1 「購入当日」 ついに買ってしまった。 パワーアシストフレーム付きの青い作業着を身に着けた配達員が部屋の中に大きな箱を運び込んでいる。箱の大きさは人が一人丸ごと収まる大きさで、やや灰色がかった落ち着いた白色をしている。 「こちらでよろしいですか?」 「はい、とりあえずそこで大丈夫です」 問いに答えると、配達員はゆっくりと箱を横向きにして置いた。 「では失礼します」 「ありがとうございましたー」 軽く会釈してマンションから出て行く配達員にお礼を言って、部屋に戻る。荷物の代金も配送料も、すでに支払い済みだ。 目の前に鎮座する大きな白い箱を前に、小さく息を呑む。 期待半分不安半分で、後悔にも似た感覚と、興奮と緊張が体の中で渦巻いている。 箱、というよりも棺桶にも見えるそれの中央には、HI−DARAと書かれたロゴが刻まれている。そのロゴマークの下にボタンがある。 恐る恐る指を伸ばし、意を決して押した。 小さく電子音が鳴り、箱の表層が静かに展開する。 箱の内側はベッドのようにクッションが敷かれ、一人の女性が眠るように横たわっていた。身長は百五十五程度で、二十歳になるかならないかといった印象の 女性だ。均整の取れた体付きをしていて、やや大きめな胸、程好く引き締まった腰からバランスの良いヒップラインと、モデルのようなプロポーションをしてい る。 睫毛は長く、薄めの唇に整った鼻筋と、白いが健康そうな肌に、僅かに青みがかった銀の髪。かわいいと美しいを半々ぐらいの割合で調整した、理想的とも言える外見だった。 もちろん人間ではない。 いわゆるアンドロイドという奴だ。 「ガイドに従って初期設定を行って下さい」 箱から音声によるガイドが流れ始めた。機械音声だと分かるものの、抑揚や喋り方は流暢で自然なものだ。 同時に、箱の中央付近、隣に腰を下ろした自分の目線ぐらいの高さの空間にスクリーンが投影展開された。 「ユーザー登録のためユーザープロファイルを入力して下さい」 「高藤英司(たかとうえいじ)、二十歳、男、大学生、生年月日は……」 スクリーンに表示された入力項目に従って、自分の情報を音声で入力していく。 高藤英司というのが自分の名前だ。風呂トイレ別の1LDKのマンションで一人暮らしをしている大学二年生だ。 両親は健在だが、仕送りとアルバイトで生活をしている。 今日届いた目の前のそれは、節約を重ねて溜め込んだ資金を奮発して購入した。 自立型多目的補助ツール(Autonomous Multipurpose Auxiliary Tool)、略称AMATと呼ばれるこの商品は、ありていに言えばアンドロイドだ。 人工知能、AIを搭載した人型の機械であるアンドロイドはここ数年で個人でも手が届くほどに普及しつつある。最初は人手不足が深刻な体の不自由な人や、老人たちのような介護を必要とする場に広まり、改良が進み、技術がこなれたことで様々な方向に進歩していった。 今では超高性能なパソコン端末を購入するような感覚で、高いが一般人でも所有しようと思えば出来るぐらいになった。 商品としてのバリエーションはピンからキリまであり、見るからにロボット然としたものから、人間と見分けがつかないほどに精巧なもの、手のひらサイズの人形のようなもの、果てはもはや人型ですらないものまで存在する。 アンドロイドと聞いて人型を想像する者が多かったせいか、AMATという略称の下、エーマット、アマト、オートマットといった呼称が定着していった。 購入方法も今では単純で、各AMATメーカーの公式サイトにアクセスし、手順に従って手続きをするだけだ。 購入者が揃って頭を悩ませるのが、どのメーカーの、どのタイプを選ぶのか、という点だろう。各メーカーは競合他社との差別化のためにそれぞれ特徴があり、望む商品に合ったメーカーを選ぶ必要がある。 英司が選んだのは女性型AMATメーカーとして評価の高いHI−DARA社だった。 