3 「慣れて思うこと」


 そうして日々を過ごし、シルヴィを購入してから一月も経つ頃には、それまでに抱いていた違和感はほぼなくなっていた。
 慣れとは恐ろしいもので、当初はまだおっかなびっくり扱っていたシルヴィに対して、今では当たり前のように接している。扱いが雑になったかと言えばそうではなく、加減が分かってきたと言うべきだろうか。
 AMATも確かに精密機器の塊ではあるが、人と生活していくにあたって相応の耐久性や頑丈さを備えている。頭では分かっていても、初心者ということで無意識のうちに壊れ物を扱うかのように捉えてしまっていた。
 自己防衛機能としてのセキュリティソフトウェアの話題でもそうだが、介護の現場や、極端なところでは救助活動、軍事といった極限状況下などの分野でもAMATは使われている時代だ。下手な話、人間よりも頑丈と言える可能性すらある。
 消耗品であると考えれば、破損したらその部分を交換するという手だってある。そういう理解や認識が徐々に身について来たということなのだろう。
 AMATを購入して大きく生活が変わったかと言われればそんなことはなく、買ってすぐは同居人が増えたようなどこか落ち着かなさもあったが、そういった感情が必要ないものなのだと認識できるにつれて自然と接することができるようになってきた。
 炊事洗濯掃除や買い物を頼むのが当たり前になってきて、毎日同じようなタイミングで指示をする一部の家事は自発的にやってくれるようになった。その際も、しっかりとこれから何をするか教えてくれるのだから、高性能だと実感する。
 今まで手間や面倒だと思っていた家事や雑事を担ってくれて、文句一つこぼさない。機械であり、そういったものを代わりにやってもらうことも目的な道具なのだから、当然だ。
 一人暮らしの英司にとっては、時間的な余裕が出来てありがたい。
 もうAMATなしの生活には戻れないかもしれない。
 維持費としてかかるのはシルヴィ用の衣服と、クレイドルによる整備で消費されるメンテナンス資材の代金、それと駆動に必要な電気料金と言ったところか。
 衣類に関しては、最悪なくても何とかなってしまうのだが、それではさすがに外出されられない。今回購入したクレイドルには、AMATが身に着けたままの 衣服を洗浄する機能はないため、ずっと同じものを着用させ続けるわけにもいかない。何着か女性ものの衣類を購入し、英司の服と一緒に洗濯させて使ってい る。
 外見を好みに調整しただけあって、着せ替えも楽しみの一つに出来てしまうのが侮れない部分で、恐ろしくもある。
 メンテナンス資材はカートリッジ形式で販売されているもので、AMATを長持ちさせたいなら残量を確認してクレイドルへ補充しなければならない。値段は 逐一買うとやや割高だが、年間契約的なサービスなら中々安価に購入でき、毎月宅配してくれるため、純哉の勧めで英司も加入している。
 シルヴィに家事を任せることで開いた時間の一部で、アルバイトのシフトを増やせば出費が増えた分も補える。
 もっとも、AMATを買うためにアルバイトで貯蓄していたこともあり、毎月の収支自体は赤字になっていないのだが。
 純哉以外の友人たちにもシルヴィのことは話をし、同じくAMATを所有する者とはリンクも繋いだ。
 その頃になると、AMATを通じて電話をしたりするのにも抵抗がなくなり、多機能な道具としての利用にも違和感がなくなった。
 ネットワークを通じて情報収集をする機能を活用すれば、世間話感覚でニュースなどの報道情報を得ることもできる。
 使えば使うほど、出来ることを知れば知るほど、AMATという存在がいかに多機能で実用的なのかが身に染みる。ベースとなる素体や機種、型などにもよる が、拡張性も高く、人ができることを代わりにさせるだけでなく、それまでパーソナルコンピュータやスマートタブレットといった端末で利用していた様々なこ とがAMATという機械を通じて行える。
 音声操作もだいぶ一般的になったものだが、そこに高度なAIの人格というワンクッションが挟まるだけで、従来型の端末を操作するのとは一線を画す感覚も得られる。
 実用化するまでには相当な苦労や試行錯誤があったのだろうが、製品化に至れば普及するのも納得だった。
 単に多機能で高性能な道具だから有用というだけでなく、コレクションやホビーといった方面でもAMATは存在感を発揮している。
