘に巻き込まれる可能性がある。それに、漣達の存在は知らない方がいいだろう。
 アンゴルモアが掌を漣に向けた。瞬間、その行動の先読みが漣の視界に映る。攻撃用の重力波を、逸也が受け止め、核融合の爆発を澪那が相殺させた。更に繰り出される回し蹴りを深冬が両腕で受け止め、弾き返し、足払いに転じた瞬間には飛び退いている。起き上がり様に繰り出されたハイキックを横に身体をずらしてかわし、剣を突き出す。
「――!」
 瞬間、アンゴルモアの身体がブレた。空間干渉によって背後に転移したアンゴルモアが漣に回し蹴りを繰り出している。それを弾こうとする深冬に重力波がぶつけられ、吹き飛ばされた。後方にあった建物の壁に背中から激突し、罅を入れる。
 重力剣を創り出し、突撃しようとする逸也が爆発に包まれた。寸前で漣が空間をずらして防ごうとしたが、一瞬遅く、爆発を受けた逸也が地面に叩き付けられる。直撃は防げたが、完全に防ぐ事ができなかった。
 そして、逸也の防御に気を取られた直後には、漣の腹にアンゴルモアの蹴りが決まっていた。身体をくの字に曲げ、吹き飛ばされて建物のショーウインドウを突き破る。周囲から視認されないという空間が解けるのが解った。
 仰向けに倒れつつも、手を突いて起き上がろうとする。左手が痛んだ。見れば、握り締めていた剣の柄は血で赤く染まっていた。
 深冬も膝を着き、逸也もどうにか起き上がったところだった。澪那がアンゴルモアの背後で手をかざしていた。その右掌から血が滴っている。爆発が生じる寸前に、アンゴルモアが澪那の背後に移動していた。澪那を転送させようとした瞬間、腕の中を突き抜けるかのような痛みが走る。その痛みを無視して、澪那の場所を自分の場所と入れ替えた。
 アンゴルモアが創り出した大剣を漣が両手の剣を交差させて受け止める。人だかりができ、漣達やアンゴルモアの戦いを見る視線が増えて行く。
「左手が辛そうだな?」
 そのアンゴルモアの言葉に舌打ちし、漣は両手に力を込めた。剣が左右から大剣を砕き、振り抜いた状態から身体を回転させるようにして遠心力を加え、両腕を振るう。その先の剣を、アンゴルモアが飛び退いて避けた。
 剣で空間を裂き、アンゴルモアの目の前に一瞬で移動すると、返す刃で攻撃を仕掛ける。アンゴルモアが篭手を創り出し、剣を受け止めた。
「砕けぇっ!」
 声を出し、気合いを入れて剣を握る手に力を込める。刃が光の密度を増し、アンゴルモアの篭手ごと右腕を切り裂いた。腕を切り落とした漣に、直ぐに腕を復元するアンゴルモアに、周囲がざわめく。
 誰かが通報したのだろう、パトカーのサイレンが聞こえた。それに一瞬、アンゴルモアが気を取られたのが解った。その瞬間、漣はスペイシャライズでアンゴルモアと自分自身、澪那、逸也、深冬の五人をまとめて転送させる。
 人のいない場所へ、漣が望んだのはそれだけだった。そうして、転送された先は、誰もいない草原だった。日本なのか、そうでないのかすら判らない、ただ誰もいない開けた平原。
「……それ以上力が使えるか?」
 今まで、ほとんど絶え間なくアンゴルモアの転移を防ぐためにスペイシャライズを発動し続けた漣の左手からは絶え間なく血が流れ出ていた。
「使うさ。意地でも」
 汗が流れている。肉体的にも精神的にもかなりの疲労がある。
 空間干渉だけでなく、重力制御による補助も漣達に打ち消されているのだ。アンゴルモアも疲弊しているはずである。元が精神生命体であるアンゴルモアは、漣達よりも能力の扱いに長けている上に、リスクも少ないはずだ。だが、四人の攻撃に晒されてきたのだ。消耗していない方がおかしい。
「ここで決着をつける――!」
 言い、漣は駆け出した。
