第二章 「打破」 ――そこは砂漠にあるテントの中のような場所だった。地面は細かい砂で覆われており、茶褐色の布で周囲は覆われている。そのテントの中心には、三段しかない階段状の台があった。しかし、その台は異様なまでに横幅が長く、その一段一段に、水を敷き詰めた銀色で正方形のトレイが整然と並べられていた。そして、その水の敷かれたトレイの中、それぞれに一枚ずつ紙が浸されていた。その場にいた四人の男達は手に、それぞれ種類の違うペンを持ち、トレイの前に貼り付けられた銘柄に従って、水に浸された紙にペンを這わせて行く。 ――そんな作業が数分繰り返された頃、突如テントを激しい振動が襲った。テントの一端から地面が崩れ始めたのだ。男達は驚愕に目を見開く。しかしその直後、逆側の一端からテントの布を突き抜け、一台のトラックが姿を現した。その運転席から降り立ったローブ姿の男が叫ぶ。 ――「早くこいつを使って逃げろ!」その場にいた男達は、一人は運転席へ、もう一人は助手席へ、更に一人は後部の荷台へ、最後の一人はボンネットの中へと滑り込む。運転席に乗り込んだ一人がトラックを発進させ、テントから外へ飛び出した。残されたローブ姿の男は崩れ行く地面を横目に、テントから出た。その男を待ち受けるかのように、一人の男が立っている。ローブ姿の男を見て、彼は思わず叫んだ。 ――「まさか、貴様、スネークか…!」驚愕の混じった言葉に、ローブの男は何も答えず、一歩進み出た。背後ではテントが砂の中に飲み込まれている。男は、自らがスネークと呼んだローブ姿の男へと殴り掛かった。ローブ姿の男、スネークはそれに対して見事な体捌きで拳をかわし、反撃の回し蹴りを放った。それを避けた男が手榴弾を放ち、スネークは咄嗟に横へと跳んだ。そして爆発。瞬間、ローブがはためき、頭部を隠していた部分が露になる。 ――「スネーク! 貴様、太陽の下でも動けるようになったのか…?」男は驚愕に叫び、顔を引き攣らせた。だが、それも束の間。スネークはローブを脱ぎ捨て、一気に間合いを詰めると攻撃に転じた。ワンツーパンチの後に回し蹴りを浴びせられた男が三メートル程吹き飛び、砂の上に背中を打ち付け、倒れた瞬間、何故か彼は爆発した。 ――次の瞬間、そこは小学校のグラウンドだった。彼は周囲を見回した。するとそこには見慣れた友人三人が少し離れた場所に立っていた。彼等が手招きするのに、彼はそこまで歩いて行った。 ――「ここはどこだ?」彼は問う。周囲には家屋が立ち並び、目の前には懐かしい小学校の校舎が見える。「裏庭だ」三人の友人の中の一人が告げた。「帰ろう」そう言った別の友人に頷き、四人は歩き始めた。途中、学校のグラウンドにあった自転車を、残りの一人の友人が失敬した。「後で返せば良いよ」その友人はにこやかにそう言った。 (……何だ、これ?) 光はふと立ち読みしていた意味不明な本の背表紙を見た。 ――『マイ・ドリーム』 タイトルを見て、光はますます訳が解らなくなった。多分、寝ている時に見た夢なのだろうと光は判断した。 (ボンネットに人は入れないしな) ここは一軒の古本屋だ。あまり古本屋に来ない光には、その店が大きいのか小さいのかさっぱり判らない。元々、光はあまり外に出る事がないため、店の大小等の感覚は鈍い。 ほどよくエアコンの効いた店内には、数人の立ち読み客が見て取れる。 昨日、美咲に具現力を見られてから、修の携帯電話に連絡してその事を伝えたところ、気分転換にでも、と修が古本屋巡りに光を連れ出したのだ。 気分転換とはいえ、光は実際のところあまり落ち込んではいない。初めから危惧していた事であり、十分に予想出来たからだ。そうでなくとも、いつかは話さなければならない事だとも光は思っていた。 (要するに、行きたかったのは修だな……) 内心で光はそう判断した。 恐らく、古本屋に行きたかったのは修の方だ。 最近は光も修から本を借りて読み始めているが、そのお陰で平日は寝不足気味だ。やりたいTVゲームもあり、自然と睡眠時間が削られていたのだ。 (あ、そういえば修は……?) 不意に、修の姿が見えないのに気付いた。 今日巡った古本屋はここで最後だそうだが、光の周囲に修の姿はない。どうやら別の場所で本を探しているようだ。 「……?」 ふと、通りがかった通路にいた人物が目に留まった。 体付きのがっしりした、大柄な男が立ち読みしていた。顔もいかつく、相応に強面である。足元に紙袋があるが、その中身は見えなかった。恐らくはここに来るまでに買い物をしていたのだろう。 が、光の目を引いたのはその男が持っている本であった。 裁縫の本だった。 (……人は見かけによらないんだな……) そっと後ろを通り過ぎ、光は店内を見回って修を探し出した。 「何か買うのか?」 「ん、二冊ほど」 丁度修も店を出るつもりだったらしく、確保していた本を掲げて見せた。 レジにて本を購入した修と共に光は店を出た。因みに、光は趣味に合う本一冊と、お気に入りのTVゲームのサウンドトラックCDを買っていた。 「――ぅおっ!」 いきなり修が突き飛ばされた。それでも転ばずに何とか数歩よろめいただけで修は止まった。 「あぁ、すまんな、急いでいたもので」 背後からの声に振り向くと、そこには先程店にいた大柄な男が立っていた。 「いえいえ、こちらこそ道の真ん中を占領していたのですから……」 修は何やら謝っていたが、光は男の持ち物に気を取られていた。 ぶつかった衝撃で落としたのだろうものが散乱とはいかないまでも道に落ちていた。その男には似合わない、女性向けのファンシィな菓子の箱が数個、散らばっていた。 修が謝りながらそれを男と共に拾って行くのを、光は手伝いながら男を見た。 身長はやはり大きい。光も同世代の者と比べれば背はやや高い方に位置しているが、それでも頭一つ分ぐらい身長が高い。百九十ぐらいはありそうに思えた。 「拾うのまで手伝って貰って悪いね、それじゃあ」 男はそう言うと走って行った。店にいた時と比べて余程急いでいるところを見ると、待ち合わせ時間を忘れていたのだろう。 「何か、凄い人だったな」 修が呟いた。 「ん、ああ、そうだな」 駅まで辿り着いた光と修は切符を買い、電車を待っていた。 「……そういや、どうするつもりだ?」 「……美咲の事か?」 