AMATはメーカーやタイプ次第ではあるものの実に多彩な機能を持つが、人型でコミュニケーションが取れ、かつ身の回りの世話をさせるとして英司の浮か んだイメージは執事や秘書、メイドといったものだった。実際のところ、商品としての売れ行きはそういった傾向のものが多く出回っている。 コミュニケーションと言っても、AI制御の擬似的な人格であって、種別としてはAMATも道具の一種である。ただ、それでも人型を選ぶ限りは同居するというイメージが捨て切れず、あまりにも無機質な外見を選ぶ気にはなれなかったのが正直なところだった。 欲しいAMATの方向性と、メーカーを決めたら次は公式サイトのシミュレートシステムで細かい部分を決めて見積もりを取る。 搭載する機能の選択もさることながら、一番気を使うのは外見の設定だろう。性別や性格の傾向から身長、目鼻立ち、肌の色、髪の長さ、髪の色、各部の大き さ、手足の長さ太さから指先の長さ太さといったプロポーション、といったありとあらゆるパラメータを自分好みにデザインできる。納得が行くシミュレートモ デルが構築できたら、見積もりを取り、注文すれば後はメーカーがその仕様通りのアンドロイドを製造してくれる。 当然、メーカーによってはあまりにも細かく設定出来すぎてどうすればいいか分からなくなる客もいる。そういった人向けに、ほとんどのメーカーは何種類か プリセットモデルを用意している。プリセットから自分のイメージに近いものを選び、それをベースに細かいところを調整するだけでも割と思い通りのものがで きるからだ。全てのパラメータを好きにいじれる、というのはマニア向けのニーズに合わせてのものだ。 「ユーザー情報および声紋の登録を完了。起動します」 一通りの個人情報を入力し終わると、それを入力していた声をユーザー情報と紐付けて登録する。これにより、AMATは持ち主を声で判別できるようになる。 登録した情報と、声紋を起点として、AIが生活の中でユーザーに合わせて学習していくことになる。 いくつかの文字列が流れた後、空間に投影されていたスクリーンが消えた。 少しだけ緊張しながら見守っていると、ゆっくりと箱の中の女性が起き上がった。 自然な動きで、手を使って体を支え、身を起こす。何も身に着けていない乳房がこれまた自然な柔らかさを感じさせながら揺れる。 「起動完了。全機能正常です」 ゆっくりと目を開き、彼女は小さく、それでいてはっきりと聞こえる声量で告げた。薄い唇がしっかり動いている。 箱のシステムメッセージと違って、とても耳に心地良い声だ。凛として、澄んだ、やや低めの声質。 開かれた青色の瞳がすっと、こちらを見る。 無表情ではあるが、無機質さを感じさせない自然な無表情だ。 人ではないアンドロイドであると分かっていても、どきりとした。 「各種初期設定の確認をお願いします」 AMATがこれまた程好い声音で告げる。 「えーと、初期設定か……ちょっと待って」 胸ポケットから取り出したスマートタブレットにあらかじめインストールしておいたAMATのスタートアップガイドのアプリを呼び出して、初回起動時の設定項目について調べる。 ユーザーの自宅の住所については先の個人情報の音声入力時に登録されている。日常的にAMATにも触れさせるであろう家電の配置は教える必要があるとの ことで、部屋の中を案内する。一々使用許可を確認せずとも良いものをあらかじめ登録しておく。レンジや冷蔵庫、洗濯機、エアコン、掃除用具、風呂トイレ、 この辺りは家事全般を任せる上で登録は必須だろう。 後から追加で登録するすることもできるから、とりあえず今思いつくだけのことを伝えていく。 価格帯としては学生でも手が届くものではあるが、決して粗悪な低品質なものを選んだつもりはない。