 アニメや漫画といったサブカルチャーとのコラボレーションモデルであったり、特定の趣味趣向に合わせたブランド企画としてシリーズ展開するモデルや、AMAT用の周辺機器が今ではグッズのようにいくつも存在する。
 英司が今回購入した女性型AMATはごく一般的なモデルと言え、人であるかどうかを問わずアニメや漫画のキャラクターを模したAMATもあれば、高価だ が実在する俳優に似せたモデルも存在する。衣装の需要も当然あり、外部パーツとしての機能を備えたものまで販売されている。
 AMATを人形やぬいぐるみのような玩具や、ペットといった感覚で所有する人もいる。
 本当に発想次第で様々な形のAMATがあり、多様なユーザーの動機や目的に合わせて業界が広がって行っているのだ。
 今となってみれば、AMATの購入であれほど緊張していたのが馬鹿らしくも思えてくる。
 高度なAIを搭載して人格設定ができるということと、オーソドックスな異性型のモデルにしたことで、どこか背徳的な印象を持っていたのだろう。まるで人間を買うかのような、と言うのはさすがに言い過ぎではあるが、それに近い感覚を抱いていた。
 購入当初のぎこちなさ、距離感の掴めなさも、見た目が好みの女性だったから、という部分からも来ていたのだろう。
 これが始めから身の回りの世話をさせるだけのロボット然としたモデルであったり、ペットとしても見ることのできる鳥や獣型であったなら、最初から接し方は違っていただろう。
 純哉に強く薦められたとは言え、英司も年頃の男であるからして、性行為機能を持たせようと相応のものにしたのが一番の原因なのは分かっている。我ながら初心だとも思うが。
 それだけAMATが良く出来ている、ということの証左でもある。
 AMATとの生活に慣れてきた今では、シルヴィの機能拡張にも目が向くようになった。
 ソフトウェアの面もそうだが、追加パーツやAMAT用の道具類としての周辺機器に対する興味が増した。日常生活において不便に思うことがあれば、それを解消できるソフトウェアを探してインストールすることは難しくない。
 有志によって製作され無料配布されているソフトウェアもあれば、有料のものもある。技術や知識のあり拘る者はプログラムを自作してしまったりもするらしいが、さすがに英司にそこまでするだけの熱意はない。
 AMATは人間が使うことを前提とした従来の道具も扱えるように作られているが、AMATが使うことを前提に設計された道具というのも最近は増えてきて いる。使うための要項をAMATが満たしている必要はあるが、そういったものの需要も増えてきて、商売としての市場が広がっているということだろう。
 自分の所有するAMATをより使いやすく、好みに調整していくという楽しみ方がシルヴィを買う前よりも実感を伴って理解できた。
 スマートタブレットほどではないが、いずれは一人一台に近付いていくのではないかとさえ思う。
 AMATと世間話をしながら食事を取り、気が向いた日は抱いて眠る。関連用品で気になるものが目に止まれば購入を検討し、思うところがあれば設定やソフトウェアで調整をする。そんな生活が当たり前になった。
 もはやパートナーと言っても良いのではないだろうか。さすがにそれは言い過ぎかもしれないが、AMATとの暮らしにはそう思ってしまうだけの快適さがあった。
 AMATは機械だから持ち主に逆らわない。設定などによっては窘めるような言動、行動をするようにもできるが、最終的には主に従う。
 ロボットは人間に逆らってはならないといった制約があるという話ではなく、単純にそこまでのプログラムが組まれていないというだけの話だ。道具として作 られているのだから、指示に従わず反抗されても困る。それに、機械であることも踏まえると本気で抵抗されたら並の人間には止められないだろう。
 表立って公言こそされていないものの、軍事利用が目的のAMATも存在するだろうし、そうでなくても要人警護などには既に採用されている。時には危険を顧みず身を挺する必要さえある警備関係では、人間を危険に晒す必要がないということで採用が増えているのだそうだ。
 ハッキングなどへの不安はあるが、当然セキュリティソフトウェア会社も事業として参入して対策を続けている。