不意に話を切り出した修に、光は確認するように訊き返した。 頷く修を見て、光は周囲を軽く見回した。ベンチに座っている二人の周囲には人影はなく、誰かに監視されているような気配もない。少し遠くに数人の人が会話をしているぐらいだ。 「……付き合いが無くなっても出来る限り護衛するつもりでいるよ」 付き合いがなくなったとしても、光と関わった事で暫くは美咲も狙われる可能性がある。そうなった場合、光は美咲を狙う敵は出来る限り排除しようと考えていた。 「まぁ、見捨てるのは出来ないよな、流石に」 修もそれに同意する。 しかし、美咲を狙う敵を排除する事は、VANに美咲を守ろうとする光の意思を示してしまう。それは、美咲が光にとって守りたいものの対象である事を認識させてしまうのだ。そうなれば、美咲は余計に狙われる可能性もある。だが、そうしなくとも美咲が狙われる可能性があるのならば、見捨てる事は光には出来ない。 関係が終わったからといって、嫌いにはならないだろうと光は思うから。 「手を出して来なければいいけど、そうはいかないだろうからな……」 昨日のVANの襲撃を見る限り、美咲が狙われる可能性はかなり高いと判断出来る。問題は、VANが美咲をどう捉えているか、だ。 「確かに、厄介だな……」 修が溜め息をついた。 考えてみれば、光と修の立場はかなり危険な場所にある。しかし、光はその場を動くつもりはなく、そこで暮らしていく事を望んでいた。修もまた、光に同意してくれている。 その上で新たに生じたのは、美咲の問題だった。 光にとっては、好意を寄せてくれる美咲はありがたい存在であり、失いたくはない。だが、美咲まで光が守らなければならないとなると、光にかかる負担は大きい。ただでさえ光と修が危険な位置にいるというのに、そこにもう一人加わるのだ。光だけで支えるのは難しくなってきている。 「やれるだけやるよ」 光は修に言った。 VANを叩けば全ての問題は解消出来るが、今、この場でそれが出来るわけではない。そして、光だけではVANを壊滅させる事は不可能だろう。レジスタンスグループと手を組んだとしても、VANを壊滅させるには時間がかかってしまう。現に、今存在しているレジスタンスグループはVANを壊滅出来ていない。普段、どんなレジスタンス活動をしているのか、光には判らないが、VANの部隊と戦うにはそれなりの準備や情報が必要なのだろう。何より、VANの本拠地が判明していないのであれば、レジスタンスグループがVANを壊滅させる事の出来る可能性はまだ低いはずだ。動きを察知して反撃するぐらいの事しか出来ていないのかもしれない。 そんな状態で、光はVANを完全な敵に回そうとは思っていない。光がVANと戦うためにレジスタンスに入ればそれだけで光の生活は変化してしまうのだ。それでは光の望む生活は出来ない。ならば、光は現状を維持するつもりであった。 「ん、来たな」 駅の構内に放送が流れ、電車が到着した。 光と修はほぼ同時に立ち上がり、列車に乗り込んだ。 やがて辿り着いた駅の駐輪場で自転車を回収し、光と修は岐路についた。 自転車で進んだのはサイクリングロードまでだった。通学路に通るサイクリングロードの部分は自転車を手で押して歩きながら会話を交わしていた。 「――ん……?」 ふと、光は前方に人影を見つけ、立ち止まった。 六人の男女がサイクリングロード脇にいた。そのうちの三人が道路に腰を下ろし、斜面に足を投げ出すようにして座っていた。 しかし、光と修に気付くと、立ち上がり、視線を向ける。 「……修、下がっててくれ」 異様な雰囲気を放つ六人を前に、光は修に囁くと自転車を止めた。荷物は全て籠の上のバッグに詰め込む。 六人全てが明らかに日本人ではなかった。 「カソウ・ヒカルだな?」 一歩前に進み出た青年が問う。 適当な長さの黒髪の、二十代後半に見える青年だ。身を包む黒いスーツはVANのもの。 そうでなくとも、光の名前を知る外国人は今はVANに所属する者しかいないだろう。もっとも、それ以前に六人の男女全てが日本人ではない時点で光にはそれらが敵であると気付いていた。 「……VANだな?」 「第二特殊機動部隊長、クライクス・ゼフィアールだ」 光の問いに、青年が答える。 落ち着き払った態度と口調に、その人物が今までに戦った者とは違う事を光は感じ取っていた。その静かな眼差しに、光は一瞬だが気圧された。 「まだ、VANに来る気はないか?」 「ない」 光ははっきりと告げた。 それだけは決まっていた。相手がVANであろうと、ROVであろうと、入るつもりはない。 「……俺達が受けた任務は、お前の勧誘だ。拒否された場合――」 クライクスが一度目を閉じる。 瞬間、その後ろに控えるように立っていた五人が前に進み出た。その虹彩は既に変化し、燐光を帯びたものになっていた。 「――排除しろと言われている」 告げ、目を開いたクライクスの虹彩が黄色く燐光を帯びていた。 「……そればっかりだな…」 光は呟き、目を閉じる。 暗い視界が一瞬だけ蒼白く染まり、感覚が入れ替わる。具現力を発現させた事を全身で確認しながら、光は目を開いた。 五人を前衛に、クライクスが後方で一人佇んでいた。青年が三人に、女性が二人の組み合わせだ。 「――アンチ・アビリティ・フィールド…!」 その五人が動いた瞬間、クライクスが呟いた。 (――っ!) 違和感が光の周囲に広がる。一瞬、空間の歪みがクライクスから放たれるのが解った。 だが、五人の男女が目前に迫り、光はその事を一度頭から追い出し、身構えた。 突き出された拳を身体の軸をずらす事で避け、続く足払いを跳躍して回避する。空中へ逃れた光へと男が跳び蹴りを浴びせてくるのを、腕で打ち払い、背後から感じた気配に振り返り、拳を寸前で腕で受け止めて防いだ。 着地を狙った回し蹴りを左腕で振り払い、光は右掌をかざした。 「――なっ…?」 思わず、声が漏れた。 本来ならば放たれるはずの力が、放たれなかった。 口元に笑みを浮かべた青年が突撃して来るのを見て、光はもう一度掌から射撃攻撃を意識した。しかし、攻撃は放たれる事はなかった。 「…くっ!」 目前に迫った青年の蹴りを寸前でかわし、続く女性の拳を横へ跳んで避けた。 反撃したかったが、下手に反撃をすればその隙を突かれて敵の攻撃を受ける事になってしまう。