最高級品ともなればさすがに目玉が飛び出るほどの金額が出るため、そういう意味では比較的安価な品質のAMATではある。 「言語表現、ユーザーの呼称などはいかがいたしますか?」 元のリビングに戻ってきたところで、AMATがそう問いかけてきた。 「言語表現っていうと、喋り方とかか」 スタートアップガイドの該当項目を探しつつ、思案する。 買ったばかりでいきなり馴れ馴れしい喋り方をされても違和感がある。かと言ってあまりにもよそよそしくても息苦しく感じてしまいそうな気もする。 「とりあえずは標準設定で。ユーザーの呼称は……どうするか」 違和感があったら変更するということにして、次の項目で頭を悩ませる。 いわゆる日常生活の補助を一番の目的とするなら、主従関係である。初期設定でのユーザーの呼び方は名前によらない、マスター、となっているが、それを変更するべきかどうか。メイドのようなものということで、ご主人様、なんて呼ばせる者も少なくはない。 人によって感性の異なる部分だろう。 「では、いくつか提示致します」 決めあぐねていると、AMATが静かな声で提案してきた。 AI制御だということは理解しているが、こうも自然な形で自主的に選択肢の提案ができるものなのかと正直驚いた。 「マスター。マスター様。マスターさん。ご主人様。旦那様。ユーザー様。ユーザーさん。英司様。英司さん。英司」 すらすらといくつもの呼び方を上げていく。 実際に彼女の声で聞いてみると印象が変わるかもしれないということを失念していた。いくつかのパターンで呼んでもらってしっくりくるものを選ぶというのは確かに分かり易い。 「そうだなぁ……じゃあ、ひとまず英司さん、で」 簡単に後から変更できないのはユーザーの個人情報や声紋登録ぐらいだ。他は気になるようならその都度指摘して変更させればいい。 「承知致しました」 AMATは軽く目を伏せ、小さく会釈をした。 「言語表現なんだけど、もう少し親しみ易い形にできる? ええと、態度の設定かな……」 ガイドアプリに指と目を走らせつつ、項目を探す。 今のままでは口調が丁寧過ぎる。まさに執事やメイドといった丁寧さではあるが、もう少し柔らかくていい。友達感覚、とまでは行かなくていいかもしれないが、そこまで事務的でなくてもいいと思う。 「分かりました。ユーザーへの態度・距離感の設定を、同世代・友達のレベル一に設定します。他者への対応にも適用しますか?」 他者への対応にも同じ設定を適用しておかなければ、ユーザーとそれ以外の人間との会話で態度が変わることになる。 「うん、ひとまずはそれでお願い」 距離感の設定にはそれぞれレベルが三段階ほどあり、数値が高いほど気安くなっていく。レベル一であれば、友達になったばかりで気安さや親しみ易さはあるが基本は丁寧な言葉遣いといったところだろうか。 外見を考えると一つ二つ年上ぐらいな気がするが、そういった部分も調整できるものなのだろうか。 「わかりました」 そういって微笑む彼女の表情も、幾分か親しみ易いものに感じられる。しっかり調整されているのか、それともそう感じるだけの気のせいなのか、いまいち判別がつかない。 「後は服と……」 確か一緒に注文しておいた服があったはずだ。さすがにそろそろ全裸のままというのに気まずさを感じつつある。 そしてもう一点、頭を悩ませるものがあった。 「名前、決めないと」 彼女を呼ぶ際の呼称は決めておく必要がある。 とはいえ、単にAMATと呼びかけても実は困ることはそうない。外に出て、他にAMATを所有し連れている人が複数いる中でそう呼びかけても、反応する のはユーザー登録してあるAMATだけだからだ。声紋によるユーザー認識が働くのは、それを登録してある機体だけであり、他のユーザーのAMATが応じる ことはない。 ただ、複数のAMATを所有しているユーザーの場合はどの個体に呼びかけているのか判別する必要は出てくる。 