第四章 「逸した軌跡」


 崩された壁から差し込む月光は、翔夜の輪郭をぼかすように照らしている。切り落とされた腕の傷口から滴り落ちる血が床に水溜りを描いていく。
 暗い部屋の中で、葵は翔夜の背中を見つめていた。
「俺たちは、何のために生きている?」
 翔夜の言葉に、葵は答えを返さない。
 既に答えの出ている問いだ。葵が答える必要はどこにもない。
 生命兵器は人間ではない。人工的に生み出された、人間に似て非なるものだ。人間の遺伝子をベースに、与える能力を考えて生命モデルを決定、DNA構造を掛け合わされる。人工的に合成された受精卵は、成長を促進するための薬品で満たされた培養槽の中へ配置される。培養槽から外へ出るのは、肉体年齢が十を超えてからだ。誕生したと呼べるのは、外へ出た瞬間からだろう。生命兵器は培養槽の外でまず一般常識を教え込まれる。同時に、戦闘に必要な技術と知識を叩き込まれ、自分の肉体を完璧に扱えるように教育されるのだ。
 教育の終わった生命兵器は政府直属の組織『群雲(ムラクモ)』の各部隊へ配属されていく。
 生命兵器は、政府のために生み出され、政府のために生きる。
「俺たちは、何のために人と同じ外見をして、人と同じ思考を持つ?」
 翔夜は、やはり答えの出ている問いを口にした。
 生命兵器が人と同じ外見をしている理由は、基盤になっているのが人間の遺伝子だからだ。脳が最も発達しているとされる人間をベースにしなければ、高い思考力を得られない。絶え間なく変化する状況への適応力と、判断力、新たな可能性を見い出す人間特有の知力が、第三世代生命兵器に求められた要素なのだから。
「俺たちは、消耗品だ」
 群雲にとって、生命兵器は道具に過ぎない。兵器と名付けられた時点で、人間としての存在は想定されていないのだ。人の形をして、人と同じ思考を持つが故に、人間に近い扱いを受けているだけだ。
 組織の外に出れば、生命兵器は化け物でしかない。生命兵器が組織の中で優遇されるのは、他の場所で生きることを許されないからだ。生命兵器が存在する組織以外の場所よりも居心地を良くすることで繋ぎとめていると言い換えてもいい。
「だが、俺自身は、自分の生を実感している」
 戦闘による生命兵器の生死は、組織の者にとっては些細なことに過ぎない。戦闘の結果で一喜一憂するのは実際に戦い抜いた生命兵器たちだけだ。上の人間たちにとっては戦闘の結果と、消費してしまった道具の数が重要な問題なのだから。
 だが、生命兵器の思考力は人間と全く同じだ。
 他の者たちが生命兵器を消耗品や道具として捉えている事実を、本人たちは各々の受け止め方で納得しているに過ぎない。
 翔夜は、納得できなかったのだ。
 戦いで傷付いた痛みと、仲間と共に過ごす穏やかな時間に、生きているのだと実感する。自分自身が道具として生み出され、消耗品として見られていることに変わりはない。しかし、翔夜は自分自身の存在に納得できなかったのだ。
 今、この場にいる翔夜の存在は、生命兵器として彼が造り出されたからに他ならない。
「三年前のあれは、俺が起こした」
「な……!」
 翔夜の告白に、葵は絶句した。
 三年前の生命兵器の流出事故は、原因が不明とされていた。表向きは何者かのテロとされ、既に犯人は処罰されている。もちろん、表向きのことであり、実際は調査が続行されていた。犯人にされたのは単なる凶悪犯に過ぎない。群雲の力で探し出し、テロリストという架空の罪を付加して公に納得させただけだ。
 群雲は国の影として動く組織だ。表の世界で動くことはまず許されない。事故のことが調査されぬよう、公に完結させておかなければならなかった。