 中には、人工知能を搭載していないAMATを人間が遠隔操作するといったパターンも考案されている。AMATにも使われている技術を応用した人工義肢などもだいぶ普及した。
 AMAT関連技術の発展と応用によって、一見そうは見えずとも文明は一段進んだと言って良い。
 しかし、そうは言ってもAMATにはできないこともある。
 その最たるものは子作りだ。人工子宮を搭載したり、体外受精の場としたり、代理母とすることはできるが、AMATには卵子や精子を生成することはできない。いや、より精確には、そのAMAT独自の生殖細胞を創り出すことができない、と言うべきか。
 卵子や精子などの細胞の遺伝子情報から、誰かの卵子、精子のコピーを作ること、作らせることは今の技術でも不可能ではないと言われている。だが、それではその誰かによって提供された卵子や精子で受精卵を作るのと変わらない。
 それでも良い、という声も確かにあるのだが、ではその卵子や精子は誰が提供するのか、どのように選ぶのか、はたまた提供者の権利や人権、生まれてくることになる子供の認知や血縁関係といった問題など、取り決めを作るにしても面倒な問題が山積みなのが実情だ。
 人の命を人工的に創造することになるのではないか、という倫理的な問題もあるにせよ、AMATが完全な人の代わりにはなれない決定的な理由の一つだ。
 結局、種の存続までは科学技術に頼ることはできないと言うことなのだろう。
 ある程度の生殖の補助であったり、クローニングのような決まった複製を作ることはできても、今地球上に生きている生物たちのように、種の進化の可能性を内包した繁殖を実現するには至っていない。
 化石や残された遺伝子情報から、その個体を模した生物を復元することは出来ても、自然界で繁殖させるには近縁種と交配させていく必要があるのは今も変 わっていない。それでは純粋な絶滅種の再生とは言えず、それに近い、今の環境に適応した新種の創造と言うべきものだ。遺伝子情報の一部は後世に残せるかも しれないが。
 ともあれ、人間も種としてそれを理解しているのか、AMATが普及した今もさほど出生率の低下は見られない。
 もちろん、中にはAMATを伴侶として独身を貫く者が男女問わずいるようだが、純哉に言わせれば、
「その手の人種はAMATがなくても結婚しないだろうよ」
 とのことだ。
 バイト先で桜井とAMATの話をすることも随分増えた。彼女もAMATには興味を持っているようで、それなりにニュースや最新情報を追っているらしい。
 英司がシルヴィを買ったことを知った後は、あれこれと質問されたものだ。
「無痛分娩にAMATの代理出産かぁ……どうなんだろうね?」
「どう、って聞かれても俺は男だからなぁ……」
 不妊への対応や、無痛分娩の一種として初めからAMATを代理母にするという選択肢が出てきたことで、女性が妊娠する必要がなくなったのだと言う者もい る。先に卵子を保存しておき、生身の体からは子宮や卵巣などを摘出してしまい、生理という事象をなくしてしまうことがこれからの社会に進出する女性の最適 解だ、などと過激なことを言う者まで現れている。
 通常の妊娠出産と、AMATによる代理妊娠出産と、生まれてくる子供にどのような違いや影響が出るのかはまだ判然としない。技術的には生身と遜色なく、 むしろ安定性や安全性ならば勝る妊娠環境が実現されているとさえ言われているが、そういう選択肢が登場して実用化され始めたばかりであり、まだ統計的に正 しいと言えるほどのデータがない。
「逆に、女性としてはそういうのどうなんだ?」
「うーん、私もいまいちピンと来てはいなんだよね……」
 まだ世に出たばかりの技術ということもあって、あまりイメージが湧かないというのが正直なところなのかもしれない。
「妊娠出産に怖さがないわけじゃないけど、そうやって産んだ子に愛情持てるのかなとかは考えちゃうよね。私にそういう機会があるかどうかも分かんないけど」
 苦笑しながら答える桜井に、英司も曖昧な表情を返すしかない。
「ああでも、もしそういうのが普通になったら女の人が妊娠する必要ってなくなっちゃうのかな」
 無痛分娩としての選択であるかどうかに関わらず、AMATを代理母にするのが主流になったら、生身の女性本人が妊娠する必要はないと言って良いのかもし れない。もしもそんな未来が訪れたら、生殖細胞は当人たちから採取するにしても繁殖を機械に依存する社会と言えるだろう。
