シーン09 「彼女」


 クライスがフラストと大喧嘩をした日の翌日。
 特に用事もなく、その日は仕事をする予定も入れていなかった。ガルフの下での鍛錬や実戦経験などの際にこなした仕事で資金はかなり増えていたため、生活 には余裕ができてた。もちろん、更に上を目指すための装備や道具の新調、強化などにも資金は回しているため、そこまで楽観視はしていられないのだが。
 とはいえ、休息や気分転換は必要だ。
 行きつけの本屋に立ち寄った後に街中を歩いていると、ふと見かけたことのあるような人物が目に入った。
 その女性は屋外にもテーブルのある料理店でウェイターに注文をしているところだった。
 一瞬考えて、誰だったかを思い出す。
 先日、クライスと一緒にいた女性だ。どうやら一人で食事をしようとしているところのようだ。
 食事がまだだったことと、彼女と少し話をしてみたい衝動に駆られた私は、彼女の方へ足を向けた。
「あなた、クライスの彼女さん、よね?」
 そう声をかける。
「あなたは?」
 いきなり知らない人物に話しかけられたからか、彼女は警戒しつつもこちらの様子を窺っている。
 肩ぐらいまでの長さの金髪に、すらりとした中々の美人だった。肉付きはそこそこで、シーカーでないのならやや筋肉質気味かもしれない。顔立ちも女性としては凛々しく、スポーティな印象だ。胸のサイズは私よりもやや大きいかもしれない。
「私はシーカーのリエナ。クライスとは顔見知り、かな」
 クライスと私の関係は何だろう、と一瞬考えた。仲間よ呼べるほど親しくはないし、チームも違う。友達と呼べるほど頻繁にパーティを組んで仕事をしたわけではない。ガルフはクライスとはスタイルが違うのだから、兄弟弟子というのも違う気がする。
 結局、顔見知り、という程度の表現しか思いつかなかった。
「クライスと一緒にいるのを見たことがあって、ちょっと気になったものだから」
 彼女は無言のままだったが、クライスという名前に眉が僅かにぴくりと反応していた。
「相席いいかしら?」
「ええ、どうぞ」
 彼女の返事を確認してから向かいの席に座る。
 適当に昼食を注文してから彼女に向き直る。
「あいつが何か?」
 やけに突き放すような声音だった。
 クライスの彼女であるなら、私は浮気相手だと疑われているのかもしれない。いきなり彼氏の知り合いだと言う女性に話しかけられたら疑っても仕方がない。
「あ、えっと、勘違いしないで欲しいんだけど、クライスのことが好きとかってわけじゃないからね。なんて言ったらいいのかな……ええと……」
 やや慌てて、誤解だったとしたらどう言えばいいのかを考える。
 眉根を寄せて額を押さえて必死に考える仕草を取る私を見て、彼女は小さく笑みをみせた。
「クライスの彼女って、どんな人なのかなって思って……」
「私はセイア」
 私の言葉を待って、彼女は名前を教えてくれた。
「確かに、私はクライスの彼女だったわ」
「……だった?」
 セイアの言葉に、私はやや驚いていた。それはつまり、別れたということなのだから。
「ついこの前、振ったの」
 頬杖をついて、セイアは心底つまらなさそうにそう言った。
「と言っても、これで七回目なんだけどね」
 肩を竦めるセイアに、私は目を丸くするしかなかった。
「七回目?」
 思わず聞き返す。
 セイアが頷く。
「じゃあそれまで七回も別れて付き合ってを繰り返してたの?」
「そうなるわね」
 ウェイターが彼女の分の料理を運んできて、一瞬会話が途切れる。
「我ながら、馬鹿らしいわよね」
 運ばれてきたパスタに手をつけながら、セイアが言った。
「でも、今度はもうダメね、きっと」
 素っ気無く言っていたが、その口調には諦めが混じっていた。
「実は、昨日のことなんだけど……」
 私は昨日あった大喧嘩のことを話してみることにした。昨日の時点で既に別れていたようなのだが、私は言わずにはいられなかった。