 真実は、群雲の力でも未だに闇の中だったのだ。翔夜の言葉を聞くまでは。
「……まさか、お前ら!」
 葵は部屋の入り口付近にいる二人を振り返った。
 朱莉は唇を引き結んだまま、葵の視線を受け止めている。翔子は初めから視線を伏せていた。今の翔夜の姿が直視できないとでも言うかのように。
「お前、やはり翔夜のことを知っていたんだな」
 葵は思い出した。
 先ほどの戦闘の途中、朱莉は確かに翔夜の名前を叫んでいた。葵の名前よりも先に、翔夜の名を呼んでいたのだ。
 全て知っている。朱莉は翔夜と面識があったのだ。でなければ、葵になら話してもいいのではないか、などと翔夜に提案できるはずがない。
「俺が口止めしたんだ」
 かけられた言葉に、葵は再び翔夜の方へ向き直った。
「二日前、気を失ったお前を朱莉に預けたのも俺だ」
 葵の中で、色んなものが繋がった。
 何故、朱莉が葵の手当てをしたのか。どうして葵を病院に連れて行かなかったのか。傷の回復速度や、葵が生命兵器であることに驚かなかった理由は何だったのか。生命兵器の戦いを目の前にして、動じない理由も。
 翔夜は、朱莉を知っている。
「お前……」
 朱莉を振り返る。
「ええ、葵さんも気付いたようですね」
 朱莉は薄く微笑んでいた。
「僕も、生命兵器です。三年前、翔夜さんに助けられた、ね」
 翔夜のことを知っているのは当然なのだ。生命兵器と聞いて驚かないのも、自分の住処で葵を手当てしたのも、偶然ではない。
 朱莉自身が、三年前の事件で流出した第三世代の生命兵器なのだから。翔夜によって引き起こされた事件だと知った今、流出した第三世代生命兵器は翔夜の存在を知らないはずがない。
 翔夜は、朱莉に葵の手当てを頼んだのだ。
「だが、何故、そんなことをする必要がある!」
 葵は翔夜の背中に向かって叫んだ。
 朱莉に預けたことも、三年前の流出事件を起こした理由も、翔夜にとって必要なものだとは思えなかった。
 葵を朱莉に預けることで、群雲や葵の動きを察知しようとしたのかもしれない。では、三年前の事件の必要性は何だというのだろうか。
「僕たちは、新しい生命兵器のプロトタイプなんです」
 背後から聞こえた、朱莉の声に葵は驚いたように振り返った。
「新しい、プロトタイプだと……?」
 新型の生命兵器を造っていたという情報は聞いていない。生命兵器の研究は常に続けられている。兵力が足りなくならぬよう、数の調整もされている。だが、新型という話は聞いたことがない。
「言わば、僕たちは実験体です」
「俺は、偶然彼らの存在を知った」
 朱莉の言葉に続けて、翔夜が口を開いた。
「四年ほど前になるか……。任務で重傷を負った俺は、クラスSの区画で治療を受けた」
 翔夜の言葉に、葵は過去を思い出していた。
 生命兵器を有する群雲の中で、翔夜は最強と噂される実力を誇っていた。だが、四年前、翔夜は任務の中で瀕死の重傷を負った。葵も同じ任務に参加していたが、翔夜の傷は生命兵器の生命力ですら致命傷寸前という際どいものだったのを覚えている。
 任務自体は、翔夜率いる生命兵器の小隊全員がかりで他国の生命兵器部隊を殲滅した作戦だったはずだ。葵も大怪我を負ったものの、翔夜ほどの傷ではなかった。
 生命兵器同士の戦闘は熾烈なものになる。
 直接の原因は、翔夜は負傷した仲間を下がらせ、複数の生命兵器を同時に相手にしたことだろう。自身のダメージを省みずに敵に攻撃を続け、半ば相打ちに近い形で半数近くの生命兵器を一人で葬ったのだ。
