第三章 「意気投合」 まさか、クーヤが漣に協力を求めてくるとは思わなかった。いや、クーヤの待遇や漣との関係を考えれば、彼が協力を求めることができるのは漣しかいない。 クーヤが頼れる相手というのは本当に極僅かだ。離反したリヴドは勿論だが、レグナの人間もクーヤを快く思う者はいない。だから、クーヤと仲の良かった漣を奇異の目で見る者も少なからずいた。 「まぁ、とりあえず着替えろ。その服装で入り口に立っていられたら困る」 漣は小さく息をついて、クーヤを銭湯の外へ連れ出した。 寝泊りに使っている小屋へ連れて行き、適当に服を見繕う。漣より長身のクーヤのために、できる限り大き目の服を引っ張り出した。 「……悪いな」 差し出された服を受け取りながら、クーヤが礼を言う。 「いや、お前のせいで客が減ったら困るし」 今の日本では、レグナの服装は奇抜な部類に含まれてしまう。レグナの騎士の制服を着込んだクーヤと漣が親しげに会話していたら周りの視線がどうなるか、考えたくもなかった。 変人に見られたが最後、今まで培って来た信頼関係が一気に崩壊してしまう。 客足が減ってしまったら覗きができない。漣の楽しみが大きく奪われてしまうことになるのだ。何としても防がなければならない。 「で、何に協力して欲しいんだ?」 コートを脱いで下着姿になったクーヤから視線を逸らして、漣は問う。男の着替えを見ても嬉しくもなんともない。漣が女だったら違ったのかもしれないが。 「リヴドの戦力を奪いたい」 「戦争の終結ってことか?」 「いや、リヴドを戦えなくしたい」 クーヤは漣の言葉を否定した。 リヴドが戦争を続けられないぐらいの痛手を負わせてやりたいと言うのだ。だが、リヴドから戦力を消すというのはどう考えても戦争の終結だ。レグナが勝利し、リヴドが負けることと同義なのだから。 「それで、俺に何をして欲しいんだ?」 漣の言葉は了承という意味ではない。何をさせたいか、何をして欲しいか、という内容で判断することだ。漣の性格を知っているクーヤなら、理解しているはずだ。 「四賢人を動かした。そいつらを叩く」 クーヤの言葉に、漣はまたも目を丸くした。 四賢人と言えばリヴドの最高戦力だ。彼ら全員を戦闘不能にし、戦う力を奪えばリヴドとレグナの戦力関係は大きく傾く。 現在、レグナを支えているのは四戦司だ。彼らはリヴドの四賢人と対を成すような関係であり、二つの勢力が互角であるが故に均衡を保っていると言って過言ではない。 「動かした、か」 漣はクーヤの言葉を反芻した。 つまり、リヴドへ赴いて四賢人と言葉を交わしたということだ。結果、四賢人を誘い出す算段が付いた、といったところだろう。 「あいつらを叩いて、終わりにする」 ほとんど、クーヤ自身の問題だ。様々な因縁に決着をつけたいに違いない。 だが、一人では困難な計画だった。だからクーヤは漣を自らの戦力に加えたいのだろう。 「それで?」 一通り聞き終えて、漣は尋ねた。 今度はクーヤが眉根を寄せた。漣の言葉の意味が解らないとでも言いたげに、首を傾げる。 「それで、その後どうするんだ? そうするメリットは?」 クーヤの身の上は知っているし、決着をつけたがっているのも漣は承知している。 だが、漣はレグナとは縁を切った。戦うつもりは全くないのだ。特に、この世界では。 「四賢人が四人だけで来るとは思えない。きっと、精鋭部隊がついてくる。そうなったら、ただ大勢の人が死ぬだけじゃないか?」 ただ戦うだけで何が解決するというのだろうか。 レグナとリヴドは確かに戦争をしているが、最近はかなり沈静化している。