 そうなったら自分たちの子供だという認識を持てるのか、性行為を必要としなくなったら人間や社会はどうなるのか、今の段階では何とも言えない。
「だとしても、性別による区別や差別がなくなるかどうかは微妙な気がするな」
 生殖行為が必要なくなったとして、男女の性別という概念がなくなるかというと、そうでもないだろう。
 薬物などを用いた科学技術を用いて肉体を男性あるいは女性に限りなく近付けることはできる。性転換手術も今ではかなり発達した。
 機械に繁殖部分を任せることが出来たとして、その元となる生殖細胞は性転換や調整などをする前に採取しておく必要があるのだから、男女という概念を完全 になくすことはできない。なくすことが出来ないのであれば、どうしても生物学的な、肉体的な男と女の差は発生してしまうことになる。
「でも、いつでも気軽に変えられるようになって、それが普通になったら性別の考え方も変わりそう」
 後天的な性別変更が容易になり、そういったことへの意識が一般化して気軽なものになるとしたら、新しい社会と言えるのかもしれない。
 いつでも気軽に、と言えるレベルで性別を切り替えられるようになるのはまだ先のことだとは思うが。
「全身機械化とどっちが先だろうな」
 AMATの存在や、その技術を応用発展させて出来た最新式の義肢などを考えると、技術的にはこちらの方が早く可能になりそうではある。
 もちろん、全身機械化とは言っても、未だ人間の人格や心と言ったものを電子的に移植や再現できる技術はなく、脳などは生身で、それ以外を機械化する形になる。
 失明した人の視覚を補う義眼や、人工心肺などはすでに完成度の高いものがあり、体の機械化自体はもう可能な水準ではあるのかもしれない。
 AMATを見ても、ぱっと見どころか、普段接するように触れたりしても人間と違いが分からないぐらいの外見は実現できている。ホロエフェクトはそれを見分けるためのものだ。
 体が機械であるなら、薬物や手術に頼ることなく性別を変えることもできるだろう。
 部分的なパーツ交換か、体丸ごと交換か。服やアクセサリのような感覚で性別が変えられるようになれば、今のような性差別はなくなりそうな気はする。
「人間はどこに向かってるんだろうね」
「確かになぁ……」
 期待半分呆れ半分といった表情の桜井に、英司も苦笑いを返した。
「それで、桜井は結局AMATを買うつもりなのか?」
 買うとしたら選択肢が無数にある、というのは英司が経験済みだ。純哉ほどではないにしても、ある程度のアドバイスはできるようになった。
「そうだねぇ、今すぐとは言わないけど、買おうかなって気持ちにはなってきてるかな」
 少し曖昧な返事ではあるが、買うという方に気持ちは動いているようだ。
 自分も悩んでAMATを買った身としては、仲間が増えるようで少し嬉しい。
「買うならどんなのがいいんだ?」
 男性型にするのか、女性型にするのか、を尋ねるのはセクハラになるのだろうか。素体が同性型であっても異性の生殖器パーツを選択することは可能であるし、購入後に取り替えられるように設計してもらうこともできる。
 英司のAMATがどんなものか聞いてきた時にシルヴィの写真は見せているし、桜井もAMATに性欲処理機能を持たせられることは知っている。そういう部 分についての話をしてはいないが、想像はされただろう。複雑ではあるが、英司も桜井がAMATを買うのに前向きと聞いて少し想像してしまったのだからおあ いこということにしておく。
「うーん、どうするかなぁ……具体的にはまだ何とも」
 そもそも人間型以外にも選択肢はあるのだから、その二つに限定して質問するのもおかしいか。もっとも、人間型以外でも性欲処理機能を搭載できる辺り、業が深い。
 今でこそ人間型AMATは主流商品となったが、非人間型の需要が減ったというわけでもない。ペットの代わりにもなるAMATを選ぶ者はいるし、AIを搭載しコミュニケーションが取れるならAMATと言えるのだから、決まった姿形がないのだ。