 戦闘後に駆けつけた医療班は翔夜を治療するため、最高レベルのセキュリティで固められている研究区画、即ちクラスSのエリアへと運んだのだ。
 生命兵器は自身の遺伝子情報を改変することで戦う力を得ている。言わば、自らの身体組織を一度破壊して構築し直しているようなものだ。肉体組織へのダメージに対しての抵抗力はかなり高い。しかし、度を越してダメージを受けた場合は話が違ってくる。肉体組織を再構築することが困難となり、治癒能力が一気に低下するのである。
 加えて、生命兵器も完成された存在ではない。時として原因不明の不調を訴える者もいる。体組織への過度なダメージや、不調を訴える者は施設の中で生体調整を受ける。外界から生命兵器の体組織にとって最も良い環境を提供すると同時に、最新の技術を用いて肉体組織の再生と調整を行うのだ。
 クラスS、最先端の技術研究を行っている区画で生体調整を受けたことで、翔夜を一命を取り留めたのである。
「あの後、俺はクラスSのエリアで朱莉に会った。いや、見たと言うべきだな」
 翔夜は振り返ることもせず、淡々と言葉を紡いでいく。
「生体調整を終えて、クラスSエリアから出る前に、俺は大型のシリンダーケースの中で眠る朱莉たちを見た」
 クラスS区画の通路を歩いていた際、傍のドアが開いたのだと翔夜は語った。研究員の出入りのために開いたドアの向こう、部屋の中に朱莉や翔子を見たのだ、と。
「……俺は、俺が解らなくなった」
 翔夜は振り返らない。壁に空いた穴から外の様子を見つめたまま、淡々と語る。
「俺たちの存在に価値があるとすれば、戦力的価値しかない」
 当然だ、と葵が思うのは群雲の教育のせいだろうか。
 生命兵器には生命という名前が付けられているのもの、動物として捉えられることはない。人間でもなく、動物でもない。ただ、戦うための兵器、道具としての存在しか許されない。
 生命兵器は戦略的な価値しか持たない。高い戦闘力を誇り、人と同じ思考力を有した機動兵器としての価値しかないのだ。だが、当たり前のことだ。生命兵器は戦略的な有用性を見込まれて生み出された存在なのだから。
 戦略的価値以外のことなど、考えられていない。
「俺たちの存在は初めから否定されている」
 前々から思っていた、翔夜は付け加えるように言った。
 人間としての存在は許されず、動物としても捉えられない。兵器という道具でありながら自律行動を取れる生命兵器は単なるモノとして見られることさえない。存在の全てを肯定的に見られることなど、無いに等しい。
 一般人は生命兵器を恐れ、人として見ることは不可能だろう。同じ政府組織の中でも、生命兵器の存在を快く思っている者は少ないはずだ。利用価値だけで生命兵器を生み出したのだから、当然と言えば当然だが。
「俺は、俺が生きた証を遺したい」
 翔夜が振り返る。
 自分の存在を肯定したい。否定されている生命兵器の存在を、他の者達にどんな形であれ認識させたい。
「だから、俺は朱莉たちを逃がした」
 存在として最も否定されるであろう、実験体を逃がすことで、自分と朱莉たちの存在を肯定しようというのだ。
 政府にとって大打撃を与えることで翔夜は自らの存在を群雲に認識させる。流出した朱莉たちは他の人間たちの中に溶け込むことで一般人としての存在を得る。同時に、普通の人間の中に溶け込んだ生命兵器たちは翔夜のことを忘れない。翔夜の存在を朱莉たちは肯定するはずだ。
 葵にも、何となく翔夜の言いたいことが解った。
「だったら、何故……っ!」
 葵が言葉を返そうとした瞬間、翔夜の視線が鋭く細められた。