「うーん、どうするかな……」 こういう時にすぱっと決められたらいいのだが、あれこれ考え過ぎて結局決められなかった。 アンドロイドだからアン、AI制御だからアイ、などと安直な案はいくつか出てきたが、単純過ぎて同じ名前を与えられたAMATは思いの他多いらしい。 機械的な名前を付けても問題はないのだが、外見を割と拘ったからにはそれなりにらしい名前を付けてあげたいと思ってしまう。 「シルヴィ」 僅かに青みがかった銀の髪を見て、その名前で呼んでみた。 アッシュブロンドやプラチナと、どちらが近い色合いだろうか。配色する際には銀の色味を強くして、青みはほんの僅かに入れたアクセントのようなものだったはずだ。だとしたら、やはり色としては銀か。 これも安直だろうか。 「シルヴィで、どうかな?」 「名前、ありがとうございます」 遠慮がちにもう一度呼ぶと、彼女は嬉しそうに笑みを見せた。 断るわけがないと分かっていても、またどきりとした。 見た目の設計からして、自分の好みで選んでいるのだから当然と言えば当然だが、見とれてしまう。声のトーンや喋り方も、機械が発しているとは思えないほどに自然だ。 服の包装を解き、シルヴィが着替える姿を目で追ってしまう。下着を身に着け、パンツを穿いてシャツに腕を通す。 こうして実物を前にするまでは、心のどこかでもう少し人間味のないものを想像していた。 いや、やろうとすればそういった線引きが明確に見えるAMATを発注することだって出来たのだ。ただ、それを選ばなかっただけだ。 インターネットやメディアで、AMATの映った動画や広告など探せば腐るほど出てくる時代だ。自分でも購入前のイメージとして、そういったものに触れてきたはずだ。 だというのに、こうして目の前に自分好みの姿かたちをした異性がいて、しかもそれが機械仕掛けだというのが何とも不思議な気分だった。 替えの下着や服も買わないと、とぼんやり考える。 いくらシルヴィがAMATとはいえ、同じものをずっと身に着けさせるわけにはいかない。 人間のように新陳代謝をする機能はないが、それでも激しい動きや力仕事をさせれば内部の温度調節のために汗をかいたりする機能はついている。あれこれさせていれば表面も少しずつ汚れていくだろうし、炊事や掃除などを任せていれば衣服は真っ先に汚れていくだろう。 男物の自分の替えの衣服を着させておくのもなんだか気が引ける。それはそれでと一瞬思ってみたりもしたが、自分の衣服が着たいと思った時に使用中で着れないという可能性が生じることもあるのだから、彼女用のものは別途用意するべきだろう。 「……そういえばもうこんな時間か」 ふと、時計を見て、もう日が沈みつつあることに気付いた。 シルヴィが裸で届くことも考えてカーテンは閉め切っていたから、外の様子では時間が分からなかったのだ。昼前に届いたはずだが、思いのほか初期設定に時間がかかってしまった。 「夕飯、何か作れる?」 思いついて、聞いてみることにした。 「料理プログラムパッケージをインストールすれば可能ですよ」 「料理プログラムか……」 スマートタブレットからざっと検索してみたが、かなりの数のプログラムパッケージが販売されている。値段も千差万別で、小分けされていたり複数のパッ ケージがまとめ売りされていたりしていた。レシピ単体販売というのもあるらしい。企業ではなく個人が考案したオリジナルレシピであったりアレンジレシピで あったりというのまで検索に含めると膨大な量がある。 どうしたら自分の思い描く丁度良いものを探せるのかとめまいがしそうだったが、ユーザーのオススメや人気度合いで絞り込みをかけてどうにかそれらしい比較的安価な家庭料理のレシピ集を購入した。 「これは思ってたよりも大変かもしれないな……」 シルヴィに購入したレシピ集のプログラムパッケージを転送し、インストールさせながら小さくため息をついた。 「インストール完了しました。