2 「AMATとの生活」


 大学机に備え付けられた投影機から手元に投射されている電子黒板の拡大映像から書かれた記述を指でなぞってコピーして、自分の授業用タブレットに貼り付ける。
 教授の喋る内容から重要そうなところには下線を引いたり色を変えたりしつつ授業をぼんやりと聞いていた。
 昔ながらの紙とペンでノートを取る者もまだいるが、数はだいぶ減ったように思う。
 電子技術の発展によって、知識や学問は詰め込んで憶えるというよりはストレージに蓄積しておいて、必要に応じて取り出すようなイメージになっている。いわば、道具のような扱いだ。
 授業風景も、それぞれの席には教室の前方に備え付けられた電子黒板の映像を手元で見れるようにする投影機があり、視力に難のある人でも電子黒板に書かれた映像を手元で拡大したり注視したりできるようになっている。
 アナログな時代からしたら随分と様変わりしたように感じられるのだろう。
 等と、今と昔を比べるようなことを考えてしまうのも昨晩と今朝のせいだ。
「そういや英司、AMAT買ったって言ってたけどそろそろ届いたか?」
 午前の授業が終わり、食堂で昼を食べようとしていたところに別の授業を受けていた友人の三崎純哉(みさきじゅんや)がやってきた。中学時代からの友人であり、大学に至るまで同じところに進学してきて、名前で呼び合うぐらいには仲が良い。
「ああ、昨日届いたよ」
 向かいの席に腰を下ろして昼を食べ始める純哉に答えながら、個人用のスマートタブレットにシルヴィを購入した時のスペックリストを表示して見せてやる。
「おー、中々いい趣味してんな」
 カスタマイズサンプルの全身画像と、搭載機能やパーツ、メーカー等にざっと目を通して純哉はどこか楽しそうに言った。
 純哉はAMATに関して英司よりも詳しく、そこについては先輩のようなものだ。自分のAMATも持っているし、英司が買うことを決めた時はあれこれとアドバイスもしてくれた。さすがにカスタマイズの詳細についてまでは空気を読んで口を出してはこなかったが。
「なるほどね、リアルさ重視派か」
 タブレットを英司に返しつつ、純哉はそっと小声で耳打ちしてきた。
「……で、どうだった?」
「思っていたよりも生々しいというか、機械を抱いてるって感じがしなかったよ」
 その時の設定にもよるのだろうが、シルヴィの反応の良さには正直興奮した。見た目はともかくとして、機械なのだからと、もっと無機質なものをイメージしていたところもあったのだが、実際は全くそんなこと感じさせないほどに生身の女性を抱いているかのような感覚だった。
 声量を落としつつ答えると、純哉は小さく頷いた。
「それがAMATの長所であり短所だからな」
「短所でもあるのか」
「そりゃあな、結局のところ人じゃあないわけだし」
 どれだけ人間のように振る舞っていても、それはユーザーに望まれてそうしているに過ぎない。
 人に近い反応をするということは、人を抱いている感覚に浸れるという点では長所だが、それでも人ではないという部分は短所なのだろう。
 人ではないが故に妊娠はせず、避妊などを気にかける必要もなく、洗浄も自発的に行えるなど、そういう目的の道具としての実用性は高いわけだが。
 この手の機能を持ったAMATの登場で性風俗業界が大打撃を受けているのだという話も納得である。
「純哉のは実用性重視だったっけ?」
 以前、AMATを買うと決めて相談を持ちかけた時に見せてもらった純哉のAMATのスペック表を思い出してみる。
 確か、彼のAMATは小柄で可愛らしい外見だったような気がする。
「体格差って燃えるじゃん?」
 味噌汁の最後の一口をあおるように飲み干して、純哉は言う。
 性交機能についてちゃんとしたところを選べと強く勧めたのは純哉だった。そもそも搭載しないという選択肢も当然あったのだが、異性型の人に近い外見の AMATを買うのであればつけておくべきだと純哉は熱弁を振るった。メーカーをHI−DARA社にしたのも純哉が薦めたからという部分が大きい。
「折角、異性型を選ぶんなら搭載しておいて損はない。まぁ、戻れなくなる可能性はあるけど」
 純哉の言葉が今なら実感として分かる。
 性交機能に限った話ではない。炊事洗濯掃除の手間が省けて文句の一つも言わない従順な召使いとなれば、それに慣れてしまえばいなかった頃の生活には戻れなくなってしまう可能性は高い。