直感的にそれに気付いた光は隙を窺うように回避に専念していた。無論、クライクスの持つ能力が何なのか見極めるためでもある。光が五人に対して隙のない攻撃を繰り出したとしても、前衛で戦闘に参加していないクライクスに対しては簡単に隙が生じてしまうのだ。 特に、第二特殊機動部隊長と名乗ったクライクスに対する警戒を光は解く訳にはいかなかった。 VANの人員配置は実力で行われているという事が光にも解っていた。 そして、VANの部隊は大きく分けて、突撃、機動、特務の三種類に分けられる。突撃部隊は名の通り、戦闘に特化した人員配置がなされているようで、部隊長の戦闘能力はかなりのものとなる。機動部隊は広範囲に活動する事を考慮された人員配置がなされ、全体的にバランスが良い構成になっているらしい。また、特務部隊は定められた目的のために行動し易い人員配置がなされ、戦闘よりも暗殺や罠などを得意としていると考えられる。組織内の立場としては、突撃、機動、特務の順で高く、更にそれの一段階上の特殊部隊というものがある。特殊部隊長は絶大な戦闘能力を誇るはずだ。 光は、第一特殊機動部隊長と会った事がある。彼は光に共感してくれていたが、恐らく少数派の人間だ。 特殊部隊長であるクライクスは単独でもかなりの戦闘能力があると考えられるのだ。前衛にいないからといって、何時攻撃して来るか判らない。 横合いからの蹴りを腕で払うようにして防ぎ、足払いを軽く跳んでかわしながら、光は掌をかざした。 (……どうなってるんだ…!) 光は内心で毒づいた。 先程から度々射撃攻撃による反撃を試みているが、全く反応がないのだ。本来ならば閃光型である光は掌から力場を放ち、攻撃としている。力場に攻撃エネルギーが付帯するような形で発生する閃光型では、力場が生じればそれは即攻撃となるのだ。しかし、先程から光は力場を発生させられなくなっていた。 意識すれば出来るはずの事が、何度意識しても出来ない事に光は困惑していた。 表情ではそれを抑えているが、この状況で射撃攻撃が出来ない事は光には厳しい。攻撃能力の高い光の具現力は、射撃攻撃でも致命傷を与えるに十分なだけの威力を持っている。それを放てないという事は、多数の相手と戦わなければならない状況では不利になるのだ。 防護膜は張る事が出来ているため、まだ戦う事は出来ているが、圧倒的に経験の少ない光が不利である事は明白だ。 (……待てよ……?) そこで光は気付いた。 光に攻撃して来る者が必ず格闘戦を仕掛けて来ていた。五人全てが射撃の動作を行う素振りすら見せず、ひたすら光へと格闘攻撃を続けているのだ。 (……まさか!) 光は一瞬だけクライクスへと意識を向けた。 光と部下の戦いを見つめているだけのクライクスは、しかし、一歩もその場を動いていない。そして、光は感じ取った。光を含め、戦っている能力者達全てを覆う球形の力場を。その力場の中で光達が戦っていたのだ。 「……気付いたか。勘が良いな」 クライクスの呟きが聞こえた。 光はすぐさま射撃攻撃での反撃を考えるのを止めた。 「俺が持つのは空間形成能力。力場内部の空間を操り、新しい空間を作り出す力だ」 回し蹴りを身体をずらして回避し、光は反撃に拳を突き出した。横合いから割り込んだ男がその拳を速度が乗る前に向きを逸らし、無力化すると同時に近距離から膝蹴りを繰り出した。空いていた手でそれを受け止めた直後、脇腹に衝撃が走った。 背後から接近していた女が回し蹴りを繰り出していたのだ。 「ぐっ…」 身体を回転させて振り返り、裏拳を放つようにして女を引き剥がし、背後の気配に屈みながら足払いを放つ。 その足払いを回避した男の背後から先程とは別の女が現れ、屈んだ状態の光に蹴りを放った。それを掌で受け止め、足を掴むが、横合いからの気配に手を放し、地面を転がるようにして回避行動を取った。 「今、この空間では防護膜以外の力場を発生させる事を不可能にしている」 クライクスの言葉に、光は一瞬表情を歪めた。 それは光に対抗するために組まれた作戦なのだろう。光の強力な力は、多人数を相手にした時に脅威と成り得るものだ。その力を近距離の格闘戦に限定されてしまえば、数の多い方が有利になってしまう。格闘戦ならば大勢を巻き込むような強力な攻撃は光には使えないし、それだけでなくとも、光の戦闘経験の浅さは隙を生む。 力場の使えない空間を作り出し、その中で複数人の能力者が格闘戦を行う事で光に不利な状況を作り出せるのだ。 力場破壊という力を秘めてはいても、今の光にそれを自在に操る力はない。現時点で唯一操れるのはオーバー・ロード時のみしかないが、それもまだ光の意思で出来る事ではない。 まだ完全に力を操れない不完全な状態ならば、力場を使用不能にするという作戦の成功する可能性は高いだろう。 (……力場破壊さえ出来れば…!) 光は回し蹴りを屈んで避けながら思った。 力場破壊能力が今使えれば、空間を作り出している力場を破壊する事が出来る。無論、空間の中で力場破壊能力が上手く使えるかどうかは判らないが、恐らく使えるだろうと光は考えていた。前に一度だけ使った時、力場破壊能力は、生じさせた力場自体が他の力場を破壊する力を備えていたのだ。それが閃光型と相まっての事なのかは光には判らないが、その力場破壊の力ならば力場を使用不能にされている状況でも効力を発揮するだろう。力場を破壊するために、力場を使用不能にしている空間を作り出している力場の影響を打ち消せるだろうからだ。 だが、今、光がそれを使えないからこそ、VANは攻めて来ているのだ。 (……あいつを倒そうにも、こいつら……!) 光は歯噛みした。 クライクスを仕留めれば力場が使えるようになるのだが、部下であると思われる五人の攻撃は光がクライクスへと接近しようとするのを拒んでいる。格闘攻撃を複数人で同時に繰り出すのは危険だ。そのため、常に互いを補佐するように別方向からの攻撃が繰り出されていた。その方向は余り変化がないが、攻撃して来る者は毎回ランダムで、攻撃方法も毎回違う。 確実に光の集中力を削って行く戦法だ。 正面の男の攻撃を避け、背後から繰り出された回し蹴りを屈んだ後、光はその男へ膝蹴りを放った。後退して回避した男と入れ替わるように、目の前に女が割り込み、裏拳を放って来た。 (……くそっ!) 光は口に出さずに毒づいた。 