それで、何を作りましょう?」 「えーと、今あるものだと何が作れそうか分かる?」 シルヴィの問いに、そう返してしまった。 特にこれといったリクエストが思い付かなかったのが正直なところだったが、何でもいい、などと答えるのは思い止まった。人間のように振る舞えるAIを搭載しているとは言っても、AMATは分類としては道具だ。 曖昧かつ判断をAMATに委ねるような指示を出したらどうなるのか興味はあるが、明確な指示がなければ行動に移れないと言われてしまえばそれまでだ。 「そうですね……」 左手を右肘に添え、右手の人差し指で口元に触れるようにして視線を落とし、シルヴィは考える仕草をしてみせる。それもまたとても自然な動きで、外見も相まって様になっていた。 「今直ぐに作れるものだと――」 先ほどインストールしたレシピの中から、家の中を案内した時に見せた冷蔵庫や棚の中身にあるもので作れるものを検索したのだろう。シルヴィが料理の名前を挙げていく。 「じゃあ、パスタサラダと……」 その中からいくつか選んでみる。 「はい、分かりました」 彼女はそう言って微笑み、立ち上がった。 シルヴィは自然な動きで冷蔵庫を開けて食材を取り出し、手際良く調理していく。 エプロンなど用意していなかったが、シルヴィは気にした風もなく、まるで当然のことであるかのように腕捲りをして服の袖が汚れないようにして、食材を丁寧に処理していく。 その様はまるで手馴れた人間が料理をしているかのようだった。 AMATという道具の一種だと分かっていても、年頃の女性が台所に立っているようにしか見えない光景に、英司はどこか落ち着かない気分だった。 さすが女性型AMATの品質に定評のあるHI−DARA社製だけあって、こうして眺めていると人工物だとは思えない。買っておいて今更だが、もっと機械的なものを選ぶべきだっただろうか。なまじ好みを詰め込んだ外見にカスタマイズしているだけに、妙に意識してしまう。 相手はAIで動く機械であり、英司はそのユーザーだ。英司が意識したところで、シルヴィは英司の指示に従うし、感情や思考は擬似的なものであって、そう 見えるように振る舞うようプログラムされているだけだ。頭では分かっているはずだが、理想的な外見の女性が目の前にいるというのがここまで破壊力のあるも のだったとは、予想していなかった。 そのままシルヴィの料理する姿を目で追って、完成まで過ごしてしまった。シルヴィは英司の視線に気付いているのかいないのか、穏やかな表情で皿に盛られた料理を机の上に並べていく。 並べられた料理は一人分だけで、シルヴィは英司の向かい側に腰を下ろした。 「……いただきます」 何となくそう告げてから、料理に箸をつける。シルヴィは微笑んで、英司が食べるのを見ているだけだった。 「やっぱり自分で作るより美味いな」 レシピ通りに作られただけのはずだが、逆にだからこそ自分の手で作ったものよりも美味しい気がした。 調味料や材料の質に差はあれど、調理方法やかける時間などの誤差は間違いなく英司自身がレシピに従って作る時よりも小さい。今後は同じ食材があれば、ほぼ同じものが食べられるのだろう。 「そう、良かった」 シルヴィは相槌を打つように、そう言って笑顔を見せる。 彼女は食事を必要としない。 AMATに食事をする機能がない、という話ではない。人間と共に過ごすという観点から、口から食物を取り込んで体内で分解するという機能を持たせること 自体は可能だ。ただ、分解した養分を人間がそうしているように機械の体の動力にするというのは不可能ではないが効率が悪い。基本的に電力で動いている AMATは、食物の分解にも電力を使ってしまう。分解したものを再利用して電力に回す機構を持たせること自体は出来ても、それだけでは分解するための消費 電力と再利用して得られる発電量はつり合わないのが実情だ。