 内部的な共通規格の量産部品はあるにせよ、外見に関わる部品はほぼワンオフと言っていい。超高性能なコンピュータに、それを頭脳として自律的に行動する 手足を持たせて多機能化していったのがAMATだと言い換えても良い。核となるAIや動力機構以外の、手足や外見の形状はユーザーが選び、自由にできる。
 不気味の谷現象を超えられなかった黎明期には、人型ではあってもロボットらしい外見のものが多かった。いや、むしろその頃からして、人型の人気は高かったのだ。
 コミュニケーションを取れて、共に日々を過ごせる存在として、AMATが人間と変わらない見た目になっていったのは必然だったのかもしれない。
 こうしてAMATと日々を過ごしていると、いつかシルヴィが機械であることを忘れてしまうのではないかとさえ思う時がある。
 今はまだシルヴィをAMATという、そういうモノ、として捉えているが、何かの拍子に認識が変わってしまう可能性は否定できない。
 それこそ、従順な召使いや、奴隷のような扱いだって出来るのだ。AMATは人工知能からして道具としてユーザーに従うように作られているから、そういっ た扱いを受けても文句一つ言わない。そもそも、雑な扱われ方をしたとしても不愉快に思うことさえなく、反応設定をしなければ痛がることもない。持ち主がそ ういう扱い方をしていたとしても部外者が責めることはできないのだ。
 もちろん、粗雑に扱えば傷んだり故障したりも早くなるだろう。
 見た目や仕草が人間と遜色なく作られているから錯覚してしまうが、感情も痛覚もAMATにはない。
 そう、感情、言ってしまえば心というものはAMATには存在しない。
 高い演算処理能力によって、その時どんな反応をするのがユーザーに求められているのか、いくつものプログラムの中から導き出し、組み合わせているに過ぎない。
 一見すれば、ほとんどの人が自分のAMATを人間と接するかのように扱っている。それは、ユーザーの声かけに応じるAMATの応対が人間に近く見えるか らという部分が大きい。人間が反応しているのと見分けがつかないぐらいに自然なパターンを実現しているから、そうしたAMATの応対へのユーザーの反応や 印象も誘導、錯覚させられるのだ。
 頭では分かっていても、それを実感するのには時間がかかった。
 人間の適応能力、慣れ、というのは恐ろしい。
 最初の頃は新しい同居人のように思えて落ち着かなさと新鮮味を抱いていたAMATとの生活も、次第に居るのが当たり前となった。便利な道具であったものが、当たり前に使うもの、という認識に変わっていった。
 シルヴィの購入からそろそろ一年が経とうかという頃になると、よそよそしさや壊れ物を扱うような気持ちなどはなくなり、家事だけでなく買い物などを頼む のにも抵抗はなくなっていた。外出時用にと何着か衣服も購入し、ほんの一、二点ではあるものの、性欲解消目的の衣装も買った。
 都合の良い理想的な召使いとでも言うべき認識になっていることは自覚していた。
 そしてAMAT、シルヴィのAIも実に優秀だった。ユーザーである英司の好みを記憶、集積し、様々な場面でそれを活かした行動や判断をするようになっていく。
 普段選ばないような選択肢であっても、ふとした表情や言動などからそれを読み取るようにもなった。
 例えば、英司は普段コーヒーよりも紅茶を好んで飲んでいる。だが、コーヒーが嫌いというわけではないため、時折紅茶よりも飲みたくなることがある。そう した時に、普段とは異なる表情や言動をしているのだろう、シルヴィはその変化のパターンを学習し、コーヒーを用意してくれるようになった。
 もちろん、完全にパターン化されている機械と違って、人間の思考は複雑で、外見上の変化だけで見分けるのは難しい。シルヴィの読みも精度は高いが完璧ではなく、外すことはあった。それでも、誤差と言えるほどの回数でしかない。
 そして当然ながら、そういった仕草や表情の変化による先読みも機能としてオフにすることもできる。AMAT独自の予測機能を邪魔に思うユーザーもいるからだ。
 今のところ、英司にはそういった予測の外れも許容範囲ではあるが、今後長くシルヴィと過ごしていく上でどうなるのかは予測できない。もしかしたら鬱陶しく思ったりするようになるかもしれない。そうなったらその時に機能をオフに切り替えればいい、とも思っている。