反撃のために間合いを詰めようとすると、相手は直ぐに後退し、別の者が割り込んでくる。これは光が攻撃対象を一人に集中出来ないようにしているのだ。 一人だけの動きを見て、反撃出来ぬよう、別の者が次々に攻撃を行う事でそれを出来なくしていた。一人に集中していれば、他の者の攻撃への対応が遅れるからだ。その隙を突かないのは、仲間への危険を最小限に留めるためなのだろう。 「――ブロウ」 クライクスの声が聞こえた直後、光の身体が一瞬硬直した。 「……っ!」 周囲から急に圧力が掛けられ、光の動きが一瞬止まる。だが、五人の攻撃は止まらず、一人の青年が光に突撃して来た。 出来てしまった隙に、放たれた拳への反応が遅れる。腹部に拳が減り込み、肺から空気が押し出された。 「――うぐっ……!」 息が詰まり、鋭い突きの衝撃が光の身体を突き抜ける。 間髪入れずに放たれる回し蹴りを、寸前で腕を間に挟んで直撃を防いだ。そのまま振り抜かれた足に、光は吹き飛ばされ、地面を転がった。 「がぁ…は…っ…」 咳き込みながらも、直ぐに起き上がり、振り下ろされた踵落としを寸前で回避する。 攻撃後の隙を埋めるように割って入った男の跳び蹴りを横に跳んで回避し、背後の気配に光は肘打ちを放って反撃を試みた。反撃はかわされ、別方向からの攻撃に光は意識を戻した。 (……攻撃して来た…!) 光は奥歯を噛み締めた。 クライクスが攻撃して来なかった事を、光は攻撃が出来ないのだと無意識のうちに考えていた。空間を保つ力場を張り続けているが故に、クライクス本人への精神負荷は大きいはずだ。しかし、それでもクライクスは光に攻撃を加える事が出来た。 空間を形成した本人だから出来る、遠距離攻撃。一対一ではそれ程大きなダメージを与える攻撃ではないが、複数の敵と戦っている光の隙を作り出す事は容易い。光を倒せるだけの強力な攻撃は放てないとしても、隙を作り出せれば部下がその隙を突いて攻撃を命中させれば良いのだ。強力な攻撃が放てたとしても、同様だ。 目の前の女が放った上段蹴りををかわした直後、足払いを掛けられ、光は転倒した。背中から地面に倒れるのを、身体を回転させて手をついて何とか防ぐ。背後からの気配にそのまま前転するようにして回避行動を取り、起き上がったところへ突き出される拳を寸前で打ち払う。 「――うぐっ!」 背後からの回し蹴りを脇腹に喰らい、光は吹き飛ばされた。その衝撃に咳き込みながらも、直ぐに起き上がり、追撃を避ける。 (……このままだと…まずい……) 光は攻撃を凌ぎながら思う。 受けたダメージは確実に蓄積していた。追撃があるためにすぐに動かねばならないため、休む暇がない。どんなに重い一撃を喰らったとしても、それで動きを止めた瞬間、光の負けが確定する。 そして、光の敗北は死を意味する。光だけでなく、巻き込まれた修も殺されてしまうだろう。 光自身の能力が高いために何とか持ち堪えているが、それももう長くは続かない。既に攻撃を喰らい始めているのだ。そうなれば、ダメージと疲労はかなりの勢いで蓄積し、光の動きを鈍らせていく。 クライクスが何か呟いた瞬間、光の周囲の空間に突風が吹いた。 「――がぁぁああっ!」 咆哮し、バランスが崩れるのを強引に抑え、隙が生じたところを狙って突き出されたのだろう拳を避ける。そのままその男の懐に飛び込み、光は男の腹部に拳を減り込ませた。そのまま下方から上方へと打ち上げるように腕を振り抜く。 「――ッ!」 上空に打ち上げられた男を、近くにいた女が受け止める。咳き込む男を後方へ回し、別の男が突撃して来た。それに続く、残りの部下達。 反撃を当てる事は出来たが、光への負荷は大きかった。まだ身体の感覚は鈍っていないが、それは具現力のお陰だ。精神力で補っているために、身体で感じるような疲労感は抑えられている。いや、光の意思が抑え付けているのかもしれない。 それでも精神的な疲労は大きい。抑えられていても、肉体疲労を感じ始めていた。衣服は汗で身体に張り付いていた。呼吸もだいぶ荒くなっているのが、光自身にも判る。 「……ヒドゥン・フィールド」 クライクスが呟いた瞬間、視界から五人の部下が消えた。 「――な…っ!」 驚いたのも束の間、光は直感的に身体を横へと動かしていた。背筋に寒気が走る。 一瞬だけ、光が先程までいた位置に突き出された拳が見えた。それで理解した。 空間形成により、作り出した空間の一部を改変させたのだろう。光の周囲に何かしら空間の壁のようなものを作り出し、光から周囲を見えなくしているのだ。恐らく、マジックミラーのように敵からは光が目で見えるのだろう。 「あぐっ!」 目の前からの跳び蹴りを捉える事が出来ず、光はそれを胸部に受けた。そのまま後方へと吹き飛ばされ、今度は背中に衝撃が走る。 「――がっ…!」 瞬間、息が止まる。 背後に位置していた敵が、吹き飛ばされた光へ攻撃したのだ。吹き飛ばされていたのと反対方向への力を受け、二倍の力が加わる。前方へ投げ出されたところへ、横合いから回し蹴りが叩き込まれ、光は右肩から地面に叩き付けられた。叩き付けられた瞬間、右肩の内部から何か厭な音が聞こえた気がした。 (……くそ……まだやられるわけには……) 地面を転がり、左手をついて身体を起こす。右腕は動かなかった。 このままでは負ける。それが確信に変わっていた。光の力だけでこの場を打開するにはオーバー・ロードしか手はないが、光自身、それが不可能だと悟っていた。感情がそれほど昂っていないからだ。 「……まだ、考えを変えるつもりはないか?」 クライクスの声が光の耳に響いた。 「……冗談じゃない。これだけは決めてるんだ。俺は俺の考えで生きる…!」 右肩を左手で押さえ、光は立ち上がる。 右肩は脱臼しているだけだと、光には判った。それを左手で強引に直し、身構える。 何かが動く気配を感じた。それが近付いてくるのを、光はただ待っていた。空間形成で視界に映らないだけではなく、防護膜等の気配もほとんど感じられない。何かが動き、近付いてくる、それだけは感じ取れたが、方角もどれだけの距離なのかも曖昧で、かなり近くにならなければ判らない。 (……やるしかない。俺が出来るだけ……) 気配が判る距離まで近付いて来た瞬間、光は新たな気配を感じた。 大きな力場が、空間を形成するクライクスの力場を包むように展開して行くのを、光は確かに感じ取っていた。 