そのため、AMATに食事機能を持たせることは、一緒に食事をする、という行為と雰囲気を重視 するユーザーに向けたオプションの一種でしかない。 英司が発注したシルヴィにも、食事機能自体はつけておいたが食物を分解する機構、いわゆる胃袋はコストを下げるために小型のものを選んでいる。 ユーザーの中には、分解機構を効率の良い肥料製造機構にしてガーデニングや農業に利用している者もいるらしいが。 ともあれ、見た目が人間と変わらないものであれば共に食事をしたい、という感覚や印象を抱くのも不思議なことではないと英司は実感した。 今回は英司が何も言わなかったから、シルヴィは英司の分しか料理を作らなかった。 自身の分も用意して一緒に食べよう、と指示をしていれば、彼女はそれを実行するだろう。 AMATという、人間ではない存在だと分かっていても、自分だけが食事をしているというのにどこか違和感を抱いてしまう。彼女自身は平然としているし、 食事をしなければならないわけでもないのだから、これは英司が気にし過ぎているだけだ。つまるところそれだけ彼女を人間と同じように認識してしまってい る、ということなのだろう。 「凄いな、AMATってのは……」 人間そっくりのタイプにしたのは英司自身だが、ここまでのものが頑張れば学生でも手が届く値段になっている、ということに技術の進歩を感じる。 普段から遣っているスマートタブレットだって、一昔前のスマートフォンに比べたら格段に性能が向上し機能も増えた。当時の高性能パソコン並のものが、ス マートフォンサイズになった、とでも言えば分かり易いだろうか。今でも大型高性能パソコンの需要自体はあるが、ほとんどの人はスマートタブレットとそれに 連携できる機器で事足りる時代になった。 オンラインゲームだって、メガネサイズのVRゴーグル端末だけで遊べてしまう。 「科学技術の進歩という奴ですね」 律儀にシルヴィは相槌を打ってくれる。 時間が経てば、彼女の存在にも慣れるものなのだろうか。 夕食を終えた後、食器を洗って片付けるシルヴィの背中を少し眺めてから、風呂の準備をする。準備と言っても、浴槽は掃除してあったのでコンソールからお湯張りを指示するだけだ。 今後は風呂場の掃除もシルヴィにしてもらうことになるだろう。 「じゃあ、風呂に入るから、そっち終わったら洗濯もお願い」 「はい、分かりました」 キッチン周りの掃除に移っていたシルヴィが僅かに振り返って答える。 狭い脱衣所で服を脱ぎ、風呂場に入って体を洗う。髪を洗い、顔を洗い、体を洗い、シャワーでシャンプーや石鹸を洗い流す。 それから湯船に体を沈めて、ゆっくりと息を吐いた。 返事をする時に僅かに振り返ったシルヴィの表情は柔らかく、仕草一つ一つの細やかさや丁寧さが思っていた以上だった。買った商品、道具の一つなのだ、と分かっていながら、異性として意識しそうになっている。 そう、頭では分かっているつもりなのだ。商品として買ったという自覚はあるし、外見のカスタマイズや内蔵する機能の吟味もした。比較的安価な部類ではあるが、決して安物ではないし、それ故に買った、という感覚も強い。 逆に、まるで人を買ったかのような気になりかねないというのはあるかもしれない。 実物が目の前で自然に動いて振る舞うことで、こうも意識や感覚にギャップが生じるとは思っていなかった。 肩まで湯に浸かり、天井を見上げて心地良い熱に身を任せていると、脱衣所のドアが開く音が聞こえた。 「洗濯物、持っていきますね」 程好く風呂場まで届く声音で、シルヴィが英司の脱いだ服を持って行く。 本当に良く出来ている。 今英司がいるところまで届く声量を計算し出力しているのもそうだが、動作一つ一つの滑らかさも相当なものだ。搭載されているAIが優秀なのだろう。基本 となるプログラムもそうだが、ここまで高度なものを量産できるほどの完成度に持っていくのはどれほどの苦労があったのだろうか。 