 実際、自炊するよりも料理は美味しいし、洗濯も掃除も指示をしてさえおけば家を空けている間にやってくれる。そんな日々を繰り返せば搭載されているAIは学習し、言われなくとも日常的に行っていることはスケジュールに組み込み自動でやってくれるようになるのだ。
「少子高齢化が加速しそうだって意見も分かる気がする」
 婚姻率や出生率が低下するのでは、という不安視がされた時期もあったようだが、驚いたことに実際はそうでもなかった。
「機械と人間じゃやっぱり違う、ってことなんだろうよ」
 純哉によれば、時が経つほどその差というものを実感するのだそうだ。
 AMATが一般販売され始めた当初こそネガティブな意見も飛び交ったらしいが、その利便性が浸透するにつれて世間に受け入れられていった。メディアはマ イナスイメージの報道を長く続けていたが、AMAT事業が軌道に乗ってスポンサーにつくことが増えるとポジティブなコマーシャルをうつようになり、ネガ ティブな報道は減っていった。
「まぁ、確かに不思議な感じはしてる」
 自分好みに外見をカスタマイズして購入した、という自覚はあるものの、感覚としては見ず知らずの異性がいきなり家で何の違和感や文句も持たず、指示に従って生活を始めている。機械なのだから生活、と呼んでいいものなのかはやや疑問ではあるが。
 用途にもよる部分はあるだろうがAMATとはそういうものだ、と分かってはいてもまだ落ち着かなさはある。確かに、人間とは何か違う、という指摘がしっくりくる。
「そのうち慣れるさ」
 純哉もこの感覚は体験していたのだろうか。
「で、この後は?」
「バイト」
「んじゃ次の休み辺り、見に行っていい?」
「特に予定はなかったかな」
「おっけー、うちのも連れていくわ」
 そんなやり取りをして、英司は大学を後にした。
 
 大学とマンションの途中にあるコンビニエンスストアが英司のアルバイト先だ。そのコンビニではアルバイト含む店員が二人から三人が常に店舗にいるようにシフトが組まれていて、その日は英司ともう一人のアルバイトが担当だった。
 ある程度の日常品と、食料品、いくつかの雑誌がほぼ割引なしの定価ではあるが二十四時間営業でいつでも買えるコンビニという存在はなくなっていない。電 子マネーや、ある程度の金額がチャージされたウォレットカード、銀行などのサービスアプリの入った端末での支払いが主流になり、現金支払いをする客がほと んどいなくなったという違いはあるが。
「AMATの店員起用、増えているらしいよ」
 軽く店内と倉庫の掃除を終えてレジの方に戻ると、もう一人のアルバイトである女性がそんな風に話題を振ってきた。肩ぐらいまでのセミロングの黒髪に、身 長は百六十に届くか届かないかといったところで、体格は至って普通、フレームレスの薄い眼鏡をかけた落ち着いた雰囲気の女性だ。学部学科は違うが同じ大学 に通っていて、大学で何度かすれ違ったこともある。名を桜井美貴(さくらいみき)と言う。
「バイト需要も減ってくんかな」
 AMATを店員として起用するコンビニも出てきているようだが、その場の管理、責任者として人間が店舗内にいることは変わらず求められている。
 高性能なAIによって対応能力が高く、それでいて指示に従順なAMATを労働力にするという企業は増えているらしい。
 労働力のためにカスタマイズされたAMATであれば、人間よりも効率良く作業が行えるだろうし、人間のように体調や精神的な面での不安定さや、病欠やストレスも無視できる。そう考えれば理に適ってはいる。
 勿論、労働の度合いによっては相応に消耗するだろうから、定期的なメンテナンスや修理は必要になる。その費用と利益がつり合うものになるのかどうかが企業側としてはポイントだろう。
「オートメーションというか、工場みたいになりそう」
 桜井は未来像を思い浮かべたようだ。
「自販機みたいだ」
 英司も想像してみた。
 外見だけ人間そっくりでも、中身がAI制御の機械となれば全自動化されているも同然だ。コンビニのような商店での売買ですら、人間同士による商売から、商品を販売するシステム、自動販売機のようなものになってしまうのかもしれない。
 通信販売や自動販売機と違うのは商品を手にとって確かめられるかどうか、その場で直ぐに購入し手に入れられるかどうかぐらいだろうか。