「……長居し過ぎたか」
 翔夜の舌打ちに、葵も気付く。
 建物の周囲に気配を感じた。かなりの数だ。一般人の気配ではない。明らかに翔夜を狙った、警戒している生命兵器の気配だ。今までの戦闘経験からくる勘が、全身に緊張感を走らせる。
「葵、お前はどうする?」
 翔夜の言葉に、葵は気付く。
 今、自分が何に対して緊張感を抱いていたのか。誰に対して、身構えようとしていたのか。
「俺は……」
 葵は動揺していた。
 つい先ほどまで、葵は翔夜と戦っていた。自分の右手に深手を負いながらも、翔夜の左腕を切断するほどの激しい戦闘を。葵は、敵だったはずの翔夜に身構えてはいなかった。
 数分前まで仲間だった者達を、無意識に敵と判断し、身構えていたのだ。
 葵の右手の指先から血が滴り落ちる。
「……無理はしなくてもいい」
 翔夜が葵の隣を通り過ぎる。朱莉と翔子の立つ部屋の入り口へと向かう翔夜に、葵は振り返っていた。
 たとえ翔夜に対して既に敵意は無くとも、無理をして群雲を裏切る必要はない。群雲でしか葵が自分の存在を肯定されていないと捉えているのなら、翔夜に付き合って組織を離反する意味はない。翔夜の言葉が葵の中で反響しているかのようだった。
 迷っているのなら、無難な方を選んでも構わない。今なら、翔夜と戦ったまま、群雲に戻ることもできる。葵が追われることなく生活することも不可能ではない。
「そんな腕で、どうするつもりだ……!」
 葵は翔夜の背中に自分の身を寄せた。自分の体重を翔夜の背中にかけるように。
 翔夜の腕の傷口は塞がっていない。身体組織の改変を行えば傷口自体は塞ぐことができる。だが、欠損した四肢を復元させるには時間がかかる。組織で生体調整を受けることができれば部位の欠損も短時間で修復可能だ。しかし、群雲に離反した今の翔夜に生体調整は無理な話だ。
 抵抗するとなれば、片腕のまま戦うしかない。自分の肉体の体積を減らして腕を一時的に再生させることも不可能ではないが、身体のバランスが崩れてしまうため、有効な手段とは言い難い。飛行のための翼の形成や、筋力の強化などとは話が違う。
 筋力強化は体組織の構造を変化させてのもので、細胞の位置やバランスに変化は無い。翔夜や葵のように、翼を作り出す生命兵器は飛行のために専用の訓練を受ける。翼を形作る際の身体のバランス調整の訓練だ。欠損部位の復元に応用できないわけではないが、飛行のために受ける訓練で修得する体組織の改変方法とは違うことがネックになる。片腕を失った際の変化よりも大きくバランスを崩してしまう場合もあるのだから。
「時間が稼げればいい」
 翔夜は答える。
 体組織が改変できるからと言って、切断された腕を傷口に繋げて元通りにすることはできない。身体の構造を書き換えることが可能なのは、神経が繋がっているところまでだ。皮一枚でも繋がっていない限り、生命兵器の身体変化で傷口を塞ぐことはできない。
「時間を稼いでどうするんだ?」
 鋭い嗅覚を持つ狼の生命兵器でもある翔夜なら、葵よりも周囲の状況を的確に捉えているはずだ。この建物を包囲している生命兵器の数は多い。
 時間を稼いだとして、この場を打開する手立てはあるのだろうか。翔夜が生命兵器を相手にするとしても、限界がある。朱莉や翔子を守りながら戦うのは難しい。
「辰己(たつみ)、跳べるか?」
 いつの間にか、部屋の外に新たな人影が現れていた。
 金髪の少年だった。後ろ髪は肩にかかるほどまであり、前髪は右目を覆い隠している。瞳は黒く、顔立ちからも外国人ではなさそうだ。髪は染めているだけといったところか。