直後、六人の敵の正確な位置を光は見た。 形成された空間が、唐突に消滅したのだ。それを感じ取れたのは、周囲が見えなくなっていた光と、空間を作り出していたクライクスだけだろう。 五人が繰り出す連続攻撃を、光は全て避け切り、最後に攻撃した男に回し蹴りを放った。 そして、吹き飛ばされた男が、それを見た四人が、空間が消えているのに気付く。 (……この気配…) 呼吸を整えながら、光は一つの気配に気付いた。 新たな気配が感じ取れていた。それがいるのは、光の後方。 「……まさか――」 振り向いた光は、見た。 修が、こちらへ手をかざして立っていた。その虹彩は深い闇色に変化し、薄っすらとだが身体も同色の膜のような燐光に包まれている。普通に見ただけでは、何も変わっているようには見えないが、常に見ている光には、その変化を見る事が出来た。 「――修……!」 覚醒したのだと、理解する。 光が覚醒した時も唐突だったのだ。何を驚いているのだろうかと、光自身気を取り直した。 今は修が覚醒した事で驚いていられる時ではない。そして、それは修自身も知っているはずだ。 「俺も手伝えるみたいだ」 口元に笑みを浮かべたその一言に光は頷き、敵へと視線を戻した。 間合いを取って陣を組む五人の表情が心なしか険しくなっているように見えた。そして、五人が地を蹴り、クライクスが手をかざす。 三人が光へ、二人が修へと向かう。 (……修が覚醒したとはいえ、この状況は厳しいな……) 仲間が増えた事で光は先程よりも落ち着けていた。 修が覚醒し、光と共に戦えるようになったからといっても、覚醒直後では力を上手く使う事は出来ない。光もそうだったが、力の使い方はその人物が経験で知るしかないのだ。だが、光と具現力の事に関して話した事のある修は、何も知らなかった光の時よりはマシなはずだ。 それでも、この状況を打開出来るかどうかは、光には判らない。 (……修の力は、何だ…?) 自然とその事を考えてしまうのは、具現力によってはこの状況を打開出来るかもしれないと光が考えてしまったからだ。 先程の、形成された空間の消滅は明らかに修の力だ。だが、それの詳細がはっきりしない以上、当てにする事は出来ない。それに、修がその力を都合良く使えるとは限らないのだ。 クライクスから力場が周囲に放たれるのと、別の力場を感じるのはほぼ同時だった。それがクライクスに感じ取る事が出来たかは判らないが、光には、クライクスの力場を覆うように、一回り大きな力場が生じるのが判る。 そして、クライクスの空間形成能力が発揮されるた直後、その空間が打ち砕かれた。何事もなかったかのように、空間は一瞬で消滅していた。 (……もしかして…今なら……) 光は力場の効果が消えているのを感じ、目前に迫る三人に掌を向けた。 意識した途端、掌に蒼白い閃光が生じた。三人全員が驚愕に目を見開き、左右に散開し、距離を取った。 「そんな馬鹿なッ!」 男の一人が叫んだ。 「空間が消えてる……?」 その傍にいた女も小さく呟く。 「空間破壊……戦術を変える、全力で攻めろ!」 クライクスが告げ、駆け出す。 空間破壊。それが修の使った力の名称なのだろうか。だとすれば、空間形成というクライクスの能力には十分対抗出来る。 一度防がれた戦法を直ぐに捨て、新たな戦術を指示するのは有能な証拠だ。同じ戦術を防がれた時に生じる隙が命取りになるのを知っているのだ。 正面に迫った男から距離をおくのと同時に、光は修の方へ移動した。 (……これは…) 光は修が能力者二人の攻撃をかわしているのを見た。 それは、光の感覚としては遅い動きであった。確かに、能力を使っていない時よりは素早いが、光が今まで戦った他の能力者と比べて、修の身体能力の上昇は明らかに低いものだった。 だが、修はそれで全ての攻撃を避けていたのだ。攻撃が繰り出される時には既に、続く攻撃も避け易い体勢へと回避行動を取っていた。それは知覚速度がかなりのものである事を示している。 恐らくは、オーバー・ロードした時の光にも匹敵する程のものだ。 そうでなければ、自分よりも素早い相手の動きを回避し続ける事は出来ないだろう。 突き出された拳を必要最低限の動きでかわし、背後からの回し蹴りも屈むという一動作だけで完璧に回避する。そのまま背後に足払いをかけて反撃し、避けられたと察知するよりも前に修は回避行動を取っていた。 光は修の背後の男に光弾を投げ付けて牽制し、もう一人の女と修の間に割って入った。 「…大丈夫か?」 「まぁね」 光の確認に頷く修に、光は違和感を感じた。 だが、その違和感を考える前に、光は背後に掌を突き出し、盾を形成させた。その盾に無数の針のようなものが突き刺さり、盾のエネルギーによって消滅した。 「ただ、まずはこいつ等をどうにかしないとな」 「……ああ」 修の言葉に、光は頷く。 盾を消滅させ、両手に蒼白い閃光の剣を作り出し、構えた。光と修の前方を塞ぐように、扇形に展開した六人が互いに視線を交わし、動いた。 二人の女のうち、一方が掌をかざし、前面から針のような微細なエネルギーを放って来た。それを光が大型の盾を作り出して防ぎ、攻撃が止むのと同時に光と修も動いた。 真っ先に飛び出してきたのはクライクスだった。その周囲の空間が歪んでいるように見えたのは錯覚ではなく、光には力場であると感じ取る事が出来た。 かなりの速度で動いているにも関わらず、クライクス自身にそれほどの動きが見えない事から、作り出した空間の中に身を置いているのだと光は理解した。恐らく、その空間は通常の空間とは違い、クライクス自身の身体能力を防護膜以上に高める空間なのだろう。 「――くっ、何っ…!」 だが、唐突にクライクスを包む空間の歪みが削り取られた。 完全に空間が消えたのではなく、一部分が削り取られたために、クライクスのバランスが崩れた。修が発生させた力場に触れた部分が削り取られたのだ。 光には空間がどうなっているのかは見る事が出来ないが、力場の動きでそれを推測する事は出来た。クライクスが作り出した、自身を覆う力場が、横合いから修が発生させた力場に触れた瞬間に、その効力を部分的に失ったのを感じ取る事が出来たからだ。 「そこだっ!」 光が掌から放った閃光を、クライクスは新たに作り出した空間で防いだ。