 相手がクライスのことを良く知るであろう人物だったからなのか、他の人に話したかったのか、自分でも良く分からない。
「クライスが今いるチームで、大喧嘩になったみたいで……それでちょっと気になってて」
 その場に居合わせていなかったから、余計に気になっているのだろう。クライスを知る人物に話を聞けば、気を紛らわせると思っていたのかもしれない。
「私が出会った時も、酷い出会い方だったから」
 クライスと出会った時のことを思い返して、私は溜め息をついた。
「そう……」
 セイアも何か思うところがあるようだった。
「何も変わってないのね、あいつ」
 それから大きな溜め息をついて、セイアは呟いた。
「よく七回もやり直せたわね」
 セイアの様子に半ば呆れつつ、私は言った。
 何も変わっていない、と言うことは改善や進歩が見られないということだ。七回も別れた理由は分らないが、昔からあの様子だったということの想像は容易についた。
「自分でも呆れるてるわ」
 セイアは力なく笑う。苦笑いだったかもしれない。
「ああ見えて、邪気はないのよね。根は悪くない、って思う」
「ああ、それは何か分かる気がする」
 セイアの言葉に、私は共感していた。
 私がクライスに嫌悪などの感情を抱いていない理由がそれだ。大喧嘩の場に居合わせていればまた印象は違うのかもしれない。
 確かに、クライスの人格には問題があると思う。ただ、クライスからは悪意や憎悪は感じない。
 根っこの部分では普通の人間だ。悪い奴ではない。
 そう思えている自分がいる。
 だから未だにクライスに対して嫌悪や憎悪のような負の感情を抱かないのだろう。誰かを貶めたり、足を引っ張ったり、そういったことを常に考えているよう には見えない。自信家であったり、直情思考だったり、単純だったり、欠点となる部分はあるにせよ、基本的に邪気はないのだ。それに振り回される周りは辟易 するだろうが。
 ガルフも、邪気が無い故に放っておくのが危険だと判断したのだろう。多過ぎる足りない部分を最低限でも補ってやれば、少なくとも実害を出さぬようにできるかもしれない、と。
「根は悪い奴じゃないと思うんだけどね」
 言って、苦笑する。
「そう、根は悪くないのよ」
 セイアの表情には諦めがあった。
「でも、もう無理」
 続く言葉を、私は否定できなかった。
 いくら根が良い奴であっても、それだけではダメだ。根が良い奴であれば許されるようなら、こんな事態にはなっていない。
「変わってくれることを期待して、そうなってくれるように頑張ってきたつもりだけど、もうダメ」
 セイア自身もクライスとよりを戻す度に、彼の悪い部分を直そうとしてきたのだろう。根は悪くないのだから、改善の余地はあると信じて。いや、そういう邪気のなさ故に、嫌いにはなれなかったのかもしれない。
「さすがにもう付き合い切れない」
「七回も良くやったと思うわ」
 顔を見合わせて乾いた笑いを交わす。
 確かにクライスは初対面であろうとなかろうと馴れ馴れしく、態度も大きい。ただ、普通に趣味や気の合う部分の話をしている分には気さくでそれなりに面白いと感じるような人間だ。
 とはいえ、私個人の恋愛対象としては願い下げだ。いくら趣味や気の合う部分があるとしても、それだけで恋愛対象にはなりえない。
 私はチームも違うし、時折会う程度でもあり、私自身の考え方や性格などもあって嫌ってはいないが、だからと言って好きでもない。接点が少ないからこその感情であって、同じチームにいるなど、もっと距離が近かったならば嫌っていた可能性も大いにある。
「あいつは自分が悪くないと思ってる。その考えを絶対に曲げない」
 コーヒーを一口飲んで、セイアは言った。
「自分以外の人の言うことを聞かないのよ」
 両手で支えたコーヒーに目を落として、セイアが呟く。