睨み合っていることに変わりは無いが、膠着状態に陥っていた。双方、相手の出方を窺っている。安定していると言い換えても良いぐらいだった。 「この戦争に勝って、何が得られる?」 異なる世界同士での争いで、何が得られるというのだろうか。レグナもリヴドも領土は十分にあるため、土地を侵略する必要はない。植民地を作るメリットはない。どちらが勝ったとしても、得るものは無いようなものだ。 交易が可能になるぐらいだ。だが、交易が目的なら最初から争う必要はない。 そもそも、二つの世界が争っている理由は宝珠と呼ばれる存在が発端になっている。世界のパワーバランスを崩すほどの力を秘めた存在の奪い合いなのだ。レグナがリヴドを、リヴドがレグナを消そうとしているという話は一切ない。ただ、相手の世界に力を与えたくないがために、自分の世界の力を優位に置きたいがために戦っている。 「俺さ、もう無意味に戦いたくないんだよ」 気付いた時、漣は戦う意味を失った。 今では銭湯で働く爽やかなお兄さんだ。漣はこの生活を心底から気に入っている。大勢の人間を傷付けるより、人々を癒す今の仕事の方がずっといい。 「レーン……」 少しだけ、クーヤが寂しそうに表情を歪める。 「お前は、何のために戦ってる? その違いだ」 漣は言った。クーヤにはクーヤの思いがあり、漣には漣の考えがある。自身の意思を他者に押し付けることはできない。いや、押し付けたとしても、受け入れるかどうかは相手次第だ。だが、漣の意思は固い。 「やっぱり、変わってねぇな、お前は」 溜め息をついて、クーヤは苦笑いを浮かべる。 「元々、そう簡単に手ぇ貸しちゃくれないことは予想できてたからな」 漣は度々、クーヤと戦ったことがある。勿論、クーヤがリヴドを離反する前だ。クーヤがレグナに来てからは、むしろ親しい友人という関係を築いている。 互いの性格は良く知っている。 「無駄だ、とは思わないんだな?」 漣は口元に笑みを浮かべた。 意思の固い漣を説得するのは困難を極める。 レグナでは外交能力が高いと評されるティーンも、漣を説得することはできなかった。勿論、ティーンが漣に対して侮蔑の感情を抱いていたことも原因の一つではある。だが、邪魔な感情を消して交渉できなかったという見方をすれば、ティーンの外交能力もさほど高いとは言えない。 「俺は諦めが悪いんだ」 クーヤも笑みを見せる。 敵の立場も味方の立場も知っているクーヤこそ、外交には向いているかもしれない。ただ、彼の直情的な性格が外交に適しているとは言い難いわけだが。 諦めの悪さはクーヤの長所であり、欠点でもある。離反した時、四賢人と戦って生き延びたのはクーヤの諦めの悪さが関わっている。同時に、レグナにいてもリヴドでの一件に決着をつけられなかったことを諦め切れずにいた。 「まぁ、せいぜい頑張れ」 クーヤには何を言っても無駄だと、漣は知っている。だから、ティーンの時と違う接し方をする。クーヤ自身が、漣の意思を納得するまで付き合うしかない。 「解ってるとは思うが、暫くはこっちにいさせて貰うからな」 漣の予想通り、クーヤもこちらの世界に留まるようだ。 「泊まる場所とか、どうするんだ?」 「決めてない。泊めてくれ」 漣の問いに、クーヤは言い放った。 「そうくると思った」 どの道、クーヤは漣を説得しようと何度も銭湯を訪れるはずだ。ならば、最初から漣の近くで生活をした方がいい。 「こっちでは最上空也(もがみくうや)って呼んでくれ」 「俺は小波漣だからな。間違えるなよ」 名前を確認し合うと漣は空也を連れて小屋を出た。 「お前が銭湯で働いてるとは思わなかったな」 ぽつりと空也が呟いた。 