使う側は普段あまり意識せずにいるが、こうしてAMATという自分にとって異質なものを買って、身の回りに置くとふとした時にその技術の凄さ、それを生み出した熱意や執念といったものに思いを馳せる瞬間がある。 人間と見間違うほどの外見にできるということそのものが問題視された時期もあった。今は、人間にしか見えない外見のAMATは第三者がいる場所では他者から判別できるようホロエフェクトが表示されるようになっている。 「技術の進歩、か……」 人間に出来ないこと、難しいことを肩代わりさせる業務用AMATもあるぐらいだ。いずれ人間など必要としなくなる時代が来ると言われても否定し切れない。 まるで昔の映画や物語のようだ。いや、今でも似たようなものは存在するが。 となるとそのうちAMATが反乱を起こす、なんてフィクションのような未来が訪れたりするのだろうか。 今でも、人間と同等の知性をAIに持たせることは出来ていない、と言われている。知識や行動パターンがどれだけ豊富になっても、それは人間のような自我 を持たせたとは言えないのだそうだ。プログラムで制御されたAI、擬似的に人格があるかのように見せかけて反応し動くだけの道具の一種だと、そういうこと になっている。しかし、あらかじめAMATだと知っておくか、ホロエフェクトなどで判別できなければ、今でも人間との違いは分からないのではないだろう か。 逆に、ロボットを装った人間の可能性はないか、等と飛躍した考えさえ浮かんでしまう。 いや、と頭を振る。 こんなに都合良く指示通りに動いて、それに不満も持たない人間は実際にはまずいない。どれほど奴隷のようにこき使われても、AMATは不満一つ口にせずそれに従うだろう。そういう風に作られた道具なのだから、人にとって都合の良いものになっているのは当然なのだ。 英司が抱いたこれらの感想も、シルヴィが、AMATが購入者にとって理想通りとも言えるほど都合良く出来ているからこそ出て来たものだろう。 人と変わらないなどと、よくも思えたものだ。目が覚めたら目の前にいる者を主と認識し、何の疑問も抱かず指示に従うことが果たして人間らしいだろうか。 浴槽の中で両手を伸ばし、背伸びをし、軽く肩と首の関節を回してほぐすと、大きく息を吐いて湯船から出た。 脱衣所のバスタオルで体を拭いて、肌着だけを身に着けて濡れた髪を拭きながらリビングに戻る。 リビングはエアコンが効いていて、程好く涼しくなっていた。 「空調つけておきましたが、余計でしたか?」 シルヴィが気を利かせてつけておいてくれたようだ。 梅雨が明け、もうすぐ七月になろうという六月末の今の時期、夜に電気が点いた部屋で窓を開けておくと虫が入ってくる。対策用品なども数多く出回っている が、それでも完璧に防げるようなものは未だに開発されていない。虫も環境に適応しているということだろうか、しぶといものだ。 この時期、英司は日が沈む頃合から窓を閉めてエアコンを入れるようにしていた。いつもなら風呂に入る前にエアコンの電源を入れておくのだが、今日はシルヴィを受け取ってからあれこれ設定をしていたのもあって忘れていた。 「いや……でもどうして?」 「いつもこの時間になるとエアコンをつけているようでしたので」 それらをシルヴィに伝えた記憶はない。シルヴィの返事を聞いて、スマートタブレットで軽く調べてみると、初期設定として家電製品などを登録した際にその使用履歴を取得して自動でつけてくれる機能があるらしい。 いつも通りの日常から手間を減らす、というAMATらしいアシスト機能のようだ。 何も言わずとも普段通りの生活になるよう操作をしてくれる、というのは実にAI制御らしいサポートだ。とはいえ、自分で動作や行動のトリガーを引きたいという人も中にはいるから、機能としてもオンオフできるようになっている。 