「師匠って言える人に会えた、って言ってたから少しは変わるかな、って思ったんだけどね」
 そう言って力なく笑うセイアの顔には呆れや諦めだけでなく疲労が見えた。
 チームに入って、ガルフの指導を受けて、変わってくれるかと期待していたようだ。だが、マシになったのはクライスが凄いと思うガルフの知識や戦闘技術を学んだという点だけで、人間性に変化はなかった。
「……自分の性格に問題がある、ってことを理解できてないのね」
 紅茶を一口飲んで、私は小さく息をついた。紅茶はもう温くなり始めていた。
「子供のままなのよ」
 空になったコーヒーカップを置いて、セイアは頬杖をついた。
 学習しているのは知識や技術だけで人間的な成長をしていない。そう思えてしまうのも無理はない。
「あーあ、何であんなの好きになったんだろうなぁ」
 大きく溜め息をついて、セイアが椅子にもたれかかる。
 良いところはあるのだろう、と思う。ただ、それ以外が目に余り過ぎた。
「また復縁する可能性は?」
 もうダメ、とは言っていたが一応聞いてみた。
「無い、とは言い切れないけどね」
 セイアは一度苦笑して、そう答えた。
「でも、多分ないかな……」
「他に好きな人でもできた?」
 小さく呟くセイアに、そう尋ねてみる。
「まぁね」
 当たりだった。
 クライス以外に好きな人、気になる人ができてしまったなら復縁の可能性は少ないだろう。
「今回は本人にも言って別れたから」
「荒れなかった?」
 セイアに問うと、彼女は肩を竦めただけだった。
 クライスの性格を考えれば、暴言ぐらい吐いていそうだ。シーカーのクライスが物理的な攻撃を伴う喧嘩を起こせばセイアもただでは済まない。当然、ギルドからシーカーが無闇に暴力を振るうことは禁止されているが、だからといってそういう事が起きない訳ではない。
 その点、セイアが平然としていられるのは、長く付き合っていたことで彼女がクライスのあしらい方を心得ているということなのだろう。
「別れを切り出した時に、変わってくれそうな素振りでもあれば違ったかもしれないんだけどね」
 比較対象を作ることでクライスを変えようとしたのかもしれない。
 セイア自身、クライスに愛想が尽きてきていたのは間違いないだろう。そこまで付き合ってきていれば他にクライスよりも良いと思える人ができるのは自然なことではある。むしろ、今まで良くクライスと復縁できたものだ。
「あいつは自分の何がいけなかったのかまるで分かっていない」
 結局、それでもダメだった。
 セイア自身、クライスに未練のあるような言い方をしている自覚あるように見えた。復縁の可能性を完全に否定しなかったのもそのせいだろう。
 ただ、これまでのクライスとの関係で彼がどうあっても変わらない、ということを嫌と言うほど知ってしまった。
 きっと、私が聞くまでもなく、セイアはクライスにどこが悪いのか、直して欲しいのかを直接的にも間接的にも伝えているはずだ。それでも改善されないのなら、いくらクライスを好いている部分があるとしてもいずれ限界がくる。
 嫌いにはなりきれない。無関心にもなりきれない。だけど、もう好きでいられない。
「食事、邪魔してごめんなさい」
 食べ終えたまま長居をするのも悪い。そろそろ席を立とうと思い、いきなり話をしにきたことをセイアに詫びた。
「気にしないで。結構すっきりしたから」
 セイアはそう言って笑ってくれた。
 彼女自身、内に貯めた不満を誰かに話したかったようだった。
「あなたとは良い友達になれそうだわ」
「そう言って貰えると嬉しい」
 セイアにそう言われて、私は彼女にギルドカードを渡した。
「また今度、ゆっくり食事でもしましょう」
「あいつの話題は抜きで、ね」
 私の言葉にセイアはそう答え、私たちは笑い合った。
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