漣はただ口元い笑みを浮かべて空也に視線を返す。 「お前にも手伝って貰うからな」 「めんどくせぇなぁ」 空也はあからさまに嫌そうな顔をした。 「そう言うなって、いいもん見せてやるからさ」 銭湯の入り口から中へ入り、番台へと空也を引き入れる。 「うわ、なんだこれ!」 番台の裏側に配置された精密機器を見て空也が驚いた。 にやりと笑って、漣はパソコンを起動する。起動音も静かに、パソコンが立ち上がる。オペレーションシステムの起動を確認し、漣はマウスカーソルを動かしてアプリケーションをダブルクリックした。プログラムが働き、パソコンと接続されている機器が『全て』動き出す。 「そろそろだな」 腕時計を見て、漣は呟いた。 「おーっす!」 元気良くポニーテールの少女、美咲が銭湯へやって来た。続いて妹の香澄が入って来る。 「いらっしゃい」 笑顔で漣は出迎える。隣に立つ、空也は姉妹と漣を交互に眺めていた。 「あれ? その人誰?」 空也に気付いた美咲が首を傾げる。 「ん、俺は――」 「太郎って呼んでやってくれ」 空也の言葉を遮って、漣は言い放った。 「はぁ?」 思わず間抜けな声を出して、空也は眉根を寄せた。 「太郎さん、ですか?」 おずおずと香澄が尋ねる。 「いや違うから!」 大声を張り上げて否定する空也に、香澄がびくんと両肩を震わせた。 「なんで太郎?」 「こいつ職なしでプー太郎だから」 「あぁ!」 漣の回答に、美咲は納得したように両手を合わせた。 「納得すんな!」 「現に無職なんだから仕方がないだろう」 抗議の声を上げる空也を、漣があしらう。 実際、こちらの世界での空也は無職だ。 「でも何で太郎なんですか? 前半分の方は……」 「被ったら問題になりかねない」 「……なるほど」 漣の一言に香澄は納得したらしかった。 「皆に言いふらしておいてくれ」 「りょーかい!」 笑みを浮かべた漣の言葉に、美咲が軍人のように敬礼する。 「止めんかい!」 空也の叫びも空しく、姉妹は脱衣所へと入って行った。 「お前、俺をからかうために呼んだんじゃねぇだろうな?」 「ま、見てろ」 怪訝そうな表情の空也に、漣は打って変わって怪しげな笑みを浮かべた。 パソコンを操作し、漣は脱衣所内部の様子をディスプレイに表示させる。いくつか分割して表示された各カメラの映像の中から、映りが良いものを選択。拡大表示に指定する。 「こ、こいつは……!」 空也が言葉を失った。 先ほどまで親しげに漣が会話をしていた姉妹が脱衣所で衣服を脱いでいく。美咲が髪留めを解き、香澄が眼鏡を外していた。一枚一枚服を脱いでいく様が克明に映し出されていた。しかも、漣の操作によりありとあらゆる角度から、絶妙なアングルでの映像に切り替わっていく。 脱ぎ方を知り尽くしているが故のアングル操作だ。 「お、お前、これ、盗さ――!」 「ストップ」 叫びそうになった空也の首を掴み、強引に声を出せなくする。 顔を引き攣らせつつも、空也はディスプレイを凝視していた。見る見るうちに顔が赤くなっていくのが判る。 「お前、判り易い奴だな」 「悪かったな」 小さく呟く漣に、空也は口を尖らせた。 「どうだ、いいもんだろ」 邪な笑みを浮かべる漣には目もくれず、空也はディスプレイに映る姉妹を見つめている。特に、香澄の方を。 「こんばんわー!」 声と共に小学生が数人銭湯へ入って来た。 「うん、こんばんわ」 先ほどまでの笑みを一瞬で消し去り、漣が爽やかに対応する。 その様に空也は言葉を失っていた。表情だけでなく感情や声音すら完璧に切り替えている。別人格と思えるほどの変わり様だった。