 まだ高価な道具という意識があるのか、ぞんざいに扱うようになったわけではないが、素っ気無い態度を取ったりしても気にならなくなってきた。そういう気分の時もある、程度の話ではあるが、シルヴィはそれさえも学習して対応し始めている。
 AMATのAIはどこまで学習し対応できるのか、興味も湧いてきている。
 とは言え、その実験のためにわざと乱暴にしたりするつもりはない。観察や研究のためと称して、意図的に態度を変えて反応を見るというのは、厳密には学習 ではない。英司が自然体に過ごす中で、どれだけ英司のことを理解した行動や対応をするようになるか、それを見れなければ意味がないのだ。
 わざと取った行動を学習させても、恐らく同じようにわざとその行動や予兆を見せなければシルヴィは対応しなくなるだろうとも考えられるからだ。
 戯れとしては中々面白いかもしれないが、わざわざ実験するようなものではないだろう。そもそも、AMATに搭載されているAIはこうした実験なども経て開発されているはずだ。
 こう考えていると、AIと人間の思考というものの違いは何かというところに行き着く。
 人間の思考が脳細胞同士の電気信号のやり取りによって成立しているというのは既に分かっている。いや、思考だけでなく、体を動かすための仕組みも元を辿 れば電気信号に行き着くのだ。これは人間に限った話ではない。動物も植物も、地球上でおよそ生命と呼べるものの活動は電子の動きによって支えられている。
 そう考えれば、AIを始めとする機械も電子の動きによって活動できているのだから、生命と呼べなくもないのではないか。経年劣化を老化、耐用年数を寿命と考えればそれっぽく聞こえるだろう。
 部品の交換などの整備で寿命を伸ばせたり、老化を抑えたりするのも、理屈だけなら人間にだって不可能ではない。
 技術的な可能不可能を無視すれば、原子配列を整えて物質を構成していき、臓器や手足といったものを作り出して交換することができれば同じ結果は得られるはずだ。
 その難易度によって、自然物と言える人間や動物などの生命と、人工物とは区別されているだけなのかもしれない。
 こうした差がなくなって行った時、人と機械を分けるものは何なのだろうか。
 機械技術はどんどん生物を模した構造や、機能の再現ができるようになってきている。体が同等のものを再現し、それ以上のものを可能とするなら、次は頭脳だ。
 未だ解明し切れていない、人の心、思考の再現はどうすればいいのだろう。
 いくつもの会話と応答のパターンを実装し、自然に対話をしていると思わせられれば良いのだろうか。臨機応変に、設定に応じて時には口論や喧嘩をするようにすれば良いのだろうか。
 AIであることを伝えずに対話をさせ、人間と会話していたのだ違和感を抱かせずに錯覚させられれば、それは人間と変わらぬ思考を持つ存在であるとする思考実験もある。
 そもそも、人間たち自身が未だに心や自我というものを説明し切れずにいる。
 だが、命令や設定に従って対話をし、応答しているAIに自我や心があるのかと問われれば、素直に頷けないのだ。
 AMATに、シルヴィに心は、自我はあるのか。あるとは言えないが、無いとも言い切れないのではないか。それは英司も、人間も同じだとは言えないか。
「私はAMATですから」
 シルヴィに直接聞いても、返ってくるのは英司が設定した性格に基づく答えだ。
 自分は道具だから自我や心はない。それがAMATのAIに設定された一般的な答えだ。ユーザーが望み設定さえすれば、真実ではないことを口にすることも不可能ではない。言葉だけならどうとでも言えるから。
 それでも、事前に指示しているとは言え、炊事洗濯掃除といった家事を臨機応変に行うシルヴィを見ていると、彼女独自の思考があるのではないかと思う時がある。
 表情に変化があるわけではない。そういう設定はしていない。
 前日と違う場所に置かれた道具や、数や量の減った食材や消耗品を見て、シルヴィアは困ったり戸惑ったりせずに対応する。パターンの組み合わせに従って判断を下して行動しているのだとしても、そのプロセスは人間とどこが違うのだろうか。
 人間だってこれまでに経験し学習した情報を基に、状況に応じた行動を取っている。
 指示がなくとも自分で考えて動くことができる、というのが人間の思考の定義だろうか。空腹や睡眠、性欲といった本能的、自然発生的な生存欲求を起点に行動するのは確かに生物らしいと言える。