力場の使用できない空間を全面に作り出す事でそれを盾代わりにしたのだ。 修が三人の能力者の攻撃を尽くかわしているのを尻目に、光は背後の気配に振り返る。 光の視界に、微細な針が無数に入って来た。後方から女が一人、突撃して来ているのが見えた。 掌を突き出して盾を作り出し、針を防ぎ、その盾を形成する閃光を周囲に解き放ち、攻撃に転じる。女の攻撃に連携攻撃をするつもりだったのだろう男が後退し、女自身もクライクスの腕に掴まれて後退した。 それを最後まで見ずに光は修の方へと駆け出した。 (……分散して戦っても勝てない…) 光はその時になって気付いた。 六人の敵はそれぞれ、光と修に三人ずつ分かれて攻撃してきたが、それは数の少ない光達に対して三対一の状況を作り出す事になる。そうする事で二人の連携攻撃を防ぎ、確実に追い詰めていくのだ。 事実、五人を相手に身体能力のみで戦っていた光はかなり苦戦していたのだ。具現力が使えるようになって多対一では、数の少ない方が不利だ。特に、覚醒したばかりの修には、かなりの負担になる。 三人の攻撃をかわし続ける修の前に飛び出し、光は周囲に盾を作り出して全方位の攻撃を防いだ。その盾を拡散させ、反撃にする。 「光、どうする?」 「それは俺が聞きたい。何か力は使えるのか?」 修の言葉に、光は訊き返した。 クライクス以外の能力者五人は強いが、個人で比べれば光が勝てるものだ。しかし、連携攻撃が巧みで、能力の差を完全に埋めていた。 (……これが、精鋭なんだろうな) 光は修の回答を待つ間に思った。 的確な指揮と、巧みな連携に、経験の差。光個人の能力がいくら強力でも、それらがあれば能力の強さの差を埋める事だって出来るという事を、光は実感した。 だから、光は修の傍へと来た。光一人では確実に負けていた状況を一変させたのは修なのだ。今は修の力を借りなければ、この場を凌ぐ事は出来ないだろう。 「……まだ、はっきりとは判らない。ただ――」 小さく、光にだけ聞こえる囁き声で、修が答えた。 「――この場は何としても凌ぐぞ」 固い決意の篭った一言に、光はまた違和感を覚えた。 普段の修とは、少し違う気がした。しかし、光はそれを考える事も後に回した。今はそれを考えているような状況ではない。 「そうだな、俺もまだ、戦えそうだ」 光は口元に笑みが浮かんだ事に気付いた。 今ならば、先程よりも身体の内側から力を引き出せるように思えた。オーバー・ロードではないが、それでも感情の変化による能力の上下の幅が大きくなっているのを感じた。 (……死ぬわけにはいかないよな) 一人の若い男が地を蹴った。 刹那――光は修の操る力場を感じた。 「!」 光は感じ取り、見る。 男の左腕が肩口から音もなく切り離されていた。そして、腕が離れた瞬間には右足が膝の上から切断される。続いて、右腕が消滅し、左脇腹が削り取られるようにに大きな穴が生じた。残っている左足が着地するよりも早く、その首が切り離される。遅れて鮮血を撒き散らしながら、肉塊となった男が崩れ落ちる。 その場の誰もが動きを止めていた。 「――リアンッ!」 女が叫ぶ。 (――これが、修の力……?) 光自身も驚いていた。 直接攻撃を行うタイプの光には、今の攻撃は出来ない。力場を感じ取れるが故に修の攻撃の場所を掴めるが、もし、それが出来なければ、あの攻撃は防ぎようがないのだ。 しかも、修の攻撃は刃を生み出すようなものではない。不可視の攻撃なのだ。 (……考えてる場合じゃないか) 光が駆け出すと同時に、クライクスを加えた五人が動いた。 クライクスが手をかざし、空間生成を始め、他の四人が光達へと敵意を向ける。 「――!」 小さく、修が気合を入れるように息を吸い込むのが聞こえた。 クライクスが生じさせた力場を覆うように修が力場を作り出し、クライクスの力場が効力を発揮した直後に、修の力場も効力を発揮し、生成された空間を打ち消した。 「――はぁっ!」 咆え、光は両手に形成させた剣を振るう。 目の前に迫った男が回避行動を取るが、光は攻撃の速度を途中で速める事で、右腕を切断した。光は強く念じる事で力を引き出す事が出来る。オーバー・ロードを引き起こすまでには至らないが、それも光の能力の特性だ。光の意思はそのまま力になる。 「――グッ!」 呻く男の腕から鮮血が噴き出す。 直後、力場を感じた。 瞬間的に男の両足が、腿の辺りで切り離され、それによってバランスを崩した男が背中から倒れる。その倒れる途中で、男が縦に裂けた。切断面から赤い飛沫を撒き散らし、分断された男が地面に転がった。 修の攻撃だと、直ぐに解る。 「――インフェルトッ!」 残っている男が死んだ者の名前を呼ぶ。 その直後、女二人が左右から光に飛び掛って来た。一方が光へと回し蹴りを放ち、もう一方は無数の針を生じさせて光へと集中的に放つ。 光は回し蹴りを避け、もう一方へと身体を向けた。盾を生じさせようと意識する直前、光の前面に力場が生じるのを感じた。 そして、光目掛けて放たれた無数の針がその力場の発生した場所に触れた瞬間に針が消失する。修の力だと光が理解した直後、光はそれを見た。 針を放った女の背後に生じた力場の内側から、先程消失した針が飛び出し、放った女自身の背に突き刺さっていた。突き刺さった針はそのまま身体を貫通し、消滅する。修の力場がなければ、丁度光の身体を貫通していただろう距離だ。元々その距離で消滅するようにしていたのだろう。 「――なッ…!」 女が、血を吐いた。 「リビュア!」 もう一人の女が名前を叫ぶ。 その時には、光は次の行動に移っていた。 「喰らえぇっ!」 光の右掌から放たれた閃光が、リビュアと呼ばれた女の胸を貫いた。 起きた現象に驚いている隙に攻撃を行わなければ光達に勝機はない。驚きはしても、それを意思で強引に捩じ伏せ、光は攻撃を行った。それが、その現象を引き起こした修への礼儀でもある。 光は周囲に視線を投げた。 「……」 クライクスの表情が険しくなっていた。 残った男女がその左右にまで後退し、警戒している。 修は何事もなかったかのように立っていた。しかし、かなり消耗しているのだと光には判った。薄っすらと額に浮いた汗が、修の態度が敵に消耗している事を悟らせないようにしている虚勢である事を表している。 光自身も消耗していた。