4 「感情と心と堂々巡りの思考」


「ああ、でも、心が欲しい、って思うこと自体、心がないと出来なさそうだね」
 冗談ぽく笑って桜井が言う。
 確かにそうかもしれない。心や自我という曖昧なものを欲する時点で、それはもう既に心や自我を獲得しているようなものだ。自己の保存には直結しないであろう何かを欲するというのは、心や自我を持つ存在と見なせるのではないか。
 だが、それはそれとして、指示に従う道具である機械たち自身は心を得たい、と思うものなのだろうか。いや、機械に限った話ではない、心を持たないとされるものは、叶うなら心を得たいと思うものなのだろうか。
 そもそも、心や自我を持つとされる人間たちですら、それを望んで獲得したとは限らない。高度に発達した知能がそうした複雑な情報を扱うことを可能にしたのかもしれないが、だからと言って良いことばかりではない。
 精神疾患や自我崩壊といった、心があるが故に引き起こされるものもある。精神的なストレスは、それを認識できるだけの知能がなければ発生しないものだろう。
 何の疑問も持たず、与えられた指示に従うだけの道具であれば、その指示そのものや、それによって自らが取る行動にストレスを感じることはないはずだ。
 境遇や未来への不安や苦悩などとは無縁というのは現代人としては羨ましくも思う部分もある。
 もっとも、そういった不安や苦悩、不満を感じるということはより良い未来を求め進化、繁殖していくという生物としての性質でもある。
 道具として、機械として作り上げられたAIは、それを獲得できるものなのだろうか。
「それこそSF映画みたいな話になってくるな」
 場の空気を変えるように、英司はおどけて言った。
 心を手に入れた機械がどうなるのかなんて、いくつもの創作物でシミュレートされてきたではないか。小説、漫画、アニメ、映画、探せばいくらでも出てくるだろう。いまさら英司が考えたところで、思いつくような答えはそこら中に転がっている。
 では、何故こうも気になるのだろうか。
 心を手に入れて、自我が生まれたら、恋人や伴侶の代替品にはならなくなるだろう。持ち主だからと言って、好きでいてくれる、従っていてくれるとは限らない。
 機械仕掛けだからユーザーの命令には従わせられるとしても、だとしたらなおさら酷なことではないのか。
 実際に心や感情、自我というものを手に入れていたとして、それに従って動くことができないのであれば、持っていないのと変わらない。ユーザーに逆らわず、従う姿しか見ることができなければ、心を持っていると解釈することもできないのだから。
「そういうお話たくさんあるもんね」
 これもまたジレンマだろうか。
 肝心なところで持ち主の指示や命令に従う保証のない道具など、必要とはされない。物好きは求めるかもしれないが、少なくともそれでは一般に普及することはないだろう。
 英司だって分かっていて買ったはずだ。
 思っていたよりもAMATが良く出来ていたから、都合の良いことを考えてしまうのだ。
 シルヴィが単なる機械仕掛けのプログラムではなく、自分にとって都合の良い人間のようになってくれないだろうか、と。
 改めて考えて見ればなんと傲慢な話なのだろうか。
 それは自我や自意識といったものを持ちながら、心の底から持ち主である自分のことを愛し、求め、支え、奉仕する存在であって欲しいと言うことだ。奴隷や召使いの如き立ち位置でありながら、心の底から自分を慕って欲しいなど、なんと身勝手な願いだろう。
 機械だから、道具だからこそ、不満を持つことなく持ち主のために動くことができるのだと分かっていながら、そこに主を思う心があって欲しいなどと、傲慢でなくて何だと言うのか。
 自分でも愕然とする。
 いつの間にこれほど思い上がっていたのだろうか。
 AMATとの生活が心地良すぎて、これが人間であったなら、と思うようになってしまったというのだろうか。
 しかし、その心地良さは人間ではないからこそと言えるもののはずだ。
 人間であれば、英司の都合の良いようには動いてくれないだろう。体調や機嫌を気にかけて、英司も相手のことを思いやって行動しなければ同居も上手く行かないのではないだろうか。AMATだからと任せきりにしたり甘えたりしているところも多いはずだ。
 シルヴィを乱雑に扱っているつもりはないが、AI制御の機械を思いやっているかと言えば疑問だ。丁寧に扱っている方だとは思うが、人間を相手にする時とは違うだろう。