 アンゴルモアが放つナイフを澪那が爆破してくれている。重力球は逸也が相殺してくれた。漣よりも早く、アンゴルモアの背後から深冬が攻撃を仕掛けていた。
 頭を狙った回し蹴りを避け、アンゴルモアが繰り出す突きを腕で逸らし、蹴りの回転を殺さずに足払いに近い回し蹴りを繰り出す。小さく跳んで蹴りを飛び越えたアンゴルモアに漣が剣を振り下ろした。アンゴルモアが背後に向けた手に創り出した剣が漣の剣を受け止める。そのアンゴルモアの剣は闇色の光を帯び、漣の持つ剣の持つ力に対抗していた。
 深冬が足払いの回し蹴りの勢いそのままに、アンゴルモアの脇腹へと回し蹴りを放つ。それをアンゴルモアが手で受け止め、深冬の足を掴んだ。
「――ふっ!」
 深冬が息を吸い込み、身体を浮かせた。アンゴルモアの手を地面にするかのように身体を水平に浮かせると同時、身体を捻って回転させ、その勢いを利用してアンゴルモアの手首に光を纏わせた蹴りを見舞う。
「くっ!」
 その衝撃にアンゴルモアが深冬の手を離し、倒れた深冬は地面を転がるようにして距離を取った。
 片手が崩壊を始めたアンゴルモアに、漣はもう一方の剣を振るう。身体を捻り、漣に正面を向けたアンゴルモアが力任せに漣を弾き飛ばした。弾かれ、バランスを崩した漣に、アンゴルモアが蹴りを放つ。
「させるかぁっ!」
 横合いから、逸也の声が聞こえた。その手に握られた重力の剣がアンゴルモアの足を膝から切断した。そして、アンゴルモアと漣の間に割り込むようにして止まり、躊躇無く重力の剣でアンゴルモアを切り払う。脇腹から肩へと、袈裟懸けに切り上げるようにして、逸也が剣を振り抜いた。
 両断されたアンゴルモアの身体から、新たな身体が瞬間的にマテリアライズされる。同時に力を付与された服がアンゴルモアの身体を覆うようにマテリアライズされていた。切り離された下半身は崩れ落ちている。
 アンゴルモアが剣を振り抜き、その動作によって硬直している逸也に掌底を放った。漣が移動させようと意識するよりも早く、アンゴルモアの掌が逸也の腹にめり込んだ。
「がぁっ!」
 口から血を吐き、逸也が吹き飛ばされる。その背後にいた漣を巻き込み、逸也が地面に倒れる。逸也の身体を自分の上からどかした漣は、逸也が失神している事に気付いた。
 見れば、深冬がアンゴルモアに攻撃していた。能力を纏わせた攻撃は、生物ではないアンゴルモアの服に命中させても効果がない。生身の部分、それもマテリアライズで復元されない部分があるとすれば頭部だけだ。深冬は頭部へ攻撃を集中させようとしていたが、そのどれもが防がれていた。逸也が気を失った事で、重力制御による補佐が途切れている。深冬の攻撃速度は低下していた。
 掌底を繰り出した深冬に、アンゴルモアが蹴りを放つ。繰り出している攻撃を強引に中断し、深冬は蹴りを回避する。そこへ投げ付けられたナイフを腕で横合いから打ち払うが、その直後、アンゴルモアが背後に転移していた。深冬が振り返るよりも早く、脇腹にアンゴルモアの剣が食い込む。
「――!」
 深冬は自ら地を蹴り、振るわれた剣に自分の身体を預けていた。そうする事で身体が切断される事を防いだのである。振るわれた剣によって放り投げられた深冬が地面に転がり、呻き声を上げ、傷口を手で押さえた
 瞬間、爆音が聞こえた。漣と逸也がアンゴルモアと距離を取った事で、澪那が自分の能力を全て攻撃に回していた。アンゴルモアが絶え間なく爆発に包まれている。続いている爆発の中から、投げられた細い刃が澪那の右肩に突き刺さった。澪那の能力が途切れた一瞬に、爆煙の中から放たれたナイフが澪那の脇腹に深く突き刺さる。
「――澪那ぁっ!」
 叫んだ漣に、澪那は一瞬だけ視線を向け、ぎこちなく微笑んだ。