防護膜と光の意思で強引に捩じ伏せているが、光の身体への負担は相当なものになっているはずだ。 (……もう長時間は持たない。けど、何とかなる…!) 光は口元に浮かびそうになる笑みを噛み殺し、無表情でクライクスに視線を向けた。 光も修もかなり消耗し、これよりも更に力を使い続けるのは厳しい状況だった。しかし、あれ程苦労していた敵を短時間で三人も倒す事が出来たのだ。残りの三人も、何とか倒す事が出来るかもしれない。光はそう思い始めていた。 クライクスが生成する空間を修が尽く打ち消し、修へと向かおうとする二人を光が押し止める。 交わされる攻撃が二人分に減ったためか、光も反撃がし易く、光一人でも二人を相手にする事が出来た。一人が修へと向かおうとするのを、光がそれを妨害し、続く反撃を回避しては攻撃を行う。 その間にも、クライクスが連続で生成する空間を、修が打ち消していた。その修の疲労は並大抵のものではないはずだった。表情こそ余り変化はなかったが、噴き出した汗が服を濡らしている。一方のクライクスも汗を浮かべ、連続して空間を生成し続けていた。 空間に影響を与える能力を使うために掛かる負担がどれほどのものか、能力自体が違う光には判らない。しかし、かなりの負担になっているであろう事は、見た目からでも判断出来る程になっていた。 特に修は限界が近いと光には思えた。覚醒直後は、鋭敏になった感覚と力場を発生させる事による精神的負荷と、普段の肉体と精神とのギャップが大きく、そのために普段の状態の肉体や精神への負荷がかなりのものになる。光も、覚醒直後に能力を閉ざした時、短時間しか使っていなかったにも関わらずまともに歩けなかったくらいだ。 力場を連続で発生させている修の受ける負担は相当なもののはずだ。それも敵は判っているのだろう。連続で空間を生成し、それを打ち消させる事で修を消耗させているのだ。限界が来れば、打ち消せなくなるだろう。その瞬間、敵の勝利が確定する。 (……いつまで持つ……?) 攻撃をかわしながら、光は修の身を案じた。 疲労限界を超えて能力を使用した場合、光にはどうなるのか想像が出来ない。ただ単に具現力が解かれて、通常の状態に戻るだけなのか、それとも、能力が制御出来なくなって暴走するのか。 光の戦う二人はかなりの手練だった。修へと向かおうとするのを妨害しなければならないために、光は攻撃を命中させる事が出来ずにいた。だが、数が減ったのが幸いし、光も攻撃を受けていない。 (……焦るな…!) 修への負担を出来るだけ減らすには、早急に敵を殲滅する必要がある。 しかし、それには光が戦っている間は修には力を使い続けて貰わなければならない。いつまで修が持つのか判らない状況で、使い続けさせてしまう事が、光を焦らせていた。 焦りが攻撃に隙を生じさせてしまえば、元も子もない。 「……はぁっ!」 気合と共に、光は自分の背後、修と光の間に壁を作り出した。 その壁を光が維持し続ける限り、修に近付く事は出来なくなるはずだ。負担は大きいが、そうでもしなければ二人をまともに相手に出来ないからだ。 「……っ…!」 修の呻き声が、光の耳に入った。 もう時間がないという事が、光を焦らせる。その焦りを押し殺し、光は二人の男女と、その向こうにいるクライクスに視線を向けた。 そうして、疲れた右腕を左手で支え、右掌を三人へと向ける。狙いは、二人の間にいるクライクスだ。 (――ちっ……!) 一瞬、視界がブレた。疲労のせいだ。 男女が左右に展開し、光へと攻撃の意思を向ける。その二人へ、光は背後の壁の閃光の一部を放ち、牽制した。 背後の壁を消さない程度に意識を掌の先へと集中し、蒼白い閃光を作り出す。こめかみから頬、顎へと汗が伝って行くのが光自身にも判った。 瞬間、光とクライクスの間に衝撃が走った。 「……?」 丁度中間の位置に強烈な衝撃波が打ち込まれていた。 そうして、その場に一人の少女が現れた。地面にかざした掌から放った衝撃波で、落下速度を打ち消し、着地する。 「止めなさい、クライクス」 先端を茶色に染めたやや長めの金髪に、少しだけ日焼けしているように見える白い肌の少女だった。その虹彩は薄い藍色だ。 「――リゼ……?」 クライクスの部下の女が怪訝そうな目で少女を見る。 「この場は退きなさい。上からの命令よ」 「上、だと…?」 男の呟きを、リゼと呼ばれた少女は無視した。 「……長には他に考えがあるらしいわ。それに、この付近では既に動いている者達がいる。気付いてなかった訳ではないでしょう?」 そして、その少女はクライクスに告げる。 長というのはVANを束ねている者なのだろう。不穏な言葉があったが、今は口を出さずに成り行きを見守った方が良いと光は判断した。 光は背後の壁を消し、修の傍まで移動して遣り取りを見ていた。 「だが、俺達は密命を受けていたんだぞ?」 「勿論、それも知っているわ。けれど、事実として命令は出されているのよ。それに、私が来るまでに決着をつけられなかった」 部下の男の一言に、少女は言い返す。 歳の差は明らかに男の方が十歳は上に見えるが、少女がそれに何の抵抗もなく告げる事に、年齢が関係していないのだと改めて気付かされた。 「でも、リアンやリビュアが……!」 「戦いでどちらかが死ぬのは当然の事。それぐらい判っているはずでしょう、レイニス」 返された言葉に、レイニスと呼ばれた女は言い返せずに口を噤んだ。 「……解った、退こう」 「隊長――? 長期戦になれば勝てますよ!」 目を閉じて告げたクライクスの言葉に、男が食って掛かる。 「それはどうかしらね。その二人、私達が思っている以上に強い精神力を持っているわ。寧ろ、あなた達の方が全滅するかもしれないわよ? それに、命令違反をするなら私が相手になるわ。今のあなた達なら私一人でも倒せると思うけど?」 ちらりと、リゼは光へと視線を向けて告げた。 「やってみなければ判らないわ」 レイニスの言葉に、リゼは首を横に振った。 「現に、三人倒されているじゃない。油断した、なんていうのがこの世界では言い訳にはならない事ぐらい知っているでしょう?」 クライクスの部下の男女は言い返せずに口を噤んだ。 油断して負けたというのは、油断してしまった側が悪いという事なのだろう。油断、つまり隙を生じさせてしまった側が、そこを突かれて敗北するのは当然の事だ。 