 単に商品を購入するだけなら、人間が店員として対応しなくても可能と言えば可能だ。スーパーやデパートにはセルフレジが設置されているし、買い物カゴを台に置いたら一気にスキャンして値段を計算してくれるタイプのレジも増えてきている。
 それでも未だに従来通りの、店員が対応するレジの方が人が集まるのだから不思議なものだ。
「そのうちAMAT買って働かせる人も出てくるのかな?」
 ふと、桜井がそんな疑問を口にした。
「それは……考えたことなかったな」
 言われてみれば、自分の代わりに所有するAMATを労働力として提供する、という方法もあるのかもしれない。
 企業が自分たちで用意するのと違って、社員のAMATとなればメンテナンスや修理費用は持ち主に負担させられる。AMATの購入費、維持管理費と、実際に人間を雇っていた場合とどちらが高くつくのだろう。不労所得ということになるのだろうか。
 今は正規社員も派遣社員もアルバイトも、雇用の対象は人間以外に考えられていない。明記されているわけではないが、AMATを雇用しようという発想をす る人はほとんどない。AMATを店員起用する場合も、その企業が自費でAMATを購入しているし、維持管理も企業側が行っている。社員というよりは備品 や、作業用機械というイメージなのだろう。
 工場などの単純作業や、極限環境下での作業などでは、用途や目的に機能を特化させたAMATが実用化されてはいるが、それらもあくまで人間では困難あるいは機械だからこそ、という側面が強い。
 人間にも出来ることをAMATに代行させる、というのはここ最近の話だ。
「でもそうなったら、働かなくなりそうだよね」
「まぁ、そうだろうなぁ」
 桜井の言葉には頷くしかない。
 自分のやりたいことを仕事に選ぶような人ならばまだしも、働かなくて済むなら働きたくない、という人は少なくないだろう。
「でも、そんな未来もそう遠くないのかもしれないな」
 AMATが比較的安価になり、かつ普及もし始めている。
 英司も実際にAMATを所有するに至り、その性能を目の当たりにしているのだから、他人事には思えない部分もあった。
 代理労働に特化したAMATというのも今後考案、発売されていくのだろうか。そしてそういった自身の所有するAMATに働かせるという未来が来たら世界はどうなってしまうのだろう。
「ちょっと考えちゃうね、人間どうなるのかな、って」
 桜井はどんな未来を想像したのだろうか。
 人が働かなくなった社会は正常に回るのだろうか。
 今人間がしている仕事の大部分がAMATで出来るようになれば、企業としてはメリットも多い気がする。人間と違って感情や体調、個人の能力に左右される ことなく仕事ができることになるからだ。仕事の効率や内容がAMATの性能に依存するのであれば、それに特化した労働用モデルも増えていくだろう。 AMATに合わせて企業に労働力として派遣するのか、企業に合わせてAMATを選ぶのか。
 労働力の対価としての賃金で自分の生活とAMATの維持管理を賄えるかどうかがポイントかもしれない。
 労働用AMATの維持管理と持ち主の生活を両立させられるのであれば、人間が今までのように働き続けるというのは非効率的な気さえしてくる。
「でもちゃんと特化させたら人間より有能だもんなぁ」
 英司の頭にシルヴィが思い浮かぶ。
 命令には忠実に従い、設定さえしておけば気遣いもできる。指示を出される側がAMATであれば、それが不可能な命令でない限りは文句も言わず実行してくれる。仕事内容に合わせたAMATであれば、能率も並の人間以上、高水準なものになるだろう。
 企業組織のどこまでをAMATに置き換えるかにもよるだろうが、仕事面で人間関係に悩まされることがなくなるかもしれないというのは多くの人にとって魅力的に映りそうだ。
「人間要らなくなったりして」
 冗談めかして桜井は言ったが、考えを巡らせるほど笑えない気がする。
「そういう映画とかなかったっけ?」
 SF系の映画や小説、漫画などのエンターテイメントで人間とアンドロイドの関係性を扱ったものは今でも残っている。誰かしらそういうことを考え続けている人はいるということだろう。
「あったあった」
 そうして他愛無い雑談に移りながら、アルバイトの時間は過ぎていった。
 
「おかえりなさい」
 夜勤のシフトと交替でアルバイトを終え、自宅に帰った英司をシルヴィが出迎えてくれた。