「どこか一点でも穴を開けて貰えれば、なんとか行けますね」
 丁寧な口調で、辰己と呼ばれた少年が答える。
「跳ぶ?」
 葵は疑問を口にしていたが、二人には聞こえていないようだった。
「僕も戦いましょうか?」
 朱莉が口を挿んだ。
「いや、お前は翔子の傍についていてやれ」
「でも、翔夜さん一人じゃ……」
 申し出を断る翔夜を、朱莉が気遣う。
 葵には、穏和に見えた朱莉が「戦う」という言葉を口にしたことの方が意外だった。朱莉は戦いを避けるために動くタイプだと思っていたのだ。いや、生命兵器である時点で、戦えるだけの意思や覚悟は持ち合わせていたのだろう。
「戦力的には翔子さんが戦える状態にあれば良いのですが」
 辰己の言葉に、朱莉は無言で首を横に振る。
「突入してきたか。早いな……」
 翔夜が呟いた。
 嗅覚の強化による状況把握だ。臭いで周囲のものの動きを察知している。
「辰己、そこの壁から、そのままでどこまで行ける?」
「とりあえず、この都市の外までは可能ですね。障害物がなければ、の話ですが」
 葵には二人の会話が理解できない。
 飛躍し過ぎている。
 辰己は気配を感じさせずにいきなり現れた。攻撃的な野生動物の遺伝子を組み込まれているはずの葵にも接近を感知できなかった。昼間の弘人の時とは違い、今の葵は周囲への警戒を怠ってはいない。にも関わらず、翔夜といい辰己といい、何故こうも察知できないのだろうか。
「お前にばかり頼ってすまない」
「いいんです。私の方から翔夜さんの足になると言ったんですから」
 辰己は翔夜に笑みを返していた。
「……隙を見て、行け。俺のことは後でいい」
 翔夜の言葉に頷いて、辰己は部屋の中へ足を踏み入れた。朱莉は翔子と共に壁に空いた穴の付近まで移動する。辰己も二人を追って穴の縁まで歩いて立ち止まっている。
「今のうちに身を隠せるのなら、何故お前はここに残ろうとする?」
 葵は問う。
 辰己の存在がこの場から逃げるという選択を可能にするのであれば、翔夜が時間稼ぎを行う必要はないのではないだろうか。
「あと五分は動けないんです」
 葵の後方から、翔夜の代わりに辰己が答えた。
「どういう意味だ?」
 辰己へ振り返ろうとした時だった。
 部屋の中に轟音が響き渡る。丁度、翔夜を左右から挟み撃ちにするかのように向かい合う壁が崩れ、二人の人影が砂埃の中から現れた。
 翔夜は弾かれたように動いていた。右手を狼に変え、上腕に翼を形作る。向かって右側に現れた人影に飛びかかり、爪を薙ぎ払うように振るった。
 巻き上げられた埃の中から人影が飛び出す。
 葵は息を呑んだ。
 飛び出して来た敵は、朱莉や翔子と同じぐらいの年齢の少年だった。いや、年齢が問題ではない。彼らの身体には白銀のたてがみが生えていた。肩から手の甲まで、身体の外側にたてがみが生えている。淡い光を帯びた白銀の髪に、黄金に輝く角が額から伸びている。
 二人の顔は瓜二つだ。違いが見い出せない二人には表情がない。少しだけ細められた視線はどこか虚ろで、感情が見えない。
「何だ、あれは……」
 葵は背筋に寒気が走るのを感じていた。
 白銀の髪が靡く度に、火花が周りに散っている。室内の埃が静電気で燃えているのだと気付くのに時間がかかった。
 翔夜の舌打ちが聞こえた。
 少年が手をかざす。翔夜が大きく跳び退り、少年の正面から逃れるように動いた。
 刹那、爆音が部屋の空気を引き裂いた。
 部屋が青白い閃光に満たされ、一瞬の間、色を失う。
「落雷、だと……!」
 葵が見たのは、紛れも無く雷だった。