「親しい仲間を殺されて怒るのは解るけど、戦っている相手にも言える事よ、それは」 畳み掛けるようにリゼが告げる。 「……そうだな、一度退いておこう。仲間割れがしたい訳ではないしな」 「クライクス隊長……」 クライクスが言い、レイニスがクライクスを心配そうな目で見つめた。 「また上に聞いてみるさ」 そうして、クライクスが力場を作り出す。そこに足を踏み出す直前、クライクスは思い出したかのように修へと視線を向けた。 「確か、シュウと言ったな。憶えておく」 そう言い残し、二人の部下を引き連れて生成した空間の中へと消えた。恐らく、空間生成で別の場所までの距離を埋めるような空間を作り出したのだろう。そうする事でかなりの距離を跳び越えるこ事が出来るはずだ。 「さてと、大丈夫だったかしら?」 「あんたは……?」 警戒しつつ、光は問い返した。 「第一特殊機動部隊、第二隊隊長リゼ・アルフィサス」 リゼが改めて名乗り、光に小さく笑顔を向けた。先程の態度とは全く違う印象を受けた。 「じゃあ、ダスクの部下?」 「ええ。ダスク様から聞いてましたけど、凄いわね、あなた達」 リゼが笑顔で頷いた。 「第二特殊機動部隊、精鋭にあれだけの被害を出すなんて、初めての事よ」 「思ったよりも兵は多いんだな……」 荒く肩で呼吸をしながら、修が呟いた。 軍隊等の情報に詳しい訳ではない光には、イマイチ想像出来ないが、そういった関係の書物も読んだ事のある修には想像出来たのだろう。 「そういえば、ダスクは?」 光はリゼに尋ねた。 第一特殊機動部隊長、ダスク・グラヴェイト。彼はVANでありながら、光の考えを理解してくれた能力者の一人だ。一ヶ月前の一件でも、修の命を救ってくれた上に、上層部に光に手を出さぬように掛け合うとまで言ってくれた。 彼ならば、自分自身で止めに来るのではないかと光には思えたのだ。 「今はダスク様に外せない任務がありますので、私が代わりを頼まれました」 彼女がダスク様、と呼ぶ事に何故か違和感を感じなかった。いや、違和感を感じさせないくらいに、リゼは自然にそう呼んでいた。それだけ慕っているのだろう。 「今回の事は、政治担当者達が独自に判断して決めた作戦のため、ダスク様が止める事が出来ませんでした」 「ん? じゃあ、ダスクは動いてくれていたのか?」 光はリゼに訊く。 手を出さないように掛け合うと言ってくれた事は記憶しているが、監視がついた事から、ダスクの意見が却下されたものだとばかり思っていたのだ。 「ダスク様は約束は守りますよ。今までに大きな部隊が動くような作戦を二つ、反対して取り止めさせています。ただ、最近はあなた達を敵と見做す多くの方からの風当たりが強くなって来ています」 「まぁ、大きい組織ともなると、それも当然だろうな…」 修が顔を上げた。 堪えてきた疲労が出たのだろう、膝に手を突いて荒く息をついていた。 「それにしても、空間破壊能力だなんて、確かに危険視されるわね」 「どんな力なんだ、それは?」 リゼが修を見て呟くのに、光は尋ねる。 これから修が戦うとしても、能力の特性は多少なりとも聞いておいた方が良い。光も覚醒直後にROV等から説明を受けたのだ。 「そうねぇ……空間破壊能力は、名前の通り力場で包んだ内側の空間を破壊する能力よ。空間と空間の間の空間を壊して繋げたりも出来たはずよ。空間型としては、かなり強力な力ね。私が知っているのはそれくらいよ」 リゼの返答に、光は修へ視線を移した。 先程の戦闘で修は確かにその力を使っていた。空間を破壊する能力で、クライクスによって生成された空間特性を壊し、能力者の腕の付け根部分の空間を破壊する事で腕を切り離し、放たれた攻撃を敵の背後に転移させたりと、リゼが言った力を光は全て見ていた。 「……ぅぐ…」 修の呻き声が聞こえた。 「修……?」 光が大丈夫かと訊こうとした時だった。 修が酷く咳き込んだ。口元から離した手は赤く汚れていた。 「――修っ!」 光は修の背をさすりながら、呼びかける。 「ごぶっ……大丈夫……じゃないな…悪ぃ……」 よろめき、血を吐きながら気を失う修を光は受け止めた。 「覚醒したばかりで力を使い過ぎたみたいね。空間型は精神的な負荷が大きいのよ。覚醒したばかりで精神状態が具現力に慣れていない状態で酷使し過ぎたから……。多分、安静にしていれば数日で治るとは思うけど」 リゼが言う。 「後始末、頼める?」 「元からそのつもりよ。荷物はそのままにしておくけど、戦った痕跡は消しておくわ。早く家に連れて行ってあげなさい」 「すまない」 「私は痕跡を消したら戻るわ。また、会う事もあるかもしれないわね」 リゼの言葉を背に、光は疲れた身体に鞭打って地を蹴った。 周囲の気配を探り、誰かに見られていないか確認しながら、修の住むマンションへと急いだ。マンションに着くと一気に四階まで跳躍し、光が持っている合鍵でドアを開け、中へと入った。置いてきた荷物の事もあるために、とりあえずベッドの上に修を寝かし、直ぐに部屋を出た。四階から飛び降り、周囲に警戒しながら自転車を置いてきた場所まで戻った。 その時には既に争った痕跡は綺麗になくなっていた。誰か数人部下を連れてきていたのかもしれないと思いつつ、光は自分の自転車を先に自分の家の前まで持ち帰り、続いて修の自転車をマンションの駐輪場に置くと、修のバッグを持って四階へと跳んで部屋へと戻った。 修の部屋の中で、光はバッグを机の上に置いた。それからベッドの上の修に目を移し、取り合えず汗で濡れた上半身を着替えさせ、吐血した後始末もした。 (何で俺がこんな事しなきゃならないんだ……) その作業中、光は思った。 確かに、修のお陰で光は勝てたし、感謝もしているが、光だってかなりの疲労が蓄積しているのだ。家に帰って休みたかった。 そうして、身体が言う事を聞かなくなりつつあるのを自覚しながら、光は帰宅した。具現力は家に入る直前に閉ざしたため、自分の部屋に行くまでの道のりが遠く感じられた。 (…ああ、明日学校行きたくねぇ……!) そんな平和な事を思った数秒後には、光は眠りに落ちていた。そして、光はそのまま夕食の時間を一時間以上過ぎるまで眠っていた。 |
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