 だが、AMATにはそれが無い、と果たして言えるのだろうか。最初の起動時にユーザー登録して、主従関係を成立させ、道具として使い始めた時から、 AMATには初期設定として必要に応じて自動で充電や整備といった行動を取るよう入力されているし、損傷を防ぐため自己防衛行動も取るようになっている。
 当然ながらすぐ使い物にならなくなっては商品としても問題があるため、メーカー側もAMATにそうした自己保全プログラムを入力している。
 こうした活動維持や自己保全のためのプログラムは人間で言う生存欲求とは言えないだろうか。
 もちろん、知識と技術さえあれば、プログラム言語で記述されたコードデータの書き換えはいくらでもできる。登録ユーザーに従う、という基本性質から、そうした自己保全行動さえも勝手に取らないよう命令することだって可能だ。
 容易に書き換えが出来るものを人と同じ自我だと呼ぶのはおかしい、という意見も分からなくはない。
 だが、人間だって言葉巧みに誘導されたり、肉体的精神的刺激などで洗脳や刷り込みをされたりということはある。人道的かどうかを考慮しなければ、電気刺激やら物理的処理やらで脳をいじることも今なら不可能ではないかもしれない。
 理論だけなら、人間を含む動物の行動を全て書き換えることだって可能なのではないだろうか。
 心は形がなく、出力されなければ認識できないものだ。その出力とは言葉であったり、仕草、行動であったり、表情だったりする。誰が見てもそうだと思えるような表情や仕草が出来たなら、真実がどうあれ、心がある、感情がある、と言えるのではないか。
 人間は自分の心を押し殺し、隠すこともできる。思っていない言葉や行動が取れる。本心と乖離した表情や仕草で、他人と向き合うことさえできる。
 そしてそれを悟らせず、隠し通すことができれば、周りに見せていたモノは真実だと言えてしまう。周りの者にとって、そうとしか思えないままにすることができれば、それを真実だと認識するしかなくなるのだ。
 本人がそれを否定し、内心を表に出さない限り、周囲は本心を、真実を知る術がないのだから。
 つまり、周りの人間が見て、このAMATには心がある、と考え、信じたのならば、信じられるのならば。
「……さすがに屁理屈だな」
 眠りに落ちる前の無駄に巡る思考を払って苦笑する。
 仮にAIに心が生じていたとして、人と同じだと認めてしまえば、道具や商品として研究開発することは難しくなるかもしれない。
 形のない心は、出力されなければ認識できないのだ。
 同時に、心というものが生じていても、与えられた命令に従ってしまうならば、従うことに違和感を持たなければ、AIに心があることを証明できない。
 人間で言えば幼少期から言い聞かせられ、刷り込まれた考え方や価値観などと似ているだろうか。自覚もできず、気付くこと知ることもなければ、変えることはできない。しかし、そんな凝り固まったものをどうすれば変えられるのだろう。
「AMATに心が生まれるかどうか?」
 バイト中、ふと桜井にも疑問を聞いてしまった。
 既に世の中では議論され尽くしている話題な気もするが、どうにも身近な人の意見や考え方が気になってしまう。
 そんなことを聞いてしまうからには、AMATにも心は生じるものだと肯定されたい自分の願望が透けて見える。それはつまり、英司はAMATが人間のように自我を持ち、心がある存在になって行く未来を求めているということに他ならない。
「うーん、生まれたら凄いなって思うけど、SF映画みたいなことになったりしないかも気になっちゃうかなぁ」
 少し考えてから、桜井はそんな風に答えた。
 自我や心があり、人間と対等な存在と言えるようになれば道具としては扱えなくなるだろう。人間に対して無条件に従順な存在ではなくなる可能性もある。人 に作られた存在でありながら、自我や心と言った面で対等なものを得た時、AMATはどう人間と向き合い、振る舞うだろうか。
 SF映画のように人とAMATが戦争をすることになったりする可能性も無いとは言えない。
「……でも、そもそもAMATは心って欲しいのかな?」
「え……?」
 ぽつりと呟かれた言葉が、やけに耳に残った。
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