 少年の手から、雷が放たれたのだ。凄まじいまでの電流が空気を切り裂き、一直線に突き抜けたとしか思えない。葵たちの鼓膜を揺さぶった爆音は、雷が空気を引き裂く時特有の轟音だ。
 だが、葵には理解できなかった。
 何故、目の前にいる少年が雷を放つことができるのだろうか。
 生命兵器であることは間違いない。だが、雷撃を操る力を持った動物など、この世にいただろうか。葵が知る限り、雷撃を操る力を持った生命兵器は存在しない。身体組織の強化や変化以外に特殊な性能を持たせられるものなのだろうか。
 翔夜の爪が空を切る。翔夜の間合いから離れた少年がかざした手が雷撃を纏い、火花を散らす。
 もう一方の少年が翔夜の背後を狙っていた。翔夜も気付いている。だが、二人の少年がかざした手は翔夜には向けられていない。いや、正確には逸らされているというべきだろう。翔夜の動きを封じるように、先に回避先を潰しておくつもりなのだ。放たれた雷撃は翔夜の左右に伸びる。正面に立つ少年がもう一方の手をかざし、上方へ逃れるのを防ぐ。
 放たれ続ける雷撃が轟音と閃光を撒き散らす。葵は眩しさに目を細めながらも、瞼を閉じることはしなかった。
 背後から、片手が余っている敵が翔夜を狙う。
「翔夜っ!」
 葵は叫び、駆け出していた。
 二人の敵は翔夜の間合いにはいない。背後の少年が雷撃を放つ前に攻撃できるのは、葵しかいなかった。部屋のほぼ中央で呆然と戦いを見ていた葵だけが、敵の直ぐ傍にいたのだ。
「はぁっ!」
 裂帛の気合いと共に、葵は左手を振るった。左腕はまだ微かに痛みを訴えている。だが、貫かれた右腕よりはマシだ。
 爪を虎のものに変化させ、敵の首筋目掛けて切り付ける。少年は掌で葵の手首を掴み、片手で投げ飛ばした。見た目とは裏腹に、少年の筋力は尋常ではなかった。
 背中から地面に叩き付けられた葵から、少年は視線を外す。最初から眼中に無いとでも言うかのように。
 だが、葵が作った一瞬の隙に翔夜が少年の目の前にまで辿り着いていた。突き出された爪が喉元を貫く。噴き出した血が舞い、翔夜はすぐさま腕を振り払った。強引に引き裂かれた首筋から大量の血が噴き出し、辺りに撒き散らされた。
 絶命した少年の身体が崩れ落ちる。
 翔夜はもう一方の少年に向き直り、駆け出した。
 放たれる雷撃を跳び越え、翼を広げる。滑空する翔夜から距離を取るように、少年は飛び退りながら雷撃を放つ。だが、狭い部屋の中では翔夜の方が素早かった。単純な瞬発力では少年の方が上だったが、部屋の中では直ぐ壁に背中がついてしまう。別の部屋へ逃れるという手段を考えていないのか、少年は徐々に部屋の角に追い込まれていた。
 雷撃を拡散させて放つ少年に、翔夜が翼を畳んだ。少年の懐に飛び込むように着地し、屈むように姿勢を低くして爪で少年の足首を両断する。倒れながらも雷撃を放ち続ける少年の首を翔夜が掴んだ。躊躇わずに首の骨を折り、翔夜は少年から手を離す。
「ちっ、まだ来るか……」
 翔夜の舌打ちと共に、部屋に少年が現れる。
 さきほどの二人と全く同じ顔と外見をした少年だった。今度は数が多い。この場に入って来た者たちだけでも五人はいるだろう。部屋の周囲にも同じ気配を感じた。
 最も早く部屋に入ってきた少年に翔夜が回し蹴りを放つ。腕で受け止めたところに爪を突き出し、喉笛を掻き切る。周囲の少年が雷撃を放ち、翔夜は間一髪のところで飛び退いてかわした。
 立て続けに放たれる雷撃の合間を縫いながら、翔夜は少年の一人に接近し、首を撥ねた。死体を掴み、盾にして雷撃を防ぐ。雷が途切れた一瞬に死体を投げ飛ばし、少年の一人を吹き飛ばす。