ここでシルヴィの言葉に、指示されない限りは行動するな、と返していれば機能がオフになったことだろう。道具として見れば、自立性や能動性は時として煩わしくも感じられるものだ。 ただ、AMATを購入したばかりの英司には、新鮮でもあった。 夕食は済んだ。風呂にも入った。明日の準備を済ませ、後は寝るだけだ。 「それも洗濯ですね」 シルヴィは英司が髪を拭き終えたのを見て、バスタオルを受け取ると洗濯機の中へと入れに行く。 これからは炊事と洗濯、掃除や後片付けといった手間が減ることになる。AMATの存在感にまだ馴染みがないせいもあるのだろうが、どこか手持ち無沙汰に思えてしまうところもある。 世間話でもできればいいのかもしれないが、相手が機械仕掛けであることを考えれば独り言のようにも思えてしまう。いや、言葉の通じないペットに話しかける人は多いのだから、それも慣れということなのだろうか。 シルヴィが入っていた箱の方に目を向ける。 あれは単なるケースではなく、AMAT用のベッドでもある。クレイドルと呼ばれるもので、AMATの簡単なメンテナンスベッドとしても機能する。バッテリーの充電と、機体外装のクリーニングが主な用途だが、その他にもAIや機能面のバグチェックなどもしてくれる。 ユーザーである英司の指示か、あるいはタイムスケジュール設定などをしておくことで、必要に応じて使用する形になる。 部屋に人間用のベッドは英司のものしかないのだから、シルヴィを起こしたまま眠るというのも気が引ける。というか、夜中にふと目が覚めた時にシルヴィが起きたまま英司をずっと見ていたりしたらそれはそれで怖い気もする。 シルヴィがリビングに戻ってきたのを目で追う。 「……あの、さ」 「はい?」 英司の呼びかけにシルヴィが小首を傾げる。 何と言ったものか、風呂の中でもずっと考えていたことだ。半ばそのために奮発して買ったようなものでもあったのだから、今更その機能を使わないなんて考えは浮かばなかった。むしろ、そのためにここまで自分好みのプロポーションにカスタマイズしたのだ。 「ええと、その……セックス、したいんだけど」 人間ではないと知っていて、これが独り言にも近いものなのだと分かっていても、それでも妙に緊張してしまう。見た目が人と変わらないぐらいにリアルで自然だからだろうか。 「ええ、いいですよ」 シルヴィは穏やかに微笑む。全てを受け入れて包み込んでくれるような、柔らかい表情で。 技術が未成熟な昔は、不気味の谷、なんてことが良く言われていたようだが、今ではそういった感覚はわざと出そうと思わなければ感じ取れないぐらいに技術が発展している。 当然、AMATをそういう目的で買おうとする層は少なくなくいる。男女問わず。 シルヴィにもその手の機能は盛り込んでいる。様々なパーツや機能の組み合わせがある中で、実用性や快楽性よりも実物感を重視で選んだ。 人間ではなく、道具として、商品としての存在であるから、むしろ自慰やその手のグッズを使うのと本質的には大差がない。人の形をしていて、人と同じぐら いの体温があり、人肌の柔らかさまで再現されていて、自立的に動いて反応もしてくれる、超高性能なダッチワイフのようなものだ。 「ここでしますか? それともベッドで?」 「……じゃあ、ベッドで」 英司の返事にシルヴィは静かに頷く。 ごく自然に服を脱ぎ、裸になって英司のベッドの縁に腰掛けた。 「好きにしていいんですよ」 そう言って優しく目を細める表情に、母性のようなものさえ感じてしまいそうになる。 自分好みのプロポーション、柔らかそうな体、それにこれからしようとしていること、したいと思っているあれこれを想像すると気が昂ぶっていく。 少し緊張しながら、英司も肌着を脱いで歩み寄って行った。 |
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