 玄関入り口で待っていたなどということはなく、英司がドアを開けた音に反応してリビングから出て来たという風に見えた。
「ああ、ただいま」
 思わず返事をしてしまう。
 一人暮らしを始めてから、帰宅した時におかえりと声をかけられるのは久しぶりだった。長期休みで実家に帰省している時か、何かしらの用事で英司の家に家族や友人がいる時に出掛けでもしなければそんな言葉がかけられることはない。
 自然なイントネーションと柔らかな口調と表情に、不思議と落ち着くような心地がした。
「夕食もそろそろ出来ますよ」
 朝、家を出る前に帰宅予定の時間を伝えたところ、夕食をどうするかシルヴィは確認を求めてきた。あらかじめ作り始めておくか、帰宅してから作り始めるか。英司が前者を選んだから、シルヴィは夕食の準備を進めていた。
「ありがとう、助かるよ」
 これまた思わずそう口にしていた。
 シルヴィは微笑んで、完成した夕食を皿に盛り付けてリビングへと持っていく。
 指示を出されたAMATからすれば命令に従っただけのことで、特別感謝されることではない。それは道具の機能として正しく動いているだけだ。
 帰宅時に既に夕飯を完成させておくのか、帰宅後に直ぐ完成するぐらいにしておくのか、帰宅してから作り始めるのか。指示できる範囲は曖昧かつ広範囲なも のでも、AIが自動的に判断して最適なタイミングを割り出してくれる。設定さえしておけば、ユーザーの持つ端末から位置情報を取得して、帰宅時間の割り出 しや予測の精度を上げることもできる。
 そういうプログラムが組まれていて、彼女はそれに従って動いているに過ぎない。
 それでも感謝の言葉が出てしまうのは、それだけ人間に似たものとして英司には映っているということなのだろう。
「ご馳走様、美味しかったよ」
「片付けてきますね」
 食事している様を直ぐ側で見つめられているのはやや落ち着かないところはあるが、一緒に食事をすれば当然ながら彼女の分の食費もかかってしまう。学生の身としては、AMATの購入だけでも思い切った出費であったので、必要でないところは節約したい気持ちがある。
 空腹を訴えたり、それで衰弱していくわけでもないのだから、指示は出していない。
 彼女を人のように扱いそうになっている部分と、道具だからと割り切っている部分とがまだ上手く噛み合っていないような気がして、どこか落ち着かなかった。
 買う前に思っていたよりも、どんな扱いをするかという部分に戸惑いが生じている。もっとすんなり受け入れられるものだと思っていたが、実物が想像以上に自然過ぎた。
 そういう設計のAMATを選んだのは英司自身なのだが、まだ慣れない。
 割り切ってしまえないことに、どこか歯痒さもある。かと言って、乱雑に扱いたいというわけでもない。折角それなりの出費で購入したのだから、直ぐに破損させたりはしたくない。もっとも、精密機器であるのは確かだが、AMATはかなり頑丈に出来ている。
 その週末、純哉が自身の保有するAMATを連れて英司のマンションへやってきた。
「おっすー、連れてきたぞ」
 ドアを開けてやれば、純哉の隣にはパーカーとスカートを着た可愛らしい女の子が立っていた。
 外見年齢としては中学生か高校生ぐらいだろうか。両サイドでまとめた黒髪に、ぱっちりした目つき。体格は小柄だが、胸は大きい。額と、左右の側頭部やや 後方、真上からみて彼女の頭を中心とした正三角形の頂点位置となる場所に、緑色の逆三角形が浮いて表示されている。AMATを示すホロエフェクトだ。
「こんにちわー!」
 英司を見て、にっこりと笑って元気の良い挨拶をする。
 純哉のAMAT、チナツだ。
 ひとまずマンションの中に入ってもらい、リビングに純哉とチナツを連れて行く。屋内に入るとチナツの頭部周辺に表示されていたホロエフェクトが消えた。
 シルヴィは昼食の片付けを終えたところで、リビングで座っていた。
「あら、お客さんですか?」
 英司が連れてきた二人を見て、自然な反応を見せる。
「ああ、友達の純哉とそのAMATのチナツだ」
「どーも」
「よろしくー」
 英司が軽く紹介し、純哉とチナツが軽く挨拶する。
 それだけでシルヴィには二人のことが英司の親しい知り合いとして登録される。
「ほー、実物はこんな感じか」
 純哉はシルヴィに歩み寄り、まじまじと見つめる。