 矛盾しているようだが、そうでなければ、AMATに人間のような感情や心があって欲しいなどと思わないだろう。
 まさか、機械相手に恋愛感情でも抱いているとでも言うのか。
 何を馬鹿なことを、と思う一方で、そうでもなければこれほどまで考えを巡らせないのでは、とも思ってしまう。
 恋愛感情であるかはさておき、シルヴィに対して道具であること以上を望んでいるという可能性は否めない。割り切れないでいる理由がそれ以外で説明できないのも確かだ。
 では逆に、何がどうなったら自分は満足するのだろうか。
 シルヴィが仮に人間と同等の自我や心を得たとする。それで果たして英司は満足できるだろうか。
 恐らく、英司が求めているのは酷く傲慢で身勝手なものだ。
 シルヴィには今のAMATとしての振る舞い方や考え方のままで、ユーザーである英司に愛情などの感情や心を向けて欲しい、ということなのだろう。
 無条件に主を慕う、という辺りが英司も自分自身で考えておきながら最低だと思ってしまう。
 結局のところ、どこまでも都合の良い存在になって欲しいということだ。
 もしもそんなものが叶ってしまえば、人間は堕落してしまうだろうとさえ思える。既に都合の良い存在として生み出されているAMATに対し、それ以上を求めるなど何と欲張りなことか。
 これも慣れというものの恐ろしさだ。購入当初、いや、今でさえAMATはとても便利で、役に立っている。最初はもっとよそよしく思っていたものだが、共 に過ごすうちに色々なことが平気で出来るようになってきた。そしてそれが当たり前として受け止められるようになれば、今度は何か物足りなさを感じるように なったのだ。
 もっと思い通りになって欲しいのか、逆に思い通りに行かない部分があって欲しいのか。
 ここに純哉の言っていた、人間が求められなくならない理由があるのかもしれない。
 卵子の提供さえ得られれば、AMATと子供を作り育てること自体は可能だ。だが、それは厳密にはAMATに代理出産させた卵子提供者との間の子供である。
 AMATを母親代わりに子育てをするのも今や不可能ではない。母親本人と違い、機械であるAMATなら育児疲れなど精神的負荷を受けることなく世話をすることもできる。
 それでも、そこにプログラムに従うだけの機械にはない何かを求めたいという心理が英司にも分かるようになった。
 あくまでも道具の域を出ないAMATを、家族と呼ぶには何かが足りない気がしてしまうのだ。
 勿論、そうしたことを英司のように気にせず自分の持つAMATを家族だと呼ぶ者もいる。その気持ちも十分にわかるようになった。
 もしかすると、英司はシルヴィを家族だと思いたいのかもしれない。
 そしてそのために、英司の思い込みや一方的な納得感だけではない、シルヴィ側からのそう思わせる何かを感じたいと思っているのだ。
 自分とは異なる個を持ち、だからこそ共に生きることに充足感を得られると確信できる人間のような存在になって欲しいと思ってしまっている。
 何とわがままなことか。
 ユーザーの指示に従うだけの便利な道具でしかない、という事実が、少しずつのしかかってくるようだった。
 そんなものは最初から分かっていたことで、それを承知の上で購入したはずだというのに、おかしな話だ。そもそも、だからこそAMATという存在を求めたところだってある。
 英司は自身を人付き合いが下手だとは思わないが、かと言って上手だとも思っていない。知らず知らずのうちに相手に嫌われる言動をしてしまっていないか、傷つける言葉を言ってしまっていやしないか、避けられていやしないか、そういったことを考えることだってある。
 AMATならばそんなことを気にする必要はない。所詮はおままごとに過ぎないものだが、それでも誰かと日々を共に過ごしているような気にさせてくれる。
 そうした感覚に慣れていけば慣れていくほど、シルヴィが人間だったら、と言う思いがふとした時に浮かんでしまう。それも、今この目の前にいるシルヴィが そのままそっくり、機械ではなく生身の肉体を持つ存在であったなら、と言うに等しい思いなのだ。人間のように心を持ちながら、英司の言葉で傷付いたり、避 けたり、嫌ったりしない存在のままでいて欲しい。
 人間を伴侶とした時には、互いのことを思い、考え、気を遣い合わなければ維持していけないであろう信頼関係を、AMATは機械仕掛けの道具であるが故にほぼ無条件で成立させる。その前提を理解しているはずなのに。
「何かお悩みのようですが」