ただし、根底にある漣は変わっていないわけだが。 小学生達が男女別れて脱衣所へ入って行った。同時に、ディスプレイに映る脱衣所内部の様子もリアルタイムに変化する。 服を脱ぎ終えた姉妹の隣に小学生の双子、奈美と奈美がやってきて服を脱ぎ出す。中学生と高校生の姉妹と違って、脱ぎ方は少し雑だ。だが、その分早い。 「……お前、さっきも香澄ちゃん見てたよな?」 漣は空也に言った。空也は着替えの様子が映し出されたディスプレイを凝視している。新たに入って来た方を中心に。 「お前、まさかロリコ――」 「それだけは違う」 漣の言葉を、空也は真剣に否定した。 「俺は胸のでかい女が嫌いなんだ」 空也は漣を真っ直ぐに見つめて言い放った。 「真顔でそんなこと言われても困るぞ」 「むしろ尻だ」 「意味がわかんねぇよ」 「わからんか? だから、このヒップラインがだな」 「詳しく聞きたくないわ!」 どんどんおかしな方向へ進んでいく空也に言い放ち、漣はディスプレイに視線を落とした。 「貧乳って言うな、微乳って言え!」 「何も言ってねぇだろ!」 いきなり両肩を掴んで揺すってくる空也に、漣は呆れた。 「お前達、何を話している?」 威圧するような声と共に、漣の前に警察官が立った。 「げっ!」 「あ、堀田さん。いらっしゃい」 警官の登場に慌てる空也を他所に、漣はいつも通り挨拶をしていた。同時に、右手だけ手袋を身に付ける。 無言で睨み付ける警察官・堀田へ、漣は手袋を嵌めた右手で小さな封筒を差し出す。 「今週の分です」 「うむ」 堀田は数枚の紙幣を番台に置いて封筒を受け取った。彼はそのまま銭湯を出て何事も無かったかのように去って行った。 「どういうことだ、これ?」 「まぁ、ちょっとした小遣い稼ぎさ」 釈然としない様子の空也に、漣は言った。 封筒の中にあるのは漣が撮影、編集した動画を収めたディスクだ。堀田は漣からDVDを購入している。 「相手は警察官なんだろ?」 「大丈夫、抜かりは無いよ」 不気味に笑う漣に、空也は身震いしていた。 相手が誰であろうと、漣が撮影しているという事実は漏洩しないようにしてある。無論、本人にもしっかし契約させている。 「もし、俺のことが漏れたら、知った奴ら全員を社会的に抹殺すればいい」 「……確かに、お前ならできそうだな」 空也が引き攣った笑みを浮かべた。 堀田は威圧的だったが、表面だけのものだ。優位に立っているのは漣で、彼はおこぼれに授かる立場でしかない。内心でわきまえているからこそ、漣が手を差し出さなくとも代金を支払っている。 「こういうのの準備って、金かかるからさ」 言って、漣は笑った。 最新鋭のパソコンに、増設したメモリやCPUなど、設備には結構な金がかかった。カメラの取り付けのための、壁の中への配線やスペースの確保なども全部漣一人で行った。当然ながら、業者に頼むわけには行かないからだ。 「よくやるよ」 呆れたように空也が苦笑する。 「やるなら徹底的に、な」 趣味のためには金や時間を惜しまない。今の漣の心情を言い表すならこれだろう。 「こんばんわ、漣さん」 「ああ、佐久間さん、いらっしゃい」 不意に入って来た佐久間にも、漣は一瞬で表情を切り替えて対応する。 「あら、そちらの方は?」 空也に気付いた佐久間が小首を傾げた。仕草に髪が揺れる。 「太郎です。古い知り合いなんですよ」 「だから違うつってんだろーが!」 漣の言葉に空也が叫ぶ。が、漣は無視した。 「あ、今朝のクッキーご馳走様でした」 「喜んで頂けたみたいで良かったです」 にっこりと微笑む漣に、佐久間が柔らかい笑みを浮かべた。 