 購入した商品を眺めているだけなのだが、外見が人間の女性と遜色ないため、持ち主の英司は何だか落ち着かない。シルヴィはやや不思議そうに純哉を見返している。ユーザーである英司の友人という認識になったことで、対応が柔らかいものになっているはずだ。
「どうする? リンクするか?」
 ひとしきりシルヴィを見てから振り返り、純哉が聞いてきた。
 リンクと言うのは、AMATの個体情報を相互登録し合う機能を指す。
 スマートタブレットの電話帳に登録をするようなものだが、AMAT同士をリンク機能で繋げることで、情報の共有や取得などができるようになる。それは AMATのスケジュールや位置情報であったり、持ち主であるユーザーのスケジュールや位置情報であったり、設定によって多岐に渡る。
「一応してみようかな」
 例えば、シルヴィとチナツをリンクさせれば、チナツに登録されている純哉のパーソナルデータの一部を共有、取得できるようになる。純哉が今どこで何をし ているのか、外出しているなら向かった先や時間、いつ頃帰宅予定だとチナツに言ってあるのか、生年月日や昨日食べたもの、チナツの前で欲しいと口にした物 品など、AMATが見聞きして取得、収集している情報をシルヴィに問うことで聞き出すことができるようになる。
 もちろん、どこからどこまでをリンクの対象範囲とするのか細かく設定することはできる。そういった設定をするのが面倒でなければ、知り合いのAMAT同士をリンクさせることにデメリットはあまりない。
「ってわけだ。チナツ、リンクしといて」
「はーい」
 純哉の指示にチナツは笑顔で手を挙げて答え、シルヴィに向き直る。
「じゃあ、リンクしよ!」
「分かりました」
 先ほどの会話を聞いていて、英司が許可を出したと判断したらしく、シルヴィはその申し出に応じた。持ち主である英司に逐一判断を仰ぐかと思っていたが、こういったところまで含めて会話からユーザーの意思を汲み取ろうとしてくれる辺り、最近のAIは高性能だと思える。
 申し出に応じる返事をした際にも、ちらりと英司の方を見てから答えていた。目配せをしたようにも見えるが、英司の表情などから判断の裏付けを取ったというのが実際のところだろう。
 声音や体温や脳波といったユーザーの情報を総合的に取得して判断しているのかもしれない。
 シルヴィとチナツは顔を付き合わせるように向かい合い、同じ高さに目線を合わせる。その一瞬でリンク処理は完了したらしく、英司と純哉のスマートタブレットから登録完了を知らせる音が鳴った。
 タブレットを取り出して画面を見れば、チナツとのリンクが完了した旨の通知がシルヴィの管理アプリケーションに届いている。
「ちなみに今インストールしてるアプリケーションは?」
「えっと、これがリストだな」
 スマートタブレットを取り出したついでに、インストールしたプログラムのリストを表示して純哉に見せる。
「何か入れておいた方がいいものってあるか?」
「そうだなぁ……」
 純哉は英司のスマートタブレットのリストを上下に動かしてリストをチェックする。
 炊事、洗濯、掃除といった家事全般はメーカー推奨のプログラムを購入時点でインストールしてもらってある。後から追加したのは今のところ料理のレシピぐらいだ。
「外で単独行動させるならちょっと高くてもセキュリティソフトは良いやつ選んだ方がいいな」
 慣れた手つきでシルヴィのスペック表とインストールプログラムリストを行き来して、純哉が言った。
 AMATのセキュリティソフトはネットワークアクセス時のウィルスプログラムやハッキングを防ぐだけでなく、物理的な護身に関する機能のあるものもある。純哉が言っているのは、後者の機能があるものを指している。
 今のシルヴィにはプリインストールの最低限のネットワーク用ファイアウォールしか入っていない。
「おすすめってあるか?」
 ユーザーが連れ歩く以外に、屋外で作業をさせたり、単独で買い出しに行かせたりすることも考えるなら、AMATの自衛機能も考慮した方がいい。
 他人のAMATに危害を加えることは器物破損などで犯罪に当たるわけだが、故意でなくとも巻き込まれる形で危害が加えられることは十分に有り得る話だ。 例えば、遊んでいた人たちのところからボールが飛んできたり、喧嘩や諍いの近くを通りがかったり。もちろん、他者のAMATを破壊したり、持ち去ったりし ようとする者が全くいないわけでもない。