 翔夜の動きは見事なものだった。
 まるで、今まで同じような状況を潜り抜けてきたかのようだ。この少年たちと戦うのが初めてだとは思えなかった。
「久しぶりだな、翔夜」
 不意に聞こえた知り合いの声に、葵は部屋の入り口に視線を向けた。
「弘人か」
 翔夜は少年たちを少しずつ着実に仕留めながら呟いた。視線を向けることもなく、ただ敵を葬り続けている。
「その腕は葵にやられたか」
 弘人は翔夜と葵を交互に見やって言った。
「弘人、こいつらは……」
「新型の生命兵器だとよ」
 葵が問うより先に、弘人は答えを口にした。
「こいつらの実用性が十分確認されれば俺たちもお払い箱だな」
 皮肉っぽく笑う弘人を、葵は呆然と見上げていた。
 新型の生命兵器ということは、朱莉や翔子たちの完成形ということなのだろうか。新型であろうことは薄々感付いていた。だが、この新型とやらは今までの生命兵器らしくない。
 意思の感じられない表情や瞳に、雷撃を操るという特殊性は今までの生命兵器には無かった。
「こいつらに個別の意思は無いに等しい。完全に命令に従うだけの人形みたいなもんだ」
 弘人の言葉に、翔夜が視線を細めたのが判った。
「どこまで命を冒涜するつもりだ……!」
 怒りの混じった翔夜の呟きが響いた。
「俺に言うなよ。俺が創ったわけじゃないんだから」
 弘人は小さく溜め息をついた。
 群雲の上層部か、政府の重役か、はたまた別の人間かは解らない。第三世代の生命兵器の一番の問題点は意思があることだったのは間違いない。個別の意思があり、人間と同じ思考力を持っているが故に、状況判断や対応力には長けている。だが、逆に命令違反や独断行動をする者がいたのも確かだ。
 人格によって扱い辛いと感じる生命兵器がいたのは事実だった。
 道具に意思など必要無い、とするのが一般的な見解だろう。だから、生命兵器の研究で得られたデータを基に、意思を無くした生命兵器を創ったというところか。
 だが、だとしても、翔夜が戦っているこの状況はあまりにも異様な光景に思えた。
「とりあえず、命令なんでな……。ここにいる全ての敵を殲滅しろ」
 どこか気乗りしないような言い方ではあったが、弘人は新型の生命兵器たちに指示を出していた。
 彼の命令を受けて、待機していた少年たちが一斉に動き出す。十数人の少年が部屋に流れ込み、翔夜を狙う。いや、翔夜だけではない。朱莉や翔子たちも狙っていた。
「朱莉っ!」
 朱莉たちに手をかざした少年の首筋に、葵の爪が突き刺さっていた。薙ぎ払われた腕が敵の首を撥ねる。
 周囲の少年たちが葵へと視線を向けた。朱莉たちよりも葵を先に始末するつもりなのだ。戦闘行動を率先して行う者を優先して排除するように命令されているのかもしれない。
「予想はしてたが、やっぱり少しショックだな」
 敵に回った葵を見て、弘人が溜め息をついた。
「お前も乗り気には見えないがな」
「俺は楽をして生きられればそれでいいからな」
 葵の言葉に弘人が肩を竦める。
 放たれる雷撃を跳び越え、少年の顎を蹴り砕く。口から血や肉片を撒き散らす敵にもう一撃回し蹴りを浴びせ、トドメを刺す。吹き飛ばされた敵が別の少年を巻き込んで転がった。
 弘人が動いた。
 チーターの遺伝子を組み込まれた弘人の瞬発力は生命兵器の中でも一二を争う。戦場を素早く駆け抜け、新型の生命兵器を確実に仕留めていく翔夜へと迫っていく。
「翔夜!」
 葵は叫んだ。
 翔夜が振り返り、弘人の爪を自らの爪で打ち払う。
「悪いな」
 弘人が呟いた。