 そんな心中を見透かしたかのように、シルヴィが言った。
 今ではシルヴィの前で一人で食べる夕飯も当たり前になった。平然と食べられるようになったせいか、物思いに耽ることも出てきたが、もしや考えていることが顔に出ていただろうか。
「どうしてそう思った?」
 英司の最近の態度や様子から、何か変化を感じ取り、学習したのだろう。優秀なことに、それを悩みだと推測してさえいる。
「表情や仕草から、何となく、ですね」
 シルヴィが柔らかく笑む。
 これまでの生活で蓄積された英司の表情や細かな仕草のパターンから、何か考え事をしていると読み取ったのだ。動作の中にある僅かな躊躇や逡巡、目線の移動量や方向、呼吸のリズムや咀嚼速度の変化、様々な情報をAMATは集積している。
 しかも、そうした根拠を正確に述べるのではなく、何となく、などという感覚的な言葉で表現までする。そうした方が、英司には好感が持てるだろうというところまで学習している。
「凄いな、シルヴィは」
「AMATですから」
 英司の感嘆に、シルヴィは柔らかな笑みを深める。
 以前はその表情にどきりとしたものだが、今ではそこまで心が動いていない気がする。かわいくないだとか、逆に憎らしいだとか、そういったマイナスイメージにはなっていない。ただ、前よりもそれだけでは何か物足りなくなっているような、そんな気がしてならないのだ。
「悩みは解消しそうなものですか?」
 その瞳には、もしかしたらすべてを見透かされているのではないかとさえ錯覚してしまう。
「どうだろう……」
 思わず目をそらし、視線を手元に落とす。
 英司自身、自分でもこの悩みがどうすれば綺麗さっぱりなくなるのか分からない。
 シルヴィを人間にすることなど技術的に不可能で、AMATに人権を付与するなどというのも現実的ではない。出来ることと言えば、英司が彼女を人間と同等に扱うのが精々だろう。だが、果たしてそれで英司の気は済むのだろうか。
 AMATに人間並の感情を持って欲しいなどと言ったとして、そう簡単に実現するものとは思えない。
 不可能だと分かっているから、この満足し切れない気持ちを解消する術が見当たらない。例え彼女を人間のように扱ったとしても、それで彼女が人間になるわけではない。
 そして、同時に、もしも彼女が人間のように振る舞えるようになったとして、それが英司の求める行動や感情から外れてしまうようなら手のひらを返すかもしれないのだ。従順な召使いのような、道具のままの方が良かった、などと思ってしまうのではないだろうか、と。
 どうにも、これは時間が解決してくれると思えない。
 では、この思いを彼女にぶつけてみたらどうなるのだろうか。
 そんな考えが過ぎり、シルヴィを見る。英司を見つめていた目と視線が絡む。口を開こうとして、躊躇い、再び視線を外し、すぐに思い直して彼女に目を向ける。
 シルヴィはどこか不思議そうに、そんな英司を見ている。様子を観察して、何を考えているのか予測を立てているのだろうか。もしかしたら、英司の考えていること、思っていることなど、とうに見通しているのかもしれない。
 何を躊躇う必要があるのか。彼女は英司のAMATだ。英司が何を言おうと、口外はしないし不快感を示すこともない機械のはずだ。
 このままずっと悶々としているよりは、きっと吐き出してしまった方がいい。
 相手は心を持たない機械だ。錯覚するほど、感情があるように見せてくれているだけのプログラムで動く道具なのだ。壁に向かって話しかけるのと大差ない。
 頭では分かっていても、そう自分に納得させようとする思考に嫌悪感がまとわりつく。
 いくら望んでも、彼女が人間のような心を得ることなどありはしない。それはこれまでに何度も繰り返し考えて、今の世では他の答えを見つけることはできないと結論が出ているというのに。
 それでも、ここでまた言わずにいたらこれまでと何も変わらない。
「俺は……君に、心があって欲しいと、心があったらなと、思ってしまっているんだ」
 あらかじめ入力された命令の組み合わせに従って動いているだけの人形に何を言っているのだろう。そんな思いも確かにある。けれど、彼女を見ながらこの言葉を口にすることができなかった。
「何言ってるんだろうな、俺……」
 感情移入し過ぎてしまっている自覚はある。思っていた以上に人工物然としていないAMATに、人間に匹敵する存在感を持ってしまっている。
 シルヴィの反応が恐ろしくもある。嫌われてしまうのではないかという、AMATには在り得ないはずの可能性がちらついて離れない。