 そういった、AMAT本体に被害が発生しそうな状況において、自衛行動を取るようにさせるのはセキュリティソフトウェアの領分になっている。
 出荷時点でインストールされていない理由には、AMATの物理的なパーツ性能が大きく影響している。AMATの肉体的な構成に関してはユーザーの選ぶ部分が多く、共通規格と言えるようなものは少ない。
 プリセット的なものはあるものの、ほぼオーダーメイドのような形になってしまうAMATには、その性能に見合ったソフトウェア、あるいはソフトウェアに 見合う本体性能が必要だ。出荷時点での初期インストールプログラムリストにセキュリティソフトを追加することも勿論できるが、後から追加可能なものはその 都度、必要になった時に追加するユーザーも多い。
 自衛行動は各パーツへの負荷も小さくはないため、行動によってはAMATが損傷することも当然ありうる。AMAT全体を保護するというよりは、コアパー ツとも言える中枢を守ることが役目だ。使用されているパーツによって取れる自衛行動の強度が変わってくるため、セキュリティソフトも本体性能に合わせて選 ぶ必要がある。
 スペックを入力すればある程度は自動で見合うものを検索してくれるが、条件に合うものが複数出てきた場合はどれを選ぶかはユーザーの判断に委ねられる。
「そうだな……この中だとアバリアかな」
 純哉の選んだセキュリティソフトの概要にざっと目を通す。
「チナツにも入ってるし、ユーザースコアも高い」
「ならこれにしとこう」
 AMATの購入には純哉の意見をかなり参考にした。体格や容姿こそ別物だが、使われている内部パーツや性能に関して言えばシルヴィはチナツと共通点が多い。チナツも使っているソフトウェアなら、大きく外すことはないだろうと思えた。
 思い切って購入はしたものの、英司もまだ初心者だ。
 ひとまずは先達でもある純哉の薦めるものをインストールすることにする。
「これも初期設定とか必要なんだよな?」
「最近のはユーザーからのフィードバックで最適化の自己診断設定にしておけばまず困らないぞ」
 セキュリティ関連ということで面倒そうな設定があるものだと思ったが、純哉によると最適化指示が高水準らしい。
 少し詳しく聞いてみれば、セキュリティソフトを利用しているユーザーたちから使用履歴や設定データのフィードバックを受けて、各々のAMATの性能や用途に最適化された設定を構築してくれるようになっているのだとか。
「手間がかからないのはありがたいな」
 スマートタブレットで購入したプログラムのインストール指示を出す。
「その辺のプログラムもコストがかかってるから別売の商品になるわけだ」
 純哉の言葉に納得する。
 AIと言えばAMATに搭載されている擬似人格や状況や指示に応じて行動判断などをする人工知能のことを思い浮かべがちだが、集積された情報から各自に 合わせて最適なものを選び出すような機能もAIの分野に当たる。そう考えると、AMATはそこにインストールされている多くのソフトウェアプログラムによ る大小様々なAIの集合体とも言えそうだ。
 普段何気なく使っているスマートタブレットの情報検索や、購入履歴や傾向からおすすめ商品を斡旋してくるような広告もAI技術の一部だ。
 今まで意識していなかったが、AIはもうありふれたものになっている。
 イメージとしてはAMATのようなものこそをAIと考えそうになるが、今では社会の様々な場所で利便性を向上させるためにAIは用いられている。
 エアコンや風呂のオート設定が良い例かもしれない。
「そのうち人間要らなくなりそうだな」
「そうは言ってもAMATはあくまで道具だからな。使い手がいなきゃ成り立たないもんさ」
 ついこの前アルバイト中に桜井と話したことが思い出されて、冗談めかして言うと、純哉は笑ってそう返した。
 高度なAIによって人格があるように見えても、それはあくまでユーザーにとって都合の良い存在であるための振る舞いだ。使い心地の良い道具であるための見せ掛けであって、本当に人間のような感情や心があるわけではない。
 指示されたことに逆らうような性格を設定しない限りは反抗的な態度は取らないし、仮にそういう設定をしたとしてもユーザーに危害を加えるほどの抵抗をするわけでもなく、最終的には指示に従う。そこにAMAT自身の自我は存在せず、嫌だという気持ちを持つことはない。