「また焼きますね」 「はい、お願いします」 笑みを交わしてから、佐久間が脱衣所へと入って行く。 「……お前、あいつが好きなのか?」 漣と佐久間の会話に割り込めなかった空也が問う。会話に参加できなかったためか、どこか控え目な口調だった。 「うん? 好きだよ?」 素直に漣は頷いた。 「それ、ほんと?」 彩がいた。番台の前に立ち、漣を見つめている。 空也は視界に入っているのだろうが、彼女にとってはどうでもいいらしい。顔見知りではあるため、自己紹介の必要はないが。 「嘘ついてどうするんのさ?」 漣は不思議そうに首を傾げて見せた。 佐久間は素敵な女性だ。穏和で、気遣いもある。誰にでも優しく接し、包み込む力のある女性だ。 「皆好きだよ、俺は」 漣は笑った。下心のない、本当の笑顔で。 銭湯で働き始めた当初から、付近の住民達は漣に良くしてくれた。漣も人見知りするような性格ではなかったが、直ぐに打ち解けることができた。 「……そう」 どこか不満げに、彩は息をついた。 「で、今日は何しに?」 「客よ、今日はね」 問い質す漣に、彩は答えて脱衣所へと進んでいく。 番台の下に隠してあるディスプレイにも彩が映るのを確認して、漣は一つ頷いた。 「お前、罪悪感とかないのか? 後ろめたさとか……」 空也が小さく呟いた。 「何言ってんだよ、忘れ物があっても誰のものか確認できるだろ?」 人がいる間、ずっとカメラを回していれば誰が何を忘れたかを後で確認することができる。 「にしちゃあ、女湯の脱衣所しか映ってないような気がするぞ」 「男の裸なんて見たって嬉しくねぇよ」 「そりゃそうだけどさ……」 真面目な顔で言い放つ漣に、空也が苦笑する。 「もしかして、お前――」 「いや、俺も女湯のが見たい」 すっと視線を細めた漣に、空也も真顔になって答えた。 「最初からそう言ってりゃいいんだよ」 くくっ、と漣は笑う。 「中までは見れないのか?」 「機材が足りない。今金貯めてるところだ」 空也の問いに漣は小さく溜め息をついた。 本当は脱衣所だけと言わず中まで見たい。だが、浴室は広い。全ての箇所をカバーできるようにカメラを配置するためには資材が足りなかった。勿論、資材を買う金も足りないわけだが。 「貯めてるったって、こんだけの機器揃えられてんじゃん」 「やるからには中途半端なことはしない。完全に準備が揃ってからだ」 呆れたような空也の言葉に、漣は言い返した。 確かに、現在の状況でも漣の持つ機器はかなり高性能だ。配線やシステムも完璧に組まれている。 だが、浴室内までをカバーするとなると話は別だ。現状の構成では脱衣所内が限界でもある。ディスプレイとパソコン本体をもう一セット用意するぐらいはしなければ作業が追いつかない。加えて、脱衣所と違って浴室の中は湯気がある。精密機器を配置するには湿気などの水分や温度への対応も必要になってくる。 十分に費用が溜まってから、完璧にやらねば意味がない。徐々に、設置していくという方法もあるが、途中で失敗したら終わりだ。やるなら最初から完璧にやらねば。 空也もそれ以上は突っ込まず、ディスプレイに視線を落としていた。漣が来客に対応するときだけは顔を上げていたが。 「上がったよー」 暫くして、美咲が脱衣所から出て来た。後から香澄と、奈美、美奈の姉妹が出て来る。 「今日は何にする? あ、ちょっと牛乳三つ取ってくれ」 美咲に尋ねた後で、漣は空也に牛乳を取るように指示した。香澄と双子は毎回牛乳を頼んでいた。たまに違う時もあるが、大抵牛乳だ。 「何か新しいの入れた?」 香澄達に牛乳を渡す漣に、美咲が問う。