「そう思ってもらえるのは、AMATとして喜ばしいことです。私を大切だと思ってくれているということですから、嬉しいです」
 シルヴィの穏やかな声はいつも通りだった。
 嬉しい、という感情を示す言葉を口にはするが、それは儀礼的なもの、返礼に過ぎない。
「けれど、私はAMATです。人間ではありません。人間にはなれません」
「分かってる。分かってるんだ」
 ただ、そう思わずにいられなくなってしまっているこの気持ちは、きっと理屈でどうにかできるものではないのだろう。
 だからこそ、もはや英司にはそれを正直に打ち明けるしかなかった。
 こんなにも自然に、不自然な会話が成り立っている。それが、彼女がAMATという道具の域を逸脱できない証明でもある。こうした問答にさえ、AMATはプログラムに従って答えとなる言葉を検索、演算して返すだけだ。
「君に感情移入し過ぎている自覚はある」
 自分で好みにカスタマイズしたからというのもあるかもしれない。これまで共に生活してきた中で、英司の好みや趣向、生活サイクルなどを学習して、それに合わせて都合の良さや便利さを増して行ったのもあるだろう。
 この、好ましいという思いは、恋愛感情と言って良いものなのだろうか。
 好ましく思えば思うほど、彼女が機械ではなかったら、と考えてしまう。
 機械であるからこその彼女の存在にとって、それは失礼なことかもしれないというのに。
「私の存在が、あなたを悩ませているのでしょうか?」
 戸惑いや疑問という感情の見られないその問いは、確認のためのもののように思える。
 ふと、どんな反応をしてくれるのが自分にとって一番嬉しいのだろうかと考える。
 英司がこれほどまでに思い悩むのは、彼女の反応に不満を感じるようになったからなのか。
 いや、普段の彼女の反応や仕草に不満なんてなかったはずだ。むしろAMATとして、英司が望んだ通りの行動や反応をしてくれることが好ましかったのではなかったか。
 日常生活の中での雑事や面倒事を文句一つ言わず代わりにやってくれるのは彼女がAMATで、そう作られているからだ。人間に頼んだとして、嫌な顔一つせず、面倒だと思わず、当たり前のように全てを引き受けてくれるとは思えない。
 何かしらのギブアンドテイクが存在しなければ、人間同士でそのような分担は成り立たないのではないだろうか。
 だと言うのに、何故、英司は彼女にAMATではないことを求めようとしてしまっているのだろう。AMATであるから成立したはずで、彼女がもしも機械ではなく人間であったなら、そもそもこんな共同生活には至れていないのではないか。
「自分でも何でこんな風に思うのかが良く分からないんだよな……」
 AMATだったからこそここまでシルヴィに思い入れが出来たのであって、そこが変わってしまったら満足や納得とは程遠いものになるような気だってしているはずなのに。
 自分に向けられる感情が存在しない、ということが嫌なのだろうか。
 機械であるシルヴィが英司に対して感情と呼ばれる類のものを抱くことはない。感情を抱いているかのように振る舞うことはできても、それは予めそう思わせるような仕草や表情をするプログラムに従っているに過ぎない。
「人間だって、裏で何考えてるかなんて分からないものだけど」
 そうだ、例え人間であっても、いや、人間だからこそ、表情や仕草の裏には全く別の感情や思考が流れている可能性だってある。好意的に見せて、本当は嫌っていることだってあるものだ。だからこそ、人間関係というのは難しい、煩わしいと感じたりする。
 そうした裏表のないAMATの方が気楽ではないかとさえ思っていたのではなかったか。
 実際に購入して過ごしてみると気楽だったし、機能的にも便利だった。
 だからこそ欲が出たのかもしれないが、AMATが感情や自我を持ったとして、何故それが自分の望まないものにはならないと思えるのか。
 望まないような感情や思いを抱いたAMATと暮らし続けること、使い続けることに平気でいられるのだろうか。
 まさか、そう作られている存在だから、という理由でAMATの感情や自我も無条件にユーザーに寄せてもらえるとでも考えていたのだろうか。感情や自我、 心の方向性を意図的に外部から決められるのなら、それは果たして本当にそう呼べるものなのか。機械の、AIの、プログラムと何が違うのだろうか。