 もう一方の爪を蹴飛ばして防いだ翔夜を、雷撃が直撃した。背後からの雷撃をまともに浴び、翔夜が吹き飛ぶ。敵が多過ぎる。
 葵が戦っているのはせいぜい一人か二人だ。だが、翔夜には残りの全ての敵が群がっていた。まるで、翔夜さえ殺せば全てが片付くとでも言うかのように。
「翔夜さん!」
 朱莉が名を叫ぶ。
 葵は目の前の少年の顔面に蹴りを叩き込み、吹き飛ばす。もう一人の敵の首を左手で貫き、蹴飛ばして振り払う。雷撃を横に跳んでかわしながら接近し、裏拳で敵の頭蓋骨を砕いた。
 中々翔夜に近付けず、葵は歯噛みした。
 雷撃が左肩を掠める。皮膚が焼ける痛みを無視して、葵は爪を振るった。後退してかわされたのを見て、直ぐに左へと身を投げ出した。爆音が轟き、雷撃が突き抜ける。
 足払いを仕掛けて転ばせた少年の首を踏みつけて骨ごと砕く。
 個々の練度は低いが、雷撃を操るという能力が厄介だった。まともに浴びれば大ダメージは免れられない。下手をすれば致命傷だ。翔夜は傷付きながらも戦い続けている。
 早く傍へ行かなければ。気持ちだけが先走る。
 自分が焦っていることを自覚するのと同時、直ぐ傍に敵が近付いていることに気付いた。もうかわしきれないタイミングだった。
 次の瞬間、二人の間に翔夜が滑り込んでいた。放たれた雷撃をまともに身に受けながらも、強引に敵へと爪を振るう。
「翔夜……!」
 想い人の背中は、いつにも増して大きく見えた。
「葵」
 振り返らずに、翔夜が名を呼んだ。
「後は、お前に任せる!」
 翔夜の身体を閃光が貫いた。
 幾筋もの光があらゆる方向から翔夜の身体を突き抜けていく。轟音と閃光が辺りを満たす。
 酷い有様だった。翔夜の身体はぼろ布のようにずたずたにされていた。焼け爛れ、引き裂かれ、傷だらけの翔夜が膝を着く。倒れるかと思った瞬間、翔夜の目が大きく見開かれた。腹の底から叫び、立ち上がると目の前の少年の首を撥ねる。雷撃を避けようともせずにまともに浴びながらも尚突き進み、敵をただひたすらに葬り続ける。
 弘人の顔も青褪めていた。
 葵は頭の中が真っ白になっていた。
 致命傷だ。致命傷を何発も身体に受けながらも、精神力だけで敵の数を減らしている。
 やがて、弘人が意を決したかのように動いた。背中から飛び掛り、翔夜の背中を深く切り裂く。翔夜は振り返り、爪を薙ぎ払う。弘人の両腕が引き裂かれていた。
 だが、背後から雷撃が翔夜を再び貫いていた。
 少年たちへ向き直ろうとする翔夜に雷撃が集中し、爆音が轟く。
 光が収まった時、翔夜は倒れていた。
「翔夜ぁぁぁあああああっ!」
 弾かれるように飛び出した葵へと敵の視線が向けられる。
 目の前の少年に突き出した右手が横合いから別の敵に掴まれた。葵の掌を掴んだ敵が、手から雷撃を放つ。掴んだままの手から、葵の右手へと直接流れ込ませるように。
「あああああっ!」
 出血していた右手の中に、血を伝わって電撃が流れ込む。
 内側から右腕を焼かれる痛みに葵は絶叫した。
 別の雷撃が葵の左肩を直撃する。激痛が全身を駆け巡り、葵は仰向けに倒れていた。
「ぁ……」
 言葉にならない呻き声だけが口から漏れる。敵たちが手をかざし、葵を狙っているのが見えた。
「葵さんっ!」
 朱莉の叫び声が聞こえる。朱莉がいた方向から、足音が急速に近付いてくる。
「――朱莉さんっ!」
 辰己が朱莉の名を叫ぶのが聞こえる。
 滲み、ぼやけていく視界の中で、背に六枚の翼を持った天使のシルエットが映っていた。
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