いつの頃からか、美咲は銭湯で用意している飲料を全種類飲もうとしていた。 「青汁とかどうよ?」 「ほんとにあるの?」 爽やかに言い放つ漣に、美咲は真剣な表情で聞き返した。 「あったら頼む?」 「うー……」 「冗談だって」 本気で悩む美咲に、漣は笑う。 「頼むから入れないでよね。今日は苺牛乳にしとこうかな」 美咲は安心したように苦笑して、注文した。 「あいよ。おら、太郎、取れ」 「違うっつってんだろーが!」 否定しつつも、空也は律儀に苺牛乳を漣に渡した。 「取ったってことは君は太郎なわけだ」 「てめぇ……」 しれっと言い放つ漣に、空也が怒りで肩を震わせる。 美咲が笑い、香澄達もつられて笑った。漣はにやにやと笑みを浮かべて脇に立つ空也を見上げる。からかわれているのだと気付いていても、受け流せないのが空也であった。 客がいなくなり、銭湯を閉じる準備も終わると、漣は空也を連れて小屋に入った。夕食は番台にいる間に握り飯などで済ませてある。なにしろ、銭湯が閉まる時間は大抵夜の十時以降になる。場合によっては十二時近くになることもあるのだ。昼はともかく、最も客の多くなる時間帯に夕食で抜ける訳にはいかない。かと言って食べないでいるのも辛いため、番台で食べている。 「何してんだ?」 部屋に入った漣がノートパソコンを起動させているのを見て、空也が問う。 「編集作業。終えたら寝るからな」 漣は今日撮影したビデオデータが入っているディスクを持ち上げて答えた。ノートパソコンのディスクドライブに動画を記録したDVDを入れて、編集プログラムを起動する。 「手馴れたもんだな」 要領良く編集していく漣を見て、空也は感嘆の息を漏らした。 見栄えが良くなっていく脱衣所の様子に、空也の視線が釘付けになる。漣は小さく笑って、作業をこなしていった。 「コピーしてやろうか?」 「頼む」 漣の提案に、空也は即答していた。 編集作業を終え、コピーしたディスクを空也に渡した漣は寝る準備を始めた。来客用の布団を押入れから引っ張り出して部屋の隅に用意する。空也の寝る場所だ。 全ての仕事が終わった漣は直ぐに眠りに付いた。明日の朝も早いから。 * 眠りについた漣を見て空也は微かに視線を細めた。 電気の消された部屋だが、カーテン越しに外の明かりが僅かながら入って来る。暗くはあるが、目が慣れればぼんやりと部屋の中が見渡せた。 いいものを見れた、と思う充実感と共に、空也には後ろめたさがあった。 漣は銭湯に来る客達を騙している訳ではない。本心から彼女達の着替えを覗きたいと思っているに違いない。彼女達に接する漣と、脱衣所の様子を撮影する漣は両方とも彼の本心だ。 だが、空也は違う。 漣を騙している部分があった。 「すまん、レーン……」 空也は小さな声で謝った。 かつて、リヴドを離反してレグナに渡ったクーヤを、レーンは一人の人間として扱ってくれた。クーヤの考えに理解を示し、冷遇する者達とは逆に、公平に見てくれたのだ。 嬉しかった。かなりの恩を感じている。唯一無二の親友とすら思うほどに。 「協力してくれなんて言ったけど、本当は……」 ぼそぼそと口の中で言葉を転がす。 「戦わざるをえないようにしてあるんだ」 口を引き結んで、心の中だけで呟いた。漣には申し訳無いと思っているが、空也には他に良い手が思いつかなかった。もしかしたら、漣との信頼関係をも断ち切ってしまうかもしれない。 だが、もう時間はない。 戦いの時は、迫っている。 |
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