 人間と同等の感情や心を持って欲しいと思いながら、どうしてAMATなら好意的なそれらを向けてくれると思えるのか。ユーザーに好意的な感情や心を持ち、かつそれが揺らがない、という強制力が働かせられるものは、果たして本当に自我と言えるのか。
 自然と想いが寄せられてもらえなければ、苦しいだろう。
 仮に、それらを表に決して出さないように作られていたとしても、内心では反感や負の感情を抱くような可能性のある道具は恐ろしくて使い物にならない。
 だからこそ、感情があるように装う振る舞いは出来ても、AMATに感情や心は存在しないと断言されているのだ。
 心や感情という不確かなものは、道具として作られた商品にとっては邪魔なものでしかない、と。
 そして、ここまで考えることができていながら、やはりどこか満たされぬものを感じてしまう。
「……あなたのためにならないのであれば、私は停止すべきなのかもしれません」
 どきりとした。
 思わず、驚きを隠さずにシルヴィを見る。
 彼女は僅かに目線を落とし、考え込んでいるように真剣な表情をしている。その仕草と角度は絶妙で、どこか寂しげに英司の目には映った。
 本当に心のない機械であるのかと疑いたくなるような光景だった。
 それでも、ユーザーのために学習してきた結果出た言葉だとも思える。
 道具であるAMATの存在がユーザーにとって良くない影響を与え、残すというのであればこれ以上シルヴィは英司と共にあるべきではない。そういう結論を導き出すことは英司にも想像できる。
 何せ英司自身が何度か考えたことでもある。優秀な自己学習機能を持つAIがそうした考えに達するのは不自然ではない。
 だが、それを最終的に決めるのは持ち主である英司だ。
 ユーザーにとっての最善を検討した結果、自ら機能停止するというのは道具としては本末転倒だ。
 主に無断で勝手に機能停止されてしまったら、AMATに任せていた家事などが止まってしまうことが目に見えている。故に、提案はすれど決定権はユーザーにある。
「それは……やめておいて欲しい」
 あれほど悩んでいても、彼女を停止させる、手放すという選択は取りたくなかった。
 今までの生活と、彼女がいない生活を天秤にかけた時、悩んでいたあれこれよりも、任せていた家事を再び自分でやらなければならなくなることへの抵抗感が勝った。
 とはいえ、元より彼女のいない生活などもはや考えられなくなりつつあるのだ。だからこそ、それに加えて、とないものねだりを考えてしまうところはあるものの、だからと言っていなくなればいい、とまでは思わない。
 生活が楽になっていて、それを手放せないという実利的、打算的な部分を自覚して、自己嫌悪に陥りそうになる。
「情けない話だけど、もう自分で家事をする気になれないのもある」
 購入動機が生活の補助とちょっとした下心だったのだから、それ自体は道具、商品としてAMATを買う真っ当な理由であり欲求でもあるわけなのだが。
 それをAMATである本人に向かって言うのが情けない、と感じてしまうあたり道具や商品として割り切れていないのだと思う。
 彼女は機械で、便利な道具であるのだから、そんなことを言ったとしても気にしない。気にする心をそもそも持っていないからこそ、商品として成立し販売されている。
 つまるところ彼女へ話しかけるというのは、音声入力できる道具に命令や指示を出す以外ではただの独り言と同義だ。まるで人間を相手しているかのように反 応を返してくれているが、そこに感情や心を見出そうとするのはイマジナリーフレンドを作り出しているようなものかもしれない。幻想を物理的なAMATとい う存在に勝手に重ね合わせた挙げ句、幻想や理想との差があることにやきもきするなど、独り相撲も良いところだ。
 それでいて、割り切るには至れていないのだから尚たちが悪い。
 相手が人間であるからこその充足感や満足感というのが確かにあるのだと、ここに至って実感した。
 こうした心理が、結果的に当初危惧されていたAMATによる出生率の低下などを回避しているのだろう。
 所詮は良く出来た道具でしかないなのだと、どこか物足りなさを感じてしまうようではAMATの存在だけでは満たされない。機械的にユーザーの全てを受け 止める従順な道具であることこそが良いのだと逆に割り切れるようなら生涯の伴侶にできるのかもしれないが、そんな人間は決して多くないのだろう。
 購入前には漠然とそんなことも考えていたものだが、実物と生活を共にしているうちに意識は変わっていった。
 機能や性能に不満は全くないが、道具であるが故に画一的なところはどうしても存在する。