 全てはユーザーに望まれてそう見えるように振る舞うよう作られている。
「仮にAMATを社会を回すための労働力にするなら、人間はクリエイティブな方面に行くと思うぜ」
 仮に労働力の代わりにAMATを働かせるようになったとしても、それで人間が不要な存在にはならないだろうと純哉は言う。
 社会や世界を動かすために必要な、人間でなくても出来る仕事を専用のAMATで賄う時代が来たとしたら、人は人間にしかできないことを見つけてやり始めるだろう、と。
 指示や命令に従って出来るような作業的な仕事はAMATに任せて、想像力を働かせ、創造性のあるものを生み出すことに注力できるようになるのではないか。
「随分と前向きなんだな」
 それは英司の率直な感想だ。
「AMATが普及したら少子高齢化が加速するだの、倫理的に問題があるだの、反乱の恐れがあるだの、ネガティブなことは色々言われたけど、実際に起きてはいないだろ?」
 純哉の返事になるほど、と頷く。
 AMATで性欲を満たせるようになれば少子高齢化が加速すると言われてきたが、そうはならなかった。
「子供が産めない体の女性の代わりとしてAMATに人工子宮を搭載して代理母にする、なんてのも前に話題になったしな」
 AMATを代理母にするというのはもう実用段階にある。
 さすがにAMATに卵子や精子を生成し、妊娠したりさせたりするという機能はない。だが、受精卵を人工子宮で育成する技術は開発された。まだ相応に高額 ではあるが、子を望めない夫婦にとっては第三者を代理母にするよりもAMATの方が気が楽という意見も多い。人工子宮も母親となる女性の細胞をベースにす る、あえて人らしさのない外見にする、など色々と工夫や配慮の余地も多いのだとか。加えて代理母となったAMATはそのままベビーシッター代わりにする選 択肢もあるとあって、使用者たちからの評判は良好なものがほとんどだ。
「人とAMATを区別するための処置もされているし、人工知能と言ってもまだ自我レベルのものが作れてるわけでもない」
 人間とAMATを間違えて、あるいは意図的に入れ替えて、倫理的に問題のあることをやりだす輩が出るかもしれないとも言われたが、それもそうはならな かった。人間をAMATだと偽って、あるいは逆にAMATを人間と偽って違法行為を働く者はいるが、AMATを口実や引き合いに出しているだけで、 AMATが存在するから発生したとまでは言えないものばかりだ。それに、AMATの利便性や有用性が各方面で示されたことで規制に対するデメリットや反発 の方が大きくなったのだ。
 AMATであると区別するための技術もあり、搭載が義務付けられている以上、そういった機能を無視する側にこそ問題があるという認識が一般的になっている。
 反乱の恐れがある、などというのはさすがにSFや空想の影響が強すぎる。そこまで高度な自我を持つ人工知能はまだ開発されておらず、研究中だ。
 今のAMATのAIも人間に近いものに思えるが、それは先に構築された膨大なデータベースから状況と相手に合わせた反応パターンを選択しているに過ぎない。自然なように見えても、細かな条件付けから使用者が望む反応を導き出すようプログラムされているだけなのだ。
 自ら考えて判断しているように見えて、予め想定された行動パターンや指示を予測しているのが実情だ。
 技術的に突き詰めれば突き詰めるほど、自らの意思を持つ、という事象の凄さに研究者たちは打ちのめされているのだとか。
「まぁ、機械と知らず会話をして、相手にAIプログラムだと思われなければそれは人間と同等だ、なんて説もあるけどな」
「チューリングテストだっけか。ELIZA効果なんてのもあったな」
 純哉の言葉に英司は記憶を辿る。大学のどこかの講義で聞いた気がする。
 要するに、機械的だという印象を抱かせ難くしたり、関心や興味を持って接しているように思わせる工夫があれこれなされているのだ。
 使用者はそれがプログラムに従って反応しているだけのAIだと分かっていても、愛着を持ち易くなる。
 そういう意味では純哉の連れているチナツは感情表現が豊かで愛嬌のある振る舞いが多い。胸の大きさ以外は外見年齢相応の天真爛漫さというか、可愛さがある。