 跳ね起き、澪那の元へと駆け出そうとしたい衝動を堪え、アンゴルモアに意識を向ける。今、澪那の事に完全に意識を向けてしまえば、アンゴルモアが空間干渉で逃げようとした時に対処し切れない。そうなれば、戦いは続く。仲間のためにもここでアンゴルモアを取り逃がすわけにはいかないのだ。
 アンゴルモアが力を付与したロングコートは、全ての能力に対して防御能力を持つのだろう。唯一つ、漣の創り出す武器の力を除いて。
 右掌が痛い程に熱を持つ。自身の身体能力を高めるという能力を付与したジャケットを身に纏わせるようにマテリアライズし、駆け出した。全てを裂く剣が空間を裂き、漣がアンゴルモアの背後に瞬間移動する。振るった剣を、アンゴルモアが創り出した剣が受け止める。回し蹴りを放つアンゴルモアに、漣はもう一方の剣を振るった。
 アンゴルモアが自らの身体を転移させ、漣から距離を取る。踏み込んだ漣がアンゴルモアの目の前に移動する。漣が右手の剣を突き出し、アンゴルモアがそれを下方から振り上げた剣で弾き、弾かれたベクトルを利用して身体を回転させ、漣は左手の剣を振るった。アンゴルモアは振り上げた剣を振り下ろし、弾く。
「――つっ……!」
 掌の痛みに、左手の剣を取り落とした。
「貰った!」
 アンゴルモアが横合いから剣を振るう。漣はそこへ左手を向けた。痛みが左腕の中を貫くのも構わずに、能力を発動させる。瞬間、アンゴルモアの腕が切断されていた。空間ごと、物体を切り裂いたのである。アンゴルモアの持っていた剣がそれを握っていた手ごと地面に落ちる。
 アンゴルモアが咆哮し、漣へ向けて、槍をマテリアライズさせる。迫り来る刃先を振り上げた剣が切り裂き、返す刃で袈裟懸けにアンゴルモアへと振り下ろす。身体と漣の剣の間にアンゴルモアが盾を創り出した。盾に剣が命中する寸前、漣の左手が剣の柄を握り締めていた。
 左腕の内部を痛みが突き抜ける。漣は咆えた。
 盾と剣の間に空間の亀裂を生じさせ、盾だけをすり抜けさせる。避けようと、後退するアンゴルモアの背中が爆発し、その場に押し留め、両腕両足が重力によって引かれ、身体の動きを拘束する。剣を纏う光が尾を引き、刃がアンゴルモアの身体を袈裟懸けに両断した。振り抜いた勢いを殺さず、そのまま身体を一回転させると同時に、腕を高く真上へと振り上げる。そして、遠心力で加速させた剣に全体重を乗せて縦に振り抜いた。
 剣が地面に食い込み、一直線に地面を裂いた。アンゴルモアは縦に両断され、地面に倒れた。
『……見事だ……』
 剣の先を地面に埋めたまま、振り抜いた体勢のままの漣に、『闇』が言葉を投げた。
「……満足そうだな」
 荒い息を吐き、漣は言った。汗が額から頬を伝い、流れ落ちていく。
『生物として、この世界で死ねるのならば、それも本望だったからな』
「……後悔しない、なんて言わねぇぞ、俺は」
 漣は剣から手を離し、告げた。
『……私が死ぬ前に、残りの力を使ってこの世界を修復しよう。どこまでできるかは解らんが、な……』
 その声を最後に、アンゴルモアの身体から生命体としての気配が消えた。
 振り返った漣の目に、澪那と逸也、深冬が映る。最後の最後で漣の攻撃をアシストしてくれた澪那も、逸也も無事のようだった。自分の傷を治癒し終えた深冬が澪那の傍にいた。リカバライズで澪那の傷も治癒しているのだ。
「勝った……」
 言い、笑みを浮かべた漣はそのままうつ伏せに倒れ込んだ。全員が無事、その事に安心すると共に、この世界を守る事ができたという事に安堵する。だが、同時にアンゴルモアという存在を抹殺してしまった事に胸が痛んだ。
 そうして、どうにか身体を仰向けにした時、空が一瞬輝いたように見えた。
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