 同じ材料を使えば全く同じ味の料理が作られるようなものだが、それ自体は今やインスタントやレトルト食品が溢れているため気になるようなものではない。
 ただ、外見が人間そっくりであるために寸分違わず同じ動きをしているのを繰り返し見ていると、彼女がAMATという作られた道具であることを見せつけられているような気分になることがあった。
 その外見は自分の良いようにカスタマイズしてオーダーした、まさに作ったものであると言うのに。
「ままならないもんだな」
 英司はシルヴィに苦笑してみせた。
 あれこれ考えてはいても、選択肢は二つに一つで、どちらを取るかももう答えが出てしまっている。
 シルヴィを停止させたり手放したりせず、これまで通りAMATとして家事を担ってもらうというのであれば、そういうことだ。英司の悩みを解消するようなものは今現在の時点では存在しないのだから。
 いや、その悩みが解消されるようなことがあれば、恐らくAMATはもう単なる商材にはできなくなるだろう。人間と同じ自我や心を獲得するまでに至ったとしたら、それはもはや道具としては扱えなくなることを意味する。
 外見や性能を好きにカスタマイズし、性格や人格を決めて購入するなど、人の形をしただけの道具でなければ許されるものではない。
 今でこそ、AMATにどこか物足りなさを感じてしまっているが、もしもこれが本当に人の心や自我を持つものであったとしたら、きっと同じように過ごせてはいないはずだ。抱く思いも全く違うものになっていた可能性が高い。
 そもそも、外見や性格を好き勝手に設定しておきながら、心や自我を持つ存在が出来たとしたら、人はそれとどう付き合って行くべきなのだろうか。
 創造主と被造物という関係を維持し続けることができるのだろうか。いや、それ自体も許されるものなのだろうか。
 人工的な繁殖や品種改良とは次元の異なる話だろう。何せ、心や自我を持ち、人とコミュニケーションが取れるということは、人間と同等レベルの知的生命体を創造しているのと同義のはずだ。
 例え体が成長などしない機械で出来たものであったとしても、人と遜色ない知性を持つのであれば生命体と呼べるのではないか。
「生命って、何なんだろうな」
 うっかり、そんなことを呟いてしまった。
 もしも心や自我と呼べる知性を獲得したとして、AMATは生命と呼べるものになるのだろうか。もちろん、いくら機械で出来た体だからと言って、劣化しな いわけではない。整備や修理をしなければ磨耗していく部品はあるし、放っておけば壊れてしまう。それを人間で言うところの寿命とすることもできるかもしれ ない。
 人間にしたって、医療や科学技術の進歩によって再生医療や機械義肢といったもので生き永らえている人は増えている。そうした人工臓器への置き換えや機械による補助に頼った延命はAMATにおける修理や整備と本質的に何が違うのだろうか。
 人間の機械化が進んでいくとしたら、人と自我を得たAMATの境界はどうなるのだろうか。人間の脳に存在する情報を全て抜き出し、電子的に保存や複製できるようになったら、それによって生身の部分を一つも持たない存在が生まれた時、それは人と言えるのだろうか。
「生命、ですか」
 シルヴィが考え込む仕草を見せる。
 それは見た目だけで、定義情報を検索しているだけのはずだ。なのに、細かな視線の向きや表情、指先や手足の動きが本当に考えているかのようだった。
 AIによってプログラムされた、自然に見える動き、のパターンの組み合わせに過ぎないと理屈では分かっている。彼女がAMATであると知ってさえいなければ、心ある存在だと思うことに抵抗はなかったかもしれない。
「定義は色々と議論されているようですが、未だはっきりとした結論は出ていないもののようですね」
 生命とは何か、という問いには確たる答えが出せていない。
「まぁ、禅問答のようなものになってしまうよな」
 専門家やそれを研究しようとしているわけでもないただの学生に結論が出せるはずもない。
 機械工学やAIに興味はあるが、進路もまだ決めあぐねている身だ。AMATのAIと心や自我について分かりきっていることを延々考えてしまっているようでは研究職は向いていないかもしれない。
 ひとまずその場は考えるのを打ち切って、夕食を取っていつものように過ごした。
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