 視線を向ければ、それに気付いたチナツは僅かに首を傾げて英司を見つめ返し、にっと笑った表情を見せる。表情の変化にメリハリがあるということだろうか。純哉の好みもあるのだろうが、細かく設定がされていそうだ。
 シルヴィに同じ行動を取らせてみた場合を想像して、そのままだと印象が幼くなるから微笑むぐらいの表情変化がいいだろうかなどと考える。
「そういや、先のことは考えてるのか?」
「あー、拡張するか買い換えるか、だっけか」
 純哉の問いに、視線をAMATたちから外す。
 AMATが道具である以上、年月が経てば各部の劣化や消耗は発生するし、性能的に見劣りするようになっていく。そうなった場合の対応としては、部品やソフトウェアの更新による拡張か、AMATそのものを買い換えるかという大きく二つの選択肢に分かれる。
 外見的なデザインをほぼ同一のものとして発注し、設定データやそれまでの稼動ログを読み込ませて内部情報の引き継ぎを行えば買い替えたとしても違和感なく扱えるものになる。それまで使っていたAMATはそのまま手元に残すことも、廃品として回収してもらうこともできる。
 拡張する場合は、購入したメーカーに送ってやってもらうか、ユーザー自身で部品交換などを行うかに分かれる。メーカーにやってもらう方が簡単で、動作確 認までサービスに含まれるため安全かつ安心でもある。ユーザー自身が手作業で部品の交換や更新作業をするのは正直言ってかなりハードルが高いが、愛用した AMATだから自分の手で、というユーザーも少なくないそうだ。
「今のところは拡張のつもりでいるよ」
 まだAMATという存在に慣れていないというのも事実で、複数のAMATを一人で保有するというのがあまり想像できない。
 初めて購入に踏み切ったAMATということもあり、それなりに思い入れもあるような気がする。実感があるのかないのか曖昧なのも含めて、先の見通しはいまいち立てられない。
 シルヴィはやや奮発気味に構成を考えただけあって、基礎性能は今の平均より上にはしてある。だが、それも二、三年すれば追い抜かれてしまうだろう。五年ぐらいは手を加えなくとも支障はないだろうという構成にはなっていると思うが。
「複数所持でハーレムとかは考えない?」
「全く考えないってわけでもないけど……」
 からかい気味に聞いてくる純哉に、英司は苦笑を返した。
 純哉の家はAMATが複数台存在する。
 と言っても、所有しているのは純哉の家族であって、彼が一人で複数所有しているわけではない。唯一、純哉の兄は一人で二台のAMATを持っているが、それも新品を買って古くなった方のAMATを廃棄処分できずに所有し続けているような状態なのだそうだ。
「ま、兄貴はたまに使ってるみたいだけどな」
 本人は隠れてやっているつもりのようだが、部屋が隣り合っている純哉は、彼の兄が時折二台のAMATを稼働させているのを知っている。妹には知られたくないようだが、恐らく気付いているだろうと純哉は言う。
「そういうことを考える余裕はまだないなぁ」
 新しいものを買ったからと言って、古い方も動かせる状態を維持しようとすれば費用はかかる。いくらクレイドルにしまって保管していても、そのクレイドル 自体に電力を供給してやらなければメンテナンスやクリーニング機能は当然ながら働かない。箱に入れた人形を押入れに入れておくのと変わらず、緩やかに劣化 していくだろう。
 古い方の性能は二の次にするにしても、まともな状態を維持して使おうとすれば相応に金がかかると考えておくべきだ。
 衣服もそうだが、これからAMAT関連用品として必要になってくるものをその都度買うこともあるだろう。最終的にどの程度の出費になるのかまだ読めない。二台目のAMATの話など、気が早いというものだ。
「湯水のようにお金使えるってんなら別だけどさ」
 資金力さえあればもっと前からAMATを買っていただろうし、複数所持も考えていたと思う。だが、現実は仕送りとアルバイトで生活する普通の大学生だ。多少の余裕はあるにせよ、好き放題できるだけの資金力はない。
「一般学生の辛いところだよな」
 純哉も分かっているので苦笑を返してくる。
 それからはAMATの話から外れて、最近遊んでいるゲームソフトなど、いつもの他愛のない話題へと進んでいった。
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